娘が小学生の頃、夫はやたらと娘を飛び級させたがっていたのを私は、反対していました。子供の能力に応じての飛び級や留年というものが、小学校という低年齢層でも、わりと珍しくなく行われていることに日本育ちの私は、今一つ理解できませんでした。
実際に、娘の同じクラスにも下から飛び級して上がってきていた子がいたし(その子は娘と結構、仲良しで、小学校から高校まで同じクラスだったうえ、高校を卒業してその後の進路がバラバラになっていくタイミングでも、示し合わせたわけでもないのに、なぜかプレパー(グランゼコールの準備学校)まで同じ学校でした。
彼女は小さい頃からとても小柄で、一つ年下だから、小さいのかな?などと思っていましたが、大人になっても小柄なままなので、年齢は関係なかったようです。
彼女の親がなぜ?彼女を飛び級させたのかはわかりませんが、飛び級しても、何の支障もなく、その後の学校生活を優秀な成績で過ごしていたようなので、彼女の飛び級は成功だったのかな?とも思います。
たしかに、あまりに優秀な生徒の場合、子どもの年齢に一般的に定められている学年のままだと、物足りなくて、つまらない・・その子の学力を充分にのばせないということもあるのかもしれませんが、私としては、学校で学ぶということは、学業だけではなく、様々なことを体験していく時間ということでもあると思っているので、その1年間をスキップしてしまうことが必ずしも、よいことばかりではないだろうし、そんなに急ぐことないじゃない!、その年齢に体験できる事柄を奪う必要はないだろうに・・という気持ちでもありました。
しかも、夫に娘を飛び級させたい理由を聞くと、「あとで、留年してしまったときのために・・」というよくわからないことを言っていたので、「そもそも、留年した時のために・・とか、留年するかもしれないと思うような人が飛び級にふさわしいのか?」という話で、結局、夫は、娘の飛び級は断念してくれました。
実際に、実年齢どおりの学年での教育を物足りないと感じる子供は、かなり珍しい存在ではあるとはいえ、そういう場合に、飛び級ができるのは、たしかに良いシステムなのかな?とも思います。
娘が通っていたのは、小学校から高校まである私立のカトリック系の学校で、あまり一般的な公立の学校とは異なることも多かったと思いますが、多くの子どもがそのまま同じ学校にいるので、小さい頃は、学校の行事で親が学校に行く機会もあったり、お誕生日会やお稽古事などで、娘の友人の親子と顔を合わすことも多かったので、小さい頃からの知り合いが多く、中学、高校と進むうちは、子供の方はもう外で会ってもすぐには、誰だかわからなくても、親の方はたいして変わらないので、「ああ~あの人○○ちゃんのママだ・・」と思うくらいで、あとは、娘からの話をたまに聞くくらいでした。
そんな、娘から漏れ伝わってくる話の中には、「○○ちゃん、留年したらしい・・」とかいう話も混ざっていて、「え~~?あんなに明朗快活な感じだったのに!」と驚いたりすることもありました。
留年については、そんな話がポツポツとあり、内心、本人は心穏やかではないところもあるのでしょうが、けっこう朗らかに学校に来ているとのことだったので、飛び級とは逆に、必要ならば、2年かけて追いつくことがあってもいいような気がします。
ただし、娘の学校はかなり厳しい学校でもあったので、留年は1年だけで、その後の結果が思わしくないと、やんわりと転校を促されるらしいということで、そういえば、いつのまにかいなくなっていた子もいました。
ただし、いなくなっていた子どもの中には、「さらに良い学校に転校した・・」というのもあって(こちらの方はかなり珍しいケースでしたが・・)、飛び級ではなく、学校を変えるという方法をとる人もいました。
いずれにせよ、子供の教育環境を子供に適したものにするということは、とても大切なことでもあり、とりあえず、私が娘のためにしたことは、私立の学校に入れ、あとは、日本語の学習を続け、できるだけ色々な体験をさせてあげることを心がけたくらいで、我が家には飛び級も留年もありませんでした。
私の数少ない日本人の友人には、子供の学校のために引っ越しまでして頑張っている人がいましたが、我が家には、そんな経済的な余裕はなく、そこまではできませんでした。
とりあえずは、健康で横道に逸れることもなく育ってくれただけで、私は充分に満足しています。
飛び級と留年
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