2021年9月16日木曜日

ファラフェル激戦区 パリ・マレ地区の美味しいファラフェルのレストラン2選

  


 パリでのファストフードといえば、サンドイッチかハンバーガー、ケバブ、そしてファラフェルです。現在の日本の様子はよくわかりませんが、私はパリに来るまでは、ファラフェルというものを日本で食べたことはありませんでした。

 ファラフェルは、ひよこ豆をすり潰して、パセリやコリアンダーなどの香辛料を混ぜ合わせて丸めたものを油で揚げたもので、トマト、オニオン、きゅうり、紫キャベツ、ピクルス、揚げナスなどの野菜とともにフムスやサワークリーム(ヨーグルトクリーム?)のようなソースとピタパンと共に食べる(ピタパンに挟んでサンドイッチのように食べる)中東のお料理です。

 メニューによっては、それに肉類が添えられていますが、基本的にファラフェルは、ミートボールのようでありながら、原料はひよこ豆であり、ベジタリアンにも食べられるヘルシーな人気メニューです。

 パレのマレ地区(パリ4・3区)は、パリで最初のユダヤ教会が作られた場所であることから、ユダヤ人の多い地域で、マレ地区だけでも一体、何軒のファラフェルのレストランがあるかと思うほどのファラフェル激戦区です。

 価格も比較的安いことやベジタリアンにもOKだったり、ヘルシーなわりにはボリュームがあるこのファラフェルは、特に若者を中心に大変に人気のある食べ物で、食事時には、大行列ができています。

  


 中でも、恐らく一番人気は、L'As du Fallafel というお店で特にファラフェルのピタパンを使ってのサンドイッチのテイクアウトのための行列は途絶えることがありません。これは、周囲のファラフェルレストランが気の毒になるほどで(といっても、他のお店にお客さんがいないわけではありませんが・・)、このお店は開店と同時に行列用のロープが張られ、長い時間帯、行列の長さが変わることはないほどの人気店です。

  

ファラフェルのサンドイッチ・円錐形の紙に包んで、フォークを添えてくれます

 私は、たまたま友人が近くに住んでいるために、マレ地区に出向くことが多いのですが、近くには、ピカソ美術館や古い街並みがそのまま残されながら、様々なアーティストのアトリエやギャラリーも多い地域で、入れ替わりも激しく、常に新しいものと古いものが混在する魅力的な界隈です。

 そんなマレ地区で一際、目立つのがこのファラフェルレストランで、この地域では他のファストフードがかすんで見えるくらいです。

 恐らく、この一番人気のお店は、一番コスパ(値段と味の両方)が良いのだと思いますが、テイクアウトのこのシンプルなファラフェルのサンドイッチは、テイクアウトなら、6.5ユーロ(850円程度)とパリでの外食としては、かなり安い、しかもフランス人がこだわりたがる手作り、ホームメイドでオリジナルなメニューが人気を呼んでいるのだと思います。

 天気の良い日などは、こんなファラフェル片手に外で気ままに食事するのは、レストランの中で食事をするよりも、まことにフランス人の好みそのものなのです。

 私は、周囲のファラフェルレストランを制覇したわけではありませんが、友人が勧めてくれた「ここがパリで一番美味しいファラフェルレストラン」と太鼓判をおしてくれたKING FALLAFEL PALACE というレストランのものがやっぱり美味しかったのです。

 一番人気のレストランよりは、値段も多少、上がりますが、パリでの外食としたら、決して高いものではありません。ファラフェル自体も外側がカリッと中はふっくらと仕上がっていて、カリッと口に入れるとフワッと微かな香辛料が香ります。

  


 結構、ボリュームがありますが、ほぼ野菜のこのメニュー、思ったほどには、お腹にズシンとくることもありません。ファラフェルに添えられたたくさんの野菜がとれることも魅力的でお腹がいっぱいになるわりには、罪悪感がありません。

 パリにいらっしゃることがあれば、ビストロや星付きレストランのフレンチも美味しいですが、パリジャン、パリジェンヌに人気なこんなファストフードを試してみるのも楽しいかもしれません。


