2021年9月18日土曜日

パリの日本の食パンブームの波 Carré Pain de Mie カレ・パン・ドゥ・ミの日本の食パン


左がもちもちしっとり、右がトーストサクサク


 お寿司の全国的な広まりで一気に加速したフランスでの日本食ブームは、ラーメンやうどん、カレーや丼ものから駄菓子に至るまで、とどまることを知りません。

 そして、ここ数年、とうとう本家本元であるはずのパンにまで、日本の食品は、その領域を広げ、ここのところ日本の食パンを扱うお店が急増しています。

 もともとフランス人が最も一般的に食べるのは、日本でフランスパンと呼ばれるバゲットがなんといっても主流ではありますが、どちらかといえば、日本の食パンに近いものとして、パン・ドゥ・ミ(Pain de Mie)と呼ばれる日本の食パンよりは小ぶりの長方形の形のパンをスライスして食べるものがあり、概ね日本の食パンと同じように食べるものではありますが、なぜか、似通っていながら、およそ違うもので、中にはブリオッシュの生地を使ったものなどもあって、生地もどちらかというと粗く、日本の食パンのようなつもりで食べると肩透かしを食う感じになります。

 パンというのはフランス語でもPain(パン)で、それぞれにバゲットとか、パン・ド・カンパーニュとか、クロワッサン、パン・オ・ショコラ、ショッソン・オ・ポム、パン・オ・レザン(正確にいえば、クロワッサンやパン・オ・ショコラなどはパンではなくヴィエノワズィリーと別に分類されます)など、それぞれ別の名前で呼ばれますが、おおよそパンは、その総称のような感じです。

 なので、これまでのフランスのパン文化には、日本人がおそらく一番食べているであろういわゆる日本の食パンなるものはフランスには存在していませんでした。あれは、日本が生み出した日本人が好む形に日本独自に改良されて広まっているものです。

 しかし、その日本の食パンが最近は、逆輸入のような形でフランス人にも受け入れられるようになり、日本の食パンを扱うお店がちらほら登場するようになりました。

 以前、「日本のパン屋さん」と銘打ったAki (Boulangerie Aki )ブーランジェリーアキが大成功を収めたという話をご紹介しましたが、Akiは、日本の食パンからカレーパン、メロンパン、アンパン、サンドイッチからお弁当まで売っている今やパリ市内に姉妹店を何店舗も抱えるお店に成長しましたが、今度は、また別の地域で「日本の食パン」に特化した別のお店が大人気になっています。

 このお店「Carré Pain de Mie (カレ・パン・ドゥ・ミ)」は、パリの中心地・4区のパリ市庁舎から遠くない場所にあり、日本の食パンをメインに販売しています。一見、パン屋さんなの?と見過ごしてしまいそうな目立たない店構えではありますが、結構、繁盛しています。

  

ちょっとパン屋さんらしくなく目立たないけどパン屋さん

 このお店の食パンには、「Carré Mochi Mochi Shittori(もちもちしっとり)」と「Toast Sakkuri(トースト さっくり)」の2種類の食パンがあり、食パンとして、そのまま店頭販売もしていますが、卵サンドやツナ、ハム、ポテトサラダ、カツなどが挟んである日本のサンドイッチやBLT、フルーツサンドやトースト(エシレバターとジャム付き)などが店内で食べられるようにもなっています。

 このお店のメニューには、全てこの食パンが使用されており、お値段は、店内で食べるとトースト1枚7ユーロ(約900円)、サンドイッチ類は、8ユーロ(約千円)から20ユーロ(約2,600円)となかなかなお値段です。

  

店内メニューの一部

 サンドイッチの一部は、テイクアウトも可能です。

 私個人としては、サンドイッチにこれだけのお値段を払う気はなかなかしないのですが、普通に店頭で販売している食パンは一斤、3.5ユーロ(約450円・トーストさっくり)と4ユーロ(約500円)で許容範囲内です。

 このお店では、この食パンを一つ下さいと言うと丸々一本のことになるので、半分(Demiドゥミ)が一斤分の大きさになります。また、スライスしますか?と聞かれて、そのまま頼むと、サンドイッチにするには、少し厚く、トーストにするには少し薄い感じの厚さになるので、トーストにしたい場合は、少し厚めに、サンドイッチにしたい場合は、少し薄めに切ってくださいとお願いしたほうが良いかもしれません。(あくまでも私の好みですが・・)

 このお店は10時オープンとパン屋さんにしては、開店が遅いのですが、10時開店と同時に食パンは購入可能ですが、スライスを希望する場合は、焼きたてはスライスできないため、11時以降においで下さいとのことでした。

