2022年5月18日水曜日

カンヌ国際映画祭開幕セレモニー サプライズゲストはウクライナのゼレンスキー大統領

  


 パンデミックのために2020年には、開催が延期されたり、今ひとつ盛り上がりに欠けていた2022年カンヌ国際映画祭が開幕し、久しぶりにコロナ前の人出に沸き、ようやく取り戻したこの国際的なイベントの盛況ぶりに、カンヌの街、ホテルやレストラン、映画関係者は、祝祭ムードに包まれていることで喜びに湧いています。 

 昨日、今年が75回目にあたるこのカンヌ国際映画祭の開幕セレモニーが行われ、レッドカーペットが敷き詰められた会場は、満席状態、華やかな服装にマスク姿はもうどこにも見当たりません。

 煌びやかにセレモニーが始まって、まもなく、司会の女性に、「今日はスペシャルゲストが登場します」と紹介されて、スクリーンに登場したのには、なんと、ウクライナのゼレンスキー大統領、これには、会場も一斉に立ち上がり、彼は大きな拍手で迎えられました。



 最初は、少々、緊張した面持ちだったゼレンスキー大統領も、すぐにいつものスピーチモードに入り、彼はこの晴れやかなカンヌ映画祭のオープニングで「チャーリー・チャップリン」の映画を引き合いに出し、映画と戦争の密接な関係について語りました。

 そして、彼は、チャップリンと1940年に公開された映画「偉大なる独裁者」に賛辞を送り、語り始めました。

「この物語では、始まりではなく、終わりが最も重要なのです」とこの物語の終わりとは、主人公が広場で行った演説のことを指していると思われます。それは大勢の兵士の前で、自由と寛容、人種の壁を越えた融和を訴えるもので、希望を捨てないことをラジオを通して語りかけるシーンです。

 そして、同時に「映画は沈黙ではないことを証明する新しいチャップリンが必要だ」とも語っています。

 20世紀の最も恐ろしい独裁者たちは映画を愛していました。以来、「人類は数々の素晴らしい映画を作ってきました。皆が、戦争の恐怖に続編はないと思っていましたが、当時も今も、再び、独裁者が現れました」

「現在の私たちの毎日に拷問を受けない日はありません。皆さんも、マリウポルの市立劇場がロシアの爆撃を受けたのをご覧になったことと思います。その劇場は、今日、皆さんが集まっている劇場と同じような感じでした。そこに避難していたのは、民間人でした」

 中略

「しかし、我々は戦い続ける、他に選択肢はありません、私は「独裁者」が負けると確信しています」

 そして、最後に彼は「私の話を聞いてくださっている全ての方々、絶望しないでください、憎しみはやがて消え、独裁者は死ぬでしょう・・私たちは、この目的を達成するために、常に自由の側に立つ映画を必要としているのです」と、楽観的な言葉で締めくくりました。

 元俳優でもあるゼレンスキー大統領ですが、こんな形でカンヌ映画祭に参加することになるとは、彼自身、俳優時代には、想像もしていなかったでしょうが、彼の発信力は、甚大なもので、今や彼をテレビで見ない日はないほどです。

 しかし、まさかカンヌ映画祭にまで登場するとは・・驚きで、本当にサプライズでした。フランスでは、カンヌ映画祭のオープニングセレモニーそのものよりも、ゼレンスキー大統領のスピーチばかりがクローズアップされる皮肉なことになっています。

 あらゆる国で、あらゆるツールを使って、彼は世界中に語りかけています。

 カンヌ国際映画祭には、ジャーナリストだけでも世界90カ国から4,000人以上が集まっています。この彼のカンヌ映画祭での演説も世界中でまた、報道されることになるでしょう。

 長期化する戦争の中で彼は世界中からの関心が失われないように発信し続ける役割を見事に果たし、世界中の協力を求めています。

 この彼の演説の数時間前、ゼレンスキー首相は、当日もマクロン大統領と電話会談をしています。この演説に臨むにあたって、彼らがどんな話をしたのか、気になるところでもありますが、マクロン大統領は、この電話会談の直後に、「ゼレンスキー大統領に対しては、防衛装備品、人道支援、経済・財政支援、燃料など、ウクライナのニーズに応えるとともに、司法の仕事を支援していくことを再確認しました」

