2022年11月15日火曜日

2024年パリオリンピック・パラリンピック マスコットキャラクター フリージュ

 


 2024年パリオリンピック・パラリンピックのマスコットキャラクターが発表されました。

 「フリージュ」と名付けられたこのキャラクターは、フランスの精神を具現化したもので、トリコロールとフランス革命とフランスの象徴であるフリジア帽をモチーフにしていると言われています。そういわれてみれば、たしかに、あの帽子です。

 このキャラクターの選択は、6歳から14歳の子どもたちにサンプルを使ってテストして、検証された結果、選ばれたもので、赤いフリジア帽がマスコット化したもの。それぞれの靴はトリコロールの赤・青・白でデザインされていて、ご丁寧なことに目そのものもトリコロールカラー、目尻につけられたリボンまでトリコロールで足さえもブルーと白で、双子のうち1人は義足をつけています。

 彼らの使命は「フランスとフランス人を動かし、スポーツを紹介・再導入すること」であり、「完璧なサポーターの精神」を広めることだそうで、「スポーツはすべてを変えることができ、私たちの社会で重要な位置を占めるに値することを証明することを目的としている」と重大な任務を負っています。

 この二つのキャラクターには、ストーリー性のあるキャラクター設定もされており、オリンピックのフリージュは「賢い人であり、すべてを計算せずに物事に着手することはなく、少し狡猾で誘惑的な面もあるが、非常に感情的でもある」一方、パラリンピックのフリージュは、「無限のエネルギーを持つ外向的なパーティーガールで、自発的で、少し熱血漢、常に新しい経験を求めている」のだそうです。

 他の国のオリンピックのマスコットキャラクターに関しても、こんなに詳細なキャラクター設定がもされているのかどうかはわかりませんが、とかく、なにかと理屈をつみあげて、仰々しく語りたがるフランス人らしいような気がします。

 とはいえ、このマスコットキャラクター販売は、オリンピックのライセンス収入の25%にのぼり、総額は1億2700万ユーロとと見積もられています。

 フランスの中小企業メーカーGipsy ToysとDoudou et compagnieが請け負い、主にリサイクル素材で作られるマスコットは200万個の売り上げを目標とし、その他、Tシャツ、パーカー、キーホルダー、ピンバッチも販売される予定になっていますが、実際の生産は中国の工場で行われるようです。

 「マスコットはフランスのエスプリを体現していなければならず、フランスの価値観を担う理想、信念のようなものであり、長い時間、歴史の中で積み重ねられてきたものが表現されていなければならない」と壮大な理想のもとにキャラクターのストーリー設定までが語られているのに、中国で作るあたりは、ちょっとがっかりするというか、非常に現実的で、実際のところは、オリンピックのビッグビジネスの一つなのです。

 オリンピックなどのマスコットというのは、可愛いんだか可愛くないんだか、よくわからない奇妙なものとして、登場し、中には見慣れていくうちにだんだん愛着が湧いてくるものもありますが、いずれにせよ、オリンピックまで、そしてオリンピック開催時には、これでもかというくらい登場するので、これから、2024年にかけて、パリではさまざまなところで、この「フリージュ」を見かけることになるかもしれません。

 

2024年パリオリンピック・パラリンピック マスコットキャラクター フリージュ 

 

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2022年11月14日月曜日

スティーブン・スピルバーグ「ターミナル」にインスピレーションを与えた伝説のホームレスCDGで死去

  


 スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ターミナル」にインスピレーションを与えたイランの政治亡命者、メヘラン・カリミ・ナセリ氏が彼が長年過ごしたホームであるパリ・シャルル・ド・ゴール空港で亡くなりました。

 彼は、母親を探してロンドン、ベルリン、アムステルダムと旅をした後、1988年11月にパリ北部のロワシーに居を構えるようになりました。彼は、自分のホームに選んだ空港という場所で、好きな音楽を聴き、新聞や小説を読み、自分の思いを書き綴りながら、空港という公共の施設で静かに暮らし続けていましたが、ついには、1999年、フランスで難民認定を受け、滞在許可証を取得しています。

 そんな彼をどうやって発掘したのかは謎ですが、彼の哲学的?な生活からヒントを受けてスティーブン・スピルバーグ監督が制作した映画「ターミナル」が公開された当時、彼は世界中からのジャーナリストの注目を集め、1日に何本ものインタビューを受けるほどの有名人になり、シャルル・ド・ゴール空港では、空港職員の顔として親しまれ、伝説的な存在になっていたのです。

 サンドイッチ屋とマクドナルドに挟まれた数平方メートルの三角形が彼の日常生活の中心で、空港のトイレがバスルームになっており、上着やズボンは定期的にクリーニングに出していて、決して問題は起こさず、静かな人で、他のホームレスが助けを求めてきたり、食べ物を求めてきたりしても、彼は何も言わず、何も要求せず、お金も出さず、他とは一線を画す存在で、彼を知る人々は、「素直だけど口下手で正直者だが口数の少ない人」「彼は仙人だ、現代社会の僧侶を思わせる 」とも語っています。