 食いしん坊の私は、両方食べてみたい!と両方を食べてみましたが、私のおススメは断然、「もちもちしっとり」の方です。

 特にトーストする前のふわふわで滑らかで、それでいて、しっとりもちもちした食感と癖のなさは、ちょっと感動もので、真ん中の白い部分は、大切に扱ってあげないと、崩れてしまいそうな滑らかさと優しさで、パンを赤ちゃんを触るみたいに愛おしく扱ってあげたくなります。

 またパンの耳の部分もしっとりとしていて食べやすく、おそらくパンの耳が苦手という方でも美味しく頂けるような、こんなパンの耳、食べたことない!およそパンの耳とは違う食感で、パンの耳を切り落とすことがもったいないと感じさせるようなパンの耳です。(パンを紹介するのにパンの耳を絶賛するのも変ですが・・)

 トーストにする場合は、このしっとり加減を損なわないように、比較的高音で、サッと焼くのがおすすめです。

  

トーストにエシレバターを塗って・・お店で食べたら、1枚7ユーロ

 生(トーストにせずにということ)で食べても、トーストにしてもどちらも絶品ですが、まず、買ってきたら、生で食べてみると、2度感動を味わうことができます。

 日本でも食パンブームとかでやたらと高級な食パンが売れているようですが、フランスでもまた、日本の美味しい食パンを楽しむことができるようになりました。

 Aki の食パンも美味しいのですが、このCarré Pain de Mie カレ・パン・ドゥ・ミの「しっとりもちもち」の食パンもなかなかの感動ものです。

  

店内に置かれている食パンについての説明がき

 そもそもパンが主食のフランスは、おそらく原料の小麦粉も厳選されたものであれば、かなりの品質のものが期待でき、それに加えて研究、改良を重ねて作り上げられたフランスでの日本の食パンは、さらに他の店舗で作られているものにもなかなか期待できるものではないかと、これからもフランスでの日本の食パン探しは楽しいものになる気がしています。

Carré Pain de Mie カレ・パン・ドゥ・ミ 店舗のサイト


日本の食パンブーム パリ


<関連記事>

「パンの国フランス・パリで大成功した日本のパン屋さん・ブーランジェリー AKI(アキ) Boulangerie AKI」

「パリに日本の駄菓子屋さんみたいなお店ができた!MANGA CAFE KONBINI」

「フランス人は、意外とエシレバターを知らない」

「フランス人と日本食」

「パリで今、大人気のラーメン屋さん KODAWARI RAMEN TSUKIJI こだわりラーメン築地」

「フランスで日本の餃子(GYOZA)が浸透し始めた!」

「フランスの弁当(BENTO)ブーム」


2021年9月17日金曜日

ユニクロ パリ・リヴォリ店オープン ルーブル美術館・日本文化とのコラボ

   


 パリにユニクロが初上陸したのは、2007年12月のことでした。あの頃は、フランスでは、ユニクロは今ほど有名ではなかったので、ユニクロフランス上陸!1号店がラ・デファンスにオープン!というニュースを聞いても、「へぇ〜ユニクロ、フランスにもできるんだ〜」くらいであまり感動もなく、おまけにやはり日本の製品、値段も日本で買った方が安いので、ユニクロは、日本に行った時に買うもの・・当時は私にとってパリのユニクロはそんな感じでした。

 パリの1号店をオープンした当時は、店員の教育も日本式で、テキパキと仕事を黙々とこなすような仕事ぶりをフランス人の店員に進め、レジに人が並んでも、他のお店よりは、格段に早くレジが進むことや、店内の展示品を休むことなく、きれいにたたみ直して、整理整頓を常に行うという日本では当たり前のことが、なかなかフランス人の店員には受け入れ難かったようで、従業員は長続きせずに、四六時中、ユニクロは従業員を募集していた記憶があります。

 あれから、13年以上の月日が流れ、ユニクロは、比較的庶民的な価格設定のわりには圧倒的なクォリティの高さに絶対の信頼を築き、一時は他のメーカーで類似品を続々と売り出したりもするほどでしたが、ユニクロの地位は揺るぐどころか、どんどんフランス国内でも勢力を拡大し、パリ市内だけでも14軒もお店を構える人気店に成長しました。(フランス全体で24店舗)

 そして、2021年9月16日、14軒目のユニクロのお店がパリの中心地リヴォリ通り沿いのサマリテーヌの一画にオープンしました。

 

ユニクロ新店舗正面入り口

  

入り口すぐに開店セール・カシミアセーター全品10%オフ

 ユニクロは、2021年よりパリ・ルーブル美術館とパートナーシップ契約を結び、特にこのリヴォリ店に関しては、ルーブル美術館の多くのアートを取り込み融合させ、日常生活の中心に据えるというコンセプトを展開しています。

