2024年1月9日火曜日

エリザベス・ボルヌ首相辞任 

  


 女性として2人目のフランスの首相に就任したエリザベス・ボルヌ氏の辞任が発表されました。年が明けて、内閣改造を目論んでいるとされていたマクロン大統領は首相を交代させるという噂はありましたが、現実のものとなりました。

 フランス初の女性首相エディット・クレソンはミッテラン政権のもと、それまでの数々の大臣経験や率直な発言が評価されて、1991年に首相に指名されましたが、首相になるや否や、性差別的な非難や物議を醸す発言で安定した地位は保つことができず、10ヶ月ほどで辞任に追い込まれています。

 特に、ABCニュースのインタビューで、「同性愛は「ラテン」よりも「アングロサクソン」の風習に近い」と説明したことは致命的で、同性愛を認めるフランソワ・ミッテラン大統領を飛び上がらせたという逸話に加えて、同インタビューの中で、「フランスには日本のような黄色いアリはいらない」と答えたという話も日本人としては看過できない話でもあります。

 それから約30年後にエリザベス・ボルヌは首相に就任したわけですが、これは、彼女自身の力はもちろんのことですが、女性を首相に据えてイメージアップを図りたかったマクロン大統領の思惑が作用していたように思います。

 フランスのエリートにありがちな恵まれた家庭環境とは言い難い境遇に育ち、非常に努力してのしあがってきた彼女は、いわゆる真面目な優等生タイプの印象でしたが、首相就任に際して、女性として首相に任命されたことをとても喜んでいました。しかし、当初はやはり風当りが強く、早々に辞任届を提出か?などという噂も流れましたが、結局のところ、彼女は20ヶ月間、首相というポストを務めました。

 その間の道はとても険しく、特に年金改革に際しては、大暴動を引き起こした49.3条を採決せずに、首相の権限において発令するという大変な任務を結局は乗り越え、今から思うと国会において、青筋をたてて、がなり立てる彼女の姿は忘れられません。

 また、つい最近、改正された移民法についても、かなり反発も多かった中、どうにか、取りまとめた感じで、どちらもフランスにとって、大変な決定を大統領の盾となって成し遂げてきた感じがあります。

 マクロン大統領は、彼女の辞任に際して、「私たちの国への奉仕におけるあなたの仕事は毎日模範的でした。 あなたは、国家女性の勇気、献身、決意をもって私たちのプロジェクトを実行してくれました。 心から感謝します」と敬意を表しています。

 現在、停滞気味のマクロン政権ではありますが、これからのフランスも大きな問題が山積みのうえ、オリンピック・パラリンピックという一大イベントも控え、ここで仕切り直しをして、新しい年に挑みたいというマクロン大統領の思惑が透けて見えて、とりあえずの大問題であった年金改革や移民法改正という最も困難な問題の影を引きずる彼女は、ここで終わりだったというなんだか損な役割を引き受けることになった彼女がなんだか少々気の毒だった気もします。

 しかし、辞任を発表した彼女の表情は、これまで見たこともないような晴れやかな表情で、解放された喜びに溢れているような笑顔であったことは、素直に「お疲れ様でした・・」と言ってあげたいホッとするような気持ちになるのでした。


エリザベス・ボルヌ首相辞任


<関連記事>

「フランスに女性新首相エリザべス・ボルヌ現労働相が就任」

「年金改革法案採択され、さらに増すばかりの国民の怒り」

「年金改革法案に49条3項発令で法案改変を強行する発表にコンコルド広場が大変なことになった!」

「火に油を注いだマクロン大統領35分間のインタビュー」

「エリザベス ボルヌ首相のパートナーのスキャンダル」



0 コメント: