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2024年3月15日金曜日

周囲の人たちが抱える親の介護と日本の家の相続問題

  


 日本に帰国して以来、今のところ、毎日のように次から次へと会っている日本に住んでいる従姉妹や叔母や弟などの親戚の面々。それぞれに、お互いを子供の頃から知り合い、共通の思い出を積み重ねてきた彼女、彼らは、年齢を重ねるとともに、より大切に思える貴重なものを共有している者どおしが持つ親しさに格別なものを感じています。

 そんな同世代の彼女たちが現在、抱えている問題は、親の介護と相続問題。

 どの家も少しずつ、カタチは違うものの、将来に対する不安には、共通するものがあり、同様の悩みを打ち明けつつ、「みんな色々あるんだなぁ〜」としみじみ感じています。

 多くは、結婚するなり独立しているので、親とは離れた(といっても国内、しかも車で行き来できる範囲ではありますが・・)場所で生活していて、歳とともに、親が病気をしたり、怪我をしたりして、トラブルを抱える回数やその深刻度は、ここ数年でどんどん増していて、両親が揃っている場合は、もしも、両親のうちのどちらかに何かがあった場合は、どうしよう?

 もうすでに居を別に構えている自分たちと、かつては自分たちが育った両親が住んでいる家を将来どうしよう?と皆が不安に思い、また、兄弟間での相続問題など、どうしようか? どうなるのか? については、急ピッチで考えて動き始めなくてはならない状況のようで、「けっこう皆、それぞれに大変そうだ・・」と思うのです。

 我が家の場合は、もうすでに両親ともに他界してしまっているために、すでに相続手続きは住んでいるのですが、動産ならばともかく、家の相続となると、厄介で、その家を残して、兄弟のうちのどちらかが住むか? 家を処分して、もっと住みやすいマンションなどに買い替えるか?など、色々と考えあぐねているようで、「どこの家も大変なんだなあ・・」と思い知らされています。

 私の周囲の場合、だいたい両親が一軒家に住んでいるケースばかりなので、たとえ両親が揃っていたとしても、老夫婦だけで住むのが少しずつ難しくなっているようで、かといって、自分の家やマンションがあり、自分の子供たちの生活環境など(学校の問題など)もあるので、そうやすやすと居を移すことは難しく、親の側が頑として動きたがらずにいたりと苦労しているようです。

 そして、同時に自分たちの老後、そして、子供にどう不動産を受け継いでいくのかなども同時に考えていて、そうなってくると、どうしても子供の数が少なくなっているために、家族内というか、親族内でどんどん家が余ってくることになり、それを将来、子供たちが相続したとしても、そのまま相続すれば、大変な負担になってしまうのだろうと、皆、それぞれに考えあぐねていて、自分の親から相続することと同時に次の世代に相続させることを考えなければならず、かといって、将来、自分たちがどうなっていくのか?必ずしも思い描けるわけでもなく、日本で空き家問題が増えているのもわかるような気がしています。

 まあ、相続問題で頭を悩ませることなど、贅沢といえば、贅沢な悩みではありますが、でも、みんなが久しぶりに会う私のところに来てくれてはそんな話をしていくので、それぞれの家族構成を昔から知っているだけに、親の急激な老化に直面している話を聞いたりすれば、身につまされるような気持ちになるのです。

 しかし、まあ、そんな話を聞きつつも、無駄口もけっこうたたいて、楽しいおしゃべりの時間はあっという間に過ぎていきます。

 以前は、子供の教育などについて、色々と話したりもしていた時期もあって、そんな時は、その時々は、一生懸命であったにしても、現在の老化と相続の問題は、より深刻で、予想外のことが次々と起こるために決して楽しい話ばかりではありません。

 私などの場合は、たまに海外からやってくるということで、かえって気楽に話しやすいということもあるかもしれませんが、どどん・・と重いものを抱えている彼らが愛おしいような気さえします。

 そういう私も今回、急に帰国しなければならなかったのは、日本にある家の件についてなのですが、もうどうするかは、弟と事前の打ち合わせでどうするかは決まっているために、そこまで深刻な話なわけではありません。

 しかし、年齢とともに直面する問題というものは、皆、似通っています。


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2024年3月14日木曜日

最近の日本到着後の定番スケジュール

  


 私が日本への一時帰国の際、まず行く場所は美容院で、とにかく、とりあえず、日本行きのチケットを取ると、到着翌日の美容院を予約します。

 前回は、たまたま帰国翌日の日が美容院の定休日に重なってしまったために、その穴を埋めるために急遽なんとか、長期のフライトの疲労回復のために、初めてマッサージに行ったのですが、それに味を占めて、今回は、美容院と同日にマッサージを予約、この日で、かなり回復できるだろうと目論んでいたのでした。

 ところが、美容院が想像以上に時間がかかり、昼食の時間を逸し、思っていた場所での食事ができなくなり、それからが運の尽き。とりあえず、もうここでいいやというお店で食事をし、予定していた買い物も一軒だけに縮小して、次の場所に移動。

 その日は、一日中雨と風に見舞われ、気温も低く、移動のたびに傘をさしていても濡れ、マッサージの場所についたときには、身体も冷え切って、疲れ果てていました。

 途中の予定を飛ばしてしまったために、マッサージの予約時間にはまだ早かったのですが、とりあえず、もう外をうろうろしている元気はなく、とりあえず、予約時間に遅れないように、その場で少し待たせてもらうつもりで向かいました。

 すると、すぐに待たずにマッサージを開始してくれるというので、着替えて、いそいそとマッサージ台へ。

 ところが、身体が冷え切っているうえに、ガチガチになっていて、マッサージの痛いこと痛いこと!ほんの小さな刺激でさえもが拷問のような感じです。

 前回のマッサージの際には、身体中に血管がどう張り巡らされているのかを実感できるような感じで、身体がほぐれていく感じだったのに、今回は身体がガチガチに固まりすぎていて、もう痛いこと痛いこと!

 後半になって、ようやく身体がほぐれはじめて、少し身体が動く感じがしたものの、なんとなく、前回のようにはいかずに、消化不良な気分で、また雨風の中、帰宅したのでした。

 その日は一日中、雨で、もう疲れ果て、前日、時差ボケのために家に着いてからまったく眠れていなかったので、さすがにこの日は眠れました・・・がまた、翌朝は、早朝5時にパッチリ目覚めてしまい、また、料理をしたり、洗濯をしたり・・眠れずにイライラしながら寝返りを打っているのはもったいないと、動き始めました。

 しかし、身体は疲れがどっと出て、この日の予定は入れずに少し、ここでゆっくりとしてその後に備えようと、午前中の早い時間から、銀行に行ったり、近所で買い物をしたりして、「さあ!もう今日は家にいよう!」とあらためて、この家で過ごした日々の思い出に浸りながら、掃除をしてから、仲良しの叔母に到着のご挨拶がわりの電話。

 結局、その日はもう私はどこにも出かけたくないという私のわがままから、叔母が家に訪ねてきてくれて、一緒におしゃべりをしながら、しばし楽しい時間を過ごしました。

 本当に前日の雨風が恨めしいくらいの晴天でした。

 夕方には、従姉妹から連絡があり、仕事帰りに寄ってもいい?というので、「私は出かけたくないけど、それでもいいなら・・」と彼女の到着を横になりながら待っていました。

 みんな、日本食に飢えていると思ってくれているのか、みんなが食糧持参で来てくれるうえ、私自身も買い物に行くたびに食べたいものを買ってきているので、それらをワイワイとおしゃべりをしながら、一緒に頂きました。

 途中で娘も仕事からお土産持参で帰ってきて、それに参加。日本に来て、外食も楽しいですが、「疲れてる・・」という私のわがままで、家にまで来てくれることをありがたく思いながら、こういうのもいいな・・と自分の都合よく思うのでした。

 今回は、あまり荷物が持てなかったので、おみやげはいつもに比べるとあんまり買ってきていないのですが、とりあえずは、大きなチーズの固まりを買ってきているので、人が来てくれるたびにそれらを切り分けてお土産がわりに持って行ってもらうと、半分お世辞でしょうが、みんな、とっても喜んでくれて、あ〜フランスのチーズに助けられたな・・と変なことを思うのでした。

 まだまだ、これから先は、本来、今回の帰国の用事の本題の方が控えているので、無理をせず、楽しく過ごしたいと思います。

 みんな、私のわがままを許してくれて、ありがとね。


マッサージ


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2024年3月13日水曜日

機内で出会ったイタリア人女性の1ヶ月間の日本一人旅

  


 日本に来る飛行機は満席で、しかもケチって座席指定もしていなかったので、一体、どの席に割り振られているのかは、運次第とはいえ、そのフライトの良し悪しを大きく左右するものでもあるので、心配でもありました。

 私が飛行機に乗り込んだときには、私の隣の席には、もうすでに若いヨーロッパ系の女性が一人座っていて、とりあえず、こんにちわとあいさつをして、私は通路側であったことにホッとしていました。

 私は、以前に怪我をして、足に血栓ができたことがあって、それ以来、飛行機に乗った時には、定期的に機内を歩くようにとお医者さんに注意されているので、そのために本当は通路側が好ましいのです。

 通路側であることにホッとしたとともに、あいさつをした感じで、13時間近くという長いフライトの間の隣人となる人が、ちょっとふっくらした、穏やかそうな感じの良さそうな若い女性であることに一先ず、よかったな・・と思いました。

 出発時、機内のアナウンスからは、「オンタイムで出発します」ということだったのですが、結局、飛行機が離陸したのは、予定時刻を20分ほど過ぎた頃でした。まあ、20分程度の遅れならば、フランスの航空会社としたら、ほぼオンタイムに等しいことです。

 飛行機が離陸してすぐに隣の彼女は早々に寝てしまい、なんとなく、寝そびれてしまった私は、食事のサービスが終わったら、寝ようと、大人しく、映画を探してみたり、持っていた本をちらちらとのぞいていました。

 隣の女性は、眠っていたので、食事をパスしてしまうのかな?と思っていたら、食事のサービスが始まると、器用に目をさまして、黙々と食事を始めました。ただ、アジア系の顔をしていない彼女は、CAさんからみたら、フランス人だと思われたのか、サービスのたびに悉く、CAさんからフランス語で話しかけられ、おそらく大体の意味は理解していたものの、返答に困っていたので、ああ〜彼女はフランス人ではないんだ・・と私はその時に彼女がフランス人ではないことに気が付きましたが、そして、その時は、あえて、どこの国の人が尋ねることもしませんでした。

 日本行きの直行便なので、日本人かフランス人が圧倒的に多いわけで、日本人の顔をしていれば、CAさんは、たいていは英語で話しかけてくれるのですが、彼女に対しては、フランス人以外であるということに気をとめることもなく、あくまでもフランス語で話しかけるのには、その度に少々、決まりの悪い顔をしている彼女が気の毒な感じがしていました。

 彼女と話を始めたのは、到着4時間くらい前になった頃のことで、彼女の方から、「すみません、座席の下に髪をとめるクリップを落としてしまったのでさがしているのですが・・」というので、一緒に探し、わりとすぐに、それは見つかりました。