 このリヴォリ店のユニクロの使用しているスペースは、広すぎず、狭すぎない3フロアから成り立っており、何よりもサマリテーヌの建物の一画を使っているために、荘厳な歴史的建造物の中にあり、外壁の大理石やモザイクのタイルなどもサマリテーヌと同じものが使われており、ユニクロのお店のイメージが、ランクアップされたように印象付けられています。

  

外壁の大理石や上部のモザイクのタイルはサマリテーヌと一緒

 また、店内には、モナリザのパネルやミロのヴィーナスのオブジェなどが飾られ、ルーブル美術館UT(UNIQLO Tシャツ)コレクションの新デザイン(モナリザのTシャツ)が独占販売されています。

  




 また、日本文化との融合ということなのか、フランスでも人気の作家・村上春樹さんの小説がテーマになったTシャツなども彼の本と共に展示されていたり、パリの日本文化振興会の方々が、日本茶の振興のためにお茶を振る舞っていたり、まさにフランスと日本文化の融合を感じさせるスタートです。

  

村上春樹のコーナー

 しかし、おそらく、その他の商品構成は、一般のユニクロの店舗と変わることなく、フランスのお店にしては、小さいスペースに商品数は多く、色とりどり、きれいに展示され、平日昼間というのに、オープン初日ということもあってか、なかなかの人出、しかも、見るだけでなく、しっかり買い物をしている人が多く、早くも大成功の兆しがうかがえます。

  

見るだけではなく、ちゃんと買い物している

 ユニクロの1号店オープンの際には、レジの行列を早く進めることが課題の一つだったようですが、現在、リヴォリ店でのレジは、人が介するレジと、セルフレジ、しかも商品を入れるだけで、全てスキャンして自動計算されるオートレジシステムが導入されていて、お店の人に尋ねると、そのオートレジの使い方を得意げに説明してくれました。

  

セルフ・オートレジ

 ユニクロがヨーロッパ進出に参入した際にライバル視していたのはGAPやZARAなどでしたが、GAPのお店は、今やほとんどの店舗がフランスから撤退してしまいましたが、皮肉なことに。このリヴォリ店の正面にはZARAのお店があります。

 斜向かいくらいには、C&A(同業の衣料品店舗)の店舗(ユニクロよりも大きなスペースをとったお店)がありますが、こちらは気の毒なくらいガランとしていて、ユニクロの開店と共に大きな煽りを受けそうな気配が漂っていました。

 パリのリヴォリ通りは長い通りですが、ことさら、この近辺は、買い物のメッカとも言えるような、ありとあらゆるブランドのお店が立ち並ぶ通りで、おそらく、そのリヴォリ通りの中でもサマリテーヌ(先日、16年ぶりに再開したパリの老舗デパート)のある一画は、最もポピュラーでロケーション的にも抜群の立地を誇っています。

 ここに新たにオープンしたユニクロの新店舗、広すぎないスペースを有効に上手に活用し、しかも、その立地条件でそのブランド自体をワンランクアップしたイメージを抱かせ、しかも値段は、他店舗と同じで(日本とは違うと思いますが・・)、ルーブルとコラボの限定品の独占販売とますますもって、見事な戦略。

 ワンランクアップしたイメージながら、キラキラしすぎない、背伸びし過ぎを感じさせることなく安定した部分もしっかり見せつつも着実に進化しているのは、さすがとしか言いようがありません。

 ルーブルとのこの独占販売Tシャツは、パリに来る観光客にも注目されることは間違いなく、この新店舗のオープンに、ユニクロの一層の繁栄が見えるような気がしたのでした。


パリ・ユニクロ


⭐️ユニクロ・リヴォリ通り店(UNIQLO RIVOLI)

67 Rue de Rivoli 75001 Paris  毎日10:00~20:00

メトロ 1号線 Louvre-Rivoli駅、7号線 Pont-Neuf駅、

    1.4.7.11.14号線 Châtelet駅 12番出口より徒歩1分



<関連記事> 

「16年ぶりに再開したパリ・サマリテーヌに行ってみました!」

「ガラガラのルーブル美術館なんて今だけ! 一人ぼっちのミロのヴィーナス」

「権利を主張するわりには、義務をちゃんと果たさないフランス人」

「パリ1区マドレーヌにオープンしたIKEA(イケア) IKEA City Paris 」

「ヘルスパス適用範囲の拡大 ギャラリーラファイエット・プランタンなどのデパートまで〜」


2021年9月16日木曜日

ファラフェル激戦区 パリ・マレ地区の美味しいファラフェルのレストラン2選

  


 パリでのファストフードといえば、サンドイッチかハンバーガー、ケバブ、そしてファラフェルです。現在の日本の様子はよくわかりませんが、私はパリに来るまでは、ファラフェルというものを日本で食べたことはありませんでした。

 ファラフェルは、ひよこ豆をすり潰して、パセリやコリアンダーなどの香辛料を混ぜ合わせて丸めたものを油で揚げたもので、トマト、オニオン、きゅうり、紫キャベツ、ピクルス、揚げナスなどの野菜とともにフムスやサワークリーム(ヨーグルトクリーム?)のようなソースとピタパンと共に食べる(ピタパンに挟んでサンドイッチのように食べる)中東のお料理です。

 メニューによっては、それに肉類が添えられていますが、基本的にファラフェルは、ミートボールのようでありながら、原料はひよこ豆であり、ベジタリアンにも食べられるヘルシーな人気メニューです。

 パレのマレ地区(パリ4・3区)は、パリで最初のユダヤ教会が作られた場所であることから、ユダヤ人の多い地域で、マレ地区だけでも一体、何軒のファラフェルのレストランがあるかと思うほどのファラフェル激戦区です。

 価格も比較的安いことやベジタリアンにもOKだったり、ヘルシーなわりにはボリュームがあるこのファラフェルは、特に若者を中心に大変に人気のある食べ物で、食事時には、大行列ができています。

  


 中でも、恐らく一番人気は、L'As du Fallafel というお店で特にファラフェルのピタパンを使ってのサンドイッチのテイクアウトのための行列は途絶えることがありません。これは、周囲のファラフェルレストランが気の毒になるほどで(といっても、他のお店にお客さんがいないわけではありませんが・・)、このお店は開店と同時に行列用のロープが張られ、長い時間帯、行列の長さが変わることはないほどの人気店です。

  

ファラフェルのサンドイッチ・円錐形の紙に包んで、フォークを添えてくれます

 私は、たまたま友人が近くに住んでいるために、マレ地区に出向くことが多いのですが、近くには、ピカソ美術館や古い街並みがそのまま残されながら、様々なアーティストのアトリエやギャラリーも多い地域で、入れ替わりも激しく、常に新しいものと古いものが混在する魅力的な界隈です。

 そんなマレ地区で一際、目立つのがこのファラフェルレストランで、この地域では他のファストフードがかすんで見えるくらいです。

 恐らく、この一番人気のお店は、一番コスパ(値段と味の両方)が良いのだと思いますが、テイクアウトのこのシンプルなファラフェルのサンドイッチは、テイクアウトなら、6.5ユーロ(850円程度)とパリでの外食としては、かなり安い、しかもフランス人がこだわりたがる手作り、ホームメイドでオリジナルなメニューが人気を呼んでいるのだと思います。

 天気の良い日などは、こんなファラフェル片手に外で気ままに食事するのは、レストランの中で食事をするよりも、まことにフランス人の好みそのものなのです。

 私は、周囲のファラフェルレストランを制覇したわけではありませんが、友人が勧めてくれた「ここがパリで一番美味しいファラフェルレストラン」と太鼓判をおしてくれたKING FALLAFEL PALACE というレストランのものがやっぱり美味しかったのです。

 一番人気のレストランよりは、値段も多少、上がりますが、パリでの外食としたら、決して高いものではありません。ファラフェル自体も外側がカリッと中はふっくらと仕上がっていて、カリッと口に入れるとフワッと微かな香辛料が香ります。

  


 結構、ボリュームがありますが、ほぼ野菜のこのメニュー、思ったほどには、お腹にズシンとくることもありません。ファラフェルに添えられたたくさんの野菜がとれることも魅力的でお腹がいっぱいになるわりには、罪悪感がありません。

 パリにいらっしゃることがあれば、ビストロや星付きレストランのフレンチも美味しいですが、パリジャン、パリジェンヌに人気なこんなファストフードを試してみるのも楽しいかもしれません。


ファラフェル パリ


⭐️L'As du fallafel  

 34 Rue des Rosiers 75004 Paris 🚇1号線Saint paulより徒歩2分


⭐️KING FALAFEL PALACE

 26 Rue des Rosiers 75004 Paris 🚇1号線Saint paulより徒歩2分





<関連記事>




2021年9月15日水曜日

大学・高等教育機関でのイベント・パーティーにもヘルスパス

   


 小・中・高校は既に夏のバカンスを終え、授業が再開していますが、大学以上の高等教育機関での講義はこれから徐々に再開されます。

 これらの大学以上の高等教育機関は、パンデミック以来、長いこと対面授業が回避されていた期間も長く、今年度の初めから、ようやく対面授業が再開されます。大学の対面授業には、ヘルスパスの提示は義務付けられてはいないものの、久しぶりに本格的に対面授業が再開され、学生同士が集えば、当然、予想されるのは、学生同士のイベント・パーティーの再開です。

