2025年2月28日金曜日

フランスからでも日本からでも長旅は長旅 帰りのフライト

 


 楽しく、ぎっしりと中身の詰まった一時帰国も、今回はほぼ3週間という私としては、けっこう長い滞在であったにもかかわらず、あっという間に終わってしまって、フランスに戻ってきました。

 今回は、出発前にインフルエンザで体調がけっこうしんどくて、最後のギリギリまで、長いフライトに耐えられるかな?(フライトさえ乗り越えれば、あとは、どうにでもなると思っていた私も楽観的といえば、楽観的ですが・・)と、かなり不安ではあったのですが、奇跡的?に、出発当日には、なんとか「ん??これなら大丈夫かも??」というほどにまで回復し、それでも一抹の不安をかかえながら出発したことも、今となっては、ウソみたいに思い出します。

 そもそも、今回の一時帰国に関しては、なにげなく、日本行きのチケットを見ていたら、たまたま「おっ!これ!けっこう安いかも?」というのを見つけて、なんとなく「これなら、いいかも?」くらいに、かなり早い段階でチケットを取っていたもので、特にこれといった用事があるわけでもなく、ただ、できるだけ日本国内を旅行したい!という極めて私的な一時帰国でした。

 おかげさまで自分のしたいことの予定をいっぱいいっぱいに詰め込んで、ほぼ予定はギッシリ(どちらにしても、いつもギッシリにはなるのですが・・)、このギッシリの予定の前に大きく立ちはだかるのは、時差ボケという大きなハードルなのですが、今回は、パリを出発するのが、夕方で、日本に到着するのも夕方というわりと適応しやすいフライトで、それでも、到着初日から全然、眠れなくて、非常に辛かったりすることもあるのですが、今回は、娘が用意してくれていた安眠マットレスのおかげもあり、ほぼほぼ到着日から、日本時刻で夜、しっかり眠ることができ、時差ボケ独特の夕方、急激に眠気が襲ってくるようなことはあったものの、基本、眠れているので、そのまま日本時間に適応することができました。

 今回は日本での毎日がほぼ晴天に恵まれ、毎日、太陽の光を浴びることができたことも助けになったのでは?ともちょっとだけ思います。

 しかし、帰りの便は、日本出発が朝の便だったので、機内では全く眠れず、まあ、パリ到着がその日(同日)の夕方・・そのまま、家に帰ったら、寝ればいいか・・と甘い考えでいたところ、無事、荷物をピックアップしてCDGからタクシーに乗ったころ、疲れがどっと押し寄せ、家に到着して、荷物をなんとか開けて、冷蔵庫に入れるものは、入れたくらいで、もう倒れるように寝てしまい、夜中に目が覚めるというほぼほぼ時差ボケ確定の事態。

 まあ、時差ボケは自然現象ゆえ、時間が経てばまたフランス時間に順応できると思いますし、幸いなことに明日は土日でまあまあなんとか乗り切れるかな?と思いますが、正直、行きより(日本に到着した時より)もしんどいです。

 以前のことを考えれば、フランス到着翌日には、仕事・・学校・・っていうことも、わりとあったのですが、なんと加齢の影響のきついことか・・また、フライトも以前よりも若干?長くなっていることもあるかもしれません。

 久しぶりにANAに乗ったのですが、帰りの便でのアナウンスをしていた男性(機長だったかどうかは、あまりはっきりわからないのですが・・)、本当にネイティブのような日本語とフランス語、英語もなかなか流暢で、「こんなの初めて!」と妙なことに感激しました。

 しかし、私には、本日締め切りの原稿があり、今日は、それに集中し、明日からゆっくり休みます。

 とにかく、また、後日、日本でのことは話題にあげると思いますが、身体は少々しんどかったですが、とっても楽しい滞在でした。

 この長旅を考えると日本行きにもおよび腰になりがちなのですが、できるだけ、頑張って、また日本に行きたいと思っています。


日本⇔フランス 長旅


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2025年2月27日木曜日

やれるもんなら、やってみな・・強気すぎる娘

  


 私の一時帰国の二次被害?ともいうべく、娘も私につきあって、尋常ではない量の美味しいものを食べ続ける生活が続いています。

 以前、やはり、私が一時帰国をして、一緒になって食べまくっていた娘は、最後の最後に、私がフランスに持って帰る荷物の計量をするのに、私が自分自身で計量するのだけでは、なんとなく、心許なくて、娘にも、「お願い!もう一度、測ってみて!と頼みました。

 スーツケースなどの大きな荷物は上手く体重計に乗せられないので、いったん、自分の体重を測ってみてから、次にスーツケースを持って体重計に乗って測っているのですが、まず、自分の体重を測ったところは、娘は真っ青になり、あんなに娘の顔色が変わったのを見たのは、初めてだと思うような、まさに、マンガなどで言えば、目の下の顔の部分に線が何本も引かれている感じ・・ガーン・・と言う感じで笑ってしまったことがありました。

 自分史上最高の体重だったようで、娘は背もわりと高く、一見すると、そんなに太った?とわからない程度なのですが、本人は、とてもショックだったようです。

 おそらく私自身も日本滞在後は、相当、増量しているとは思うのですが、そこは、もうなりふり構わずというか、フランスに戻ってから、体重は徐々に戻していけばよいと思っているので、日本にいる間は、そういうことは考えないようにしています。

 そのときのことは、よほどショックだったようで、娘は、あれ以来、少し食べ過ぎたと思えば、寒くても、暑くても、夜、40分以上も、夜、歩きに行きます。彼女は努力家といえば、努力家・・しかし、増量するから、食べる量は控えよう・・ではなく、美味しいものは食べつつも、食べた分を消費することで、食べることを諦めない努力をしています。

「えっ?今から行くの?こんな時間なのに?」と思い、夜遅いし、一応、女の子なんだから、気をつけて!と言うのですが、今は冬で寒いこともあり、歩きに出かける姿をみれば、上下モコモコのスウェットにニット帽をかぶって、もう男だか女だかもパッと見にはわからない感じで、「う〜ん・・まあ、気をつけてはいるけど、この格好だよ!しかも、多分、たいていのヒョロヒョロした男性よりも私の方が力あるし、強いし、やれるもんならやってみな!って感じだけど・・」と発言。

 たしかに母親の私が言うのもなんですが、彼女は腕力・脚力ともに、並の男性よりも強そうです。しかし、世の中には、おかしな人もいるんだし、ナイフなどの凶器を持っていたりしたら、さすがにいくら強くても太刀打ちできないよ・・と思う母は、親バカなんでしょうか?

 しかし、そんな悠長なことを言っている私自身は、「体重はフランスに帰ってから戻す!」などと、全ての免罪符のように言っているのですが、果たして、本当に戻せるのかどうかは、だんだん不安になってきました。


やれるもんならやってみな・・


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2025年2月26日水曜日

帰仏ギリギリのスケジュール

  


 一時帰国での日本滞在中、結局のところ、ほぼほぼスケジュールはパンパンになってしまうのは、いつものことなので、最近は、日本滞在中の旅行の予定や私にとって大切な美容院などの自分のケアの予定などをある程度、あらかじめ入れてから、帰国することを知らせるようにしています。

 周囲の叔父や叔母たちも高齢になってきて、この寒さの中、もう私のためにどこかに出てきてもらうことは、もし、なにかあったらと思うと少々、責任を感じてしまうようになり、かといって、日本に来ているのにまるで知らん顔というのも失礼かと、とりあえず、お電話だけはするようにして、もし、私の方から出向ける時間がとれたら・・ということにしていたのですが、結局、時間切れになってしまい、今回、お目にかかれなかった人もいました。

 うちは、親戚が多いうえ、私が幼少期から、父も母も兄弟姉妹たちと仲が良く、わりと濃いつきあいをしてきたこともあって、それぞれに、両親なき今でも、未だに海外生活の長い私や弟のことを気にかけてくれていて、こうして帰国した際には、声をかけてくださることは、とても幸せなことだと思っています。

 しかし、日頃、一人暮らしで比較的、気ままな生活をしている私にとって、予定が目一杯つめてしまうということは、本当に日本に滞在している時間限定のみのことで、嬉しい反面、体力的にもかなり厳しいところもあります。

 もう帰仏の日が迫りつつあり、もうそろそろ、フランスに持って帰る荷物の調整をする段になり、これは、私にとっては、その後のパリでの生活にかかわる真剣勝負。今回は、23kg×2個の荷物が持って帰れます。

 ほぼほぼ、その大部分は食料品なのですが、考えてみれば、1人でこれを消費するかと思うと我ながら、ちょっと恐ろしい気がしないでもありませんが、それだけ持っていけるのに、持っていかないという選択肢は、私にはなくて、これから計量しながら、まだ持てるのであれば、少し買い足しをしなければなりません。

 というわけで、最終日は、荷物の調整のために、一日、あけていたのですが、その日も覆いかぶさるように予定が入り、結局、そのさらに前日から、荷物の調整を開始し、暫定的に計量を始めました。

 そんな中、また従姉妹から、翌日には、定休日だったはずのお店が月曜日に休みだったかわりに営業するというお知らせが・・。もう一族郎党?皆が私の食料品集めに協力してくれるのですが、結局、スケジュール的にそのお店に行くことは、無理な状況に・・。

 しかし、それ以外にも、持って帰りたいものは山ほどあるわけで、別のもので荷物は調整することになりそうです。

 帰仏当日は、フライトが朝の便なので、家を出るのは、早朝、ほとんど寝ずに作業が続くことになりそうです。

 また、後日、ゆっくり書くつもりではありますが、今回、何よりも予定が狂ったのは、免税で買い物をしたものに関して、去年は、特に商品を手荷物にする必要がなかったのが、どうやら、税関の確認作業が必要になってしまったことです。

 そのため、最後まで、荷物のパッキングをきちんとしてから、ギチギチに荷物を詰めることができないのは、とても痛いところで、最後の最後まで、心許ない思いでパッキングが続くのは、けっこうしんどい気持ちで、こんなことなら、免税での買い物なんて、やめときゃよかったかな?・・と思い始めています。

 しかし、やってみなければわからないので、こんな手続きの変更にはめげずにチャレンジしようと思っています。

 本当に最後の数日が真剣勝負のラストスパートの怒涛のスケジュール。なんとか、飛行機に乗ったときには、もうヘロヘロ間違いなさそうな気がしています。


パッキング 帰仏の荷物 日本の食料品


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2025年2月25日火曜日

日本の街中や駅、長距離電車内のゴミ箱

 


 今回、わりと日本国内を数カ所、旅行してみて、気がついたことは、駅や新幹線などの車内にゴミ箱がないことです。これまでも、街中でも、ゴミ箱は、なかなか見当たらなくて、ゴミどうするの?と来日した外国人のようなことを感じたりしていたのですが、まさか長距離の電車の車内でさえも、ゴミ箱がないのには、驚きました。

