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2023年6月11日日曜日

日本に帰っていった娘 親離れ・子離れ

 


 転職を機に、パリに一時帰国?していた娘が日本に帰っていきました。2週間程度の滞在でしたが、その間、彼女は時間を惜しんでパリにいる友人と会ったり、私とも一緒にパリで買い物して歩いたり、食事に行ったり、イタリアに旅行したりと私にとっても、楽しい時間でした。

 私は子育ての過程において、かねてから、子供は、ある程度の年齢になったら、家を出て、独立した生活を経験するべきだと思っていたし、娘の場合は、彼女のエコールがボルドーにあったために、以前にも1人暮らし(といってもシェアハウスのようなところでしたが・・)をしていた期間がありました。

 途中、パンデミックで予定が狂ったりして、海外への留学がキャンセルになったりして、その間は、ボルドーを引き払って家に帰ってきて、パリでスタージュをしたりしている間は、家に戻っていましたが、就職先に日本にある会社を選んだことで、パリの家からは、出ていくことになりました。

 彼女が最初にボルドーで一人暮らしを始めるときは、親元を離れて生活するということが初めてだったので、日本っぽいとか、少々、親バカかとも思いつつ、どんなところで彼女がこれから生活するのかも見ておきたかったし、大家さんにも一応、挨拶をしておこうと思って、日帰りですが、一緒についていったし、また、日本で生活を始めるにあたっても、日本には何度も行ったことがあるとはいえ、日本で生活するのは初めてのことなので、住民票のこととか、銀行のこと、また、空き家になっていた私の実家で生活するために、家に不具合はないかとか、周囲の親戚や、私の友人など、色々な人に一応、声をかけておこうと、親として、私が彼女にしてあげられる最後のこと・・と思って、最初だけ一緒に日本に行き、その後、私は1人でパリに帰ってきました。

 彼女が日本で仕事をし、一人暮らしを始めて、1年とちょっとが経ち、今回、彼女がパリに帰ってきて、普段、時々、電話で話したり、メッセージを送りあったりしているものの、ゆっくり話をするのは、久しぶりで、彼女の様子から、日本とフランスの違いを肌で感じながら、着々と1人での生活を確立していっている様子が見えて、もともとしっかりした娘ではありましたが、またワンステップ、人として、成長した様子が見えて、やっぱりよかったな・・とそんな気持ちでいます。

 経済的にも、今の彼女はけっこう稼いでいるにもかかわらず、旅行などはけっこうしているらしいものの、実生活は、かなりガッチリとしていて相変わらずのケチケチ生活をしているようで、そんなところも、自分の生活を自分で営んでいるところが垣間見えて、微笑ましい限りです。

 正直、夫が亡くなって以来、親一人子一人の生活をずっと続けてきて、私は、これまでは何よりも娘のことを優先に生活してきたし、当初は、私も自分だけのために何かをするというリズムをすっかり忘れていましたが、今では、すっかり自分のリズムで生活することに慣れてしまいました。

 多少、寂しい気もすることはありますが、やっぱり、ある程度の年齢になったら、親から独立することは、必要なことだと思っています。

 私が彼女くらいの年齢の時は、時代も国も違うので、必ずしも、比較の対象にはなりませんが、父親がうるさくて、女の子が一人暮らしをするとか、あり得ない感じだったし、夜、出かけるにも、旅行に行くにも、いちいち親がうるさくて、かといっても、なんだかんだいって、自分は親がかりの生活を抜け出す勇気もなかなかなくて、どこか不満に思いながらも中途半端だったなぁと思います。

 日本は成人しても親元に居続けることが珍しくもないし、親の方も子供を独立させたがらないので、その時は、そのことをあまり、おかしいとも思っていなかったのですが、こうして海外に出てみると、子供が成人したら、わりと普通に独立していくのを見るにつけ、ある程度の年齢になったら、男女問わず、親離れ・子離れしていくことは、親にとっても、子供にとっても、人間として大事な成長の過程であると思うようになりました。

 海外での子育ては本当に大変でしたが、思い返すと本当に楽しかったし、子供がいなければできなかったであろう、このうえない経験を沢山させてもらいました。本当に楽しかったし、子供を産んで育てるという経験ができて、本当に有難い経験でした。

 しかし、この先もズルズルと親も子も、もたれかかりあう生活はどちらのためにもならないとも思い、区切りをつけることも必要だと私は自分に言い聞かせるようにしています。

 私の両親はもう他界してしまっているので、私は親の介護という問題からも卒業?し、今のところは、私が介護してもらうような状態でもないので、今は私は一応、子育ても卒業し、自分自身の生活を有意義に過ごせるように楽しみながら生活し、娘は娘でこれから彼女が自分自身の家庭を持つまでは、独身生活を謳歌しながら送っていくと思います。

 もともと、私は、彼女が生まれた時から、娘には国際人になってほしいと思っており、彼女には、日本にも海外にも共通に存在する名前をつけました。日本語も必死で一生懸命教えてきたし(英語はほんの少しだけだったけど・・)、こうして、今、色々な国の人々と仕事をし、海外を自由自在に行き来している彼女の姿は私の理想にかなり近かったかもしれないとも思います。

 彼女の今回の来仏は、できるだけ安いチケットを探したと言っていて、ベトナム経由のフライトを選び、ついでにベトナムにも数日、滞在するとかで、その体力とバイタリティには、感心するやら羨ましいやら・・。今、私にもそんな自由はあるものの、とても体力的に無理になってしまいました。

 とはいえ、離れて生活している以上、いつ何があるかもわからないし、「あれが最後だった・・」なんてことにもなりかねないため、空港までは送って行って、「次は私が日本に行くね・・元気でね・・」とお見送りをしてきました。

 今回、彼女がパリに着いた時に、エスカレーターが壊れていて、「フランスに帰ってきたなぁ・・」と実感していた彼女でしたが、彼女を見送って、早々に電車で帰ろうとした私は、不審な荷物があるとのことで、空港の駅が閉鎖・・。

 どうにか、違う駅まで移動して、もう娘の飛行機は出ている頃だろうな・・ヤレヤレ・・と家に帰ってくると、娘からメッセージで「飛行機が遅れていて、まだ出ていない・・」と。飛行機は結局1時間半も遅れて離陸し、彼女は、行きも帰りもフランスらしさを満喫することになったようです。

 彼女の選んだフライトは、ベトナムエアラインで日本への直行便ではないのに、「日本人観光客がいっぱいで、乗り継ぎに間に合わなくなると日本人が騒いでいる!」と・・。

 多くの日本人観光客も同じエアラインを選んでいるということは、やっぱり今、ベトナム経由が安いのかも??などと、思ったりしました。

 そんなわけで、彼女は今、フランス、イタリアに次ぎ、ベトナムでのプチバカンスを楽しんでいます。パリを出る時にスーツケースの計量とともに、自分の体重を測りながら、「ヤバい!4キロも増えてる!」と焦っていた娘・・ベトナムに着いても、「食べ物が美味しくて、しかも安い!これで4ユーロ!」などと写真を送ってきています。

 彼女のダイエットは日本に帰ってからになりそうです。


親離れ 子離れ


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2023年6月6日火曜日

シャンゼリゼでのディクテ(書き取り)大会 参加者5000人 ギネス記録樹立

  


 6月のある日曜日、パリ・シャンゼリゼでは、ディクテ(書き取り・口述筆記)大会が行われていました。このディクテというもの、私が中学生の頃、英語の授業の中でディクテーションというものがあったような微かな記憶がありますが、フランス語、特に正確にフランス語を読み書きするのが大の苦手・・というより、ほとんど無理なレベルの私にとっては、まるでフランス語の難易度をひけらかされているようにさえ感じる嫌みなイベントです。

 しかし、フランス人にとっては、幼い頃から慣れ親しんだ?それなりに苦労してきたディクテには、郷愁のようなものを感じるところもあるようです。

 毎年のように、このディクテの大会はどこかで開催されている話を耳にしますが、今年はシャンゼリゼで行われ、5000人が参加するというので、シャンゼリゼがディクテ会場として、どんなふうにセットアップされるのかだけでも、見ものだと思い、散歩がてら、シャンゼリゼに出かけてみました。

 久しぶりにパリに来ている娘にとって、シャンゼリゼは、なかなか誘惑の多い場所でもあり、洋服などを見ていたら、実際のディクテ会場に到達するのは、遅くなってしまって、下手をすると、もう終わっちゃってる?と思いきや、ディクテ大会は3部構成になっていて、私たちが見に行った時には、ちょうど3部目が始まるところでした。

 司会は、テレビでよく見かける女性司会者で、「世界一美しい通り・シャンゼリゼにようこそ!」と始まりました。このシャンゼリゼで何かが行われる時には、必ず司会者あるいは、解説者が口にする「世界一美しい通り・シャンゼリゼ」という文句には、何度聞いても、「まあ、そうかもしれないけどね・・」とちょっと苦笑させられます。

 この日の参加申し込みには、なんと5万件を超える応募があったとかで、その中から抽選で選ばれた10歳から92歳の約5000人が参加したそうです。(3部構成で、1回につき1779人が参加)

 シャンゼリゼには、凱旋門の目の前にステージと大型スクリーンが用意され、そのステージに向かって、学校で使うような机と椅子がきれいに並べられているという、ちょっと珍しい光景です。

 よくよく考えるならば、このディクテという大会が成立するのも、日本語でいう単に感じの書き取りのようなものではなく、文章の口述筆記で、フランス語の文法や余計?な記号の多さ、複雑さが、このような大会が成立する所以であり、多くの人、ネイティブのフランス人でさえも、正確にフランス語の文章をしっかりと間違いなしに書き取ることがどれだけ難しいかということなのです。

 まあ、私がいつまでもフランス語が苦手な言い訳でもありますが・・。

 最初、フランス語を知らなかった頃、どうして大の大人がちゃんとフランス語を書けるかどうかの大会などが存在するのかと思いましたが、いざ、フランス語を学び始めると、ミスなしにフランス語を書くことが、どれだけ大変なことかがわかります。

 幼少期からの全ての教育をフランスで受けてきた娘は、「ちょっとやってみたいかも・・」などと言いつつ、「学生時代だったら、少しは自信があったけど、最近、あまりフランス語を書いていないから、今だったら、どうだろう?」と言っていました。

 学生時代、幼い頃は、学校でディクテの練習をさせられたこともあったけど、大きくなってからは、論文形式のテストなどの場合は、この綴りや記号、文法に誤りがあると、減点されるので、点取り虫だった彼女はとても気を使ったのだとか・・。それも、文章そのもののテストではなく、本題は、内容のある論文の方に気を取られがちなため、大変なのだとか・・。

 だいたい、フランスの学校のテストというものは、やたらと論文形式のものが多く、長々とした文章を書かされるテストが多いのです。

 そもそも論じることが好きなフランスの国民性は、こんな教育も関係しているのかもしれません。

 英語に比べると文法も記号なども格段に複雑なフランス語は、発音しない文字も多く、しかもアクサンテギューだのなんだの、記号も多く、どうしてもっと簡単に進化していかなかったのか?と恨めしいくらいですが、フランス人はその難しいフランス語に誇りを持っているようなところもあります。

 まあ、考えようによっては、基本的に使われているのは、アルファベットのみ、日本語はひらがな、カタカナ、漢字と文字の種類は格段に多いはず。

 外国人からしたら、それなりに日本語の読み書きは難しいとも思いますが、少し話すことさえできれば、平仮名だけでよければ、とりあえず、書くことはできることを考えれば、日本語って上手くできているなぁ・・などとも思うのです。

 最近は、日本語でさえ、パソコンやら携帯やらで、自分の手で文字を書くということをさっぱりしなくなっているので、実際に自分の手でペンを使って文字を書くということがとても億劫になっていますが、たまには、日本語の文章を紙に書くということも悪くないかな?とこんなイベントを目にして、感じないでもありません。

 なお、このシャンゼリゼのディクテ大会は世界で最も多くの人がディクテを行った(1400人(一部につき)ギネスブックの記録を樹立したそうです。


シャンゼリゼ ディクテ大会 ギネス記録


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2023年5月26日金曜日

娘の友人関係に見るフランスの社会構造

  