ファラフェル パリ


⭐️L'As du fallafel  

 34 Rue des Rosiers 75004 Paris 🚇1号線Saint paulより徒歩2分


⭐️KING FALAFEL PALACE

 26 Rue des Rosiers 75004 Paris 🚇1号線Saint paulより徒歩2分





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2021年9月15日水曜日

大学・高等教育機関でのイベント・パーティーにもヘルスパス

   


 小・中・高校は既に夏のバカンスを終え、授業が再開していますが、大学以上の高等教育機関での講義はこれから徐々に再開されます。

 これらの大学以上の高等教育機関は、パンデミック以来、長いこと対面授業が回避されていた期間も長く、今年度の初めから、ようやく対面授業が再開されます。大学の対面授業には、ヘルスパスの提示は義務付けられてはいないものの、久しぶりに本格的に対面授業が再開され、学生同士が集えば、当然、予想されるのは、学生同士のイベント・パーティーの再開です。

 この事態を目前にして、高等教育大臣フレデリック・ヴィダルは、学生の行うパーティー・イベントの開催に際しては、ヘルスパス提示義務の対象となることを発表しました。

 彼女は、パーティーやイベントをやみくもに禁止するのではなく、敢えて許可する道を選んだとしています。


 これにより、校内、あるいは施設内でのイベント・パーティーに際しては(週末の集まりも含む)、事前申請の届出が必要となり、参加者はヘルスパス(2回のワクチン接種証明書、72時間以内のPCR検査の陰性証明書、6ヶ月以内にコロナウィルスに感染した証明書)の提示が必要になります。

 「学生同士が関わり合う必要性と全ての人の健康と安全との間の公正なバランス」を追求するための手段の一つとしてのキャンパスライフでのヘルスパスの導入と、施設の収容能力の75%を超えてはならず、マスク着用が推奨されています。

 そのため、大学では、学生会主催の祝祭活動、講義・研修などとは関係のない文化・スポーツ活動、外部の参加者を受け入れるスタッフが50人を超える科学セミナーや会議などについても同様の措置が取られる見込みです。

 クラス内に感染者が出た場合は、小・中・高校の規則と同様に感染者は隔離、接触者に関しては、ワクチン未接種の場合は、一定期間の隔離が求められます。

 この措置は、感染対策の措置としては、ある程度は有効ではあるとは思いますが、学生同士が行うパーティーを全て取り締まることができるわけでもなく、大っぴらにはできないだけで、いくらでも抜け道は考えられ、ましてや重症化のケースが比較的少なく、歯止めの効きにくい年代の若者たちによる感染拡大の危険性を充分に避けられるとは考えにくいと思います。

 もともと、罰則のないルールはルールではないようなところがあるフランス人の、しかも、若い世代の統制は、そんなに簡単ではありません。

 大学が始まると絶対、パーティーが始まるから釘を刺した。しかし、抜け道はいくらでもあり、パーティーなどをやらないわけはありません。

 何もしないよりは、マシではありますが、結果的には、全国的なワクチン接種率の上昇が、最も確実な感染拡大回避の道だと思うのです。

 パンデミックにより、若者には若者の、年長者には年長者の大切な時間が失われてきました。これ以上、パンデミックを長引かせないためにも、あともう少し、私たちは、感染対策をとりながらの生活を続けなければなりません。

 すっかり日常モードのフランスですが、まだまだ気を緩めるわけにはいかないのです。


大学 パーティー ヘルスパス


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2021年9月14日火曜日

母の命日を忘れている非情な娘 海外生活での親との別れ

   


 9月は母の命日があったことをすっかり忘れていました。数日前、従姉妹から、今日は、おばちゃまの命日だね・・とメッセージがあって、ハッとさせられました。

 母が亡くなったのは、15年前のことで、今でも、その時のことは、強烈に覚えているものの、命日そのものは、正直、一体、何日だったのか、はっきり覚えてもいなかった非情な娘です。

 母が亡くなった年の夏、多分、7月だったと思いますが、例年どおり、私は、娘を連れて、日本に夏休みの一時帰国をしていて、私たちがフランスに帰国した後、これまた例年どおり、両親は、夏休み、東京が暑い時期を八ヶ岳の山荘に長期で滞在していました。

