2026年11月1日日曜日

検査のハシゴ

  


 ここのところ、風邪をひくと、あっという間に気管支炎になってしまい、ゼーゼーと苦しくなってしまうのですが、今回もまた、ここのところお客さんが相次いだこともあってなのか、寒くなってきたのと同時にあっという間に風邪?→気管支炎になってしまいました。

 先週のあたまくらいに、これはやっぱりダメだ・・と思い、お医者さんに行って、抗生物質の薬を飲んでいたのですが、今一つすっきりせず、これは、キッチリ治してしまった方がよいな・・と、切れてしまった抗生物質の薬をもらいにお医者さんに行ったのです。

 ところが、「抗生物質の薬を一応、飲み切ったのに、治らないのは、別の要因があるかもしれないから、検査した方が良いから・・」と言われ、急遽、その日のうちに、検査を2つすることになったのです。

 ひとつは、今、またコロナウィルスが流行っているから、コロナの検査と、もうひとつは、胸のスキャンをとって、その結果をとりあえず、電話して・・と言われ、処方箋を書いてもらって、まず、薬局に行きました。


 薬局に行くと、コロナウィルスの検査は、もう無料ではなくなっていて、検査キットを買って、その場でやってもらうことに・・。さんざん待たされましたが、検査をその場でやってもらうと、こちらは陰性でした。

 次に、いつも検査をしてもらうクリニックに直行。予約は取っていませんでしたが、かかりつけのお医者さんが「緊急」の処方箋を書いてくれたために、その場でスキャナーの検査を受けることに。

 お昼過ぎの、検査場としては妙な時間帯だったためか、そのクリニックでは見たことがないくらい空いていたので、検査の同意書にサインして、すぐに検査をしてもらえることに・・。

 「上だけ脱いで、この部屋で待っててください・・」と言われて、待っているとなかなか予呼びに来てくれず、「ん??」と思っていたら、「マシンが故障してしまったので、今、テクニシャンを呼んだから、ちょっと時間がかかるだろうから、洋服を着直して、待っていてください・・」と。

 私は内心、「でたでた・・まただ・・フランス・・」と思いながら、もうあまり腹をたてる元気もなく、自分でも驚くほど冷静に友人とLINEなどをしながら、待つことに・・。

 それから、40分~50分くらい待ったでしょうか?テクニシャンらしき人が表れ、ヤレヤレ・・それでも「結局、今日は治りませんでした・・」なんてこともあり得る・・と思いながら、さらに待つことに。

 結果、それからしばらくして、マシンは修理され、スキャナーの検査を受けました。

 検査の結果は、特に問題は見受けられないということで、安心して、主治医のところに電話すると、これで抗生物質の薬を出してもらえるかと思いきや、「少し、様子を見てから、来週、もう一度、来てください」と来週なかばの予約を入れて、その日は、家に帰りました。

 昼食時間くらいに主治医のところにちょっとでかけたつもりが、検査のハシゴをするハメになったため、ランチを食べていなくて、家に帰った時には、もう腹ペコで、あわてて昼食をとると、もうその日は疲れ果てて、眠り込んでしまいました。

 そもそも具合が悪くてお医者さんに行っているのに、お医者さん、薬局、検査2軒のハシゴをして、もうグッタリ。

 フランスでは、検査は別の場所でするのが基本ですが、具合の悪いときに疲れる話です。


検査


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2026年10月31日土曜日

アパートの水道のカウンターの交換が・・

  

 

 その日は、朝から色々と用事があったりバタバタしていて、しかも、先週から私は体調を崩して、具合が悪かったのですが、どうしても出かけて済ませておかなければならない用事のために、渋々、朝、早くから起きていました。

 薬を飲むために朝食をとらなければと支度をしていたら、なんと水道が突如止まってしまい、そういえば、○○日、工事のために断水する恐れあり・・とアパートの下に張り紙がしてあったことを思い出しました。

「ああ、あれって今日だったのだ・・」と思って、まあ、断水は午前中には終わるとのことだったので、そのまま朝食をとって、薬を飲んで、ヤレヤレと思っていたら、ドアをノックする音が聞こえたので、出てみると、何やら、水道関係の工事の人で、家の中にある水道のカウンターを交換するとのこと・・。

 まさか、こんな工事だとは、思っていなかったので、ヤレヤレ家にいて、セーフ・・。

 こんなこと、平日の朝にやるとは・・アパートの人たち、みんな家にいるのかしら?と思っていました。

 工事のおじさんは、「また、チェックと水道栓をあけるために昼くらいに来ますから・・」と言い残して行ったので、私は、その間、大急ぎで外出して用事を済ませて、家に帰りました。

 その後、私が帰宅してまもなく、その工事のおじさんがあらわれて、「チェック完了」。

 私は、心底、この手の工事?が滞りなく済んだことにホッとしていました。

 その後、私は昼食をとった後、近所のスーパーマーケットに買い物に行ったのですが、そこで隣人に声をかけられました。正直、そこまで親しくもないために、アパートの外で会うと、一瞬、「あれ?この人誰だったっけ?」と思ってしまったのですが、隣人の女性でした。

 彼女は、「水道工事の人来た?」と私に尋ねるので、「はい、来ましたよ・・」と。彼女は不機嫌そうに、「ずっと待ってたのに、家には来なかった・・」と。

 「えっ?なんで?うちを出て行ったあと、お宅をノックしていたの、見ましたよ!」と言ったら、「呼び鈴があるのに、鳴らしてくれなきゃ気が付かない・・奥の部屋にいたから・・」と。

 そういえば、水道工事のおじさん・・ノックしただけで、呼び鈴を押してくれませんでした。でも、私はたまたま玄関近くの部屋にいたので、「ノックするなんて、誰?」と怪訝に思ったものの、ちょうど水道が止まった直後だったのもあって、「もしかして、水道工事の人?」と思ってドアを開けたのですが、なるほど、私だって、他の部屋にいたら、気が付かなかったかもしれません。

 隣人の女性は、たいそう不満気で、私だって、一歩間違えていたら、同じ目に合うところだった・・と、すんでのところで、危機を回避した・・ほ~っよかった、危なかった・・セーフ・・と思ったのです。

 この手の工事など、一度逃すと、後日にまた半日、もしくは一日、待ちぼうけを食うわけで、色々と注意をしているのですが、これからは、「呼び鈴を鳴らしてくれない場合もある」という注意事項を加えなければならない・・と心に刻んだのでした。


水道工事


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2026年10月30日金曜日

日本からの訃報はいつも辛いけれど・・

  


 私の海外生活も長くなって、これまで、何人の身近な人を遠くから見送ることになったかは、覚えていないくらいになりました。

 実際に危篤の報せを聞いて駆け付けたのは、母の時くらいなもので、父の時には、もう間に合わず、訃報となった時点で報せを受け、葬儀のために、一人で帰国しました。

 その後は、ポツポツと父方の親戚は亡くなっていって、母方の親戚・・というか兄弟姉妹たちは、母の没後もずっと皆、元気で、私が日本に帰国する度に顔を合わせていました。内心、「なんでママだけがあんなに早く亡くなっちゃったんだろう?」と、こっそりと、ちょっと悔しく思ったりするくらいでもありました。

 しかし、母方の兄弟姉妹たちは、いつまでもとても仲が良く、また、私や娘とも海外でずっと暮らしているというのに、これまでと変わらずにずっと私たちともつきあいを続けてくれていました。(父方の親戚とも仲良しですが・・)

 けれども、突然、昨年、母の兄が亡くなり、ちょうど、そのすぐあとに日本に帰国したときにお参りでもしなくては・・残された叔母と少しでも話したい・・と思っていたところに、帰国早々に羽田から、亡き母の妹(叔母)に電話したところ、なんと、亡き母の弟が入院してしまったという話を聞いて、びっくり!急遽、一人の叔父の弔問と、もう一人の入院している叔父のお見舞いに別々の日に予定をあけて、行くことになったのでした。

 結果的にその時に入院していた叔父に会ったのが、最期になってしまったわけですが、もうこちらの方の叔父は、特に私とは、関係が深く、私がまだ子どもの頃、物心つくかつかないかくらいの頃、まだ叔父が独身で実家(私の祖父母の家)にいる頃から、私は叔父にずっとお世話になり続けてきました。

