「私は、長い短いにかかわらず、私の全生涯をあなたのために、そして私たちの属する偉大な王室のために捧げます」21歳のお誕生日の日に、そう宣言したエリザベス女王は、70年にわたり、王位を守り続け、2日前まで新首相に面会する映像が流されていた、ほんの数日後にご逝去されました。
フランスには皇室がないこともあってか、イギリス王室については、ことのほか、注目度が高く、スキャンダルも含めて、マスコミに取り上げられることも多く、この日も女王陛下の容態が悪いことを昼頃から騒ぎ始めました。
指摘されていた女王の右手の手の甲の青あざの確認できる写真 |
2日前に公開されたイギリスの新首相任命の映像を振り返り、新首相のリズ・トラスと握手している女王陛下の右手の甲に青あざができていたことや、続々と王族のメンバーがバルモラル城へ向かっているのは只事ではない・・などと伝えていました。
バルモラル城、バッキンガム宮殿を見守り続ける中継映像は、その日の午後から始まり、女王陛下の訃報が流れたのは午後7時半頃(フランス時間)。全てのニュースが吹っ飛んだと思ったら、その日の夜は、特別番組が組まれ女王陛下のニュースが延々と続きました。
パリのイギリス大使館にも、すぐにエリザベス女王の大きな写真が掲げられ、大勢の人が集まっていました。
訃報が流れてすぐにこのようなことができるのも、女王陛下の年齢もあり、イギリスは、各国の大使館も含めて、その時に備え続け、誤解や論争を避けるために、ここ数年は、年に2回は、女王陛下が亡くなった場合について、その段取りなどの細部までが検討され続けて来たようです。
こうして、フランスでの報道を見ていても、フランスには、どれだけイギリス人がいるのかとも驚かされると同時に、また逆にイギリスにはどれだけフランス人がいるのかとも感じ、フランスとイギリスの繋がりの深さを思わせられます。
フランスにとっても在位70年にわたるエリザベス女王は代々フランス大統領8人との歴史を持ち、また、女王陛下はフランス語も完璧に話すことができた人で、彼女はフランスにとっても女王でもあり、彼女自身もフランスをこよなく愛していたと伝えています。
ちなみに彼女のお気に入りのフランス大統領はミッテランだったと言われています。
個人的にも私はイギリスに留学していた時期もあり、イギリスは私にとって特別な国の一つでもあります。当時、私は、勉強のために、イギリスで多くのホスピスを見学して歩いたのですが、そのどこへ行っても、エリザベス女王がそのホスピスを訪問した際の写真が飾ってあり、また、彼女が訪問してくれた時の話を目を輝かせてしてくれる人など(たまたま、ついこの間、いらしてくださったと・・)に出会ったりもして、イギリスの国民にとって、王室がどれほど大きな存在であり、大きな役割を果たしているのかを直に感じる機会もありました。
とはいえ、こうして彼女の在位中の歴史を振り返る報道などを見ていると、イギリス王室も平坦な道のりではなかったわけで、王室不要論や数々のスキャンダルに非難を浴び、特にダイアナ妃が亡くなった際の女王の冷たい反応などに国民の反感を買ったこともありました。
彼女がダイアナ妃の訃報を知ったのも、彼女自身がこの世を去ったバルモラル城でのことでした。
彼女の死後、ご遺体のロンドンへの搬送からさまざまなセレモニー、国葬、埋葬まで、すべて10日以内のスケジュールやその詳細(イギリス国内がどのように喪に服すか)は、すでに全て細かく取り決められています。
フランスでも、彼女の国葬は前例のない壮大なものになるであろうと伝えています。
ちょうど、国葬問題で物議を醸している日本にとって、本当の国葬とはどんなふうに行われるものかを目にするよい機会となるのではないかと思っています。ほぼ同時期に行われる国葬は、悉く比較され、いや、もはや比較の対象にさえならない国葬と呼ぶことが憚られるものになる気がしています。
エリザベス女王ご逝去 英国王室
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