 母は、亡くなる10年ほど前から、拡張型心筋症という病気を発症していて、年々、弱ってはいたものの、家で寝たり起きたりの生活を続けていました。

 夏の山荘行きは、母が一年のうちで最も楽しみにしていることでもあり、後から、母の主治医に聞いたところ、「お母様から八ヶ岳の山荘に行くことについて相談されていましたが、山にあるため、高度が高い分、酸素が薄いので、ある程度の危険は考えられるけれど、まあ、どこにいてもダメな時はダメなので(まあそれくらい悪かったということ)、それなりの覚悟をしていらっしゃるのならば、暑い東京で冷房の中で暮らしているよりも良いこともあるかもしれません」と言われていたようで、母はそれなりの覚悟をして例年どおり、父と二人で車で八ヶ岳の家に出かけていたのです。

 母がそんな覚悟までして、八ヶ岳に出かけたとはつゆ知らず、私は、7月の一時帰国時、フランスに帰る日に、これまたいつもどおりにバタバタと「色々ありがとう。じゃあまた、来年、来るからね!」と雑な挨拶をして、荷物を車に運び込んだり、バタバタと出て行ったのでした。

 あれが最期になるなんて、あの時の私は、想像すらしていませんでした。

 母は娘のことをもの凄く可愛がってくれていて、いつもならば、日本からフランスに帰る時には、二人で抱き合ったりしながら、「また、いらっしゃいね〜」などとベタベタしていたのに、その時ばかりは、母は背筋を伸ばして、「握手!」などと娘に自分から手を差し出して、握手したりしていたのを後になってから思い出すに、あの時すでに、母は自分の身体の状態などを鑑みて、かなりの覚悟をしていたのではないかと思われます。

 しかし、そんなことは母は一切、言葉には出さずに、私たちの日本滞在中、家の中で寝たり起きたりの状態ながら、朗らかに笑い、共に食事をしたり、おしゃべりをしたり、いつもと何ら変わらない様子で楽しそうに過ごしていたのです。

 それから私たちがフランスに戻って約1ヶ月後の8月23日(どういうわけか母が倒れた日にちはよく覚えている)八ヶ岳の山荘で倒れ、現地の病院に入院したのでした。

 その年は、ちょうど弟がアメリカに転勤になったばかりで、アメリカに経ったばかりの弟がすぐに日本にトンボ帰りで帰国してくれたので、私は、つい先日、帰国したばかりで、娘の学校も新年度が始まるところだったので、しばらく様子を見ることにしたのです。

 しかし、弟や叔母たちからの話を聞く限り、入院した母は強心剤を打っているために、一時的に回復しているものの、このまま強心剤を打ち続けるわけにもいかず、都内の病院に転院する必要があるということで、弟が都内まで運転して母を運び、その途中で救急車を呼んで、強引に入院させてもらうという苦肉の策をとり、母は都内のかかりつけの病院に転院したのでした。

 その間、私は、心配で心配で、毎日毎日、遠く離れた地で泣きながら過ごし、当時8歳だった娘に「そんなに心配ならば、日本に行ったらいいじゃない・・」と言われて、ようやく再帰国を決意して帰国の手配をしたのとほぼ同時に母は転院先の病院で心筋梗塞を起こし、危篤状態になりました。それは、私がフランスから日本への飛行機の機内にいる間のことでした。

 当時はまだ、国際線は、成田空港で、空港に着くと同時に空港内アナウンスが入り、受付に行くと、「叔母様のところに電話してください」というメッセージ。慌てて電話をすると、もう時間がないから、直接タクシーで病院に来て!残念ながら、もう時間がないの!」とのこと、私は現実が受け入れ難く、「時間がないって、どういうこと?」と、心配で心配でタクシーの中でもずっと泣いていました。

 病院に着くと、病院の入り口には叔父と叔母が待ち構えていて、荷物もそのままに、娘と二人で集中治療室に駆け込み、「もう意識もなく、瞳孔も開いている」と言われていた母の元に駆け寄り、ひたすら大声で「ママ〜!!マミー!!」と娘と二人で呼びかけ続けました。聴覚は最後まで残るということを聞いたことがあったからです。

 すると、それは、本当だったようで、私たちの大声が母に届き、すでに人工呼吸器に繋がれていた母が、突然、ぱっちりと目を開けてくれました。母は何かを言おうとしていましたが、呼吸器がついているため、残念ながら、母が何を言っているのかは、わかりませんでしたし、母が目を覚ましたことが奇跡的なことであることにピンときていなかったので、それをなんとか、聴き取ろうともしませんでした。