 その時も彼女は私に英語で話しかけてくれたので、どちらの方ですか?と聞いてみたら、彼女はイタリア人の若い女性でこれから、1ヶ月近くを日本中を一人で旅行して歩くつもりだという娘と対して年齢が変わらない女性でした。

 彼女曰く、日本に行くのは初めてのことだけど、自分は日本が大好きで、日本の食べ物、日本の文化、マンガなど、全てが大好きで(マンガだけではないのよ!とマンガオタクではないことを強調)、1年近く前から、着々と準備をして、毎日、カレンダーに印をつけながら、ものすごく楽しみにこの日を待っていたということで、もう全てが準備万端でワクワクしている!と目を輝かせて話してくれました。

 どこの国の人にしろ、それがどんな理由であろうとも、日本にそんなに好感を持ってくれる人に出会えることは嬉しいことです。この旅行のたびに彼女曰くお金を貯めるために、1日9時間以上働いてきた・・と話してくれて、一瞬、イタリア人が毎日9時間以上も働くんだ・・と内心驚いたのも事実です。

 彼女は入念に日本国内の行き先を選び、どこへ行って何をするか?宿泊先も全て予約済みとのことで、当然、ジャパンパスレールも準備し、日本の携帯のSIMカードまで、すでに持ってきているの!と得意げに見せてくれました。

 それから、色々な話しをして、しばらくすると、彼女が今度は、「大事なSIMカードをどこかに落としてしまった・・」と血相を変え始めました。もうこの時は、彼女の日本での大冒険旅行の話を聞いていた私は、もうそれは他人事ではないと、一緒になって、しばらくの間、SIMカードを探し続け、ポロッと落ちているカードを私が発見しました。

 彼女は、飛行機の中で、「これは、イタリアのSIMカードだから、これと交換して・・」と一応、ひと段落がつきました。すると、またしばらくすると、今度は「携帯がない!」と。

 多分に気分が高揚しているのはわかりますが、これから先の日本での一人旅、ますます心配になりました。

 私の娘もしょっちゅう失くし物をしているので、どこか娘と似ているところがあるなと思いつつ、娘が先日、お財布を失くして、そのことに4日間も本人は気づかないでいたにもかかわらず、4日後には、そのお財布が見つかった話を彼女に話しました。

 「しかし、これは、日本では不思議なことではないにせよ、日本とはいえ、必ずしも見つかるとはかぎらないんだから、本当に気をつけなさいね・・」とまるで、彼女のママになったような気分でした。

 「日本で、なにか、困ったことがあったら、いつでも連絡してね・・そして、もしパリに来ることがあったら、うちに泊まってくれていいよ・・」と彼女とはアドレスを交換しました。

 彼女は、その日は京都泊という結構、キツいスケジュールを組んでいて、羽田についたら、すぐに東京駅に向かって新幹線に乗る予定だと言っていて、パスポートチェックで外国人と日本人で別れたあとは、はぐれてしまって、結局、その後は、会えずじまいでした。

 しかし、考えてみれば、東京駅の新幹線の時間に間に合ったかどうかは、甚だ疑問、でも、あれだけ、日本を楽しみにやってきてくれる人と直に触れ合えたことは、はじめてのことで、長いフライトが少しだけ短く感じられた楽しい、イタリア人女性との時間でした。

 どうか、彼女が1ヶ月近い日本での一人旅を無事に楽しく過ごせますように・・。


外国人観光客


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2024年3月12日火曜日

久しぶりのエアフランス日本行き直行便

   


 今回、日本にある家のことで、どうしても日本に行かなければならない用事ができて、日本には、つい3ヶ月前に行ったばかりなのに・・また、長距離フライト嫌だな〜と思いつつも、仕方なくて、4月以降になると運賃が跳ね上がるだろうし、それより先はまたパック(イースター)のバカンス時期になるし、その後は、日本のゴールデンウィークと重なるし、それより先は、もうパリはオリンピック騒ぎで、また、ストライキなども起こりかねないし、いつも以上に空港は警戒体制に入るだろうから、何かとトラブルが多そうで、もう用事はできる限り、早く済ませておきたいと、なんとか3月中にと日本行きを決めたのです。

 ただでさえ、時間がかかるために、今回は、直行便のみに絞って航空券を探したのですが、パリから日本(東京)への直行便となれば、JALかANAか、エアフランスだけで、もうあまり選択肢がなかったのですが、それでもできるだけ安いチケットと思うと、これまで、さまざまなトラブル(主にはストライキですが・・)のために避けていたエアフランスのチケットを購入しました。

 ちょうど、同時期に日本に行くという友人から、チケットがいくらくらいだったのかを聞いていたため、それでも安かった・・というのが頭にあったため、それよりもさらに安くて、直行便で1,200ユーロを切る値段のものを見つけたので、「もうこれでいいや! ストライキが起こりませんように・・」と決めたのでした。

 ただ、日本に行く際に(私の場合は)絶対にチェックしておかなければならないのは、持てる荷物の制限で、安い!と思ったチケットには、預けられる荷物の料金が入っておらず、後になってから、別払いで、スーツケースの料金は追加しました。しかし、荷物の分を追加したとしても、まだまだ日本の航空会社よりは安かったので、まあ今回はそれでよしとしました。

 以前は、日本行きのエアフランスの便は1日2〜3便あったと思うのですが、今は若干、減っているようで、それなりに日本に行く人も以前よりは減っているのかと思いきや、CDG空港でチェックインの際に満席ですか?と聞くと、満席とのことで、比較的小さめの航空機ではあったものの、やはりキツキツでした。

 長らくお目にかからなかった日本の添乗員さん付きのツアー客らしき人々もいて、知り合いの添乗員さんいないかな?などと探しましたが、どうやら時代は変わっているようでした。日本からのお客さんも以前のようにブランド物の袋を持っている人などもほとんどみかけることはなくなり、服装などからみると、全体的に以前よりもおとなしめの印象を受けました。

 現在、パリから日本への直行便はフライト時間12時間50分とのことで、一時の迂回便よりはマシになっているものの、やはり長いフライトでした。

 機内はかなりシンプルで、以前はあったエチケット袋や機内紙や機内食のメニューなども一切なくなり、シンプルなのは、けっこうですが、さすがに外国?(フランス)のCAさんがほとんどなので、なかなかつっけんどんな感じだったり、妙にお客さんに媚びる感じがないのはよいのですが、よく言えば、フランスらしい感じではありました。

 飛行機が少し揺れ出した時に、急にお腹が痛くなり出して、私としては緊急事態であわててトイレに駆け込もうとしたら、フランス人のCAさんに「ベルト着用サインが出てるでしょ!」と怒られたけど、「私も緊急事態です!」とトイレに駆け込んでしまいました。本当にもう油断ならない状況だったので・・。とりあえず、飛行機も私も無事でした・・。

 たまたまだったのでしょうが、比較的、年長のCAさんが多く、フランスではあまりドギツいメイクをしている人は滅多にお目にかからないのですが、このCAさんたち、日本到着数時間前に現れたときには、かなりしっかりメイクしておられたのには、ちょっとビックリしました。そういう社風になったのでしょうか?

 まあ、時期も時期で中途半端ということもあるのでしょうが、一時は日本行きの直行便には、ほとんどフランス人のお客さんしか乗っていなかった時期もあったので、それを考えたら、フランスから日本への観光客は、以前のようには戻っていないのかもしれません。

 しかし、数日前に日本にいる友人が京都に行ったら、外国人ばかりで、まるで海外旅行をしているみたいだった・・と言っていたので、日本にも外国人観光客はいるところには、山ほどいるようです。

 なんどか痛い目にあったために避けていたエアフランスですが、まあ、到着先は同じ場所、できるだけ安いチケットをと思ったのですが、とりあえずは無事に到着いたしました。

 それにしても、以前は2月、3月頃ならば、700〜800ユーロというのもあったのに(一体、いつの話をしているんだ!と言われそうですが・・)、1,100ユーロ台でも安い!と飛びつくようになってしまったのですから、それにしても物価が上がったんだ・・とゲンナリしますが、仕方ありません。

 パリを夜、出発して、日本に着くのは日本時間で翌日の夜です。時差があるとはいえ、やっぱり長旅・・。早くロシア上空を飛べる以前のような以前の通常運行状況に1日も早く戻ってもらいたいと思います。


エアフランス パリ発東京行き


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2024年3月10日日曜日

「実家に帰らせていただきます」とは言えなかった海外生活

  


 昔の日本のドラマを見ていたら、「実家に帰らせていただきます・・」みたいなシーンが出てきて、そういえば、私には、そういう選択肢はなかったな・・考えたこともなかった・・と思いました。

 なにしろ、実家に帰るといっても、そうそう簡単には帰ることはできないのです。帰るとなったら、仕事も何もかも捨てて・・ということになってしまうのですから、そうそう簡単に口にできる話でもなく、自ずと私の意識からは、排除されていたのだと思います。

 そもそも、昔のドラマなので、今の時代、日本でもそういうセリフを叩きつけて実家に帰ってしまうというようなことがあるのかどうかもよくわかりませんが、そんなことが簡単にできなかった環境に結局は救われたのかも?という気持ちと、夫婦喧嘩をして、気安く実家に帰れる環境が羨ましいような、そんな両方の気持ちがありました。

 夫とは、そんなに派手で壊滅的な喧嘩をした記憶はありませんが、それでも波風が全くたたなかったわけでもなく、言い合いをしたり、喧嘩をしたこともありました。たいていは、ヒートアップしてくると、もう彼の方は、普段はわかりやすく、ゆっくりめに話してくれるフランス語も早口になり、語調も強くなり、私の方は、もう語彙の少ないフランス語や英語では、足りなくなり、ついには怒りを日本語で爆発させることになるので、途中からは相手の話を聞くということよりも、自分の言いたいことを言うということになるので、お互いにとことん芯から傷つけたり、傷つくこともなく、時間がたてば、忘れてしまうことが多かったような気がします。

 どちらにしても、そもそも、今となっては、喧嘩の原因が何だったのかすら、思い出せないくらいの些細な事が原因なので、それで済んでしまってきたところもあるのですが、数回は、少し時間をおいてから、とことん話し合ったこともありました。

 私の両親などのケースを思い返してみれば、父も母もそれぞれの実家との繋がりがとても強く、そもそも父は、兄弟で隣同士というか、同じ敷地内にそれぞれが家を建てて住んでいたし、母の実家も車で10分ほどのところにあり、祖母(母にとっての母)は、毎晩のように電話をしてきていたし、母は父と喧嘩をして、実家に帰るというようなことはなかったものの、頻繁に実家に出入りしていたので、二人とも、すごく実家と近い距離を保っていたと思います。

 今から思い返せば、特に母に関しては、とてもしっかりしている人であったけど、その根底には、実家との繋がりが頑強であったことがあったのかもしれない・・と今になって思うのです。

 その結果というのか、私の両親はすでに他界していますが、私の日本の親戚のネットワークは、未だかなり強力なもので、その親戚づきあいの緊密さが、たまに帰る日本では、一気に集中し、周囲の友人などからは「今どき、珍しいね・・」と驚かされるのです。

