2024年11月6日水曜日

自分が死んだときのことを考えていたら・・

  


 ここのところ、トゥーサンだったり、夫の命日だったりで、珍しくお墓参りをしたりして、なんとなく、自分が死んだときのことをぼんやりと考えています。

 まあ、今のところ、具体的に差し迫った予定?はないものの、いつ何があるかわからないし、いつかは必ず死ぬということだけは、確かなことです。両親も夫も他界しているとなると、次は私の番と思うのです。くれぐれも、娘には、この順番は守ってほしいとだけは切実に思います。

 常日頃から、わりと「死」については考えることも多く、大学やその後もホスピスなどの勉強をしてきたので、家庭内でも「死」についての話題は避けないようにしてきたつもりです。大方のことは、娘に話してあるし、そんなに大きな金額ではないけれど、日本とフランスにバラバラと散らばっている銀行などの口座についても書き残してあります。あとは、具体的に誰に知らせてほしいとか、そんなことも書き残しておいた方がいいかな? などと、ぼんやりと考えていたのです。

 私の場合、今の現状を考えると、圧倒的にフランスにいる時間が長いので、フランスで死ぬ確率が高いので、日本の友人等は、知らせたところで、仕方ないとも思うのですが、それでも数人だけ、親しい友人には知らせてほしいかなと思っています。でもその他の人々には、「そういえば、あの人亡くなったんだってね・・」、「へえ~~」というくらい、ひっそりと、消えていきたいです。

 いつか、娘に「私が死んでも、お葬式はしてくれなくていいよ・・」と言ったら、「お葬式は死んだ人のためだけにするものではないよ!」と怒られたので、「じゃあ、あなたがやりたかったら、やってもいいけど・・あまりお金をかけるのはもったいないからね・・」と言いつつ、同時に、娘もいつか来るであろうそんな日のことを考えることがあるのだろうか?とビックリした覚えがあります。もう、そんな話をしてから、何年も経っていますが・・。

 それは、残された娘のために何かの繋がりとか、心の中を少しでも埋めてくれるものなのか?は、わかりません。まあ、お葬式が好きという人もいないと思いますが、私自身は、お葬式に会社や仕事の義理でやたらと人が集まるお葬式は嫌いです。

 幸か不幸か、今、娘は日本にいるし、日本の私のごくごく親しい友人たちと娘は、娘が小さい頃から日本に行く度に一緒に会っていたので、正直、親戚のおばちゃんに近い存在で、今でも私がいなくても、個々、一緒に食事をしたりすることもムリなくできる間柄であることは、ありがたいことです。

 しかし、考えてみれば、彼女たちは、ほぼほぼ私と同い年。向こうだって、いつなにがあるかわからないし、もしかしたら、私の方が長生きしてしまうかもしれません。それならそれで、もし、彼女たちに次の世代の子どもがいたら・・娘とも付き合いが続くのに・・と、一人一人、顔を思い浮かべて、あらためて考えてみたら、なんと、私のごくごく親しい友人で子供がいる人は、一人もいませんでした。今さらですが、ちょっと衝撃的でした。

 私が子どもの頃、若い頃は、なんとなく、女の人は、ある程度の年齢になれば、自然に結婚して、結婚したら会社を辞めて、子育てして・・とそれがあたりまえのようなことだと思っていて、いつまでも結婚せずに会社にいるオールドミス(今はもちろん死語だと思いますが・・)になんて自分は絶対になるわけない!などと思っていました。

 今から思うと、今とはずいぶん価値観が違いますが、私が子どもの頃はそんな感覚だったのです・・。というと、おばあちゃんの昔話みたいですが・・。

 ところが、どういうわけか、仕事のことは別として、私の周囲には、子どもがいる人が全然いなくて、むしろ、私よりも良いママになりそうな子ばっかりなのに、私に子どもがいることの方が奇跡的な気さえしてしまいます。

 彼女たちは、経済的に困窮しているわけでもなく、結婚していたり、していなかったり、立場は様々ですが、あらためて、考えたこともなくて、付き合いはそれぞれ別々なのですが、誰にも子どもがいないのです。しかし、自分の身近でもこんなんだから、やっぱり、日本の少子化って、大変なことなんだなとつくづく思ったのです。

 彼女たちの家などは、全部、空き家になるんだろうか?と思ったら、まったく凄い話です。


遺言


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