 現在、日本で就職した娘がフランスに一時帰国しており、彼女は久しぶりのフランスで日頃、会うことができていない友人に会ったり、買い物をしたり、私が日本に一時帰国した時と同じようなことをして楽しんでいます。

 まあ、違う点といえば、彼女はそもそもフランスで育ったというのに、フランス料理はあまり好きではなく、圧倒的に日本の食生活に満足しており、私が日本に行った時のように、ここぞとばかりに日本の食料を買い集めて持って帰ろうとするようにフランスの食べ物を買い集めたりすることはなく、日本では、探すのが難しい、彼女の体型に合った洋服などを悠々と探していることで、私が日本に帰った時のように食べ物に対してガツガツした姿勢がないことくらいです。

 日本で生活を始めて約1年半が経ち、日本でもそれなりに友人ができ始めたようで、当初は私が心配していた人間関係も概ね好調のようで、彼女にとっては、特に彼女とほぼ同じような境遇、フランス人と日本人のハーフでパリ育ちで現在、日本で就職して、日本で一人暮らしをし、親はフランスにいる・・という女の子と仲良くなったことは彼女にとっては大きなことだったようです。

 今後のことはわかりませんが、現段階では、フランスで育ってきた彼女にとってはフランスの方が長く知り合っている友人はフランスの方が多いわけで、そんな友人たちに会えることは、何より楽しいことのようです。

 彼女は小学校から高校までは、近所の私立の学校に通っていたので、その学校での友人との付き合いは長く、また、その後、プレパー、グランエゼコールと進む中でも、それなりに友人ができていったのですが、彼女の友人たちの近況を彼女から伝え聞くにつけ、世の中で騒いでいる生活が苦しい学生の話や貧しい若者たちの話などとは、まるで無縁の世界に突入していて、すべて、うまいように人生が転がって行っている感じで、人生は早い時点でその道筋がついてしまっているのかもしれない・・と思わずにはいられない感じがしています。

 とはいえ、皆、仕事を始めて、まだそんなに経っていないので、これからどんな落とし穴が待っているかはわかりませんが、彼女の友人たちは皆、よい就職先に就き、けっこうな高収入を得て、順調にキャリアを積んでいるようで、特にグランゼコールを卒業した子たちなどは、話には、聞いていましたが、普通の人たちが何年もかけて昇格していくところをいきなり管理職だったりするのには、唖然とさせられます。

 私自身は、フランスの学校のシステムをよく理解していたわけでもなく、特に唯一の頼みの綱だった夫が亡くなってからは、彼女にそれらしいアドバイスができていたわけでもなく、なので当然、それを目指して教育してきたわけではないのですが、結局、彼女を小学校から通わせていた私立の学校へ入学させたことが、今から思い返せば、大きな分かれ道だったような気がしています。

 彼女たちは、まだ、20代前半(中盤?)なので、これからも色々なことがあるでしょうが、教育というものは、大変なものだ・・良くも悪くも、人生を全く違うものにするものなんだな・・と実感しています。

 彼女が通っていた私立の学校は、とりあえず、家から近いということで選んだ学校だったのですが、これが、たまたま結構な受験校(フランスには実際に受験らしい受験はないので、受験校という言い方はふさわしくなく、教育熱心な学校という方がよいかもしれない・・)高校卒業時点でプレパー(グランゼコール準備学校)に進む人も少なくないような学校だったのです。

 ですから、そんな学校の中で育てば、負けず嫌いな娘は上を目指すようになったのですが、実際のところ、世間一般の社会の中では、フランス人でもグランゼコールというものを知らない人もいるのには、驚いたことがありました。

 むしろ、在仏日本人の方が、結構、子供がグランゼコールに行っていたとか、ポリテクニック( École polytechnique)に行っていたとか、シアンスポ(Sciences-po)に行っていたとかいう話は、そこここで、よく聞く話なので、そんな学校の存在をフランス人でさえ知らない人がいるということは、もっと知らないはずの日本人の私にとっては、びっくりだったのです。

 ということは、もうその親からして、まるでそういう学校とは無縁の人生を送ってきたということで、家族もろとも、別世界を生きているのだと思わざるを得ません。

 これまでのフランスでの生活で、私自身は、ロクにフランス語もできていないような状況なので、圏外みたいなものですが、話には聞いていた格差社会は根深いものだという裏付けが娘やその友人たちを通して見えるような気がしています。


フランスの社会構造 格差社会


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2023年5月19日金曜日

14年間、存在を隠されていた14歳の少年

 


 14年間にわたり、14歳の少年がその存在を隠された状態でいたことが発覚し、世間を騒然とさせています。昨年の7月、体調を崩した少年を母親が病院に診察を受けに連れてきたことから発覚したこの事件、少年が14歳という年齢にもかかわらず、体重が25キロしかなく、知的発達に遅れがあったことから不審に思った病院が警察に警告を発し、この少年は14年間、かかりつけの医者というものももたずにきたでなく、一切、学校というものに行っておらず、社会とは隔絶された家の中で母親とともに生活していたことがわかりました。

 かかりつけの医者を持っていないという人は最近、増えているとは聞いていましたが、その存在すらも隠され、学校にも通わせずに社会生活から一切隔絶されているというのは、ちょっと尋常ではありません。

 最近、たまたま読んでいた小説が出生時に親が届けを一切、出さずにいて、戸籍がないままに育ってしまった少年の話だったので、「小説みたいな話!」と余計にびっくりしました。

 もしかしたら、出生届もでていない?と思いきや、この少年は国外で誕生しており、出生した国のフランス大使館に出生届は提出されていたとのことで、戸籍?がない状態ではありません。

 しかしながら、幼少期にフランスに戻ってきてからは、彼女の母親は息子の存在を隠し、外の世界とは遮断した状態で彼を育ててきたようです。体重が25キロしかなかった・・というので、虐待?とも思いきや、母親は自分の息子は自分で教育する・・という信念?のもとに彼を育ててきたと言っています。

 14年間、子供を家に閉じ込めたまま、その子供が体重25キロと聞けば、どう考えても毒親で残酷な鬼畜のようなイメージを持ってしまいますが、なんと彼女は堂々と顔を出して、これが私の教育方針だというようなことをテレビのインタビューで答えており、また、想像に反して、柔和な感じの印象の人なのも驚きでした。

 しかし、出生届まで出ているにもかかわらず、義務教育である学校にも行かせず、医者にもほとんどかかることなく、幼児期に必要な予防接種等も受けずに生活することが可能なのか? 市役所などからのチェックはなかったのか?と、とても疑問ではありますが、出生届が海外の大使館で出されて、その後、ずっと家から出ない、周囲の人とは接しない生活をしていれば、もしかしたら、そんなこともありえるかもしれません。

 以前に、娘が小さい頃、「あの家は、子供を学校にやっておらず、子供に教育を受けさせていない!」などと嫌がらせの通報をされたことがあり、そんなことは、学校へ行って調べてくれればすぐにわかること、学校どころか、公文やお稽古事と大変、忙しい思いをしているのに、とんでもない話だと憤慨したことがありました。

 ごくごく、普通にその存在が周囲に知られていれば、あの子は学校に行っていないようだ・・というようなことはわかり、誰かしらが通報したりすることもあるとも思うのですが、そもそも存在自体が知られていない場合、こんな状態で放置されていることもあり得るのかもしれません。

 しかし、数年に一度?くらいの割合で忘れたころに世帯調査のようなものが回ってくるので、それでチェックができそうな気もしますが、世帯調査の子供の欄に学校に行っているかどうか?を記載する箇所があったかどうかは記憶していません。

 ですから、嫌がらせにせよ何にせよ、存在が知られていれば、そんな風に通報する人はいるもので、14年間、学校にも行かせずに生きてきたとなると、よほど、家の外に出さなかったのではないかと思います。

 0歳からの14年間という時間、社会生活で学ぶべき時間を奪われた子供の時間は戻りません。とりかえしのつかないことです。

 この母親は、身柄を拘束、拘留され「子供の健康、安全、道徳や教育を損なう親の法的義務の回避行為、および15歳未満の未成年者の健康を損なう食事やケアの剥奪」の罪で起訴されました。

 今後、裁判が開かれることになりますが、彼女には、最高で懲役7年、罰金10万ユーロが課せられる可能性があります。



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2023年4月25日火曜日

日本人なのに日本語がほとんど話せない海外育ちの従弟の子供

 


 娘が日本で就職して、あっという間に1年が経ちました。彼女が生まれてから、私は彼女の日本語教育には、ことのほかしつこく、根気よく、かなり労力を費やしてきました。

 フランスで生活しつつ、私は彼女とは日本語だけで会話を続け、ある程度の年齢までは、家にいるときは、日本語のテレビ(ビデオやDVDなど)しか見せず、小さい時は、日本語の単語のカードを作って遊みたばせてみたり、毎晩、寝る前には、日本語の絵本の読み聞かせを続け、会話だけでなく、日本語の読み書きもできるようになってほしかったので、日本語をできるだけ億劫に感じることがないように、フランスの学校に通い始める前に、2歳になるかならないかのうちに、公文に通い始め、日本語で彼女に接してくれる私以外の人のいる環境にも定期的に身を置き、簡単な読み書きを教え始めました。

 親子だと、どうしても煮詰まってしまうこともあるので、公文には本当に助けられました。その後、結局9年くらい公文には通い、毎晩、学校が終わって家に帰宅後、私は食事の支度をしながら、公文の宿題を5枚やらせるというのが、日課になっていました。

 途中、夫が亡くなってしまったことで、正直、私も仕事と学校の送り迎えであっぷあっぷで、やはり本業?の現地校の学校での勉強を優先にしなければと思い、その時点で公文はやめてしまいましたが、その後、バカロレアのオプションに日本語を選択するとかで、高校生になってから、また別の学校に個人授業を受けに通わせたりしていました。

 小さい頃は必ず1年に一度は日本に連れていき、日本の小学校に一時的に編入させていただいたこともありました。毎年毎年、娘は日本に行くのが何よりの楽しみで、「日本語が出来ない子は日本には行けないよ!」と私に言われて、彼女には、日本行きが日本語のお勉強の大きなモチベーションになっていたと思います。

 そんなわけで、彼女は今では日本で仕事ができるほどに、日本語を習得することができたので、私としては大変、満足な結果を得ることができたのですが、もともとは、彼女に私の家族と普通に話ができるようになってほしかった・・コミュニケーションがとれるようになってほしかったというのが、一番、シンプルな私の願いでした。

 現在、日本で生活している娘は、友人もできて、小さい頃から日本に行くたびに可愛がってくれていた日本の叔父や叔母や私の従妹たちとも、時々、会ったりして、楽しく生活しているようです。

 先日、カナダに住む従妹の娘が日本に来ているというので、娘にもお声がかかって会いに行ってきたというのですが、どうにも従弟の娘は日本語がほぼ話せないようで、周囲とはほぼコミュニケーションがとれずに、「なんだか、とっても暗い雰囲気だった・・みんなもあんまり英語話さないし・・だから、私が呼ばれたのかな? あれじゃ、日本に来ても楽しくないだろうね・・」などと話していました。

 カナダに住んでいる従弟の娘のママは、もう従弟とは離婚してしまっていて、従弟は別の人と再婚して、再婚相手との間にも子供がいるので、少々、複雑な境遇でもあります。彼女のママは、日本人ではあるのですが、父親が外交官で海外を転々として育ってきたので、それこそ日本語があまり得意ではなく、子供が生まれた時点で、ほぼ、日本語を教えることを放棄していたのです。

 せっかくバイリンガルにできる機会なのにもったいないな・・と思ったものの、私が強制するのもおかしな話なので黙っていましたが、結果的に日本にいる家族とはろくにコミュニケーションが取れないという事態になってしまっているようです。それでも、英語なので、周囲とて、なんとか話ができないわけではないのですが、やはり、日常的に話つけていないと会話は弾まないのです。

 私は、娘がこんな状況に陥ることをとても恐れていましたし、また、我が家の場合はフランス語・・日本だとフランス語を話す人となると、英語以上にハードルが高くなるので、これはもう日本語ができなかった場合は絶望的な状態になり、結局、疎遠になってしまいがちでもあります。

