2023年12月3日日曜日

終末期のデザイン

  


 昨日まで一緒に旅行していた友人と東京への帰り道、「私は明日からまた旅行だ・・」と話したら、彼女は、「私は明日は、施設にいる母親の面会に行くの・・」と、ちょっと暗い顔をしたので、「お母様と少しでも良い時間が過ごせるといいね・・」と話したら、どうやら、すでに、そんな状況は通り越してしまっているようで、もうすでに、いつなにがあってもおかしくないような状態なのだとか・・。

 もう最近、身近な人や友人などに会っても、たいていは、親のどちらかの介護の話や、少々、記憶が定かではなくなってきているような話や、叔父さんが急に余命宣告を受けたとか、急に亡くなったとか、そんな話ばかりです。

 私の両親は、二人とも、すでに他界してしまっているので、もうそういう状況からは悪く言えば、解放されているのですが、私たちの世代は、こちらも子供が大きくなって子供に手がかからなくなってきたとはいえ、自分自身もそろそろガタがきはじめているところに、子育て終わって、次は介護・・で、介護もまた、別の意味で厳しくなってしまうようで、いつにしても親の介護問題は、大変なことです。

 しかし、彼女の話を聞くと、彼女の両親は、ある程度、心身ともにしっかりしているうちに、自分たち自らで介護施設を探して、子供たちが親を介護施設に入れるということに罪悪感を感じたりすることもあろうと、年金等の計算もしつつ、経済的な算段もつけて、あらかじめ申し込みをしていたということで、その後、施設に入って、先にお父様が亡くなって、現在は、お母様が一人で施設に入っておられると段階、これまで経済的にも子供たちの負担はまったくなかったとのことで、こんなケースもあるのか?と話を聞いて、びっくりしました。

 それでも、すでにお母様はかなり弱っていらっしゃるようで、すでに個室に移られていて、個室に移るということは、やはりかなり重篤な状態を意味することのようで、彼女が今回、面会に行ったのは、この先、どう最期を迎えるかということの相談のようで、彼女たち兄弟が直に介護するというわけではなくとも、精神的にもかなり厳しいことには変わりなく、気の重いことに違いありません。

 しかし、体調的には、年齢相応の衰えがあるものの、それ以外は特にここが問題というところがないままに衰弱していらっしゃるというのも、それはそれで厳しいことで、うまく死ねるということも大変なこと、最近、そんな話ばかりを聞いていると、ちゃんと死ねなかったらどうしよう?などと、考えてしまいます。

 いずれにしても、生まれて来るのも、死にゆくのも自分では選べないものの、少なくとも自分の終末期のある程度のデザインは、事前にできないことでもないかもしれないと、彼女の話を聞いて、考えさせられたのでした。


終末期


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