 「ウクライナの人々の勇気は尊敬に値するものであり、私たちの連帯を期待するものです。これまでにフランスからウクライナに送られた人道支援物資はすでに800トンに達しています。我々はゼレンスキー大統領と、ウクライナの主権と領土保全の尊重を確保するための国際協定の枠組みの中で、フランスがウクライナに提供できる安全保障について議論しました」と発表しています。

 マクロン大統領は、プーチン大統領との電話会談では、一向に話が進展していきませんが、ゼレンスキー大統領との連携は頑強にとれているようです。


カンヌ国際映画祭 スペシャルゲスト ゼレンスキー大統領


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2022年5月17日火曜日

フランスに女性新首相エリザべス・ボルヌ現労働相が就任

  


 マクロン大統領の再選が4月24日に決定して以来、新内閣の組閣について、長いこと発表されないままでしたが、特に首相の選出については、注目されてさまざまな憶測が流れていました。

 しかし、大統領選直後にJDD(Le Journal du Dimanche)が行った世論調査によれば、国民の74%が次期首相には女性を任命してほしいと思っているという結果が発表されていたので、もしかしたら、次期首相は女性なのかも?と思っていました。

 74%といえば、マクロン大統領の支持率よりも多い数字、この世論を無視するわけはないと思っていましたが、数日前から新首相予想に上がっていた数名も女性ばかりでした。

 昨日までのカステックス首相が首相に就任したのは、2年前の7月のこと、エリゼ宮での首相交代のセレモニーの記憶もそんなに遠いものではありません。パンデミックの第一波を乗り切ったばかりの頃で、前フィリップ首相の辞任により、突然、登場した感じでした。

 彼が最初に現れた時は、その経歴からも、かなりのエリートであることは歴然としていたものの、彼の南仏訛りのきついアクセントやどこか冴えないスーツ姿に、フランスの首相としてどうなの?みっともない・・などという声もあがっていました。

 しかし、結果的に首相に就任してからの彼の言動は、アクセントはそのままでしたが、暖かい人間味あふれる感じや誠実さ、そしてどこかコミカルな印象を与える人柄(決してウケを狙っているわけではないし、本人大真面目なのに、どこかコミカルという感じ・・)が、常に論理的で、口が立ち過ぎて、どこか反感を持たれるところのあるマクロン大統領のマイナス面を見事にカバーする役割を果たしていたように思います。

 首相退任後にまず何をしますか?という記者からの問いに、「家でペンキ塗りをする所がある」と答えたとかで、家でのペンキ塗りもしっくりきそうなほんわかした人柄です。

 実際に、パンデミックの感染悪化、テロ、暴力事件などの問題が起こるたびに、現地に出向き現地の人々声に耳を傾け、誠実に応対する姿勢をこの2年間、度々、報道で目にしてきましたが、これまでの首相の出張記録回数の新記録を樹立していたそうです。

 新旧首相の挨拶では、お互いに向ける言葉の中でそれぞれを"Tu" (フランス語では親しい間柄で使うYouにあたる言葉)で呼び掛け合い、同じ内閣で長く働いてきた親しい間柄を窺わせるものでした。

 この挨拶の中で二人、それぞれ、ちょっと面白いことを言っていました。

 カステックス首相の話の中でおもしろかったのは、「フランス人は要求の多い国民で、額面通りには受け取らない。しかし、彼らはそれに対処する方法を知っている。彼らは偉大な人々であり、政治的な人々だ」「また、マティニョン(首相官邸)の住人に批判が集まるのは必至だ」と彼女に警告したことです。

 「フランス人は要求の多い国民で額面通りに受け取らない・・」まさにそのとおりです。

 また、国民に向けて、エリザベスについて、「この2年間、一緒に仕事をしてきた中で、彼女の高潔さ、誠実さ、有能さ、自発性という計り知れない資質を確認している」、「彼女は信頼できる人物であると伝えたい」と語っています。

 そして、彼女もまた、彼のフランスという国に対する揺るぎなき献身と、人間性、誠実さ、仲間への共感力を讃えました。

 また、彼女の挨拶の中で最も印象的だったのは、最後に彼女が語った一言でした。

「ご想像のとおり、私は今晩明らかに非常に感動しています。そして、この地位にあった最初の女性、エディット・クレッソンに思いを馳せずにはいられません(フランス史上初の女性首相)。そして、おそらく、この私の首相就任をすべての少女たちに捧げ、「夢に向かって頑張れ」と言いたいです。社会における女性の地位のための闘いを減速させてはならない」という言葉でした。

