2023年12月2日土曜日

親戚付き合いは、必ずしもみんながしているわけではないらしい・・

  


 私の日本滞在も、残念ながら残りわずかになってきました。

 いつも忙しい日本一時帰国ではありますが、今回もまたスケジュールはギチギチで、結局、1日も予定のないゆっくりとした日はありませんでした。とはいえ、今回は、自分の好きに旅行の予定を複数入れ、今日、鹿児島から帰ってきたばかりで、また明日には、1泊ですが、別の旅行の予定を入れてしまいました。

 まさに、フランスに帰る直前まで、1日も空いていないのですが、今回、鹿児島空港を出発する直前に、従姉妹の一人から、「今日、東京の家に何時に帰ってきますか?」というメッセージが入り、夕方、到着後、羽田から家に戻る予定を伝えると、「もう会える日が他になさそうだから、仕事帰りに家に会いに行ってもいいですか?」というメッセージ。

 彼女の仕事場は、比較的、私の実家から、距離的には、車ならば、10分程度と、そんなに遠くない場所にあるものの、電車の駅からは、そんなに近くもないし、かといって、バスなら、乗り継ぎが必要で、一体、どうやって来るつもりなのかな?と思いつつ、「せっかくなら、会えれば嬉しいけれど、無理しないで・・」と連絡すると、「じゃあ、行ってみようかな?」というので、急遽、その日の夜に彼女と会うことになりました。

 旅行に行っていて、帰ってきて、また次の日は別の旅行に出かけるというのも、私にしては、ちょっと、なかなかな強行軍だったわけで、一緒に旅行中の友人にも、「なかなかスゴいね・・」と呆れられたのですが、途中にもう一人の従姉妹の訪問予定が入ってきたことで、「あなたの親戚の付き合いの濃さは、相当だね・・うちなんて、ほとんど親戚付き合いはないよ・・」と言われ、「なるほど・・」と思いました。

 翌日から一緒に旅行に行く予定にしているのは、隣に住んでいる父方の従姉妹、そして、今夜、家に来てくれたのは、母方の従姉妹。我が家は父方の親戚も母方の親戚も双方ともに東京、しかも同じ区内、もしくは、車で行き来できる範囲内に皆が住んでいて、小さい頃から何かにつけて、親戚で集まる機会が多く、その結束は未だ強いのです。

 しかし、周囲の友人の話を聞くと、もう、あまり親戚付き合いはしていないという人も少なくなく、どちらかといえば、我が家のようなケースの方が少ないかもしれないと、最近は思っています。

 毎回、帰国するたびに、そのうちの誰に会えるかは、双方の都合が必ずしも合うわけではなく、必ずしもみんなに会えるわけではないので、渡せなかったお土産は、後で、娘に託して、機会があれば、渡してもらおうと思っていたのですが、今夜の彼女が来てくれたのは、渡りに船といったところで、現在は、母方の親戚のまとめ役のようになっている彼女に託せば、メッセージとともに、確実に早くに皆に行き渡ること間違いなしで、以前は、その役割を担っていた叔父や叔母たちも、そろそろその任務は交代の時期にさしかかっているようです。

 結局、けっこう話し込んで、「夕飯どうするの?」と彼女が言い出したので、私は今回の旅行でも、食べ続けていたので、「ここらで一食、休んでおこうかな?」と思っていたにもかかわらず、結局、彼女と一緒に近所に食事に行くことになりました。

 彼女と食事中に、娘から、「夕飯の買い物していこうか?」とメッセージが入ったので、今、彼女と〇〇で食事してるから、よかったら、来れば?と返事をすると、それからまもなく、娘も合流し、結局、3人でおしゃべりしながら、楽しく食事をしました。

 本当にスケジュールがギューギューで忙しくもあるのですが、楽しいことばかりなので、それほど苦にもなりません。

 それにしても、長年にわたり、親の世代から繋ぎ続けてきてくれた、この親戚付き合いは、兄弟とも、また別のものでありながら、特別な間柄、親の世代から受け継いでいる大切な遺産のひとつで、このような関係を保ち続けられているのも、決して当然のことではなくて、とってもありがたいことだな・・と最近、つくづく思うのです。