 たしかに長距離電車の発着がある東京駅や品川駅、新宿駅などにもゴミ箱が見当たらず、でも、さすがに車内で駅弁を食べたりして、当然、けっこうなゴミが出そうな長距離線の車内くらいには、ゴミ箱というものがあるものだと思っていました。

 みな、食べた駅弁のお弁当の箱などは、しっかり持ち帰ったりしているのを見かけるので、「これはスゴいもんだな・・日本でしか成立しないシステム?だな・・」と思うのです。

 これまで、日本に来た際に長距離を旅行する場合は、飛行機を利用していたので、あまり、考えなかったのですが、今回、新幹線などの長距離電車を利用したいと思ったのには、「電車の車内で駅弁というものを食べてみたい!」という子どもみたいな希望があったのです。

 中には、食べてみたいお弁当の2つのうち、1つを選べなくて、両方買ってしまうということもしてしまったこともありました。

 しかし、お弁当を食べたあと、以前(といっても大昔ですが・・)はトイレあたりにあったはずのゴミ箱がなくなっていること、そして、到着後の乗客は空になったお弁当のゴミをちゃんと持っていることに気がつきました。

 たしかに、このゴミ箱がない場合、その大量なゴミ収集の作業はなくなるわけで、ひとりひとりが自分のゴミを持ち替えれば、こんな効率的?なことはありません。しかし、それは、きっとフランスではありえないこと、ゴミ箱がなければ、皆、好き勝手な場所にゴミを置いていくだろうと思います。

 よく、海外でのサッカーの試合などのスタジアムで、試合終了後に日本のサポーターが帰ったあとは、ゴミが落ちてなくて、とてもきれいだと海外では、絶賛されていますが、あれは、スタジアムだけではなく、日本国内のいたるところでも、個々人が同じようにゴミを処理しているんだ・・と思って、やっぱりスゴいんだな・・と、今回は実感した次第です。


街・駅・新幹線のゴミ箱


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2025年2月24日月曜日

日本のパン屋さん 日本のパン

  


 日本に来て行きたいお店のひとつに日本のパン屋さんがあります。期間限定というか、限られた日本滞在期間の中で、食べたいものは、たくさんあり、食事の回数にも限りがあり、また、胃の許容範囲もあるので、その全てを網羅することは、なかなか難しいのですが、それでも、一度は食べておきたいと思うのが日本のパン屋さんのパンです。

 一時は、「限られた日本滞在の中で、なにもパンを食べなくても・・パンなら、いくらでも、パリで美味しいパンがあるしな・・」などと思っていた頃もあるのですが、よくよく考えてみれば、「日本のパン屋さんにあるようなパン」は、パンといっても独特なものであることに思い至りました。

 パンごとき?(失礼!)で大げさではありますが、日本のパンは、ある種、私にとっては、日本食の一部のような位置づけで、最近、パリでもいわゆる日本の食パンのようなものが、一部のブーランジェリーで扱われるようになったり、また、まさに「日本のパン屋さん」とうたっているブーランジェリーAKIには、日本の食パンはもちろんのこと、メロンパンやカレーパン、クリームパン、あんぱんなどなど・・を扱い大成功をおさめています。

 しかし、それは、パリでは、ごくごく特別なパン屋さんなのです。

 「ふわふわ・・」とか、時には、「もっちり・・」といった食感のパンや、「ふわふわ、かつ、もっちり、かつ、トーストにすれば、「さっくり・・」なパンや、さまざまな食材をつかったいわゆる「お惣菜パン」のようなものは、「日本独特なパン」で、私が渡仏当初、いわゆる日本のサンドイッチ(たまごサンドやツナサンドなど)を作ったら、珍しがられてびっくりしたことも思い出されます。

 今、日本のパン屋さんは、さらに充実し、お惣菜パンも多種多様になり、かつ、フランスにあるようなバゲットやパン・ド・カンパーニュのようなハード系のパンもあったりして(これも日本人に受け入れられやすいようにアレンジされているようですが・・)、日本人の器用さやアレンジの巧さをつくづく感じさせられます。

 私が日本に帰国時に一度は行きたいと思っているパン屋さんは、そこまで有名なお店ではありませんが、人気のお店ではあるらしく、午後になると、ほぼ売り切れで、欲しいものが買えなかったりするのですが、毎年毎年、これまで見かけなかったパンが登場していることも楽しみのひとつです。

 「美味しいものは、逃せない!」と常に思っている食い意地の張っている私は、そのパン屋さんでも、「滅多に日本に来ることがないので、これは!という美味しいものありますか?」などと聞いてみたら、「まぁ!どちらから?」というので、「フランスです」と言ったら、「うちの職人の中にもフランスで修行していた者がいるんですよ!」という答えが返ってきて、「え〜?だったら、パリでもお店だしてください!」と頼んでみましたが、そんなに簡単な話ではないですね・・。

 でも、そのパン屋さん、正直、「AKI」のパンよりもずっと美味しいです。

 しかし、日本のパンもフランスのパンもそれぞれ別物?とも思いますが、それぞれ美味しいです。


日本のパン屋さん 日本のパン


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2025年2月23日日曜日

冬の山荘で凍る でも想い出が蘇ってきて、心が温かくなりました 想い出も心を満たしてくれる


 娘が小さい頃は、日本の小学校に体験入学させたかったり、また、学校のおやすみの都合などもあったので、自ずと夏に一時帰国することが多く、一時帰国中には、一度は、山荘に数日間滞在することが多くありました。

 しかし、一時期を境に、両親が一緒に旅行するのが難しくなってきたり、また、我が家の山荘は避暑のために利用することが多かったので(夏は湿度が低く、涼しい代わりに冬は寒い)冬に日本に来た場合には、行く気にならず、本当に長い間、一時帰国をしていても、山荘に行っていませんでした。

 我が家の山荘は、両親が夏の間には、暑い東京を避けて、少なくとも1ヶ月以上は、滞在していたのですが、母が最期に、山荘で倒れ、その後、東京の病院に転院したものの、助からなかったこともあり、父はその時以来、結局、最期まで山荘に行くことはありませんでした。

 それでも、私が夏に日本に帰国していた際は、たいがい一度は山荘を訪れ、家の中の空気を入れ替えたり、掃除をしたりして、手入れをし、通常は管理事務所におまかせしているのですが、私も弟も海外で生活しているために、ほぼほぼ利用することがありませんでした。

 それが、娘が日本で暮らすようになってから、近くにスキー場もあることから、彼女は冬でもたまに行くようになりました。ただ、何人かの人がその山荘の鍵を持っていたはずなのに、私以外の人間は、鍵が見つからないというとんでもない事態になっていました。

 娘は、山荘に行くたびに、管理事務所に行ってから、鍵を借りて、帰るときに、鍵を返しに行くということをしており、今回、私が一時帰国をしている間に私の鍵でスペアキーを作りました。

 しかし、その鍵がちょっとややこしい特殊な鍵であるために、スペアキーを作ったところで、私の持っている鍵自体がすでにスペアキーであったために、そのスペアキーをもとに作った鍵が使えるかどうかわからないと言われ、私の滞在中に鍵を試してみる必要がありました。

 我が家の山荘は、東京の祖父母の家を建て替える際にそのドアやサッシ、家具などをそのまま利用して建てた家で、その東京の家にいた頃から、私が祖母にもらった鍵であったために、私は、大好きだった祖母にもらった形見というか、お守り代わりに大切に持っていたかったのです。

 そんなこんなで、今回は、この冬の寒い時期に山荘に行くことになりました。

 夏は避暑のために使うほど涼しい?場所であるだけに、日常的に使っていない山荘は凍りつくような寒さで、一応、薪を使う暖炉があるのですが、そうそう簡単に家は温まりません。

 凍りつくような寒さの中で、必死に暖炉に薪をくべて、家を温めようとするも、入れたお茶があっという間にキンキンに冷えるような寒さ、娘はわずか、空気がぬるみかけたところで、早々に断念して、電気毛布にくるまって寝てしまいました。

 私は、久しぶりに訪れる山荘にあるひとつひとつのものが懐かしく、そんな空間にひたりながら、暖炉に薪をくべつづけましたが、だんだん時間が経つと、薪が燃えて、パチパチいいながら、薪が燃える色の変化や炎を見つめて、一心に薪をくべていくのが、どんどん楽しくなりました。

 山荘ゆえ、周囲との家も東京とは比べ物にならないくらい離れているし、あまり来ている家もないので、あたりは闇の中で、驚くほど静か。家の中のひとつひとつのものには、想い出があり、もちろん、この家が建てられた頃のこと、両親とこの家で過ごした日々のこと、また、夏の期間に友人たちと来たことなどをぐるぐると思い出し、不思議だけど、ジンと心が温まっていくような時を過ごしながら炎を見つめていました。

 そんな炎を見つめながら、想い出が次々と蘇って湧き出てくるのに自分でも驚き、こんな時間の過ごし方もいいな・・と思い、今回は、長期間、山荘に滞在することはできませんでしたが、今度、日本に来たときには、もう少し、長く滞在できる予定を組もうと思いました。

 温泉旅行もよいけれど、こんな静かな時間の過ごし方もいいな・・と。

 薪に火がついて、その炎を見つめるというのは、不思議に心がシンとするもので、そういえば、暖炉の火が燃える様子だけを延々と流すYouTubeなどがあったな・・こういうことか・・と、それを実感できた時間でした。

 私自身、この山荘ができてから、冬にその地域を訪れるのは、初めてで、冬の景色というのも、また全然違うな・・とか、周囲(といっても広範囲ですが)も、すっかり整備されて、リゾート地になりつつあるな・・と思ったり、一晩だけの短い滞在でしたが、十分に堪能できた夜でした。

 果たして、娘のために作った合鍵は、しっかり使うことができて、これからさらに娘は、この家を利用することができるようになるわけで、私が若い頃、楽しんできたこの家を娘がまた、利用して青春?の1ページを刻んでくれることをとても嬉しく思っています。

 反面、もう結構、家ができて時が経っているというのに、日常的に生活しているわけではないので、中はけっこうきれいなままで、もしも、私が日本に本帰国するようなことがあれば、ここに住むのも悪くないな・・などとも、一瞬、頭をかすめたりもしたのです。

 しかし、現在のところは、まだ、しばらくは、パリで楽しみたい気持ちも捨てきれず、まあ、将来、そんな選択肢もあるかな?と思うくらいです。

 昔、両親と山荘を訪れていた頃、周囲が「もう暑いってば!・・」と言っていたにもかかわらず、父は暖炉に薪をくべ続けていたのを今では、ちょっと父の気持ちがわかる気がするな・・と思うのです。


山荘 暖炉 炎


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2025年2月22日土曜日

日本のランチタイムは早くて驚く

 


