2020年6月9日火曜日

マスクのポイ捨ては、罰金135ユーロ でも、フランス人は、ルールは守らない


Jeter son masque par terre pourrait bientôt coûter très cher


 フランスでは、6月7日、環境担当国務長官が、マスクのポイ捨て(実際には、マスクだけでなく、タバコやゴミも含まれる)に対する罰金を現行の68ユーロから、135ユーロに引き上げることを発表しました。

 しかし、おそらく、現行犯ではなければ、捕らえられないマスクのポイ捨てのための取り締まりが行われるとは、考えづらく、実際には、何の効力もないと思っています。そんなルールなど、「そんなの関係ない!」とばかりに無視されることでしょう。

 テレビの報道などでも、道路に捨てられたマスクを問題視する報道が取り上げられていましたが、果たして、実際に街を歩いてみると、やはり、マスクが捨てられているのを度々、見かけます。

 フランス人が日本へ行くと、街中のゴミ箱が少ないのに驚くと言いますが、実際には、ゴミ箱の少ない日本の方が、街にゴミが少なく、清潔なのも事実です。

 先日、日本では、政治家が、欧米の国に対して、「オタクの国とは、民度が違うと言ってやるとみんな絶句する」という発言が炎上していましたが、彼の物の言い方や、そのことを公的な場所で発言することは、何かと物議を醸すのはわかりますが、「民度が違う」という、そのこと自体は、事実です。

 フランスの学校では、道徳教育というものもなく、道徳心やモラルというものの概念がとても薄いのです。

 何事にも罰金を課さなければ、徹底しないのは、今回のコロナウィルスの完全なロックダウン状態にして、不要の外出を取り締まり、罰金を課さなければ、国民を治められなかったことからも、明らかです。

 それは、日頃からの生活のあらゆるところで、見られることで、海外生活をしたことのある人には、何かと心当たりがあることだと思います。ルールを守るとか、清潔を保つとか、周囲の迷惑を考えるとか、郵便物がなくならないとか・・(挙げればキリがありませんが・・)日本では、あたりまえのことがあたりまえでないことに、海外に出たことがある人ならば、誰もが最初は、困惑した経験があると思います。

 それでも、普通の日常ならば、一つ一つの事柄を裏返しにして、自由な「文化」という言葉に置き換えることができる点もありますが、それは、自分の行動を正当化する詭弁にすぎません。

 しかし、今回のような有事に、それは、通用しません。

 もはや、フランスは、マスクのポイ捨てどころか、マスクをしない人が大多数で、皆がマスクをしているのは、取り締まりが厳重で、罰金を課される公共交通機関を利用する際くらいです。

 そして、何より怖いのは、人々が、もはや、警察など恐れていないことです。もともと、フランスでは、よほどのことをしない限り、刑務所行きなんてことはないのです。

 この時期のデモでさえ、警察が抑えることができません。今は、特にアメリカで起こったジョージ・フロイドの事件で、人種差別問題から、なぜか、問題は、警察の暴力問題に置き換えられつつあり、(フランスには、アメリカのような人種差別は存在しない、これは、警察の暴力問題であるとフランスのマスコミは人種差別問題を政府が認めない)、ますます、警察が国民を取り締まることに慎重になっています。

 小さい頃から、日本とフランスの両方を見て育っている娘は、「あたりまえのことがなぜできないのか?」「でも、あたりまえのことができないのがフランス」と二つの国を冷静に見ています。

<関連>
「パリの盗難被害 パリの泥棒は、なかなか捕まえてもらえない」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/06/blog-post_6.html

「パリでは、日本ではあり得ないことがたくさん起こる・・」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/06/blog-post_11.html



 

 




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