 叔父はあまり器用に世渡りするタイプではありませんでしたが、お坊ちゃん育ちの優しい優しい人でした。特に私の大好きだった祖母はこの叔父が誰よりもお気に入りで、私と祖母とこの叔父と3人で出かける機会がとても多かったのです。

 祖父が突然、入院した際などにも二人で何回もお見舞いに行きましたし、祖母が亡くなるまでの半年間も頻繁に病院で顔を合わせてきましたし、何より、私が娘とともに一時帰国をする際には、娘が小さい頃かった頃から、もうかなり大きくなってまでも、必ず羽田に迎えに来てくれて、送ってくれて、日本滞在中にも、一緒に山の家に付き合ってくれたり、料理の上手だった叔父は、自分の手料理をわざわざ私の実家まで届けてくれたりもしていました。

 母の没後もそれは変わることなく、時には両親以上というか、私にとって、とてもとても大きな存在でした。ここ数年はもう運転するのは危ないし、迎えに来てくれることはなくなりましたが、それでも、必ず一度は会って、一緒にお墓参りに行ったり、うちの近所で二人で食事したりと、もうそれは、思い出は限りなく浮かんできます。

 昨日の朝、たまたま午前中、私の外出中に従姉妹からLINEが入り、突然の彼の訃報に、もう呆然。その後、すぐにその従姉妹が電話をくれました。そのあと、娘からもすぐに電話がありました。

 もうただただショックなのですが、悲しいのに涙も出ない・・というか、どうしても実感が湧きません。なのに、心の中はずっしりと重たく、何も手につきません。

 あいにく、娘も翌日から海外に出かける予定になっているので、娘に頼むわけにもいかず、私も今、猫の具合が悪いので、長期間、家を空けるわけにもいかないので、日本にも行けません。

 こんなとき、海外生活の悲哀を感じます。大切な人の最期に立ち会えないこと。

 これは、海外生活のとても辛いことのひとつです。

 この間、会っておいてよかった・・と思う気持ちと、また、来るからそれまでに元気になってって言ったじゃない!と両方の気持ちが渦巻いています。

 最初に届いた訃報のLINEを何度も何度も読み返しています。


日本からの訃報


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2026年10月29日木曜日

パリ 老舗百貨店 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)破産管財人管理下へ

  


 1856年創業のパリの老舗百貨店 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)が破産管財人の管理下に入る手続きを申請しました。

 BHV Marais 経営陣は、現時点では、破産管財人管理下=倒産ということではなく、再建計画を実行に移し、事業と雇用を維持するためと説明しています。

 2026年9月の時点でBHVの従業員は700名存在しています。

 同経営陣は、現在の状況に陥った理由を未払いのキャッシュフローによるものとしていますが、これは、店舗ビルの半分を返還するかわりに支払われるべき補償金を家主が支払っていないためとしていますが、建物の所有者であるカナダのファンドは、「現在までにBHVに対していかなる金額も支払う義務はない」と否定しています。

 また、同経営陣は、ここ数週間のパリの暴動による店舗一階の略奪行為がすでに不安定だった資金繰りをさらに悪化させたと追加説明もしています。

 労働監督局は、この店舗が債務超過に陥っていると疑っていますが、経営陣はこれを否定しています。

 BHVは、ギャラリーラファイエットやプランタンのように、ラグジュアリーブランド中心の百貨店と違って、ファッション、コスメ、インテリア、キッチン用品、生活用品、DIYまでを扱うどちらかというと暮らしに密着した総合百貨店になっています。

 しかし、今の時代、そのどれもが中途半端な印象が拭えず、なにも、わざわざBHVでなくとも・・と思うものが多い特色が薄い感じが拭えません。

 また、2025年秋に大反対派も多く出たSHEIN(低価格のオンラインブランド)の売り場開設や取引先への支払い遅延を背景にディオール、ゲラン、サンドロ、マージュなどが撤退したと報じられています。

 つまり、SHEINのような低価格のオンラインブランドを導入して集客しようとする一方で、従来の百貨店としての魅力を求めるブランドや顧客が離れていってしまうという、短期的な集客策がかえって既存の価値を損なう可能性になった可能性があります。

 1856年創業という老舗の看板を持ち、場所はパリ市庁舎のすぐそばという好立地にありながら、時代の流れとその価値を上手く活用できなかったことが、現在の結果を招いています。

 少なからず、百貨店は、同様の問題を抱えていますが、顧客が求めているのは、高級でも低価格でもない中間ではなく、そこでしか出会えない商品や体験、専門性が明確に打ち出されていなければ、集客はできないのです。

 「破綻ではなく、再建の枠組みである」というならば、明確な方向性を持って再建されなければ、ただの時間稼ぎにしか、ならないように思うのです。


 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)破産管財人管理下


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2026年10月28日水曜日

次回のデモは10月31日 今度は「黄色いベスト」

  


 次回のデモは・・なんていう言い方が、ちょっと不自然に感じるくらい、もう毎週のこと(土曜日)になっているフランスですが、今度は「黄色いベスト」がデモを呼び掛けています。

 このデモに先駆けて、30日(金)には、国会議事堂前での「鍋叩き抗議」を呼び掛けています。

 この黄色いベストのデモはすでに日曜日の段階で発表されていましたが、黄色いベスト運動の調整グループは、「市民の自由を守るため」10月31日(金)夜、国会議事堂と議会事務所前での「鍋叩き抗議」を行うように呼び掛けています。

 「エマニュエル・マクロン大統領とその政権は、権威主義的な道をさらに一歩進むことを決定した。彼らは我々のデモを禁止し、夜間外出禁止令を発令し、デモ参加者のために都心部を封鎖している。・・・我々は国会議員の窓の下で鍋やフライパンを叩き鳴らす。」と黄色いベストは、声明で発表しています。

 彼らはまた、「警察と極右過激主義の全ての犠牲者のために」1分間の黙とうも計画しています。10月23日、イヴリーヌ県で発生した人種差別的攻撃の犠牲者のための演説も用意されています。

 この攻撃では、K.Tが車から路上で発砲し、一人を殺害、5人に負傷を負わせています。

 これは、マクロン大統領がパリ中心部でのデモは公認しないとしていることに向けての抗議であると思われますが、黄色いベストは、10月31日(土)は、パリ中心部を通過するルートを宣言しており、警察本部が拒否した場合には、「デモの自由の侵害で告訴する」と宣言しています。

 ちなみに、黄色いベストが用意しているルートは、「バスティーユ広場から出発し、レピュブリック広場、・レピュブリック大通り、オペラ座を経由して国会議事堂、コンコルド広場に至るもの」で、ばりばりパリの中心部です。

 これまで、どんなに防衛部隊を配置してでも、デモを行う権利を尊重してきたフランスですが、この権利をパリ中心部においては、認めないということで、彼らはマクロン大統領政権が、さらにもう一歩、権威主義に進んだというのは、このことを指していると思われます。

 フランス国民に対しては、権威、権力で抑えつけようとするやり方は逆効果のようにも思われるのですが、これ、結局、どうなるのだろうか?と、行方を見守っている感じです。

 とりあえず、金曜日に行うとしている国会議事堂前の「鍋叩きデモ」は、土曜日のデモへ向けての士気高揚のためと思われます。

 しかし、またまた、まだまだ出てくる「黄色いベスト」。

 フランスはいつになったら、落ち着くのでしょうか?