 日本に一時帰国の際には、友人たちと会って、一緒に食事をしたりするのは、このうえない楽しみのひとつです。季節柄ということもあり、夜だと寒いし、出歩くのがなんだか億劫で、大方、友人たちとの食事は、ランチタイムということがほとんどです。

 今回の帰国では、幸いなことに、寝心地の良いマットレスのおかげでほぼほぼ時差ボケというものがなく、とはいえ、夕方に急激に眠気が襲ってきたり、比較的、朝、早くに目が覚めてしまうということはあるのですが、前回の帰国の時と比べれば、格段に身体は楽です。

 少々、話はズレましたが、私の友人たち、「類は友を呼ぶ」で、私の友人たちは誰もが食べることに対して、真剣で、ましてや、そうそう頻繁には日本に来れない私のために、久しぶりの再会の場に美味しいお店を選んでくれます。

 ただ、その予約となると、ちょっとびっくりするのが、ランチなのに、時間が11時とか、かなり早い時間であることで、もちろん、お昼真っ只中の12時くらいになると、お店も混んで予約がとりにくかったりもするのかもしれませんが、ランチ・お昼ごはんが11時??というのが、ちょっとびっくりします。

 だいたい日本の飲食店は昼のオープンが11時というところが多いらしく、下手をすると、予約できないお店だったりすると、第一陣のお客さんが11時にどっと入るので、その少し前の時間に・・ということになるので、そんな時間からランチに取り組む?というのが、びっくりします。

 そもそも、私が日本に住んでいた大昔?は、私は仕事をしていたので、そんな時間にランチに行ったことはなかったのですが、もちろん、今だって、ふつうに仕事をしている方々は同じなのだと思いますが、そうではない人々は、お昼となると、この時間帯にどっと押し寄せているわけで、なんだか、そこのパワーはすごいな・・と思います。

 なるほど、お店の側からすれば、11時からオープンして、それだけお客さんが来てくれれば、一巡、余計にできるので、お店側からしても、お客さんの側からしても、ウィンウィンの関係です。

 パリの場合は、たいてい12時からというのがふつう?で、お客さんが最もランチに押し寄せる時間帯は13時です。そこからすると、11時の開店と同時にお客さんがとりあえず埋まって満員になる日本とは、2時間の時差があることになります。

 どちらがいいというわけでもなく、少しでも多くのお客さんに来てもらうために11時からお店をあける日本はやっぱり働き者なんだな・・と思います。

 現在は、軽く時差ボケしているままなので、11時にランチといっても、まあまあ大丈夫なのですが、これが日常だったら、なかなかキツいかな?とも思うのです。


日本のランチタイム


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2025年2月21日金曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その②「天童荘」

 


 山形2泊目に選んだお宿は、「天童荘」。ここも「お食事が絶品!」という強い推奨を受けて、選んだ旅館でした。

 ここは、前泊した「名月荘」に比べると、内装などにしても、もっと洗練された感じで、お金がかけられている感じ(もちろん「名月荘」も充分に豪華です)で、調度品やライティング、生けられているお花などにもセンスの良さが感じられます。


 お部屋にもよるのだと思いますが、私たちが泊まったのは、この旅館の中では、スタンダードなお部屋だと思いますが、部屋風呂と半露天風呂がありました。

 ここは、お食事は部屋食ではなく、食事時には、別のお部屋に出向くようになっていますが、これもまた個室(かなりゆったりとした広めの空間)で、専任?の給仕の方がお世話してくださって、ゆったりとお食事ができます。

 お食事に関しては、全く文句なしどころか、出てくる一品一品が否のつけようのない全てが絶品、しかもまた、品数の多いこと、器から盛り付けなども最高。

 季節の素材をふんだんに使い、立春過ぎたタイミングということから、春を感じさせる献立でした。そもそもこの旅館の前身は、「鰻屋さん」であったそうで、これでもか!というほど献立が出てきた最後には、見事な鰻が登場します。



 最初に出てくる様々な器を使ったいくつもの小鉢と一合桝に入った桝寿司、お椀、お造り




 そして、この旅館がこだわりを持って提供している「米沢牛」を使ったすき焼き、ただし、お品書きに「天童ワインすき鍋」とあったので、「えっ??ワイン??」ワインのすき焼きはちょっとな〜〜と正直、思ったのですが、このワインが主張が強過ぎず、このすき焼きを温泉卵でいただくようになっています。




 すき焼きとなれば、白いご飯が欲しくなり、本来は、後で登場するはずのご飯をこのタイミングでもお願いしてしまいました。とにかく、お肉はもちろんのこと、添えられている野菜も最高でした。



 そして、この後、お口直し?のソルベの代わり?のような存在のようなゆず風味のサラッとした葛湯が登場、これがまた、爽やかでなかなかよく、そして、最後に堂々と鰻が登場します。

 この鰻はさすが、前身が鰻屋さんとしての誇りを汚すことが微塵もないというか、素直に言えば、見事なもので、鰻そのものは、もちろんのこと、その焼き方が素晴らしい。



 側面がカリッとしていて、それでいて、身はふんわり、正直、私がこれまで食べた鰻の中でも、余裕で3本の指に入るくらい美味しい鰻でした。本当に、その場で一緒に食事をしていた娘も従姉妹も3人揃って、美味しすぎて、困り顔・・。

 人はあまりに美味しいとなぜ、困った顔になるのかも不思議です。

 そして、デザートには、苺ゼリーと練乳アイスにあんこがちょっと添えられています。


 

 なにか、言いたい私は、苺は苺だけで、わざわざゼリーに包まなくてもいいのに・・などと口走ったのですが、それまた、大きな間違いで、こんなに苺を食べやすく、苺の味を引き立ててくれるゼリーの包み方を私はこれまで知りませんでした。

 そして、朝食は、わりとふつう・・だと思ってしまったのですが、後から、あらためて、写真を見ると、これをふつうの朝食と勘違いしてしまった私もちょっとどうかしていたと思うのですが、文句のつけようのない充実したお食事でした。




 難を言えば、というか、どうしても難をつけたいみたいな感じがしないでもありませんが、たまたま私たちのお部屋がそうだっただけかもしれませんが、部屋(2部屋)と洗面所、部屋風呂と半露天風呂などの導線がいまいちな気がして、また、細かいようですが、コンセントや電気のスイッチの位置などが、少々使いづらい気がしたのと、大浴場がそれほど大浴場でもなく、洗い場に3人用の場所しかなかったりするのが、少々、使い勝手が悪い気がしました。


 まあ、それぞれのお部屋にお風呂がついているので、あまり利用する人がいないのかもしれませんが、それでも、これまで少々、温泉旅館に泊まってきて、この微妙な大きさの大浴場は、初めてだな・・と思いました。

 しかし、ここのお料理は、本当に素晴らしく、だいたい、ふつうすき焼きの後に鰻が出てくるって、ちょっとおかしいでしょ!と思うところが、堂々と出てきて、しかも、その両方がものすごくレベルが高いので、私の中では、この旅館では、まったくもって、お食事がメインで、食事に温泉付き・・という受け止めをしています。

 このお食事、絶対におススメなので、ご興味がある方は是非、行ってみてください。


山形 天童荘 

山形県天童市蒲田2−2−18


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2025年2月20日木曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その① 「かみのやま温泉 名月荘」

  


 今回の山形旅行は温泉はもちろんのこと、食事が美味しいことで有名な旅館を紹介してもらい、まさに食事が素晴らしく、感激してきたので、ここにご紹介したいと思います。

 私は、ここ数年、日本に一時帰国するたびに、温泉旅行に行くようになったのですが、以前は、ほとんど日本国内の旅館というものに泊まったことはなく、正直、そんなに詳しいわけではありません。



 しかし、ここ数年で周囲から勧められる宿に行くようになったのですが、年々、そのお料理のレベルが向上している感じで、今回もまた、すばらしいお料理に出会ったので、ご紹介したいと思います。

 ただ、外観に関しては、現地の人も驚くような何十年ぶりかの大雪で雪景色だったため、私個人としては、趣のある素晴らしいものでしたが、いつもの景色とは異なると思います。

 まず一泊目に泊まったのは、「名月荘」という旅館でしたが、お部屋にも露天風呂がついていて、大浴場、そして家族風呂、貸切風呂などもあり、丘から外を見渡せるような作りの独創的なお風呂もあって、ひととおり、お風呂にはいってみるだけでも、とても楽しく、お風呂の合間にお茶を飲んだり、本を読んだりするスペースに加えて、たまこんにゃくが煮えているお鍋が置いてある場所もあり、からしまで置いてあって、ついついつまみたくなります。




 そして、お食事は各お部屋に食べているタイミングに合わせて、運んできてくれるのですが、スタッフの対応がとても温かく、とてもリラックスしてお食事ができます。




 冷たいものは冷たく、熱いものは熱く、お品書きに合わせて、さまざまな種類のお料理を少量ずつ、品数はかなりな量ですが、地元の山の幸、海の幸を生かし、旬の味わいを感じさせてくれ、その野菜の火の入り具合なども、どれも絶妙なもので、見た目にも美しく、これといって存在感がガツンとくるお料理は多くないのですが、とても丁寧に作られていることがわかります。





 私は、ここで初めて食べた「赤根ほうれんそう」もとっても美味しかったし、鰹と蟹の出汁にその場で卵を溶き入れてくれるスープなども、うなるほど美味しかったです。




 終盤には、山形牛のステーキが出てきますが、これもちょうどいい焼き具合、ちょうどいい大きさ、ちょうどいい量で、このあと、もちもちうどん(中に入っているお揚げがふわふわで超絶美味しい)と、こしひかりにお漬物がついてきます。





 最後のデザートをいただいている頃に「お夜食用におにぎりをお作りいたしますが、いかがでしょうか?」と言われ、満腹にもかかわらず、誘惑に負け、3人で5個(具材が5種類だったため)のおにぎりをつくってもらい、夜食どころか、ひとつはその場でたべてしまったほどです。とても美味しいお米でした。



 そして、朝ごはんは、もちろん、ご飯にお味噌汁、焼き魚にまぐろの山かけ、なめ茸、だし巻き卵、サラダ、ぜんまいの煮物、黒大豆、お漬物に梅干し、そして、焼き海苔も温めてくれるという心遣いには、感動。ご飯はおひつで出してくれますが、食べきれない分は、お持ち帰りをさせてくれます。



 なにせ、美味しいお米、そして、見事な炊き上がりなので、何もおかずがなくとも充分に美味しいご飯です。

 こうして、山形一泊目は、大満足、満腹状態で終わり、私自身は、そんなに簡単には、また来るということは、難しいと思いますが、娘は、すっかり気に入った様子で、スキーに行った帰りに是非、一泊したい・・「ここは、おひとりさまの宿泊も受け付けてくれますか?」などと聞いていて、「あまり、ハイシーズンだとお断りさせていただくこともあるかもしれませんが、だいたいは、大丈夫、というよりも割高になるかもしれません」と言われていました。

 母としては、一人ででも来ようとしている、彼女のこの旅館への惚れ込みっぷり、そして、彼女は、きっと本当に一人ででも来るんだろうな・・と彼女の行動力のパワフルさを感じながら、娘を眺めていたのでした。


山形 かみのやま温泉 名月荘 山形県上山市葉山5−50


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2025年2月19日水曜日

山形 佐藤牛肉店に大興奮!