 とはいえ、私が私自身の実家との繋がりが頑強であったかどうかというのは、また別の話で、そもそもたとえ、私が日本に住んでいたとしても、頻繁に帰りたいと思う実家ではありませんでした。

 おそらく、そんなところが私自身が精神的に今一つ強くないところなのかもしれない、繋がりのたしかな家庭というものが人にとってすごく大切なことなのかもしれないな・・と最近になって思うのです。

 ところで、私と夫のフランス語×日本語の喧嘩については、そばで目にしていたどちらの言語も理解している、まだ幼かった娘のみが冷静に話を聞いていて、パパとママ、全然違う話をしてるんだよね・・とつぶやいていたのには、私としては大いに気恥ずかしさを覚え、娘のバイリンガルの悲哀を感じたものの、そんなことが娘の歳のわりには、妙に冷静な性格を培っていたかもしれません。

 


実家に帰らせていただきます


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2024年3月6日水曜日

日本大使館に行くたびのモヤモヤ・・

  


 日本に住んでいれば、あまり縁がない日本大使館ですが、海外生活を続ける人にとっては、度々と言わないまでも、お世話にならずにはいられない、海外にありながら、日本である不思議な空間です。

 イギリスにいた頃の日本大使館は、期間もそんなに長くもなく、留学だったので、正直、日本大使館に行ったことがあったかどうかも記憶にないくらいなのですが(大昔の話だし・・)、コートジボアールにいた頃の日本大使館の記憶は最悪で、娘が生まれた時の出生届の提出の際の手続きがスムーズに行かず、後々、娘が国籍を失うようなことになっては大変と、こちらもかなり神経質になっていたし、なんといっても、ものすごく閉鎖的な感じで、ビルの一画にある薄暗いスペースで、窓口は、曇りガラスになっていて、対応して下さる相手の顔も見えないような感じだったのを覚えています。(20年以上も前のことなので、現在の状況はわかりませんが・・)

 なにしろ、コートジボアールの日本大使館としても、出生届の受付など、おそらく、滅多にある話でもないために、慣れていないのは、わかりますが、おっしゃることが二転三転するのには、こちらとしては、余計に不安になるところでもあり、加えて出生届は、出生後○○日までという提出期限もあるうえに、夫が外国人であったことから、ご本人(私)が直接来てくださいと言われて、産後まもないのに、参上しているにもかかわらず、不明瞭な点があるたびに、「日本の外務省に問い合わせますので・・」と何回も行くハメになりました。

 最終的に、「では、これで・・」という段になって、「本当にこれで大丈夫なんでしょうね!」と、念をおして、当時の在コートジボワール日本大使館の書記官?の方に一筆入れていただきました。先方からしたら、「おっかない、めんどくさい奴だ!」と思われたことと思いますが、しかし、こう二転三転した挙句のこと、まさかの時のためにと私も必死だったのです。

 それからまもなく、私たちは、フランスに転居することになり、転居早々に、パリにある日本大使館に在留届を提出しに行った時には、明るくて、大使館の方も感じよくて、さすがにアフリカとは全然違う!と感動したのを覚えています。

 あれから、もうフランスでの生活も長くなって、パスポートの更新手続き(私の分と娘の分)や、娘の日本の教科書の引き取り、在外選挙登録と選挙の投票、日本での相続手続きなどに必要な書類の申請や発行などのたびに日本大使館にはお世話になってきました。

 今回、また、日本の家の手続きのことで、また急遽、日本に行かなければならなくなったのですが、そのために必要な書類を申請に行ったのですが、とにかく急に決まったことなので、書類も急いでいました。

 うちの場合は、弟も海外(シンガポール)におり、弟も大使館に取りに行ってくるから・・と話を進めたのですが、彼の報告によれば、シンガポールにある日本大使館はその場で20分ほどで発行してくれたとのこと。パリの場合は、同じ書類を木曜日に頼むと、出来上がるのは、翌週の火曜日とのこと。どうして、同じ日本大使館なのに、パリはこうなの?と少々、憤懣とする思いでした。

 そして、日本の公的機関は、やたらと印鑑を求められるため、以前、印鑑をフランスに持ってきていなかったために、不都合があったため、それ以来は、印鑑を持ってきてあったので、印鑑持参で行ったところ、今度は、捺印のスペースに、「待ってました!持ってますよ!持ってますよ!印鑑!」とばかりに印鑑を押そうとしたら、「拇印でお願いします」と。「えっ?印鑑持ってますけど・・」というと、「いえ、印鑑でも大丈夫かもしれませんが、一応、拇印でお願いします」と。得意気に出した印鑑は引っ込めることに・・。

 こちらとしては、何とか間に合うようにギリギリのタイミングなので、出したはいいけど、やっぱりダメだった・・などというわけにも行かず、「帰国の日が迫っているので、書類に不備がないか確認してください」とお願いすると、「ちょっとお待ちください」と言って、書類を持って、奥に入っていかれました。

 これで、ちゃんと確認できれば、安心・・と思っていたのですが、結局、戻ってこられた方がおっしゃるのは、「なにか不備があれば、SNSでご連絡しますので・・」と。「今、ここに来ているのに、なぜ?SNSでご連絡?」、言葉遣いはとても丁寧なのですが、おっしゃられることは、ものすごく高飛車。

 しかし、ここで押し問答しても仕方ないし、ごくごく単純な書類なので、大丈夫だろうと思いつつ、こちらとしては、シンガポールの日本大使館ではその場で20分でできてしまうものなのに・・という頭もあり、モヤモヤするのでした。

 相変わらず、支払いは現金オンリーで、カードは受け付けてくれません。

 そして、ついでに言わせてもらえれば、大使館の領事部というものは、どうして昼休みを閉めてしまうのか?ということです。だいたい土日祝日はお休みで閉館も17時、昼休みの13時から14時半までは、クローズです。

 普通に働いている人にとったら、もう大使館に行くということは、お休みをとるとかしなければならない話であり、しかも1日では済まずに申請して、その数日後には、引き取りに行かなければならないのです。申請だけは、オンラインが可能になっているものもありますが、今どき、昼休みに閉めてしまう機関など、そんなにあるものではありません。

 カード払いにしたって、今どき、カードが使えないところも珍しいことです。少しでも利用者側の立場にたって・・という姿勢が全くないところは、大使館に行くたびにモヤモヤするところでもあります。

 つまりは、利用する人が少しでも利用しやすいようにということは、一切おかまいなしなところがモヤモヤするのです。

 私の場合、そんなに遠くもないので、まだマシといえばマシですが、これが遠くから来られている方々だったら、もっと大変なんだろうな・・と思うのです。


日本大使館


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2024年3月3日日曜日

なんだかんだ言っても、日本はやっぱり治安がいいんだな・・と思った話

  


 フランスで育った娘が日本で生活を始めてから、そろそろ2年が経とうとしています。生まれた時から、日本語を一生懸命教えてきた私としては、彼女の日本での生活が、たとえ、彼女の長い人生の中では、ほんの一時期であったとしても、ちゃんと仕事もしながら、それなりに日本でも生活できていることは、苦労のかいがあったし、彼女の可能性を広げているので、とても喜ばしいこととして、受け止めています。

 この短い間に彼女は日本で転職まで経験し、現在は、日本にあるフランスの企業で働いています。彼女は、本当に忙しく働き、忙しく旅行したりして生活を楽しみながらも、私の親戚(彼女にとっても親戚)ともうまく付き合っているようで、これまで日本で生活しなければ知り得なかった日本ならではの習慣などを学びながら、生活しているようです。

 本人ともたまには、電話で話したりもしますが、それ以外の親戚などと話したりすると、親の私に向けては、悪口を言い辛いこともあるのでしょうが、親のひいき目にみれば、概ね、「おたくの娘、本当にしっかりしている!」と言われることが多いです。

 しかし、彼女は、本当にしっかりしているし、そうも見える反面、とても抜けているところもあって、忘れ物、失くしものがボケかけている私以上に多いのは、正直なところなのです。

 昨日も電話で話していたら、友人とお花見ハイキングへ行く約束をしていて、1日、日付を間違えていたのを出かけて、ある駅に着いた頃に気が付いた・・と。そして、その際に、一緒にでかける約束をしていた友人に旅先でお金を借りた借金を返さなければと、出かける前に家でお財布を探したところが、見つからない・・約束の時間が迫っていたために(本当は1日後なのに・・)、お財布からではなく、他に非常用にしまっておいたお金を持って出かけたのです。

 お財布を探していたりしていたために、電車に乗り遅れ、約束をしていた友人に「少し遅れるかも・・」とメッセージを送ったのですが、返事なし・・そりゃそうです。約束は翌日なのですから、その友人だって、少し遅れるかも・・などとメッセージを受け取っても、翌日の約束の時間に前日から少し遅れるとか言われても、返事のしようもありません。

 彼女は、途中で約束は翌日だったことに気が付いて、結局、別の場所に一人ででかけて、買い物をして(携帯で)、家に戻って、再び、お財布を探したのだそうです。

 しかし、やはり家の中には、お財布は見つからず、「はて?最後にお財布を使ったのは、いつだったか?」と記憶を辿ると、なんと4日前に近所で買い物をした時であったような気がする・・と。

 もはや絶望的な気分で、お財布の中に入っていたクレジットカードや運転免許証、マイナンバーカードを全て作り直すことを考え始めていたようです。

 その時点では、彼女も失くしたお財布がよもや出てくるとは全く思っていなかったようで、念のために最後に買い物をした場所に行って、お店の人に聞いてみると、ちゃんとお店の人が保管していてくれて、全く中身も無事だった・・とのこと。

 そもそも、普段はお財布を使わないために、彼女がお財布を失くしたことにも4日間も気付かずにいたことさえも、あっけにとられますが、それが4日経っても見つかるということが、フランスで育ってきた彼女にとっては信じられないことであり、ハタで聞いている私にとっても、「なんだかんだいっても、日本はやっぱり治安がいいんだな・・」とびっくりさせられたのでした。

 あらためて、言うまでもありませんが、フランスではあり得ない話です。


日本の治安


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2024年3月1日金曜日

フランス2030 フランスとカタールの戦略的投資パートナーシップ100億ユーロ

  


 マクロン大統領は、今週、フランスを訪問中のカタール国首長を国賓としてエリゼ宮に招き、「フランス2030」戦略と2030年に向けたカタール国家ビジョンの一環として、フランスとカタールは戦略的投資パートナーシップを締結し、フランスの若い革新的企業と投資ファンドに100億ユーロを投資するカタールとの協定にサインしたことを発表しました。

 両国の相互利益のために、特にエネルギー転換、半導体、航空宇宙、人工知能、デジタル、健康、ホスピタリティ、文化・芸術などの主要分野への投資を増やす意図で、フランス経済と密接に関係している分野にも投資されます。

 両国首脳は、ガザ地区における大規模な人道援助の提供と民間人の保護をはじめ、レバノンに影響を及ぼす政治的・経済的問題の解決、国際法と国連憲章に違反するロシアのウクライナ侵略戦争に対する強い非難を表明しています。