10月31日 黄色いベスト


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2026年10月27日火曜日

時差ボケを全くしない従姉妹

 


 私が年々、日本への一時帰国が辛くなっている理由のひとつは、年々、酷くなる時差ボケが酷くなっていることにあります。

 これだけは、如何ともしがたいことで、日本とフランスの時差8時間(サマータイム時は7時間)ですが、これに加えて、直行便でも14時間というフライト時間。

 これは、正直、本当に辛いです。

 娘もこの時差ボケ緩和に色々と知恵をつけてくれて、メラトニンを服用するとか、日本に到着後は、できるだけ太陽の下に出ることや、夕日を眺めるといいらしい・・なんてことを教えてくれて、これらを試みてはいるものの、そこまでの効果がありません。(それでも、メラトニンは、多少、助けにはなっています)

 今回、従姉妹がものすごく久しぶりにパリに来てくれて、私は彼女の時差ボケを心配していたのですが、これが彼女には全く時差ボケというものがなく、驚いています。

 もっとも、日本からフランスに来たときは、フランスから日本に行ったときに比べると、私とて、時差ボケは弱いのですが、それでも、夕方になると、強烈な眠気に襲われたりするものです。

 時差ボケというのは、年齢とともに、酷くなるもののようで、娘の成長の過程で見てみると、(娘は2歳の時から毎年、日本に連れて行っていました)最初の数年、つまり2歳から5歳くらいまでは、日本に着いた途端に日本時間に順応し、フランスに帰ればすぐにフランス時間に戻るという本当に羨ましい感じでした。

 ところが、さすがの娘も年齢とともに、人並みに時差ボケを感じるようになり、今では、人並みに時差ボケを感じているようです。しかし、彼女は若く、体力もオバケなみなので、その時差ボケくらいは、今のところ難なく乗り越えています。

 しかし、今回、日本からやってきた従姉妹は、私と同い年。どうして、こうも私と違うのか?と思うのですが、彼女曰く、「時差ボケというものを経験したことがない」そうで、前回、パリに来た時のことは、よく覚えていないのですが、どこの国に行っても、時差ボケはなしなんだそうです。

 彼女は結構、お酒を飲むので、それも影響しているのか?いやいや、私は今はアルコールを飲まなくなってはいますが、以前は、結構飲んでいた時期もあり、その頃もしっかり私には、時差ボケというものがあったのです。

 ともかくも、外地に到着してすぐに、身体が現地時間に対応できて、フルに動き廻れるということは、効率的、しかも、本人の身体もラクなので、なによりなことなのですが、毎回、日本とフランスを往復する度に時差ボケに苦しめられている私としては、本当に羨ましい限りなのです。


時差ボケ


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2026年10月26日月曜日

デモと暴動は別 

  


 9月から、高校生の学校環境等の悲惨さを訴えるデモがきっかけの今回のフランスでの大規模なデモ~暴動については、日本でもずいぶん報道されているようですが、「デモが暴徒化した・・」と言っているところが多いのがとても気になっています。

 昨今のこうした社会的な騒動については、すぐにSNS等で拡散されるために、それに同調する人々が地方でも、「自分たちのところも同じだ!」と、あっという間に全国規模になってしまいます。

 同調してデモを起こす人々ばかりではなく、それに乗じて破壊行動そのものを目的とする人々や、強盗、略奪行為を起こす人々が便乗して、騒ぎが大きくなってしまっているのが、現実です。

 そして、それがどんどんエスカレートしていってしまうのです。

 また、極左、極右の人々がこの騒動をたきつけるような動きをしているケースもあります。

 それをしっかり区別することが難しくなっているために、デモが暴徒化しているように映りやすいのですが、正当な主張をデモとして抗議活動をしている人々がデモ隊の中心ではあります。

 また、移民だけがこのデモを起こしているわけでもありません。かなり高齢のフランス人や家族でデモに参加しているケースなども多々あり、その人々は、極めて正当な方法で抗議を行っているだけです。

 ただ、そんなデモ隊とデモ隊に紛れて暴力行為を行う人々を区別できずに警察や憲兵隊などが、かなり強引な方法を使ってそれを鎮圧しようとする場合も多々あることも事実で、そんな警察や憲兵隊などとの衝突が起こります。

 警察もその鎮圧に催涙ガスを使ったり、水を使ったり、中にはかなり手荒な迎撃をしたりもしているので、それもまた、騒動を大きくしています。

 しかし、それは、警察や憲兵隊があくまで暴力行為、破壊行為等を抑えるためにやっていることです。まあ、それも一部、目に余る感じのところもあるのですが・・。

 なので、「デモが暴徒化した・・」という表現には、非常に違和感を感じます。

 暴徒はデモ隊に便乗している人々が大半なのです。

 デモと暴徒をごちゃ混ぜにしてしまったら、学校現場の窮状を訴える学生も物価高騰や生活苦を訴えている人々の声が掻き消されてしまいます。

 破壊、暴力、強奪行為は犯罪で、デモとはしっかり区別しなければなりません。

 しかし、このブラックブロックのような破壊・暴力・強奪行為が毎回、起こるので、そのために、そのたびに、商店やカフェなどは、バリケードの板を張り巡らし、閉店するしかありません。

 毎週、土曜日の閉店が続けば、大打撃です。

 もう、かれこれ、最初のデモが始まってから2ヶ月近く経ちます。これから年末にかけて、少しでも売上げを伸ばしたいであろう時期に、酷い話です。


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2026年10月25日日曜日

まさか、こんなところまで?と思ってたところにデモ・・信じられない数の警備隊

  


 10月17日のデモと暴動は、パリ(だけじゃないけど)の街を大きな規模で荒らし、その週は、パリの街のあちこちを歩いている間にも、その無残な形跡を目にすることも多い週でした。

 


 あの騒動のわりには、ずいぶんと早く片付けたもんだ・・と思うようなところもあったのですが、焼け焦げたまま残っているバイクとか、ゴミ箱があったのか?煤が取り切れない焼け焦げた道路など、無残な跡を目にする機会も少なくありませんでした。

 また、次のデモに向けて準備しているのでしょう。パリの商店や銀行などの店舗には、バリケードをはりつけて、準備しているのをあちこちで見かけました。



 そして、また、その1週間後の24日には、再び、大規模なデモが予定されているのは、聞いていたのですが、運の悪いことに、久しぶりにパリに遊びに来てくれていた従姉妹が日本へ帰国する日。

 前日の夜から、どうやって空港まで行こうか?と考えたり、一応、どの路線が動いているか?とか、検討していました。

 タクシーもありかな?と思っていたものの、道路が封鎖されたりすることもないわけではないだろうから、ちょっとタクシーはできれば避けようと思っていました。

 当日の朝、一応、予定していた路線をチェックして、なんとか行けそうかな?と思っていたのが甘かった・・。念のため、昼過ぎ頃になって、もう一度、路線をチェックしたら、シャトレ駅がほとんど、乗り換えさえもできない状態になっており、また、路線を変更しなければならなくなっていました。

 しかし、とにかくもメトロの駅にまず、行くのにも、近隣のバスもストップ、トラムも動いてない・・メトロの駅まで重たいスーツケース等をゴロゴロ転がしながら、歩いて行くことに・・。

 しかし、他には方法がないので、とりあえず、駅まで歩くことにしたのですが、その途中でまず、もの凄い数の警察車両が停車しており、その先には、ちょっと引くほどの警察官や憲兵隊が超重装備で固まっており、またその先には、デモ隊がどんだけ続くの?と思うほど、移動していきます。



 私たちが遭遇したデモ隊の周囲には、その時点では、ブラックブロックのような暴力集団はおらず、平和?なデモ隊ではありましたが、なんといっても、こんなに間近にデモ隊に遭遇するのは、私は、初めてで、やはり生でライブで目の当たりにするのは、大迫力。

 そのデモを突っ切るカタチで駅に行かなければならなかったのですが、取材に来ていたプレスの方やデモに参加している人の一部が荷物を運ぶのを手伝ってくださったり、フランス人の優しさに触れた時間でもありました。

 実際にデモに参加している人に接してみれば、この正当なデモをしている人々は、便乗して暴力行為や破壊行為、略奪行為をする人々とは全然、別の人々です。

 しかし、スゴイ迫力には違いがありません。が当人たちは、楽しそうでさえもあります。

 警察官や憲兵隊がその後の道すがらもものすごい数で、その威圧感たるやもの凄くて・・こちらの方は怖いです。

 通常は、大きなデモがあったりする場合は、出かけたりしないので、今回、こんな場面に遭遇して、これが・・ホンモノのフランスのデモの迫力・・と実感しました。

 しかし、私が今回、遭遇したデモは、迫力はあったものの、暴力的なものには、発展していませんでしたが、何より、これから日本に帰国する従姉妹にとったら、さらに衝撃的であったはず。

 彼女がパリに滞在していた間は、比較的、現地の人に近い生活を送っていたと思いますが、最後の最後に、まさかのまさに、もっとも今のフランスらしい場面に遭遇し、彼女にとっても、忘れられない思い出として心に刻まれたことでしょう。