 娘は、幸いにもそんなことにはならず、周囲の叔父や叔母や従妹たちとも普通に接することができていて、そんな親戚の集まりにも、ごちそうにつられて時々、顔を出しているようです。

 唯一の私の誤算といえば、一番、彼女を可愛がってくれていた私の両親が思っていたよりも早くに亡くなってしまったことで、今、両親が生きていてくれたら、彼女が日本で生活していることをどんなに喜んでくれたかと思うと残念ではあります。

 しかし、海外で普通に生活しているまま、そのまま放置していれば、両親が日本人だろうが、日本語はしっかり身につかないということは、忘れてはなりません。そして、それは日本の家族とのコミュニケーションがとれなくなるということで、疎遠になってしまうということに他ならないのです。


バイリンガル教育 日本語教育


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2023年2月24日金曜日

16歳の高校生が授業中に教師を刺殺する異常な事件

  


 サン・ジャン・ド・リュズ(バスク地方)の高校で、授業中に16歳の少年が教師を刺し殺すという衝撃的な事件が起こりました。

 事件は、まじめで穏やかな校風で知られる静かな私立のカトリックの高校のスペイン語の授業中に起こったことで、事件を起こした少年は、授業中、突如として席を立ち、おもむろに出入口であるドアを塞いだのち、無言で教師に近付き、紙に包んで用意していた刃渡り20㎝ほどの大きなナイフを胸に突き刺したと言われています。

 現場にいたクラスメイトの証言によると、事件を起こした本人は、ひどく落ち着いていたものの、教室内はパニック状態になり、悲鳴が響き渡り、この少年がドアを開けるまでは、どうしたらいいかわからず、凍りついていたものの、彼がドアを開けるとともに、みんなが我先にと逃げ出し、慌てて、窓から飛び降りて逃げようとする生徒までいた模様です。

 彼は警察に身柄を拘束される前に学校で、「何ものかに憑依され、とりつかれて犯行に及んだ」というようなことをつぶやいていたそうですが、同時に、「これで人生がめちゃくちゃになってしまった」というようなことも話していたと言われています。

 少なくとも、これまでに、このスペイン語の授業の間にこの教師と生徒の間に問題が起こったことは一度もなかったと言われているため、ますます不可解な事件であるとも言えます。

 この少年は、明らかに知的で勤勉な少年で成績もよく(スペイン語以外)、いわゆる警察や学校からマークされるような不良少年ではなく、ビデオゲームや友人との外出など、同年代の若者として典型的な行動をしていたとクラスメイトは証言しています。

 しかし、一面では、他人との関係がぎこちなく、精神的に不安定な傾向にあり、うつ病の病歴があり、昨年10月に薬物による自殺未遂の、抗うつ剤を服用していたようです。

 このような、未成年、異常な行動による犯行の場合は、精神鑑定により、その責任能力が問われることになりますが、身柄拘束後の検察による1回目の精神鑑定によると「統合失調症型の精神疾患は認められず」、「急性精神疾患による脱力感も認められない」と診断されているものの、1年前からうつ病の要素があることも判明しています。

 どちらにしても、彼が自分自身で用意して、犯行に及んでいることは、明らかなことで、計画的な殺人事件として、捜査が進められていきます。

 この少年がいわゆる常日頃から素行の悪いいわゆる不良少年ではないことは、かえって事件を複雑にしているようなところがあり、犯行動機というものは、成績優秀な彼が唯一苦手な教科がスペイン語であったということくらいしか見当たらないのですが、まさか苦手な教科の教師だから殺すということも考え難いことでもあります。

 しかし、多くの人の目の前で行われた殺人は、冷静に、なんのためらいもなく、ひと突きのみで確実に致命傷をおわせたものであることはなおさら、恐ろしく感じられます。

 こうなると、被害者の53歳のスペイン語の教師の人となりが注目されるのですが、これまたちょっと聞いたことのないような評判のよい先生で、「並外れて献身的な人・・」、 「とても穏やかで親切でとても良い人で、誰からも愛されていた・・」、「彼女は休暇中であっても、少なくとも 80 ~ 90% の時間を学校での仕事に費やしていました・・」というおそらくフランスの学校ではなかなか耳にしない評判のいい先生だったようです。

家族関係も良好で、夫婦や家族も、とても仲が良かったとのことで、彼女の周囲の人々は、やるせない気持ちのやり場に苦しんでいるのではないかと思われます。

 いずれにせよ、これが公の場で行われたもので、事件の捜査は、この少年の精神障害についてが、掘り下げて行われることになります。

 この現場に居合わせたクラスメイトをはじめ、同校の生徒たちのショックは大きく、そのケアのための心理的サポートのためのユニットが設置されました。

 パンデミック後、パンデミックのためにうつ病が急激に増加した(特に若い世代)と言われていましたが、まさかこんな事件が起こるとは・・。彼が単なるうつ病だけであったとは、思えないのですが、彼の善悪の識別能力を妨げるものが病気として判断されるのか?それとも彼の人格として判断されるのか? 今後の捜査で少しずつ解明されていくと思います。

 しかし、私にとって、少なからずショッキングだったのは、この事件が起こったのが私立のカトリックの学校だったということで、娘の学校選びに際して、知人や先輩方から、「フランスではクズは限りなくクズ・・学校は絶対、私立にするべき!」と言われて、私も、たしかにそう感じて、娘は、小・中・高校と私立のカトリックの学校に通わせていました。

 この事件の起こった学校のように、静かで穏やかに見える学校で子供たちの顔つきも違っているような気がしたものですが、実際には、かなり進学校で、高校生の頃は、試験が終わるたびに、生徒たちは、慌てて成績の順位をチェックするために携帯に釘付けになると異様な話も聞いていて、うつ病で学校に来なくなっちゃった子がいる・・などという話もそういえば、聞いたことがあったのでした。

 とりあえず、私立の学校の方が安心と思っていた私にとって、この事件は、私立とて、例外ではない・・と思わされる事件でした。

 殺された教師やその家族はもちろんのこと、この少年の家族とて、どれだけ打ちひしがれているかと思うとやるせなくなります。


16歳の高校生 授業中に教師を刺殺


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2022年11月23日水曜日

子どもの学校のバカンスの多さに追いまくられるフランスでの子育て

  


 「家族で旅行に行きたいけれど、平日に小学生の子どもを1日だけ学校を休ませて行ってもいいものだろうか?」という疑問を投げかけている人がいて、ヤレヤレ・・子どもの学校とバカンス問かか・・と、子育てが終わった今でも、思い出すたびに、ウッとくる気持ちです。

 私は日本で子育てをしたことがないので、今の日本の事情はわかりませんが、私が子どもの頃は、母も日常的に通勤が必要な仕事はしていなかったので、特に学校がお休みであっても、母が子どもの処遇に苦労していた記憶はありません。

 しかし、そういえば、私には、田舎というものがなく、夏休みにはおじいちゃん、おばあちゃんのいる田舎に行くという友達をうらやましく思ったことがあったので、そういう習慣にしていた人もけっこういたのだな・・と今になって思います。

 私がフランスで仕事を始めたのは、娘がちょうど1歳になった頃だったので、それから娘が成人するまでの間、どのように子どもの学校のバカンスと自分のバカンス(休暇)を調整するかは、常に大問題でした。

 保育園に行っている頃は、それでもバカンス期間中もほぼ関係なく、預かってくれるので、まだまだ全然マシでしたが、学校(フランスでは幼稚園から学校扱い)が始まってからは、約2ヶ月間の夏休み、その他になんだかんだと、ほぼ1ヶ月おきくらいに2週間ずつのバカンス(トゥーサン(ハロウィンの期間)、ノエル、冬休み、イースターなど)がやってきて、当然、いくらフランスの会社はバカンスが取れるとはいえ、自分が会社で取得できるバカンスの期間はせいぜい1ヶ月で、とても子どものバカンスをカバーできるものではありません。

 そうでなくとも、子供の学校(小学校まで)は、水・土・日とがお休みで、この日常のお休みとバカンスを合わせると、フランスの学校は1年の3分の1はお休みということになります。そのうえ、学校のストライキなどまであるのですから、もう親はたまったもんではありません。

 それでもまだ夫がいた頃は、二人でバカンスをずらしながら、騙し騙し、時には、バレエのスタージュやアートのクラスなどに通わせたりして、なんとか、少しでも有意義な時間を過ごさせてあげられる工夫をしてきたのですが、とにかく、四六時中、子どものバカンスに追いまくられていたイメージがあるのです。

 フランス人の家族だと、そこに登場するのは、マミーやパピー(祖父母)という助っ人なのですが、我が家の場合は、夫の両親はすでに他界しており、私の両親は日本と、全く親に頼ることはできなかったのです。

 一年間の子どものバカンス期間をどう調整するか?という問題、そのひとつひとつを乗り越えながら、あっという間に一年が過ぎる・・という感じだったのです。

 だいたい、子どもが小さい頃は学校は学校であると同時に託児所でもあり、私にとっては、ただでさえ多い学校の休みやバカンスを無駄にして、旅行に行くなどということは、全く考えたことはありませんでした。しかし、状況が許せば、家族の判断で学校を休ませて旅行に行くことは悪いことだとは思いませんし、フランスでも、実際に夏休みを前倒しにして、バカンスに出てしまう家庭もないことはありません。

 しかし、夫が亡くなってからは、さらに子どものバカンス期間のやりくりは、さらに大変なことになり、最初の1年目の夏休みには、娘を一人で日本に行かせて、叔母に預かってもらったのですが(母はすでに他界していたため)、当時、娘は11歳で、どんなトラブルがあったのかは未だにはっきりはわかりませんが、途中で叔母から電話があって、「もう預かりきれないから、飛行機が取れたら、フランスに帰ってもらいたい」などと言われて途方に暮れて以来、しばらく日本には行けなくなり、代わりに、コロニー(我が家の場合は財務省(夫の勤務先)主催の子供の合宿)をフルに活用することになりました。

 おかげで、娘はバカンスのたびに、冬はスキー、春は乗馬、夏はマリンスポーツとスポーツと旅行三昧の10代を送ることになり、学校での合宿や旅行や、私がバカンスをとれた時にする親子旅行を加えると、ほぼ1ヶ月おきにどこかを旅行して歩いている、見ようによっては、大変、贅沢な生活を送っていたのです。

 夫が亡くなった後は、ご親切なのか、いじわるなのか? 児童保護機関に通報してくださった方がおり、外国人一人親の子育てということで、児童裁判所から呼び出しを受け、よもや子供を取り上げられるかもしれないという怖い思いをしたりしたこともあり、結果的には、娘が成人するまでは、専任の判事がついて、「何があっても私がお嬢さんをお守りします」と言ってくれたのですが、私たちは児童裁判所の監視下にあり、そうでなくとも未成年の子供を一人で放置することは禁じられているフランスですが、私は特に子どもを一人で家においたりすることには、神経質になっていたのです。

 でも、振り返ってみれば、結果的には、大勢の人のチカラをお借りして、なんとかフランスの長いバカンス期間を乗り切り続け、いろいろな経験をさせてあげられて、よかったと思っていますが、当時は、もう娘の学校のバカンス期間をどうやって埋めていくかということに、常に追いまくられている気分でもうため息も出ない感じだったのです。

 今では、子どものバカンス期間とは関係ない時期に気楽に旅行ができる環境になりましたが、いつでも行ける、いつでもいいや・・などと思っていると、結局、なかなか行かなくなり、しかも、パンデミックや戦争・・などとなって、結果的には、あの忙しく子どものバカンスに追いまくられていた頃の方がよっぽど旅行していたな・・と思うのです。


フランスの学校のバカンス お休み


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2022年9月21日水曜日

ストラスブール大学 節電のためにこの冬の15日間の臨時休校を決定

 


 ストラスブール大学の学長は、エネルギー価格の高騰に伴い、この冬の2週間を臨時休校とすることを発表しました。

 一昨日、ストラスブール大学学長は、エネルギー価格上昇のためのコスト削減のために、1月初旬に3週目のクリスマス休暇(通常、クリスマスの休みは2週間)、そして、さらに、2月に1週間のリモートワーク期間を設けることを説明したビデオをYouTubeで公開しました。