 見渡してみれば、ヨーロッパでは、すでに女性の首相がすでに、数名登場し始めています。民主主義を叫びながら、フランスとてこの世界の潮流から遅れるわけには、いかないというマクロン大統領の思いがあったのかもしれません。

 この首相就任という事実をすべての少女たちに捧げると語った彼女ではありますが、彼女の経歴は、並大抵のものではありません。

 1961年パリ15区生まれ。父親は彼女の父親はフランスに避難したロシア系ユダヤ人で、第二次世界大戦中にレジスタンスの一員として活動し、強制送還させられており、決して容易いものではなかったであろうに、1981年エコール・ポリテクニック(フランスの理工科公立高等教育機関のグランゼコールの一つで超エリート校)卒業、その後も数校において学業を続け、MBAを取得したエンジニアでもあります。

 彼女自身も「自分は小さい時に父親を失い、国の奨学金で教育を受けてきた」と語っています。

 ここまでの時点で、もう普通の少女とは違っていたと思われますが、彼女自身が苦労してきたからこそ、全ての少女たちに向けて、チャンスはあるとエールを送ったのかもしれません。

 公共事業省に入省したのが彼女のキャリアの始まりで、その後、国民教育省の顧問、運輸担当テクニカルアドバイザー、SNCF(フランス国鉄)の戦略担当ディレクターを経て、ポワトゥー・シャラント県知事とヴィエンヌ県知事に就任、その後RATP(パリ交通公団)社長を経て、運輸大臣、エコロジー連帯移行担当大臣を経て、昨日まで労働大臣を務めていました。

 マクロン大統領は、次期首相について「社会問題、環境問題や生産性の問題に長けている誰かであろう」とだけ語っていましたが、彼女の経歴を見る限り、まさに彼女であったと思わされます。

 華やかな感じはありませんが、カステックス首相が語ったように、高潔さ、誠実さ、有能さ、自発性が感じられる印象で、真面目そうで、どこか、厳しい学校の先生のような感じがする彼女が今後、フランス二人目の首相として、着実に活躍していってくれることを祈っています。

 ちなみに、全然、関係ありませんが、エリザベットという名前はエリザベスのフランス語読み。昔、娘が英語の授業で「エリザベットに手紙を書いたの!」と言うので、「誰?エリザベットって誰?」と聞き返したら、エリザベス女王のことで、後日、バッキンガム宮殿から返事がきたのに驚いたことを思い出しました。


フランス女性新首相誕生 エリザベス・ボルヌ


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2022年5月16日月曜日

お客様を招く時の簡単フレンチレシピ

 


 日本にいた頃は、友人に会ったりする時は、「飲みに行こう!」とか、これが食べたければ、あのお店に行こうとか、外食が多く、あまり友人を家に招くということはしませんでした。

 しかし、フランスに来て以来、仲良くなった友人には、「家においでよ!」と友人を家に招くことが増えました。私の場合、子供が小さい頃などは、子供を連れていくのでは、ゆっくりできないし、ましてや子供を一人で家においていくわけにもいかなかったので、自ずと友人に家に来てもらって、ゆっくり飲んだり食べたりしたかった・・ということが主な理由なのですが、フランスの場合は、外食が高いこともあり、仲良くなると、「家においでよ!」となることが日本よりも多い気がします。

 私の場合、お客様によって、メニューは変えているのですが、日本食を特にリクエストされない限り、フランス人のお客様の場合は、材料が手に入りにくいこともあり、また、本当にその味をわかってもらえそうもないので、いわゆる日本の洋食のようなもの、ドリアとか、トンカツとか、唐揚げとか、オムライスとか、比較的、彼らの好みに合いそうなものを作ります。

 日本人の場合は、和食っぽいものを作ることも多いのですが、飲む人(ワインだけど)と、飲まない人でも、メニューは変わってきます。

 先日、家にいらしたお客様は日本人でしたが、近々、日本に帰国されるという方々だったので、それでは和食というのも、なんか、しらける気がして、ちょっとフレンチもどきのものを用意しました。

 お酒はあまり強くないので、たくさんは飲めないけど、ワインも好きです・・ということだったので、一応、ワインも用意(というか、ワインだけは、けっこうたくさんあるので、その中から選ぶだけですが・・)。

 お客様がワイン好きだというだけで、なんか、ワインでかなりごまかせる気がして、気が楽になります。

 できるだけ、出来立てのものをお出ししながら、私も一緒に食べたいので、とりあえず、つまめるものを探し、今回はアーティーチョークを茹でておき、少しずつちぎって食べられるように冷やしておきました。

 アーティーチョーク用のソースは、バルサミコ酢にガーリックパウダー、マスタードちょっととお醤油ちょっとを混ぜただけの簡単なものです。

 そして、アントレがわりにブリック、マッシュポテトにバター、生クリーム、茅乃舎の野菜だしを少しまぜたものをブリックの皮に包んで焼くだけです。あらかじめ包んでおいて、食べる直前に焼くだけで済みます。

 サラダは、レタスやマッシュルーム、人参、きゅうり、トマトなどをドレッシングで和えただけの簡単なもの。

 そして、帆立貝とエビを使ったお魚屋さんに教わったちょっとフレンチなレシピ。名前は知りませんが、フランスのお魚屋さんが教えてくれたので、フレンチだと勝手に思っているのですが・・なかなか簡単で美味しいお料理です。

 エシャロットのみじん切りをバターで炒めたところに、小ぶりの帆立貝(私はピカールのものを使っていますが)とエビを入れて、軽く塩胡椒して火を通し、そこに生クリームとマスタードを少々、最後にコニャックで香りづけしてできあがりの簡単なメニューですが、ちょっと、プロっぽい感じにできるわりには、簡単なメニューです。

 最後にお肉、お肉は軽く塩、コショウ、おろしニンニクを塗って焼き、お好みの焼き具合に火が通ったところで、一旦、あげて、フライパンに残った肉汁に、みじん切りにしたネギ、おろし生姜、おろしニンニク、お醤油、みりん(無ければちょっとだけお砂糖)、ちょっとだけごま油、ちょっとだけお酢を混ぜたものを入れて、少しだけ煮詰めます。

 焼いたお肉をザクザクと切って、この肉汁入りのソースをかけて出来上がりです。ちょっと、普通のステーキとは違う変化球バージョンな感じが気に入っています。

 デザートには、コンテ(チーズ)とコーヒーゼリーにイチゴを添えたものを用意しました。フランスだとゼリーというものは、ほとんど売っていないので、日本人のお客様には喜ばれます。

 なんか、作りながら、自分も食べて、飲んで、おしゃべりも楽しくて、写真を撮るのを忘れてしまいましたが、次回、お客様をする時には、忘れないようにして、また、別のメニューもいつか、ご紹介したいと思います。ただし、分量などは、適当なため、正確にはお伝えできません。

 あまり強くないので、そんなに飲めない・・とおっしゃっていたお客様でしたが、結局、3人でワイン3本飲みました。

 今回のお客様は、ちゃんと家に帰られましたが、我が家のソファーはよほど寝心地がよいと見えて、ソファーで寝てしまう方も結構おられます。

 昔、日本で「突撃、となりの晩ごはん」という番組がありましたが、人の家の食事って、なかなか興味深いものです。

 フランスにいるゆえ、材料等が偏りがあるかもしれませんが、ちょっとでも参考になれば、幸いです。

 上に添付した写真は、最後の最後に「あ!写真撮ってなかった!」と気付いてギリギリ最後に撮ったお肉のメニューです。


簡単フレンチレシピ


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2022年5月15日日曜日

海外で暮らしていると日本ではきっと会わなかったであろう人に出会う

  


 海外で長く生活していると、日本からの客人をお迎えすることがあります。今は亡き母も一度、友人とパリに来てくれたことがありました。その後、叔父夫婦、従兄弟が新婚旅行で来てくれたこともあったし、パリの大学と交流のあった大学教授の叔父(現在は退官しています)などは、 在任中は毎年のように学生を連れてパリに来ていました。

 この叔父は、どちらかというと私にとっては、その度に叔母が用意してくれる大量の日本食を運んでくれる宅配便のような存在でした。

 その他、親友も一度、弟、叔母二人、従姉妹たちやその友人など、思い起こせば、これまでずいぶんたくさんの人が来てくれました。

 家に泊まってくれた人もいれば、友人などと一緒でホテルに滞在していた人もいましたが、こちらもせっかく日本から来てくれているのだからと、できるだけ都合をつけて、一緒にパリの街を歩いたり、家に招いて食事をしたり、外食したりと、その度に楽しい時間を過ごしてきました。