 明日は父方の従姉妹と娘との旅行です。


親戚付き合い


<関連記事>

「同い年の隣の従姉妹 海外在住者の日本での家族・親戚関係」

「日本にいる親の介護問題」

「隔世遺伝 不気味なほど父にそっくりな娘」

「宅配便をしてくれていた大学教授の叔父」

「母が亡くなった日の夜」


2023年12月1日金曜日

鹿児島の魅力と30年来の友人の生き方

  


 鹿児島県の霧島温泉に来て、2日目。私がロンドンにいた頃からの30年来の友人が霧島を案内してくれました。私たちには、土地勘が全く無いなか、彼のおかげで効率よく色々な場所を訪れることができました。

 私は東京生まれ、東京育ちで、両親も東京の人間であったために、自分の故郷というものは、やはり、東京ではあるのですが、こうして彼のような郷土愛といったものは、それほど強く感じることはなく育ってきたので、彼のような溢れる郷土愛を持つ人が少々、羨ましい気もしました。

 霧島神宮をはじめ、車でかなり広範囲にわたって、あっちへ行きたい、こっちも行きたいという私たちに、彼は上手にスケジュールを組んで、色々なところを案内してくれたのですが、現在の彼は、地元の色々な機関の重鎮になっており、本当にびっくりするほどに、かなりの広範囲にわたって、どこへ行っても知り合いがおり、気さくに声をかけつつ、知人に会うたびに、「パリから来てくれた友人で・・」と紹介してくれて、少々、照れ臭い気もしました。

 この鹿児島県という、私にとって初めての土地の偉大さ、自然の美しさに触れて、「鹿児島って、こんなに良いところだったんだ!」とその魅力に惹きつけられたとともに、彼がロンドンから日本に戻ってからの地道な道のりと、まさに地に足がついた彼らしい生活ぶりにとても感心しました。

 彼は私がロンドンから日本に戻ったあとも、そのまま、ロンドンに残って生活を続けていて、一時は、このままずっとロンドンにい続けるんじゃないだろうか?と感じていた時もあったのですが、結局、彼は、父親の体調悪化のために、5年ほどのロンドン生活に終止符を打ち、故郷である鹿児島に戻って、日本での再スタートを切っていたのでした。

 彼は、決してイケメンという感じではなく、若い頃からどこか、おっさんぽい人で、よく言えば、彼のキャラはどこか人を安心させるような、温かい人柄で、ひょんなところから、人と人とのつながりが広がっていくような人で、現在は、大学で英語を教えたり、子供から老人に至るまでの小さいグループで英語を教えたり、また外国人に日本語を教えたり、霧島市観光協会の副会長をしていたり、霧島国際音楽祭の会長をしていたり、その他、お金になることばかりではなく、さまざまな集まりに参加して地域活動に貢献をしていて、その様子が一日、彼に霧島温泉界隈を案内してもらっている間に、彼が地域でどのような存在であるかが手に取るようにわかり、今まで、話には聞いていたものの、こうして実際にその土地での彼をみて、なんか、彼らしく、上手に歳を重ねてきたんだな・・ということを目の当たりにできて、これまでよりも、ちょっと頼もしいような、また、彼の持ち味を活かせている素敵な生き方をしているな・・ととても嬉しく思いました。



 彼の生き方は、あまり一般的なわかりやすいものではないかもしれませんが、個性的でオリジナルで、無理なく、彼らしい生き方を貫いているようで、なんだかとても良いな・・と思いました。

 何より、こんな私が突然、「行くよ!」と勝手にやってきたにもかかわらず、一日潰して、地元を案内してくれるような人の良さ、温かさ、そして彼なりの信念の強さ。

 びっちりと一緒に過ごしてきたわけではありませんが、住んでいる国も生活も全く違っているのにもかかわらず、なんとなく、つながりが途絶えずにいると思っていたら、いつのまにかこんなに年月が経っていたという感じ。

 それでも、長く付き合いが続いてきたのには、意識している部分だけでなく、たとえ、それが無意識の部分であっても、それなりに共感できる部分がどこかにあったのだということをあらためて、感じさせられるのでした。

 何より、私が言いたい放題言っても、「相変わらずだなぁ〜」とゆる〜く受け止めてくれる優しさが私にはとっても心地よく、基本的に私たちの関係性は、出会った頃のまま、ほとんど変わっていません。