 「政府の発表を受けて、エコロジーへの移行において、大学もその役割を果たす必要がある」と述べ、「大学の機能をできるだけ維持しながら、エネルギー消費を10%削減する方法を模索しました」と学長はビデオの中で語り、これを正当化しようとしています。

 同大学では、エネルギーコストが爆発的に上昇しており、電気、ガス、暖房費は2021年の1000万ユーロから、補正予算で150万ユーロが追加で認められ、2022年には1300万ユーロに上昇し、2023年には、2000万ユーロの予算が計上されています。

 ちょっと一般的な家庭の金額とは規模が違うためにピンとこないのですが、大学がそもそもの本来最も優先すべきである授業を休講にしてしまうのは、ちょっと違ううえに、かなり乱暴な方法ではないかと思います。

 案の定、さっそく、これには、組合から反対の声が上がっており、組合は声明で、「行政閉鎖は公共サービスの継続性の原則に違反するものである」と述べ、「この措置により研究室へのアクセスが減少し、研究活動に支障をきたす可能性がある」

 そして、「この措置は学生や一部の職員に対する「リモートワークの押しつけ」に相当し、「雇用主が負担すべき暖房費と電気代」を学生や職員が負担することにつながる、「国が自らの雇用主の費用(暖房、(インターネット)接続、照明、ケータリングなど)を職員や学生に転嫁することは全く受け入れられない」と訴えています。

 パンデミックのために、かなり普及したリモートワーク、リモート授業の習慣ではありますが、パンデミックの場合は、感染対策のためであり、まだ合点もいく話ですが、今回のエネルギーコスト削減のための場合、リモートワークによる個々人の家庭の電力消費に負荷がかかるわけで、負担を個人に押し付ける結果になるのは納得がいきません。

 同大学組合はさっそく、「緊急の投資計画」を要求し、9月29日にストライキとデモを予定しています。また、デモです。

 中には、休みが長くなるのを喜ぶ学生もいるかもしれませんが、学生にとっての本業である講義を犠牲にしてまでの節電はお門違いで、大学側は、他の方法を模索する必要があるような気がしています。


ストラスブール大学節電のための臨時休校


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2022年9月16日金曜日

子供の「はじめてのおつかい」も時代が変わったことにしみじみする

  


 この間、スーパーマーケットに買い物に行ったら、レジで私の前に5歳くらいの男の子が並んでいて、気がつけば、彼は一人でレジに並んでいました。彼がレジのベルトコンベアーの前に置いているのは、数個のパンが入った袋だけでしたが、手にはゴールドカードを1枚、握りしめていました。

 スーパーマーケットのレジの近くには、つい追加してしまいそうになるガムやキャンディ、チョコレートなどが置かれているのは、どこの国も一緒で彼もまた、その中のチョコレートバーに魅了され、手にとって、それをしばらく見つめていました。

 パリで小さな子供が一人で買い物に来ているということは、非常に稀なことで、そもそも一人で外出させるということはあまりないのです。

 家庭によっても多少は差があるとは思いますが、小学校卒業までは、学校の送り迎えをするのが普通で、我が家の場合、朝学校に送って行って、仕事が終わって学校に迎えに行って帰ってくると、もう夜7時過ぎくらいにはなってしまうので、学校が終わって友達と遊ぶということもなく、学校がお休みの日はお稽古事などに追われているわけで、それも全て送り迎えが必要で、一人で出歩くということはまずなかったのです。

 たまにお友達のお誕生日会などに呼ばれてお友達の家に行く時も、必ずお友達の家まで送って行って、また終わる頃にまた迎えに行く、もしくは、招待してくれたおうちの人が家までおくってくれるという感じなので、一人で買い物に行くとか、寄り道をするとかいうことは、少なくとも小学生のうちは、ありませんでした。

 なので、買い物に行くことはあっても、必ず家族の誰かと一緒なわけで、一人で買い物をするという、日本でいう「はじめてのおつかい」のような体験はありません。

 しかし、娘が小さい頃に、一度、お店で何か一人で買い物をするということをさせてみたくて、一緒にパン屋さんに行った時に、1ユーロのコインを娘に渡して(あの頃は1ユーロでバゲット1本買ってもお釣りがきた・・)、「バゲット1本買ってきて!焼けすぎていないやつ(「Une baguette pas trop cuit s'il vous plait」)ってちゃんと言うのよ!」と言って、ちょっと離れたところで見守っていたことがありました。

 娘は最初は躊躇っていましたが、意を決してパンを手に入れ、どこか満足そうにしていた記憶があります。

 私の前にレジに並んでいた男の子に、「ん??一人??」と思っていた私は、次の瞬間、彼がチョコレートバーをつかんで「これ買ってもいい?」と控えめな声で少し離れたところにいるお母さんに尋ねているのに気がつきました。

 一人で買い物に来ていたのかと思いきや、いつかの私のように、少し離れたところでお母さんがしっかり見守っていたのです。

 お母さんは、しっかり口を結んで、「ダメダメ・・」と首を横にふると、彼は「これ、90セントだよ!」とさらにもう一声、それでも、ママは毅然として、「ダムダメ・・」と・・。彼は諦めてチョコレートバーを棚に戻していましたが、そんな光景を見て、なんだか、懐かしいような、微笑ましいような、そんな気持ちになりました。

 しかし、今は子供に買い物をさせるにもゴールドカード、しかもサインも暗証番号も必要ないし、軽くカードをかざすだけで決済が済んでしまうので、おつりの計算も心配もいりません。

 なるほど、昔はお金を預かって「お釣りを間違わないようにね・・」などと言っていた子供のおつかいも、今はひどく簡単になりました。

 一方、カードなら、余計なものがいくらでも買えてしまうので、頼んだもの以外は頑として買わせないというのは、現代のこどもの「はじめてのおつかい」には、必要な訓練なのかもしれません。

 私も最近は、すっかり現金は使わなくなり、現金を使って買い物をするということは、1年に1〜2回あればいいほどで、何かの時のために少額の現金は持っているものの、そういえば、お釣りのことなど考えることもなくなりました。

 しかし、こうして「子供のおつかい」などを見ていると、お金を握りしめて、お釣りの計算をしたりする・・そんなアナログな時代も、それはそれでよかったな・・という郷愁のようなものを感じるのです。

 

はじめてのおつかい ゴールドカード


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2022年9月8日木曜日

恐怖の家 子供の児童手当を食い物にして子供に虐待を続けてきた親 逮捕

   


 私は日本で子育てをしたことがないので、日本の児童手当というものが、どの程度のものかはわかりませんが、時代が違うとはいえ、私が子供の頃に両親から児童手当の話というのは聞いたことがなく、そのようなものを国からもらっていたという話も聞いたことがないので、少なからず、育児に対する国の支援はフランスの方が手厚いような気がします。

 フランスでは、子供を育てるにあたって大なり小なりの支援金が支払われます。その金額は、家族構成や親の収入や職業形態によって、支援の金額も方法もリソースも変わってきます。

 たとえば、年度始めには、新年度のための準備費用が支給されたり、公立の場合は授業料は無料ですが、キャンティーン(給食)の費用は両親の収入によって金額は違います。また、子供の人数によって年金のポイントが加算されたり、税制上も子供の人数が考慮され、3人以上子供がいると、グッと優遇されるという話も聞いたことがあり、実際に娘のクラスメイトなども3人兄弟という家族が多いです。

 また、共働きが多い(というか、ほとんど)ため、両親の仕事の時間帯によっては、ベビーシッターが不可欠な場合は、その一部を国が負担してくれるというシステムもあります。また、親の収入が少ない場合などには、住宅手当なども子供の数によって換算されます。

 しかし、どんなに国が援助してくれるとはいっても、実際に子供の教育にかかる費用をそれだけで賄えるはずはなく、私などは、とうていこれ以上は無理だとハナから、もう一人子供を・・などということは考えていませんでしたが、まあ、それも子供をどのように教育したいかによっても異なってくるので、中には、子供の児童手当をほとんど子供には使わずに、自分たちはロクに働かずにいる親もいるということは聞いていました。


 今回、パ・ド・カレー県(フランス最北端の県)で4ヶ月から24歳までの10人の子供を持つ夫婦(40歳と44歳)が、この中の子供の一人が警察に駆け込んで、助けを求めたことから、児童虐待で逮捕されました。

 この家は、「恐怖の家」として知られることになり、この子供のうちの一人(21歳)がテレビなどに顔出しで証言しています。

 この青年が耐えきれなくなって、警察に助けを求めに駆け込んだことにより、警察が家に踏み込んだ時には、幼い子供2人が椅子に縛られ、排泄物まみれになっていたといいます。すべての子どもたちは、常に両親からの脅迫、暴力に怯え続けて育ってきました。

 この家庭は、2013年からソーシャルサービスによって監視されていたものの、両親はソーシャルサービスのチェックの前に子供たちに圧力をかけ、「家で何が起きているのかを言ってはいけない、すべて順調だと言え!。私たちが経験していることを話すと、ホームに入ってみんなから遠ざけられることになる!」と脅迫し、何とか制裁を免れ続けてきてしまったようです。

 この青年の証言によると、父親はこれまでに半年間しか働いたことがなく、夫婦は生活保護と児童手当で生活しており、子供を金づるとしていて、子供が成人して、援助が切られるたびに、子供を作って収入を補うということを繰り返していました。

 子供は彼らの収入源だっただけでなく、この子どもたちの自由を奪い、殴る、蹴るの身体的な暴力や言葉による脅迫、逆らえば長時間の土下座、少しでも動けばリンチ状態。

 その矛先がたとえ、自分に向かないことがあっても、常に兄弟姉妹の誰かが暴力を振るわれる場面を目にすることだけでも、大変な恐怖とストレスを感じ続けていたのです。

 このような家庭ですから、児童手当は子供のために使われることはなく、父親は頻繁に車を買い替えたり自分のためにお金を使っていたようです。

 両親の逮捕により、子供は保護され、現在は特別な施設での生活を始めています。

 この青年は、両親の仕打ちに耐えられなくなって警察に駆け込んだわけですが、この青年が他の兄弟姉妹の命を救ったかもしれません。しかし、少なくともこれまでの間にこの家で育って来た子どもたちの心の傷やトラウマは想像を超えるものであるに違いありません。

 本来は、このフランス政府が行っている児童手当は大変、ありがたいもので、この政策をきっかけにフランスは日本のような少子化の道を辿ってこなかったのも事実です。しかし、中には、このようなクズ親も現れてしまうことも事実です。

 かねてからフランスでのクズは限りなくクズだと思っていましたが、このクズ対応をするべくソーシャルサービスが機能していなかったことは、その被害に遭い続けて来た子どもたちの年月には取り返しがつかないことです。

 以前、私たちがフランスに来たばかりの頃、パリに引っ越してくる前、まだ娘も小さかった頃、突如、「子供を学校に行かせていない(フランスでは2歳から学校)と通報があった」とソーシャルサービスの人が家に訪ねて来たことがあり、「こっちは忙しくしながら、学校だけでなく、公文にまで通わせているのに・・」と憤慨したことがありましたが、そんなことは、学校に聞いて貰えばすぐにわかることなので、何の問題にもなりませんでしたが、逆にそんなすぐに嘘がわかるような嫌がらせの通報をする人がいることの方を不気味に思ったくらいです。

 また、このソーシャルサービスから難癖をつけられて、しっかり働いて子育てしているにもかかわらず、子供をとりあげられそうになって日本に子供を連れて帰国した人も知っています。

 このクズ親も問題ですが、このチェックを行うソーシャルサービスも適正に機能していない印象を拭いきれない気がするのです。


児童手当 児童虐待 恐怖の家


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2022年9月6日火曜日

フランスの学生の数学学力低下に思うこと

 


 ウクライナでの戦争が勃発して以来、フランスはウクライナから避難してきている人々を数万人単位で受け入れていますが、長期にわたることから、フランスに避難してきた未成年の子供たちの教育を支援するために、UPE2A(Unité Pédagogique Pour les Élèves Allophones Arrivants)と呼ばれる適応教育ユニットを立ち上げ、フランス語の集中学習を受けて、後にフランス滞在中に従来のフランスの教育システムに参加できるようにするプログラムを実施しています。

 ウクライナ人を受け入れているのはフランスだけではありませんが、このような避難生活を前向きに受け止めるなら、今のウクライナの子供たちは、少なくとも外国語に長けた世代になるかもしれません。

 こうして、ウクライナの子供たちを受け入れ、彼らがフランスの学校で教育を受け始めると、彼らの中から思わぬ声が上がり始めたのです。

 「ウクライナより数学がずっと簡単!」と・・・。

 言い換えれば、「フランスの学校の数学のレベルはウクライナよりも低い」ということなのです。語学にハンディのある学生にとって、数学の授業は順応しやすいとも言われることがありますが、「ずっと簡単!」と言われてしまえば、順応うんぬん以前に義務教育の段階でのレベルが明らかに低いことを認めざるを得ないのです。

 このフランスの学生の数学学力の低下については、フランスの教育の専門家は、「フランスは伝統的に少数のエリート教育機関の維持により、この分野ではまだ優れた教育を誇っているが、この学問の基本を多くの人々に教えるという点では失敗している」と分析しています。

 つまり、少数のエリート以外の教育には、失敗しているということで、大変、わかりやすい分析です。

 文部科学省委託の調査報告書によると、「フランスにおける数学能力の平均レベルはほぼ40年間低下し続けている・・」そうで、国際調査においても、フランスはトルコ、日本や韓国、さらにはアイルランドなどの先進国にも大きく遅れをとっていることが明らかになっています。

 主な原因は明らかで、2019年のバカロレア改革で、いわゆる「共通」の授業から数学が純粋に削除され、プルミエールの必修科目から外された(理数系クラスを除く)ことにあります。

 結果的に、それからわずか3年後、この報告書に関わった専門家委員会は、すでに以前の取り決めへの復帰を勧告しています。つまり、授業科目から外されたり、試験科目から外されることがわかっていれば、勉強しなくなるということです。

 我が家の場合は、娘は理数系のクラスを選択したので、これには該当しませんでしたが、数学に関しては、いくつかのタイミングで思い出されることがあります。

 最初は、公文の算数をやらせようかどうか迷ったタイミングでした。娘を日本語でも、読み書きをきっちりさせたくて、公文に通わせていた頃、小学校に上がったばかりの頃に公文には、日本語だけでなく、他の教科もありました。

 場所がパリ(海外)ということもあり、公文に来ていた子供はほとんどが日本語をやっている子供たちなのですが、中には日本語だけでなく、算数の計算問題を黙々とやっている子供もいました。

 ごくごく基本的な計算問題などは、同じような問題を繰り返しやる訓練でスムーズにできるようになっていく公文のような方式は良いとは思っていたのですが、当時は仕事が終わって娘を迎えに行って、帰って来てから公文の宿題をやらせるには、時間に余裕があるわけではなく、算数の授業はフランスの学校でもやっているんだから、まずは日本語だけで、欲張りすぎて共倒れになってもいけないと、公文の算数は諦めたのです。

 私は日本語以外は、あんまり娘の勉強をみた覚えはほとんどないのですが、一度、「数学でわからないところがある・・」と夜、私のところに宿題を持って来たことがありました。娘がいくつだったかは覚えていませんが、私がみられる数学といえば、せいぜい小学校か中学校程度だったと思います。

 一応、「これは、こうして、こうするでしょ・・」と説明し、娘にやらせてみると、娘も理屈はわかっている様子・・「ちゃんとわかっているから、あとは何回もやってみて、訓練して慣れるしかないよ・・」と言ったら、娘はとぼとぼと自分の部屋に戻っていきました。

 少しして、娘の部屋を覗くと、娘はシクシク泣いていて、猫のポニョが彼女に手をかけて、心配そうにしている・・という、ちょっと心が痛むような、微笑ましいような光景を目にすることになったのでした。

 それでも、負けず嫌いの彼女は、めげずに、その後も常に高得点をとり続け、文系か理系か選択する段階になって、フランスの場合はその後にも選択肢の広い理系を選ぶことになったのです。

 しかし、彼女がその後、飛躍的に数学の成績が上がり、本格的に理系の道に進んだのは、運良く出会えた先生のおかげで、俄然、数学がおもしろくなって成績も上がったようです。

 数学だけに限ったことではありませんが、良い先生との出会いというものは、教育の現場において、なによりも大きなモチベーションとなり得るのだということは、自身の体験からも、そして娘を見ていても実感するところです。

 私は全くの文系人間で数学はどちらかといえば好きではなかったので、高度な数学の学力が一般的な人にとってどの程度、重要なことなのか、よくわかりませんが、全般的な学力に関しては、質の高い教師の肩にかかっているような気がします。

 フランスでは教師は給料も安く、人手不足も問題になっているので、単に授業の時間数やバカロレアの科目の問題だけではなく、何よりも優れた教師が必要なのではないか?と思っています。

 私は娘の学校には、年初に行われる父母会のようなものくらいしか、顔を出していませんでしたが、それでも、その際に滔々と語る先生の話に、「こんなに志の高い先生に見ていただけることは、なんと素晴らしい、幸運なことか・・」と感激して帰ってくることもありました。

 何度か、そんな先生のお話を聞きましたが、その中の一人は数学の先生だったことも覚えています。

 教師が真剣に向き合っていれば、生徒も感化されるのです。

 父母会が終わって、家に戻って、「あの先生、素晴らしいじゃない!」などと娘に話すと、冷めている娘は、「営業、営業・・」などと、茶化していたりしましたが、まんざらでもない様子でもありました。

 いくら営業でも、それが口先だけのことか、どれだけの熱意があるのか?本当に信念を持って語っているかどうかは、伝わります。

 これまでも、何度か書いてきましたが、やはり、私立の学校の方が、このような先生に巡り合える可能性は高い気がして、やっぱりフランスでも学校選びは、大事だなぁと思うのです。


フランスの数学学力低下問題


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2021年11月24日水曜日

娘の卒業式

   


 これまでずっと入学式も卒業式もなかったフランスの学校で、最後の最後のグランゼコールには、卒業式がありました。卒業式といっても日本のような式典とは違い、ディプロムの贈呈式のようなものです。

 娘が10歳の時に主人が亡くなり、その直後は、「到底、フランスで一人で子育てなど無理・・もう日本へ帰ろう!」と思ったのですが、周囲の方々の支えもあり、結局、娘の教育を考えてフランスに残ることにしてから13年間、娘は当時、通っていた、こちら(フランス)の私立の学校に高校まで通い、その後、プレパー(グランゼコール進学のための準備学校)、グランゼコールへと進み、晴れて卒業致しました。

 娘が通っていたグランゼコールは、ボルドーにあり、ボルドーで2年間生活した後の一年間は、イギリス、日本へと留学予定にしておりましたが、パンデミックの煽りをもろに受け、それでもイギリス留学はリモートで授業を受けることができましたが、日本の国立大学への留学は延期された挙句に結局、キャンセルになり、その間、フランス国内の会社や研究所でのスタージュに切り替えた過程を終了し、ついに卒業式の日を迎えました。

 卒業式が11月という話を聞いて、フランスの学校事情に疎い私は、「なぜ?11月?」と思いましたが、家族も参加する場合は予め人数を申告する必要があったため、「ママ、行く? 私、自分自身も行っても、行かなくてもどっちでもいいと思ってるんだけど、どうしようかな??」などと言うので、「卒業式に行かないなんて、そんな・・ママも絶対行くよ!」と出席予定にしていたのでした。

 卒業式の日程が決まったのは数ヶ月前で、娘もそんな具合で、えらく冷めた感じだったので、なんとなく、今ひとつ、気持ちが盛り上がることもないまま参加した卒業式でした。

 日本の卒業式のようなセレモニーとは違いましたが、40人前後の卒業生が一人一人、呼び上げられながら、一人一人壇上でディプロムと卒業記念の四角いフサのついた帽子をもらい、サインしていく様子には、派手な演出がない分、余計にじんとくるものでした。

 娘のスライドが流され、ディプロムを受け取っている様子を見ながら、娘が生まれてからこれまでのこと、特に主人が亡くなってからの様々な出来事が走馬灯のように蘇り、「よくぞ、ここまで頑張ってくれた。本当によく頑張ったね。えらかったね・・。」とこれほど感慨深いこともなかなかなく、座席から見ていた私は、感極まって、溢れてくる涙を止めるばかりか、号泣しそうになるのをこらえるのが大変なくらいでした。

 ごくごく普通のフランス人の家庭で育った人でさえ、そう簡単には取得できないエンジニアのディプロムです。我が家のように、フランス人の父親を亡くし、私のような頼りない日本人(外国人)の母親のもとで育った娘にとっては、どれだけのハンディがあったかと思うと、感慨も一入(ひとしお)でした。

 グランゼコールを卒業し、この大層なディプロムを取得するこの卒業式には、卒業生以上にその家族総動員で参加している人も少なくなく、卒業生以上にその家族の人数の方が多く、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、兄弟姉妹たちまで来ていて、しかも、他の家族同士が他の生徒でさえも、暖かく見守って、讃えあうような暖かい卒業式でした。

 娘の晴れ姿を誰よりも見たかったであろう彼女の父親も、娘の成長を何よりも楽しみにしていた私の両親も全てもうこの世にはおらず、誰一人、この卒業式には参加することができなかったのは、返す返すも残念で、その一人一人が遠くから、彼女を見ていてくれたのではないかと遠い空を見上げる私の目からは涙が止まらなかったのです。

 こちらの大学・グランゼコールならではの、四角い帽子を被った卒業生、そして、映画で見るような、みんなで一斉に帽子を投げるシーンなどは、まことに晴れやかな光景でした。

 その後、校内の一角での簡単なカクテルパーティーでは、ふんだんに用意されたシャンパンやプティフール(一口サイズのスイーツやおつまみ)、ボルドーならではのカヌレなどが用意され、卒業生やその家族との会話は永遠に続くのではないかと思われるほどの盛り上がりぶりでした。 


 最後の日になって、校内がその家族にも公開され、おそらく値段を聞いたら驚愕するであろう研究設備など(娘の専攻は生命工学)が揃っているいくつもの部屋を見学し、フランスがどれだけ国費を投じて学生を教育しているのかを目の当たりにし、あらためてフランス恐るべし・・と実感させられました。

 娘にとっては、卒業式は、これまでの学生生活の締めくくりであるとともに、あらたな人生のスタート地点でもあります。

 ここまで私たちが無事にフランスで生活してこれたのは、周囲の方々の支えがあってのことで、私たちだけでは、とてもここまでくることはできませんでした。

 特に主人が亡くなった時点での周囲のフランス人のママ友やパパ友たちは、それまで漠然と勝手にこっそり抱いていた「フランス人は冷たい・・」という印象を私から見事に拭い去り、想像以上に結束して私たちを暖かく支えてくれました。

 今はいない私の両親も日本にいる叔父、叔母たち、従姉妹たち、友人たちも遠くからいつも応援してくれていました。

 この場をお借りして、これまでお世話になってきた方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞ娘を暖かく見守ってやってください。

 このブログを読んでくださっている、私たちを直接、ご存じない方々にも、いつも、私のつたない文章をお読みくださり、ありがとうございます。


グランゼコール 卒業式 ディプロム


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2021年11月3日水曜日

16歳〜25歳の若者への就職サポート月額最大500ユーロの支援 「青年エンゲージメント契約」

  



 若者の失業、または就業できない問題についての緊急措置として、マクロン大統領は、16歳から25歳の若者向けに、 「青年エンゲージメント契約」を開始することを発表しました。

 これは、すでに昨年の段階での若者への就職支援から、かなりの手応えがあり、パンデミックの最盛期から始まったこのプロジェクトの前身の支援をさらに強固に、具体化したものになります。

 手応えがあったとはいえ、依然として若者の失業率は高く、それに伴う若年層の貧困も深刻な問題のままです。

 マクロン大統領は若者に向けてSNSを使って「現在、フランスは、エネルギー、電気自動車、航空機、宇宙、文化など明日の未来を築くことができる分野に多額の投資を行っています。これらの産業には、多くの技術や知識を持った人材を必要としています。

 この「青年エンゲージメント契約」は、これまで、これらの全ての仕事に携わるための教育を受けて来なかった人のために、パンデミックのために途中で進学を断念してしまった人のために、また、これまで、その機会を得られなかった人々のために、そのための教育、トレーニングを受ける機会と場所、それに伴う支援を行うものです。

 未来を描く人々の全てが仕事に就き、自分たちの生活を築くことは重要なことで、若者のそれぞれのプロジェクトを達成するために国家はある!」と、語りかけています。

 具体的には、2022年3月1日から16歳から25歳の全ての若者は、登録さえすれば、週に15〜20時間のサポートを受けて、職業を見つけ、そのためのトレーニングを受けることを条件に、月額500ユーロまでの支援金を受けることができます。

 この「青年エンゲージメント契約」は、若者が仕事の世界で、より良い訓練を受け、未来を築いていくための支援をこれまでのシステムを補完し、より簡素化したものになります。

 そして、具体的には、中退した学生を支援するために2万人の学生の雇用(週10時間の4ヶ月契約(12月から3月まで)が提供されます。

 また、経済的に非常に不安定な学生に対しては、CROUS(大学及び学校の地域センター)から宿泊施設と食事の緊急支援が行われます。

 フランスの失業保険に関しては、これまでも若者に限らず、失業後にさらに新しい就職の機会を得るために訓練を受けることを希望する場合は、失業保険の待遇が上乗せされる等のシステムが既に存在していますが、今回の「青年エンゲージメント契約」に関しては、この改良版と考えることもできます。

 将来のある若者の深刻な失業率を鑑み、16歳から25歳の若者に特化して、それまでに就業経験がなくとも、新しく仕事に就くために、その訓練と援助を受けることができるシステムを具体化したものです。

 現在のフランスには、仕事がないわけではありません。仕事を見つけることができない若者をどのように仕事に導くかを考慮して、フランス政府が手を差し伸べている政策の一つです。

 マクロン大統領は、これに続くさらなる若者支援策を来週にも追加で発表する予定であることを同時に予告しています。

 しかし、考えてみれば、そもそも16歳から25歳といえば、本来、高校から大学などの教育を受けている年齢、つまり、学校からもドロップアウトし、勉強もせず、仕事もせずに失業者と換算される人がどれだけ多いかという、これもまた格差社会の一面が表れている気がします。


16歳から25歳の若者支援


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2021年10月12日火曜日

フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ

 


 子供の教育は、もちろん、その家庭に一番の責任があることは言うまでもありませんが、子供の通う学校も大きくその子の人生に影響してきます。

 どの国にも社会的格差は存在しますが、フランスはその格差がかなり大きく、子供の頃から通う学校によって、まるで世界が違います。そのどちらに行くか、人生の別れ道の違いは最初は小さいものでも、年齢を重ねるとともに大きくなっていくのが、恐ろしいほどです。

 我が家の近所にも、小学校、中学校、高校ともにいくつかの公立の学校がありますが、たまに近所を走っているバスに乗ったりすると、子供たちのバスの中での立ち振る舞いや言動で、大体、どこの学校の生徒なのかが見当がつきます。

 我が家は、そんなに治安の悪い地域でも貧窮層の多い地域でもないにもかかわらず、公立の学校がこのような状況であることは、信じ難いことですが、これがフランスの現実なのです。

 家の近所には、私立の学校は幼稚園から高校までの一貫教育の学校が一つだけなので他に選択肢はなかったのですが、それにしても、バスの中で暴れて騒いでいる子供たちを見ると、もしも私が娘の教育について、深く考えずにこれらの公立の学校に入れていたら、娘もこの子たちの仲間入りをしていたかもしれないと思うと今さらながら、私立の学校に入れて助かった・・などと思うのです。

 特に中学生・高校生くらいになると、どちら側の子供たちなのかは、一目瞭然です。

 私が娘を私立の学校に入れようと思ったのは、当時の私の職場の近くに、なかなかな暴れようの公立の中学校があり、こんな家賃の高そうなパリの中心に住んでいる子供たちでも、こんなことになる・・と危機感を持ったことがきっかけでした。(学校のストライキにうんざりしていたこともあります)

 私たちは、娘が小学校に入学する少し前に現在の場所に引っ越してきたので、小学校からは私立へと思って、入学の申し込みをしたのですが、すでにその時点では定員オーバーで、娘の名前はウェイティングリストに入れられ、仕方なく、その学校に入学できるまでは、公立の小学校に通うことにしていたのです。

 現在はわかりませんが、当時は私立だからと言って、日本のようにお受験があるわけでもなく、子供の能力が測られることもありませんでした。しかし、なんとかして、その学校に入学させてもらえないかと、娘の成績表を送ってみたところ、夏休みの間に「面接に来てください」と学校から連絡があり、急遽、夏休みの間に娘の進学先が変更になったのでした。

 その学校は、カトリック系の学校ではありましたが、宗教色はあまり強くはなく、他宗教の子供たちも多くおり、校内にチャペルはあるものの、礼拝なども強制的に参加しなければならないわけでもなく、どちらかというと、子供たちの学力向上をうたっている学校で、バカロレアの合格率100%を宣言していたので、少しでも優秀な子供を集めたいと思っていることは明白でした。

 私が最初にその学校を見に行って、すぐに思ったのは、「子供たちの顔つきが全然違う」ということでした。小さい子供でもこんなに顔つきが違うものなのかと逆にそのことが空恐ろしいくらいでした。子供の顔つきがここまで違うというのは、明らかに学校の教育なのです。

 バカロレアの合格率100%ということは、できない子は追い出されるということで、小学校からでもできない子は留年(これはフランスの学校では当たり前のことですが・・)、または、やんわりと他の学校への転校を勧められます。

 ですから、娘が小学校、中学校、高校と進む間に、いつの間にかいなくなっていた子供たちもちらほらいました。特に中学校から高校にかけては、特に急に学力ともにその子供の様子が変わってしまうことも少なくない難しい年頃です。

 しかし、厳しいのは学力だけではなく、日頃の生活態度、言葉遣いなども、成績同様に評価され、先生を睨みつけようものなら、「目を伏せろ!」などと言われるほどだったのです。

 常に自由や民主主義を掲げ、言いたいことを言うフランスの文化の中でこのような教育は意外でもありましたが、このような社会にあるからこそ、ある程度の枠内で厳しい環境に身を置くことは必要なことなのかもしれません。

 私立の学校だからこそ、成績や態度が悪ければ追い出すこともできるのですが、それは、そこにいる子供たちを守ってくれるということでもあります。

 大人になれば、ある程度、危険な人には近づかないこともできるし、自分が身を置く環境は選ぶことができますが、学校という括りは、意外にも守られていない環境でもあるのです。特に小学校、中学校はその子の基盤ができる大切な時間です。

 格差の大きい社会であるからこそ、クズは限りなくクズです。麻薬やドラッグなども年々蔓延し、低年齢化していることを考えれば、子供が1日の大半を過ごす学校環境を選んであげることは、とても重要なことに違いありません。

 フランスでは、学歴云々以前に(学歴ももちろん重要ではありますが)、その子供が真っ当な人間になるかどうかがかかっているような気がするのです。

 フランスの文部省は、たいそうな理想を掲げてはいますが、現場は理想どおりには行ってはいないのです。

 学校によって差はあるとは思いますが、フランスは私立だからといって、極端にお金がかかるということもありません。私はフランスでは、小学校・中学校・(高校)は特に私立の学校をおススメします。


フランスの小学校・中学校・高校 私立校のススメ


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2021年9月3日金曜日

フランスの学校の新年度の始まり フランスの新学期手当とワクチン接種と唾液検査

   


 約2ヶ月間の長い夏のバカンスも終わり、フランスの学校の新学期が2日(木)から始まりました。毎年、カレンダーにもよりますが、なぜか木曜日スタートが多いというのも、フランスの不思議なところでもあります。

 9月の新学期は、フランスでは新年度の始まりでもあり、子供を持つ親には、9月は何かと忙しい月でもあります。

 入学式や始業式などの学校でのセレモニーはなく、しれ〜っと始まるのですが、そのしれ〜っと始まる新年度の前には、学校から、必要なものを揃えるようにと毎年毎年、前もって細かいリストが送られてきます。

 教科ごとに必要なノート類(サイズから、様式、ページ数まで指定)、画用紙、筆記用具(ボールペンの色や時にはメーカーまで指定)、定規や電卓(年齢ごとに変わっていく)などなど、なかなか細かくて、フランスの学校に通ったことのなかった私にとっては、最初は見慣れない文房具、ノート類などの学用品を揃えるのは、なかなか厄介なことでした。

 これだけ、同じものを揃えるなら、いっそのこと学校で纏めて揃えてくれればいいものを学校の先生は、子供に勉強を教えることだけ・・というフランスでは、一切の余計な業務は請け負わないのです。

 それでも、業者が介入して、一切を取り仕切れば、なかなかのビジネスチャンスだとも思ったりもするのですが、不思議なことに、そんな習慣はあまり変わることがなく、夏休みが始まるとともに、スーパーマーケットには、新年度のための文房具などの学用品のコーナーができます。まあ、これもフランスの夏から秋にかけての風物詩のようなものでもあります。



 そして、学校が始まり、教科書をもらってくると、教科書は1年が終わると返還しなければならないため、教科書一冊一冊にカバーをかけるのもフランスならではです。(汚したり、破いたり、失くしたりした場合は弁償させられます)合理的と言えば、合理的なフランス、日本などは、海外に住んでいても申請しておくと、日本人の子供ならば、毎年、新しい教科書をもらうことができるので、国によって、ずいぶん違うものだ・・と思います。

 この新年度の準備のために、フランス政府からは、1人でも子供のいる家庭には、新学期手当( L'allocation de rentrée scolaire (ARS))が支払われます。

 2021年は、6〜10歳の子供1人あたり370.31ユーロ(約48,000円)、11〜14歳の子供1人あたり390.74ユーロ(約51,000円)、15〜18歳の子供1人あたり404.28ユーロ(約52,500円)が8月末に支払われます。

 このお金は、子供のための援助金ではありますが、安くあげようと思えば、安く済んでしまうものでもあり、子供にあまりお金をかけない子供がたくさんいる家庭などには、ちょっとしたボーナスのようになっていて、その使途について、問題視する向きもないわけではありませんが、細かいチェックは難しいのが現状です。

 この時期には、学校だけでなく、学校以外のお稽古事などのアクティビティの申し込みも一斉に行われるため、なかなかな出費の多い月でもあるため、大変、ありがたい制度でした。(結局、これだけではとても足りないのが普通?ですが・・)

 このお稽古事などの申し込みは、一年間を通してのものなので、パンデミック以来、「ロックダウンなどになった場合でも返金はしない」などの項目が追加されたりしています。

 昨年の秋には再び感染爆発を起こしたフランスでは、学校の衛生対策にも特別に気を配らなければないところですが、9月からの学校の授業では、もしも感染者がクラスに出た場合でも、ワクチン接種をしている子供は授業をそのまま続けることができ、ワクチン未接種の子供に関しては、当面の隔離、リモート授業に切り替わることが決定しています。

 同じクラスの中でもワクチン接種をしている子供としていない子供で、隔離措置が違ってくるわけです。致し方ないことでもありますが、なんだかここでもクラス内で不穏な空気が流れそうで、なかなか微妙ではあります。

 また、学校では、週60万回の唾液検査が実施されることになっていると同時に12歳以上のワクチン接種が可能な年齢の子供たちに対してのワクチン接種(両親の同意書が必要)の強化、学校単位でのワクチン接種なども検討されています。

 ヘルスパスの適用範囲が広がる中、教師は、ヘルスパスの提示は必要でも、ワクチン接種が義務化されている職業ではありません。世論調査によると国民の74%は、「教師もワクチン接種を義務化するべき」と感じているという結果が出ています。

 しかし、現在のフランスでは、子供を持つ親にとっても、学校再開は、それほど神経質に危険視されてはおらず、すでにヘルスパスの起用により、ほぼ日常生活が戻っている事情が反映されています。