 友人や叔父、叔母、従兄弟、従姉妹など、直接の知り合いはもちろんのこと、遠い親戚で、母の従姉妹の娘さん(はとこ?)など、日本では会ったこともなかった女の子が「ワーホリで1年、パリに行くので、何かの時は、よろしく!」などということもあり、パリ滞在中に、何度か家に食事に来たりしていたこともありました。

 それが、このコロナ禍以来、ぱったりと日本からの客人が途絶えてしまったのですが、コロナ騒ぎが始まってしばらくして、従姉妹から「知り合いがパリのグランドエコールに留学するので、何かの時のためにあなたの連絡先を教えても良いですか?」と連絡が来て、グランドエコールに通うような人に私がチカラになれることはないと思うけど、まあ、何があるかわからないので、どうぞ・・」と返事をしておきました。

 その方は、律儀にも時々、パリに来られてからは、律儀にメールで近況などを知らせてくださっていましたが、いつもなら、「一度、家で食事でもしませんか?」と声をかけるところが、今回ばかりはパンデミックで、あまり人と食事というのも躊躇われ、たまにメールで連絡を取る程度で、一度もお目にかかることもなく、なにやかやと毎日が過ぎていき、正直、私はその方はとっくに日本に帰国されたとばかり思っていました。

 しかし、先日、「しばらくご連絡しておりませんでしたが、学校のプログラムも終了の目処がたち、来月、日本に帰国することになりました。つきましては、お世話になった(結局、私はなにもしていないんだけど・・)お礼に一度、お伺いしたいのですが・・」というメールを頂き、一時のような感染騒ぎでもなくなったので、「それでは、よろしければ、家で一緒にお食事でもしませんか?よろしければ、奥様もご一緒にどうぞ」と連絡したら、快諾してくださり、彼らと一緒に家で食事をすることになりました。

 家の道順を知らせて、「バスを降りたら電話してください」と約束をして、当日になって、食事の支度をしながらふと、「そういえば、私は彼のことを全く知らない」ということにその時になって気がついて、従姉妹からは、お花の生徒さんで、学生時代(なんと東大生)に通ってきていたお花の生徒さんとしては、極めて異色な生徒さんで、卒業後は日本企業に勤めたのだけど、この度、その企業からパリに留学することになった・・普通の人なら、放っておくんだけど、とても良い人だったから・・なにかあったら、チカラになってあげて・・」と言われていただけで、彼の年齢もどんな人なのかも全く知らないのでした。

 しかし、従姉妹が良い人というのだし、同じ日本人でもあり、こちらでも、すこぶる優秀な学校に通っているということもあり、メールの文面なども極めて丁寧で丁重で家に招くということもあまり心配はしていませんでした。

 さすがの日本人、約束した時間ぴったりに来られるあたりは、日頃、時間にルーズなフランス人に慣れてしまっている私には逆にびっくり!さすが日本人だと感心!フランス人の場合、約束の時間を過ぎた頃にようやく電話がかかってきて、「これからバスに乗るところ・・あと何分くらいで着きます」などと連絡がくる感じ、下手すると少し遅れるのが礼儀・・などと言い出す人までいます。

 結局、お昼の食事をしながら、日本でのこと、こちらに来てから色々な国の学生と関わった話など延々と8時間近くも食べて飲んでおしゃべりをして、楽しい時間を過ごしました。もう帰国まで1ヶ月程度しか残っておらず、もう少し早く気付いていたら、色々なところにご案内もできたのに・・とパンデミックボケしていたことをちょっと後悔したくらいでした。

 考えてみれば、もしも日本にいたならば、絶対に接点のなかった人たちです。前述したワーホリに来ていた親戚の女の子とて、日本では会ったこともなかった遠い親戚です。しかし、海外にいるということで、思わぬ繋がりができて、一緒に食事したり、話をしたりする時間を持つということも楽しいものです。

 彼らにとっても、私にとっても長い人生のうちの、ほんの一瞬ではありますが、日本にいたら、絶対に会うことがなかったであろう人に会えるということも海外生活ならではのことなのかな?と思ったりしています。


留学生 海外生活


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2022年5月14日土曜日

日本一時帰国の後遺症 マイおにぎりブーム

   


 コロナ禍、戦禍の中、日本に一時帰国して、フランスに戻って、あっという間に約1ヶ月が経ちました。今回の一時帰国は3週間弱のつもりでしたが、長距離フライトを甘く見ていて、思っていたよりも滞在期間は短くなりました。