 しかし、こんな状況で、ふつうの観光客はどうやって空港に行っているのか?今回ばかりは、心配になったのでした。

 世界一の観光大国と自負するならば、せめて、観光客が安全に空港を行き来できるルートを確保してくれてもいいんじゃないか?そんなふうに思った次第です。

 少なくとも、デモ等の影響を避けたいならば、土曜日離発着の便は避けた方がいいのかも?そんなことまで思いました。


デモ隊遭遇


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2026年10月24日土曜日

ローマのマルシェ MERCATO TRIONFALE

  


 最近、私は、パリでもマルシェ巡りが楽しくなっているのですが、それが私の大好きな食の宝庫であるイタリアともなれば、絶対に訪れたかったのは、ローマでもマルシェは絶対に外せませんでした。

 色々と行程を組んでいて、比較的、立ち寄りやすい充実したマルシェを探していたら、みつけたのが、「MERCATO TRIONFLE」でした。

 広い屋内のマルシェですが、もうマルシェに入る前から興奮状態のため、もう右に左にと目をやりながらも、もうよだれが出てきそうなものばかりです。




 新鮮な野菜、今はキノコの季節なので、大きなポルチーニ茸、色とりどりのトマト、オリーブ、チーズ、ハム、肉・・などなど・・魚屋さんなども、パリには、置いていない魚、特にイカやタコの類、貝類などは、とても充実しています。

 ほんと、パリに持って帰りたいものばかりで、ガマンするのが苦しかったです。

 野菜などもパリにはない野菜類、また、野菜を調理しやすいようにカットしてあるものなども、食へのこだわりが感じられるところです。

 イタリア料理は、素材の味を上手に生かしていると感じられるものが多く、その分、素材の質は、高いように思います。



 マルシェの中のお店のおじさん、おばさんたちも、明るく陽気な人が多く、買い物をして、写真撮ってもいいですか?というと、笑顔でポーズをとってくれました。

 時間があまりたっぷりあったわけではないし、また、持てる荷物にも限りがあるために、買えるものはごくごく限られているので、気ばかり焦っていたな・・と後から思いますが、美味しいオリーブに関しては、かねてから、パリでも美味しいオリーブを探して歩いていたのですが、どうにも納得がいくものが見つからず、一度、レストランでとても美味しいオリーブを出してくれたので、「これ、とっても美味しいんだけど、どこで買えますか?」と聞いたのですが、「これは、業者から買ってるものだから、一般の人が買えるのかわからない・・」と冷たい返事でした。


 それ以来、ずっと探していた美味しい食べやすいオリーブにここでは出会え、1㎏買ってしまいました。

 あとは、パルミジャーノの大きな塊を2つ。ここのおじさんは、全く英語を話す気がなく、ずっとイタリア語だけ。でも、なんとなく通じるのが不思議でしたが、結局、最後にはおまけまでしてくれて、大変、陽気で楽しいお買物ができました。


 また、子豚の丸焼きを売っていたおじさんは、パフォーマンスがすごくて、大きな声で人を呼び、興味ありそうに近付くと、これ?試食?と驚くような量を食べさせてくれました。

 私はこれまでパリでも、どこかのマルシェで子豚の丸焼きを見かけたことはあったのですが、どうにもグロくて、ちょっと遠目から見ていただけで、実際に食べたことはありませんでした。

 それが今回は、このおじさんのおかげで初めて食べてみたのですが、これが驚くほどしっとりジューシーで、また、薄味なのに、しっかりと味わい深く、どうやって味をつけているのか?とっても不思議でしたが、とにかく想像以上に美味しくて、思わず買ってしまいました。

 皮の部分もテリテリ、カリカリに焼いてあって、それもまた美味しいのです。

 もうこれだけ買ったところで、もう岩でも持ち歩いているくらいの感じになってしまったので、買い物は終了しました。

 今度は、このマルシェでの買い物だけのためにローマに行ってもいいな・・と思うくらいでした。

 つくづく、私は食べることが好きなんだ・・とあらためて、再確認しました。

 美味しいものは、人を幸せにしてくれます。


ローマのマルシェ MERCATO TRIONFALE


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2026年10月23日金曜日

ホテルの星の数の不思議

  


 旅行をするときのホテルの予約の際には、星の数をある程度は、参考にはするのですが、この星の数は、必ずしも当てにならないというか、なんか納得いかなくて、モヤモヤすることがあります。

 これは良い意味でも悪い意味でも、期待を裏切ってくれることがあるということです。

 ホテルの星の数は、客室や設備の充実度、サービスの質、ホテルの施設、利便性などを評価したものとされていますが、これは、その国や地域の総体的、相対的な評価ということならば、違ってくることもあるだろうし、世界共通の統一基準のようなものがあるわけではなさそうです。

 一度、フランス国内の地方で四つ星ホテルを予約したら、驚くほど部屋も狭いし、設備も今ひとつだったので、かなりガッカリした覚えがあります。

 また、逆にイタリアのプライアーノで三ツ星ホテルに泊まったときには、お部屋や調度品、眺望などから、その施設もサービスも申し分なく、なんで?このホテルが三ツ星?少なくとも充分に四つ星はあってもいいんじゃないの?と思ったことがありました。

 だいたい、ホテルの予約をするときは、サイトを見て、その写真や立地条件やサービス内容などを検討して予約します。実際に行ってみると、あの写真、たしかに、ここなんだろうけど、うまく写真、撮ったな・・と思うことは、多々、あって、まあ、それが笑って許せる範囲内であることもあれば、そうでないこともあります。

 今回はローマの四つ星ホテルに泊まったのですが、まず、行きたいところに行きやすい立地条件、ある程度、ゆったりできる快適さ、朝食がついていることなどを基準に選びました。

 ローマなので、お部屋が四つ星にしては、少々、狭めかな?とは思いましたが、インテリアなどもまあまあセンス良く、バスタブもついていたし、パティオもあったりして、まあまあ優雅な感じではありました。

 イタリアに行く時は、私はホテルの朝食というものをとても楽しみにしていて、色々な種類のハムやチーズやソーセージ、サラダ、フルーツ、シリアル、パンなどなど、シンプルなものでも、その素材自体がとても素晴らしいので、その地域の色々なものを試せる絶好のチャンス。

 美味しいものを見つけたら、ハムならハム、チーズならチーズの名前をホテルの人に聞いて、マルシェに買いに行って、パリに持って帰るのも楽しみのひとつなのです。

 ああ、あと、かならず、オリーブオイルやバルサミコなどの銘柄もチェックします。今回はこのホテルでは、とても美味しいバルサミコを置いていました。

 そんなわけで、今回の四つ星ホテルの朝食は充分に納得のいくものでした。

 ただし、納得いかなかったのは、ホテルのサービスで、フロントの人の対応がまるで無責任。ホテルにチェックインしたあとに、その日の夕食と翌日の昼食用のレストランの予約を頼んだのですが、「サイトから予約すれば・・」と。

 サイトから予約できるようになっていなかったので、頼んでいるのに・・。そうしたら、「サイトからできないなら、電話すれば・・」と。

 ふつう、四つ星ホテルくらいだったら、レストランの予約くらいは快くしてくれると思うのですが・・。

 しつこく食い下がったら、やっと電話してくれて、「応答がないから、電話して、後で知らせます」と。その日は私たちはそのまま出かけてしまう予定だったので、その予約がとれたかどうか、確認できないので、もう、そのレストランは諦めることにしました。

 そして、それなら、ホテルからあまり遠くないところでおススメのレストランを紹介してくださいとお願いし、その中からひとつを選んで、ようやく予約してくれました。

 それから、翌日のレストランは、帰ってきてから結果を聞きますから・・と言ってでかけました・・が、ホテルに戻ってみると、フロントの人は時間で交代しており、何の申し送りもしてありませんでした。

 もう、その段階でほぼほぼ諦めて、部屋に戻り、別のレストランを検討しました。翌朝、一応、チェックアウトの際に一応、再びレストランの予約の件を確認しましたが、やっぱり予約はしておらず、何の申し送りもありませんでした。こんな無責任なことある?と憤慨しました。食べ物の恨みは大きいのです。

 また、もうひとつ、四つ星なのに・・と思ったのは、アメニティです。小さなシャンプーやバス○○などはあるものの、二人分には足る量ではなく、コンディショナーもありません。