  


 今回の日本一時帰国の温泉旅行第二弾に山形を選んだのは、従姉妹のおススメの旅館が山形にあったためで、温泉旅館を選ぶ際に、温泉はもちろんのこと、旅館で提供されるお食事が大きな位置を占めている私(たち)は、その旅館のお食事が素晴らしいということで、山形行きを決めたのでした。

 この温泉旅館とともに、山形には、従姉妹が「山形に行くなら是非、行くべき!買って帰るべき!」というお肉屋さんがあり、それが「佐藤牛肉店」でした。

 このお肉屋さん、従姉妹はもう20年以上のおつきあいとかで、日常的にも東京から注文して送ってもらっているというお肉屋さんで、私が日本に一時帰国した際に、以前にも従姉妹がそのお肉屋さんからお肉を送ってもらい、彼女の家ですき焼きをご馳走になったりしていたので、そのお肉が美味しいことは、私も知っていました。

 ただ、そのお肉の値段がどの程度なのか?彼女のことだから、きっと高価なお肉なんだろうな・・と、漠然と思っていました。

 ただ、お店に直に出向いて、そこのおじさんに話を聞きながら、買う場合は、全然、違うとのことで、私もそのお店に行くのを楽しみにしていました。

 山形には、2泊3日の予定だったので、そのお肉屋さんには、最終日に寄るつもりにしていました。しかし、山形に到着とほぼ同時にその従姉妹から、「重大事件発生」と連絡があり、私は、てっきり高齢の叔母に何か起こったのかと真っ青になりました。

 しかし、従姉妹の言う「重大事件」とは、私たちの旅行の最終日にあたる日が例外的に休みになるということで、正直、私は「なんだよ・・」と拍子抜けしました。

 実際に、その「佐藤牛肉店」は、けっこう現在は有名になっているお店らしく、山形駅にも支店が入っており、本店に行けなくても、買えないことはありません。

 でも、私たちは、当初の予定を変更し、2日目に「佐藤牛肉店 本店」に行きました。行ってみると、その店舗は、そこまで、大きなお店でもなく、また、他の食料品店がならぶ商店街のようなところでもなく、「えっ?ここ?」と思う感じでもあります。

 しかし、ひとたびお店に入れば、その充実度はすばらしく、なにより、ひと目で「間違いない!絶対に美味しい!」とわかるお肉が並び、なにより、値段がそこまで高くない(決して安くはありませんが、東京のスーパーマーケットなどに並んでいるお肉(といっても、ものによりますが・・)の値段と大差ありません。



 そして、なによりも、ものが確かなうえに、特に、「切り落とし肉」として売っているお肉が全然、切り落としではない・・つまり、安い(このお店の中では)お肉でも、全然、余裕で素晴らしいお肉なわけで、従姉妹の言っていたように、おじさんのアドバイスによれば、「山形牛」よりも「米沢牛」、この部位のお肉は、軽く炙ってワサビで食べるのが美味しい・・とか、これは、うっすらと片栗粉をふって炙るのがよいとか・・色々と教えてくれます。

 こうなってくると、もう私は興奮状態で、あれもこれも欲しくなってしまったのですが、結局、通称黒タン(牛タン)、焼き肉用、切り落とし肉を購入。山形から帰るとすぐに、さっそく家でいただきました。

 ここのお肉は美味しすぎて、焼き肉にしても、焼き肉のタレなど使うのは、もったいない感じで、もうお肉そのものの油、肉の旨味が強烈で、お肉を焼くと、家中が肉の焼ける匂い、となりの家からも、「昨日、お肉、焼いてたでしょ!」と言われるほどで、おかげさまで、東京に戻ってしばらくは、旅行の興奮が冷めることはありませんでした。

 東京へ戻る際、山形駅でたまたま隣合わせたおばさんたちと、ふとしたことから、美味しいもの話になり、なんと、そのおばさまたちも、佐藤牛肉店でお買い物してきたとのこと。彼女たちは、自分では持ち帰らずにお店から送ってもらう手配をしてきたと言っていましたが、偶然にしても、なかなか有名なお店のようでした。

 しかし、これまで山形県というところ、全然、軽く見ていたのですが、この牛肉をはじめ、山形にしかない野菜などもけっこうあり、美味しいものがたくさんあるところだったんだ・・ということを初めて知りました。

 まだ、山形県に行ったことがない方々、旅行先に迷ったら、また、美味しいものを求めていらっしゃる方は、山形県、そして佐藤牛肉店は、なかなかおススメです。


山形 佐藤牛肉店 山形県山形市諏訪町 1-3-11


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2025年2月18日火曜日

日本が本当に年々、厳しくなっている現実を肌で感じる・・

  


 私がフランスで生活し始めた頃は、「日本だったら、こんなことあり得ないのに!」と憤慨することに多々、遭遇し、「ここは日本じゃないんだから、しょうがない・・日本という国はやっぱり、さすがなんだな・・日本のレベルをフランスに要求してはいけない・・」と諦めて、フランスではそれなりの対応が必要なことを学び、なんとか、トラブルに遭遇することを避けるように生活する術を見つけていきました。

 しかし、フランスでの生活も長くなるにつけ、このフランスでの対応を身につけはじめたことから、また、フランス自体も色々とデジタル化などが進み、いつのまにか進歩してきたことから、以前よりは生活しやすくなった気がしています。

 でも、ここ数年、いや、10年くらい?、相変わらず、日本は便利で快適ではあるのですが、逆に、おや?日本どうしちゃったんだろう?と思うことが目につき始め、最初は、駐車場や工事現場の交通整理?や警備に年配の男性の姿が見えるようになって、失礼ではありますが、こんな年齢の人がするのは、体力的にもさぞかしキツいだろうに、にもかかわらず、働かなくちゃいけないんだろうか?と思ったのが最初でした。

 少子高齢化が問題になり始めて久しく、世界的に少子高齢化の話といえば、もれなく日本の例が挙げられるほど、日本は、その意味での先進国となっていますが、ふだんは、フランスのニュースに話題にされている日本の少子高齢化の現実を日本に来るたびに、目の当たりにすることは、ショッキングなことでもあります。

 今回、感じたのは、ある意味、高齢化とは別の問題なのかもしれませんが、その高齢者が姿を見せ始めいていた(過去形ではない)工事現場などで交通誘導などを行なっている人々の中に、けっこう中年(40〜50代)の女性が混ざっているのを多く見かけるようになったことで、ちょっと主婦が時間があるから、空き時間にバイト・・という仕事でもなさそうだし、偏見的な見方ではありますが、あまり女性に推奨される仕事という感じでもないのに、彼女たちは、なぜ?その仕事を選んでいるんだろう?ということです。

 人は、基本、お金のために仕事をしているので、そこを否定するつもりはありませんが、少なくとも、以前には、見かけなかった光景です。

 また、同時に感じるのは、工事現場にやたらとこの類の交通誘導員?警備?の人が増えたこと・・。実際の工事作業をする人以外の人が多いこと。以前はこんなにたくさんの人がいなかったと思うし、正直、こんなにたくさんの交通誘導や警備?必要かな?と感じます。

 こんなに人がいたら、さぞかし、経費もかかるだろうし、工事もさぞかし高くつくんだろうな・・と思いながら、見ています。

 なんだか、こういう現場で働く人に女性まで進出してきたことや、やたらとこの種の仕事に多くの人員が割かれていることがなんとなく、アンバランスな感じを受けてしまいます。

 フランスの工事現場、こんなふうに交通誘導をする人は、あまり見かけない気がします。

 しかし、こう言う仕事は、軽作業や比較的簡単な事務作業などよりも給料が高いのか?そこまでガッツリ、ほんとにひと昔前のいわばガテン系の仕事に近い感じ・・。続々とそこに女性が加わりつつあることも、日本は本当に年々、厳しくなっているのかな・・と、ちょっと思ってしまいます。


日本が厳しくなっている現状


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2025年2月17日月曜日

日本は駅で忘れ物をしてもすぐに見つかるが、思わぬ落とし穴もある・・

  


 日本に一時帰国して以来のプチ温泉旅行の第二段。今度は、娘と従姉妹と3人でのちょっとだけ贅沢な珍道中は、私にとって、中学生の時以来の東北旅行でした。

 東北新幹線というものにも初めて乗り、今回は、たまたま、東北地方が大雪と強風のために、数日前まで運休や遅延が相次いでいた最初から、出発できるかどうかも危うい感じのスタートでした。

 当初、娘は、前日にスキーに行くことになり、現地で合流することになったために、一度、予約していた新幹線の予定を変更していたものの、スキー場が強風のためにリフトも動いていないということで、再び私たちと一緒の新幹線に変更しなおしに行った時、本来ならば、2回目の変更には、手数料がとられるものの、実際に、変更後の新幹線も運行されるかどうかが定かではなかったために、手数料なしで変更してもらえたという、なんだかラッキーなんだか?アンラッキーだったのか?微妙な気分で、出発当日まで行けるかどうか?また、新幹線が運行停止・・なんていうことになったら、予約している旅館もキャンセルにしなくては?その際のキャンセル料をとられるんだろうか? いやいや天候のために行けないという場合だったら、キャンセル料はかからないでしょう!などと言いながら、ひとまず新幹線が運行するかどうかも当日にならなければわかりませんでした。

 結果的には、1時間の遅延となりましたが、無事に目的地に辿りつくことはできました。

 新幹線が遅延とはいえ、無事に到着。

 1時間近く遅れたものの、私にとっては、ほぼ初めて見る大雪の景色、雪に覆われた山の稜線の美しさに感動しました。

 一日目は、ただただ雪景色の露天の温泉とお料理を堪能し、翌日は次の宿へ移動。

 駅に着くと、とりあえずは、駅ビルの食料品売り場でさっそく、東京(パリ)へ買って帰りたいものを次から次へとお買い物。そして、乗り継ぎの電車を駅の待合室で少し待機したのちに、次の電車に乗って、目的地の駅に到着。

 目的地の駅の改札を抜けるところで、従姉妹が買い物をしたものを乗り換え地点の駅の待合室に置き忘れてきたことに気づいて、すぐに到着した駅に連絡し、忘れ物をした駅に連絡をとってもらいました。