 しかし、その後、心臓の機能が低下しているために、腎臓等の臓器も働かなくなり、人工透析などの機械にも繋がれていましたが、それから数日間、午前と午後の面会時間には面会に行きましたが、それから後は、母は目をあけることはありませんでした。

 母を東京の病院に転院させて、アメリカにトンボ帰りをしていた弟は、再び母が危篤状態に陥ったことで、また日本に再帰国することになっており、母に「弟がもうすぐ帰ってくるから、もう少し待ってて・・」と呼びかけると、母は目を開けることはありませんでしたが、母の目からは、涙がツーっと流れ落ちていました。

 転勤して、新生活を始める弟に行ったり来たりさせていることを母は心苦しく思っていたに違いありません。

 結局、弟は、母の最期には、間に合いませんでした。

 姉弟揃って海外暮らしという親不孝者でしたが、そもそも私も弟も海外生活に至った大きなきっかけの一つは、母が私たちが幼い頃から英語を真剣に教えてくれたおかげでもありました。

 元気だった頃の母は、そんな私たちが海外で暮らしていることをとても喜んでくれていましたし、私が「おかげさまで、職場で私の英語、褒められたよ!本当にママのおかげ!」などと報告すると、とても嬉しそうにしていました。

 海外で生活している限り、こんなこともあり得るとは思っていた母との別れではありましたが、あの時の衝撃的な帰国、母の最期を私は、一生忘れることはありません。

 にも関わらず、15年経った今、あれほどの思いをした母の命日をうっかり忘れていて、全く非情な娘で母には申し訳ありません。

 今、私と同年代の友人たちは、親の介護で苦労している人も少なくありませんが、私は、介護らしい介護も何もできなかったくせに、今、母がいてくれたら、今だからこそ話したいことがたくさんあったのに・・などと思う身勝手な娘です。

 言い訳をさせて貰えば、歳を重ねるとともに、命日ばかりが増えていき、もう一人一人の命日をはっきり覚えていないのが正直なところです。

 しかし、従姉妹が母の命日を知らせてくれたことで、今度こそ、はっきりと母の命日は、15年も経った今、ようやく私に刻み込まれました。


海外在住者の親との別れ 


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2021年9月13日月曜日

クレープの本場フランス・パリにある原宿のクレープ屋さんをコンセプトにした逆輸入バージョンのクレープ屋さん

   


 最近、パリの街を歩いていると、パリの街のところどころに日本のエッセンスを感じるお店を見つけることが多くなりました。

 それらのお店は、なぜか、しっくりと街の中に馴染んでいるものもあれば、どこかそこ一画だけが、異次元な空間だったり、色々ですが、このお店は明らかに異次元の世界で、また違う形で人目を引く感じではあります。

 私自身、お店の前をたまたま通りかかっただけなのですが、そのお店の色使いといい、雰囲気といい、かなり独特なもので、狭いながらも、お店を一歩入れば、そこは、とてもパリとは思えない空間なのでした。

 中に入って、お店の人に聞いてみたところ、そこは「原宿のクレープ屋さん」をコンセプトにしたお店なのだそうで、中はマンガの主人公と思われる人形やポスター、布などが一面を覆い尽くし、途中でオーナーは一度変わっているものの、そのままの形でもう10年ほど、そこに存在しているのだとか・・。

 もともとクレープといえばフランスが本場・・その本場のフランスでわざわざ原宿のクレープの逆輸入バージョン・・なかなか大胆な発想です。

 「どんなお客さんがいらっしゃるのですか?」と尋ねてみたところ、ちょっと苦笑しながら、「まぁ、普通のフランス人はいらっしゃらないですが、かなりコアな常連客に支えられておりまして・・」とのことでした。

 このパンデミックで倒産して閉店に追いやられたお店は数知れず、その中で生き残ってこれたのですから、なかなかなものです。


 


 いわゆるフランスの折り畳まれているクレープではなく、コルネ式で生クリームがたっぷり入ったクレープは、ショコラ、フランボワーズ、キャラメル、バナナ、ミックスフルーツ、アイスクリームなどに加えて、ツナとコーンとトマトのサラダやモツァレラチーズとトマトなどの甘くないものもあり、変わり種には、唐揚げのクレープや、納豆とアボカド、抹茶味のものなどもあります。