 せっかく良い施設などはあるのに、サービス面では、十分ではないというところでした。

 敢えて、名前は出しませんが、朝食以外は、ちょっと残念なホテル。

 あらためて、ホテルの星の数とは?と思ってしまったホテルでした。


ホテルの星数


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2026年10月22日木曜日

数十年ぶり?のローマ 私はローマを侮っていた・・

  


 今回の旅行に関しては、本当は、南スペインに行くつもりにしていたのですが、我が家のポニョが病気になってしまったため、人に頼むにしても、あまり長くは家を留守にはできない気持ちが強く、一泊くらいだったら・・と、もう少しパリから行きやすいところに変更することにしたのです。

 となると、やっぱりイタリア・・ローマだったら、ローマに着いてからの乗り継ぎ等もなく、比較的、移動に時間がかからないため、また、一緒に行く従姉妹がとにかく、イタリアには一度も行ったことがないから、どこでも・・という話だったので、ちょうど、たまたま、とても行ってみたいレストランなどもあったことから、ローマに行くことにしたのでした。

 まあ、私がイタリアに行くのは、ほぼほぼ食べることが目的で観光は二の次なのです。しかし、従姉妹が初めて・・というので、一応、観光っぽいものもしないと、なんとなく気の毒かな?とも思い、ローマでは、映画「ローマの休日」に出てくる「真実の口」とか、「コロッセオ」とか、「スペイン階段」とか、「トレビの泉」、そして「サンピエトロ大聖堂」などを廻る予定を組みました。

 そして、大きなマルシェも・・。

 ホテルもそれらの場所に比較的、行きやすい場所を選び、市内では、ほとんど徒歩か路線バスで移動しました。

 私が以前、ローマに来たのは、来たといってもはるか昔。断片的な記憶しかありませんでしたが、特に市内を路線バスに乗っているだけで、ごくごくすぐそばに次々にあらわれる遺跡の数々、パンテオン・・コロッセオなどなどの他にそこまで有名ではなくても、すぐそこに保存されている遺跡があちこちにあり、大興奮でした。

 パリにもパンテオンがありますが、あまりに綺麗に整備されすぎていて、古代感が薄く、逆にローマは、あまり、きっちり整備されきっていないところが、逆にリアル感があり、グッとくるものがあります。

 同じものでも、その時の自分によって、感じることは違うと思うし、現在の私は、気が付いてみると、無意識に色々とパリと比較してしまうところがあるので、また、別の感じ方があるのかもしれません。

 なんとなく、部分的にあった記憶よりも、実際にスマホ片手に手探りで歩きながら、名所を廻っていると、また独特な感慨があります。

 こんな歴史を身近に感じられる都会ってスゴイ!そんな風に思い、なんとなく、ローマを軽んじていた自分を恥じ、また、ゆっくり来たいな・・と思いました。もうすっかりローマのバスの乗り方もマスターしました。

 これはパリも恐らく同じですが、観光客に対して、公共交通機関はあまりに説明がなさすぎです。

 あと、街中では、パリよりも英語を話してくれる人が少なく感じましたが、英語で尋ねても、イタリア語まじりの英語、もしくはイタリア語だけで説明してくれます。

 それから、なんといっても、大きいのが食べ物です。私は、ここ数年はずっと南イタリアばかりに行っていたので、ローマはなんといっても首都だし、都会だし、物価はそこまで安くはないのではないか?と少し思っていたのですが、やっぱり安いです・・というか、パリの物価って、異様に高いんだな・・とあらためて再確認しました。

 ローマ滞在中はイタリア料理オンリーでしたが、もうちょっとした名前を知っているようなメニュー、例えばブルスケッタなどでも、種類はいっぱいあり、また、そのひとつひとつが、小憎らしいくらいにシンプルだったり、「えっ?これ使うの?」みたいな、ちょっとしたアクセントが効かせてあったり、いちいち、大感動です。

 しかも、やっぱりどこのレストランでもハズレなし。毎回、何かをオーダーしても、想像以上のクォリティのものが登場します。いちいち、こんなのパリで食べたら大変な値段!と思ってしまうし、また、別の話ではありますが、パリで美味しいイタリアンを見つけるのは大変なことです。

 シンプルなメニューでも、新鮮な素材が使われているので、この材料が使われていて、この値段!と嬉しい驚きの連続です。

 もちろんパスタも、まず、なかなかパリではお目にかかれないしっかりとした食感の生パスタ・・これをピッタリとアルデンテに茹でるのも難しそう・・と思ったり・・。

 食べ物に関しては、ほぼほぼパリの半額に近い印象です。

 もちろん、マルシェでも、もう欲しいものばかり!マルシェごと買って帰りたい気持ちでしたが、浅漬けのグリーンのオリーブとチーズ、子豚の丸焼きの一部しか、買えませんでしたが、これだけでも重い重い!でも大満足。

 特にパリでも良く買っているイタリアのチーズなどは、なんで、パリだとあんなに高いの?と恨めしくなるくらいでした。

 食べ物は、間違いない!と思っていましたが、やっぱり間違いないどころか、いつも想像の上をいってくれて、しかも安い!そのうえ、ごくごく身近なところに遺跡がポコポコあって、そんなものも楽しめる。ローマがローマ帝国であった・・全ての道はローマに続く・・などと言われた輝かしい過去の面影が見える気がしました。

 そうそう、バチカンについて・・忘れていましたが、凄く壮大!パリのノートルダム大聖堂の何倍もインパクトあり。やはりカトリックの総本山。しかし、ものすごい人・人・人。この荘厳さ・・偉大さ・・世界中の多くの人が惹かれるのもわかります。

 とにかくローマ・・やっぱりすごいです。パリから2時間で行けるし・・。

 また、ぜひ、行こう!と思っています。

 そうそう、一個、忘れていました。ローマの空港は、液体の持ち込みが2リットル以内であれば、OKになっていました。これは、パリでは、まだそんな風になっていなかったので、ローマの空港の方が進んでいます。


ローマ


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2026年10月21日水曜日

へんな飛行機に当たっちゃった・・

  


 イタリアは、大好きな国ですが、イタリアへの往復のフライトには、警戒しています。まず、トラブルありき・・と思っていた方がダメージが少ない・・そんな気がしています。

 飛行機が時間どおりかどうかなどは、もはや、あまり期待はしておらず、たまにオンタイム!なんて表示されていると、こんなこともあるの?と驚くくらい・・。

 遅延はあたりまえです。

 荷物に関しても、痛い目にあったことがあるので、絶対に預けません。

 その他は、パリからだと飛行時間も短いので機内でのサービス等はどうでもいいです。

 しかし、今回のローマ往復は格安航空会社だったので、ちょっと普通ではありえないことがありました。たまたま前日にオンラインチェックインをした際に、残りの席が非常口近くの席以外は追加料金・・と表示されていたので、「まっいいか!」とその席にしてしまったのですが、実際に搭乗すると、「フランス語話せますか?」と。

 「フランス語を話せない方はこの席には座れません」と、もう一人の従姉妹は別の席に移動させられてしまいました。

 なにやら、非常時に手伝ってもらわなければならないから、その時の説明はフランス語なので、フランス語が分からない方はこの席はダメなんだ・・と。

 「そんなこと、書いてなかったじゃない!」と、私が物申すと、「いいえ、書いてありました!」と。そんなこと、今さら、言い合いしても仕方ないので、従姉妹は別席へ。

 しかし、他の席にすると、追加料金をはらわなければならなかったはずなのに、あれって、なんだったの?と後でいぶかしく思いました。

 あと、たまたま、その便は、学生の団体と、なんだか、黄色いスカーフを首に巻いている妙な宗教の団体(なんだか素朴な顔した年配の人々)が一緒になってしまって、乗客のほとんどがその人たち・・。

 異様な雰囲気の宗教団体と学生たちのうるさいこと、うるさいこと・・。

 学生がうるさいのは、まあ、あるあるですが、その妙な宗教団体のおじさん、おばさんたちもよくしゃべる人たちで、なんだか搭乗するや否や、お互いに飴やお菓子を仲間内で配り始めたり・・もう帰りで疲れているのに、ウンザリでした。