 この事態を目前にして、高等教育大臣フレデリック・ヴィダルは、学生の行うパーティー・イベントの開催に際しては、ヘルスパス提示義務の対象となることを発表しました。

 彼女は、パーティーやイベントをやみくもに禁止するのではなく、敢えて許可する道を選んだとしています。


 これにより、校内、あるいは施設内でのイベント・パーティーに際しては(週末の集まりも含む)、事前申請の届出が必要となり、参加者はヘルスパス(2回のワクチン接種証明書、72時間以内のPCR検査の陰性証明書、6ヶ月以内にコロナウィルスに感染した証明書)の提示が必要になります。

 「学生同士が関わり合う必要性と全ての人の健康と安全との間の公正なバランス」を追求するための手段の一つとしてのキャンパスライフでのヘルスパスの導入と、施設の収容能力の75%を超えてはならず、マスク着用が推奨されています。

 そのため、大学では、学生会主催の祝祭活動、講義・研修などとは関係のない文化・スポーツ活動、外部の参加者を受け入れるスタッフが50人を超える科学セミナーや会議などについても同様の措置が取られる見込みです。

 クラス内に感染者が出た場合は、小・中・高校の規則と同様に感染者は隔離、接触者に関しては、ワクチン未接種の場合は、一定期間の隔離が求められます。

 この措置は、感染対策の措置としては、ある程度は有効ではあるとは思いますが、学生同士が行うパーティーを全て取り締まることができるわけでもなく、大っぴらにはできないだけで、いくらでも抜け道は考えられ、ましてや重症化のケースが比較的少なく、歯止めの効きにくい年代の若者たちによる感染拡大の危険性を充分に避けられるとは考えにくいと思います。

 もともと、罰則のないルールはルールではないようなところがあるフランス人の、しかも、若い世代の統制は、そんなに簡単ではありません。

 大学が始まると絶対、パーティーが始まるから釘を刺した。しかし、抜け道はいくらでもあり、パーティーなどをやらないわけはありません。

 何もしないよりは、マシではありますが、結果的には、全国的なワクチン接種率の上昇が、最も確実な感染拡大回避の道だと思うのです。

 パンデミックにより、若者には若者の、年長者には年長者の大切な時間が失われてきました。これ以上、パンデミックを長引かせないためにも、あともう少し、私たちは、感染対策をとりながらの生活を続けなければなりません。

 すっかり日常モードのフランスですが、まだまだ気を緩めるわけにはいかないのです。


大学 パーティー ヘルスパス


<関連記事>

「フランスの学校の新年度の始まり フランスの新学期手当とワクチン接種と唾液検査」

「フランスの高等教育機関の授業体制への抗議に対するマクロン大統領の手紙」

「フランスの貧乏大学生の質素な生活」

「「生きながら死んでいる」と言っていたフランスの若者を思う ワクチンで自由を勝ち取れ!」

「フランスは、ヘルスパスがないと身動きが取れなくなる! 義務化という言葉を使わない事実上の義務化」

 



2021年9月14日火曜日

母の命日を忘れている非情な娘 海外生活での親との別れ

   


 9月は母の命日があったことをすっかり忘れていました。数日前、従姉妹から、今日は、おばちゃまの命日だね・・とメッセージがあって、ハッとさせられました。

 母が亡くなったのは、15年前のことで、今でも、その時のことは、強烈に覚えているものの、命日そのものは、正直、一体、何日だったのか、はっきり覚えてもいなかった非情な娘です。

 母が亡くなった年の夏、多分、7月だったと思いますが、例年どおり、私は、娘を連れて、日本に夏休みの一時帰国をしていて、私たちがフランスに帰国した後、これまた例年どおり、両親は、夏休み、東京が暑い時期を八ヶ岳の山荘に長期で滞在していました。

 母は、亡くなる10年ほど前から、拡張型心筋症という病気を発症していて、年々、弱ってはいたものの、家で寝たり起きたりの生活を続けていました。

 夏の山荘行きは、母が一年のうちで最も楽しみにしていることでもあり、後から、母の主治医に聞いたところ、「お母様から八ヶ岳の山荘に行くことについて相談されていましたが、山にあるため、高度が高い分、酸素が薄いので、ある程度の危険は考えられるけれど、まあ、どこにいてもダメな時はダメなので(まあそれくらい悪かったということ)、それなりの覚悟をしていらっしゃるのならば、暑い東京で冷房の中で暮らしているよりも良いこともあるかもしれません」と言われていたようで、母はそれなりの覚悟をして例年どおり、父と二人で車で八ヶ岳の家に出かけていたのです。

