私がフランスに来たばかりの頃、あまりのストライキの多さに私はあきれ返って、「気に入らないことがあるたびに、ストライキして、これでは駄々っ子みたいではないか!これがまかりとおるなんて・・」と憤懣としていました。
もちろん、誰もかれもがストライキができるわけではなく、公務員やそれに準ずる仕事に携わる人のストライキが多く、直接、一般市民が被害を被るのは公共交通機関や学校、病院くらいのもので(最近では、ゴミ収集やガソリンスタンドなんていうのもありましたが・・)、ストライキなんて、通用しないところだって、たくさんあるし、それこそ、そういう人こそ、やってられない・・と思っているのでしょうが、もうストライキはすっかり当然の権利として社会に根付いているので、実害を被りながらも、「こういう抗議行為も必要なことだ・・」という認識も同時に存在して、文句を言いつつも容認しているようなところもあります。
私がフランスに来たばかりの頃に、あまりのストライキの多さに驚いたのは、それは、日本では、あまりこのようなストライキに遭遇することがなくなっていたということでもあり、ストライキのない世界が当然のようになっていたからです。
しかし、私がフランスでの生活に慣れてきたこともあるのか?また、あまりにも日本が変わらないどころか停滞している様子を外から眺めているせいか? やっぱり、こうして何らかの手段を用いて、抗議したり、主張することが日本にもあってもいいのではないか?と思うようになりました。
ここへきて、先日、「東京の百貨店が60年ぶりのストライキ!」というニュースをフランスで報道しているのを見てびっくりしましたが、おそらく、フランス人はこのニュースを見て、「ストライキが60年ぶり!」というところに驚いたと思います。
フランスでは、それこそ日常茶飯事のように起こるストライキというものが、「60年ぶりってどういうこと?」、「そんなことってあり得るの?」・・そんな感じだと思います。
「東京のデパートで極めて珍しいストライキ!」とか、「日本のテレビは、60年ぶりのストライキをヘリコプターまで飛ばして、上空からも含めてライブ中継で報道した!」とか、なかには、「日本人もフランスのように抗議せよ!」なんていうタイトルの記事もありました。
フランスでも、「日本人は黙ってガマンする」というイメージはあるようで、実際に、以前、フランス人の同僚から、「日本人は黙ってガマンするからいけないんだ!」とハッキリ言われたこともあり、抗議しない=受け入れることであり、抗議するべきことは、言わない方が悪いということで、その時は、「そうは言っても・・」と、人間関係をギクシャクさせたくないとか、当時の私は、それこそまさに日本人そのもののような感じでいたのです。
でも、それは特にフランスの社会では通用しないことで、大げさに言えば、言うべきことは言わないと生活していけないわけで、ずいぶん私も黙ってはいないようになりました。このようなことにもフランス人は慣れているので、けっこう言いたいことを言ったとしても、あとは、わりとカラッとしているところもあり、むしろ、とことん話すことをあまり不快には思っていないのです。
なので、今回は同社の米投資ファンドへの売却による厳しいリストラへの懸念という大きな節目であったとはいえ、これまでも様々な問題があったであろうに、60年間も黙ってたの? 私がフランスに来たばかりの頃に思った、なんでストライキばっかり?と思った逆バージョンで、なんで?そんなに黙ってるの?ということで、「日本人もフランス人のように抗議せよ!」となるのです。
しかし、これは、今となっては、私自身も日本に対して感じることでもあり、もっと日本人は、言うべきことを言い、抗議するということをしなければいけないのではないか?と思うのです。
無責任な話ではありますが、日本の労働組合は、フランスの労働組合に視察に来てみたらどうだろうか?とさえ思います。それこそ、ストライキの必要性について、熱く語ってくれることでしょう。
何も、フランスのように、暴れたり、破壊行為までする必要はありませんが、マスコミも含めて、社会問題を世間に知らしめることは、社会にとって必要なことだと思います。
日本社会の文化としては、あまり、ことを荒立てるのは、好まれないことはわかりますが、「黙ってガマンする」のは、日本人の美徳でもありながら、時として、「言うべきことは言う、抗議する」ということも、特に現在の日本には必要なことなのではないかと思うのです。
ほんと、日本とフランス、足して2で割るとちょうどいいのにな・・と思うことはよくあります。
60年ぶりの日本のデパートのストライキ
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