スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ターミナル」にインスピレーションを与えたイランの政治亡命者、メヘラン・カリミ・ナセリ氏が彼が長年過ごしたホームであるパリ・シャルル・ド・ゴール空港で亡くなりました。
彼は、母親を探してロンドン、ベルリン、アムステルダムと旅をした後、1988年11月にパリ北部のロワシーに居を構えるようになりました。彼は、自分のホームに選んだ空港という場所で、好きな音楽を聴き、新聞や小説を読み、自分の思いを書き綴りながら、空港という公共の施設で静かに暮らし続けていましたが、ついには、1999年、フランスで難民認定を受け、滞在許可証を取得しています。
そんな彼をどうやって発掘したのかは謎ですが、彼の哲学的?な生活からヒントを受けてスティーブン・スピルバーグ監督が制作した映画「ターミナル」が公開された当時、彼は世界中からのジャーナリストの注目を集め、1日に何本ものインタビューを受けるほどの有名人になり、シャルル・ド・ゴール空港では、空港職員の顔として親しまれ、伝説的な存在になっていたのです。
サンドイッチ屋とマクドナルドに挟まれた数平方メートルの三角形が彼の日常生活の中心で、空港のトイレがバスルームになっており、上着やズボンは定期的にクリーニングに出していて、決して問題は起こさず、静かな人で、他のホームレスが助けを求めてきたり、食べ物を求めてきたりしても、彼は何も言わず、何も要求せず、お金も出さず、他とは一線を画す存在で、彼を知る人々は、「素直だけど口下手で正直者だが口数の少ない人」「彼は仙人だ、現代社会の僧侶を思わせる 」とも語っています。
彼は約18年間、シャルル・ド・ゴール空港で暮らしていましたが、映画の公開により、彼にはある程度のまとまったお金が入り、映画公開の2年後には、空港から病院経由でパリ郊外のホステルに滞在していたと言われています。
彼が空港に戻ってきたのは、死亡する数週間前と言われており、映画で得たお金を使い果たして空港に戻ってきたと思われていましたが、彼の遺体からは数千ユーロが発見されたようです。
彼の死は自然死であったと公表されていますが、彼の77歳という年齢からも自然死というのも妙な話で、事故でも事件でもなかったという意味なのだと思いますが、なんらかの病を患っていた彼が死期を察して、彼のホームでもあったシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2Fを最期の場所として選んでいたのかもしれません。
ターミナル2Fにいた空港職員は、数週間前から彼が荷物を持って悲しげな表情をして、いつもと同じ席に動かずに座っており、ここ数週間は、あまり調子が良くないようで、窓の方を向いて、口を開けて、ぼんやりとした目をしていたと証言しています。
彼が亡くなったことは、座席に白いシートがかけられたことで気づいたと語っています。
スピルバーグ監督の映画は彼からのインスピレーションを受けて作られた作品ではあるものの、彼自身の人生そのものとは、異なる物語ですが、この彼の最期の迎え方、また空港職員との独特な関係性や彼の生き様のようなものも、そのまま映画になりそうな感じです。
彼がとても大切にしていた自分の思いを書き綴ること・・彼のノートに書かれていたことも、このまま埋もれてしまうのは、惜しいような気がします。
彼の物語は、フランスのフィリップ・リオレ監督にも影響を与え、「Tombés du ciel」という映画が1994年に公開されています。
今年に入って、空港のホームレスが空港警察官に射殺されたという殺伐とした事件もありましたが、それと同じ空港で、このように生活していた人もいた時代が悪くはなかったような、なんだか不思議な感じもします。
ましてや、彼のホームであったシャルル・ド・ゴール空港のターミナル2Fは、私も一番利用する機会の多いターミナルで、そんなドラマがあったとは・・今度、空港に行ったら、彼のホームであったベンチを探してみたくなりました。
スティーブン・スピルバーグ 伝説の空港ホームレス
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