2020年1月12日日曜日

断捨離と帰国の憂鬱




 私が、初めて身近な人を亡くしたのは、私が二十歳のときでした。
私は、祖母が、亡くなってしまった祖父に触れながら、「まだ暖かい・・」と言った本当の意味を知ったのは、本当に冷たくなってしまった祖父に触れた時でした。

 今から、考えると、私は、まだまだ子供でしたが、人の死というものに接して、充分に色々なことを感じたり、考えたりできる歳になってからのことでした。

 あれから、祖母が亡くなり、母が亡くなり、父が亡くなり、実家には、誰もいなくなりました。

 その間には、長い年月を経ており、親の介護の問題などで、色々と大変だった時期もありましたが、今、空き家だけが残されて、実際に、実家に帰っても、ひたすら、家の片付けと不用品となったものの処分をする帰国は、だんだんと気が重くなり、どこか憂鬱で、足が遠退きがちになります。

 最後に亡くなった父にしても、あれほど、いざこざを起こして、喧嘩もずいぶんしましたが、いざ、いなくなってしまうと、やはり、虚しく、誰も住んでいない家に帰るというのは、こんなにつまらなくて、淋しいものだと実感しています。

 また、まだまだ使えるものを捨てるのは、忍びなく、身内で、引き取ってくれる人があれば、使ってもらうようにしたり、メルカリに出品してみたり、買い取り業者の人にも、一体、何度、家に来てもらったかわからないほどです。

 かといって、全てを業者に任せて、父や母のものを処分してしまうのは、あまりに忍びなく、また、片付けていると、母が大切に取っておいてくれたと思われる、私や弟の子供の頃のアルバムや、絵や、私が海外に出始めてから、両親に宛てて送った手紙などが、綺麗な箱にしまわれて、大事に取ってあるのを見つけたりするにつけ、熱い思いにかられます。

 実家の片付けとともに、改めて感じる母の愛情をもう一度、かみしめることができるこの機会を、私は、どうしても、自分自身でやり遂げて、しっかりと胸に刻みたいと思っているのです。

 と、同時に、人間は、生活していく上で、どれだけのゴミをため込むものかと、呆れるとともに、日頃からのシンプルな生活を心がけようと思うのです。

 そして、祖父母、両親と亡くなってしまった今、次は、私の番だと、私も人生のラストステージにさしかかっていることを覚悟させられます。

 そんなことを言うと、周囲には、まだ若いのに・・とか、また、言ってる・・とかいって、笑われるのですが、人生は、思っているほど長くはなく、自分が確実に死に向かっている存在であることや、残された時間をどのように生きるかを自覚して生きることは、とても大切なことだと思うのです。

 なので、私は、最近は、パリに戻っても、少しずつ断捨離を始め、シンプルな生活ができるように心がけています。

 leboncoin(ルボンカン)という、フランスのメルカリのようなものに出品したり、EMMAUS(エマウス)という不用品を引き取ってくれる団体(この団体は、チャリティーの団体で、不用品を引き取って販売してお金を集める慈善団体です)には、もうスーツケース何個分を運んだことか・・。

 こうして、日本の実家に帰っても、パリに戻っても、ひたすら物を減らしていると、うっかりと、何か、新しいものを買いそうになっても、「待てよ!これも、また、捨てることになるのだ・・」と自分自身に歯止めをかけるようになりました。

 奇しくも、母が私に宛てて、送ってくれた最期の手紙の「生活は、簡素に・・」どおりにしていることにハッとさせられるのです。

「お誕生日、おめでとう。◯◯年間、生きてきてくれてありがとう。世界のどこにいようが、存在しているというだけで、私にとっては、うれしいことです。あなたも、そろそろ人生の折り返し地点です。今までの生き方を見返して、ゆとりを持てる生活、時間と労力を簡素化していって下さい。私は、気がつくのが遅かったことを反省しています。でも、夢は持って下さい。” 生活は簡素に、志は高く” (最近、読んだ本の一説)」




















 













 

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