 母がそんな覚悟までして、八ヶ岳に出かけたとはつゆ知らず、私は、7月の一時帰国時、フランスに帰る日に、これまたいつもどおりにバタバタと「色々ありがとう。じゃあまた、来年、来るからね!」と雑な挨拶をして、荷物を車に運び込んだり、バタバタと出て行ったのでした。

 あれが最期になるなんて、あの時の私は、想像すらしていませんでした。

 母は娘のことをもの凄く可愛がってくれていて、いつもならば、日本からフランスに帰る時には、二人で抱き合ったりしながら、「また、いらっしゃいね〜」などとベタベタしていたのに、その時ばかりは、母は背筋を伸ばして、「握手!」などと娘に自分から手を差し出して、握手したりしていたのを後になってから思い出すに、あの時すでに、母は自分の身体の状態などを鑑みて、かなりの覚悟をしていたのではないかと思われます。

 しかし、そんなことは母は一切、言葉には出さずに、私たちの日本滞在中、家の中で寝たり起きたりの状態ながら、朗らかに笑い、共に食事をしたり、おしゃべりをしたり、いつもと何ら変わらない様子で楽しそうに過ごしていたのです。

 それから私たちがフランスに戻って約1ヶ月後の8月23日(どういうわけか母が倒れた日にちはよく覚えている)八ヶ岳の山荘で倒れ、現地の病院に入院したのでした。

 その年は、ちょうど弟がアメリカに転勤になったばかりで、アメリカに経ったばかりの弟がすぐに日本にトンボ帰りで帰国してくれたので、私は、つい先日、帰国したばかりで、娘の学校も新年度が始まるところだったので、しばらく様子を見ることにしたのです。

 しかし、弟や叔母たちからの話を聞く限り、入院した母は強心剤を打っているために、一時的に回復しているものの、このまま強心剤を打ち続けるわけにもいかず、都内の病院に転院する必要があるということで、弟が都内まで運転して母を運び、その途中で救急車を呼んで、強引に入院させてもらうという苦肉の策をとり、母は都内のかかりつけの病院に転院したのでした。

 その間、私は、心配で心配で、毎日毎日、遠く離れた地で泣きながら過ごし、当時8歳だった娘に「そんなに心配ならば、日本に行ったらいいじゃない・・」と言われて、ようやく再帰国を決意して帰国の手配をしたのとほぼ同時に母は転院先の病院で心筋梗塞を起こし、危篤状態になりました。それは、私がフランスから日本への飛行機の機内にいる間のことでした。

 当時はまだ、国際線は、成田空港で、空港に着くと同時に空港内アナウンスが入り、受付に行くと、「叔母様のところに電話してください」というメッセージ。慌てて電話をすると、もう時間がないから、直接タクシーで病院に来て!残念ながら、もう時間がないの!」とのこと、私は現実が受け入れ難く、「時間がないって、どういうこと?」と、心配で心配でタクシーの中でもずっと泣いていました。

 病院に着くと、病院の入り口には叔父と叔母が待ち構えていて、荷物もそのままに、娘と二人で集中治療室に駆け込み、「もう意識もなく、瞳孔も開いている」と言われていた母の元に駆け寄り、ひたすら大声で「ママ〜!!マミー!!」と娘と二人で呼びかけ続けました。聴覚は最後まで残るということを聞いたことがあったからです。

 すると、それは、本当だったようで、私たちの大声が母に届き、すでに人工呼吸器に繋がれていた母が、突然、ぱっちりと目を開けてくれました。母は何かを言おうとしていましたが、呼吸器がついているため、残念ながら、母が何を言っているのかは、わかりませんでしたし、母が目を覚ましたことが奇跡的なことであることにピンときていなかったので、それをなんとか、聴き取ろうともしませんでした。

 しかし、その後、心臓の機能が低下しているために、腎臓等の臓器も働かなくなり、人工透析などの機械にも繋がれていましたが、それから数日間、午前と午後の面会時間には面会に行きましたが、それから後は、母は目をあけることはありませんでした。

 母を東京の病院に転院させて、アメリカにトンボ帰りをしていた弟は、再び母が危篤状態に陥ったことで、また日本に再帰国することになっており、母に「弟がもうすぐ帰ってくるから、もう少し待ってて・・」と呼びかけると、母は目を開けることはありませんでしたが、母の目からは、涙がツーっと流れ落ちていました。

 転勤して、新生活を始める弟に行ったり来たりさせていることを母は心苦しく思っていたに違いありません。

 結局、弟は、母の最期には、間に合いませんでした。

 姉弟揃って海外暮らしという親不孝者でしたが、そもそも私も弟も海外生活に至った大きなきっかけの一つは、母が私たちが幼い頃から英語を真剣に教えてくれたおかげでもありました。

