2022年4月4日月曜日

一時帰国の楽しみ 日本での食事 やっぱり日本は美味しい

  


 海外生活をしていて、日本へ一時帰国をする際に、最も楽しみにしていることの一つは、日本での食事です。いつもなら、本当に一時帰国する前に「食べたいものリスト」、「買い物(主に食品)リスト」を用意して、それを元にスケジュールを組んでいくといっても過言ではないのですが、今回ばかりは、コロナ禍、戦時下ということもあり、大幅に予定が狂わされています。

 そもそも今回の一時帰国の日本入国後直後に娘が機内濃厚接触者になって、1週間近く行動制限をかけられたことで、外出、外食がほぼできなくなったことで、もう予定はぐちゃぐちゃで、その他の予定も押し押しの状態。

 それでも、その行動制限から解放されたら、友人との会食の約束があったにもかかわらず、今度は友人の方のコロナウィルス感染者濃厚接触に伴いキャンセル。もう、今回は一時帰国をしたにもかかわらず、入国後もトラブル続き・・。

 しかし、それ以外にもやらなければならないことを着々と進めていく中の救世主は、やはり、毎回、帰国するたびに、極上の食事を用意してくれる従姉妹の一人です。

 彼女は、本当に食べることに関して、並々ならぬ情熱を持っている従姉妹。(先日ご紹介した従姉妹のお姉様)彼女が季節によって、用意してくれる食卓は、もはや素人のレベルを遥かに超えた、ちょっとそこらのレストランとは比較にならないほどのクォリティー。

 青森から魚を取り寄せ、山形から米沢牛を取り寄せ、季節の野菜、ふきやたけのこ、そら豆などを使って、丁寧にとった出汁でいくつものお料理を用意していてくれていました。

 それらは、パリでは決して手に入らないものばかり・・娘などは、前の晩からエクササイズをして体調を整えて臨むという力の入れよう。

 彼女が用意してくれた数々のお料理は、どれ一つをとっても、微塵も手をぬいていないことがわかる絶品で、私だったら、せいぜいそのどれかを作るといっても1日一つが精一杯。

 もう食卓を目にしただけで、私たちは興奮状態。ひと目見ただけで、味は絶対に間違いないことでこんなに一度に日本ならではの食材を最高の状態で、気のおけない親族で食べる食事は、これまでの数々のトラブルを一瞬でふっとばしてくれるほどの楽しい時間でした。

 青森産のまぐろ、ほたて、いか、あわび、ひらめなどのお刺身を日本酒とともに、一つ一つ丁寧に味わい、食事の時間が過ぎていくのに追いつかない気持ち。

 しかも、このクォリティーにして、この量??とあり得ないほどのお刺身は、あっという間になくなったかと思うと、今度は米沢牛。もう彼女は、青森や山形と直にやりとりをしていて、この山形の佐藤牛肉店というお店は、山形の人でも知る人ぞ知るという名店だそうで、そんなお店とも、個人的につながっているために、後日、確認の電話がかかってくるとか・・。

  


 今回は、食事が終わった頃にまさかの山形からの電話。電話をかわってもらって、直接、お礼を申し上げたのでした。

 今や和牛といえば、パリでも今や一つのブランドのようになっているものの、それは、もうパリのそれとは、別の動物の肉ではないか?と感じてしまうほどのもの・・。

 ここ2年間、日本に来れなかった時間を一瞬で、取り戻したような気持ちになりました。

 ここのところ、あまり量を食べられなくなって来た・・と感じていた私ですが、この日ばかりは、「もうお腹いっぱい・・」と感じる満腹中枢が私の「食べたい!」という食い意地に破壊され、なぜだか永遠に食べ続けることができる感じで食べ続け、普段なら、もう絶対無理なはずの最後の白いご飯(土鍋で炊いて、おひつに保存)まで、ペロリと平らげてしまったのでした。

 おまけに、一昨日に、パリに持ち帰るための買い出しを始めていて、どうしても持って帰りたかったけど、見つけることができなかった食材を彼女は見事に網羅して揃えてくれており、お土産まで持たせてくれるというまさに神。

 帰宅途中、車の中から夜桜を見ながら、幸せな気分で家に戻った頃に、私の食い意地のために壊れていた満腹中枢がようやく働き出し、一瞬、動けないのではないか?というお腹いっぱいの状態になったのでした。

 ともかくも、長距離フライト、その後の突然の行動制限などの数々のトラブルも彼女の用意してくれた絶品ディナーがすべて取り戻してくれました。

 いつもいつも、ありがとう。

 私も誰かがパリに来てくれた時には、彼女ほどはできなくとも、精一杯のホスピタリティーで迎えなければ・・と思うのでした。


一時帰国の日本の食事


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2022年4月3日日曜日

同い年の隣の従姉妹 海外在住者の日本での家族・親戚関係

  


 

 私には、従姉妹、従兄弟がたくさんいて、長く海外で生活していても、付き合いはそれぞれに続いています。我が家は、父方も母方も兄弟姉妹が多くて、また、親戚同士の集まりも多く、引っ込み思案だった私は、あまり、そのつきあいが好きではありませんでしたが、そんな長年の付き合いが、のちのち、大切なものになっていっていたのだということを年々、歳を重ねるごとに感じています。

 特に隣の従姉妹は、私と同い年、彼女が小学校の頃に引っ越してきて以来、いつもお隣同士、小学校には、毎日、一緒に通っていましたし、学校から帰って来てからもずっと一緒に遊んでいた、謂わば幼なじみのようでもあります。中学校は、私が私立の学校へ進学したために別々の学校に通っていましたが、誘い合わせたわけでもないのに、どういうわけか高校はまた同じ学校に行くことに・・。

 毎日、バスで渋谷まで、そして渋谷から歩いて一緒に学校に通っていました。今では、その頃、話していたことは、なに一つ思い出せませんが、一体、何があんなにおかしかったのかと思うほど、ゲラゲラ笑いながらの通学でした。俗にいう、箸が転がってもおかしい年頃だったかもしれません。

 それから、大学、就職と私たちは、私たちは、全く違う道を進み、お互いの交友関係も全く異なり、まるっきり接点はなさそうでもあるのですが、それはそれで、長い時を経ても、彼女はいつも、お隣に住む同い年の従姉妹として、特別な存在で、こうして私が海外生活を始めても、決してつながりが絶たれることはなく、関係が続いてきたのです。

 特にここ10年ほどは、父の容態が悪くなっても、彼女がいてくれたからこそ、父もギリギリまで家で頑張り続けてこれたし、父の没後も私たちが一時帰国する時は、本当に頻繁に食事を差し入れてくれたり、時間の空いている時には、買い物につきあってくれたり、なにせ、隣なので、どこかで待ち合わせをして・・などということもなく、ラインなどで、じゃあ30分後に出かけよう・・ということになるので、時間を無駄にすることなく、彼女のおかげで、なんとか、今は空き家となっている実家にしばらく滞在することができているのです。

 明日は、燃えないゴミの日だから、ゴミ出すのを忘れないで・・このゴミは○○時ごろまでに出しておけば大丈夫・・などと、細やかに連絡してくれるのです。

 彼女の運転で出かけて、車で近辺を通りかかっても、「あぁ〜このあたりもこんなに変わったんだね・・」とか、逆に「ここは全然、変わらないんだね・・」その場所にまつわる思い出も何かと共有できて、ホッとできる時間でもあり、彼女との年月をしみじみと有り難く思うのです。

 「今日は、どうするの?そこに行くんだったら、こんなお店ができてるから、行った方がいいよ・・(大抵、食料品の話ですが・・)」とか、オンタイムの情報も教えてくれて、住み慣れたはずの東京で、今ではすっかり浦島太郎状態になっている私を助けてくれるのです。