 価格設定も4ユーロ(520円程度)から6.5ユーロ(850円程度)くらいとパリでの外食としては、かなりお手軽な感じです。

 最も人気なのは、イチゴやバナナ、フランボワーズ、生クリームが入った上にチョコレートケーキかチーズケーキまでトッピングされためちゃくちゃボリューミーな「プリンセスクレープ」なるものだそうです。(6.5ユーロ)

 

一番人気のプリンセスクレープ


 それでも、このようなお店が10年以上もパンデミックの危機さえも乗り越え、脈々と続いていることを考えれば、この種のコアな客層もフランス人の中にしっかり定着していることを思わずにはいられません。

 クレープといえば、フランスの食べ物で、それが日本に渡って、変化球バージョンでフランスに戻ってきているこの不思議な現象。

 私は、日本でクレープを食べたことがないので、日本の味が再現されているのかどうかは、わかりませんが、パリに来て、日本の味が恋しくなったら、こんなクレープバージョンもあるので、試してみてはいかがでしょうか?


パリにある原宿のクレープ屋さん

Princess Crepe

3 Rue des écouffes 75004 Paris

Metro①  Saint-Paulより徒歩5分


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2021年9月12日日曜日

9週目のヘルスパス反対デモと黄色いベスト運動

   


 フランス全土のワクチン接種率が80%を超えても、ヘルスパス反対のデモは一向に止むことがありません。

 フランスでは、先週末までの段階で少なくとも1回目のワクチン接種を受けている人は4,954万人に上り、これは12歳以下の人口を除いた(ワクチン接種ができない人々を除いた)全国民の85%に該当します。

 それでもヘルスパス反対のデモが止むことはなく、またそのデモも暴徒化の傾向が見られます。


 殊に15日からの医療従事者へのワクチン接種義務化を目前に控えた今回のデモは、ワクチン接種そのものや、ヘルスパスに反対する者にとっては、いよいよ追い詰められたギリギリのタイミングの最後の悪あがき?とも取ることができ、黄色いベスト運動のメンバーがそのうちのいくつかのデモを集結し、本来の目的のデモを煽り、それに暴徒化する集団が加わったりしているのも、始末の悪いことです。

 

 もともと黄色いベスト運動は、2018年10月に起こったエネルギー製品に対する国内消費税(TICPE)の増税に起因する自動車燃料価格の上昇に端を発しており、これが想像以上の規模での反発を生み、収集のつかないデモや破壊行動、(暴徒化)が起こりました。

 政府はTICPEの増税を放棄しましたが、このことをきっかけに、政府の財政政策への疑問、国民の一部の階層の格下げ感、大都市から離れた地域への無視など、フランス行政政策機能に対する不信感を一部の国民に対して、植え付ける結果となりました。

 以来、黄色いベスト運動は、そのターゲットを広げ、国内で度々起こる様々な問題に対するデモにことあるごとに、参入してくるようになりました。

 その間、パンデミックが発生し、国全体が静まりかえったロックダウンの期間は、一時停止していたものの、ロックダウンが解除され、また、彼らは活動を再開したのです。

 黄色いベスト運動のターゲットが単なる燃料価格の上昇から、政府の政策への抗議に範囲を拡大している現在、大抵のデモは、彼らの講義内容に繋がるものになっているのです。

 たしかに、ヘルスパスの起用はかなり強引なやり方ではありましたが、そのおかげで、フランス国民は、ほぼパンデミック前同様の日常生活を取り戻し始めているのです。

 黄色いベスト運動がヘルスパス反対デモに加わることで、デモが暴徒化し、再び、街中で暴れ始め、パリやトゥールーズのデモなどは、近隣の店舗の営業を妨げ、催涙ガスが立ち込め、放水車が出動する事態に陥っています。

 当初の黄色いベスト運動の暴徒化や破壊行動のために、パンデミック前から、観光客は減少し、土曜日の営業が困難になった上に、パンデミックの追い討ちを受け、閉店せざるを得なくなった店舗は少なくありません。

