2020年3月2日月曜日

叔母の美徳




 私の両親は、すでに他界してしまいましたが、日本には、叔父、叔母や従姉妹たちがたくさんいます。日本に行けば、ありがたいことに、この日本にいる親戚の面々が本当に暖かく迎えて、支えてくれています。

 特に、私にとっての叔母たちは、母のいなくなってしまった今、私がこれから、年齢を重ねていく上での、ある意味での指標となってくれます。

 もしかしたら、母という近すぎる存在よりは、もう少し、客観的に眺めることができるかもしれません。

 親に育ててもらい、教育を受けさせてもらい、就職して、結婚して、子供を持ち、子供も成人し、まだ学生ではありますが、一応、独立する目処がたった今、これからどのように、自分の時間を過ごし、人生の終盤に向けて生きていくのかを考えます。

 残念ながら、体力的にも衰えを感じ始めながら、これまで当たり前のようにできていたことが、少しずつではありますが、できなくなり、努力なしには、なんとか、体力的な衰えの進行を遅らせることすらもできません。

 そんな意味では、私の10年先、20年先を生きている叔母たちの生活ぶりを垣間見ることは、私に色々なことを示唆してくれます。

 何人かいる叔母の中で、とても、明るく、朗らかな叔母がいます。
 彼女は、高齢にも関わらず、今も友人がたくさんいて、誰に対しても、物怖じすることなく話しかけ、何かしてくれた人には、必ずその人の名前を聞いて、丁寧に改めてお礼を言うのです。

 彼女は、どこでも朗らかに、その人の地位や立場は、関係なしに、明るく、分け隔てなく、時には、無邪気とも思えるような態度で接するので、どこでも、みんなに好かれて、人気者なのです。

 レストランで食事をしても、彼女は、必ず給餌の人にでも、「とても、美味しかったわ。ごちそうさま。」と言い、ほんの些細なことをしてくれた見ず知らずの人にも、彼女は、必ずその人の名前を聞いて、「〇〇さん、ありがとう。」と言うのです。

 若い頃は、いちいち、仰々しくお礼を言ったりすることは、なんだか、大仰で、いかにもおばさんのすることみたいで、照れくさくもあり、なんだかなぁ〜??と思っていた私ですが、最近になって、これは、とても大事なことだなと思うようになったのです。

 人に感謝して、その気持ちをその度に、言葉に出して伝えることは、ごくごく当たり前のことのようで、意外にも、それを当たり前にやってのける人は、少ないのです。

 感謝されて、嫌な気持ちになる人は、いません。

 考えてみれば、そういう面では、フランスの方が、見ず知らずの人に気さくに話しかけたり、挨拶したりということが多いかもしれません。

 今、この歳になって、あらためて、生きていく上では、意外にも、「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とか、ごくごく当たり前の幼稚園の子供に教えるようなことが、自然とできることが、なかなか、大切だったりするのかもしれないと、彼女を見ていると、思うのです。

 フランス人は、この「ごめんなさい」の方は、あまり言えてませんが・・。

















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