2021年9月1日水曜日

フランス政府の何があっても押し通すチカラ

   


 よく、フランス人がある程度以上の人数で、口泡飛ばして話に夢中になっている様子を側から見ていると、人の話をきいているのか、いないのか? 何人もの人が同時に話していて、周囲の人が意見を差し挟んでも、平気で、同時に話し続ける、まるで「朝まで生テレビ」の討論会のようだと思うことがあります。

 要するに、議論が好きで、言いたいことを言い、自己主張をすることが美徳とされるのは、子供の頃からのフランスの教育によって培われているもので、議論とはいえ、必ずしも解決の糸口を探ることが目的でとは限りません。

 それぞれが、人の話を聞くよりも、自分が話すことが重要なので、平行線のまま会話が進むことも少なくありません。

 それは、政府と国民の関係にも同じことが言えます。

 今回のパンデミックのように、何かが起こっても、とりあえず、物申す人は多くいて、何かといえば、デモが起こって国民は声を上げますが、フランス政府は、デモは国民の当然の権利として認めながらも、現在はSNSなども使って、テレビ番組に積極的に登場して、説得を続け、その態度は、決して揺らぐことはありません。

 煮え切らない曖昧な態度は、国民の反感を買う内容の政策以上にNGです。言いたいことははっきりと言い、それが通じない人がいたとしても、あくまでもそれぞれが自己主張を続け、平行線のままでも、押し通していきます。

 民主主義、自由、連帯などのワードとともに、かなり強引に推し進めていく様子もユニークでもあります。

 フランス名物と言っても良い、時としてテロの原因になったりする風刺画などは、日頃、言いたいことをはっきり言いすぎる?フランスでは、それを楽しむ人もいれば、逆に多くの言葉で語られる以上に、怒りの着火剤になったりするのも不思議です。

 今回のヘルスパスの問題にしても、ヘルスパス起用の発表以来、7週連続でデモが起こっていますが、デモはデモとして、デモの権利は認めながらも、政府は、さして問題にもしていません。

 全国規模のデモにも動じず、最近では、そんな中でも、ヘルスパスについて、政府は堂々と勝利宣言を始めました。実際にワクチン接種が進み、効果が現れ始めた今、それに付随する問題が生じたとしても、その新しく付随して生じた問題に対しては対処していきますが、その本髄が揺らぐことはないどころか、勝利宣言をして、自画自賛も忘れません。

 結果として、事態が好転していけば良いわけで、押し通したもの勝ちになります。

 正直、私は内容にもよりますが、デモをする人の気持ちがあまり、わかりませんが、現在のヘルスパスに関して言えば、ヘルスパス反対のデモは、圧倒的に劣勢ですが、それでもデモを続ける人々は、結果的に自分たちの意見が通らず、平行線のままで、結局は、政府の方針どおりになったとしても反論をし続けることに誇りを抱いているのです。

 それは、ちょっと、辺りの一般人がこぞって議論しつつも、それぞれが言いたいことを言い合って、答えの出ない会話にそれぞれがご満悦な様子と少し似ている構図のような気もします。

 時として、政府が間違った方向に進もうとした時、また、社会で許容できないような事件が起こった時などに、黙認するのではなく、声を上げる事も必要な時もあるのではないかと、私は、フランスに来て以来、少しだけ思うようになりました。

 それは、直接的な結果には繋がらなくとも、時には意味のあることなのかもしれないとも思うのです。

 とはいえ、国の決定は大きなもので、常に結果が求められるものではありますが、揺るがずに発信を続け、国を牽引していく少々強引なチカラが、現在のパンデミックのような状況には必要不可欠であるのではないかと思っています。


フランス政府 発信力


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