 元気だった頃の母は、そんな私たちが海外で暮らしていることをとても喜んでくれていましたし、私が「おかげさまで、職場で私の英語、褒められたよ!本当にママのおかげ!」などと報告すると、とても嬉しそうにしていました。

 海外で生活している限り、こんなこともあり得るとは思っていた母との別れではありましたが、あの時の衝撃的な帰国、母の最期を私は、一生忘れることはありません。

 にも関わらず、15年経った今、あれほどの思いをした母の命日をうっかり忘れていて、全く非情な娘で母には申し訳ありません。

 今、私と同年代の友人たちは、親の介護で苦労している人も少なくありませんが、私は、介護らしい介護も何もできなかったくせに、今、母がいてくれたら、今だからこそ話したいことがたくさんあったのに・・などと思う身勝手な娘です。

 言い訳をさせて貰えば、歳を重ねるとともに、命日ばかりが増えていき、もう一人一人の命日をはっきり覚えていないのが正直なところです。

 しかし、従姉妹が母の命日を知らせてくれたことで、今度こそ、はっきりと母の命日は、15年も経った今、ようやく私に刻み込まれました。


海外在住者の親との別れ 


<関連記事>

「海外在住者が母を看取る時」

「海外生活と日本の家族 母からの最期の手紙」

「パピーとマミーの愛情」

「死ぬ覚悟と死なせる覚悟」

「母の英語教育」

「海外生活と兄弟関係」

「断捨離と帰国の憂鬱」







 

2021年9月13日月曜日

クレープの本場フランス・パリにある原宿のクレープ屋さんをコンセプトにした逆輸入バージョンのクレープ屋さん

   


 最近、パリの街を歩いていると、パリの街のところどころに日本のエッセンスを感じるお店を見つけることが多くなりました。

 それらのお店は、なぜか、しっくりと街の中に馴染んでいるものもあれば、どこかそこ一画だけが、異次元な空間だったり、色々ですが、このお店は明らかに異次元の世界で、また違う形で人目を引く感じではあります。

 私自身、お店の前をたまたま通りかかっただけなのですが、そのお店の色使いといい、雰囲気といい、かなり独特なもので、狭いながらも、お店を一歩入れば、そこは、とてもパリとは思えない空間なのでした。

 中に入って、お店の人に聞いてみたところ、そこは「原宿のクレープ屋さん」をコンセプトにしたお店なのだそうで、中はマンガの主人公と思われる人形やポスター、布などが一面を覆い尽くし、途中でオーナーは一度変わっているものの、そのままの形でもう10年ほど、そこに存在しているのだとか・・。

 もともとクレープといえばフランスが本場・・その本場のフランスでわざわざ原宿のクレープの逆輸入バージョン・・なかなか大胆な発想です。

 「どんなお客さんがいらっしゃるのですか?」と尋ねてみたところ、ちょっと苦笑しながら、「まぁ、普通のフランス人はいらっしゃらないですが、かなりコアな常連客に支えられておりまして・・」とのことでした。

 このパンデミックで倒産して閉店に追いやられたお店は数知れず、その中で生き残ってこれたのですから、なかなかなものです。


 


 いわゆるフランスの折り畳まれているクレープではなく、コルネ式で生クリームがたっぷり入ったクレープは、ショコラ、フランボワーズ、キャラメル、バナナ、ミックスフルーツ、アイスクリームなどに加えて、ツナとコーンとトマトのサラダやモツァレラチーズとトマトなどの甘くないものもあり、変わり種には、唐揚げのクレープや、納豆とアボカド、抹茶味のものなどもあります。

 価格設定も4ユーロ(520円程度)から6.5ユーロ(850円程度)くらいとパリでの外食としては、かなりお手軽な感じです。

 最も人気なのは、イチゴやバナナ、フランボワーズ、生クリームが入った上にチョコレートケーキかチーズケーキまでトッピングされためちゃくちゃボリューミーな「プリンセスクレープ」なるものだそうです。(6.5ユーロ)

 

一番人気のプリンセスクレープ


 それでも、このようなお店が10年以上もパンデミックの危機さえも乗り越え、脈々と続いていることを考えれば、この種のコアな客層もフランス人の中にしっかり定着していることを思わずにはいられません。

 クレープといえば、フランスの食べ物で、それが日本に渡って、変化球バージョンでフランスに戻ってきているこの不思議な現象。

 私は、日本でクレープを食べたことがないので、日本の味が再現されているのかどうかは、わかりませんが、パリに来て、日本の味が恋しくなったら、こんなクレープバージョンもあるので、試してみてはいかがでしょうか?


パリにある原宿のクレープ屋さん

Princess Crepe

3 Rue des écouffes 75004 Paris

Metro①  Saint-Paulより徒歩5分


<関連記事>

「パリに日本の駄菓子屋さんみたいなお店ができた!MANGA CAFE KONBINI」

「フランス人と日本食」

「フランス政府が若者に発行したカルチャーパスがMANGAパスになった!」

「パリのラーメン一杯の値段 パリのラーメン屋さん」

「パリで今、大人気のラーメン屋さん KODAWARI RAMEN TSUKIJI こだわりラーメン築地」


2021年9月12日日曜日

9週目のヘルスパス反対デモと黄色いベスト運動

   


 フランス全土のワクチン接種率が80%を超えても、ヘルスパス反対のデモは一向に止むことがありません。

 フランスでは、先週末までの段階で少なくとも1回目のワクチン接種を受けている人は4,954万人に上り、これは12歳以下の人口を除いた(ワクチン接種ができない人々を除いた)全国民の85%に該当します。

 それでもヘルスパス反対のデモが止むことはなく、またそのデモも暴徒化の傾向が見られます。


 殊に15日からの医療従事者へのワクチン接種義務化を目前に控えた今回のデモは、ワクチン接種そのものや、ヘルスパスに反対する者にとっては、いよいよ追い詰められたギリギリのタイミングの最後の悪あがき?とも取ることができ、黄色いベスト運動のメンバーがそのうちのいくつかのデモを集結し、本来の目的のデモを煽り、それに暴徒化する集団が加わったりしているのも、始末の悪いことです。

 

 もともと黄色いベスト運動は、2018年10月に起こったエネルギー製品に対する国内消費税(TICPE)の増税に起因する自動車燃料価格の上昇に端を発しており、これが想像以上の規模での反発を生み、収集のつかないデモや破壊行動、(暴徒化)が起こりました。

 政府はTICPEの増税を放棄しましたが、このことをきっかけに、政府の財政政策への疑問、国民の一部の階層の格下げ感、大都市から離れた地域への無視など、フランス行政政策機能に対する不信感を一部の国民に対して、植え付ける結果となりました。

 以来、黄色いベスト運動は、そのターゲットを広げ、国内で度々起こる様々な問題に対するデモにことあるごとに、参入してくるようになりました。

 その間、パンデミックが発生し、国全体が静まりかえったロックダウンの期間は、一時停止していたものの、ロックダウンが解除され、また、彼らは活動を再開したのです。

 黄色いベスト運動のターゲットが単なる燃料価格の上昇から、政府の政策への抗議に範囲を拡大している現在、大抵のデモは、彼らの講義内容に繋がるものになっているのです。

 たしかに、ヘルスパスの起用はかなり強引なやり方ではありましたが、そのおかげで、フランス国民は、ほぼパンデミック前同様の日常生活を取り戻し始めているのです。

 黄色いベスト運動がヘルスパス反対デモに加わることで、デモが暴徒化し、再び、街中で暴れ始め、パリやトゥールーズのデモなどは、近隣の店舗の営業を妨げ、催涙ガスが立ち込め、放水車が出動する事態に陥っています。

 当初の黄色いベスト運動の暴徒化や破壊行動のために、パンデミック前から、観光客は減少し、土曜日の営業が困難になった上に、パンデミックの追い討ちを受け、閉店せざるを得なくなった店舗は少なくありません。

 パリの老舗高級食料品店フォションの倒産もかねてからの業績不振もありましたが、この黄色いベスト運動による営業妨害もその一端を担っていたと言われています。

 ヘルスパスのおかげで日常を取り戻しつつあるフランスでも、まだパンデミックは終わったわけではなく、危険をなんとか回避しつつ、パンデミックから被った負債を取り戻していかなければならないのです。

 9週目に突入したヘルスパス反対のデモは依然として、動員数は週を追うごとに減少している様子ではありますが、黄色いベスト運動が台頭することで、本来のヘルスパスへの抗議運動とは別の意味を帯びてしまう危険を孕んでいます。


<関連記事>

「FAUCHON(フォション・パリ)破産申請 コロナの経済打撃は、パリの老舗にも・・」

「プランタングループ・フランス国内7店舗閉鎖」

「マクロン大統領の発表がフランス人に与えた衝撃 ヘルスパスのトリセツ」

「ヘルスパス 職場でのヘルスパス提示義務化に伴う職場内の摩擦」

「パリ・アンヴァリッドでの介護者のデモ・1万8千人を震撼させた暴力・ウルトラジョンヌとブラックブロック」

「ロックダウン解除・第二ステージの幕開けは、2万人規模のデモというフランスの惨状」