 同い年で、しかも隣に住んでいて、もちろん、親戚のことや、私たちの紆余曲折あった人生もほぼ全て知っていてくれ、おまけに自分自身の子供の頃の思い出を共有できる彼女の存在は、一緒にランドセルを背負って通学した頃以上に貴重なものになっているのです。

 幸いにも? この家、この場所に住み続けてくれているからこその関係なのかもしれませんが、兄弟そろって海外生活を送っている私にとっては、彼女は弟以上に深いつながりがあるかもしれません。

 現在では、全く違う人生を送っていますが、生い立ちや、育った環境は似ていて、価値観も似通っている・・私には、こんな最高な従姉妹がいて、本当に幸せだなと日本に一時帰国するたびに思わせられるのです。

 親戚付き合いはあまりしないとか、従兄弟、従姉妹なんてあんまり付き合いがないという話も聞いたりもしますが、この家族が築いて、受け継いでくれた貴重な関係に、歳を重ねるごとに深く感謝を感じるようになってきています。

 両親が他界してしまった今、海外にいれば、下手をすると根無し草のようになりかねないと思いますが(パリの日本人の知人には、そういう人も結構います)、私は、彼女たち、また、まだなんとか元気でいてくれる母の兄弟姉妹たちに支えられて、日本に帰ってくることができているのです。

 ほんとうにありがたいことです。


海外生活 一時帰国 根無し草



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2022年4月2日土曜日

コロナ禍の一時帰国のストレス再び トラブルはまだまだ続く・・

   


 今回の日本への帰国は一難去って、また一難、もともと、新型コロナウィルス感染の水際対策の厳しさから、見合わせていた日本への帰国。日本側の対策が少し緩んだところで、チケットをとったものの、今度はウクライナ戦争のためにパリー羽田便の直行便のフライトがキャンセル。

 2度変更して、今度は、ロンドン経由便を予約し、実際に出発するまで、いつキャンセルになるとも限らないと心配しつつ、ようやくパリを出発。20時間近いフライトは想像以上にキツく、この長時間の間にも感染しないでもないので、ヒヤヒヤ・・。

 羽田到着後の検査も結果が出るまで、もしかしたら・・と、どうにもホッとすることはできませんでした。

 羽田到着後の検査もどうにか、クリアし、ようやく入国できて帰宅。想像以上に辛かった長距離フライトの疲れがあるものの、そんなにゆっくり休んでいるわけにも行かずに翌日から始動。

 ところが、移動先で突然、娘の携帯に機内で陽性になった人との濃厚接触者の通知が来て、なんと行動制限をされる状況に・・。

 しかし、3月末から規則がかわったとかで、数日後には行動制限が解除になり、日本での活動?は再始動し、一体、これに振り回された時間は何だったんだろうと思いながら、外食なども帰国後、数日経ってから、ようやく開始。

 だいたい、食べることが何より大事な私たち、日本に来ているのに、外食ができないなんて、日本での楽しみが半減したといっても決して過言ではありません。

 そして、週の前半を行動制限で過ごし、後半から食事に出かけたりし始めました。

 週末には、ウィークデイは仕事で忙しくしている親友と食事をして、2年ぶりのおしゃべりの時間を楽しむつもりでいました。

 ところが、今度は、彼女の方が、職場で長時間一緒に引き継ぎをしていた同僚がまさかの発熱、コロナ陽性となり、濃厚接触者に・・。海外からの入国者ではないので、濃厚接触者という括りはなく、特別な行動制限等はないようですが、(これもまた不思議な話・・)たとえ、制限されていないとはいえ、かなりリスクは高い状態に・・。

 彼女からは、「大丈夫だとは思いますが、気になるようだったら、お約束を延期しますか?」というお知らせ。私も考えた末に、現在、日本にいる私の周囲は、伯父・叔母などを含めて高齢者が多く、やはり彼女と約束しているのも食事の場ということもあって、今回は約束を延期、というか、今回、会うのは諦めることにしました。

 さまざまなハードルを乗り越えてやってきたのに、これでもか・・というくらい、まだまだある落とし穴。今回の帰国は、他に大切な用事もあって来ているので、仕方ないといえば、仕方ないのですが、やはり、「え〜〜??まだ、こんなことが起こるんだ!」と思う事件が勃発。

 普通にチケットをすんなりとって、直行便にのって、パスポートのチェックだけで入国し、時差ボケはあるものの、どこにでも自由にでかけられ、会いたい時に、会いたい人に会える、そんな一時帰国がどんなに気楽だったかと思い知らされています。

 海外からの入国、水際対策、機内感染などなどに直面して来ましたが、今度は、まさかの日本国内での感染からの余波を喰らうとは・・、まだまだ油断ができなかったのでした。

 こうなったら、日本にいる間、できることを精一杯やるのみ・・。ですが、今度は自分自身が感染しないように、気を引き締め直し、できる範囲で日本滞在を楽しみたいと思っています。


濃厚接触者


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2022年4月1日金曜日

パリから来ている友達という括り

   


 学生時代からの友人の職場が、たまたま私の日本の実家の近所に移転してきて、そして、たまたま、彼女の職場に私も公的な手続きをしに行く必要があり、一時帰国中でバタバタとあちこちを奔走中、ちょっと時間が空いたので、そうだ!今、行っちゃえ!と、突然の思いつきで、その手続きがてら、友人を訪ねて行ったのでした。

 まあ、私は私の用事で行くので、ちょっと、そのついでに友人の顔を見ていこうと、手続きの途中に担当の人に「〇〇さんは、いらっしゃいますでしょうか?」と聞いてみたのです。

 その場で長話をするわけではなく、ちょっと顔だけ見て、もし、今夜の予定が空いているようだったら、夜、一緒に食事でもしようよ・・と、そのことを伝えるつもりでした。

 本当に、偶然にも偶然、彼女が転職してそんなに時間が経っていない職場が、私の家から歩いて2分とかからないところに移転してくるなんて!そんな偶然は、奇跡的です。

 そして、私は思ったよりも手続きは簡単に済ませることができ、(さすが日本!早かった!)友人との数年ぶりの再会を果たし、夜には一緒に食事をしに行く約束をして、次の予定にとりかかったのでした。

 夕方になって、彼女から、「仕事、終わったよ〜」とLINEをもらって、まだ、少し夕食の時間には、早かったので、少しおしゃべりしてからと思い、「じゃぁ!とりあえず、家に来て!」と頼んで、5分後には、彼女は家に来てくれました。

 もう、片付けの途中でとっちらかった我が家でも、いまさら取り繕ってカッコつける間柄でもなく、家でしばらくおしゃべりをしてから、近所に食事に出かけました。

 話は次から次へと湧き出すように出てきて、本当に楽しい時間を過ごすことができました。海外生活が長くなって、それでも付き合いがこんなに長く続いている友人というのは、本当に貴重なもので、しばらく会わなくても、一瞬で時間を取り戻せるような感覚は、本当に心が躍るものです。

 過去、日本に帰国した時、娘にも数回会っており、「わぁ〜大きくなったね〜〜!」と・・。母が生きていた頃も、すでに母は、心臓が悪かったので、小さい子供を母に預けて私一人が友人に会いに行くということもできなかったために、日本の友人に会いに行く時には、いつも娘も一緒だったために、私の日本の友人は全て、娘の小さい(可愛かった頃)時をよく覚えてくれているのです。

 一緒に食事をしながら、友人は、「さっき、あなたが事務所に来てくれた時、実は周囲の人々は、あなたに興味津々だったんだよ!」と教えてくれました。彼女が、職場の人に、ちらっと、「私の友人の実家がここからほんの数分のところにあって、でも、彼女は今、そこには住んでなくて、パリにいて、近々、パリから帰ってくるんだよ・・」と話していたというのです。

 こっちは、そんなに注目を浴びているなどつゆ知らず、朝からバタバタと銀行に行ったり、買い物に行って、汗だくになりながら、ひたすら、友人との再会にじんわりと、懐かしさを噛み締めていたばかりでした。

 何が?そんなに注目されるのかといえば、思い当たるといえば、「パリから帰ってきている・・」という括り、もちろん私と友人の間には、私がアフリカにいようとパリにいようと同じ友人であることには、変わりないのですが、この世間の「パリ括り」には、あらためて、驚かされたのでした。

 思いおこせば、昔、パリに引っ越したばかりの頃、私には、「パリ」という街には、特別の思い入れはなく、「パリに引っ越すんだ・・」と話したところ、「いいじゃない!私も嬉しいよ!パリに知り合いがいるなんて、かっこいいじゃない!」と言われたことを思い出しました。

 そういえば、以前も一時帰国中に、近所の商店街で娘と買い物をしていたりすると、おしゃべりな母が私たちのことを話していたのでしょう「〇〇さんちのパリに住んでるお嬢さんとお孫さんね・・」などと度々、言われることがあり、苦笑したことがありました。

 この世間の目の「パリから来ている・・」という括り、おそらく華麗なイメージを抱かれているような気がするのですが、帰国時には、化粧もろくにせず(パリでも大してしないけど・・)に汗だくになって、用事を済ませ、家に戻れば、このとっちらかった家に住んでいることは、およそかけ離れたイメージであるのではないか?と思い知り、「せめて、マスクをしていて良かった・・」と思わぬマスクの効用にホッとさせられるのでした。


おフランス パリ帰り


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2022年3月31日木曜日

一時帰国の貴重な時間 日本の美容院

    

お水を頼んだら、マスクをしていても飲めるようにストローまで添えてくれる心遣い


 私の日本への一時帰国は、家族や友人に会えることや色々な用事を済ませることと共に、もしかしたら、それ以上に嬉しいかもしれないのが日本の美容院に行くことです。

 最近では、日本行きのチケットを予約すると、まずするのが日本の美容院の予約です。

 今回は、数回にわたり、日本行きの航空券もキャンセルになったりしたので、美容院の方も一度した予約をキャンセルするという申し訳ないことをしてしまいました。

 パンデミックで2年間、来ることができなかった日本ですが、数度にわたるロックダウン中にも、美容院に行くためだけにでも日本に行きたい!とさえ思っていました。

 美容院は、フランスでも、けっこう長い間、営業停止になっていましたし、その間、出張美容師や、リモートで自分でカットをするのを指導するという商売まで生まれたりしていたので、その間、政府からの援助は出ていたものの、パリの自宅の近くの美容院などは、営業停止が解除されてからも、客足がもどらず、いよいよ閉店に追い込まれてしまった美容院もありました。

 しかし、私にとって、日本の美容院は、そんなものとは別格で、広くて、きれいな店内に大勢のスタッフ全てが感じがよく、きびきびと無駄なく動き、決して主張が強すぎない心地よい空間、日本人の髪質をパーフェクトに理解した上での、洗練されたカット、カラー技術に加えて、何よりも丁寧で骨身を惜しまない仕事ぶり、細やかな気配り。

 飲み物を頼むとこのコロナ禍、マスクをしたままでも飲めるようにストローまで添えて持ってきてくれるのには、びっくりしました。

 私がこの美容院を知ってからというもの、パリの美容院には一切、行かなくなりました。たしかに、ただ普通のおばさんが美容院にかける費用にしたら、少々、高いものの、それがもったいないとは思えない、至極の時を過ごさせてくれるのです。

 パリで中途半端に高い美容院に行って、雑なカットをしてもらうくらいなら(日本の美容院に比べると一般的に雑です。中には超高級な美容院もあるので、それは別かもしれない)、日本に一時帰国した時に、少し贅沢に素晴らしく納得の行くカットとカラーをほどこしてもらって、至極の時を過ごしたいのです。

 そんなわけで、このパンデミックの間、美容院には全く行かず、伸び放題だった髪を見て、「ずいぶん伸びたね〜久しぶりだね〜」と言いながら、髪をカットし、何人もかかってカラーリングをしてくれるのには、かなり時間がかかるものの、全く無駄な時間な気がしないのです。

 日本に来ると、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、あの人にもこの人にも会わなくちゃと大変、過密なスケジュールになってしまうのですが、大抵は、日本に着いた翌日に行くので、もうフライトの疲れと時差ボケとで、髪を洗ってもらって、マッサージしてもらったりしながら、ウトウトしてしまうことさえあるくらいです。

 むしろ、忙しい中、ゆったりできるのは、美容院の中くらいなもので、美容院に一歩、足を踏み入れれば、他に何もできないことが、かえって、くつろぎの時間を無理矢理作ってくれ、身体を休めてくれます。

 今回は、都合で翌日というわけにはいかず、数日後になってしまいましたが、カットとカラーなどで3時間以上もかかったものの、おかげさまで今回もゆっくりした時間を過ごすことができて、仕上がった髪には、大満足でした。

 次来れるのは、いつかな?また、数ヶ月後には来たいなぁと思う反面、以前日本に来て以来、突然、来れなくなったトラウマ?からか、少し来れなくても、我慢できるように、いつもより、短めにしてもらいました。

 カットがしっかりしていると、多少伸びても、まぁまぁ大丈夫なのです。

 ここのカットとカラーは、パリでも評判がよく、周囲の人から、「その髪、素敵ね!どこでやったの?」などと言われると、「ありがとう、ちょっと遠いのよ・・japon・・」という時のちょっと誇らしい気持ち。

 カットやカラーの技術だけでなく、あの居心地のよさは、パリには、ちょっとなかなかないんだよ・・と思いながら、独りごちているのです。


一時帰国 日本の美容院


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2022年3月30日水曜日

海外からの入国者の濃厚接触者に対する行動制限について

  


 先日、日本に入国した私たちですが、帰国後、翌日に日本政府が海外からの入国者にインストールを義務付けている「My SOS」アプリに通知が来て、娘は濃厚接触者としてアプリに監視されることになってしまいました。

 すでに、数日が経過していますが、帰国後早々にやらなければいけないこともたくさんあり(そもそも、そのために帰国している)、一方的に隔離を強いられる、まことに不自由な生活を送っています。

 濃厚接触者に対する隔離というのは、日本居住者にもとられている対策とはいえ、そのアフターケアーについて、疑問を感じ始めています。

 今日、私たちの日本での滞在先の市区町村の保健所から、再度、連絡のメールが届いたことから、娘の怒りが爆発しています。

 海外からの入国者にとっての濃厚接触者認定?は、(だいたい飛行機に搭乗する段階で、ワクチン接種3回の証明書や陰性証明書を提示した者だけに限られており、)「帰国便の機内において、新型コロナウィルス陽性者の前後2列を含む5列以内の座席に搭乗されていた方」とされています。

 飛行機がかなり空いていたとはいえ、このためにかなりの人々が娘同様、濃厚接触者として、自宅待機を強いられていることは、いささか、やりすぎとしか思えないのです。

 一応、濃厚接触者として、行動制限をかけておけば、なんとなく安心という程度のものです。

 間隔をおかずに隣に座っていたというならば、いざ知らず、私たちの乗っていた便は(少なくとも娘の座っていた座席の列は、全席となりが空席だったことは、空席を探していた私は、確認していたことです。

 しかも、全員がマスク着用で、誰とも口もきいておらず、座席に隔たれて座っている状態で、濃厚接触者として、1週間もの個人の自由を奪うことは、あり得ないと思うのです。しかも、何もせずにただひたすらの待機状態。

 一方で、濃厚接触者のPCR検査については、「希望される方は、保健所で予約をとれば、行うことができます」という任意形式のもの。

 しかも、通知には、「濃厚接触者は待機期間緩和の対象外です。入国翌日から7日目までアプリの通知に応答し、待機を継続してください。違反した場合は見回り対象となります。陽性者の検体解析結果は判明次第、お知らせしますがオミクロン株以外であった場合は14日目まで待機継続となります。」という威圧的な内容。

 フランスでは、入国者については、地域別にその隔離等の段階が設けられていますが、少なくとも日本からの入国者に関しては、ワクチン接種3回以上している場合には、一切、隔離なし。入国後の監視や制限もありません。居住者の濃厚接触者については、アプリをインストールしている人には、「陽性者と接触しているので、検査を受けてください」と通知が入りますが、あくまで任意。

 「こんなこと、フランスではあり得ない!、見回り結構、人の行動制限をこんな理不尽なかたちで行うことは、全く納得がいかない! 制限をかけるなら、それなりに正当な理由が必要、人の自由を奪う以上、それに対する補償が伴うもの。見回り結構、来ていただいたら、とことん話す。むしろ、話したいくらい・・名前を公表するなら、それも結構!」と怒り心頭なのです。

 日本人であるとはいえ、フランスで育ち、教育を受けてきた彼女のキャラクターは、まったくもってフランス人なのです。

 しかし、多大な費用を費やしていると思われるこのアプリにせよ、入国の際の書類チェックに関わっている人件費等には、一体、どこに力を入れているのだ?と無駄も多く感じられ、ことに濃厚接触者に認定することは、あまりに容易に一方的に行っておいて、その後の検査は任意とは、なんだか、日本の杜撰な体質が凝縮しているように思えるのです。

 「なにとぞ、国民の方々のご理解とご協力をお願いします」という言葉をよく聞きますが、一方的にご協力を求めるそのやり方は威圧的で、従わなければ、見回りを寄越すとか、名前を公表するとか、脅しのような内容です。

 たしかに日本入国の際に「誓約書」なるものを求められてはいますが、これも一方的なもので、こんな理不尽な濃厚接触者認定の基準などは記載されていません。

 日本入国の際のさまざまな制限はこれまでも行われてきて、強制隔離機関での隔離など、ある程度は、効果はあったかもしれません。公共交通機関の利用禁止なども外国人は、守らないなどと言われてきたことにも、それは、そうだろうな・・くらいに思っていました。

 しかし、逆に言えば、こんなに一方的なやり方が通用するのは、日本くらいのものであることも日本の特殊性を垣間見える気も、実際にこうして当事者になってみると感じずにはいられないのです。

 いっそのこと、アプリに応答しない娘に見回り隊が訪れ、娘が見回り隊とどのような話をするのか、見てみたいような気もしています。


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2022年3月29日火曜日

機内模様から垣間見えた国民性と感染対策・衛生観念

   


 今回の一時帰国で、私が飛行機に乗ったのは、2年ぶりでした。旅行が大好きで、以前、日本に住んでいた頃から海外旅行が大好きで、空港に足を踏み入れただけで、飛行機を間近に見ただけで、税関を通過しただけで、ワクワクと心が踊るような気持ちになりました。

 今でも空港はある種、気分を高揚させてくれるものに違いはありませんが、あの頃の感覚とは違います。

 フランスに来てからは、時には、ヨーロッパ内を旅行することはありますが、やはり、最優先なのは、日本への一時帰国で、シャルル・ド・ゴール空港は、私にとっては、日本への扉のような感覚が強いです。

 まあ、極端に言えば、シャルル・ド・ゴール空港で飛行機に乗って、降りたら、もうそこは日本というあっという間に世界を飛び越えることができるもっと、容易で気軽?なものだったのです。

 今回は、それがコロナ禍、戦時下ということもあり、イレギュラーが重なり、ロンドン経由の長旅になり、2つの航空会社を利用することになったわけです。

 まず、パリ⇄ロンドン間の移動となったら、私にとっては、わざわざ空港に行かなければならない飛行機よりも、断然、ユーロスターを選ぶので、実際、パリ発ロンドン行きの飛行機に、今、こんなに乗客がいることも驚きでした。(日本だけでなく、他の地域への経由便として利用するだけでなく、ロンドンが目的地という人も・・)

 また、その後に乗った日本行きの飛行機内の航空会社と乗客の感染対策観念の違い、温度差にも、ちょっとビックリしました。

 パリからロンドン行きのブリティッシュエアーはほぼ満席、さすがに皆、マスクは着用しているものの、乗客は、かなりお喋りで、マスク以外は以前とあまり変わらない様子の機内模様。

 機内に搭乗してから、30分以上待たされるハメになったことも、通常運転の証。考えてみたら、機内に乗客を満席に詰め込んだ状態で待機させること自体、ちょっとどうかと思う上に、また、静かに黙って待っていられる人々ではありません。

 特に私たちが座っていた後の座席のフランス人の男性2名とその2人に挟まれている日本人の女性は、出発前から、もうお喋りが止まらない・・その中の一人の男性がどうやら、あとの二人を巻き込んでいる様子で、飛行機が怖くてたまらないから、しゃべらずにはいられないと言いながら、話しているのです。

 最初は、両端の男性が話している間に挟まれている女性が気の毒な感じで、「なんなら座席を端のどちらかの男性と座席を変わってあげたら?」などと前で聞いていて思っていました。

 しかし、その2人の男性はそのうち、間に座っている日本人の女性を巻き込み始め、その女性がフランス語が話せないにもかかわらず、今度は、英語とフランス語を交えながら、話し始めるすごい勢い。

 控えめに相槌をうっている日本人女性は、時折、流暢な英語で話に加わっていましたが、見ず知らずの人をさえ巻き込んででも話し続けるフランス人の男性の妙に耳障りな声と英語とフランス語が混ざりながら話し続ける様子に、ちょっとうんざりもしていたのでした。

 そして、数時間のロンドンでの待ち時間を経て、今度は、日本行きのJALの機内は、超長距離フライトということもあり、思ったよりも乗っていた外国人でさえも、この時期に日本に行くということは、日本に住んでいるか、もしくは、ビジネスで日本へ行くかなり日本をよく知る人々。

 機内のスクリーンには、「食事以外の時間はマスク着用、できるだけ人と話をしないでください」という表示がされています。さきほど、パリ→ロンドン便に乗っていたおしゃべりに溢れていた機内と比べて、シンとして、座席も半分ほどしか埋まっていないガランとした静けさです。これが、噂に聞いていた、日本の「黙食」の一部なのか・・と妙に納得したりもしました。

 機内は、長距離フライトの中、本当に、ほとんど口をきく人もいませんでした。また、食事の時間にあらわれたCAは、まるで病院?と思わせるようなガウンを制服の上から身に纏っていて、これには、さすがにちょっとギョッとさせられました。

 フランスは、感染者が再びリバウンドの増加傾向とはいえ、次々と感染対策への制限が解除されているので、日常モードになっていることからも、この機内の緩い?雰囲気もわからないではありません。

 一方、日本に着いてみると、ふと気がつけば、街中でも話には聞いていたものの、マスク率は120%?という感じにあらためてビックリしている自分にもビックリ。

 感染がピークに達していた頃でもなお、顎マスクや鼻出しマスクの人が少なくなかったフランスは、今では屋外でのマスクも義務化ではなくなり、まるで別世界。

 日本人の衛生観念や規律正しさが優れているのはわかっていましたが、逆に久しぶりの、しかもコロナ禍の日本の様子を肌で感じている毎日です。


機内の感染対策 衛生観念


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