2019年11月4日月曜日

海外に出ることで離れてしまった家族と友人





 海外で生活を始めた時には、残してきた日本の両親の将来とか、その後に起こってくる介護の問題、そして、仲の良い友人とも滅多に会えなくなることなどを、正直、私は、ほとんど考えていませんでした。

 その頃の自分のやりたかったことで、私の頭の中はいっぱいで、振り返れば、自分のことしか考えていなかったと思います。海外へと旅立っていく、そんな私を両親や友人たちは、どう思っていたのだろうか?と、 今になって、少し考えます。

 いずれは、両親も私自身も、歳をとっていくということを知ってはいましたが、何一つ具体的なことは、考えていませんでした。

 しかし、自分のしてきたことを無理矢理に肯定するわけではありませんが、あの頃には、いくら考えても、きっと答えは、得られなかったと思います。

 両親にしても、私自身にしても、人生には、思いもよらないことが起こり、病気になったり、誰かが亡くなったりすることは、思いどおりに予め予定できることではないからです。

 結局は、その時々で、できることをするしかないのです。

 私が海外で生活を始めて、約2年後に子供ができて、それから、さらに一年後に仕事を始めて、それからは、もう子育てと仕事であっという間に時は過ぎて行きました。

 その間に、子供を連れて、毎年のように帰国してはいましたが、そのうち、母が病気になったり、亡くなったり、父が弱っていって、介護の問題が勃発したり、その間、こちらでも、色々なことがあり、結局、今では、父も母も亡くなり、あっという間に20年以上経ってしまいました。

 遠くなってしまったのは、日本の家族だけでなく、日本にいる友人も同じです。

 もともと、そんなに友達の多いタイプではありませんでしたが、帰国時にも全ての友人に会えるわけでもなく、同窓会のようなものにも出席したことがありません。

 いつの間にか、疎遠になってしまった友人も少なくありません。そう考えると少し、残念な気もしますが、たとえ、日本にいても、時の流れとともにいつの間にか疎遠になってしまう友人というのも私の場合、ありそうです。

 その代わりと言っては何ですが、海外に出てからの友人というのも少しずつですが、できました。ロンドンにいた頃の友人、アフリカでできた友人、フランスでできた友人、職場、または、仕事関係で知り合いになった方々。

 こうなってくると、もはや、日本に残してきた友人というよりも、友人は、世界に散らばっているのが普通な感じになりました。

 結局、その時々の生活によって、付き合う人は変わっていきますが、国が変わってもなお、付き合いが続いている友人は、結局は、かれこれ、もう長くなるので、この長く続いているご縁にとても感謝しています。

 人生の中で、色々なことが起きるたびに、私の歴史を知ってくれている友人は、離れていても、私にとって、とても貴重な存在です。

 子供が生まれる前から知っている友人たちは、娘よりも付き合いが長く、私の人生のそれぞれのタイミングのなかで、同じ、確かな時間を共有し、私の人生のページに追随してくれている生き証人のようなもので、どこか安心感があります。

 今は、ラインやメールなどで、どこの国にいても繋がれますから、時々、思い出したようにお互いに連絡を取り合ったり、近況を報告しあったりできます。

 人生の中で、多くの人と知り合う中、付き合いが自然と継続している友人は、あまり多くは、ありませんが、私は、そんな友人関係にとても満足しています。

 




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