 飛行機の便は、その航空会社のサービスもありますが、たまたま乗り合わせる人々によってもずいぶんと差があります。今回はそれも大外れでした。

 しかし、これは、予約時点では、知る由もなし、全くの運です。

 いつか、日本行きのたしかJALだったと思いますが、パリ・オペラ座の一団と一緒になったことがあって、大変、目の保養になったことを思い出しました。でも、パリ・オペラ座の人たちが、エアフランスじゃなくて、なんでJAL?と思ったりもしたのですが・・。

 とにかく飛行機は、色々と当たりはずれがあります。


フライトの当たりハズレ


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2026年10月20日火曜日

イタリア行きの飛行機はいつも・・

  


 従姉妹が日本から来てくれていて、パリ滞在中に一緒にヨーロッパのどこかに行こうと言っていたのですが、猫のポニョの体調が今一つのために、あまり長期間、留守にするのは、少々心配で、誰かに頼むにしても、せいぜい一泊くらいなら・・ということで、近場を選ぶことにしたのです。

 本来はグラナダの方へ行きたかったのですが、一泊しかできないのに、あまり移動時間に割くのは、もったいない・・ということで、さんざん迷った挙句、今回もまた、イタリア・・イタリアの中でも移動にあまり時間のかからないローマに行くことにしたのです。

 ローマならば、パリから飛行機で2時間ほどです。そして、できるなら、CDG空港ではなく、オルリー空港から出る便を選びました。オルリー空港からなら、メトロ14号線で直通で行けるので、空港までの時間がCDG空港よりも、ずっと時間が短縮できるうえに、簡単。

 しかもメトロ14号線ならば3分に1本くらいの頻度で出ています。

 というわけで、オルリー空港からローマに行く便を探したのですが、これが、大手の航空会社の便はなく、以前、苦い思いをしたこともあったのですが、トランザビア航空になりました。

 個人的には、わざわざ災いの中に飛び込んでいくというような気分ではあったのですが、まあ、トランザビア航空とて、いつもいつも問題ばかり・・というわけではないだろうし・・と祈るような気持ちでした。

 イタリア好きの私としては、これまで数十回となくイタリアには行ってきましたが、まあ、フライトでトラブルに遭遇する確率はかなり高く(というか、単に私が運が悪かったのかもしれませんが・・)、「とりあえず、荷物は預けない」のが、私の中での鉄則です。

 どこへ(イタリアの)行った時だったか忘れてしまいましたが、空港に着いたら、空港のあちこちに、やたらと「バゲージ・クレーム」のポイントがあり、嫌な予感。

 案の定、私たちの荷物は届いておらず、その「バゲージ・クレーム」ポイントへ。

 彼らにとっては、荷物が届いていないのは、いつもの通常運転のごとく、明日、ホテルに届けるんだから、いいじゃない・・と。どうやら、彼らにとっては、スーツケースは何も、乗客と同じ便に乗せなければならないという頭はないらしく、同じ場所に届ければいい・・とそんな風に思っている感じでした。

 結局、荷物は翌朝、ホテルに届いたには届いたのですが、到着した日は着の身着のままで過ごすハメになりました。それからというもの、イタリア行きの場合、スーツケースは預けないで済むように、機内持ち込みできるだけしか、荷物は持って行かないようになりました。

 その他、定刻に出ないのは、もうあたりまえのような感じで、ある程度は、遅れることを前提に予定を立てています。

 今回、空港について、まず、出発時にチェックすると私たちの乗る便はまさかのオンタイム。は~~?こんなこともあるんだ・・と思ったのに、飛行機に搭乗してからのまさかの1時間待ちでした。まあ、1時間で済んだだけでも、幸いです。

 いつだったか、ナポリからの飛行機が気が遠くなるくらい遅れて、深夜、しかもオルリーではなく、CDGまで行ってしまって(夜間だとオルリー空港には着陸できないらしい)、もう家に着いたのは午前3時過ぎ・・なんてことがあったのです。

 今回は、行きはそんな感じでしたが、今度は帰りの便。もう最初から、遅延のお知らせ・・で、やっぱり1時間以上の遅延でした。どうやらオーバーブッキングだったことが、原因だったようなことを周囲の乗客が話していましたが、トランザビア航空からは、遅延のお知らせは、空港で待っている間にスマホに連絡が来ていましたが、理由は何も説明がありませんでした。

 そもそものフライト時間は2時間くらいでも、結局、遅延の時間がプラスされてしまうわけです。

 まあ、これもイタリア旅行らしいといえばらしいのですが、毎度のことながら、疲れます。

 毎日、同じ便が飛んでいるのに、どうして、こうも毎度毎度、遅延が起こるのか?全く疑問です。

 しかし、イタリア自体は、すばらしく、特に食べ物は、最高です。


イタリア行きの飛行機


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2026年10月19日月曜日

10月17日のフランス全土にわたる暴動について これは酷すぎ・・

 


 フランスに住んでいると、デモは日常的にやっているし、実際、「また、やってる・・」と、そこで、多少の騒ぎになることはあっても、さほど響かなくなっていることが、正直、自分でも驚きではあります。

 冷静に考えれば、大変なことではあるのですが、慣れというのは怖いもので、実際にデモなどの情報が入れば、一応、気をつけたりはするものの、私が住んでいる場所が比較的、穏やかなエリアであることもあって、土日だったりすれば、静かなままであったりもするので、報道等で流れてくる映像を見て、初めて驚いたりするのが実のところです。

 しかし、今回のデモから暴動へと発展している様子には、さすがに度を越えているな・・と危機感を持っています。

 今年度の大がかりな動きは、高校生のデモから始まり、今回は、そこから派生したというか、この最初のデモが想像以上に大きなものになったことが呼び水のようになり、もっと広範囲な不満、燃料、エネルギー、食料品等の生活費の高騰や公共サービスへの不満、格差への反発、政治への失望(マクロン大統領の政権運営に対する不満から学生や労働組合、左派の政治勢力を動かしている)という単なる一つの政策への反対だけではなく、生活への不安と政治への不信が重なったものであると見られています。

 今回、10月17日のデモは、内務省の発表では、全国で約55万人(うち11万人がパリ)、主催者側は80万人を動員したとしています。また、1,800人が逮捕され、500人以上の警察官、憲兵、消防士が負傷し、マティニオン宮殿では、閣僚級の危機対策会議が招集されました。

 パリでは店舗の略奪や車両への放火、警察との衝突が激しく、リモージュでは市庁舎が燃やされ、リヨンでは観光案内所が放火されるなど、深刻な被害が発生しています。

 昨今のデモは、すぐに暴徒化してしまう傾向があり、生半可なデモでは、政府が動かないと思っているのか?手が付けられない状況になりますが、これは、れっきとした犯罪ですし、これらの暴力・破壊行為が本来の要求を掻き消してしまうことになってしまうのは、正当な主張をするためにデモを行っている人々にとっては、非常に気の毒なことです。

 また、今回の暴動は、間近に控えている大統領選挙も関係しているとも言われ、左派勢力が先導とまではいわないまでも、このデモを支持していますし、これに乗じていつも登場するブラックブロックのような破壊行為そのものを目的とするグループまでもが登場していることが確認されています。

 ただでさえ、景気が停滞しているところに、このような破壊行為・略奪行為などが頻繁に起これば、ますます事態は悪くなるばかりです。

 マクロン大統領が1期目に就任してすぐに起こった黄色いベスト運動でしたが、2期目の任期の終盤で再び国中を沸かしている今回の暴動・・マクロン大統領は、結局、最初から最後まで暴動に苦しめられることになっています。


10月17日フランス暴動


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2026年10月18日日曜日

フランスのマルシェ文化 土曜日のパリのマルシェ

  


 私が子育てをしていた頃には、あまりマルシェに行くことはありませんでした。我が家のごくごく近所には、マルシェがなかったということもありますが、マルシェでの買い物は、明らかに時間がかかり、一か所で素早く買い物ができてしまうスーパーマーケットばかりで買い物をしていました。

 とにかく、子育て期間中は、途中で夫が突然、他界してしまったこともあり、とにかく忙しく、常に時間に追われており、働きながらの子育ては本当に大変で、平日の学校の送り迎えと仕事で平日もゼーゼーな感じ、週のうちの2日のお休みには、お稽古事の送り迎えやその他、やらなければならないことが山積みでマルシェでのんびりお買物をしている時間はありませんでした。