 けっこうな人であふれていた駅の待合室には、そのまま彼女の荷物がおかれていたようで、すぐに、その忘れ物を保管しておいてくれることになり、翌日、再び、戻った際に受け取れるように手配してくれました。

 さすがに日本、忘れ物をしても、誰も勝手に持って行ってしまう人もいなくて、すぐに駅の人が探しに行ってくれて保管しておいてくれるなんて、やっぱりすごいな!日本!と誇らしいような、安心したような気持ちになりました。

 そして、楽しい温泉旅館滞在を終えて、その翌日、まず、忘れ物を受け取りに行けばよかったものの、まずは、食事をしてからにしよう・・なにも、それまで荷物は増やすことはないでしょ・・と、お蕎麦屋さんに直行。

 そして、お蕎麦屋さんから、駅の忘れ物センターへ行くと、まさかの昼休みで14時までがクローズ!私たちの予約している新幹線の出発時刻は14時4分発。忘れ物係の人が14時に戻ってくるのを待っていたら、予約している新幹線に間に合わせるのは絶望的。

 迫ってくる時間と周囲の駅員のたらい回しに合いながら、遠目から見ても、従姉妹は、電話片手に大激怒。とりあえず、私たち親子は、ホームに降りて待機し、従姉妹が間に合うかどうか、ギリギリのタイミングまで待つことに・・。

 日曜日の午後のことで、もう新幹線も満員の状況。ドタンバで変更しても、3人分など、席があるかどうかもわかりません。

 新幹線がホームに滑り込んできて、「やっぱりダメか・・もう間に合わない・・」と思いかけたところで、なんと従姉妹が階段をかけ降りてきて、滑り込みセーフ。

 係の人が少し前に戻ってきてくれたとかで、ようやく荷物を受け取れたんだとか・・。途中、「では、配送しましょう・・」などと提案もしてくれたようなのですが、今回はギリギリまで粘った従姉妹の粘り勝ちでした。

 駅の忘れ物センターは昼休みでクローズしてしまうということを知り、今後は時間を確認しておくべきということを学びました。

 しかし、幼い頃から、隣に住んで、一緒の学校に通っていた時期も長かった彼女・・あんなに怒っているのを見たのは初めて、はっきり言って、すごい迫力でした。


駅の忘れ物


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2025年2月16日日曜日

私は透明人間? タッチパネルが反応しない・・

 


 最近、日本の銀行もセキュリティーがキツくなって、ネットバンキングにしても、海外からだと、なかなかふつうにイジれなくなってきて、便利なんだか、不便なんだかわからなくなってきた感がありますが、セキュリティーを盾に取られたら、仕方がありません。

 というわけで、日本に一時帰国している際は、一応、日本の銀行で色々、確認したりすることがあって、銀行にも立ち寄るのですが、相変わらず、日本の銀行、ATMも含めて、なんで?こんなに人が多いんだろう?と思います。

 とはいえ、そういう私も日本に帰国時は、必ず、銀行のATMを利用するわけですが、今回、初めて、立ち寄った銀行のATMでタッチパネルが反応しないという体験をしました。

 ATMの操作をしていて、途中からタッチパネルが反応しなくなって、焦って、もう一度、最初からやり直し・・でも、いざ、暗証番号を入力する段になると反応しなくなってしまう・・これ、故障?と思って、係の人を呼ぶと、なぜか、その人の指には反応。

 私の指に問題あり?乾燥している?逆にさっきクリームつけたから?などと考えましたが、結局、原因は、わかりませんでした。

 もしや、他の銀行でも??と、その後、他の大手銀行の支店2つを回りましたが、結局、問題だったのは1行だけ・・。なにを隠そう、それはみ○ほ銀行です。

 み○ほ銀行は、なにかと、ヤバいとたびたび噂が出て、「やめといた方がいいよ・・」と知人に言われたこともありますが、私が実際のトラブルに遭遇したのは、これが初めてでした。

 しかし、この銀行、私が初めて口座を持ち、通帳を作ってもらった銀行で、少々、センチメンタルな思い出もあり、これを解約したくはないと思って、ずっとそのままにしていたのですが、今回、些細なことではありますが、「あれ?ほんとにヤバいの?」と思ってしまった次第です。

 そもそもフランスの銀行では、現金を引き出すということは、ほとんどないし、その他の振込み等も全部オンライン。あまりATMにすら用はありません。

 実は、今回、日本の銀行に用があったのは、日本が新紙幣の切り替えを始めたため、レートの良い時にユーロに変えようとフランスに少々持ち出していた日本円の現金を新紙幣に取り替えたかったこともあったのです。

 このご時世に今さら、新紙幣に変えるのもどうかと思いますが、仕方ありません。

 急務ではないとはいえ、そうそう日本に来るわけではないので、この機会にと思っていた次第です。

 それにしても、私の指にだけ、タッチパネルが反応してくれないというのは、なかなかショックなことでした。


ATMタッチパネル


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2025年2月15日土曜日

日本で頑張っている娘

  


 私が日本に一時帰国している間は、当然?のことながら、東京にある実家に滞在しているのですが、この家は、両親が他界している今、日本で仕事をしている娘が一人で暮らしています。

 この家は、両親が他界して以来、私と弟の名義になっているのですが、私も弟も海外暮らしで、空き家のまま放置しないで済んでいるだけでも、娘がここで生活してくれていることは、ありがたいことなのです。

 娘にとっても、古くてボロい家とはいえ、家賃ゼロで、そこそこ一人暮らしとしては、スペース的にもかなり余裕があり、家の中の大きな部屋の一つは、彼女のスポーツ用品倉庫のようになっていて、かと思うと、彼女の書斎のようなスペースになっている部屋があったり、ベッドルームとして、その隣の部屋を使っていたり、工夫して、それなりに暮らしやすいように様変わりしているのにもびっくりさせられます。

 この実家は、都内のそんなに悪くない?場所にあるのですが、いわゆる住宅街で、たとえば、繁華街やオフィス街からは、ちょっとアクセスしにくい場所ではあるのですが、彼女の友人たちは、しばしば、鍋パーティーだのなんだのとやってきているらしく、(よくこんなところに平日、仕事帰りに寄ってくれたりするもんだ・・と感心している)、また、彼女の友人の仮倉庫にもなっているようで、大きな犬小屋までがおいてあるのには、ちょっとびっくりしました。

 とはいえ、家の中を見るだけでも、彼女の充実した日本での生活が見えるようでもあり、また、仕事もかなりバリバリやっているようで、リモートワークが基本とはいえ、朝早くから出勤したり、夜遅くまで仕事をしていたり、でも、仕事ばっかりというわけではなく、休日の日は、もれなくスキーだなんだと、寸暇を惜しんで楽しんでいる様子には、すごいパワーとエネルギーを感じ、さすが、若い!と感心します。

 けっこうなお給料をもらいながら、家賃ゼロの分だけ、好きに旅行したりすることができるようで、また、締まり屋の彼女はガッチリ貯金もしているようです。

 彼女が独立して、もう数年が経ちますが、私がせっせとお料理しておいたものや、買ってきておいた食べ物がいつのまにかなくなっていて、「え〜〜??あれ、食べちゃったの〜〜?」というようなことも懐かしさを感じます。

 今は、期間限定なのに、笑って許せますが、これが日常となったら、ケンカになりそうです。

 独立しても娘は娘。でも、それぞれに別々の暮らしやペースがあり、きっと、実際に今、一緒に生活することは、難しいと思います。

 でも、とにもかくにも、夫が急逝したときには、どうなることかと思いましたが、無事に育って、こうして私の祖国でもある日本でフランス育ちの娘が立派に生活できていることに、私は、大変、満足し、また、現在の娘の周囲の人々にとても感謝しています。


日本での娘の生活


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2025年2月14日金曜日

憧れの日本の温泉と2月の桜 土肥温泉 

  


 最近の一時帰国の大きな楽しみのひとつは、温泉旅行です。今回も日本滞在中、いくつかの温泉旅行を計画しています。

 年齢とともに、ひしひしと感じる体力の衰えや、自分に残された時間(別に余命宣告等を受けているわけではないけど・・)は、明らかに限られていて、もしかしたら、それは、けっこう長かったりするかもしれないとしても、元気に旅行などを楽しめる時間は、そんなに長くないのではないか? しかも、私の場合、日本で温泉旅行に行くといっても、その前に直行便でさえも、(現在)14時間近いパリからのフライトというハードルがあるわけで、それがまず、年々、厳しく感じられるようになってきました。

 ということで、大袈裟と思われるかもしれませんが、「もう明日、死んでも後悔しないように楽しもう!」と、やりたいこと、できることは全てやるつもりで日本に来ています。

 そして、毎日毎日を過ごし、それが長引けば、ラッキーですが、本当に私は、明日、死んでも後悔しないと思っています。



 なかなか波瀾万丈だった私の人生、一人の男性と出会い、家庭を持ち、子どもにも恵まれ、夫には先立たれてしまいましたが、娘も無事に成人して、独立。もう自分の好きなこと一生懸命、生きるんでいいんじゃないか? いや、そうすべきだ!と思っています。

 温泉旅行に行くくらいで、ちょっと大袈裟ですが、そんな感じ、全力で楽しみ、楽しいことを自分にしっかり自覚させて、何倍にも楽しむことを心がけています。

 今回の日本滞在での最初の温泉旅行につきあってくれたのは、同じ中学校に通っていた友人で、温泉自体ももちろん楽しいし、満喫したのですが、彼女とのおしゃべりも何ものにも変え難い至福の時間でした。

 とにかく、旅先では、これと言った予定は、たてずに1日、何回も温泉に浸かりながら、また、ふらふら、地域を散歩して、お店を覗いて歩いたりしながら、よくも、こんなに話が尽きないと思うくらい、ず〜〜っと喋っていました。

 どこに行くか?どんな宿を選ぶか?どんなお料理が食べられるか?も重要ですが、誰と行くか?というのも、重要なことです。そんな意味でも今回も最高な旅でした。




 また、私たちが今回、訪れたのは、伊豆の土肥温泉というところ、お天気にも恵まれ、新幹線を降りたら、むこうに、雪化粧した美しい富士山が!青い空に富士山!素直に感動!