 カタール首長の15年ぶりのフランス訪問、両国首脳会談は、何よりも二国間関係の強化に焦点を当てたものであり、「これはフランスに対する栄誉であり、両国を結ぶ絆の深さを示すものである」とマクロン大統領は、強調しています。

 「両国間の強い絆」という言葉は、マクロン大統領が外交の際にやたらと口に出す(まあ外交なのであたりまえといえばあたりまえなのに、なんか、どうもしっくりこない感じも多い)少々ひっかかるところではありますが、すでにフランスはカタールに対するヨーロッパの主要投資国であり、エネルギー、航空、インフラ、観光に90億ドルを投資しており、 また、カタールからの主要な投資対象国 5 か国の 1 つでもあります。

 また、フランスとカタールは安全保障と防衛における協力、特に両国空軍間の協力の重要性を再確認しており、両国が共通の脅威に対抗するために不可欠なラファール戦闘機を保有しているという事実も確認しています。 また両首脳は、特に歩兵戦闘と両軍の相互運用性の分野において、カタールの軍事能力を強化し近代化するために協力したいという共通の願望を表明しています。

 この政治的な話し合いの後には、フランスサッカーチームPSGのスターストライカーであるキリアン・ムバッペと、パリのクラブ会長である実業家のナセル・アル・ケライフィなど関係者?を招待した晩餐会が行われました。

 ウクライナ支援に関する国際会議でマクロン大統領が欧米諸国の地上部隊をウクライナに派遣する可能性も排除しないという過激な考えを述べたことで、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、ポーランド、チェコなどの欧州諸国からの大バッシングを受けて、国内でも大論争が起こり、さすがのマクロン大統領もへこんだかと思ったら、全く、そんな様子はなかったのは、これだったのか・・このカタールとの強力なタッグがその背景にはあったのか・・と、思わされたのでした。

 それにしても、先週末には、国際農業見本市で農民たちの大反発を受け、一人で農民たちとの話し合いに臨み、早朝から夜までの一日を見本市会場で過ごし、週明けには、原子力政策審議会、ウクライナ支援の国際会議から、このカタールとの首脳会談と、どこまでも強気でエネルギッシュなマクロン大統領。

 今日は、パリオリンピックのためにセーヌ川を視察し、記者に囲まれた際には、セーヌ川の安全性を保障することを豪語し、、「オリンピックの前には、セーヌ川に泳ぎに行く」と約束。

 テンション上がりっぱなしのマクロン大統領、エネルギッシュで元気だな・・と思うと同時に、ここのところ、ちょっと行き過ぎの発言も多い気がして、少々、心配でもあります。

 おかげさまでフランス、ロシアに超、睨まれてるんですけどね・・オリンピック前だというのに・・。


フランスとカタールのパートナーシップ


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2024年2月28日水曜日

パリのメトロは乗客に病人が出ても停車しない?

  


 イルドフランス交通の規制当局であるIDF(イルドフランス)モビリテスの社長ヴァレリー・ペクレス氏は、「今後は、地下鉄の交通を妨げないよう、今後、車内で病人が出た場合に地下鉄を停車しない」と発表し、またRATP労働組合の反発を呼んでいます。

 一瞬、ギョッとする話ではありますが、停車しないというのは、長時間停車しないという意味で、病人を最寄りの駅でおろして、駅で対応するということです。

 これまでは、例えば、車内で気を失ったりする人が出た場合のために、病人を動かすこと自体がリスクになることがあり得るために、基本、病人には、触れずに救急隊の支持を待つ間、電車を停めて、待機するという方法がとられていたそうです。

 これは、オリンピック期間中に予想される大規模な利用者増加により数多く起こると想定され、パリの公共交通機関の危機、特に地下鉄交通の異常事態に対応するためのプロトコールとして発表されています。

 これに対して、RATP労働組合は、「これは、体調が悪くなった乗客の健康に対するリスクが増大し、倫理的に問題がある」とこの決定を非難しています。「そもそも、駅の職員は、救命処置の訓練を受けていないのだ!」と。

 これがオリンピック期間限定の対応なのか?それとも、今後も継続されるものなのかは、不明ですが、病人をとりあえず、車内から降ろすことがそんなに大騒ぎになることなのか?と思わないでもありません。しかし、通常、パリのメトロのホームには、基本、駅の職員はいません。

 さすがに、ホームにはいなくても駅には職員がいるので、緊急事態が起これば、おりてきてくれるでしょうが、大きな駅ならばともかく、ふつうの駅ならば、あまり大勢の駅員はおらず、大勢のRATPの職員を見かけるのは、キセル乗車のチェックの時くらいです。

 しかし、私は、25年以上、パリのメトロを利用させていただいてきましたが、メトロ内での病人に遭遇したことはありません。むしろ、電車が停まってしまうのは、不審物発見の場合やプロブレム・テクニックなどの事情がよくわからない停車(これは決して少なくない)がほとんどです。

 ただし、オリンピック時の100万人は超えると言われている観光客を想定した場合は、病人だけでなく、怪我人、事故なども充分に考えられる事態にどう対応するか?ということへの一つの指針なのだと思いますが、通常でさえも、やたらと停車することが多いパリのメトロにそれだけの耐性があるかどうかは、甚だ疑問に思うところで、これは、メトロだけでなく、至る場面で想定できるキャパオーバーの問題です。

 さすがに、不審物発見の際には、電車は停車させると言っていますが、不審物を見極めるための約20頭の犬隊やAIを利用し、10分~15分以内に不審物の撤去に役立てるとしていますが、そもそも、パリ市内の道路でさえも、かなりの混乱が予想されるなか、この犬たちは、どうやって不審物のある駅にやってくるのでしょうか? 

 パリは小さな街なのです。全ての競技をパリで行うわけではなくとも、オリンピックの中心になるとなれば、それはそれは大変な混乱に陥ることは確実です。

 そして、以前よりはマシにはなりましたが、一般的には、フランス人はキビキビと働くことに慣れていない人々です。混乱には、すぐにパニックを起こしがちでもあります。

 でも、彼らは心優しく、転んだりすると、ちょっと恥ずかしくなるくらい、どこで見ていたのか?とビックリするほど、「大丈夫?」と駆け寄ってきてくれる人が表れたりする面もあります。

 おそらく、この期間、パリ市内は、日常のパリ市民よりも観光客が大半を占める状態になると思います。具体的な一つ一つのことは、今の段階では想像がつきにくいのですが、その一つ一つ、例えばメトロ、例えばバスなどを考えるとどう考えても異常事態に陥ることは必須です。

 パリ市内を走っているバスなどもオリンピックを見据えてのことなのか、新車に切り替わっている車体が増えているのですが、これがまた、以前よりも狭くなっているものも多く、どういう対応を考えてのことなのか?首を傾げるところでもあります。

 これから、オリンピックが終わるまで、ずっとこういう変化が続き、またその変化を素直に受け入れる国民ではないため、そのたびにストライキやデモが起こるかと思うとそれだけでもウンザリするところでもあります。


パリのメトロの病人


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2024年2月15日木曜日

運転免許証がスマホに取り込めるようになった・・

  


 もう、どんどん時代は進化して、スマホなしには生活できないようになってきていますが、逆に「スマホ一つさえあれば、なんでもできるようになってきた・・」という方が前向きな捉え方かもしれません。

 今や、スマホで支払いもできるようになったため、現金を持つ必要がなくなり、Navigo(メトロやバスのチケット(定期券)も身分証明書もスマホに読み込めるようになり、ついに運転免許証もスマホに読み込むことが可能になりました。

 今まで、お財布の中に入れていた様々なカードはお財布ごと必用なくなりつつあり、スマホさえ持てば、済むようになりつつあります。

 私は個人的には、どちらかといえば、アナログ人間で、このスマホの操作は億劫で苦手で、いつも娘にバカにされながら、教わりながら、少しずつ取り入れざるを得なくなってきています。

 フランスでの、この証明書類のデジタル化が想像以上に進んでいることを一番、目に見えて感じたのは、コロナウィルスがまだまだ蔓延しつつ、ロックダウンが解除されていく過程で、ワクチンパスポートがないと、出かけられなかったり、レストランに入れなかったりするようになった頃のことで、かなり高齢の人々でさえもスマホにワクチンパスポートを読み込んで提示していた時に、こんなおじいちゃんたちもスマホをちゃんと使えるんだな・・と驚いたのです。

 このようなシステムは、使用方法が簡単であり、且つセキュリティーがしっかりしていることが最低必須条件ではありますが、今回の運転免許証は、これまでに、すでに存在していたfrance-identite.gouv.fr/の中に、運転免許証を追加できるようになったという感じです。

 この証明書関係を読み込むためのアプリをインストールして、そこから簡単に読み込むことができます。フランスの古い運転免許証は、ピンクの紙でできた、それこそ、なんで?こんな大きいの?というようなものでしたが、最近発行されている運転免許証は、ICチップ入りの銀行カードサイズのものに移行しています。

 現段階で最も簡単にスマホに読み込めるのは、このICチップ付の運転免許証ですが、近々、この古いピンクの免許証も電子ID(身分証明書)を取得済であれば、読み込み可能になります。

 この運転免許証のデジタル化、スマホ読み込みが急がれたのは、検問の際の免許不携帯があまりに多いこと、そして、罰金の未回収があまりに多いために、その場で罰金支払い請求が行われるようになって、その場で罰金切符を発行し、その後の追跡がしやすくなることも大きな目的の一つであると思われます。

 しかし、逆に悪い方向で考えれば、スマホを失くしたり、盗られたりしたときには、大変なことになるわけで、この治安の悪いパリでは、スマホを盗られたりすることも珍しくはないわけで、やっぱり、二の足を踏んでしまうところはあります。

 ペーパーレスの次は、カードレス・・時代はどんどん進化していき、アナログ人間はついていくのが大変です。


デジタル運転免許証フランス


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2024年2月14日水曜日

日本の治安が悪化している・・とフランスでは報道しているけど・・

  


 「日本で驚くべき犯罪件数の増加!」というフランスの記事をみつけて、正直、半分は「おまえが言うな・・」という気持ちもあったのですが、反面では、ちょっとショックでもありました。

 なぜなら、これまで日本はとにかく「治安がよい」ことで有名な国であって、このような犯罪件数の増加を海外から取り上げられるなど、およそ、「らしくない」ことであったからです。

 「2023 年に日本で発生した犯罪および犯罪は 70 万件を超え、前年比 17% 増加」、これを精査すると状況の悪化がさらに明確に現れ、窃盗20%増、殺人と性的暴行は30%増、誘拐と人身売買40%増となっています。

 「この事実には、日本国民自身も、日本が安全な国であると考えている人の割合が10~20年前には80~90%であったものが、64%にまで減少していることからもわかります」とあります。

 また、「今年に入ってから1,500回以上の地震で壊滅的な被害を受けた能登半島で被害を受けた家屋への略奪が相次いだことにも垣間見える」としています。

 そして、この記事では、この日本の治安の悪化の原因の一つには、困難な経済状況にあると説明しています。「物価の高騰にもかかわらず賃金が上がっていない」、この物価と賃金の差による貧困化が、強盗や万引きの増加につながっており、この困難な経済状況は、カップルや家族内の関係にも緊張をもたらします。 これは家庭内暴力や児童虐待の増加によって証明されているとしています。

