2020年1月30日木曜日

パリでのクレーマーがヤバい奴になるまで


 彼女は、とても、几帳面な人で、コツコツと地味な努力を重ねる人でした。

 最初から、あまり、明るい印象は、なかったのですが、パリでの生活も私よりも長く、時たま、娘に手作りのアクセサリーを作ってくれたり、親切で、面倒見が良いところもありましたが、私よりもかなり年長でもあり、さほど親しくなることもなく、顔を合わせれば、時折、話をする程度の関係以上に踏み込むことはありませんでした。

 彼女のご主人は、日本人のシェフで、フランスでレストランをやっていたらしいのですが、日本でお店をオープンすることになり、ご主人は、日本へ帰国、お子さんたちの希望で、彼女と子供たちは、パリに残りました。

 ところが、日本に帰ったご主人に女性ができて、結局、離婚。彼女は、パリで一人、三人の子供を育てていました。

 ただでさえ、世知辛い、トラブルの多いパリでの生活ですから、何か起これば、黙っていられないのは、パリで生活する人なら、仕方のないことで、ましてや、一人で子供三人を抱えての生活は、さぞかし、気が張り詰めたものであったのだろうと思います。

 私自身もパリに住むようになってから、随分とハッキリと物事を言うようになったことも確かです。

 しかし、彼女には、元来、明朗なイメージがなかったせいもあってか、どこか、彼女の文句? の付け方は、陰湿に感じられ、しかも、あまりに細部にわたるもので、それをいちいち、自慢げに、周りに報告するので、ちょっと、これは、ヤバい奴なのかも?? と、遠巻きに眺めていました。

 次第に、彼女のクレームは、スーパーで買った品物を製品を出している会社に送りつけたり、あたりのお店やレストランなどの店員の接客の態度などにまで及ぶようになっていきました。

 ハッキリ言って、パリのお店など、そんなに細かいことにいちいち目くじらを立てていては、あまりにツッコミどころがありすぎるのです。

 そして、最も、怖かったのは、会社で上司などに、何か言われたり、理不尽と思われる出来事があるたびに、○年○月○日○時、○○と言われた・・などと全部、記録し、出勤簿などもコピーをとって、きっちりと保管し続けていたことです。

 まあ、正当な自己防衛といえば、そうなのですが、会社の場合、その場では、ほとんど、怒りを発することはなく、ひたすら、恨みを募らせながら、記録をしたためている様子は、やはり、ちょっと、そら恐ろしい感じでした。

 やがて、彼女が退職した後、彼女の会社に対する攻撃が始まったのです。
彼女は、会社を訴えたのです。

 フランスの労働法は、基本、労働者を保護する立場をとるので、ある程度、根拠のある裁判ならば、労働者側が強いのです。彼女は、長年の恨みをその日のために、几帳面に記録を取りながら、着々と準備を進めてきたのです。

 果たして、彼女は、勝訴し、大金を得ました。

 彼女が恨みを募らせながら、記録し続けた様子を遠くから、眺めていましたので、彼女の執念と努力が勝訴を勝ち取ったとは、思いますが、傍目にも、後味が悪く、あちこちに恨みつらみを抱き続ける彼女の生活に疑問を抱かずには、いられませんでした。

 彼女は、きっと、行きつけの店では、ブラックリストに載っていて、彼女が行くと、「ヤバい奴が来た!」と言われているに違いありません。

 トラブル満載のパリでも、言うことは言いつつも、決して、「ヤバい奴」には、ならないようにと、改めて、思い知らされる彼女の生きようでした。

 

 

 










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