娘が小さい頃は、日本の小学校に体験入学させたかったり、また、学校のおやすみの都合などもあったので、自ずと夏に一時帰国することが多く、一時帰国中には、一度は、山荘に数日間滞在することが多くありました。
しかし、一時期を境に、両親が一緒に旅行するのが難しくなってきたり、また、我が家の山荘は避暑のために利用することが多かったので(夏は湿度が低く、涼しい代わりに冬は寒い)冬に日本に来た場合には、行く気にならず、本当に長い間、一時帰国をしていても、山荘に行っていませんでした。
我が家の山荘は、両親が夏の間には、暑い東京を避けて、少なくとも1ヶ月以上は、滞在していたのですが、母が最期に、山荘で倒れ、その後、東京の病院に転院したものの、助からなかったこともあり、父はその時以来、結局、最期まで山荘に行くことはありませんでした。
それでも、私が夏に日本に帰国していた際は、たいがい一度は山荘を訪れ、家の中の空気を入れ替えたり、掃除をしたりして、手入れをし、通常は管理事務所におまかせしているのですが、私も弟も海外で生活しているために、ほぼほぼ利用することがありませんでした。
それが、娘が日本で暮らすようになってから、近くにスキー場もあることから、彼女は冬でもたまに行くようになりました。ただ、何人かの人がその山荘の鍵を持っていたはずなのに、私以外の人間は、鍵が見つからないというとんでもない事態になっていました。
娘は、山荘に行くたびに、管理事務所に行ってから、鍵を借りて、帰るときに、鍵を返しに行くということをしており、今回、私が一時帰国をしている間に私の鍵でスペアキーを作りました。
しかし、その鍵がちょっとややこしい特殊な鍵であるために、スペアキーを作ったところで、私の持っている鍵自体がすでにスペアキーであったために、そのスペアキーをもとに作った鍵が使えるかどうかわからないと言われ、私の滞在中に鍵を試してみる必要がありました。
我が家の山荘は、東京の祖父母の家を建て替える際にそのドアやサッシ、家具などをそのまま利用して建てた家で、その東京の家にいた頃から、私が祖母にもらった鍵であったために、私は、大好きだった祖母にもらった形見というか、お守り代わりに大切に持っていたかったのです。
そんなこんなで、今回は、この冬の寒い時期に山荘に行くことになりました。
夏は避暑のために使うほど涼しい?場所であるだけに、日常的に使っていない山荘は凍りつくような寒さで、一応、薪を使う暖炉があるのですが、そうそう簡単に家は温まりません。
凍りつくような寒さの中で、必死に暖炉に薪をくべて、家を温めようとするも、入れたお茶があっという間にキンキンに冷えるような寒さ、娘はわずか、空気がぬるみかけたところで、早々に断念して、電気毛布にくるまって寝てしまいました。
私は、久しぶりに訪れる山荘にあるひとつひとつのものが懐かしく、そんな空間にひたりながら、暖炉に薪をくべつづけましたが、だんだん時間が経つと、薪が燃えて、パチパチいいながら、薪が燃える色の変化や炎を見つめて、一心に薪をくべていくのが、どんどん楽しくなりました。
山荘ゆえ、周囲との家も東京とは比べ物にならないくらい離れているし、あまり来ている家もないので、あたりは闇の中で、驚くほど静か。家の中のひとつひとつのものには、想い出があり、もちろん、この家が建てられた頃のこと、両親とこの家で過ごした日々のこと、また、夏の期間に友人たちと来たことなどをぐるぐると思い出し、不思議だけど、ジンと心が温まっていくような時を過ごしながら炎を見つめていました。
そんな炎を見つめながら、想い出が次々と蘇って湧き出てくるのに自分でも驚き、こんな時間の過ごし方もいいな・・と思い、今回は、長期間、山荘に滞在することはできませんでしたが、今度、日本に来たときには、もう少し、長く滞在できる予定を組もうと思いました。
温泉旅行もよいけれど、こんな静かな時間の過ごし方もいいな・・と。
薪に火がついて、その炎を見つめるというのは、不思議に心がシンとするもので、そういえば、暖炉の火が燃える様子だけを延々と流すYouTubeなどがあったな・・こういうことか・・と、それを実感できた時間でした。
私自身、この山荘ができてから、冬にその地域を訪れるのは、初めてで、冬の景色というのも、また全然違うな・・とか、周囲(といっても広範囲ですが)も、すっかり整備されて、リゾート地になりつつあるな・・と思ったり、一晩だけの短い滞在でしたが、十分に堪能できた夜でした。
果たして、娘のために作った合鍵は、しっかり使うことができて、これからさらに娘は、この家を利用することができるようになるわけで、私が若い頃、楽しんできたこの家を娘がまた、利用して青春?の1ページを刻んでくれることをとても嬉しく思っています。
反面、もう結構、家ができて時が経っているというのに、日常的に生活しているわけではないので、中はけっこうきれいなままで、もしも、私が日本に本帰国するようなことがあれば、ここに住むのも悪くないな・・などとも、一瞬、頭をかすめたりもしたのです。
しかし、現在のところは、まだ、しばらくは、パリで楽しみたい気持ちも捨てきれず、まあ、将来、そんな選択肢もあるかな?と思うくらいです。
昔、両親と山荘を訪れていた頃、周囲が「もう暑いってば!・・」と言っていたにもかかわらず、父は暖炉に薪をくべ続けていたのを今では、ちょっと父の気持ちがわかる気がするな・・と思うのです。
山荘 暖炉 炎
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