 多くの不安定な労働者が職を失っていますが、日本では非正規の雇用契約では、解雇後に失業手当を受け取る権利がありません。 警察によると、職を失った不安定な労働者のうち一定数が、「闇バイト」に走っているとも言っています。

 専門家によると、長年にわたる社会的距離の維持が精神的健康に悪影響を及ぼしており、死を決意するほど落ち込んでいるのに自殺できない日本人は数え切れないほどいます。 そして、一部の人は「無差別」または「無差別」殺人を行うことを選択します。 

 「つまり、彼らは知らない人を攻撃します。建物に放火したり、路上や電車内で人を刺したり、手製の爆弾を作って犯罪を犯したりします。その結果、それらの犯罪者は確実に死にます。日本では大量殺人の加害者は死刑を宣告されるのです。」と記事を括っています。

 私自身は、もう長い間、日本には住んでおらず、せいぜい年に1~2回くらいしか日本に行っていないので、日本の治安の悪さを実感することはありませんが、(むしろ、フランスの治安と比べてみてしまうので、なんて平和なんだとさえ思う・・)この記事の「なぜ?」という原因の部分を見ると、なるほどね・・と思うくらいです。

 たしかに、数年前までは日本での犯罪件数は減少し続けていたということを考えれば、増加に転じただけでも、大きな転換期でもあり得るのかもしれません。

 しかし、フランスでは、おそらく桁違いの犯罪が発生していて、犯罪もよりダイナミックで暴力的、また、簡単な犯罪はカウントさえ、されていないことは間違いありません。

 日本で「高齢の男性がおにぎり1個の窃盗で逮捕された」などという話を目にしたことがありますが、まあ窃盗といえば、窃盗で、犯罪ではあるのでしょうが、おそらく、これはフランスだったら、その場でお金を払うことを促されて、帰されるくらいで、よほどの常習者でもない限り、記録にも残っていないと思います。

 実際に、スーパーマーケットで万引きをして捕まっていたお客さんが、そのままレジに戻されて、お金を払うように促され、そのまま帰されているのを目撃したことがあります。

 スリやひったくりに至っては、あまりに危険な機会が多すぎて、被害に遭っても、注意が足りなかった・・と思わず被害者側が反省してしまいそうになるくらいです。

 破壊行為、暴動のたびに起こる放火なども、これもあまりに多すぎて、これらの犯罪を全て警察が追跡しきれているとも思えません。

 なので、フランスが日本の治安悪化を語るのは、お門違いというか、おまえが言うな!といった感じもするのですが、なんとなく、日本とフランスでは犯罪傾向が少々、異なるような気もしていて、日本の犯罪にはどこか陰湿さを感じるところもあります。

 そもそも、今、日本で大問題になっている政治家の不正な金銭問題。日本のトップのこの金銭問題の方が日本では、治安の悪化・・よりも重大問題、横領、脱税、政治資金規正法違反も立派な犯罪。

 なんなら、いっそのことフランスでもこっちの問題の方を取り上げてくれないかな?と思ってしまいます。


日本の治安悪化


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2024年1月27日土曜日

長年の夢だったことをちょっとだけやってみた・・

 

 私が初めて、海外生活を送ったのは、イギリスのロンドンで、それも、もうかなり昔の話になりますが、最初の頃は、様々な文化の違いにいちいち、「は~~っ!は~~っ?」と驚くことがたくさんありました。

 ロンドンの後は、しばらく、日本に帰国して、日本で働いていたのですが、その後、パートナーの都合から、なんとアフリカ(コートジボアール)で生活することになり、まあ、アフリカは、想像どおりにロンドン以上に驚くことばかり、まるで別世界で、以前の日本の人気番組であった「なるほどザ・ワールド」をライブで見ているみたいだ・・と思いました。

 その後、夫の転勤のために、パリでの生活が始まったわけですが、その時は、もう子供もいて、初めての子育て、しかも、海外で・・ということで、国の文化がどうこう以前に、もう必死な毎日でした。

 イギリスとフランスを一緒にすることはできませんが、それでもアフリカや日本と比べれば、似ているところも多いのです。

 最初にロンドンで「ほ~っ!」と思ったことの一つは、人々が公園に寝転がったり、散歩したり、本を読んだり、ピクニックをしたりと、気楽にとてもくつろいでいて、彼らにとって公園がとても楽しそうな場所であることでした。

 東京で、忙しく暮らしていた私にとっては、公園というものは、ほとんど無縁の場所で、公園で楽しそうに過ごしている彼らが、理解できないような、でも、反面は羨ましいような、不思議な気持ちでした。

 ロンドン市内には、ハイドパークとかリージェンツパークとかグリーンパークとか、けっこう大きな公園がありますが、そんな公園を人々はけっこう憩いの場にしていて、冬でも芝生が緑だったり、ちょっとした噴水や池などにも、いい大人が水遊びしていたり、時には行水までしていて、ちょっとしたカルチャーショックでもありました。

 パリに来てからは、たまにヴァンセンヌの森に行ってボートに乗ったり、チュイルリー公園などを散歩したりもしましたが、それは、子連れということもあって、とにかく娘の有り余るエネルギーを発散させるためで、私にとっては、思い起こせば楽しい思い出ではありますが、とてもリラックスして・・いう感じではありませんでした。

 一度、チュイルリー公園に行った時に、勢いよく走りだした娘について行けずに、遠くから、「気をつけてよ~~!」と叫びながら、娘の姿を追いかけていたら、高い石垣の上から娘が落っこちて、ギャ~~~ッ!もうダメだ!と思って、全速力で駆け寄って下を覗いたら、危機一髪、娘はその下に生えていた木にひっかかってぶら下がっており、その下に居合わせた男性が助けてくれて、「ほんとにラッキーでしたね・・」と言われ、肝を冷やしたことがありました。

 そんなわけで、公園といえども、私にとっては、たとえパリであっても、全くリラックスできる場所ではなく、また、娘が学校に行きはじめてからは、仕事と休みの日には、日常の買い物やお稽古事の送り迎えに追われ、公園どころではなく、バカンス期間は、どこか別の場所に旅行に出てしまうという公園とは無縁の生活を送っていました。

 最近になって、娘も独立し、たまに散歩がてらに大きな公園を歩いてみたりもするのですが、公園の様子は相変わらずで、休日はもちろんのこと、平日でさえも、そこそこ大勢の人が楽しそうにゆったりと時間を過ごしていて、私もたまには、天気のいい日に本でも持って、オープンエアの空間でゆっくりしてみよう・・とずっと思っていました。

 今回は、わざわざ読書するために行ったわけではなかったのですが、たまたま近くに行くついでがあって、リュクサンブール公園の近くを通ったので、ふと思いついて、ちょっと歩いて、ベンチに座って持ってる本でも読んでゆっくりしよう!と公園に入っていったのです。

 天気はよかったものの、やっぱり冬真っ盛りで、春や夏には緑に覆われている木々の葉っぱもなくなっていて、少々寂しい気もするのですが、その枝の張り方やその隙間から見えるパリの建築がまた、この季節ならではな感じでそれはそれで美しく、ゆっくり空いているベンチを探しました。

 備え付けのベンチと移動可能な椅子2種類があり(一つは座る用、もう一つは、背もたれがちょっと斜めになっていて、ちょっとうたた寝ができそうなもの)、そのうちの一つを見つけて座って、本を開きました。

 平日とはいえ、椅子はほぼ満席です。おしゃべりをしている人も多いのですが、昼寝をしている人もいれば、本を読んでいる人も絵を描いている人もひたすらボーっとしている人もいます。

 私はとても本が好きで、若い頃は常に本を1~2冊持っていないと不安なくらいでした。フランスに来たばかりの頃は、住まいがパリ郊外で通勤にも時間がかかっていたのですが、電車の中ではもっぱら本を読んでいましたが、パリに引っ越してきてからは、通勤時間が短くなったものの、逆に電車に乗っている時間が減ったために、読書量ももっぱら減ってしまいました。

 家に早く帰れるようになったので、その分、時間ができたわけですが、家に帰ったら帰ったで、じっくりと落ち着いて本を読む時間がとりにくくなるのも皮肉なものです。

 そんなことを思いながら、お天気の日に公園で暑くもなく、寒くもない時期に、ほどよい雑音の中に身をおいて、本を読むのは、想像以上に気分のよいものです。

 久しぶりにリラックスして本を読んでいると、やっぱり心が落ち着いてくるような・・そういえば、長い間、本は私にとって精神安定剤のような役割を果たしてきたんだったな・・と思いだした気分にもなりました。

 聞こえてくる言語を聞いていると、けっこう外国人も多いみたいで、なるほど観光客も来るところなんだな~と思いながら、しばし、午後の優雅な時間を過ごしました。

 あっという間に時間が経って、気が付けばうすら寒くなってきて、早々に引き上げることにしましたが、こんな感じの時間の過ごし方もなかなか良いな・・と思いながら、バスで帰ってきました。

 帰りのバスが事故のために渋滞し、途中でバスをおろされるというハプニングはありましたが、よい週末の午後でした。


リュクサンブール公園 


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2024年1月26日金曜日

今さらだけど、とっても大切な挨拶とありがとう ボンジュールとメルシー

  


 私が子供の頃は、誰かの家を訪れたりすると、母親に必ず、「ちゃんとご挨拶した?」と念を押されるのがとっても嫌でした。私は、子供の頃はとても内気で、人見知りで、あまり、知らない人に会ったり、人に溶け込むことが苦手でした。

 それでも、誰かのお宅にお邪魔したりした時には、「ちゃんとご挨拶しなさい・・」という母親の言いつけはちゃんと守っていて、言われたとおりにしているのに、そのたびに、これ見よがしに「ちゃんとご挨拶した?」と言われることに、いつまでも挨拶ができない子供のように扱われていることがとても嫌で、母としたら、あたりまえのことを言っていて、悪気はなかったとは思うのですが、そんな風に、毎度毎度、確認されるために、なおさら、他人の家を訪れたりすることが、ますます嫌いになったのです。

 どんな親でも、しっかり挨拶をすることや、「ありがとう」、「ごめんなさい」を言うことは、一番に子供に教えることだと思うのですが、これが、大人になると、意外とおろそかになりがちなところもあるけど、シンプルだけど、とっても大切なことなんだな・・と最近、あらためて、思うのです。

 特にフランスにいると、挨拶は、ほんとに大事だな・・と思うことも多く、また、その機会も多く、まあ、簡単に言えば、「ボンジュール」の一言なのですが、例えば、見知らぬお店に入ったりしても、お店側はもちろん、「ボンジュール」と言ってくれますが、お客さんの側も「ボンジュール」と挨拶するし、この「ボンジュール」を言わないのは、微妙な感じに受け取られるような気がします。