 パリの老舗高級食料品店フォションの倒産もかねてからの業績不振もありましたが、この黄色いベスト運動による営業妨害もその一端を担っていたと言われています。

 ヘルスパスのおかげで日常を取り戻しつつあるフランスでも、まだパンデミックは終わったわけではなく、危険をなんとか回避しつつ、パンデミックから被った負債を取り戻していかなければならないのです。

 9週目に突入したヘルスパス反対のデモは依然として、動員数は週を追うごとに減少している様子ではありますが、黄色いベスト運動が台頭することで、本来のヘルスパスへの抗議運動とは別の意味を帯びてしまう危険を孕んでいます。


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2021年9月11日土曜日

パリの成人のワクチン接種率98% フランス全土でトップ

   


 2021年9月7日の数値によると、パリの成人の予防接種率は98%で、フランス全体でトップのワクチン接種率に達しています。

 これに未成年者を含めることにより、84.6%にまで低下しますが、それでも全国平均を上回る数字です。 12〜17歳の53.8%は、すでに2回のワクチン接種を受けていますが、残りのこの年齢層に関しては、新年度の開始以来、特定のプロトコルに従って学校で予防接種を受けることができることになっているので、これもじきに上昇すると思われます。

 この数字はフランス公衆衛生機関により記録されたワクチン接種者の数を住民の数で割ることにより算出されている数字です。

 正直、パリでここまでワクチン接種率が上昇していたということは、毎週のように反対デモがパリ市内でも起こっていることを考えると、少し意外な感じもしますが、パリは、人が多いとはいえ、小さい街で、デモが起こってはいるものの、首都ということで、注目されることから、他県からやってくる人がデモをする場所に選んでいるのであって、必ずしもパリで起こっているデモはパリ市民によるデモではないということかもしれません。

 この数字から見れば、たとえパリ市民がデモに参加していても、彼らは既にワクチン接種済みで、ワクチン接種に反対しているというよりは、ヘルスパスの制度に反対しているか、政府のやり方に反対していると思われます。

 とはいえ、ここまでこの数字(ワクチン接種率)が上昇したのは、PCR検査を提示しないワクチン未接種の人々が多くの場所にアクセスすることを禁止するヘルスパスの実施以来のことで、やはり、ヘルスパスの起用がワクチン接種率の上昇に大きく寄与したことは、もはや疑う余地がありません。

 また、パリが全国トップとなったのは、パリは最もヘルスパスがない場合に日常生活が送りづらい場所であるのかもしれません。

 先日、平日昼間に、パリ市内のPCR検査場を見て歩いた時に、未だ市内のあちこちにテントを張った仮設PCR検査場があるものの、想像以上に暇そうだったのは、やはり、パリ市内のワクチン接種率がここまで上昇していたことによるものだったのです。

 なので、週末で多くの人がパリに遊びにくるタイミングならば、少し様子は違ったのかもしれません。

 政府の統計によると、180万人のパリジャンがワクチン接種を済ませていますが、それは、パリ市民の話で、パリは東京と同じで、他府県から、また、海外からの観光客(今はまだ少ないとはいえ、他の地域よりも多い)も多い場所でもあり、パリ市民のワクチン接種率が上がったとはいえ、それ以外の人の流通も多い場所でもあるのです。

 このワクチン接種率を反映するように、パリの病院では、デルタ変異種による影響が比較的、低く抑えられていたと言われています。

 また、パリに続き、セーヌマリティム、マンシュ、オルヌ、カルヴァドス、シャラントマリティム、コートダモールでは、成人のワクチン接種率が90%以上にまで上昇し、パリに続いています。

 フランスの全国統計によれば、成人のワクチン接種率は82.1%。どうやら、ワクチン接種率も地域により、かなりバラつきが多いようでもあります。

 とはいえ、パリのこの驚異的な数字は、ちょっと、ホッとするところでもあるのです。


パリの成人ワクチン接種率98%


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2021年9月10日金曜日

25歳以下の女性への避妊ピルの無料化に踏み切るフランスの事情

   


 オリヴィエ・ヴェラン保健相は、2022年から25歳以下の女性に対して、避妊ピル等の避妊に関する処方(パッチ、インプラント、膣リング、ホルモンIUD(またはIUD)、さらには筋肉内注射等)を無料化することを発表しました。