 そのうえ、日本到着翌日に娘が機内濃厚接触者になったと通知が来たために、ほぼ、最初の一週間は外食もできずに、「せっかく日本に来たのに外食もできないなんて!」と不満たらたらでした。

 今回は、長距離フライトのせいだったのか、結局、時差ボケも日本滞在中はずっと治ることもなく、次から次へと用事が立て込み、スケジュールはキツキツになり、体力的にも限界を感じていました。

 しかし、だからといって、外食ができなかった期間も食べることを諦めたわけではありませんでしたが、外食解禁からは、なかなかのペースで追い上げ、思い返してみれば、ほぼ食べたいものは網羅し、満足して、フランスに戻ってきたのでした。

 当然、フランスに帰国する際の荷物は、ほぼほぼ食糧で満杯で、最後に荷物を入れたり出したりしながら、23キロ×2個の荷物は重量制限ギリギリまで詰め込み、フランスに戻ってからもたくさんの日本の食糧に囲まれてご機嫌の日々を過ごしております。

 考えてみれば、フランスに戻ってからというもの、野菜などを除いては、ほぼほぼ日本のものしか食べずに、1ヶ月を過ごしてしまいました。

 特に今回は、フランスに戻ってからは、なぜかお米が食べたくて仕方なく、特にお漬物や佃煮などがたくさんあることもあり、気がつけば「おにぎり」ばかりを作っては食べていて、先日、久しぶりに友人と食事にでかけて、久々にフレンチの食事をし、「そういえば・・帰ってきてからバゲット食べたの初めてかも・・」とこの食事の偏りに自分でびっくりしたくらいです。

 しかし、炊き立てのごはんに、刻んだ柴漬けやひじき、ちょうど折りよく育ってきた紫蘇の葉などを刻んで、梅干し、明太子や昆布の佃煮などをちょっと入れて、フワッと握ったおにぎりに香りのよいパリパリの海苔を巻いたり、とろろ昆布で包んだりするおにぎりは、何よりも簡単で美味しいご馳走で、それに大量に持ち帰った贅沢な出汁でお味噌汁でも添えようものなら、もう至福・・。

 


 この「おにぎり」のマイブームのループから、抜け出すことができません。 




 その「おにぎり」でさえも、作るのが面倒な時は、日本から持ち帰ったお煎餅をポリポリ・・しかし、これも結局はお米です。

 帰国後、1週間ほどで時差ボケは治ったものの、このもう一つの日本一時帰国の後遺症の「マイおにぎりブーム」からは抜け出すことができません。




 この「おにぎりループ」から脱却しようと、近くのスーパーマーケットに買い物に行っても、一向に食指の動くものは見当たらず、最低限必要な野菜や、せめて野菜を摂れるようにと野菜ジュースを買ってみたりするだけで、日本に帰国した際にお土産に持ち帰って、「やっぱり、美味しい〜〜〜」と感激された、チーズやバターや生クリームも、よりどり見どりに沢山あるにも関わらず、全く私の目を捉えることはありません。

 しかも、なんだか全ての食品が少しずつ値上げしていて、ますます購買意欲が削がれます。

 しかし、しばらくして、持ち帰った日本食材が底をつき始めたら、おのずと元通りの生活に戻らざるを得なくなりますが、日本からの食材が尽きるまで、しばらく続くかもしれません。

 思い返してみれば、日本に住んでいた時には、私はそれほどお米を食べていなかったし、最初に海外に出た頃には、これほど、日本食に固執してはいなかったのに、今回ばかりは、なぜかダメ。

 年齢のせいもあるのかもしれませんが、おにぎりを頬張りながら、これがソウルフードというものか・・などと思いながら、夜中にまでおにぎりを作る誘惑に耐えているのです。

 これまでは、食事を作るのが面倒だとバゲットを買ってきて、せめてバターくらいは贅沢にエシレバター・・などとバターをパンに塗りながら、結局、これが一番簡単で確実に美味しい・・などと思っていたのですが、1ヶ月経っても、バゲット生活には戻れていないのです。

 しかし、おにぎりにしろ、バゲットにバターにしろ、シンプルなものが一番、飽きずに美味しいということは同じようです。


日本食 おにぎり


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2022年5月13日金曜日

冷凍ピザ死亡事故に見るフランスの食品衛生管理

  



