2020年2月7日金曜日

海外の日本人社会は、日本社会の縮図



海外で生活していれば、同じ国の人間として、その文化や習慣が理解しやすい日本人同士で助け合ったりして生きていこうとするのは、至極、当然のことだと思います。

 私は、日本人会に入ったことは、ありませんが、それでも、パリで出会った日本人から、「フランスって、〜〜なんだよ〜!」とか、「こちらの子供の学校は、〜〜なんだよ〜!」とか、日本とは、違うこちらの事情や、それには、どうしたらいいかなど、ずいぶんと教わり、とても、助けられてきました。

 何よりも、とりあえず、自分が生まれ育った環境とは違うことで、戸惑うので、たとえ、フランス人との関わりがあっても、フランス人にとっては、当たり前のことでも、私たちにとっては、びっくりするようなことだったりするのです。

 パリのような一応、都会で、日本人も多く、比較的、出歩くことも自由にできる街で、それぞれの生活から、自分自身の行動範囲を広げていくことも可能な都市ならば、あまり、必要はないかもしれませんが、それでも、日本人会や駐在員の社会などは、それぞれ存在しています。

 よほどの辺境の地でない限り、どこかしらに日本人はいるもので、私が以前いたアフリカのコートジボアールでさえ、日本人がおり、日本人会というものがありました。

 アフリカのような、日本人が一人で行動するのが、比較的、簡単ではない地域になればなるほど、日本人会なるものの繋がりは、濃くなります。

 アフリカでは、駐在員の奥様方が現地で仕事をしているというケースは、ほぼなかったので、夫の職種や地位がそのまま、奥様方の地位の優劣に直結している感があり、今から思うと、ホント、勘弁してもらいたい感じでした。(とはいえ、私は、一度、お茶会に参加させて頂いただけでしたが・・)

 先日、日本人は、外国人から、黙ってガマンすると思われているが、そのことを一番、利用しているのは、結局、日本人経営者が日本人を使う時だという記事を書きましたが、それは、実は、日本国内でも行われていることで、考えてみれば、海外で日本人同士の社会で起こることは、実際の日本の社会の縮図のようなものになっていることに気付かされます。

 海外というある意味、逃げ場の少ない不自由な環境が、それをさらに、凝縮したものにするのですが、それが、お互いに、純粋に助け合うだけの状態の場合は、良いのですが、ついつい、マウンティングになっていったり、見栄の張り合いになったり、いじめになったりもするのです。

 また、自分と違うものに対して不寛容になりやすく、攻撃的になりがちという側面も、海外での広そうで、実は、狭い日本人社会においては、時に悲惨な状況を生みます。

 私は、逆に日本でのママ友事情や、周囲の人とのお付き合いの事情は、具体的には、わかりませんが、きっと、同じようなことが起こっているのではないかと想像がつきます。

 ところ変われど、日本人が、寄り集まれば、同じような反応を起こすことに、国民性、気質などの根強さを思い知らされるのです。














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