 フランスでは、ピルなどの避妊薬に関連する費用は、既に2013年から、15歳から18歳の少女に対して、そして、また、2020年8月からは、15歳未満の子供に対しても国民健康保険で100%カバーされてきました。

 この避妊薬の無料化により、その後5年間の期間を経て、この該当年齢の少女の人工中絶の割合を1,000人あたり9.5人から6人へと大幅に減少させることに成功しています。成功しているとはいえ、それでもそんなにいることが驚きではありますが、さらに驚くことには、毎年、12歳から14歳までの1,000人近くの若い女の子が妊娠し、これらの妊娠のうち770人が中絶手術を行なっているという事実です。

 これには、私個人としては、あまりピンと来ないというのが正直なところで、1,000人が妊娠して、そのうち770人が中絶という厳しい現実に直面しているのも悲劇ですが、残りの220人は、どうしているのでしょうか? この統計が取られている年代が12歳から14歳ということもなかなかショッキングなことです。

 今回のオリヴィエ・ヴェラン保健相の発表は、これらの無料化の措置を25歳までという年齢制限の引き上げをしたということですが、これは近年、浮上してきている若年層の貧窮化の問題が背景にあります。

「妊娠の危険に晒される道を選んだ場合に、女性が自分自身を守ることができず、避妊をすることができないのは耐え難いことです。若い女性が経済的な理由から避妊を断念し、更なる悲劇を生んでいる状況を改善するために、国は2200万ユーロを投じて、これらの女性を守る」とオリヴィエ・ヴェラン保健相は語っています。


 大臣は、「経済的、社会的、収入の面で「より自律的」に対応する時代であるため、年齢制限を25歳に引き上げるとしています。 

 これは、単に避妊薬自体だけではなく、それに関わる処方相談、ケアに対する費用をカバーしてくれるものです。下記、無料化される避妊薬の例です。

○ピル(経口避妊薬)(ホルモン避妊薬)

 最も良く知られている方法で、21錠または28錠のパックで、3週間または継続的に毎日決まった時間に摂取する必要があり、排卵をブロックし、妊娠を防ぎますが、感染症を予防することはできません。

 また、2つのホルモンを組み合わせている複合ピルもあり(エストロゲン・プロゲストゲン)、非常に効果的ではありますが、全ての女性に適しているわけではなく、静脈血栓症(静脈炎、肺塞栓症)及び脳卒中、心筋梗塞のリスクを高めるケースもあります。

○パッチ

 皮膚を通してエストロゲン・プロゲストゲンホルモンを拡散させる自己接着パッチ、パッチは3週間毎週交換する必要があります。

○膣リング

 ラテックスあるいは、シリコン、柔軟なプラスチックリングは膣内に装着されるもので、体熱により、エストロゲン・プロゲストゲンホルモンが継続的に拡散されます。

○注射・インプラント

 2つの形態があり、1つ目は、診療所での局所麻酔下での手術が必要で、インプラントはプロゲステロンを継続的に拡散する薄くて柔軟な4センチの円筒形ロッドが上腕の皮下に埋め込まれます。このインプラントは3年間有効ですが、不規則な出血を引き起こす可能性もあります。

 2つ目は、期間の1日目と5日目の間に筋肉内注射によってエストロゲン・プロゲストゲンが体内に取り込まれ、2回目の注射は最初の注射から8〜12週間後に行われます。

○ホルモンまたは銅IUD:3〜5年間の子宮内避妊器具

 IUD、またはホルモンIUSは、医師によって子宮内に配置されます。銅の場合もあれば、子宮内にプロゲステロンを拡散させる場合もあります。どちらの場合も、IUDは子宮内膜の形成を遅くし、精子の通過を防ぎます。3〜5年ごとに交換する必要があります。

 なんだか、色々な方法があるようですが、これらの方法が避妊に対しては有効ではあるとはいえ、費用以外にもなかなかな精神的、肉体的な負担があるような感も拭えません。

 そのために、これらのいずれかの処方相談も無料になっているわけですが、なかなかどうして、今、コロナウィルスワクチンの副反応などが騒がれている中、これらの処方も必ずしも別のリスクがないとも言えないような気もするのです。

 フランスは、アムールの国などと言われますが、国がここまで援助しなければならない現状もまた、アムールの国の一面なのです。


フランス 25歳以下の避妊ピル無料化


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