 見知らぬ人と目が合っても、さすがにボンジュールとは言わなくても、ニッコリ微笑みがえしてくれるのは、感じのよいものです。

 ごくごく親しい人に対しては、「サリュー!」とか、「サヴァ?」とか、気安く声をかけることもありますが、「ボンジュール○○(相手の名前)!」、それほど親しくない場合は、「ボンジュール マダム」とか「ボンジュール ムッシュー」と挨拶します。

 このボンジュールにマダム・・とか、ムッシューをつけるのは、娘が小学校の面接試験のときに、「ボンジュール!」と元気よく挨拶した娘に、大変、厳しそうな女性のディレクトリス(校長先生)に、「「ボンジュール」ではなく、「ボンジュール マダム」と言うのですよ・・。」と静かに諭されたという話を聞いて以来、お行儀よく、丁寧にあいさつする場合は、きちんとマダムあるいは、ムッシューをつけて挨拶しなければならないんだな・・と親の私があらためて肝に銘じて学んだことでした。

 私は、バスを利用することが多いのですが、バスに乗るときに運転手さんに「ボンジュール」と挨拶をする人も多く、すごい人だと降りるときにわざわざ、「メルシームッシュー!」と運転手さんに声をかけて降りる人もいます。

 この「ボンジュール」と挨拶することで、ちょっと空気が和らぐような気がするというのもちょっと大げさではありますが、小さなほんの一瞬の人間関係でも基本です。

 ちょっとでも関わる人との人間関係の基本はこのほんの一言、「ボンジュール」と「メルシー、メルシーボクー」、これを言われて嫌な気がする人はいないし、もしも、フランスに旅行に来ることがあったら、たとえ、フランス語ができなくても、これだけは、心がけた方が過ごしやすいかもしれません。

 元気にあいさつができて、ありがとうって言えて、ごめんなさいと素直にあやまることって、今さらこんなおばさんになって仰々しく言うことでもないけど、にっこりと、これができれば、けっこうなチカラを発揮するもんなんじゃないかな?と思うのです。



ボンジュール メルシー


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2024年1月21日日曜日

日本から持ってきた食料品の一部をちょっとだけご紹介

 

 

 まあ、自分でも呆れるほど、私は、食べることばかり考えているので、パリにいても、どこかに何か美味しそうなものがあるとすっ飛んで行くのですが、やはり、生まれも育ちも日本人の私は、やっぱり日本の食べ物が好きで、一時帰国した際に持ってくる日本の食材や調味料を使って、現地の食材を使って、なんとか満足のいく食生活が送れるように、日本から持って帰ってくる食材選びには、並々ならぬ情熱を注いでいます。

 夫は自分でも料理ができないわけではなく、私が休日出勤をする際などは、「朝、用意していくのは大変だから、自分がやるからムリしなくてもいいよ!」とやさしいことを言ってくれていたのですが、夫の料理は娘の口にはあわないようで、「お願いだから、ママが作って!」と嘆願され、また、私も娘を置いて、仕事に行くことに、なんとなく引け目というか、「ママ、お仕事行かなきゃいけないけど、あなたのことを忘れてないからね・・」というメッセージのつもりもあって、必ず私が食事の支度はしていました。

 夫には、私が日本に行く度に買い集めてくる日本の食料品、特に調味料関係はわけがわからないようで、「なんで、冷蔵庫の中、こんなに瓶がいっぱいになるの?」と不満気に言われたこともあったりしたのですが、私にとっては、フランスでは手に入りにくい宝物のようなもの・・そこは一歩たりとも譲ことができませんでした。

 あれから、夫は亡くなってしまい、今では自分の好きなものしか冷蔵庫に入っていないのですが、あの頃から比べると、私が日本から運んでくる食材もずいぶんと種類が増えてきたように思います。

 今回は、このたび私が日本から持ってきた(頂いてきた)食材でよかったな・・と思うものをご紹介します。

 まずは、だしの類、茅乃舎のだし、野菜だしは、定番で、前回は、白だしなども追加して、今回、持ってきたのは、こちらの2つ、「のどぐろだし」と「白エビだし」。これらは頂き物ですが、すごく期待しています。


 そして、糀みつと、友人宅で出してくれて、すっごく美味しいと感激したら、友人がくれたお醤油。「糀みつ」は、パリのサロンドショコラに行ったときにみつけて、味見させてもらったら、これが奥行のある深みのあるまろやかな甘さ・・この甘さはパリには絶対ないもの!と感激して買おうと思ったら、1本30ユーロもするというので目が丸くなり、なら、日本に行った時に買おうと思っていたもの・・(日本だと半額以下でした!)これと一緒に乾燥した糀も買ってきました。




 
 そして、前回、買ってきてとても重宝した明太子パウダーとあさりパウダー、貝柱パウダー。明太子パウダーは、そのままふりかけのようにご飯にかけて食べてもいいし、マヨネーズや生クリーム、クリームチーズやバターなどと混ぜてディップのようにしてもよし、簡単な明太子パスタにしてもよし・・また、あさりパウダー、貝柱パウダーは、お味噌汁に入れてもいいし、海鮮類のパスタなどにちょっと加えるのもよしで、と~っても便利です。



 そして、日本人の神髄・お味噌類と今回、従姉妹がくれた、ぬかチューブ、ぬか漬けもどきは、普段、パンとビールに昆布などを加えて代用していましたが、これはすっごく楽しみで、きゅうりの季節になったら、やってみます・・たのしみ~~。
 お味噌は、ふつうに使うお味噌とつけて食べる分のお味噌、これも頂き物です。



 それからそば好きの私としては色々なお蕎麦が食べてみたくて、数種類のおそばと友人がくれた揚げ玉。この揚げ玉がけっこう優れもので、ワサビ風味でそのまま食べてもおいしいし、冷ややっこにかけたりても美味しいです。
 


 そして、海藻類と海鮮系の乾物類、特に乾燥あさりと乾燥しじみは、レギュラーメンバーで、なんといっても軽いので嬉しいです。パリにもあさりは全くないわけではないけれど、どこにでもあるわけではないし、しじみに至ってはお目にかかったことがありません。
 



 それからけっこう便利なこれ!


 最近、お豆腐はパリでも買いやすくなったので、お豆腐と、私は、冷凍のほうれん草(味つけなしの素材だけのもの)を解凍したものを混ぜたりしています。混ぜるだけでできるので、簡単です。

 それから、私にとって、今や必需品に近く、最も重さを押さえられる食品はこちら!
 

 種で持ってきて、あとは、パリで育てるという日本の野菜たち。
 きゅうり、にら、しそ、三つ葉、小松菜、春菊、オクラ、ししとう、スナップえんどう、ナスなどは、育てたことがあるので、今回、わさびリーフ、からし菜、ごぼうに挑戦してみるつもりです。
 このベランダ菜園は、植物が育っていくのも楽しく、また、買い物に行かずに少しずつ収穫して楽しめて、時には、友人にもお裾分けしてあげたりもできるので、すごく楽しいです。
 急にロックダウンになった時などには、この野菜の種に気持ち的にもずいぶん救われた思い出があります。
 今回は、日本に行ったのが冬だったので、種を探すのに苦労しましたが、幸いにも宮古島や九州に行ったりもしたので、無事ゲットできました。

 結局、スーツケース2個分、23kg×2・・約50kg近い荷物のほとんどが食料で、これ以外にも、お米、玄米、お餅、缶詰めや明太子、干物やしらす、ウニ、鰻やお漬物類、佃煮、梅干し、ワサビ漬けなどなど、た~くさんの食材があって、今はとても満たされている気持ちです。
 日本に住んでいれば、いつでもどこでもたいてい手に入るものばかりだと思いますが、これが宝物みたいに感じられることも私の幸せの一つなのです。


日本食材

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2024年1月17日水曜日

マクロン大統領の大規模記者会見生中継の圧倒的な存在感

  


 マクロン大統領が記者会見を行うという予告は、数日前から公表されていました。しかし、プレス・カンファレンスというだけで、それが一体、どのようなものなのかは、具体的にイメージしていませんでした。

 この記者会見は夜20時15分からというゴールデンタイムに行われ、驚くことに、主要各局は、ほぼ全局、生中継、加えて、X(旧Twitter)、YouTube、Instagramなど、ほぼあらゆるメディアで同時生配信とそれは、それは大規模なものでした。

 約百人の報道陣をエリゼ宮に招いての記者会見は、その会場自体も煌びやかで華やかでもあり、絶対的な威厳を感じさせるものでもありました。

         


 マクロン大統領は、ほぼ予定どおりの時間に登場し、まず、冒頭に「これまでの6年半の大統領としての歩みを経て、私たちは、どこから来て、どこへ行くのかを国民の皆様に伝えるためにこの機会を設けました」と話しはじめ、「わたしたちは、もっと団結していけば、フランスはこの激動の世界でさらに強くなるでしょう」と軍事力強化について語り、また、子ども、市民教育の重要性、教育部門の強化、学校での演劇の授業の必修化、制服導入の試験的試みや、原子力、再生可能エネルギーの増加、購買力増加、税金、インフレ問題などについて、饒舌に20分程度、語りました。

 マクロン大統領は、大変、お話が上手なのには、もう国民も慣れ過ぎている感じもあり、まあ、正論だし、そうなったらよいけど、現実はそう簡単にうまくはいかないよね・・と思ってしまうところがあって、今回もそんな感じに終わるかと思っていました。

 しかし、実際は、その後がマクロン大統領の本領発揮の見せどころだったのです。

 結局、彼が何人の記者からの質問に答えたのかは、数えていませんでしたが、相当数の質問に答え続けたこと、トータルで2時間15分程度、ある程度の想定質問に対する答えは用意していたであろうものの、どこからでもどうぞ・・とばかりに、あらゆる質問に対して、淀みなく余裕でしっかりと自分の言葉で答え続け、ここのところ、大抜擢されたフランス史上最年少のガブリエル・アタル氏に注目が集まっていたところに、大統領として、絶対的な能力をこれでもか?とばかりに見せつけた感じになりました。

 最初は、新しく任命された首相や大臣の面々も控えていたので、途中、助け舟を出すこともあるのかと思いきや、全く彼一人で対応し続け、大統領が全てを統治していることを圧倒的に披露したような感じでもありました。

 おまけに、これは、SNSも含めたフランス全メディアで生放送、失敗は許されない大勝負でもありました。

 これに臨むということは、なんという自信!そして、この会見のあいだ中、本人もかなり楽しんでいるようにも見える・・実際に彼は、こういう舞台が楽しいのではないかと思います。

 準備はしているだろうとはいえ、もう喋り出したら、勢いづいて止まらないとばかりにものすごいテンションで語り続ける話術は、やっぱりすごいな・・と感心させられた次第です。

 日本の総理大臣も国民の信頼を回復したいのなら、一度でいいから、こんな記者会見をやってみせてもらいたいものです。


マクロン大統領記者会見


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2024年1月16日火曜日

カーフールの強烈な値段交渉 ペプシ、レイズ、リプトンの商品の販売を一時停止

  


 インフレが続くなか、フランス政府は今年は、一部の食品の値下げを約束しています。

 そのため、政府は販売店に対して店頭価格を引き下げる、あるいは、可能な限り抑えることを要請しているため、食料品メーカーと販売店との交渉が対立してヒートアップしています。

