2024年1月26日金曜日

今さらだけど、とっても大切な挨拶とありがとう ボンジュールとメルシー

  


 私が子供の頃は、誰かの家を訪れたりすると、母親に必ず、「ちゃんとご挨拶した?」と念を押されるのがとっても嫌でした。私は、子供の頃はとても内気で、人見知りで、あまり、知らない人に会ったり、人に溶け込むことが苦手でした。

 それでも、誰かのお宅にお邪魔したりした時には、「ちゃんとご挨拶しなさい・・」という母親の言いつけはちゃんと守っていて、言われたとおりにしているのに、そのたびに、これ見よがしに「ちゃんとご挨拶した?」と言われることに、いつまでも挨拶ができない子供のように扱われていることがとても嫌で、母としたら、あたりまえのことを言っていて、悪気はなかったとは思うのですが、そんな風に、毎度毎度、確認されるために、なおさら、他人の家を訪れたりすることが、ますます嫌いになったのです。

 どんな親でも、しっかり挨拶をすることや、「ありがとう」、「ごめんなさい」を言うことは、一番に子供に教えることだと思うのですが、これが、大人になると、意外とおろそかになりがちなところもあるけど、シンプルだけど、とっても大切なことなんだな・・と最近、あらためて、思うのです。

 特にフランスにいると、挨拶は、ほんとに大事だな・・と思うことも多く、また、その機会も多く、まあ、簡単に言えば、「ボンジュール」の一言なのですが、例えば、見知らぬお店に入ったりしても、お店側はもちろん、「ボンジュール」と言ってくれますが、お客さんの側も「ボンジュール」と挨拶するし、この「ボンジュール」を言わないのは、微妙な感じに受け取られるような気がします。

 見知らぬ人と目が合っても、さすがにボンジュールとは言わなくても、ニッコリ微笑みがえしてくれるのは、感じのよいものです。

 ごくごく親しい人に対しては、「サリュー!」とか、「サヴァ?」とか、気安く声をかけることもありますが、「ボンジュール○○(相手の名前)!」、それほど親しくない場合は、「ボンジュール マダム」とか「ボンジュール ムッシュー」と挨拶します。

 このボンジュールにマダム・・とか、ムッシューをつけるのは、娘が小学校の面接試験のときに、「ボンジュール!」と元気よく挨拶した娘に、大変、厳しそうな女性のディレクトリス(校長先生)に、「「ボンジュール」ではなく、「ボンジュール マダム」と言うのですよ・・。」と静かに諭されたという話を聞いて以来、お行儀よく、丁寧にあいさつする場合は、きちんとマダムあるいは、ムッシューをつけて挨拶しなければならないんだな・・と親の私があらためて肝に銘じて学んだことでした。

 私は、バスを利用することが多いのですが、バスに乗るときに運転手さんに「ボンジュール」と挨拶をする人も多く、すごい人だと降りるときにわざわざ、「メルシームッシュー!」と運転手さんに声をかけて降りる人もいます。

 この「ボンジュール」と挨拶することで、ちょっと空気が和らぐような気がするというのもちょっと大げさではありますが、小さなほんの一瞬の人間関係でも基本です。

 ちょっとでも関わる人との人間関係の基本はこのほんの一言、「ボンジュール」と「メルシー、メルシーボクー」、これを言われて嫌な気がする人はいないし、もしも、フランスに旅行に来ることがあったら、たとえ、フランス語ができなくても、これだけは、心がけた方が過ごしやすいかもしれません。

 元気にあいさつができて、ありがとうって言えて、ごめんなさいと素直にあやまることって、今さらこんなおばさんになって仰々しく言うことでもないけど、にっこりと、これができれば、けっこうなチカラを発揮するもんなんじゃないかな?と思うのです。



ボンジュール メルシー


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