今朝、起きたら、日本の友人の夫からメールが入っていて、「○○についてお知らせ」というタイトルがついていたので、少々、嫌な予感がしつつも、「えっ?なんだろう?」と思ってメールを開けました。
彼女は奇特?な人で、彼女を古くから知っている人にとったら、「まあ、彼女なら、そうかもね・・」とも思えるのですが、今どき、メールアドレスも作らず、携帯も持たない人なので、彼女に何か急いで連絡をしたいとき、あるいは、手紙を書くのが億劫な場合は、彼女の夫のメールアドレスにメールを送って、「これ、○○ちゃんに渡しておいて!」と頼んでいたので、彼女の夫からメールが来ること自体は、そんなに不思議なことではありませんでした。
彼女には、私が日本に行った際に電話をして、近況を話したり、一緒に食事にでかけたりしていました。
そもそも、彼女は私が大学を卒業して、日本で最初に就職した会社で同じ部署にいた先輩で、私の入社した当時は、彼女は結構、特異な存在で、しっかり仕事はこなすものの、同僚の女の子や周囲の人々とワイワイしたりするところが全くなく、いつも一人で本を読んでいて、どちらかというと孤立した存在で、ちょっと変わった人として存在していました。
今から思うと、あの頃は私もずいぶん無邪気で、みんなが少々、距離を置いていた彼女にもふつうに接していて、話してみると、全然、ふつうで、彼女も私にだけは、わりと心を開いてくれたので、彼女が上司から食事に誘われて困っているのを「一緒に来て~」などと言われて、ある土曜日の午後に一緒に食事に行ったりしたこともありました。
彼女は、しばらくして、お見合い結婚して、出産を機に会社を辞めてしまいましたが、そんなに頻繁ではないにせよ、その後もどういうわけか、付き合いが続いていました。
少々、個性的ではあったものの、実は彼女は育ちのよいお嬢さんで、ネットを一切使わないとか、世の中の動きに迎合しないところはありましたが、おっとりしつつも、無理せず、自分の生き方を貫いているようなところは、私が彼女に対して心地よいと思っていたところでもありました。
前回、私が日本に行った時は、娘が日本で生活を始めるタイミングで忙しくて時間が取れず、多分、電話で話したくらいで会わなかったと思いますが、まあ、今度、来たときには、また、食事でもしようね・・と話した記憶があります。
そんな具合ですから、他の友人とは違ってメールもLINEもしないので、私がフランスにいる日常では、あまり頻繁に彼女と連絡を取ることもなく、しかし、しばらく連絡をとらなくても、また話したときには、その間の溝を感じることもない不思議で、しかし、私にとっては貴重な存在でもあったのです。
それが、彼女の夫からのお知らせは、まさかの彼女の訃報で、ちょっと信じられない気持ちでした。いくら元先輩、私より年上とはいえ、まだまだ、とてもとても、そんな年齢ではありません。
しかし、彼女の夫からのお知らせによれば、彼女は乳がんから肺に転移して、それが他にも転移が広がり、入院して1週間で亡くなってしまったというのです。
長く海外生活を送っていると、自然と音信不通になってしまった人も多く、関係が長続きしている人はそんなに多くはありません。
たしか、彼女は、ほんの数年前にお母さまを亡くしたばかり、しかも、喧嘩したまま、亡くなってしまったと話していましたが、彼女らしく淡々と、「相続手続きがけっこう面倒・・」などと話していたばかりでした。
若い頃、彼女は、おばあさまとお母さまとともに、ずっとお茶のお稽古をやっていて、若い時分に奇特なことだと思っていましたが、どこか所作がきれいで、若い頃から、落ち着きのある人でした。
この間は、親友のお母さまの訃報、そして、今回は彼女の訃報・・なんだか、もともと多くない知人・友人が立て続けにいなくなってしまい、お参りにさえいけないことは、悲しいことです。
日本からの訃報
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