 そんな私がマルシェに行くようになったのは、ごくごく最近のことで、行きはじめてみると、マルシェの食材の方が断然、新鮮だし、買い物するのにも、そこには、何かしらの触れ合いがあって、ぬくもりが感じられる空間で、私のマルシェ通いも板についてきた気がしています。

 マルシェは場所によって市が立つ日が違うのですが、私の行っているマルシェは水曜日と土曜日に市内の屋内スペースに設けられるマルシェです。




 特に土曜日のマルシェは、休日にみんなが買い物に来ている憩いの場という感じで、フランス人の生活感がとても感じられる感じでとても好きです。

 どちらかといえば、年輩の人が多いとはいえ、子連れ、犬連れの人なんかもけっこういて、お客さんどおしが皆、顔見知りというか、なんなら、連れてきている犬どおしも顔見知りな感じで、ほんと、下町感というか、田舎の人付き合いみたいなホッコリ感があります。




 マルシェのお店を出している人たちは、どんどんお客さんに声をかけるし(商売だし)、顔見知りにもなっていくし、最初は、マルシェなのに愛想のない感じのおばあさん(パン屋さん)も、最近は、ニッコリしてくれるようになったりして、そんな小さなことも嬉しかったりして、人のぬくもりが感じられます。

 こうしたマルシェという文化がパリにもしっかり残り続けているということが、フランスらしいところで、こういうところだからこそ、フランス人ってこういう人たちなんだな・・というところが垣間見える場所なのです。




 まあ、パリジャン・パリジェンヌにも色々な人がいるので、一概に言うこともできないかもしれませんが、いわゆる下町のおじちゃん、おばちゃんみたいな人がたくさんで、実は面倒見のよい、人の良さが感じられる空間なので、私としては、とても居心地が良い場所なのです。

 そういう私は東京生まれ、東京育ちで、逆に私の生まれ育った地域には、このような場所がなかったので、余計に、もう一つのほっこりする故郷のような気がしているのです。

 パリ=ほっこり・・というイメージは一般的にはあまりないかもしれないのですが、実はパリにもこのような空間があるということはとっても嬉しいことなのです。


フランスのマルシェ


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2026年10月17日土曜日

パリのメトロの通路はやたらと歩くし、上り下りが多い

  


 私自身は、もう慣れてしまったので、そこまで気になることはなかったのですが、日本から来た人などには、驚くことがいっぱいあるようで、そのひとつは、やたらと歩くところが多いということです。

 どこかの駅で違う路線に乗り換えたりする場合、同じ駅内でも別の路線のホームまで移動するわけですが、アクセスがしやすい路線というものもあるには、あるのですが、そう遠くないにしても、途中で階段を上って、またすぐ下りて、「じゃあ、さっき、なんで上がったのよ!」と思うようなところがけっこうあって、細かな通路を渡り歩かなければならない場合が多いです。

 エスカレーターがない駅も多いし、あっても故障中というケースも多いし、ホント、健脚じゃないと、メトロの移動は厳しいだろうな・・と思うことがあります。

 それでも不幸中の幸いは、例えば、ベビーカーを押していて、階段の前で立ち往生している人がいたりすると、スッとどこからか人が表れて、ひょいとベビーカーを持ち上げて階段を上ってくれたりして、その後は、何ごともなかったようにスマートに立ち去っていく人がけっこういるので、本当に困っている人は見たことはありません。

 私でさえも、重い荷物を持っていたりすると、「手伝いましょうか?」と声をかけてくれて、重い荷物を持って上がってくれたりする人があらわれることが多いので、優しいな・・と好意に甘えてしまいます。

 とはいえ、ムダな上り下りが多いメトロの通路には、遭遇するたびに、また・・ここもだ・・と軽くウンザリします。

 パリのメトロは1900年に開通したそうで、その後、路線が段階的に増えてきています。1号線から今のところ14号線、15号線(これは2026年10月開通予定となっていますが・・)、この先、16、17、18号線まで計画・建設が進められています。

 多少の例外はありますが、このため、後からできたものほど、奥深く掘っているため、階段が多いことになります。ただし、最近、出来ている駅に関しては、エスカレーターがしっかり完備はしていますが、その駅との乗り継ぎの路線とのアクセスとなると、路線ごとに違う深さで作られていることもあり、また、パリの地下には、古い建物の基礎、上下水道、地下室、他の路線のトンネルなどが入り組んでおり、高さが一定にはできずに、上がったり、下がったりが多くなっているのです。

 もともと別々に作られた駅を乗換駅として接続した場合、最初から一体設計された駅のように平らでまっすぐな通路にするのは困難なのだそうです。

 また、古い駅になればなるほど、エスカレーターやエレベーターを後付けしにくいということもあり、こんなに階段上る??と心底、ウンザリする駅もあります。

 しかも、螺旋階段のようになっていて、終わりが見えず、延々と上らなければならない駅もあります。

 総合的にいえば、乗り換え客の歩きやすさよりも、各路線を建設できる場所に通すことが優先された結果ということらしいです。

 これは、メトロの階段問題だけでなく、あらゆる面において、顧客の便利さとか、使いやすさといったことに対する配慮が欠けている・・と感じることが多いのです。

 これも私が日本(東京)で生まれ育って、日本の清潔で便利な環境がごくごく当然のこととして、育ってきたので、いちいち「え~~?」と思うのであって、パリの人は、「これはこういうもんだ・・」と素直に受け入れている感じがします。


パリのメトロの階段


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2026年10月16日金曜日

私のいない日本での娘と私の友人

  


 友人から、突然、LINEで写真が送られてきて、「サプライズー!」と書いてあったので、ふむふむ、どんなサプライズなのかと思ったら、写真には、その友人とそのパートナーともう一人・・なんと、娘が映っていて、ホントにサプライズでした。

 どうやら、写真は彼女の家のような感じ(といっても私は、大昔に一度おじゃましたくらいなので、全くどんなお家だったかは覚えていない)で三人がニッコリ笑っています。

 私の友人と娘は面識はあるし、私が日本に帰国した際などに、一緒にでかけたりしたこともあったし、それこそ、娘が小さい頃には、私は日本に帰国時も(母がすでに心臓の具合があまりよくなかったこともあって・・)どこに行くにも娘を連れ歩いていたので、私が帰国時に友人に会ったりしている場所には、常に一緒にいたので、自ずと、私の親しい友人は、全員、娘のことを知っているわけです。

 とはいえ、娘が大きくなってから、また、一人で日本で生活を始めてからは、そうそう接点はなく、といっても、娘が日本で生活を始めたばかりの頃には、なにか困ったことがあったら、きっと助けてくれるだろうから・・と、娘と私の友人たちのLINEを繋げてもらっていました。

 以前にも別の友人と彼女がパリに来るときに、友人が託してくれたものがあって、それを受け取りに二人で食事してきた・・とかいうのが、そういえば、あったのですが、今回は、まるでそんな話を事前に聞いていなかったうえ、彼女の自宅。

 そりゃビックリです。

 娘は、そのへんは、妙に腰が軽いというか、食べ物につられて出かけるというか・・あまり、私の友人に私なしで会うということに抵抗がないらしく、今回も、近々、パリに来る従姉妹に言伝てくれるものを受け取りに行ってくれたとのこと。

 なんともありがたい話です。

 しかし、自分自身に置き換えてみるならば、私が母の友人に母ぬきで会って食事する・・なんてことは、想像すらつかなかった話。これまでの経緯があればこそという感じではありますが、不思議な気持ちです。

 以前にも、娘には、「そういうの(私の友人に私なしで会ったりすること)って嫌じゃないの?大丈夫?」と聞いたことがあり、彼女はサラッと「全然・・」とひとこと。

 「美味しいもの食べられるもん!」と。

 思うに、なんなら、私が死んだあとも、彼女たちは、こうして付き合い続けられるんじゃないかと・・。そんな妙な勘ぐりまでしてしまうのでした。

 それもこれも、娘が日本語をふつうに話せるようになっていたおかげ・・日本語教えておいて、本当によかったな・・と思います。

 しかし、嬉しい話です。


娘と私の友人


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2026年10月15日木曜日

半年以上待たされた心臓専門医の予約が・・

  


