2020年2月8日土曜日

宗教の教育




 私が未だに、考えさせられ続けている日本の事件のひとつに、オウム真理教の事件があります。私は、当時、日本の通信社におり、ニュースの一部始終を毎日毎日、どんなに小さなニュースも漏らさずに、全部を毎日毎日、見ていたこともあるかもしれません。

 教祖をはじめとした事件の死刑囚の刑が執行され、平成という時代が終わり、事件は終わったような片付けられ方をしていますが、実際のところ、肝心なところは、解明されていないように思います。
 首謀者である教祖や側近の幹部たちが、多くを語らないまま刑が執行されてしまったからです。

 なぜ、どのように、オウム真理教は、作られていったのか?、なぜ、あんなにも信者が増えたのか? そんなに多くの若者を惹きつけたものは、何だったのか? 私には、どこか、他人事では、済まされないような要素を感じているのです。

 日本は、神道、仏教が多くを締める国だと言われていますが、実際のところ、本当に信仰のある人は、どの程度なのか、甚だ疑問です。結婚式やお葬式などのセレモニーの際のみの、実質、無宗教の人が多いのではないかと思います。

 日本の教育の中で、圧倒的に足りないのは、宗教の教育だと思います。

 娘が通っていたフランスの学校は、カトリック系のキリスト教の学校でしたが、信仰を強制するものではなく、礼拝なども参加は、自由でした。

 しかし、学校では、宗教全般に関する「宗教」の授業がありました。「宗教」の授業では、キリスト教の他、いくつかの宗教について、また、宗教を信仰するということについての授業が行われており、宗教への向き合い方、宗教とはどういうものか?を学びます。

 その先の選択は、自由ですが、ある程度、宗教に対する知識や心構えを学ぶことができます。これは、私は、とても大切な教育であると思っています。

 日本人は、宗教に関して、免疫がなさすぎるのです。オウム真理教のような、新興宗教が爆発的に拡大したのも、そんなところにも理由があると思います。時代は変わっても、現代の若者が、オウム真理教のような危険な新興宗教に入ってしまうような不確かな、危険な側面は、現代の社会にも潜んでいます。

 私自身は、無宗教ですが、信仰があったら、どんなに楽だろうかと思うことはあります。大学で、お世話になっていた教授がキリスト教の神父さまでもあったので、キリスト教の講義も受けましたし、個人的に教授に相談に行ったこともありました。

 「キリスト教理論などは、理解はできるけれど、どうしても信じることができません。」と言う私に、教授は、静かにおっしゃいました。「必要ならば、その時が来ます。焦る必要はありません」と。

 日本では、宗教の話は、どちらかと言うとタブー視されているので、宗教について、語る機会があまりありません。フランスでは、キリスト教をはじめ、イスラム教やユダヤ教など、実際に礼拝や行事に参加している人は多いですから、宗教に触れる機会は日本よりも多いと思います。

 「宗教」を信仰したことがない私ですが、宗教とは、心の拠り所だと思っています。それがあるかないかは、その人の人生にとって、大きいことです。今のところ、私は、神様を信じることはできないのですが、人間ではない、大自然の力とか、何か、大きなものの力に委ねられていると感じることはあります。


 子供の成長過程で、宗教に関する教育を受けることは、生きていく上での、とても大切なことだと思うのです。












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