 鹿児島というところに関する私の知識は、これまでほぼゼロに近いものでしたが、今回、この地を訪れてみて、「なんで、もっと世間の人にこの良さが伝わっていないだろうか?」と不思議に思ったほどです。

 現在は、深い緑の中の紅葉のグラデーションがちょっと目を見張るほど美しく、遠くに、そして、近くに見える山の稜線の向こうに見える海と桜島。いたるところから湧き出ている温泉、滝などの自然の美しさとパワーに圧倒されました。




 最近は、日本政府の体たらくにうんざりして、「もう、日本はダメなんじゃないの?」とウンザリもしていたのですが、こうして、これまで訪れたことのなかった場所に行くたびに、「日本もまだまだすてたものじゃない!」「こんなに素晴らしいところがたくさんあるんだ!」、「いやいや、日本には、こんな素晴らしい自然の美しさがあるではないか!」と日本の観光業界に期待したい気持ちになりました。


鹿児島県 霧島温泉郷


<関連記事>

「日本への一時帰国の移り変わり」

「日本人のパスポート保有率の低下に思うこと」

「海外生活のススメ 海外に出るはじめの一歩」

「海外で暮らす才能」

「日本の温泉は海外在住者の憧れの場所 やっぱり日本って素晴らしい!」

 

2023年11月30日木曜日

日本の温泉は海外在住者の憧れの場所 やっぱり日本って素晴らしい!

  


 若い頃には、そんなに憧れることもなかったのに、特に海外に出てから、時々、映像や画像で見かける日本の温泉の景色には、ため息が出るほど憧れ、いつしか憧憬といえるような感覚を覚えるようになりました。

 いつか、「日本の温泉に行きたい!」、「いいなぁ〜〜日本の温泉!」、「一日、温泉に何回も浸かって、美味しいご馳走を食べてのんびりしたい!」と、いつもいつも思っていました。大袈裟ではありますが、それは長年の私の夢でもありました。

 しかし、これまでの一時帰国は、なんだかんだと色々、他の用事に追われることになり、結局、今まで、ほとんどそのような機会はありませんでした。

 今回は、一念発起して、いつもとは、逆バージョンに日本の一時帰国の予定を立て始め、一度は行ってみたい・・というか、是非、泊まってみたいと思う旅館の予約に合わせて、日本行きのチケットを取りました。

 というのも、その私が泊まってみたかった旅館は、想像以上の人気だったらしく、かなりお値段のはる旅館にもかかわらず、一緒につきあってくれるという友人に、「予約状況がどんなふうになっているか?見てみて!」と頼んだら、「11月はもう1日しか空きがないから、早く飛行機のチケット取らないと、取れないよ!」と言うので、慌てて、その日を間に挟んだ日付でチケットを予約したような感じでした。

 不景気だ不景気だと言われているのに、このような旅館がかなり早い段階から、すでに予約でほぼいっぱいだというのにもびっくり!私としては、一世一代の贅沢と思って、「よし!絶対行きたい!」とかなり思い切ったつもりだったのに、こんなにいっぱいとは・・驚きでした。

 ここは、九州の霧島温泉で、せっかく九州まで行くのなら、もう一泊くらいはしたいと思い、一日目は、別の良さそうな旅館を予約して、今日はその一日目の宿です。

 霧島には、偶然にも、私がロンドンにいた頃に知り合いになって以来、どういうわけか?付き合いの続いている年下の男の子(今では立派なおじさんですが・・)がいて、前もって、「今度、友人と霧島行くよ〜!」と伝えておいたら、二日目の日に仕事を早めに切り上げて、霧島を案内してくれることになっていたのですが、なんと初日まで、サプライズで空港まで出迎えに来てくれていて、ちょっと感動しました。

 今では立派なおじさんですが、彼は最初に出会った20代の頃からすでに子供が2〜3人はいそうに見えるおじさんでした・・。

 行きの飛行機がけっこう遅れて、あらかじめ立てていた予定が大幅にずれ、桜島を眺めに眺望のいい丘の上に立つ城山観光ホテルに行き、ついでに美味しいと評判のさつま揚げを購入し、道すがら、美味しそうなものを見るたびに、車を停めて、味見したりしながら、旅館についた頃には、もう真っ暗。

 お部屋ごとに室内のお部屋に加えてそれぞれのお部屋に風情のあるお庭がついていて、そこには2つもの露天風呂があり、もう着く早々、お風呂に入ったり出たり、大はしゃぎ。おまけにお部屋には、大変、高性能の全身マッサージチェアが配備されていて、友人は、その椅子に張り付いて、もう長いこと動きません。


 食事は黒毛和牛と黒豚のしゃぶしゃぶやおさしみ、お造り、松茸の土瓶蒸し、地鶏の炊き込みごはんなどなどのごちそうをお腹いっぱい食べて、もう極楽そのものの夜を過ごし、今、なんと、これをお部屋の露天風呂に浸かりながら書いています。

 こんな幸せな空間が日本にはあるんだ・・日本もまだまだ捨てたもんじゃない・・と都合のよいことを思っています。

 ゆっくり、ゆったり、くつろいで過ごそうと思っていたのに、お風呂に何度も入ったり出たりして、「お肌がつるつるすべすべ〜!」とかいいながら、寝るのも惜しい気持ちです。しかし、ベッドがまた、このうえなく寝心地がよく、このベッドで少しでも長く寝たいわ、露天風呂にはつかっていたいわ、マッサージチェアにもすわっていたいわ・・もう身体が一つでは足りない感じです。

 本当に豊かな温泉源に恵まれ、これがまた、しびれるほどにまろやかなお湯でお湯から上がっても、ローションや化粧水などは無用に感じるほどお肌はしっとり。虫さされのあとのお肌のトラブルっぽくなっていた箇所もスベスベになりました!

 今まで考えてもみなかったパンデミックが起こったり、戦争があちこちで起こったり、いつまた、長期間、日本に来れなくなるかもしれないかと思うと、今後は、日本に来れる時には、こうした日本の美しく、心地よい場所をできるだけ巡りたいと思います。

 明日はいよいよ、念願の旅館に宿泊予定でワクワクしています。


日本の温泉 霧島温泉郷


<関連記事>

「久しぶりの日本国内旅行 宮古島」 

「日光でのフランス人女性行方不明事件について」

「娘とのイタリア珍道中 最初からトラブル続きでも、美味しいものお腹いっぱいで超ご機嫌の二人」

「鎖国を解除した日本について 日本に観光客は戻るのか?」

「日本行きの飛行機からフランス人が消えた」

2023年11月29日水曜日

数年ぶりの弟との再会

  


 東京にある実家のことで話すことがあり、今度、姉貴が帰ってくるときに合わせて帰るからと弟から連絡があって、その予告どおりに弟も日本に帰国してきてくれて、本当に数年ぶりに弟と再会しました。

 私は、イギリスから一度、日本に戻った後に、コートジボアールを経てパリ、その間、弟は、アメリカに転勤になって、その後、現在はシンガポールで仕事をしており、二人とも、海外生活を続けているため、帰国のタイミングが必ずしも合うわけでもなく、長い間、あんまり顔を合わせる機会はありませんでした。

 私はなんだかんだでパンデミックの時を除けば、たいてい一年に一度は日本に来ているのですが、従姉妹や他の親戚に会うことはあっても、彼に会えることは滅多にありませんでした。

 弟は、日本の企業に勤めていて、そこから海外赴任という形で海外生活を送っているので、私とは、ちょっとスタンスが異なるのですが、二人とも海外で生活をしているという意味では共通することで、これは母が小さい頃から私たちに英語を教えてくれていたことが大きく影響していると思っています。

 私の記憶が正しければ、私が彼と前回、最後に会ったのは、父が亡くなった時と、その翌年の相続手続きの際だったと思います。ごくごくたま〜にメールなどをすることはあっても、弟は第一線でバリバリに忙しく働いているので、そうそう頻繁に連絡を取ることはしていません。

 しかし、そこはさすがに兄弟で、いくら久しぶりでも一瞬に距離が縮まる感じで楽しく話をすることもでき、色々な昔話や、合わなかった間の出来事など、話が尽きることはありませんでした。

 弟は知らない間にけっこうな大病もしたりしていたようで、話を聞けば、命を取り留めているのが奇跡的な感じでもあるのですが、とりあえず、現在は、なんとか病気も克服したようで、元気に、また精力的に仕事をし、それなりに苦労もしながら、大人になったんだなぁと懐かしいような嬉しいような、一面では母親のような気持ちにもなりました。

 彼の娘もまた立派に成長し、仕事をしているようで、お互いに子育ての時は終わり、また人生の次の段階にさしかかりつつあることを感慨深く、思いました。

 今は私の娘が一人で生活している実家で少し話をしてから、従姉妹も交えて食事にでかけましたが、同世代の親族での会話はお互いのこれまでの軌跡を知り合い、共通のバックグラウンドを持つもの同士にしかわからない微妙な感覚があり、また、我が一族共通の異常な「食」への執着も楽しい話題の一つでもあり、周囲から見たら、あの人たち、一体、どれだけ飲んで、どれだけ食べる奴らなんだ・・と思われたと思いますが、それぞれの面々は、そんなことは、微塵も気にしている様子はなく、思い切り飲んで、食べて、しゃべって、楽しい時間を過ごしました。

 「次回はみんなで旅行でもしようよ・・」という話になったところで、お開きになりましたが、今までは似ても似つかないと思っていた弟の後ろ姿にちょっと父の面影を感じてどっきりしたりもしました。

 これまでの人生を振り返れば、弟と暮らしていた時間よりも別々になってからの方がずっと長い時が経っているのに、やっぱり兄弟なんだな・・と思えるのは、とても不思議な気持ちと嬉しい気持ちが混ざったほんわかとした温かい気持ちになりました。

 海外で生活していて、ふだんは離れていても、こういう兄弟とか従姉妹のつながりってありがたいものだな・・と感じた夜でした。

 一応、社会人としては成功したと思われる弟ですが、これからは、そんなに忙しくしないで、余暇を楽しめる生活に上手くシフトしていってほしいなと思っています。


兄弟 弟


<関連記事>

「海外生活と日本の家族 母からの最期の手紙」

「日本にいる親の介護問題」

「断捨離と帰国の憂鬱」

「食いしん坊の家系」

「遺産相続」

2023年11月28日火曜日

日本での運転免許証更新手続きと国際運転免許証

  


 今回の私の一時帰国の一番の目的は運転免許証の更新手続きでした。

 海外で生活していると、日本の運転免許証は、運転そのもののために使うよりも、私にとっては、身分証明書として必要不可欠なもので、これが失効してしまうと、色々、面倒なので、必ず、更新のタイミングを逃さないように気をつけています。

 今なら、もう子供のお休み(バカンス期間)なども関係ないので、日本に来ようと思えば、いつでも来れるので、そんなに問題ではないのですが、以前は、子供のバカンス期間に合わせて、日本に来ることが多かったので、免許証の更新のタイミングに必ずしも帰ってこれるわけでもなく、それを考えると、しばらくは来れそうもないから、有効期限までは、けっこうあるけど、更新していってしまおうと、前倒しに更新手続きをしてしまうことが多くて、5年間有効の免許証なのに、実質はそれ以下になってしまうことが多くて、おそらく、ふつうに日本で生活をしている人と比べたら、ずいぶん余計に更新手続きをしてきたのだろうと思います。

 今回もまた、免許証の有効期限は来年の1月22日までとなっていたのですが、来年の1月には、日本に来れそうもなかったために、今年の年末にしようと、まあ、また少し前倒しだけど、しょうがないか・・と思っていたのです。

 前回、免許証を書き換えた時は、まだ平成でしたが、もう平成という年号は、令和に変わることがわかっていたにもかかわらず、免許証の表示は、平成36年1月22日までとなっていて、いいかげん、年号での表示はやめて!せめて、令和になることがわかっているのだから、令和6年って書いてよ!と思っていました。

 運転免許証の更新手続きは、地元の世田谷警察署でできるので、毎度おなじみの世田谷警察署の裏手にある運転免許更新所に出向くのですが、これがまた、プレハブ建の掘立て小屋のような建物で、毎回感じる、みすぼらしさは相変わらず。もはや、ここまで変わらないと郷愁のようなものさえ感じます。まあちゃんと機能していれば、見かけなどはどうでもよいのですが・・。

 手続きが順を追ってスムーズに運ぶようにできているのですが、以前と比べると、空いている感じで、運転免許を取る人が減ったんだなぁ・・と思います。そこで働いている人々は、警察のOB、OGらしき人が多く、やけに上から目線な人が多いなという印象でしたが、今回の人たちは、ずいぶん態度が軟化した気がしました。

 私は、EU圏の運転免許証を持っていたのですが(イギリスにいた時に取得したもの)、これが失効してしまって、新しく免許を取り直すのが面倒で、同時に日本で国際免許証を発行してもらいました。こちらの方の期限は1年間なのですが、まあ、また1年くらいしたら、日本にも来るだろうから、とりあえず、とっておこうといった感じです。

 国際免許証申請には、証明書用の写真が必要ですが、この写真も同建物の中に自分で撮れる場所があるので、あらかじめ写真をもっていなくても大丈夫です。

 私はふだん、パリでは運転しませんが(メトロとバスで十分だし、車で出かけるとパーキングを探すのに一苦労するので・・)、旅行に出かけた時などは、方々へ出かける際に車があると便利なので、そんなときに車を借りて、運転するくらいです。

 相変わらず、書類に必要事項を書いて提出、料金を支払い(運転免許更新3,000円、国際免許証2,350円)、視力検査を行い、講習用の部屋でしばらく待たされ、講習?(数分の講義とビデオ視聴)を受けます。いつも思うのですが、その際に渡される「安全運転のしおり」と「わかる 身に付く交通教本」という2冊の新品の本。無駄です。

 これ、講義の時に配って、講義が終わったら回収して使いまわせばいいのに、もったいないな〜と思います。

 講義は20分程度ですが、その間に新しい運転免許証ができあがっており、退出時に渡してもらって終わりです。思っていたよりもずっと早く用事が済んで、しかも、国際免許証まで同時にもらえてラッキーでした。

 記載事項に間違いがないかチェックしてくださいと言われて、目を通したら、今回の免許証は、西暦表示と年号表示の両方が記載されていて、新しい免許証には、2029年(令和11年)1月22日まで有効と書かれていました。

 今回は、幸いにも日本に到着した数日後に自宅に「運転免許証更新のお知らせ」というハガキが届いて、それを持って更新に行ったら、まだ失効するまでには2ヶ月近くあるというのに、その有効期限までの期間を削られることなく、まるまる5年で更新してくれました。

 なので、どうやら運転免許証というものは、失効する2ヶ月前には、通知がくるので、それ以降、そのハガキを持参しての更新手続きならば、残りの期間を失うことなく、まるまる5年分として更新ができるようです。

 まあ、これで、5年間は、運転免許証更新手続きからは逃れられると思うと、ちょっとしばらく、ひと段落な気持ちですが、今度はおそらく、近いうちにパスポートを書き換えなければならないはずで、どうやら、定期的にこのような手続きはついてまわるようです。

 まあ、パスポートの方はパリにあるフランス大使館でできるので、わざわざ日本に出向く必要はありません。

 いっそのこと、運転免許証の更新も大使館でやってくれると良いのにな〜と思います。更新手続きは3,000円でも日本に来る交通費がかかるので、えらく高い更新料です。まあ、そのおかげで、他に色々と楽しんでいるのですが・・。

 とりあえず、今回の一番の用事が無事に済んで、ヤレヤレです。


運転免許証更新手続き


<関連記事>

「海外在住者の本人確認はパスポートではできない不思議」

「日本に住むにあたっての手続き マイナンバーカードと住民票の不思議」

「2024年から運転免許証がスマホに取り込めるようになる! 」

「日本人のパスポート保有率の低下に思うこと」

「外務省のお知らせは、すごくわかりにくい・・大使館の手数料問題と似ているかも?」

2023年11月27日月曜日

日本だと知らない人が話しかけてくれないのが寂しい・・

  


 フランスにいると、私はなぜだか、知らない人に話しかけられる機会が多くて(ナンパとかではなくて、たいていがおばちゃんたち)、それに慣れるまでは、なんだかそれが怪訝な感じがしていたのですが、今ではすっかりそれに慣れてしまい、知らない人に話しかけられても、あたりまえのようにその話にのって、一緒に話し始めるようなこともけっこうあって、いつのまにか、そんな日常が心地よいようになっています。

 ところが、日本に来ると、知らない人に話しかけられるということは、まずなくて、なんだか皆がそっけなくて、冷たいような気がして、それが物足りないというか、どこか寂しい気がしてしまう自分に気付いて、苦笑してしまいます。

 まあ、日本だと、私が主に滞在しているのは、実家のある東京なので、そもそも、パリとは規模も人の数も全く違い、パリに比べると何倍も大都会なわけで、そんな場所では、たくさんの人がすごい速度で行き交っているわけで、そんな場面、場面でパリのようなことが起こるわけもないのです。こうしてあらためて書いてみると、つまりは、地方から来た人間が都会に怖気付いている感じでもあります。

 まず、人と目が合うということがないのも、不思議といえば、不思議な話で、これだけ大勢の人がいる中で、電車の中などでも、まず人と目が合わないというか、みんなが人と目を合わさないようにしていると感じるというのが正直なところ・・。

 パリなら、電車の中などで、知らない人とふっと目があったりして、にっこりしてくれたりすることがあるのに、にっこり以前に目を合わせないようにしているのが日本人・・というより東京の人なのかもしれないな・・などと、思うのです。

 私は生まれも育ちも東京で、実際に以前はそのように生活していたはずなのに、違う環境に慣れてしまうとなんだか、それがしっくりこないというか、今さらながら、冷たい印象を受けてしまうというのも妙な話ですが、事実です。

 実際に、もっと小さい、人と人との距離が近い地方都市から東京に来られた方は、今の私のように、東京の人は冷たいとか、たくさんの人がいても孤独に感じるとかいうのが、こういう感覚なのではないだろうか?とそんなふうに思うのです。

 この間、家電量販店で買い物をしていた時のこと。どういう経緯だったのかは、わかりませんが、ちょっと離れた場所で、初老の男性が転んで倒れてしまったらしく、それに周囲の人々が気がつかなかったのか?気が付いたのに周囲が知らん顔をしていたのか、どちらかは定かではありませんが、遠く離れた場所からも、その男性が転んだゴツンという鈍い音が聞こえたと同時に、その男性が、一人では起き上がれなかったのか、それとも誰も近寄ってこなかったことに腹をたてたのか?「この店は、客が転倒しても、知らん顔か!」と怒鳴りちらして、店内が異様な雰囲気に包まれました。

 さすがに、その男性が騒ぎ出したので、数名の店員さんが駆け寄って行きましたが、周囲の人々は、遠巻きに眺めているだけで、手を差し伸べる人はいませんでした。ここでパリだったら・・などとパリを比較の対象に挙げることは、適当ではないかもしれませんが、あえて・・、パリだったら、すぐにどこからともなく、瞬時に数名のお助けマンがあらわれるところなのにな・・と思ってしまうのです。

 人と目を合わさないだけでなく、他人との距離を極力縮めない・・そんな感じがしてならないのがとっても寂しいです。

 だからどう・・というわけではないのですが、フランスでさえ、地方に住んでいるフランス人は、「パリの人は冷たい」とか、「人間が住むところではない!」などクソミソに言われていることには、驚きですが、やはりパリから東京に来てみると、「都会の人は冷たい・・」などと思ってしまうのも妙なものです。

 

他人


<関連記事>

「フランスでは知らない人に話しかけられる確率が高い私」

「パリのバス停で・・喋る喋るフランスのおばちゃん」

「パリはフランス人に嫌われている」

「派手にぶざまに転んだら、周りの人たちが、とっても優しかった・・」

「パリのバス停はおばちゃんの井戸端会議の場」

「おしゃべり好きなフランス人とマルシェ」


 

2023年11月26日日曜日

宮古島グルメ 宮古島で食べたもの

  


 旅の醍醐味は日常では味わえない異国情緒というか、いつもと違う景色の中に身を置くこと、異なる文化に触れること・・そして、その土地ならではの美味しいものを食べることが私にとっては大きな目的です。

 これまで、私は日本国内では、あまり旅行をしておらず、実家、親戚なども、すべて東京で、さすがに30年以上、日本で生まれ育ってきたので、それなりに少しは旅行をしてはいましたが、沖縄を訪れたのは初めてのことでした。

 他の地域でもそれぞれ、違う文化があるのでしょうが、沖縄というのは、日本でありながら、どこか、異文化色が強いようで、殊に宮古島などという沖縄本島から、さらに離れた島ともなれば、ちょっと外国のような感じを受けないでもありません。

 ちょっと、この世のものとは思えないほど美しい海やビーチなどに囲まれていると、たびたび、ここが日本であることを忘れてしまいそうにもなり、ふとビーチからあがってきて、看板が立っているのをあらためて、眺めたりすると、一瞬、「なんで、この看板、日本語で書いてあるんだろう?」などと、錯覚に陥ることもあります。

 食べ物にしても、島民がふだん、どんなものを召し上がっているのかはわかりませんが、外でやたらと見かけるのは、「宮古そば」、「ソーキそば」、「てびち」、「じゅーしー」、「島どうふ」、「海ぶどう」などなど、聞いたことはあるけれど、食べたことがなかったものが目白押しで、これは、宮古島にいる間に是非、食べてみなければ・・と、また、宮古島滞在中の食事の回数に合わせて、できるだけ食べてみたいと、これまた、一食もスキップするわけには、いかないと躍起になるわけです。

 しかし、他の予定で食事の時間がズレたりすると、昼食時の時間が過ぎてしまって、行こうと思っていたレストランも昼の営業時間が終了してしまっていたり、定休日にあたってしまったりで、必ずしもうまいこと予定が進まなかったりもします。

 一番、手っ取り早く、色々な宮古島、沖縄のお料理を色々と食べてみることができるのは、ホテルの朝食で、これまた、よくも、こんなに取り揃えるものだと感心し、ここである程度の土地のお料理を味わうことができるのは、大変に嬉しいことです。

 ついつい、あれもこれもと欲張って、朝食後は、お腹いっぱいになってしまうのですが、ここで、ひととおりの沖縄・宮古料理を堪能しました。ちょっと欲張りすぎです・・。



 野菜や海藻、大豆、肉、魚など、選び方にもよるでしょうが、上手に選べば、旅行中に野菜不足に陥りがちなところ、かなりバランスよい食事ができます。

 中でも宮古そばは、美味しいお店のものを探したいと調べた挙句に、「古謝そば屋」というお店にあたりました。このお店は空港から比較的近いのですが、どうやら、不思議なことに、宮古島は空港近くというのが、よいお店に遭遇する可能性が高いような気がします。


 

 ちょっと、車で走ると、見渡す限り、さとうきび畑が続き、夜になると街灯もないような道が続き、めぼしいお店も見当たらなくなり、あとは、ホテル近くのいかにも観光客相手という感じのやたらと飾り立てたようなお店しかなくなってしまいます。

 地元の食べ物を探すには、あとは、スーパーマーケットやJAのやっている「あたらす市場」などには、地元の野菜や食材のほか、お惣菜やお弁当などもお手頃価格で売っているので、こういうものをテイクアウトするのもよい気がします。

 

 たまたま、ホテルの近くの地元民も集う食堂のようなお店で、今日は、海ぶどうやお味噌の入ったおにぎり、タコの唐揚げ(タコがぷりっぷりですごく美味しかった)、さきいかの天ぷらなども、珍しくて美味しかったです。


 


 また、沖縄ならでは?のサーターアンダギーなども、紫芋のものや、黒糖のものなどもあって、娘はこの黒糖入りのサーターアンダギーがいたくお気に召した様子で、このカロリー爆弾のような食べ物にも、期間限定ということで、ホテルに買って帰って、丁寧にお茶をいれて、美味しそうに頬張りながらも、これは東京に買って帰って、ちょっとだけオーブンで温めて食べてみたいと、すでに買って帰るものリストに追加しています。




 そもそも、私は日本に来ている時点で、このちょっと長い期間限定の食べ放題の旅が始まっており、これは宮古島から戻ってもまだ続くわけで、脂っこい食事にぴったり!などというお茶を飲みながら、どうにか罪悪感を軽減しつつ食べ続けています。

 旅も終盤に入ると、もう東京に何をいかに持ち帰って食べようか?と真剣に検討している親娘です。


宮古島グルメ 宮古そば


<関連記事>

「食いしん坊の家系」

「チップについて、一番ケチなのはフランス人」

「娘とのイタリア珍道中 最初からトラブル続きでも、美味しいものお腹いっぱいで超ご機嫌の二人」

「完璧に壊れている私の満腹中枢」

「一時帰国の楽しみ 日本での食事 やっぱり日本は美味しい」