 もう今や、予約を取ったのがいつだったのかも、よく思い出せないのですが、明らかに予約を取った時点で、「え~~半年以上先じゃん!」と思ったのだけは覚えていました。

 この心臓専門医の予約待ちの長さは、フランスではしばらくは、フランスでは会う人ごとに愚痴っていた気がするのですが、みんながみんな、揃いも揃って、「まあ、そんなもんでしょ・・自分もね・・」とごくごく当然のこととして受け入れられているのです。

 もはや半年以上もたって、よく考えないと、なんで予約取ったんだっけ?(体調不良で、他にも色々検査をした挙句、最後に残っていたのが心臓の検査でした)と思うくらいの予約当日、まず、家のエレベーターが故障していて、階段でえっちら、おっちら、下まで降りることになり(上るときのことを考えながら・・)、「なんだか、今日はついてないな・・」と思いながら、半年以上待った、心臓専門医に向かいました。

 受付で、「今日、11時55分に予約を入れてあるのですが・・」というと、「カルト・ヴィタル(保険証カードのようなもの)を出してください」と。しばらく、受付の人が照会してくれていましたが、どうにも時間がかかり、「なんか、嫌な予感・・」と思っていると、その予感は命中。

 なんと、とっていたはずの予約はキャンセルになっていました。そんなことってある?と思うのですが、フランスだったら、あり得ないことではありません。こんな時は、もう自己防衛本能で、「できるだけ腹を立てないスイッチ」が作動し、すんなりと、「じゃあ、次の予約を入れてください」と涼しい顔をして、言ってのけたつもりでした。

 しかし、次の予約はというと、「来年の4月」ということで、もう半年以上待ちというのは、もういつでも変わらないのでした。

 前回、待たされることになったときには、半年先なんて、もし悪いところがあったら、そんな先なら死んでるよ!と思ったのですが、今度は、さらにまた半年先・・。

 もうどうでもよくなってきました。


専門医の予約待ち


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2026年10月14日水曜日

スーパーマーケットチェーンを襲った新手のサイバー攻撃で300店舗以上が大打撃

  


 サイバー攻撃の話は、わりと頻繁に聞く話で、今や珍しくはない話になっているのですが、たいていは、これまでは、情報漏洩とか、そういった類のものが大半を占めてきました。

 ところが、今回、始めて、冷蔵システムへのサイバー攻撃があり、インターネット、U、ルクレール、モノプリ、カーフールといったスーパーマーケットグループは、冷蔵システムへのサイバー攻撃のターゲットとなり、冷蔵庫、冷凍庫内の温度が最大80℃まで上昇し、大量の商品を廃棄せざるを得ない事態に陥り、中には、火災の被害まで出ているそうです。

 被害を受けたのは、デンマークのダンフォス社製のショーケースで標的となったのは、旧型のショーケースであると主張しています。

 ルコルニュ首相は、「これは前例のない極めて深刻な事態である」と遺憾の意を示し、この件をフランス国家サイバーセキュリティ庁(ANSSI)に付託しています。

 関係筋の情報によれば、被害総額は数百万ユーロに上る可能性があるといいます。

 最も被害の大きかったのは、「インターマルシェ」で、国内の200~300店舗が被害を被っています。

 冷蔵システムへのサイバー攻撃は、これまで前例がなく、そのうえ、これほどの規模の攻撃は初めてのことです。

 このダンフォス社製の冷蔵システムは、逆にいえば、これほど多くのスーパーマーケットチェーンに利用されていたのか?と驚くばかりですが、同社は大手小売店に加え、メトロなどのスーパーマーケットや特に精肉店などの個人経営店も影響が出ています。

 通常、冷蔵システムには、機器に付着した霜を除去する自動霜取り機能が搭載されています。これらの機器は、24時間のうち2時間だけ霜取りを行うようにプログラムできるそうです。しかし、このハッカーたちは、この機能を乗っ取り、温度を50℃に設定して、連続解凍サイクルを強制的に実行させたのです。その結果、冷蔵庫は商品を冷やすどころか、数時間にわたって加熱状態となりました。

 このハッキングの翌朝、早朝に冷蔵庫、冷凍庫をあけると熱風が噴き出したと業界関係者は証言しています。恐ろしい話です。

 一部の店舗では、攻撃は真夜中に始まり、数時間かけて温度が上昇し、最終的に影響を受けた商品は、すべて焼失したと見られます。

 焼失まではしなくとも、この被害を受けた商品は、当然、廃棄せざるを得なくなったわけで、一夜にして、大打撃、その廃棄処分だけでも、大変なことで、しばらく使い物にならないショーケースは、少なくとも、数日間は使いものにならないために、早急に次の仕入れを行ったとしても陳列できないわけですから、被害は雪だるま式に増加してしまうわけです。

 こんなサイバー攻撃、一体、だれが、何のためにやったのか?全くもって疑問ですが、こんな風に、ごくごく身近な生活の一部のものが影響を被ってしまうサイバー攻撃というものは、考えてみれば、他にもたくさんあるのではないか?と思ってしまいます。

 まったく、思っても見ないようなことが起こる時代です。

 先ほど、私がよく行くモノプリを覗いてみましたが、そこは被害を受けてはいなかったようです。


スーパーマーケットの冷蔵システムへのサイバー攻撃

 

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2026年10月13日火曜日

パリでもっとも歴史あるマレ地区の象徴的な市場「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」火災で全焼

 


 

 昨日の朝、一番で入ってきたのは、「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュで激しい火災が発生した!」というもので、これは、私にとってもかなりショッキングなニュースでした。

 すぐには、情報は入ってこなくて、「激しい炎に包まれている!」とか、「エリア全体から高い炎が上がっている!」とか、そんな感じでしたが、マルシェの構造上、エリア全体が燃え上がるなんてことは、途中で鎮火する・・なんてことは、考えづらいわけで、それから、まもなくして、「全焼した・・何も残っていない・・」という知らせが入ってきました。

 ここは、私にとっても、パリで大好きな場所のひとつ、近くを通れば、何も買わなくても、何も食べなくても、ブラ~ッと覗いて歩くだけで、楽しい・・そんな場所でした。

 警察当局によれば、火災発生は午前3時頃、火災報知器が鳴ったのは午前4時15分頃で、消防隊が到着した時には、高い炎が屋根付き市場全体を包み込んでいたそうです。

 約150人の消防士と約50台の消防車が出動し、その後、火災は鎮火したものの、1,000㎡の市場は完全に焼失してしまいました。


 このマルシェは1615年に設立され、16世紀に近くに設立された病院兼孤児院にちなんで名付けられました。フランソワ1世の妹によって設立されたこの施設は、パリのオテル・デュー病院から子どもたちを受け入れていました。

 ここはパリで初めて孤児の養育に特化した施設で、そこに暮らす子どもたちは、「神の子」と呼ばれていました。キリスト教の慈善の象徴である赤い布を見に纏った孤児たちは、赤い子どもたちと呼ばれるようになり、18世紀半ば、この孤児たちと施設に敬意を表して市場は、「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」(赤い子どもたちのマルシェ)に改名されました。

 それ以来、ずっとパリに存在してきたこのマルシェは、観光客にとっても地元民やフランス国内外の多くのセレブにとっての憩いの場としても超有名なスポットでした。時には、ミシュランの星付きシェフたちも、賑わうマルシェの中をひっそりと訪れている・・そんな場所でした。

 この火災により、市場内の約20軒の露店が店を失いました。フレンチのみならず、色々な国のお料理が気取らずに楽しめるお店ばかりでした。たしか、和食のお弁当屋さんのようなお店もあったと思います。

 ず~っと昔からあるものは、これからもず~っとあり続けると思っていましたが、このような災いが起こるのは、ちょっとタイプは違いますが、ノートルダム大聖堂が焼けてしまったときと似たような思いです。

 火災の原因はまだ発表されていませんが、しかし、出火したのが午前3時頃、どのお店も閉店していて、誰もいない時間帯に出火するのは、不自然です。逆に人のいる時間帯ならば、このような大災害になる前に鎮火できていたでしょう。

 ともかくも、この場所は歴史的建造物(1982年から)にも指定されていた場所で、パリ市が廃墟のようになってしまったこの場所をこのままにしておくわけがありません。

 今後の再建は、どのようにして、マレ地区の、パリ市の象徴的存在であった、この市場がその魂を取り戻せるのか?と早くもパリ市は、このマルシェの復興を約束しています。


マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ全焼


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