 そして、思ってもみなかったことに、なんと土肥温泉では、2月というのに桜がほぼ満開でした。土肥桜の開花は通常ならば、2月の初旬くらいなのだそうで、「今年は、これでも少し遅いんですよ!」と土地の方々がおっしゃっていましたが、まさに私たちに合わせてくれたかのように、ばっちりのタイミングで、思ってもみなかっただけに、棚ボタ感、ラッキーな感じでした。

 比較的、温暖な気候のせいもあるのかもしれませんが、土地の方々は、明らかに温和な感じの方が多く、気候は人のキャラクターに影響するのだな・・などとも思いました。

 温泉地を巡っていると、もう有名な温泉地は、人も多く、観光地化が行き過ぎで辟易することもあるのですが、ここ「土肥温泉」は、幸い?なことに、そこまで知名度がないおかげで(土肥温泉の方々ごめんなさい)ゆったりと楽しむことができました。

 ただ、温泉のある旅館の中などは、行き届いていて、それなりの思考が凝っていて、私の泊まった旅館などは、全館たたみで、温泉の中までたたみ・・宿泊時には、自分の好みのゆかたを選ぶことができるようになっていたりして、なかなか美しく彩られています。

 ただ、周辺の村?には、廃墟となった家やお店が目立ち、地方の過疎化、衰退を感じずにはいられませんでした。

 こんな良いところなのに、ものすごく残念です。

 この土地は、海も穏やかできれいで、夏には海水浴やダイビングやシュノーケリングもできるなかなか透明度が高い海、東京からもそんなに遠くなく(新幹線や他の鉄道を乗り継いで2時間強)、もっと、うまくすれば、いくらでもお客さんを呼べそうな気がしないでもありません。

 ただ、あまり人が多くないゆったりした温泉を楽しめたのですから、私としては、どっと一とが押し寄せるようになるのは、嬉しくはありませんが、私は、また、行ったことがない場所を開拓していきたいと思います。

 もう一日、ひっきりなしに入る温泉でお肌すべすべで、まさしく上げ膳据え膳は、本当に夢のような時間!ふだん、そんなに負担を感じているわけではなくとも、食事の支度や片付けの時間がないと、なんだか、時間に余裕も生まれます。

 とはいえ、友人ととめどなく、話しているのですが・・。

 しかし、今、このような温泉旅ができることも、この年でこんな私につきあってくれて、心おきなく話せる友人がいてくれることは、本当にありがたいことです。


土肥温泉 土肥桜


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2025年2月13日木曜日

薬局・ドラッグストア免税の罠

  


 一時帰国で日本に到着して、わりとすぐに、ひとまず是非、買い物をしていきたいものをかたっぱしから、済ましていく第一弾として、携帯電話やタブレットなどの電子機器とユニクロでの買い物をしました。免税で・・。

 結局、あとから、調べたら、携帯は免税してもらっても、Amazonの方が若干、安かったという苦い経験をしたばかりです。

 残る買い物として、フランスでは手に入らない薬類等、いわゆるドラッグストアでのお買い物に行き、携帯の際の苦い思い出を糧に、今度は騙されないぞ!とばかりに、数軒のドラッグストアの値段を比較してから、買い物をすることにしました。

 なぜか、なんとなく薬に関しては、どこで買っても大差ないだろう・・という思い込みがあったのですが、実際に比較してみると、お店によって、かなり価格に差があることがわかり、それが、なかなかな違いであったことに仰天しています。

 いつのまにか、この薬屋さんというか、ドラッグストア、気付けば、かなり増えていて、たいていのチェーン展開をしているドラッグストアはどこも免税手続きができるようになっているようで、考えてみれば、これだけあれば、相当な競争状態にあるわけで、価格に差があるのは、当然のことです。

 同じ商品があるお店では、免税してもらったところで、他の店舗で税込で売っている価格よりも大幅に高かったりして、こんなに違うもんなの??と驚いています。

 免税に関していえば、とりあえず、5,500円以上のお買い物に対して免税措置が可能ということになっているようですが、今どき、バラバラと買わないかぎり、あっという間にそれくらいの金額に達してしまいます。

 ただ、免税は10%なので、5,500円の買い物で税金分550円程度なので、大した金額ではありませんが、同じ商品を少しでも安く買えれば、それだけでなんだか満足感があります。

 また、ドラッグストアには、いつも日本に来ると買う薬(目薬、痒み止めの薬、胃腸薬、風邪ぐすり等)に加えて、化粧品類(基礎化粧品や髪染めの液などなど)などなどもあり、けっこう買って帰りたいものがたくさんあります。

 とにかく、おそらく海外からの外国人観光客は、「免税!TAX FREE!」という看板に吸い寄せられるように、しこたま買い込んでいくのでしょうが、実は免税したところで、全然、安くならない店もあるようで、免税でお買い物をしようと思っている方は、ある程度、注意した方がよいかもしれません。


日本での免税のお買い物


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2025年2月12日水曜日

恐怖の渋谷駅

  


 渋谷駅の再開発工事が始まったのは、もうだいぶ前のことだと思いますが、その工事が始まった当初は、「どうせ、日本のことだから、あっという間に終わるんだろう・・今度、日本に来たときには、多分、出来上がっているんだろうな・・」と思っていたら、その後、もう何年もの間、日本に来るたびに、「えっ?まだ終わっていない・・」が何年も続き、もう「まだ、やってるんだな・・」に変わり、たまに日本に来るからこそ、その工事期間の長さを余計に感じるような気がします。

 渋谷ははるか昔?私が高校生の頃に渋谷駅から歩いて通学していたこともあって、東京で、ほとんど唯一といっていいくらい土地勘、方向感覚が定まっていた駅でもありました。

 ところが、工事のために、なんだか、わけのわからない遠回りをすることになっていて、本来ならば、ちょっと、そこを突っ切れば済むだけだった場所が、駅の中を迂回することになり、3回以上曲がると、もうどっちの方向を向いているのかわからなくなる方向音痴の私にとっては、もう大変なことになってしまいます。

 しかも、もともとは、よく知っていると思っていた渋谷で・・ということが殊更ショックでもあります。

 そもそも、人混みが大の苦手な私は、もうかなり前から、できればちょっと避けたい場所でしたが、我が家の立地的に、比較的、どこに行くにも渋谷駅を通過する必要があり、否が応でも、通る機会が多いのです。

 現在は、ハチ公口あたりがなんだかわけのわからない、特殊な通路体制が敷かれていて、混乱や混雑を整理するためと思われますが、往路、復路を分けて、交通整理のような人を何人も配置して、人の流れを捌いています。

 そもそも、ハンパではない数の人の群れがひっきりなしに行き交う渋谷という場所で、スクランブル交差点などは、信号が変わると数方向にいる人が数方向に散っていくという考えてみれば、ちょっとふつうの国ではその安全性からも成り立たないような数奇な場所。

 今や外国人にとっては、日本の象徴的な場所になり、一度、羽田空港からのリムジンバスに乗ったら、スクランブル交差点を通過した時点でリムジンバスの中の外国人観光客?たちが、一斉に携帯を掲げて撮影を始めたのには、仰天しました。

 そんな通常の状態に加えて、現在の渋谷駅公園口はものすごい人の流れで、一部では人の流れを横断しなければならない場所もあり、人波を渡るというのは、凄いことだな・・と、東京で生まれ育った私もすっかり気後れし、ちょっとした恐怖にさえ感じてしまいます。

 とはいえ、交通整理要員が配置されているとはいえ、この人の群れの移動が整然と行われていることは、凄いことだな・・と。


渋谷駅


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2025年2月11日火曜日

YouTube等、日本のSNSの広告

 


 当然のことなのですが、日本に来るときは、日常、フランスで使っている携帯やパソコンを持ってきて、携帯に関しては、現在、私が使っている携帯は e-SIM対応ではないために、日本用のSIMカードを買って、SIMカードを入れ替えて使用しています。

 パソコンに関しては、パソコンを利用する場所のWi-Fiを利用して使っているのですが、それで、ふつうに普段と同じようにパソコンも利用しています。

 しかし、SNSを利用する際にどうしても入ってくる広告は、当然のことながら、フランスにいる時に入る広告とは違い、日本のCMが入るのですが、これがどうも、フランスにいる時に比べて、広告の割合が多い気がしてなりません。

 以前、ネットがここまで広がっていなかった頃は、両親や叔母たちが私たち(主には娘の日本語習得)のために、テレビ番組(ドラマやバラエティ番組やアニメなど)を録画して送ってくれていたのですが、その番組自体もさることながら、その時々に番組に挟まっているテレビCMというものも、けっこう楽しみの一つで、そのCMを見ながら、「今、日本ではこんなものが流行っているのか・・」とか、「こんな俳優さんが人気なんだ・・」、そして、さらには、日本のテレビCMがなんとなく家の中に流れているだけで、ホッとするような気持ちになったものです。

 今では、ネットが発達して、多くの日本の番組などもYouTubeなどで見ることができるので、お手数をおかけして、録画したものを送ってもらう必要もないのですが、当然のことながら、フランスでYouTubeなど(たとえ、それが日本のものであったとしても・・)を見ていると、合間に挟まって流れてくるのはフランスのCMなので、日本のCMというものを見る機会はなくなりました。

 というより、ネットで流れてくる種類のCMとおそらくテレビで流れているCMとは、違う業種のものも多いのでしょうが、現在、日本で滞在している私の実家(現在は、娘が暮らしています)には、テレビを繋いでいない(娘は全く、テレビを見ない世代?)なので、日本のテレビを見ることはありません。

 私自身もフランスにいる時でもテレビはニュース番組くらいしか見ていないので、大差ありません。

 もっぱら、私が見ているのはYouTubeなのですが、どうにも日本だと、広告が多くて、ちょっとウッときます。しかも、ほぼほぼ、私の興味のないことばかりのCMなのには、微妙な気がしています。

 そのあたりのシステム的な裏構造については、全くわからないのですが、とりあえず広告量が多いことだけは、どうしてなんだろう?と思います。

 ただ、当然のことながら、予定がわりとぎっしりなので、それほど、YouTubeなどを見ている時間はあんまりないので、わりとどうでもいい話ではあるのですが・・・。

 この手のデジタル?関連のことについては、本当にアレルギーといってもよいほど、苦手なので、下手に設定をいじると、大変なことになる!というあたまがあるので、設定次第で、改善されることもあるのかもしれませんが、例えばGoogleマップのようなものにしても、ふつうに日本でも使えるのはありがたいのですが、なぜか、インディケーションは全てフランス語。

 別にそれでもわかるので、支障はないものの、どこまでもフランスがついてくる感じで、フランス語で道案内されるたびに、苦笑してしまいます。


日本のYouTube・SNS広告


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2025年2月10日月曜日

私が日本でしたい買い物は外国人観光客のお買い物のステレオタイプ?

 


 私の場合、日本への一時帰国をした際にフランスに買って帰りたいものの9割型は日本の食料品です。フランスでは手に入らない、手に入りづらい食料品は山のようにあるので、毎回毎回、「これ、私、一人分だよね・・」と思うと、あらためて、かなりえげつないと思われる量の食料品の量になるのですが、これがまた、私のフランスでの生活には欠かせない何よりも?大切なものなのです。

 おかげさまで、フランスにいても、かなり充実した満足のいく食生活を送っています。

 とはいえ、それ以外にも多少?は、食料品ではないもので、買って帰りたいというものがあり、今回は、その一つが携帯電話です。

 携帯電話は別にフランスで買っても良さそうなものなのですが、機種にもよると思いますが、円安でもあり、日本の方が断然、安いです。買ったあとの設定や前の携帯からの移行?に全くといって、自信がなく、日本で買って、娘にそれらをやってもらう必要があるために、娘のいる日本に来たときに、新しい携帯に変えよう!ということになるわけです。

 もしも、突然、携帯が壊れた場合、あたふたと慌てふためくことのないように、もうそろそろ、いつ寿命を迎えてもおかしくない年数が経っているために、もう新しいものに変えてしまおうと思ったわけです。

 そんなわけで、免税ができることもあって、今回、携帯に加えて、タブレットを買いに、電気量販店に娘に一緒に行ってもらくことにしたのですが、たまたま、行きたかった焼肉屋さんに行ったついでに、秋葉原に行ってみることにしたのです。

 私は、これまで秋葉原というところになかったので、ちょっとどんなところか興味もありました。

 たまたま意にしたことではなかったのですが、なんとなく、ヨドバシカメラに入り、携帯を物色・・。さすがに、外国人観光客も多い場所、家電製品?のメッカのような場所。

 店員さんもかなり優秀な人が集められているのか、海外対応などについても良く把握していて、淀みなく説明してくれるところは、さすが・・と驚きました。

 わりと早々にどれにするか決めて、免税手続きもしてもらって、支払いも済んで、さあ・・終わった、あと、買い物したいものは、ユニクロと100均!と行っていた私に朗報!

 なんとヨドバシカメラと同じビルにユニクロと100均(DAISO)のお店も入っていたことに気がついて、そのどちらでも免税手続きができるようになっていました。そんな時に娘が私に言った一言に妙に納得させられました。

 「つまりは、ママが日本に来て、買い物したいお店は外国人観光客が日本に来た時にかいものしたいお店のステレオタイプだ!」と。

 まあ、それこそ、ずばり「正解です!」という感じなのですが、なんとなく、日本人でありながら、外国人観光客のステレオタイプに自分がハマっていることに、一抹の寂しさも感じるのでありました。

 しかし、のちにさらに落とし穴があり、ヨドバシカメラで、かなり値引きもされて、そのうえ免税までしてもらった携帯電話ですが、帰ってきて、Amazonで調べたら、なんと同じものが免税された金額よりも安かったことで、正直、ズッコケました。

 ただ、フランスでの使用の際の対応の問題等の詳しく説明してくれたことで、安心して商品を選ぶことができたことは、収穫でしたが、実際には、その説明だけ聞いて、Amazonで買う・・というのが、一番、お買い得だったようです。

 次回、携帯を探す時は、ヨドバシカメラなどに下見に行って、Amazonでの金額を確認してから、どちらで買うか決めようと思います。

 こんなチョンボをした時は、「よい勉強になった!」と思うことにします。

 結局、私が疲れてしまって、100均にまでは行きませんでしたが、少なくとも、ユニクロのお店の方は、間違いなく、パリのユニクロにはない商品もたくさんあるうえに、金額的にも確実に安くなるので、間違いないと思います。

 しかし、今回は、「免税」ということが、必ずしも安くはならないこともあるということを思い知った次第です。


外国人観光客のお買い物


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2025年2月9日日曜日

睡眠の大切さをひしひしと感じている・・

  


 前回、日本に来た時は、本当に時差ボケが酷くて、それでも機内で数時間は眠れたものの、日本に到着した当日の夜は、疲れているにもかかわらず、一睡もすることができませんでした。

 それでも、すぐに翌日から、予定をぎっしり入れていたので、それを無視することもできずに、入っている予定をこなし、さすがに前日にまるで眠れていないのだから、今日こそは眠れるだろうとタカをくくっていたら、なんと2〜3時間しか眠れずに目が覚めてしまい、もう体調は絶不調になってしまいました。

 もうさすがに、そうなってくると、もう外出する元気もなく、約束していた親戚や友人たちにもわがままを言って、「全然、眠れていなくて、具合が悪いから、できたら、家に来てくれない?」と頼み込んで、家に来てもらっていました。

 あとから考えれば、その甘えた根性がさらに、その状態を長引かせてしまったのだと思いますが、そうやって皆が来てくれるとなると、その時は自分が少しは楽なのですが、結局は無理をしてでも外に出ないから、余計に時差ボケが改善せずに、1日の睡眠時間が3時間程度という日々が1週間くらい続いてしまいました。

 呆れた娘が太陽の光を浴びたり、夕日をみたり、少しジムにでもいって身体を動かした方がいいと無理矢理連れ出してくれたことから、少しずつ、睡眠状態は改善していきました。

 そんな経緯があったので、今回は、日本に行って、また眠れなかったらどうしよう?やっぱり睡眠は、大事・・と、なんだったら、私が滞在中に使うよく眠れるマットレスでも買っておこうかと娘に相談したところ、(それでも後々、置き場所にも困るだろうしなぁ・・と・・)

 それなら、フランス人の友人がフランスに帰国するときに、もういらないからとくれたすごく良いマットレスがあるから、それを使って!新しいのは買わなくていい・・というので、そのマットレスをあてにして、今回は日本にやってきました。

 家について、そのマットレスを見ると、マットレスとはいえ、ほぼほぼベッドのような立派なしろもので、実際に寝てみると、こんなに寝心地がよくぐっすり眠れるマットレスは生まれて初めて!なんなら、フランスに持って帰りたいくらいです。

 これは、感動的なマットレスで、まず仰向けに寝ているだけで、ジンジンと身体中の疲れがじわじわとベッドに吸い込まれていくような感じ。

 どこのメーカーのマットレスなのかはわからないけど、とにかくその娘の友人のフランス人の置き土産のマットレスのおかげで今回は、夜にちゃんと眠れて、夕方頃に異様に眠くなることがあっても、夜、それなりの時間に眠れて、朝まで目が覚めないおかげで、全然、体調は違って、あらためて、睡眠の大切さ、寝心地のよいマットレスの大切さを身をもって体験することとなりました。

 フランスに帰るまでの間に、なんとか、このマットレスがどこの製品なのかを調べ上げ、フランスに帰ったら、即刻、注文しようと思っています。

 多少、高価なものであったとしても、この睡眠が得られるならば、何にもにも変え難い価値があるこのマットレス!絶対に買うつもりです。

 調べてみたところ、このマットレスは(株)ベッドアンドマットレス(香川)というメーカーのものであることが判明しました。


睡眠の大切さ マットレス


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2025年2月8日土曜日

日本は、どこか、ぎすぎすした人が増えた気がする・・

  


 今回、日本に来て、なんだか感じるのは、ぎすぎすしている人が増えたということ・・。以前の日本は、ひたすら、みんながこれでもかというくらい感じが良くて、親切でお店などでも応対が丁寧で行き過ぎではと思うところがあるくらいでした。

 今でも、世界的に見たら、絶対的に感じのよい人が多いとは思うのですが、そんな中だからこそ、そうでない人が目立つのかもしれません。でも、なにか変わってきている(かわってきているといえば、変わっているのだと思いますが・・)、そんな感じがするのです。

 特に年配の男性(70代後半以上くらいの年齢?)には、ちょっとギョッとさせられる場面にここ数日、遭遇しています。

 歩いていて、自分からぶつかってきておいて、逆ギレされたり、携帯を見ながら自転車に乗って車道を走り続けていて、後続の車に気がつかなかったり、なにか尋ねたりしても、その受け答えがやけに横柄だったり、ものすごい上から目線だったり、以前は、こんなおじいさん、日本にいなかったよな・・とびっくりしてしまい、ここ数日で、自然と年配の男性がいらっしゃると、ちょっと警戒してしまいます。

 周囲の人々に、そんな私の感想を話すと、たしかに、その世代の男性は、現役時代の感覚をどこか引きずっているところが多いのかもしれない・・とのこと。もちろん、全ての年配の男性がそうだというわけでもないのでしょうが、その点、女性の方が年齢を重ねても、そこまで周囲に対して、横柄になるでもなく、マイペースで周りともバランスをとりながら、上手に生きていけるのかもしれません。

 相対的にみれば、上手く年齢を重ねていくことは、むずかしいことだと、自分のことも含めて、よくよく戒めを含めて富みに思うのですが、それが自然にできていける人もいるでしょうが、自覚して、気をつけないといけないな・・と、そんなおじいさん?たちを見ていて考えさせられるのです。

 社会現象というほどではないのかもしれませんが、もうだいぶ前に、「こんな年齢の人々が、ここまで働かなければならないのか?」と、なんだか痛々しいように思った記憶がありましたが、それが年々、あたりまえのようになってきて、「そりゃあ、ぎすぎすもするよな・・」と思わないでもありません。

 フランスなど、定年が62歳になっただけで、大規模なデモやストライキ、はたまた暴動のようなことが起こる国。逆に富裕層で、もうそろそろ引退してもよいだろうに・・と思われる人々がその地位にしがみついて働いているのは、日本もフランスも同じなのですが、身体的にもキツいであるかと思うような仕事に就いている人々をあまりフランスでは見かけない気もします。

 そして、フランスでは、定年後の人生を男性でも女性でも、それなりに楽しんでいる人が多いと思われるので、街中でイライラと他人にあたったり、横柄だったりする男性(女性も)には、あまり遭遇しない気がします。

 そんな意味においては、私はふだんフランスではぬるま湯に浸かっている状態なので、そんな男性に日本で遭遇することが余計にショッキングに感じるのかもしれません。

 自分自身も年齢を重ねていくうえで、上手く歳をとるって、本当に難しいことだな・・とそんなことを感じながら、久しぶりの日本滞在を過ごしているのです。


年配の日本人男性


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2025年2月7日金曜日

叔母たちと連絡を取るのが一苦労な件

  


 我が家系は親族の繋がりが強く、日本に帰ってきたときに、この親族に会う予定だけでも、かなりの日程的ボリュームになり、少しずつコンタクトしていくと、最近は、仲良しの叔母たちの高齢化も進み、ふつうに生活している分にも、その子どもたちのスケジュールもかなり圧迫されている様子が伺えます。

 親の通院や治療、時には、手術や入院なども含めて、けっこう大変そうなので、私の帰国の話などは、その日常に加えて、さらに負担をかけることは間違いなく、予め帰国の日程などは、ほぼほぼ知らせないようになりました。

 とはいえ、いざ、帰国してみれば、たまに帰国しているのに、まるで知らん顔というのも何なので、せめて電話でお話くらいできればと、電話をかけてみるわけです。

 ただ、私が日本に帰国する際には、ふだんフランスで使用している携帯電話のSIMカードだけを日本対応のものに入れ替えて使っているので、電話機能そのものは、使えず、LINEとかメッセンジャーなどのアプリを使って連絡を取るのですが、叔母たちは、それらのアプリを利用していない・・というか、そもそもガラケーの場合も多いため、自宅の電話から携帯あるいは、家電に電話する以外に連絡の手立てがありません。

