アカの他人の外国人のオッサンと暮らしている不思議
私は、今でも娘によく言われます。「ママは、どうしてパパなんかと・・・。」と。
その人の娘にして、パパなんか・・と言わせるのには、理由がいくつか思い当たりますが、まずは、主人が私とは、けっこう年の離れたオッサンだということがあるのだと思います。
先日、「アカの他人のオッサンと暮らす人」という記事のタイトルを見て、ああ、そう言えば、私もアカの他人のオッサンだった人と暮らしている・・と思ったのです。
まあ、言い方は悪いですが、大抵の場合、誰でも最初は、アカの他人です。
それが、オッサンかどうかは別として・・。
私が主人と出会ったのは、青山で行われていた在日の外国人が集まるパーティーでのことで、私は、イギリスから戻った後に、英語を使う機会を持ち続け、何とか、英語のレベルを落とさないようにと思って、時々、顔を出すようにしていました。
そこで、私が驚いたのは、来ている外国人たちが、あまりにも日本語が上手なことでした。その中でも主人は、ひときわオッサンで、ガタイも良く、派手で、最初は、” このオッサン、マフィアかい!”と思ったほどで、日本語が下手、というよりも日本語をほとんど話しませんでした。
パーティーがお開きになって、その中の数名と、次へ行こう!という話になり、何人かと出かけたうちの一人だったのです。
周りのイングリッシュネイティブの人に比べて、英語もあまり上手でもなく、英語圏の人ではないなと思っただけで、(自分の英語のことは、棚あげにして。)(後から考えれば、フランス語訛りの英語でした。)どこの国の人かということも、私は、あまり興味もなく、ただ、顔を合わせたら、話すという程度でした。
しかし、何回か話すうちに、そのオッサンとは、英語で話しているにも関わらず、話が次から次へと出てきて、いくらでも話すことができたのです。
普段、あまり、饒舌でもない私が、見ず知らずのアカの他人の外国人のオッサンと、こんなに話が弾むことが、だんだんと楽しくなっていったのです。
主人は、別に、特にブサイクと言うわけではありませんでしたが、なんといってもオッサンでしたから、私が主人と親しくなったのも、私が特に面食いでもなかったこともあったかもしれません。
その頃は、私は、フランス語の知識は、ほぼ、ゼロに等しいくらいだったので、電話をしてきて、”アロー”(フランス語は、Hを発音しないために、ハローではなく、アローと発音します)とかいう主人に、”この人、ハローも言えないんだ・・”などと思っているくらい、フランスにも、フランス語に関しても、無知でした。
むしろ、私は、フランス語は、どんな言語よりも苦手で、フランス語だけは、絶対やるまいと思っていたくらいです。最初から、主人がフランス人だとわかっていたら、あまり、話すこともなかったかもしれないくらいです。
最初のきっかけは、そんなでしたが、紆余曲折を経て、私は、アカの他人のオッサンだった主人と一緒に暮らすようになり、結局は、フランスで今も暮らしているのです。
今、冷静に考えれば、どこの国の人かもわからない、アカの他人のオッサンと海外暮らしをするなんて、私もどうかしていたとも思うのですが、その時点では、アカの他人であることも、その人がオッサンであることも、気にならなくなっていたのですから、人生は、わかりません。
娘が改めて、不思議そうに言うことが、もうひとつあります。
” パパは、自分のことが、すごくカッコいいと思っているよね。どうしてだろう?” と。
娘にとっては、私が、アカの他人の外人のオッサンをパートナーとして選んだのと同じくらい、不思議なことのようです。
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