 すでに事件は3月に起こっていたようですが、大手食品メーカーの冷凍ピザから、溶血性尿毒症症候群(HUS)と毒素産生性大腸菌(STEC)の感染症が56件確認されたことから、このピザを製造している工場には、3月の時点で2度の徹底的な衛生検査が行われ、4月1日には、この工場でのピザの製造は禁止されていました。

 これらの検査により、食品衛生管理のレベルが悪化していることが明らかになった」と報告が上がっており、特に、「ネズミが存在し、害虫の侵入を防ぐ効果的な手段や食品活動に適応した害虫駆除が行われていないこと」、「製造、保管、通路エリアのメンテナンスと清掃が行われていないこと」などが指摘されています。

 この冷凍ピザはフランスのスーパーマーケットなら、どこでも売っている有名なメーカーの製品。決して、激安の怪しげな商品ではありません。

 これまでに2人の子供がこのピザを食べて死亡しており、この事件は、5月に入って、パリ検察庁に捜査が移管されました。この司法捜査は、「過失致死罪、14人に対する過失傷害罪、人や動物の健康を害する製品に関する偽装、食品に使用される食品が偽造または破損して健康を害する展示または販売、健康を害する製品を市場に出して他人を危険にさらす容疑」で行われています。現段階では、同ブランドのFraich'upシリーズのみが懸念されていると、検察庁は発表しています。

 その後の捜査でこの食中毒は合計75件発生しています。その大半が子供で、そのうち2人が死亡。この捜査がパリ検察庁の手に渡ったことで、再びこの騒動はクローズアップされ、このピザを食べて死亡した子供の両親などの証言も報道されています。 

 冷凍ピザはフランスでは、かなりポピュラーな存在。フランスでは共稼ぎの家庭がほとんどのため、仕事が終わって、帰宅後に簡単に食べさせることができる冷凍ピザの買い置きをしている家庭は多いのです。しかも、みんなが大好きな食品です。

 その冷凍ピザを食べて、まさか子供が死んでしまうとは・・想像もつかない悲劇です。しかし、以前、この工場で働いていた従業員の証言や公開された映像からは、ちょっと信じられないほどの不潔な状態には目を覆いたくなる酷い状況です。



 しかし、私の日常で食品工場を目にする機会はないものの、ネズミに関しては、もともとあまり驚かないフランス人、以前、働いていた会社(食品関係ではない)にもネズミ駆除の薬を置きに来る人が定期的に出入りしていましたし、大きなゴミ箱を回収に来ていた時にゴミ箱からネズミが出てきたのをたまたま目撃して、私が悲鳴をあげたら、ゴミ収集の人に、「ここは、どこだと思ってるの?パリだよ!」と笑われたこともありました。

 また、食品を扱っているお店に勤めていた知人が仕入れたキャラメルの袋がネズミに食いちぎられた跡があり、メーカーにクレームを入れたら、「ネズミも食べたがるほど、美味しいってことだよ!」と言われたと驚愕していたことがありました。食品の管理状態をさほど気にしていないことがうかがわれます。

 しかし、一方では、パリでレストランをやっている知人によると、食品衛生の検査は、とても厳しく、店内、厨房にいたるまで細かくチェックされ、冷凍してある食品の状態まで厳しくチェックされ、改善命令が出るとこの改善が確認されるまで、営業停止になってしまう・・ものすごく厳しい・・という話も聞いたことがあります。

 しかし、今回、問題が起こったのは、食品工場、このような状態のまま放置されている場合もあるということが驚愕です。

 このピザを食べて被害に遭っているのは、ほとんどが子供ですが、いずれも大腸菌を原因とする溶血性尿毒症症候群(HUS)と診断されており、ピザを食べて数時間後に腹痛を起こして救急車で運ばれて、あっけなく亡くなってしまったとのこと。

 冷凍食品とはいえ、火を通して食べるものでありながら、こんなことが起こりうると思うと恐怖でもあり、それを食べさせてしまった親の後悔の念も計り知れません。

 私自身もたまに、焼くだけで簡単に食べられる冷凍ピザを利用することがありますが、この映像を見てしまったら、しばらく冷凍ピザは食べる気がしなくなりました。


冷凍ピザ食中毒死亡事故


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2022年5月12日木曜日

公共交通機関でのマスク義務化も解除へ フランスのコロナウィルスに対する規制撤廃

  