 しかし、原材料他、燃料費等も値上げしているために食品メーカーとて、値上げを余儀なくされるのも致し方ないところもあります。

 大手のスーパーマーケットなどの流通業者は、1月末までに価格交渉を終えるのですが、この話し合いが決裂しているところもあります。

 ほとんどの食品メーカーは、値上げを要求しているのですが、スーパーマーケットチェーン・カーフールは、「ペプシコグループブランドの値上げは、度を越えており、インフレを理由に、その値上げは便乗値上げが含まれている!」と抗議し、その抗議を店頭で公開し、アピールするという強烈な態度に出ています。

 「受け入れがたい値上げのため、当店では、このメーカーの商品の販売は停止します」と書かれた紙が、予告どおりにレイズのポテトチップスの棚などに貼られています。

 この話は、ニュースでチラッと見ていたのですが、今日、カーフールに買い物に行ったら、本当にやっているので、ビックリして、ああ、これだったか・・と目を丸くしてしまいました。

 対象となっている商品は、ペプシコーラだけでなく、セブン アップ、レイズやドリトスなどのポテトチップスなどのスナック類、ベネナッツ、リプトン ティーなどの商品棚には、この「受け入れがたい値上げのため、当店では、このメーカーの商品の販売は停止します」の表示が・・。

 とはいえ、ガラガラになった棚には、在庫にある分は売ってしまうつもりであるのか、商品が全くないわけでもないところが、ちゃっかり感もあります。

 しかし、仕入れ側の価格交渉の抗議方法として、こんなふうに消費者に訴えるカタチをとっているのは、初めて見ることで、これは、一時的なことなのか?それとも、このペプシコグループの商品を今後一切、カーフールから排除してしまうつもりなのか?は、わかりませんが、どちらも引かない限り、ペプシコグループもカーフールもどちらも痛手を食うことになりかねません。

 まあ、どうしても、このペプシコグループの商品にこだわりを持って買い物をしている消費者を、カーフールは失うことになるだろうし、また、同じようなものを別のメーカーのものに切り替える消費者もいると思います。

 もう一つ、思い当たるのは、カーフールの「価格を抑える努力をしてますアピール」と考えることもでき、実際に、カーフールでは、このペプシコグループの商品よりもずっと高い商品を売っているので、どうして、ここにだけ、こんなに強硬な態度をとるのかは少々、疑問でもあります。

 まあ、今回のペプシコグループの商品を見る限り、コーラやセブンアップなどのジュース類や、ポテトチップスなどのスナック菓子など、この際、できるだけ、どのメーカーにせよ、あまり健康的な食品とも言い難く、消費を控えた方がよいものが多く目につくところ・・。

 個人的には、もともとあまり買わないものなので、どちらでもよいというのが正直なところなのですが、このやり方、どっちに軍配があがるのか? ということについては、ちょっと興味があります。

 

カーフール対ペプシコグループ


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2024年1月13日土曜日

大震災の後に思うこと・・

  


 元旦の日に起こった能登半島での地震は、その日には、フランスでもトップニュースで扱われたものの、その翌日の羽田空港での事故もあり、その後は、国内でのニュースが優先で、被害の規模は小さいとはいえ、さすがに国内のできごと、フランス北部パ・ド・カレでの洪水被害の報道などが中心になりました。

 それでも、当初はあまりに大きく扱われた日本での大震災のニュースにフランス人の知人などが、わざわざ電話をくれて、「あけましておめでとう」の電話かと思ったら、「日本ですごい地震があったみたいだけど、家族は大丈夫?」という話だったりもしました。

 こんなとき、フランス人はとっても優しいのです。全然、知らない人がジムなどで、「あなた日本人でしょ・・ご家族は無事だったの?」などと声をかけてくれたりもします。

 能登半島での地震についてのフランスでの大々的な報道は、ほんの最初の1~2日だけだったので、地震の被害の大きさだけでなく、「日本人は日頃から災害に備えているから、みんな落ち着いていて、素晴らしい!」というような報道のまま消え去っているので、その後、引き続き、日本のニュースにも目を通している私には、この大災害にもかかわらず、日本政府の対応には、ちょっと首を傾げてしまうことが多く、考えさせられました。

 フランスの報道で讃えてくれた災害時の日本人の対応の素晴らしさは、日本人が災害時にも冷静に対応できるという点が中心だったのですが、これは、コロナウィルス対応の時にも言えることで、日本がフランス(ヨーロッパ)のように、壊滅的な死者数を出さなかったのは、日本国民の常日頃からの衛生観念の高さ、つまり国の対策よりも国民のおかげだったのです。

 今回は、支援活動に現地に駆け付けた政治家をやたらと叩く声があがったり、支援物資がなかなか届かなかったり、もう早くも10日以上経つというのに、まだまだ避難所に入れなかったりするのに、救助活動が思うように進んでいない話を見かけるのには、やはり国が上手く機能していないのではないか?と思わずには、いられません。

 自分たちだけでできないならば、快く声をかけてくれている海外からの援助を受ければいいものの、それも断り、かといって、自分では迅速に被災者を救うことができず、できないだけでなく、それを隠そうしているようなところが見受けられるところも言葉がありません。

 特に原発の問題については、隠蔽など問題外、目をつぶっていれば、世界中に迷惑をかける結果になりかねません。

 今回の大地震は、立地的にも難しい場所であることもネックにはなっていると思うのですが、それにしても本気で取り組んでいるのか? もっと迅速でよいやり方ができたはずだ!と思わずにはいられません。

 こんなときに、またフランスと比べるのは、なんなのですが、フランスの場合は、災害や大事件が起こった場合は、すぐに内務大臣が現地にすっ飛んで行って、政府と緊密に連絡をとって、必要な対応を迅速に行います。

 フランスの場合は、災害もありますが、テロだったり、暴動だったりすることもあり、年がら年中、内務大臣は、国内、あちこちを飛び回っていて、「あの人、本当に大変だろうな・・」などと思います。率直にいって、フランスの政治家の行動を見ていると、「政治家って本当に大変なんだな・・」と感じます。

 また、来年に控えている大阪万博問題も、今後、どうするのかはわかりませんが、万博終了後には、すぐに取り壊してしまう建物にとんでもないお金と労働力を投入しようとしているという意味不明などではすまされない愚の骨頂。

 災害を機に中止すれば、世界も納得することなのに、被災者を、そして国民をないがしろにする日本という国を外から見ていても呆然とするばかりです。政府は国民のためにあるべきものが、まるで国民は政府のためにあるもののようです。

 海外に住んでいると、何か大災害や戦争などが起こったりしたときは、やっぱり、私は外国人なわけで、フランス人が優先されるだろうから、そんなときは、やっぱり自国である日本にいた方がいいのかな?と思ったりすることもあるのですが、こんな日本の様子を見ていると、なにかあっても国民を助けてくれない政府だったら、フランスにいた方がマシなのかもしれないかも・・などと思ったりもします。

 フランスが絶対的に優れているとは言いませんが、もはや政治家の動きを見ていると比較するのもおこがましい気がします。その他の国の政治家については、よくわかりませんが、現在の日本の政治家がダメなことだけは、わかります。


日本政府


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2024年1月1日月曜日

2023年のフランスを振り返る

  


 毎年、恒例の大晦日の大統領の演説を聞きながら、そういえば、2023年も色々なことがあったな~と思い出しています。個人的には、どんどん時の経つのが早く感じられる中、この一年もまた、あっという間に経ってしまった気がするのですが、思い返してみると、大きな出来事がたくさんあったんだな・・とあらためて思い出されるのです。

 ここ数年は、パンデミックがあったり、突如、戦争が始まったり、世界的にも動乱のときとも言えるのですが、この一年は、フランス国内だけでも、なかなか激しいできごとが起こった年でもありました。

 マクロン大統領は、この年末の演説の中で、イスラエルやウクライナでの戦争にふれつつ、この大きな暴動が続いた一年を「フランスは間違いなく、最も多くの決断を下し、最も多くの変革を実行した西側諸国の一つだ!」と述べました。

 なるほど、たしかに事実ですが、上手い言い方です。

 たしかに、年明けからの暴動は、年金改革というか、定年延長、今では懐かしささえ感じる憲法49条3項についての少々、強引な推し進め方に反対のデモから暴動がおこりました。

 これは、あちこちで起こる暴動とともに、今までには例を見なかったゴミ収集業者のストライキという荒業のために、街中にゴミの山ができて、ゴミが溜まるだけでなく、そのゴミがあちこちで燃やされるという無残なものとなりました。

 また、夏頃には、検問を拒否した未成年の少年を警察官が射殺してしまったことによる公権力の暴走行為への抗議の暴動がエスカレートし、それがSNSにより拡散されるだけでなく、スナップチャットなどの機能を使って、いわばゲーム感覚のように競い合って行われる異常事態に発展し、見境なしに、夜中に店舗が襲われて、強奪行為が続出したり、一方では、市町村の議員の自宅が狙われたり、ついには、昼日中にもコマーシャルセンターに押し入って来たりと、私もすんでのところで巻き込まれそうになるという危うい思いもしました。

 そして、年末には、かねてから、予告されていた移民法の改正が採択され、不法移民をより厳しく取り締まるようになりました。

 マクロン大統領は、激動の一年を、国民には、不人気であること(特に年金改革)は、理解しているが、これらの決定は、未来のフランスのために絶対に必要なことであると確信していると述べています。

 これらは、将来の世代に対する私たちの義務であり、フランスは国のために行動する人々の側にたゆまぬ寄り添いを約束すると力強く語っています。

 2024年はオリンピック・パラリンピックが私たちの美しい国、フランスで開催され、12月には、パリ・ノートルダム大聖堂の公開が再開されます。

 こうして、マクロン大統領が年末の演説をするのも7回目ですが、こうして、いつもどおりフランスを誇らしい国として堂々と語る様子を見るにつけ、どうしても、日本の政治家と比べてしまいます。

 フランスの大統領って、つくづく大変だろうな・・と思います。受け入れがたいことがあれば、野党はもちろんのこと、国民も黙っておらずに、すぐにデモ、ストライキ、暴動へと発展します。

 マスコミへの回答にしても、日本の政治家のような「現段階での説明は差し控えさせていただきます・・」なんていう言い訳は絶対に通りません。国民だってそんな回答は納得しません。納得しないどころか、そんなこと言った時点で、政治家の資格はないと烙印を押されると思います。

 フランス人は、子どもでさえも、政治についての話をするくらい(家庭での大人の話題の影響だと思いますが)、政治への関心が高いのです。これはとても大切なことです。

 政治家の活動や発言に、国民が無関心ではないのです。だから、すぐにデモが起こったり、それがエスカレートして暴動が起こったりもするのですが、日本の政治家の現在の状況を見ているとそれさえも、大暴れするフランス社会の方が健全な気がしてくる一年でした。


2023年のフランス


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2023年12月31日日曜日

ロンドン発着ユーロスターの終日運休で3万人が足止め

  


 最近、とんと、ユーロスターは利用していませんが、一時、「ロンドンにこんなに簡単に行けるなんて!」と感激して、しばらく、何回か続けて、ロンドンに行っていた頃がありました。

