2020年2月15日土曜日

涙・涙の空き家の片付け




 父が亡くなって、実家が空き家になって、はや3年が経とうとしています。

 母が亡くなって、約10年間、父は、この家で、一人で生活していました。

 なので、母が亡くなったあとは、父は、一人で少しずつ、ある程度、母のものを整理していたようです。

 父が生きている間は、夏休みの間など、日本へ帰国することはあっても、銀行などの用事、日本の運転免許の書き換え、日頃、会えない日本の友人や親戚に会ったり、食べたいものを食べまくったり、持って帰る食料の買い出しをしたりと、娘と二人、バタバタと嵐のようにやってきて、嵐のように帰って行く・・そんな感じの日本滞在でした。

 父と食事に行ったり、私が家で料理して食卓を囲むことはあっても、母の遺品を整理するということはなく、むしろ、父は、何も触らないで欲しいと言っていたので、父の生活する家、父の思いどおりにしたらいいと思っていましたので、私も母のものは、あまり触れないままでいました。

 もともと、母は、心臓の病気でしたので、自分である程度、覚悟していたと思われるくらい、かなり、自分のものは、自分で減らしていたようです。

 それが、父が亡くなって、まるまる家一軒分の荷物が残り、以来、帰国する度に、片付けているのです。それは、それは、大変ではありますが、もういなくなってしまった父や母に触れる最後の機会でもあるのです。

 今になってみると、父が母のものには、触れないで欲しい、自分の手で、一つ一つ片付けたいと言っていた気持ちがとてもよく分かります。

 遺品整理というのは、辛い喪の作業ではありますが、同時に亡くなった人に丁寧に向き合うことのできる優しい時間でもあるからです。父は、父なりのやり方で、先立ってしまった母と向き合いたかったのかもしれません。

 とはいえ、小さな家ではありますが、長い間、家族4人が暮らした一軒家に残されたものの量と言ったら、半端な量ではありません。

 山ほどのゴミと、その中に隠れている父や母の思いに触れる品物に、心を激しく揺さぶられます。私たちが子供の頃の家族の写真や子供の頃に書いた絵などは、もちろん、母が亡くなった際に、母の友人が父宛に送った手紙などが、大切そうに綺麗な箱に入れて保管されていたり、今日は、弟が生まれた日の新聞と弟のへその緒や学生証、中学、高校時代の弟の写真が入った古びた茶封筒を見つけました。

 それらを保管していた父や母のそれぞれの気持ちに触れ、改めて、母が亡くなった後の父の気持ちや、子供を愛おしく育ててくれた母の気持ちに心が震えます。

 また、私にとっては、祖父にあたる母の父親の対談の記事が載った新聞の切り抜きや、生い立ちの記されたファイルも見つかり、私が見てきた祖父と母の関係とは、また違った、母の自分の父親に対する思いなども目の当たりにしました。

 一つの家族であったそれぞれが、それぞれの思いと歴史を刻んできたことを空き家になった家から発見しています。

 今はもう、いなくなってしまった両親の心に触れられる、このような時間を私は、心底、大切に思っています。

 時には、ぶつかることもありましたが、過ぎてしまうと、嫌なことは、どんどん忘れて良いことばかり思い出します。

 私にとって、思い出は、美化される傾向にあります。
























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