2022年4月3日日曜日

同い年の隣の従姉妹 海外在住者の日本での家族・親戚関係

  


 

 私には、従姉妹、従兄弟がたくさんいて、長く海外で生活していても、付き合いはそれぞれに続いています。我が家は、父方も母方も兄弟姉妹が多くて、また、親戚同士の集まりも多く、引っ込み思案だった私は、あまり、そのつきあいが好きではありませんでしたが、そんな長年の付き合いが、のちのち、大切なものになっていっていたのだということを年々、歳を重ねるごとに感じています。

 特に隣の従姉妹は、私と同い年、彼女が小学校の頃に引っ越してきて以来、いつもお隣同士、小学校には、毎日、一緒に通っていましたし、学校から帰って来てからもずっと一緒に遊んでいた、謂わば幼なじみのようでもあります。中学校は、私が私立の学校へ進学したために別々の学校に通っていましたが、誘い合わせたわけでもないのに、どういうわけか高校はまた同じ学校に行くことに・・。

 毎日、バスで渋谷まで、そして渋谷から歩いて一緒に学校に通っていました。今では、その頃、話していたことは、なに一つ思い出せませんが、一体、何があんなにおかしかったのかと思うほど、ゲラゲラ笑いながらの通学でした。俗にいう、箸が転がってもおかしい年頃だったかもしれません。

 それから、大学、就職と私たちは、私たちは、全く違う道を進み、お互いの交友関係も全く異なり、まるっきり接点はなさそうでもあるのですが、それはそれで、長い時を経ても、彼女はいつも、お隣に住む同い年の従姉妹として、特別な存在で、こうして私が海外生活を始めても、決してつながりが絶たれることはなく、関係が続いてきたのです。

 特にここ10年ほどは、父の容態が悪くなっても、彼女がいてくれたからこそ、父もギリギリまで家で頑張り続けてこれたし、父の没後も私たちが一時帰国する時は、本当に頻繁に食事を差し入れてくれたり、時間の空いている時には、買い物につきあってくれたり、なにせ、隣なので、どこかで待ち合わせをして・・などということもなく、ラインなどで、じゃあ30分後に出かけよう・・ということになるので、時間を無駄にすることなく、彼女のおかげで、なんとか、今は空き家となっている実家にしばらく滞在することができているのです。

 明日は、燃えないゴミの日だから、ゴミ出すのを忘れないで・・このゴミは○○時ごろまでに出しておけば大丈夫・・などと、細やかに連絡してくれるのです。

 彼女の運転で出かけて、車で近辺を通りかかっても、「あぁ〜このあたりもこんなに変わったんだね・・」とか、逆に「ここは全然、変わらないんだね・・」その場所にまつわる思い出も何かと共有できて、ホッとできる時間でもあり、彼女との年月をしみじみと有り難く思うのです。

 「今日は、どうするの?そこに行くんだったら、こんなお店ができてるから、行った方がいいよ・・(大抵、食料品の話ですが・・)」とか、オンタイムの情報も教えてくれて、住み慣れたはずの東京で、今ではすっかり浦島太郎状態になっている私を助けてくれるのです。

 同い年で、しかも隣に住んでいて、もちろん、親戚のことや、私たちの紆余曲折あった人生もほぼ全て知っていてくれ、おまけに自分自身の子供の頃の思い出を共有できる彼女の存在は、一緒にランドセルを背負って通学した頃以上に貴重なものになっているのです。

 幸いにも? この家、この場所に住み続けてくれているからこその関係なのかもしれませんが、兄弟そろって海外生活を送っている私にとっては、彼女は弟以上に深いつながりがあるかもしれません。

 現在では、全く違う人生を送っていますが、生い立ちや、育った環境は似ていて、価値観も似通っている・・私には、こんな最高な従姉妹がいて、本当に幸せだなと日本に一時帰国するたびに思わせられるのです。

 親戚付き合いはあまりしないとか、従兄弟、従姉妹なんてあんまり付き合いがないという話も聞いたりもしますが、この家族が築いて、受け継いでくれた貴重な関係に、歳を重ねるごとに深く感謝を感じるようになってきています。

 両親が他界してしまった今、海外にいれば、下手をすると根無し草のようになりかねないと思いますが(パリの日本人の知人には、そういう人も結構います)、私は、彼女たち、また、まだなんとか元気でいてくれる母の兄弟姉妹たちに支えられて、日本に帰ってくることができているのです。

 ほんとうにありがたいことです。


海外生活 一時帰国 根無し草



<関連記事>

「海外に出ることで離れてしまった家族と友人」

「日本にいる親の介護問題」

「死ぬ覚悟と死なせる覚悟」

「母の命日を忘れている非情な娘 海外生活での親との別れ」

「海外在住者が母を看取る時」


0 コメント: