2025年3月12日水曜日

娘がスキーで大ケガしたらしい・・

  


 忙しく仕事をしつつも、忙しく遊びまわっている娘ですが、私が日本滞在中も私とも旅行しつつ、途中、私の旅行中などは、友人とスキーに行ったりして、一体、彼女には、休日に身体を休めようとか、そういうことは必要ないのだろうか?と思っていました。

 それでも、私が日本に到着したときも、空港まで車で迎えに来てくれたし、帰りも早朝にもかかわらず、車で送ってくれて、本当にフル回転してるんだ・・さすが若い・・と感心しつつも、たまには、少しはゆっくりする時間も少しはあった方がいいんじゃないの?とも思っていました。

 私がフランスに戻ってからも、春になるのを惜しむように、また、スキーに行くという話は、聞いていたので、前々回のスキーでは、携帯電話をなくしかけたり(結局、びっくりすることに、一応、届け出をしていたら、見つかったという日本ならではのミラクル)したので、スキーに行くというのに、「足折らないようにね・・」とかではなく、「携帯失くさないようにね!」などと、冗談半分に電話で話していました。

 それが、週末に電話がかかってきて、なんとスキーで怪我したとのこと、骨は折れていないみたいだけど、現在、ギブスに松葉杖の生活、「来週にもお医者さんに行くけど、どうやら、じん帯損傷、もしかしたら、じん帯が切れているかも・・」とのこと。

 彼女がスキーを始めたのは、小学生の頃だったので、スキー歴はもう長く、けっこう滑れるようなので(私自身はスキーやスケートなどの滑る系のものは苦手なのでやりません)、まさか怪我するなんて、思ってもみませんでした。

 実際にその場にいたわけではないし、彼女の様子を見ていないので、あまりピンと来ないのですが、検査の結果、やはり、じん帯が切れていて、恐らく手術になるだろうとのこと。通常は、週3日くらいは出勤しているようなのですが、基本的に彼女の仕事はリモートワークでもできる仕事がほとんどなので、仕事はそのまま続けられるとのことですが、どうにも離れている身としては、心配なものです。

 幸いにも隣に従姉妹がいてくれているので、本当に困ったときには、助けてくれているようなので、まだ心丈夫ですが、じん帯切断で手術?などと言うと、母としては、心穏やかではなく、思わず、「帰ろうか?」と聞いてみたのですが、「ぜんぜん、そんな必要ないから・・ママは自分の予約してある検査にちゃんと行きなさい!」と。

 まあ、帰ったところで、大して役に立ちそうもないし、かえって足手まといになりかねない気もしないではありません。

 とりあえず、命に別状があるわけでもないとは思いつつも、やっぱり心配してしまう情けない母なのです。

 通常は、散歩するといっても驚異的な速さで歩く娘。ギブスをはめた足では、さすがに速くは歩けず、なんだかおじいさんになった気分(なぜ?おばあさんではなく、おじいさんの気分になるかは不明)とかで景色が違って見えるとのこと。

 彼女が今、生活している私の実家は、両親の住んでいた家で、ボロいながらも、家の中は、母が最初に介護が必用になった際に(介護保険ができたての頃だったためか、やけに景気よくしっかりしたものをつけてもらっている)家中に階段からお風呂場に至るまで、手すりをつけてもらった家で、そんな手すりが今、彼女の助けになってくれているとのこと。

 まさか、自分たちがいなくなった後に孫が一人でその家に住むようになるとは、両親も夢にも思わなかっただろうし、そのうえ、家中につけられた手すりが彼女の手助けになっているとも、全く考えていなかったと思います。

 しかし、なんとなく、両親が娘を守ってくれて、支えとなってくれているような、そんな気にさえなるのです。

 娘には、「少しはゆっくりしなさいってことだね・・」と言っていますが、やっぱり何かあった時に、離れていて、そばにいられないことは、辛いですね。


スキーでじん帯切断


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2025年3月11日火曜日

10年間で86%増加したフランスの公共交通機関内での性的暴力

  


 私がフランスに住むようになってから、もう20年以上というか、四半世紀近く経ってしまったので、ちょっと今の状況とは違うのかもしれませんが、当初、私は、フランスの電車やメトロには、日本のような痴漢はいないのだな・・と思っていたくらいでした。

 当初は、私たちは、パリ郊外に住んでいたので、郊外線を利用していて、今よりもずっと電車に乗っている時間が長かった(とはいえ、正味30分から40分程度)こともあってだったのだと思いますが、夫が服装などに対して、とにかく厳しくて、絶対に華美な服装や持ち物を持たないようにとか、少しでも挑発的に見えるような服装などは、絶対にしてはいけないと口うるさいほどだったので、心配性なのはわかっても、少々うるさいなぁ~と思っていました。

 夫は東京に住んでいたこともあったので、東京で生まれ育って、通勤していた私に対して、東京のようなつもりでいたら、絶対に危ない!という気持ちがあったのでしょう。

 私は、夫の言うように、比較的おとなしい服装で、だいたいまだ子どもが小さいこともあって、スケジュール的にもキツキツだったので、独身の時のように自分がおしゃれをするという時間もなかったのですが、おかげ様で、通勤のための車内はたいてい座って行けていたので、読書をしたり、手紙を書いたりと、それなりに有意義な時間を過ごしており、危ない目に遭ったことは一度もありませんでした。

 今から考えれば、パリ市内のメトロなども今よりもずっと空いていたような気がするし、フランスには、日本のような痴漢はいないんだな・・きっとフランスだったら、簡単な痴漢などの段階ではすまずに、もっと酷い事態に発展してしまうのかもしれないな・・などと勝手に思っていました。

 ところが最近、公共交通機関における性的暴力がここ10年間で86%も増加し、その半数がイル・ド・フランスで発生しているという報道がされており、ビックリしました。

 この性的暴力というのは、いわゆる痴漢行為というのが具体的にどのような行為であるかについては、記されていないものの、39%が性的虐待や性差別的虐待、19%がセクハラ、13%がわいせつ行為、6%が強姦または強姦未遂の被害を受けていると説明しています。しかし、このあたりの境界線がよくわかりません。

 Miprof(女性保護のための省庁間ミッション監視団)の発表によれば、2024年に報告された公共交通機関内での性的暴力の被害者は3,374人ということではありますが、この数字は、法執行機関により記録された件数であり、実際の数字は、恐らくそれを大きく上回るものであると推測されます。

 RATP(パリ交通公団)の調査によれば、調査対象となった女性の70%がなんらかの性的暴行被害に遭った経験があると答えています。

 また、被害者の3分の2(75%)が30代未満の女性であり、36%が未成年であるそうです。

 他の報告では、フランスはすでにフランスはこの現象についての警戒し、公共交通機関における性的嫌がらせに対処するための国家計画として、電話による警告サービス、啓発キャンペーン、職員の研修、迷惑な乗客への取り締まりなど、2014年に政府によって導入されていましたが、この現状を見れば、この国家計画は充分ではないようです。

 このプランの中にあるヘルプライン(3117および31117)やプラットフォーム上のコールポイントについても、実際に存在はしているものの、利用したことがある女性はわずか12%ということで、さらなる周知の必用と実際に被害に遭ったときに、利用しやすいものであるのか?という面もあるのではないか?と思われます。

 しかし、いずれにしても、10年間で86%増というのは、ちょっと驚くべき数字。私などは、幸いにも被害に遭ったこともなければ、被害に遭っている女性を見かけたこともないのですが、今、娘が若い女性に成長していることを考えると、この現状は見逃せない、見過ごしてほしくないと思っています。

 ただ、フランスらしいと思ったのは、この公共交通機関内での性的暴行事件の増加について、その暴行そのものに加えて、「女性がこのために、時間や行先を変更しなければならない事態に陥ることは、女性が自由に移動、旅行する権利を奪われているということ」という言い方もしていることで、フランスらしいと感じると同時に、なんか少し「ん?」と思ってしまうところもありました。

 フランス、特にイル・ド・フランス地域、パリの公共交通機関は、他にもスリやひったくりなど、他にも危険がいっぱいで、あらためて、日本の治安の良さはあたりまえのものではないのだな・・と思うのでした。


フランス公共交通機関内の性的暴力


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2025年3月10日月曜日

残された時間は長くないことを自覚して悔いなく、より楽しく生きる 


 私は常日頃から、テレビは夜のニュースを数時間しか見ないのですが、ここのところ、フランスでは、ニュースといえば、戦争に関連する報道がとても多く、見ているだけで滅入ってくる感じです。

 これは3年前のウクライナに対するロシアの攻撃が始まった頃と同じ感じで、当時は、それこそ、今、この時代によもや、こんなにドンドンパチパチ、ドッカ~ンと言った感じの戦争が始まるなどと夢にも思わなかったので、とにかくショッキングでした。

 あれから、早や3年も経ち、もはや恒久化しつつあるような感じで、報道も減っていたのが、アメリカの政権が変わって以来、世界的なチカラ関係が崩れつつある感じで、再び、緊張が高まっているせいか、フランスのテレビでは、また、以前よりも露骨に兵器を製造している映像や、実際の戦場の様子などが容赦なく流れてくるので、この現実を無視はできないと思いつつも、反面、ちょっと、いたたまれない気持ちで、ついついテレビは消したくなります。

 戦争とは直接的には関係はないながらも、自分の年齢や体調的な面などを考えると、最近は、残された時間は思っていたよりも長くはないことを自覚して生きるべきだと思うようになっています。

 日本に帰国した際にも、行きたいと思っている場所には、期間限定のために、少々、体力的にスケジュールが少々キツいと思いつつも、できる限り行くようにしたり、食べたいものは全て食べて、大げさですが、明日死んでも後悔しない1日を過ごそうと思っていました。

 フランスに帰ってくれば、期間限定ではないので、そこまで貪欲ではありませんが、やっぱり自分のやりたいことを最優先して後悔のない日を過ごそうと思っています。子育てをしていた頃は、何よりも自分のことよりも子どもが最優先だったので、それが終わった今は、自分が楽しむ時間を精一杯楽しもうと、そんな風に思っています。

 それで、また、明日がくれば、明日もそのように過ごせたら、そんな日が少しでも長く続けば、ラッキーです。もうある程度以上の年齢になった現在では、あまり先のことを考えるよりも、できるだけ近い未来のことに照準をあてている方が幸せな気がします。

 そして、やりたいことを楽しんでいるときには、しっかり自分が楽しんでいるということを自分で自覚して、同じことをより楽しみ、周囲の人にもそれをできるだけ伝えるということで、喜びはより強くなります。

 自分が楽しんでいることを自分にしっかり自覚させるということは、単純なことだけど、けっこう大切なことであると、最近、とみに思うようになっています。

 せっかく楽しんでいることをなんとなく過ごしてしまってはもったいない・・しっかりと自分に刻みつけておきたい・・そんな気持ちです。

 しかし、実のところ、日本から帰ってきて以来、どっと疲れが出ているのか、はたまた時差ボケなのか? 風邪をひいたとか、そういうわけではないのに、とにかく、ちょっと出かければ、どっと疲れて、身の置き場がないくらいだるくなって、しまいには、気分まで悪くなってきて、横にならずにはいられないほど、ぐったりしてしまう感じ・・今のところの目標は、体調を整えること。

 すでに、日本行きのために延期してある1日入院しての検査が控えているので、その前に、別にお医者さんに行くことは控え、一晩、寝るたびに明日こそは、もう少し回復しているかも・・と期待している毎日です。

 なにをするにしても、まずは、健康第一です。

 季節の変わり目で、一日一日、日が長くなってきて、気持ちも明るくなってきます。

 当面の私の目標は、少しでも体調を回復し、やりたいことを思う存分できる体力をつけることです。


悔いなく生きる


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2025年3月9日日曜日

祖父がパリから送っていた絵葉書

  


 祖父が昔、フランスに留学、滞在していたことがあったことは、私が子どもの頃から聞いていた話で、その影響なのか?祖父はその年代の人には珍しく、フランス料理が好きで、一家が集まって食事をしたりするのには、フランス料理であることが多かったり、DONQ(ドンク)というパン屋さんのバゲットが好きで、なんだかバゲットにはこだわりがあるようだったり、そのバゲットをお皿に置かずにテーブルに直に置いてしまったりすることを祖母が嫌がっていたりしたことを覚えている程度で、私は祖父から直にフランスの話を聞いたことはありませんでした。

 そもそも祖父は家ではかなり寡黙な人で、祖父母の家に行っても、私が話をするのは、もっぱら祖母とばかりで、それをニコニコと聞いていて、食事をしたりしている際に「美味しいかい?」と聞かれて、「うん!」と答えるくらいで、そういえば、私は祖父と何を話したことがあったか?ほとんど記憶にないくらいです。

 祖父が亡くなって久しいですが、のちのち、私がフランスで生活することになることがわかっていたら、もっと祖父にフランスの話を聞いていただろうし、何よりフランス語を教われたのになぁ・・などと思うこともありました。

 祖父がフランスに留学していたのは、第二次世界大戦直前から戦争に突入した頃のことだったようで、(そういえば、空襲を逃れてどこかに逃げた話をきいたことがありました)まだまだ、日本人が渡航すること自体がかなり珍しい時期で、当時は船でかなりの時間を要し、フランスに渡った記録を当時のチケットとか、色々な切り抜きなどとともに書き残しているアルバムのようなものがあるのですが、「いつか、読もう!」と思いつつ、なかなか読めていませんでした。

 祖父は絵が好きで、休みの日には、ルーブルなどに通っていたようで、たくさんの絵について、子どもたち(当時はまだ母と叔父のふたり)宛に解説するような絵葉書を大量に送っていて、それも大量に残されていますが、いつか、その祖父が母宛に送った絵葉書の解説を見ながら、ルーブルに行ってみるのも素敵だな・・などと思いつつも、いつも私の日本からの帰りの荷物は大量の食料品が優先されて、未だフランスに持ってきていません。

 それが、今回、来仏直前に、叔母がそれとは別に祖父が祖母宛や両親(祖父の)宛に送っていた絵葉書を一束持たせてくれて、帰りの飛行機の中でゆっくり読む機会を持てました。

 絵葉書自体も時代もので、シャンゼリゼの街路樹もまだ今よりもずっと低かったりするものの、たいがいの絵葉書の写真を見れば、だいたいどこだかわかる・・ということは、基本的には絵葉書になるような場所はパリの街は変わっていないということで、なるほど・・と感心しました。

 絵葉書の消印を見ると、1938年から1939年のもので、実に祖父は達筆で筆まめで、その時の生活ぶりや、たまにフランス語の単語が混ざっていたりするのも、現在、「それじゃルー語(ルー大柴みたいに外国語が混ざる)じゃん!」などと娘と言いあったりする私には、なんかホッコリさせられたりします。

 しかし、私とは違って、大変、優秀であった祖父はフランスに留学といっても国からの留学生としてグランゼコールに行っていたようで、毎日、フランスの新聞数紙に目を通し、当時は、日本語の読み物などは手に入らなかった様子や娯楽も現地のものを楽しむしかなく、「文化人ぶって、美術館やコメディーフランセーズに演劇を見に行ったり、映画を見に行ったりしている」などと書いてあったり、戦争が始まると、どこの新聞にも同じようなことばかりが書いてあってと批判めいたことが書いてあったりしながらも、自分は無事であるから心配はしないでほしいなどと書いてあるのも、それが戦時中であることを考えれば、その心中は察してあまりあるものです。

 このようなハガキが今でも大切にとってあるということも凄いことだと思いますが、今のようなネットの時代とは違って、筆跡や数十年経ってもぬくもりの感じられる絵葉書のようなものも良い時代だったのだな・・と、思いながら、今度こそ、日本に行ったら、祖父が当時のフランスについてのアルバムや、子どもたちに残していたルーブルにある絵の解説ハガキを持って来て、ゆっくり読みたいと思いました。


祖父の絵葉書


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2025年3月8日土曜日

第2次世界大戦時の不発弾発見でパリ交通網大混乱

  


 木曜日から金曜日にかけてパリ北駅上流で行われていた夜間工事作業中に第2次世界大戦中の500㎏の不発弾が線路近くで発見されたことにより、パリ北駅を発着する列車(TGV、TER、ユーロスター、RERの運行が完全に遮断されるという事態が発生しました。

 爆弾は、サン・ドニ近郊の駅から2.5㎞離れた線路の真ん中で発見されたため、パリ警察署は、その地域を列車が通過することはできないと判断し、地域の交通遮断を要請、周辺を警備するために、300人以上の警察官が動員され、周辺の学校も避難させられ、また爆弾が発見された現場から500メートル以内に住むサン・ドニとサン・トゥアンの住民も屋内に留まるように勧告を受ける事態に発展しました。

 また、この爆弾が発見された地点は、パリ環状道路の北約200メートルの地点でもあり、パリ環状道路とA1高速道路の一部も閉鎖され、イル・ド・フランス地域の道路で200㎞の渋滞が発生しました。

 この第2次世界大戦時の不発弾は、200㎏の爆薬が入った500㎏の爆弾で、これを撤去するのは、容易なことではなかったといわれており、この撤去作業が終了したのは、金曜日の午後4時過ぎでした。

 運輸大臣は、この爆弾騒ぎのために、約500本の列車と60万人が影響を受けたと発表しています。

 これは、おそらくイギリスかアメリカの爆弾で、1944年春に連合軍がフランスの鉄道を空襲した際に投下されたものであると見られています。ノルマンディー上陸作戦の前に投下され、ノルマンディー海岸へのドイツ軍の増援の到着を遅らせるのが目的だったと見られています。

 また、英国の歴史家によると、この爆弾は、1944年4月18日から19日の夜、イギリス空軍が近くのラ・シャペル操車場を攻撃し、1,265トンの爆弾を投下した時に落ちた可能性があると言われています。

 この第2次世界大戦時の爆弾が発見されて(オー・ド・セーヌ県)、交通網が遮断されたことは2019年にもあったそうですが、世界がウクライナ・ロシアそして、アメリカの関係もあいまってさらに緊迫しつつある今、このタイミングでというのは、あまりにも恐ろしい気がします。

 つい昨日も、午後8時からのニュースで欧州が軍事力を強化するという話で、爆弾を製造する映像が流れていて、ギョッとしたばかりでしたが、その爆弾の具体的な大きさなどは、わかりませんでした。

 今回、発見された200㎏の爆薬の入った500㎏の爆弾というもの自体、想像するのが難しいのですが、それが今、このあわや第3次世界大戦にもなりかねないような世界的に緊迫したタイミングで発見されたことも、偶然としても、あまりに意味深で、嫌な感じでしかありません。


パリ北駅不発弾 交通網遮断


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2025年3月7日金曜日

2026年に行われるパリ大相撲を見に行こうかと思ったけどチケットが高すぎた

  


 2026年6月13日と14日にパリに大相撲がやってくるというので、軽い気持ちで、「お相撲なんて、日本でもテレビでしか見たことないし、またとない機会だし、行ってみようかな?」と思って、チケットの値段を調べてみたら、一番安いチケットで81ユーロ(約13,000円)で、その後、159ユーロ、229.50ユーロ、313.50ユーロ、519ユーロ、1036.50ユーロとあり、チケットの座席表を見ると、一番安いチケットだと、バルコニー席といえば、聞こえは良いけど、会場はオリンピック競技なども行われたアリーナで、ほぼほぼ米粒ほどしか見えないであろう土俵からは、遥か遠い席。最低でも313.50ユーロ(約5万円)から519ユーロ(約83,000円)の席ではないと、ほぼほぼロクに見えない感じ。

 いわゆる砂被り席などの間近で見える席など1036.50ユーロ(約165,800円)(1人あたりの値段)と狂気の値段です。

 それでも、行く人はいるだろうし、ご招待とか関係企業の人とかでいっぱいになるのでしょうが、お相撲が海外にやってくると、こんなに高くなるものとは知りませんでした。

 パリに大相撲がやってくるのは、1995年以来30年ぶりのことだそうで、1986年、1995年に次いで3回目になるのだそうです。

 日本文化を日本以上に評価してくれている気がするフランスで日本文化の象徴的な存在のひとつとも認識されている「SUMO」大相撲がパリで見られるとなれば、これだけの価格を支払ってでも、見たい人はかなりいるとは思われるものの、庶民が気軽に行ける金額ではありません。

 もっとも、私の勝手な印象ですが、パリで日本文化を愛でる人々の層は嫌な言い方をすれば、一定レベル以上(簡単に言えば、ハイソな感じ)の人々が多く、ある種のステイタスのように、浮世絵のようなものを飾ったり、日本の古いものを飾ってみたりするような感じがあります。

 なので、この程度のチケットの値段に私のようにビビらない人々なのかもしれませんが、とはいえ、私はお相撲のことは、あんまりというか、ほとんど知らず、今、どんな力士が活躍しているのかも知りません。

 逆に、パリでこんなに高いなら、今度、日本に行った時、お相撲に行ってみるのもいいかも・・などとも思っています。

 日本相撲協会の会長は、「日本の相撲の伝統文化と相撲の魅惑的な雰囲気をフランスの人々に伝えるイベントにしたい」と言っているそうです。日本の伝統文化とはお高いものです。


2026年パリ大相撲


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2025年3月6日木曜日

マクロン大統領の演説 明日の解決策は昨日の習慣であってはならない

 


 「フランス国民の不安に応えたい」と行われた夜20時からのマクロン大統領の演説は、15分弱のものでしたが、終始厳しいながらも落ち着いた様子で行われました。

 内容は、フランス・欧州の防衛に関する内容が中心ではありましたが、急激に変化する世界情勢の中、フランスがどのような姿勢で取り組んでいるか?また、今後、フランスはどうしていくのか?今後のフランスの外交路線を説明するものでした。

 この演説は、翌日にはブリュッセルで27ヵ国が集結し、今後のウクライナと欧州防衛への継続的な支援についての協議が行われる前日に行われています。

 この演説の中で、マクロン大統領は、「この危険な世界に直面して、傍観者でいることは狂気の沙汰である」と言明し、ロシアがもはやウクライナだけではなく、フランス、ヨーロッパの脅威となっていると説明。

 そして、「平和はウクライナの降伏や崩壊であってはならない」また、「平和は、いいかげんな停戦がもたらすものでもない」と、ロシアがミンスク合意を尊重していないことを指摘しながら、「今日、我々は、もはやロシアの言葉を信じることはできない」と、フランスが取ろうとしている姿勢を明確に説明しています。

 加えて、ウクライナへの支援の一時停止を発表した米国が我々の側に留まることを信じたいし、米国への説得も続けていくが、そうでない場合に備えて、欧州諸国は、自らの国を防衛するための万全な準備をしていかなければならないと語りました。

 これを裏付けるかのように、彼は欧州首脳会議での確認事項として、「欧州加盟国は、赤字に計上されることなく軍事費を増額することができ、最も革新的な軍需品、戦車、武器、武装品を欧州の地で購入し生産するために、大規模な共同資金調達が行なわれることになる」と説明、これは、欧州諸国が自国を防衛し保護する準備、自国で必要な装備を共同生産し、協力して世界の他の国々への依存を減らす準備がより整うことを意味しています。また同時に、「ヨーロッパの将来は、モスクワやワシントンが決めることではない」とも言っています。

 この防衛費のために新たな予算の選択と追加投資を増税することなしに行うことを宣言しました。この「増税することなしに・・」とハッキリ宣言することは、フランス国民にとっては、恐らくとても大きなことで、ともすると怒りの矛先が政府に向かいかねない、最悪、国内でまたデモや暴動・・などということにもなりかねない案件です。今、この世界情勢で、国内での大混乱などどうしてもあってはならないのです。

 彼はこの演説の中で、核抑止力についても語っていますが、この核抑止力は、フランスが核保有国として存在していることの責任と意味についての確認とも受け取れます。フランスは、その意味で核を持っているからこそ、これを抑止力として、主権的に欧州大陸の同盟国を守るための戦略的議論を進めることができると説明しています。

 最近のマクロン大統領の演説の中では、久しぶりに頼もしい感じでした。この非常に緊迫した状況の中、外交の場に立つ我が国(フランス)の大統領が一体、何を考えて、どう進もうとしているのかを明確に国民に伝えることは、大切なことだったのでは・・と思いました。

 そして、彼は言っています。「明日の解決策は昨日の習慣であってはならない」と。


マクロン大統領の演説


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