 それが、最近、軒並み、皆、家電はあっても出ない・・のがふつうに徹底されているようで、これまで家に電話すれば、連絡を取れていた人に連絡がつきづらくなりました。

 私自身も一日中、家にいるわけではないので、そんなに家からたびたび電話をかけ続けるわけにもいかず、一日、外出していて、帰ってきて、ハッと気が付くと、もう夜の8時すぎ・・。娘曰く、〇〇叔母さん、この時間はもう寝てるよ・・と。

 2〜3日たっても、連絡がつかないとなると、「もう、これは、なにかあったんじゃないか・・」とさすがに不安になってきます。

 同じ国にいてさえも、まるで時差があるような生活とSNSアプリなしの状態での連絡は、それは、もう大変なことで、途方に暮れてしまいます。

 結局、私が電話に残したメッセージ(それさえもなかなか気がついてくれない)にようやく反応があって、向こうから電話をくれたものの、「もう、何かあったんじゃないかと思って、心配したよ〜〜」と告白。

 「ごめん、ごめん、最近、もう、うちでは、家電には、でなくなっちゃったから・・」と。

 別の叔母のところも、家電にかけたら、なにか、「この電話は、迷惑電話防止のために、全会話を録音させていただいております・・」とまず、流れて、ようやく叔母がでてきてくれました。

 これほど、家の固定電話が使用できない状態があたりまえのようになっているということは、恐ろしいことというか、まあ、ふつうだったら、携帯だけで充分、間に合っているというか、だったら、もう家電いらないじゃん!って話なのですが、おかしな世の中になったもんだと、あらためて思ったのでした。

 実際に、私自身も家の固定電話は外してしまっているので、一切使っていないので、偉そうなことも言えないのですが、家の電話が電話として機能できない社会というのも考えものです。

 また、インフルエンザやコロナがけっこう流行っている中、また気温も低くて、こんな時に私に会うために出てきてくれて、万が一のことがあったら、大変だ・・とも思うと、そうそう簡単にお目にかかろうとするのも考えてしまいます。

 だからといって、少なくとも、従姉妹たちには、会えるので、彼女たち経由で・・ということにもなるのですが、まあ、こんな日が来るとは・・とても複雑な思いでいます。


家電 固定電話


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2025年2月6日木曜日

「とんでもないです!」という言葉は今、日本で流行っているの?

  


 久しぶりの日本に到着して2日目、久しぶりといっても、ほぼ1年ほどしか経っていないのですが、とにかく日本にいる間に、食べたいものを中心にこの機会に行っておこうというところは、数々あって、私にとっては、毎回、まずお気に入りの美容院に行ってから、あそこのあれ食べたい・・とか、あれは買って帰りたい・・というものをできるだけ効率よくこなしていこうと、さっそく動き回っています。

 そんな中、1年来なければ、色々と変わっている場所もあるし、そもそも、長年、日本にいなくて知らなかったことに遭遇したりして、いちいち感動したり、驚いたりしています。

 結局、パリにいても、なにか美味しいものはないか?と探し歩いているところは、変わらないのですが、日本では期間限定の分だけ、この機会を逃してはならない・・と思うところは、必死でもあり、焦るような気持ちもあって、他人にものを尋ねてみる機会があります。

 まだ、2日目なので、全部が全部というわけではありませんが、基本的になにかものを尋ねたときに、日本人はとても親切で、たとえば、ある特定の場所を尋ねたりした場合は、ご親切にそのすぐ目の前の場所についていってくれたりするのには、本当にすごいな・・と思います。

 これは、以前にフランス人の知人が日本に出張に行った際に、あるレストランの場所を尋ねたら、道を教えてくれるだけでなく、一緒にその場所に行ってくれたことがあった・・日本人ってなんて親切な国民なんだ!と感激して話してくれたことがあったので、「あの人が言ってたのと、一緒のケースだ・・」などと思ったりもしたのです。

 しかし、そんな中、なにかを教えてもらって、「ありがとうございました!」とお礼を言うと、かなりの確率で、「とんでもないです!」という返答が戻ってくることに、決して、嫌な気がするわけではないものの、こう、そろいもそろって、皆がお礼に対して「とんでもないです!」という返答をすることに、一種のモヤモヤ感とは言わないまでも、「なぜ?皆、同じ返答?」、「今、こういう言い方が流行っているの?」、「以前は、そんな言い方しなかったような?(していたけど、私が知らなかっただけ?)」などと、思ってしまったのです。

 なにか?お尋ねして、とても、快く教えてくださったりして、とても感激して「ありがとうございました」とお礼を申し上げる・・すると、「いいえ、(どういたしまして)・・」ではなく、「とんでもないです」という・・ある意味「謙遜ワード」。

 謙遜する姿勢は日本人の美徳でもありますが、なんか、あまりの乱用?に戸惑いを感じてしまいました。

 皮肉な言い方をすれば、「とんでもないです」のワードが安くなってはしまいか?、それとも、「とんでもないです」のニュアンスは変わってきているのか?などと、一人で思ってしまいました。

 こう安易に、このワードを使っていたら、かつて使っていたようなニュアンスで、本当に「とんでもない」ときには、なんというんだろうか?とちょっと嫌味なことを感じたりもするのでした。


「とんでもないです」


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2025年2月5日水曜日

約1年ぶりの日本行き そんなに混んでないのに、なんだかセキュリティーがけっこう厳しかった

   


 今回の日本行きは、なんかはずみで予約しちゃった!みたいな感じで、たまたま、ふらっとサイトをのぞいていたら、「えっ??」これ!かなり安くない??なら、行っちゃおうか!という感じで、私としては、こんなに早くに前もって予約を入れることは、とても珍しいことでした。

 ところが、あまりに早く(自分としては・・)予約したもので、油断してしまったというか、出発間近にインフルエンザにかかり、それがなかなか長引いて、焦ってお医者さんに行って抗生物質の薬まで飲み始めたというのに、いつまでたっても、よくならなくて、果たして14時間のフライトに耐えられるだろうか?と、実際に日本行きをキャンセルするのは、さすがにな・・と思いつつも、「え〜〜?どうしよう??」とちょっと焦っていました。

 しかし、どうにか、出発当日の朝は、なぜだか、やっとしゃっきりしてきて、空港に向かったのでした。それでも、焦らなくてもよいように、いつもより、早くに空港に到着し、また、幸いにも空港はわりと空いていて、スイスイとチェックインもできて、ゲートの方へと進んで行きました。

 ところが、なぜだか、パスポートコントロールでは、ほぼ全てのページをチェック(実際にちゃんと見ているのかは知らないけど)してから、スタンプを押してくれ、また、手荷物検査は、なんだかいつもよりずっと念入りで、コートから中に来ているベストまで脱ぐように言われて、パソコンも蓋をあけて、ブラシをかけ、そのブラシをさらに機械にかけてチェックするという、なにそれ?という感じでした。

 別に全員に対してというわけではないとはいえ、こんなチェックは初めてのこと。そこまで混んでいなかったからこそ可能だったレベルでのセキュリティチェックという気がしますが、それでも、公には発表されていないセキュリティーのランクアップが指示されている気がしました。

 別に私は何ら後ろめたいことがあるわけではないし、かなり私は、時間に余裕をもって、空港に出向いていたので、問題はありませんでしたが、これ、もし、時間がかなり迫っている人が重なっていた場合は、かなりヒヤヒヤものです。

 とはいえ、なんとか、飛行機も無事、ほぼオンタイムで離陸し、飛行自体は、多少揺れる箇所はあったものの、無事、羽田に到着しました。

 羽田空港は、といっても、せいぜい年に1〜2回しか来ていませんが、なんだか、来るたびに、違うターミナルに飛行機は寄せられ、新しいターミナルは、はっきりいって殺風景で、極端にいえば、病院かお役所みたいな気分。

 反面、パリ・シャルル・ド・ゴール空港は、いつも姿を変えながらも相変わらずキラキラすぎる感じもしないでもありません。なんだかキラキラな空港から、いたってシンプルな日本の空港(一部ではありますが・・)に、なんだかものすごくギャップ?を感じたのでした。



パリ発羽田行き


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2025年2月3日月曜日

フジテレビ問題 フランスでの報道 他への飛び火

  


 中居氏の性加害問題から始まったフジテレビ問題は、フランスでは、日本のテレビ各局が報道を控えていた頃、年始、わりと早々にフランスの報道局BFMなどが報じたと思ったら、仏大手 Le Figaro紙までが報じていたのには、驚かされました。

 フランスではSMAPや中居氏はそこまで有名でもないにもかかわらずです。この時、フランスの報道では、フジテレビの関与についても、多少触れてはいたものの、どちらかといえば、ジャニー喜多川、ジャニーズ問題と関連付けて書いている向きの方が強い感じでした。

 その後、日本でフジテレビが問題の中心となり、大炎上していますが、このことに、フランスの報道では、しばらく触れずに来ていましたが、先週、同社の社長、会長が辞任したことから、また続報が少しずつ出始め、つい数日前には、今度はル・モンド紙を始めとする数紙が再び、この件について、報道していました。

 この加害事件について、フジテレビが隠蔽しつつ、この司会者のテレビ出演を継続し続けてきたこと、実際には、同社の社員がこの事件に加担していた疑惑がかけられていることなどについてを説明したことに加えて、同社がこの件について、世間に公表するに至るには、同局の大株主であるアメリカのファンド会社「ダルトン・インベストメント」の力が必用だったと書いています。

 その後、トヨタやマクドナルドを始めとする多くの広告主が同局からの広告を撤退し、株価も落ち込んでいる(株価については、誤報だと思いますが・・)と伝えています。

 また、この問題に関連して、日本の MeToo運動についても説明し、仏数紙が2017年に元TBS記者(米支局長)にレイプされたと告発した日本人ジャーナリストの女性の話を詳しく説明し、彼女自身の闘いを描いた映画「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」が2025年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされており、多くの国で公開され始めているにもかかわらず、「法的および倫理的(司法機関に提出することを目的として音声や映像が使用されているためとしている)」な理由で日本では公開されておらず、日本のメディアが権力者を巻き込む告発を報道したがらない現実を伝え、日本では、米国やその他の諸外国に比べて、MeToo運動があまり進んでいないと指摘しています。

 読んでいた私自身も、「えっ?こっちに行く?」と思う飛び火・・?ではありましたが、思わぬことから、中居氏のこの加害問題、フジテレビだけでなく、過去の女性ジャーナリストレイプ事件、この事件に関して、上からの圧力によって警察の逮捕状が停止された問題に飛び火するかもしれません。

 この「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」という映画、フランスでは3月に公開されるそうなので、ぜひ見に行こうと思っています。


フジテレビ問題 ブラックボックスダイアリーズ 


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