 すでに、公共交通機関利用の際以外は、屋内、屋外もマスク着用義務は撤廃になっていましたが、来週から、フランスはその公共交通機関でのマスク着用義務も撤廃になることになりました。

 メトロ、バス、電車、飛行機、タクシーなど全ての公共交通機関がこれに該当します。

 パリの街の中の様子などを見ていると、もうほぼほぼコロナ前の日常とほとんど変わりないくらい、日常生活に戻っており、それでも、これまでは、よくもこの人々がルールを守ってるな・・と逆に感心するほどに、メトロやバスの中では、ほぼほぼ全ての人がマスクを着用していました。

 やはり罰金135ユーロの威力は恐るべしです。

 ここのところ、フランスの感染状況は、かなり減少してきており、ここ一週間の1日の感染者数の平均は3万7千人程度にまで下がってきており、それにつれて、集中治療室の患者数も確実に減少してきています。

 オリヴィエ・ヴェラン保健相は、「パンデミックは終わっていないが、流行状況は改善しており、日々の新規患者数は減少しており、マスク着用義務を維持することはもはや適切ではないと考える」「しかし、ウィルスの感染は無くなったわけではないため、高齢者や持病のある人に対しては引き続きマスク着用を推奨する」と発表しました。

 また、公共交通機関でのマスク着用義務解除後も、高齢者施設や医療施設へのアクセスにはマスク着用が義務付けられたままで、一部の制限は維持されます。また感染者(陽性だった場合)には少なくとも1週間の隔離が課されます。

 医療施設では、現在、ワクチン未接種の医療従事者は働くことはできませんが、これらの人々に対しても、すぐには復職できないが、政府は彼らの状況を考慮するとして、近々、保健衛生局の意見を求める意向を明らかにしました。

 保健相は重ねて、秋に新しいワクチン接種キャンペーンを行う可能性についても言及しましたが、詳細は明らかにせず、すべては新種の出現と、その危険性や既存ワクチンに対する耐性プロファイルの多寡に依存すると説明しています。

 実は私のところにも「2回目のブースター接種(4回目のワクチン接種)のお知らせ」という通知が届いています。私には、心臓疾患があるために届いていると思われますが、強制ではないけど、2回目のブースター接種をしませんか? 希望すればできますよ・・くらいの緩い感じのものなので、「そんなに何回もしても大丈夫なのだろうか?」という不安も少々あり、現在の感染状況を見る限り、自分で感染対策をきっちりしていれば、今のところはいいかな・・と保留しています。

 折りしも、今週、来週とパリはもう夏のような暑さで、マスクがなかなか苦しくなっている気候。この公共交通機関でのマスク義務化解除のニュースを受けてのインタビューを見ていると、「いやいや、まだまだ、マスクは外さない・・」などと答えている人もいるにはいるのですが、フランス人の気質から考えるとこれで、マスクは一気に消えていくことは明白です。

 先日も買い物に行ったら、マスクをしている人に、「おまえ、いつまでマスクしてるんだ!」と、いちゃもんをつけている人を見かけたばかり・・私自身は、まだまだ怖くて、当分、マスクはし続けるつもりですが、たとえ、気をつけたいと思っても、マスクなんかやめろ!と言われかねないのも少々心配です。

 この公共交通機関には、飛行機も含まれており、先日、日本に一時帰国した際に、長距離フライトでマスクをし続けているのが、けっこう苦しかったことを思い出します。

 この飛行機内でのマスク着用義務撤廃も、国際便となると、また物議を醸しそうで、例えば、フランスから日本に行く場合、相変わらず、迂回便とはいえ、やっと直行便も少しずつ復活し始めたものの、エアフランスで行けば、マスク着用義務はなく、JALかANAだとマスク着用は義務のままであると思われます。

 日本人なら、おとなしくマスクをしていそうな気もしますが、6月には入国制限を緩和すると言っている日本が、外国人観光客も受け入れ始めるとなると、結構、あがらう人もいそうです。

 しかし、フランス側は、国際便については、「最終的には航空会社の判断」としています。

 日本側にとっては、やれやれ、ようやく鎖国が緩和・・と思ったら、また新たに出現しそうな機内でのマスク着用問題・・日本は日本で毅然とするところは、毅然と日本のやり方を通しつつも、こんなことで怯まずに、日本の鎖国は一刻も早く解除してほしいと願っています。


公共交通機関マスク着用義務解除


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