 パリ北駅から、ロンドンのセント・パンクラス駅まで直行なので、空港まで行くよりもずっと近いし、ロンドンに着いてからも、やはりロンドンの中心部なので、その後の移動もラクで俄然、楽ちんなのです。

 ロンドンは、想像以上にフランス人が多いことも、その時にビックリしたことで、まあ、これだけ簡単に行けるのだから、当然といえば、当然です。

 まあ、ヨーロッパ諸国はだいたい他の国とて、陸続きなので、簡単に外国に行けることには変わりありませんが、なぜか?ロンドンは、フランス人に人気の場所であるようです。

 当然、バカンスシーズンなどは、チケットの値段も高くなり、また、この年末年始にかけても、予約は満席だったようです。ところが、30日という最も人々が移動するタイミングでユーロスターが終日運休という悲劇に見舞われ、甚大な被害が起こりました。

 原因は、ロンドン近郊のトンネル浸水のためのようですが、当初は、16時まで運休ということだったものが、結局、1日中復旧せずに、ロンドン発着のユーロスターは一日中、全てキャンセルになってしまったのです。

 ユーロスターはパリだけではなく、同じく、ブリュッセル間、アムステルダム間の乗客を併せると、約3万人が足止めを食ったことになります。

 新年をパリで過ごしたかった人々も、ロンドンで過ごしたかった人々も同じく足止めを食い、振りかえ便を予約しようにも、いつ復旧するかもわからず、復旧したところで、もう全て満席状態で、その場に立ち尽くした人々は、携帯を握りしめ、代わりの飛行機やフェリー、バスなどの便の予約を試みていたようですが、この時期、どこもかなりの満席、予約が取れたとしても、旅行の予定は大幅に変更せざるを得ないわけで、パリに来ようとしていた家族連れが、「年明けにはディズニーランドに行く予定だったのに~!」と泣いている子供をあやしているパパなどが、泣きたいのはこっちだと言わんばかりの顔で、必死に子供をあやしていました。

 ユーロスター側は、大変申し訳ないと詫びつつ、チケットの変更やキャンセルは、駅ではなく、サイト上の予約管理のページで行ってほしいと呼びかけています。まあ、これだけの混乱状態で、駅に人が溢れかえることを回避したいのもわかりますが、誰もかれもが上手くサイト上でそのようなことができるとは限りません。

 そういえば、以前、娘がロンドンにある大学に留学予定で、早々にユーロスターを予約していたのが、パンデミックのために、国外には出れなくなり、ロンドンには行けなくなって(リモート留学になった)、予約していたユーロスターをキャンセルしたら、当然、こちら側の落ち度ではなく、国の取り決めで国外に出れなくなったのだから、当然、全額返金されると思っていたら、ユーロスターのクーポン券のようなもので返してきて(しかも期限付き)、結局、その期限内には使うことができずに、使えないままにダメになってしまって、憤慨したことがありました。

 今回のチケットの変更・返金に関しては12ヶ月間以内と言っていますが、また、これらの変更・返金のリクエストは、28日以内に処理されます・・とのことですが、28日もかかるのか?とちょっとウッときてしまいます。

 また、この足止めを食った人々に対する食費や宿泊費の補償については、一応、ユーロスターの予約管理サイトのサポートの欄に進み、これらの費用についての払い戻しを請求すれば、検討するとなっています。

 「一晩の宿泊、ケータリング、駅と宿泊場所間の交通などは、ユーロスターのチケットのコピーとその領収書、支払い先の銀行口座情報を添付してください」となっていますが、実際、予約するより、キャンセルをしたり、返金や補償をしてもらう方がよっぽど大変だな・・と思います。

 私は、一度、パリからロンドン行きのユーロスターに乗り遅れてしまったことがあって、その時は、駅の窓口に駆け込んで頼み込んだら、わりとあっさりと、チケットを次の便に変更してくれたこともあったのですが、ここまで混雑しているタイミングだと、駅の窓口にも来るな!と言っているくらいですから、そんなことはとてもムリな話です。

 最近は、こういうトラブルがあるたびに「これ、オリンピックの時だったら、どうするんだろう?」と思います。夏の猛暑のなか、豪雨・・そして洪水・・浸水・・なんてこともなくはありません。ただでさえ、どこの宿泊施設も交通機関も満杯状態になっているだろうに、何も起こらない方が不思議な気がしてきました。


ロンドン発着ユーロスター終日運休


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2023年12月15日金曜日

極上の温泉と最高のお料理とおもてなし 鹿児島県霧島温泉 石原荘

 


 ごくごく若い頃には、海外ばかりに目が向いて、温泉に行きたいなどとはあまり思わなかったのですが、海外生活も長くなり、歳も重ねていくうちに、日本の温泉は、ことさら憧れの場所になり、ずっと、「日本の温泉に行きたい!」と、ゆっくりお湯につかって、のんびりして、美味しいお料理を食べることに憧れてきました。

 今回の日本への一時帰国では、かねてから従姉妹に「すっごくいいよ~!」と教えてもらっていた鹿児島県霧島温泉にある石原荘という宿にどうしても行ってみたくて、その宿の予約を軸にして、日本行きのスケジュールを立て始めました。

 前日に泊まった宿を出て、ひととおり観光をして、宿に着いたのは、4時ごろだったと思ういます。渓谷の中にあるような、ちょっと、ともすると通り過ぎてしまうような場所でもあるのですが、ようやく宿に辿り着いて、車を宿の前に停めると、すぐに宿の人が荷物を運んでくれて、車は、このままでどうぞ・・と宿の中に案内してくれました。

 宿の中のひとつひとつのインテリア、調度品、花、デコレーションなどは、しっとりと上質で、どれも落ち着いていて、センスよく、心地よい空間です。


 通されたラウンジでは、チェックインの間にお菓子とお茶が出てきて、その時に、別棟にある貸し切り露店風呂の予約をし、しばらくすると、お部屋に案内してくれました。



 私たちが泊まったお部屋は奥まった露天風呂がついたお部屋で、居間に寝室にお茶室までついていて、もちろん、お部屋のお風呂は24時間、好きな時に入ることができます。

 お部屋の担当の人が案内してくれたのですが、なんと上品な感じの若い外国人の男性で、流暢な日本語で、お部屋の中を色々と説明してくれました。私は、あまり意にも留めずにいたのですが、同行の友人がその方に向かって、「日本語お上手ですね‥どちらの国からいらしているのですか?」などと尋ねるので、私は「また~そんなこと聞かなくても・・」と内心、思っていたら、なんと、その男性はフランス人で、「あらまぁ~!こんなところにフランス人!」と私もビックリして、また、友人が「この人もフランスから来ているんですよ!」などと私の方を振り返ると、その方は、一瞬、嬉しそうにフランス語で挨拶してくれました。

 なにしろ、相手は日本語もフランス語もわかっているのですから、一緒にいた友人の手前、フランス語で長々と話すのも躊躇われ、少々、こちらの方がとまどっていると、よほど、厳しく躾られているのか、その男性は、そのまま勢いに乗って、フランス語で話しつづけることはなく、ひととおりの説明を終えると部屋から下がっていきました。

 もう長年の憧れであったお宿に興奮している私は、さっそく温泉へと、まずは部屋のお風呂ではなく、お宿の中の一番大きなお風呂にでかけ、次に予約していた貸し切りの露天風呂へ直行。

 そもそも宿泊客は、満室とはいえ、そんなに人数が多いわけでもなく、しかも時間帯が食事の時間帯にかかりかけていたこともあって、大きなお風呂も貸し切り状態。大きなお風呂には私たち2人だけ。サウナも水風呂もついていたのですが、とりあえずは、「これなら、泳げちゃうね・・」などと言いながら、温泉につかりました。

 同じ霧島温泉でも、前日に泊まった温泉とは泉質も違い、その違いを楽しみました。


 いくつものお風呂がある中央にあるラウンジのようなところでは、飲み物のサービスやアイスキャンディーまであって、なんなら、観光などせずに、一日中、宿にいればよかったかも?と思ったほどでした。

 そして、念願の夕食は噂どおりの絶品の連続で、季節のもの、地のものを中心としたお料理が絶妙のタイミングで出てきて、最初の食前酒として出てきたのが、地物の市販されていない蔵出しの焼酎のお湯割りで、香りが抜群によく、最近はお酒を飲まなくなっていた私も、これは、お料理にもバッチリあう調味料の役割だ・・と感じて、少しずつ頂きました。










 また、給仕してくれる方も行き届いていて、どんな質問にも適切な答えが返ってきて、本当に心地よい、まさに日本ならではの「おもてなし」、尋ねたことに対しても、決していい加減な返答をすることはなく、不確かなことは、「ちょっと確認いたしますね・・」と、その応対もとても自然で固さもなく、本当に素敵な応対でした。

 煮物、焼き物、揚げ物からご飯の炊きあがりまで、お客様の食べる時間や速度にあわせられていて、本当に見事なお食事で、ふっくらと釜で炊かれた新米など、「余った分は、おにぎりにして、お部屋にお持ちいたしましょうか?」と、後でお部屋の方に持ってきてくれました。

 これは、翌日の朝食の時も同じでした。




 しかし、優雅な温泉宿に泊まって、ゆったりとくつろげばいいものの、私は、せっかくだからと、お部屋の温泉を出たり入ったりと、忙しくしてしまう貧乏性。ちっとも、ゆっくりしていないことに気付いたのですが、だからといって、せっかくの温泉、じっとしているわけにはいきません。

 朝食の後に、フロントで、この宿の近くにある魚屋さん(東京よりもずっと安くて美味しい鰻があるという話を聞いていたので・・)の所在を尋ねたら、電話で問い合わせてくれて、持ち帰りの鰻を予約してくれました。

 こんな風に極上の温泉での一日には大満足でしたが、あっという間に過ぎてしまいました。

 帰りのチェックアウトのために、フロントにいたら、昨日のフランス人の男性がいて、もうこれで帰ってしまうからと思ったのか? いきなりフランス語でおしゃべりを始めて、とっても嬉しそうにお話してくれました。

 こんな秘境?で、フランス人もあんまりいないだろうし、フランス語を話す機会もあまりないだろうし、フランス語を話せることは嬉しいんだろうな・・と、逆バージョンではありますが、海外で生活している者どおし、なんとなく、気持ちがわかるような気がしました。

 とはいえ、私が住んでいるのはパリで日本人に会おうと思えばいくらでもいるので、全然違うとは思いますが・・。

 もう、今は、そのお宿で働き始めて8年目だとおっしゃっていましたが、ふつうの日本人としても、厳しいだろうと思われるそのお宿の礼儀作法など、ふだんのフランス人の生活を見ている私には、さぞ、彼も苦しかろうと思うのですが、奥様がその土地の方とのことで、頑張っておられます。

 日本の憧れの温泉に行って、頑張っているフランス人にも会えるというおまけつき、ぜひぜひ、また、いつか、あのお宿に行きたいと思っています。


鹿児島県 霧島温泉 石原荘

🌟妙見石原荘 鹿児島県霧島市隼人町嘉例川4376


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