2022年4月7日木曜日

京都 山城産の朝掘りたけのこと叔母の突然の訪問

 


 

 私の両親はすでに他界していますが、彼らの生前から、彼らの兄弟姉妹とのつながりは強く、父方、母方の両方の親戚(叔父叔母や従姉妹たち)と我が家はとても親しい関係を保ち続けてきました。

 私の実家は、父の兄弟一家と同じ敷地内にあり、母の兄弟は、家から車で10分ほどのところに2家族がやはり、同じ敷地内にそれぞれの家を建てて暮らしています。

 父方の兄弟姉妹、母方の兄弟姉妹は、他にもいて、彼らは都内から少しだけ外れた場所に住んでいます。

 当然、家が近い叔父・叔母とは、行き来も頻繁で、隣の叔母・従姉妹は、本当に庭先から出入りが見えるような場所のため、「今、帰ってきた・・今、電気がついている・・じゃぁ、ちょっと、これ、渡してこよう・・」など、わたしたちが帰国している間は、顔を合わさない日はないくらいなのですが、それほどではないにせよ、車で10分圏内の叔父・叔母たちも、なかなかの頻度で連絡したり、一緒に出かけたりするので、帰国すれば、わりと頻繁に連絡をとっているのです。

 母の妹にあたる叔母は、母方の親戚の窓口のようになってくれていて、彼女に話しておけば、だいたいのことは、親戚中に伝えてくれるという、私には、とても近く、とても大切な存在の叔母でもあります。

 今回の帰国に関しては、数度にわたり、フライトがキャンセルになったり、羽田に到着しても、コロナウィルス検査で陽性になれば、しばらく隔離しなければならないので、それまで、一喜一憂させて、心配をかけたくないという思いから、隣に住む従姉妹にだけは、ヒースロー空港から、「予定どおりならば、明日、日本に到着します」と知らせ、母の妹である叔母には、家に着いてから、電話して、「実は、今、日本に帰ってきている」と驚かせてしまいました。

 彼女には、今回の帰国の事情や滞在日程、また、どうしてもやっていかなければならないことなどを説明して、「ちょっと、やるべきことを滞在中に済ませなければならず、それがどの程度の時間がかかり、日程を組んでいけるのかわからないので、だいたい目処がついたところで、また連絡するね・・」と伝えました。

 この叔父と叔母には、私が子供の頃から大変、お世話になり続けてきて、いつもは帰国のフライトを予約すれば、誰よりも一番に知らせる二人、たいてい叔父は羽田まで迎えにきてくれていました。

 それが今回は、何も知らせずに来てしまい、コロナ禍ということで日本国内での親戚の集まりなどもしていなかったようで、私たちが帰国したからといって、いつものようにみんなで集まって・・などということも無理で、今回は、ごくごく近い親戚に運がよければ会えるか、そうでなければ、電話では話せるかな?くらいに思っていました。

 一番近しい叔母に連絡した時点で、皆が知っていることはわかっていましたが、その叔母を通じて、別の叔母が、「忙しそうだから、電話も時間をとらせてしまうので、遠慮しておくね・・」と話していたということを聞きました。

 そこまで言われて、電話の一本もしないのも失礼だと思い、こちらから電話をすると、その少し遠いところに住んでいるその叔母はとても喜んでくれて、電話でお互いの近況などを話し、「今回は、コロナということもあるし、忙しそうだから会うのは諦めることにして、次回、帰国の際には、会えるようにしましょうね・・」ということで、電話を切ったのです。

 それから数日して、ある程度の優先的な用事は済み、どうにも今回は終わりそうにないことには、見切りをつけて、帰仏の日も迫ってきて、比較的、近くに住んでいる叔父・叔母と都内にあるお墓参りをして、一緒に食事し、しばしのおしゃべりの時間を過ごしていました。

 そこに、食事だけ一緒にして、仕事のために家に戻っていた娘から「今どこ? 叔母さんが急に家に来たから、もし、すぐに帰って来れるようなら、待っていてもらうし、無理なら帰ると言っているけど・・」と電話があり、仰天。

 「えっ?遠いのに、在宅を確認もしないで、突然?二人とも留守だったらどうするつもりだったのだろうか?」とびっくりして、また、叔父に頼んで急に家に送ってもらい、叔母と数分、対面したのでした。

 以前から猪突猛進型の叔母ではありましたが、すでに80歳という高齢で、足も悪く、杖をつきながらの突然の訪問に、私も少々動揺し、家から、電車とバスを乗り継いで、悠に2時間はかかると思われる道のりを連絡もせずにやってきてくれた叔母に不安を覚えて、少し話をした後に、送ってきてくれた叔父に、このまま叔母を乗り継ぎのよい駅まででも、送ってあげて・・」と頼んだのです。

 叔母は、私と電話で「今回は諦めよう」と話していたにもかかわらず、「今朝、京都から山城産の朝掘りたけのこが届いて、どうしても、これをあなたたちに食べさせてあげたいと思ったら、居ても立っても居られなくなって・・」とそのたけのこを茹でて、他の食糧とともに届けに来てくれたのです。

 結局、叔父は2時間近くかけて、彼女の自宅まで送って行ってくれたようで、なんだか、私たちの帰国がみんなを巻き込んで、振り回しているようで、申し訳ない気持ちになりました。

 コロナ禍でずっと会っていなかった叔父と叔母は、久しぶりに道中、車の中でゆっくり話したようで、怪我の功名でもあったかな?とちょっとだけ、良い機会であったかもしれない・・と思うことにしたのですが、夜になって、娘と共に、叔母の持ってきてくれたたけのこを食べて、ちょっとびっくり!こんな美味しいたけのこを食べたのは、初めてで、ちょっとありえないくらい感動しました。

 茹でただけで、柔らかくて、ちょっとトウモロコシにも似た香りのこんなにほっくりした味のたけのこを食べて、この京都の朝掘りたけのこが叔母を突き動かしたことにちょっと合点がいくような気もしたのでした。

 最初は、電話することさえも「邪魔しちゃいけないから・・」控えておくと言っていたはずの叔母を、この「京都山城産の朝掘りたけのこ」が突撃訪問モードにスイッチを入れたのです。

 しかし、80歳という高齢にもかかわらず、2時間以上もかかる道のりを杖をつきながら、たけのこを届けてくれた叔母。嬉しいやら、申し訳ないやら、心配やら・・。

 少なからず、私たちの一時帰国はいつでも、お騒がせでもあるのですが、結果的に今回は、さらにお騒がせになってしまったことや、叔父や叔母たちも、ずいぶん、おじいさん、おばあさんになってしまったんだな・・と、このパンデミックの間の失われた時間を実感するのでした。

 それにしても、父方、母方の親戚ともに、食べ物に並々ならぬ情熱を持った家系であることも、あらためて実感させられたのでした。私たちが一時帰国の際には、食べたいものと食事の回数が足りなくなって焦るのも、そういう家系・一族なのだ・・と思うのです。


京都山城産朝掘りたけのこ 一時帰国


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