 とはいえ、特にワクチン接種ができない12歳以下の子供などは、引き続き、心配な要素が多いことも現実です。

 フランスでの次の学校のバカンスの休みは10月23日から、(Vacances de la Toussaint ・万聖節・ハロウィン)です。それまでの2ヶ月弱、無事に学校生活が落ち着いてスタートしますように・・。


フランス新年度手当 


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2021年7月28日水曜日

柔道は意外とフランスに浸透しているスポーツ フランス人 女子柔道家 クラリス・アグベニェヌ金メダル <フランスの柔道>

  



 現在、開催中の東京オリンピックは、フランスでもライブ中継されていて、国営放送局のどこかで必ず、放送されていますが、当然のことながら、フランスでライブ中継されている競技は、フランス人が出場している種目が中心で、あまり日本人選手の活躍をオンタイムで追うことはできません。

 フランスからは、今回のオリンピックには、378人の選手が出場していますが、オリンピック競技には、33競技もあるうち、各国から全競技に出場するわけでもなく、こうやって海外でオリンピックをあらためて見ていると、国ごとのオリンピックの得意?競技というのは、なかなか違うものだなぁと思って見ています。

 昨日、放送されていたフェンシングや馬術などは、日本ではあまりポピュラーとは言い難いスポーツですが、フランスでは、きっと日本よりは、一般の人でも触れる機会のあるスポーツでもあります。

 東京オリンピックからスポーツクライミングとして新たに競技種目に加わったボルダリングなどもフランスでは、かなり一般的なスポーツで、多くの学校にボルダリングの施設?が備え付けられています。

 現に、娘が小学校に通っていた頃は、学校で乗馬の合宿のようなものがあったし、希望者には、フェンシングなども学校で習う機会もありました。

 逆にフランス(ヨーロッパは概して同じだと思いますが・・)では、野球はマイナーな存在だし、バレーボールをやっているとか、熱狂的に観戦するという話もあまり聞きませんし、フランスの学校には、日本の学校のようにどの学校にもプールがあるわけではありません(むしろ、学校にはプールがないのが普通)。

 ところが、意外なことに柔道というのは、フランスではかなり全国的に浸透しているスポーツで、小学生がお稽古事?にしているスポーツは、女の子は圧倒的にバレエですが、男の子は、サッカーか柔道が一般的なのです。

 実のところ、ご本家の日本よりもフランスの方が柔道人口は、圧倒的に多いのです。

 1933年にフランスに柔道が紹介されて以来、1946年にフランス柔道連盟が設立し、それほど歴史が長いわけでもないのに、柔道がフランスにこれほど浸透していることは、不思議なことでもあります。

 オリンピックの柔道では、見ることはできませんが、フランスの柔道は、帯の色も段階が細かく分かれていて、黄色、オレンジ、グリーン、ブルー、茶色などの日本にはない色も存在します。

 フランス語でも柔道はJUDOですが、競技としての柔道だけでなく、フランス語では、柔道の選手のことを柔道家(JUDOーKA)と呼ぶのも、フランスでの柔道の浸透具合がうかがえます。

 昨日、フランス人の柔道家クラリス・アグべニェヌが63キロ級で金メダルを取ったことは、もうその日の1日だけでも何度、彼女の映像がテレビで流れたか、数え切れないほどです。

 彼女は今回、フランスから東京オリンピックに派遣された選手の中でも、最も期待されていた選手だっただけに、開会式のフランス国旗の旗手にも選ばれていました。

 これまでに(7月27日現在)フランスが取ったメダル7つのうち、4つが柔道であることも恐らく日本が持つフランスのイメージとはかけ離れたものであると思われますが、フランスでの柔道人口の裾野の広さを考えれば、不思議なことではないのです。

 フランス人には、日本の伝統的な文化に対して、畏敬の念を持っている部分があり、○○道、と道のつくスポーツには、少し格別な印象があるようですが、今や柔道はJUDOで、その語源などは、あまり知らない人の方が多いと思います。

 しかし、その礼儀正しさや、いざとなれば護身にもなり、身体や精神を鍛えることができ、何よりもあまりお金がかからないところもフランスで身近な存在へと普及していった理由かもしれません。

 これまでも、全日本の柔道の選手なども、振興試合のためか、かなり頻繁にパリにいらしているのを見かけることも多かったです。

 日本の伝統的なスポーツがこれほど海外で広まり、小さい子供にまで浸透することは、なかなかないことかもしれませんが、柔道は、かなりフランスではメジャーな存在なのです。


フランス柔道


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2021年7月17日土曜日

夏休みの日本への一時帰国 日本の小学校体験入学

   


 ここ一年半以上、日本には、一時帰国はできていませんが、もう20年以上にもなる在仏生活の中で、夏休み(夏ではない時もあったけど・・)の日本への一時帰国には、色々なことがありました。

 フランスに来て以来、初めて日本へ行ったのは、娘がちょうど2歳になったばかりの頃で、それまで孫に一度も直にあったことのなかった両親の喜びようは、大変なものでした。その2人の喜びように、今まで私がどんなに親孝行しても(とはいっても大してしてないけど・・)、孫の存在には、叶わないんだな・・などと思ったものです。

 私が娘をバイリンガルにしたかったのは、日本にいる家族ともコミニュケーションがとれるようにという思いもあってのことで、娘が生まれた時から他に日本語を使う人がいない環境で、私は娘とは日本語のみで接してきたので、その頃は、娘もろくな言葉は話せませんでしたが、周囲の言っていることは理解し、初めて会うパピーやマミー(フランス語ではおじいさん、おばあさんのことをパピー、マミーと呼びます)ともすぐに打ち解けました。

 やがて、娘が小学校に入る年頃になると、フランスの学校がお休みになるとすぐに日本に連れていって、実家近くの公立の小学校に2週間ほどですが、編入させていただき、日本の小学校生活も体験させて頂いていました。

 予め、受け入れ先の小学校の教頭先生に連絡をとっておくと、帰国後、すぐに編入させてもらえます。学校に最初に電話した時などは、素晴らしく好意的な印象で、「フランス語ですか〜、英語なら話せる教師はいるんですが・・」などと親身になって考えてくださり、「日本語は、ある程度はできるので、日本語に接する機会でもあるので、ぜひ日本語だけでお願いします」と念を押したくらいです。

 フランスの学校に入学した時などは、面接の際に私が日本人だと知ると、「うちはフランス語だけですからね!」と逆に念を押されたくらいで、その時は、「そんなことわかってるわよ!」とムッとしたくらいだったので、たった2週間の編入のために、気遣ってくださる日本の先生が「日本人て、なんて、優しいんだろう!」と感動したくらいです。

 フランスの学校にはない給食当番や掃除当番なども体験させてみたかったので、「どうぞ、お客様扱いせずにやらせてください」とお願いしました。

 両親が元気なうちは、一緒に山荘に出かけたりもしましたが、やがて、母の心臓病が悪化し始めてからは、母は家にいても寝たり起きたりの生活になり、急に入院して、駆けつけた時にも階段の登り下りが心臓に負担がかかるということで、母のベッドを階下に移したり、寒くないように(その時は冬だった)フローリングの床にカーペットを敷いたり、介護保険の手続きをしたり、日頃、側にはいられない分、なんとか日本にいるうちにできるだけ色々なことをしていこうと、日本への一時帰国は、楽しいだけでなく、かなり忙しいスケジュールギチギチのものになって行きました。

 そのうち、母が亡くなり、父一人の生活になってから、こちらの生活でも色々なことがあり、また、私が夏に休みを取れなくなって、しばらく日本には、帰れない年もありました。

 また、しばらくして、日本に行き始めてからは、一人の生活の父の食事の用意や、父の病院に付き添って、担当の先生に話を聞いたり、いつも父がお世話になっている人々にお土産を渡しがてら挨拶に行ったり、その間に友人と会ったり、買い物をしたり、帰るときには、後で父が少しずつ食べられそうなものを作り置きを小分けにして、冷凍したり、楽しい半分、家を出てフランス行きの飛行機に乗った頃には、正直、半分、ホッとするようなところもありました。

 日本への一時帰国は、美味しいものもたくさん食べられて、会いたい人にも会える楽しいものであると同時に、期間が限られているからこそ、両親(高齢になってから)のために頑張ってしまう期間でもあり、はっきり言って、バカンスとは言い難く、どうしても、忙しく動き回らざるを得なくなってしまい、楽しいことばかりでもありません。

 今は、両親ともに亡くなり、そんな日々が懐かしく、二人がいなくなった家を片付けるくらいで、日本の家では、あまりお料理をすることもなくなりましたが、日頃、側にいられない負い目もあって、できるときには、できるだけのことをしてあげたいと思って忙しく動き回っていた日本への一時帰国をもう何もしてあげることができなくなってしまった今になって、もっともっと、色々してあげたかったと寂しく思うのです。

 現在は、小さなお子様をお持ちのお母さん方も日本の学校に一時的に編入させてあげたくても、2週間の隔離生活が必要なので、きっと日本の学校への編入は難しいと思います。今、ご両親が日本にいて、病気だったりしても、すぐに飛んで行って看病することも、万が一のことが起こっても、駆けつけることはできません。

 日本の学校への編入体験も限られた年齢でしか難しいだろうし、ましてや病気の親に付き添えなかったり、最期の時にも会えなかったり、節目節目の大切な瞬間でさえも、ただでさえ、遠くて困難なところを長引くパンデミックがさらに日本を遠ざけています。

 海外で生活をすると選んだ時点で、ある程度は覚悟はしていたものの、そのような思いをされている方々にとっては、本当に心が張り裂けんばかりの悲しさだと思います。

 1日も早く、元の生活が戻って、行こうと思えば、翌日でも日本に飛んで行くことができる・・そんな世の中に戻って欲しいと思っています。

  


 現在、外務省及び厚生省から、「変異株指定国・地域に指定した国および感染症危険情報レベル3対象国・地域・国については、帰(再入)国を前提とした短期渡航について、当分の間、中止するよう改めて強く要請致します。」という書面が出入国管理庁から出ています。

 私は、現在、無理して日本へ行こうとは思っていませんが、世界各国からオリンピックのために、多くの人が入国している中、日本国民に対して、帰国するなという通達には、反発を感じます。

 海外在住者には、ワクチン接種済みの人も多く、しかも2週間の隔離期間はきっちり守る日本国民なのです。

 これは、オリンピックのための措置に他ならないと思いますが、「日本人を閉め出してまで、そこまでしてオリンピックをやるのか?」と思ってしまいます。

 それならば、せめて、オリンピック関係で入国している人々には、「海外在住の日本人も帰国を許されない中、オリンピックが行われている」ということをしっかり通達し、それほど危険な状態であることをちゃんと知っていてもらいたいと思います。


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2021年4月14日水曜日

コロナ禍の娘のパリの国立病院の研究所でのスタージュ(インターンシップ)

 

  

 我が家の娘は、昨年、秋から日本の国立大学の大学院に留学する予定にしていましたが、ドタキャンになり、今年の春に延期したものの、結局、2度目のキャンセル、昨年の秋の段階では、本当に飛行機のチケットも買って、出発の目前でのドタキャンだったために、突然とぽっかりと空いてしまったその期間のフランスでのスタージュ(インターンシップ)を見つけるだけでも大変なことでした。

 2回目のキャンセルは、一度、痛い目に合っているために、煮え切らない返事しか戻って来ない日本の大学に早々にある程度は、見切りをつけ(こちらのグランドエコールと日本の大学の人が間に入っているため、直接、交渉ができないために余計に話が進まない)、また、前回のようなギリギリで違うスタージュを探す羽目にならないように、日本留学と同時進行で、彼女は、自宅から通えるパリでのスタージュも探していました。

 結局、最終的な返事はないまま、パリでのスタージュが決まって、4月から彼女は、パリの国立病院併設の研究所でスタージュを開始しました。このパンデミックの中、彼女は慎重にロックダウンになったとしても、リモートワークが可能な研究所を探し当てていたのですが、彼女が仕事を開始するその日から、パリは、3回目のロックダウンが強化になり、学校も閉鎖される絶妙なタイミング。

