人を見かけで判断するのは、悪いとは思うのだけれど、いわゆる、パリやパリ近郊で見かけるちょっとヤバい感じの少年たち(いわゆる不良っぽい感じ)のファッション?はだいたい決まっている気がします。
Nike(ナイキ)などのいわゆる、ちょっといい感じのスポーツメーカーのブランドのスニーカー?、靴を履いて、フード付きのパーカーかトレーナーに、携帯片手に、ホンモノか偽物か怪しいようなハイブランドものの小さなポーチというか、ポシェットのようなものを持っていたりしている子が多く、ちょっと、どこか不安を抱えている落ち着かない目というか、不安定なものが潜んでいる感じの顔つきで、この子たち、ヤバい感じかな?という少年たちには、どこか共通するところがある気がします。
このところ、世間を賑わせていた暴動は比較的低年齢層が多く、暴動が終わってからも、なんとなく、この子たちも、あの中に混ざっていたのだろうか?と思ってしまうことがあります。
しかし、最近、すごく暑くて参って、ヘロヘロしている時や、買い物の帰りに荷物が重くて、ちょっとへばりかけていたりする時に、彼らは、優しく、全然、知らない私に「Ça va ?(サ・ヴァ?)」(大丈夫?)と、声をかけてくれたり、席を譲ってくれたりすることが、ここのところ、何回か続けてあって、(それだけ、私も簡単にへばる老化というか体力の衰えを感じる今日この頃・・)、それがちょっと意外というか、「この子たち、心底腐っているわけではなくて、本当は優しい子たちなんだな・・」などと感じる機会に恵まれて?います。
こう言っては失礼だし、偏見だと思うのですが、そういう感じの子が心配そうに声をかけてくれることが意外で、一瞬、「えっ?」とびっくりしつつ、「Ça va・・merci・・」(大丈夫です。ありがとう」と答えると、それでも、「ほんとに?大丈夫?」と心配そうにしてくれる様子がすごく印象に残るのです。
こうして、心配されたりすると、少々、恥ずかしかったりもするし、また、こう言っては何なんですが、ちょっと見の印象と、子の優しさのギャップというかが余計、印象に残るのかもしれません。
おそらく、多くのフランス人と一緒で、弱っている人や、弱い立場の人には、優しいのだと思いますが、それが、どうして、あんな騒ぎを起こしちゃったりするようになっちゃうんだろうか?と、なんか残念な気がします。本当は一人一人はきっと優しい子たちなのに・・。
まあ、一人一人になると、ある程度はまともで、優しくても、そんな子たちがつるんだり、集団になると、また変わってしまうのかもしれませんが、なんだか、こういう子供たちもまるっきりどうにもならないわけではないんじゃないか?とそんな甘いことを感じたりもします。
この少年たちの多くは、若気のいたりのようなところもあって、歳をとって、いいおじさんになっていけば、それなりに落ち着いていく人が大部分ではあると思うものの、心底、腐りきっていない部分が見えたりすると、それでも、どこかに救いがあるんじゃないかとも思います。
そういえば、この間の暴動のきっかけになった警察官に射殺されてしまった男の子も、かなりやんちゃをしていて、警察にマークされたりしていた一方で、その子のおばあさんが、入院している時も「頻繁に連絡をくれたり、病院に来てくれたりしていて、とっても優しい子だった・・」とインタビューに答えていたのを思い出しました。
なんとなく、この子ヤバいんじゃないか・・という偏見が私にもたしかにあるのですが、それを向こう側から、飛び越えて優しくしてくれたりすると、こちらの目が、心が曇っているのだろうか?などと、ちょっと思ってしまうこともあるのです。
パリの不良少年
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