 彼女は、図らずも3回目のロックダウンが開始されたその日にパリに戻り、そして、今日から仕事という日にロックダウン強化という節目節目にピッタリ合わさるようになっているのが不思議です。

 学校だけではなく、仕事をしている人もできるだけリモートワークに切り替えてくださいという政府の方針から、「恐らく、リモートワークになるだろうけど、とにかく最初は、行かなくちゃいけないから・・」と出かけていったのですが、結局、彼女の仕事はリモートワークにはなりませんでした。

 仕事場が病院内ではないものの、病院に併設された研究所ということで、感染の危険もあるかも・・と、心配していたのですが、研究所内の人は、全てワクチン接種済み、彼女自身もワクチン接種を受ける権利をもらったのでした。

 ワクチン接種は、彼女が働いている病院ではやっていないため、別の病院にワクチン接種に行くのですが、今のところ、何度、電話を入れても予約が取れない状態で、すぐには、ワクチン接種はできそうもありません。

 しかし、今、フランスで、病院以外で全員がワクチン接種済みという職場もなかなかないことで、その上、年齢から行くと、(20代前半)ワクチン接種は、一番、後回しになりそうな彼女がスタージュのおかげでワクチン接種を受ける目処が立ったことは、思わぬ幸運なことでした。

 家にいても、救急車のサイレンが頻繁に聞こえてくるフランスなので、病院では、さぞかし、サイレンが1日中、鳴り続けていると思いきや、意外にもそうではないとのこと。それもそのはず、その病院には、もう空いている病床がないということなのです。(パリを含むイル・ド・フランスの集中治療室の占拠率は154.9%(4月13日現在))

 それはそれで、恐ろしいことです。

 彼女は、その研究所でその病院の医学部の教授の事務所で、研究の助手(データ管理など)をしています。彼女が進路について、考え始めた頃、彼女が理系の道に進もうと決意し始めた頃から訪れ始めた頃から彼女自身にも現れ始めた理系の人々独特の兆候の集団にどっぷりと浸かり始めた彼女の新しい生活が始まりました。

 ある日、夜7時になっても帰って来ない(夜間外出禁止で19時までに帰宅しなければならない)娘に「どうしたの?心配したよ!」と言ったら、「医者には、夜間外出禁止はないから、遅い時間になって、会議を始めたから・・」と。

 彼女(彼女自身は医者ではないので)が、「夜間外出禁止があるから、時間を考慮してください」と言って、初めて、夜間外出禁止に気が付くという浮世離れぶり、全然、悪気はないのですが、やっぱり、一般人とは、違うんだな・・と思わせられた彼女の新しい職場でした。

 悪気は全くないのに思わぬところで、とてもトンチンカンな理系の人にありがちなエピソードがこれからチョクチョク、聞けるかと思うと、私はちょっと楽しみです。しかし、彼女自身がすでにそのお仲間の一人・・彼女がその彼らの不思議な行動に気が付かない可能性もあります。

 とはいえ、前回のスタージュと違って、彼女の希望に近い職場が見つかって、その上、ワクチンまでできて、よかったな・・と少しホッとしていますが、彼女自身は、もう今年の秋からの次の学校への試験やスタージュ先を探す次から次へとなかなか忙しい娘です。

 しかし、フランス政府のコロナウィルスによる経済被害対策の一環として、加えられたスタージュ等の採用をすると、企業側が税金の控除を受けられるなどの対策のため、スターじゅの求人は、昨年よりも増えているようで、少しは余裕を持って探せる状態になっているようです。

 この時期、進路も色々と計画どおりには、ならなかったり、就職も大変だったりする人も多いと思いますが、諦めずに頑張っていって欲しいと思っています。


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2021年4月2日金曜日

バカロレア(高校修了認証のフランスの国家試験)2年連続中止の影響

  


 フランスの学生、特に高校生にとっては、高校生活の最後に受験するバカロレア(高等学校修了認証のための国家試験)は、なかなかの大きなハードルで、このバカロレアの資格は、その後の進学先を始め、就職の際にも最低限?の資格として、一生ついてまわる重大な試験です。

 バカロレアの試験は、教科数も多く、主要科目に関しては、一科目のテストに要する時間も3時間程度と長時間にわたるために、バカロレアの試験には、一週間もかかり、その準備も大変で、その間の集中力を保つのも、緊張状態の続く一週間だけでも、大変なことです。

 フランスには、日本のような受験戦争はありませんが、娘の通っていた高校では、このバカロレアの長時間の試験に慣れるために、実際のバカロレアの試験の一年前ほどから、3時間テスト、4時間テストが定期的に行われ、バカロレアの試験に備えていました。

 そんなバカロレアの試験がこのパンデミックの影響で、衛生対策から、昨年も中止され、日常の成績を参考にバカロレアの点数がつけられることになり、苦しい試験から解放された受験生からは、発表とともに、「試験なしにバカロレア取得!」と喜ぶ受験生のツイートがフランスのトレンドに急上昇したのも、まだ遠くない記憶に残っています。

 そして今年も奇しくも、昨年と同じ時期にフランスでは、感染が再拡大し、3回目のロックダウンを迎え、2年連続でバカロレアの試験は、哲学や一部の口頭試験を除いて、中止されることになりました。

 最後の最後まで、「学校は閉鎖しない」と、教育現場をかなりの重要な場として、死守し続けようとしていたフランス政府もコロナウィルスのために、ついに陥落、学校を閉鎖する(と言っても、通常のバカンス時期プラス2週間のリモート授業の導入ではありますが・・)ことになってしまいました。

 ただでさえ、ここ数年、フランスの学生の学力低下は問題になっており、昨年末に発表されたTIMMS(Trends in International Mathematics and Science Study)の調査結果によれば、フランスの学生は、以前と比較しても、特に理数系(数学、理科)の科目のレベルが著しく低下していることがわかり、ヨーロッパ諸国の中でも最低ランクに位置しており、フランスの教育関係者に衝撃を与えていました。

 そこへ来て、このパンデミックによる不安定な教育現場と昨年の約2ヶ月にわたる学校閉鎖(1回目のロックダウン)と今回の学校閉鎖。

 そのうえ、バカロレアが2年連続中止されるという現実は、フランスの学力低下問題に拍車をかけそうです。

 日常からの勉強はもちろんのことですが、やる気のある子供は、どんな状況においてもきっちりと積み重ねて勉強をしていきますが、そうではない場合は、試験があるから集中的に勉強するという機会が失われる上にさらに、学校閉鎖というダブルチョップ。

 このパンデミックは、間違いなく歴史上に残る大惨劇であり、コロナウィルスによる影響で、思い描いていた教育が受けられなかったり、就職の場が奪われてしまったりする人は、数え切れず、後世に渡り、「あの時は、・・」と語り継がれる出来事であると思いますが、日本で今もことあるごとに言われる「バブル世代」とか、「ゆとり世代」とかいう言葉のように、フランスでは、のちのち、この試験なしのバカロレアを通過した世代を「コロナ世代」「あ〜試験なしにバック(バカロレアのことをフランスではバックと呼びます)を取れた世代ね・・」などと言われるような気がしています。

 例年であれば、フランスでは、ほぼ、全ての高校生が受験するバカロレアという国家試験。

 一生ついて回るだけでなく、その点数によっては、(トレビアン、ビアン、アッセビアン(秀・優・良)と成績が表示される)思わぬ特典があったりもします。

 例えば、トレビアン(秀)を取った学生には、その年に銀行口座を新しく開く場合にボーナスとして、250ユーロもらえるという、一種の青田買いのようなサービスを提供している銀行もあったりして、広く活用されています。

 一部の学生を除いて、受験らしい受験のないフランスで、唯一、集中的に勉強する機会であるバカロレア、来年は、復活できますように・・。


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2021年1月16日土曜日

フランスの高等教育機関の授業体制への抗議に対するマクロン大統領の手紙


Coronavirus : "Il va falloir encore tenir", Macron répond à une étudiante en détresse


 ストラスブール(フランス北東部・グラン・テスト圏の首府)のシアンスポ(Sciences-Po)(行政系の特別高等教育機関・エリート養成校)の19歳の学生がマクロン大統領宛てに送った「学生を大学や学校から締め出すコロナウィルス対応に抗議する内容の手紙」がフェイスブックに公開され、彼女の意見に賛同する声が多くの学生によって、拡散されたことから、マクロン大統領が彼女に返答する形で彼女宛てに出した手紙とともに、大学以上の高等教育機関の授業体制について、最注目されています。

 多くの教育機関、特に、保育園、幼稚園、小・中学校、高校に関しては、現在、フランス全土が18時以降の夜間外出禁止や様々な生活制限が強いられることになっても、余程の緊急事態にならない限り、学校は閉鎖しない(高校に関しては、一部制限あり)とする態度を貫いているフランス政府も、大学以上の高等教育機関については、ほぼリモートワークが続いているケースが多く、登校が許されない状態が続いています。

 彼女は、大統領宛ての手紙の中で、大学から締め出された形の現在の状況から、「私は生きながら、死んでいるような気がする」「希望がない、自分の人生が無いような気がする」「多くの学生が社会から隔絶された状況から忘れられている」「このコロナウィルス感染の危機、経済危機から、孤独に陥り、精神的にも追い詰められ、大学教育を諦め、中退してしまう人もいる」などを綴り、「授業に戻ることは、多くの学生にとって有益なこと」と対面授業を求める高等教育機関の授業体制の見直しを求めています。

 このパンデミックの中、苦しい環境は、全ての人に共通するものではありますが、人生の重大局面を迎えている将来的に繋がる大切な教育を受け、将来を見据えるタイミングに局面している年頃の学生にとっての苦悩は、計り知れないものであると思われます。

 実際に我が家にも同じ年頃の娘がいるだけに、他人事ではなく、先日、普段は、あまり感情を激さない彼女がこのパンデミックによる若者が被っている困難を家で叫んでいたことを思いました。

 今の時代を生きている人には、それぞれが大なり小なり人生が狂ってしまった人も多いと思いますが、我が家の娘もまた、イギリスの大学の研究室でスタージュするはずだった予定は、全てリモートになり、日本への留学も断念(しかもドタキャン)(一応、延期ということになっている)し、代わりに思っても見なかった会社でスタージュをすることになり(それでもスタージュ先が見つかっただけマシ、多くの人が失業している中、スタージュの機会を得られない学生も多い)、今後の予定も、いくつもの可能性を探りながらも、先が見えない状態です。


 シアンスポの19歳の学生がSNSで社会に呼びかけた訴えにより、マクロン大統領が彼女に宛てて書いた手紙も公開されています。

 マクロン大統領は、「親愛なるハイディ、私は、あなたの怒りがわかります。2020年に19歳という年齢を迎えていることは、どれだけ困難に直面しているか、私は、とても深く考えています。このパンデミックはあなた方から多くのものを奪ってしまっていることも理解しています。それでも、率直に言って、私たちは、まだ頑張らなくてはなりません。これは、単純な公式には、当てはまりません。私は、あなたにもう一度、数週間、努力することをお願いします。あなたを駆り立てる勇気を示すために頑張ってください」という内容の手紙を送っています。

 私は、この19歳の女の子が自分の怒りを大統領宛の手紙を綴り、SNSで世論に訴えかけ、それが拡散されてマスコミを巻き込んで、ついには、大統領からの手紙を受け取ったことにちょっと感心しています。実際に、高等教育機関の授業体制が即座に変更されるかは疑問ではありますが、再検討されるきっかけには、なったのではないかと思っています。

 この深刻な感染状況の中、デモなどという手段ではなく、手紙やSNSを利用した彼女の抗議の仕方は、いかにも現代に生きる若者の賢明なものであったと思います。彼女が起こしたこのようなアクトに、「生きながら死んでいる」と綴っている彼女が、少なくとも困難の中でも賢明に生きていることを感じるのです。

 そんな学生をよそに、土曜日は、また、パリ市内及び、フランス全土で総合治安法案に対する抗議デモをはじめ複数のデモが実施される予定になっています。

 これ以上、デモなどで、感染をさらに拡大し、若者の将来を奪うことを許せない気持ちでいます。


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