 彼は約18年間、シャルル・ド・ゴール空港で暮らしていましたが、映画の公開により、彼にはある程度のまとまったお金が入り、映画公開の2年後には、空港から病院経由でパリ郊外のホステルに滞在していたと言われています。

 彼が空港に戻ってきたのは、死亡する数週間前と言われており、映画で得たお金を使い果たして空港に戻ってきたと思われていましたが、彼の遺体からは数千ユーロが発見されたようです。

 彼の死は自然死であったと公表されていますが、彼の77歳という年齢からも自然死というのも妙な話で、事故でも事件でもなかったという意味なのだと思いますが、なんらかの病を患っていた彼が死期を察して、彼のホームでもあったシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2Fを最期の場所として選んでいたのかもしれません。

 ターミナル2Fにいた空港職員は、数週間前から彼が荷物を持って悲しげな表情をして、いつもと同じ席に動かずに座っており、ここ数週間は、あまり調子が良くないようで、窓の方を向いて、口を開けて、ぼんやりとした目をしていたと証言しています。

 彼が亡くなったことは、座席に白いシートがかけられたことで気づいたと語っています。

 スピルバーグ監督の映画は彼からのインスピレーションを受けて作られた作品ではあるものの、彼自身の人生そのものとは、異なる物語ですが、この彼の最期の迎え方、また空港職員との独特な関係性や彼の生き様のようなものも、そのまま映画になりそうな感じです。

 彼がとても大切にしていた自分の思いを書き綴ること・・彼のノートに書かれていたことも、このまま埋もれてしまうのは、惜しいような気がします。

 彼の物語は、フランスのフィリップ・リオレ監督にも影響を与え、「Tombés du ciel」という映画が1994年に公開されています。

 今年に入って、空港のホームレスが空港警察官に射殺されたという殺伐とした事件もありましたが、それと同じ空港で、このように生活していた人もいた時代が悪くはなかったような、なんだか不思議な感じもします。

 ましてや、彼のホームであったシャルル・ド・ゴール空港のターミナル2Fは、私も一番利用する機会の多いターミナルで、そんなドラマがあったとは・・今度、空港に行ったら、彼のホームであったベンチを探してみたくなりました。


スティーブン・スピルバーグ 伝説の空港ホームレス


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2022年11月13日日曜日

モンパルナスにできた新しいコマーシャルセンター Les Ateliers Gaîté とモンパルナス駅のM&Sとカヌレ

  



 パリ・モンパルナス界隈に新しいコマーシャルセンター Les Ateliers Gaîté ができたというので、覗きに行ってきました。ちょっと、他の出先からだったので、バスで出かけたのですが、モンパルナス駅からもそんなに遠くはありません。




 この新しいコマーシャルセンターはアトリエと名前に入っていることからも、一般的なコマーシャルセンターに入っているような店舗(Truffaut、Nature & Découvertes、Mr. Bricolage、Go Sport、Bo Concept、PoltroneSofà、Darty)、衣料品店(Naf Naf、Okaïdi、Courir、Claire'sなど)から古着屋さんなども入っていますが、とりたてて、もの珍しくもなく、個人的には、あまり興味が湧かず、強いていうなら、フードコートが比較的広く、DJなども入るようにできているので、おそらく夜、若者たちにとっては、楽しい空間になるのかもしれません。

フードコート入り口



 ところどころにピンボールなどのゲーム機が置かれているのにも遊び心が感じられます。




 しかし、このコマーシャルセンターは、ショッピングエリアだけではなく、最終的なプロジェクトとしては、社会住宅、託児所、オフィス、ホテル、市立図書館を含む複合施設になることになっており、また、このアトリエのコンセプトは、この地域が、劇場、芸術家のアトリエ、文壇などの娯楽の場であったことを喚起させ、DIYのトレンドに乗り、お客様がワークショップに参加することで交流し、学び、単なる購買行為を超えた体験をする場にすることをうたっています。

 そういえば、昨年、16年ぶりに再開したパリ・サマリテーヌもショッピングエリアとともに、同様の社会住宅や託児所、オフィス、ホテルなどを併設した形で完成すると言われていますので、複合的な総合施設というのは、現在のトレンドなのかもしれません。

 コマーシャルセンターだけでは、もはや人を惹きつけられず、プラスアルファが求められているのかもしれません。

 しかし、はっきり言って、私にとっては、少々、期待ハズレで、あまり来ることのないモンパルナス界隈、せっかく来たのだから、モンパルナス駅に寄って、カヌレを買って帰ろう・・とモンパルナス駅に向かったのでした。

 滅多に来ることがないモンパルナス駅ですが、去年、久しぶりにTGVに乗るために駅を利用し、びっくりするほど綺麗になっているのにビックリしたのですが、旅行の通過点にすぎず、あまり駅の中をゆっくり歩くことはありませんでした。

 今回、じゃあカヌレを買いに・・と思ったのは、ボルドーの有名な La Toque Cuivrée というカヌレ屋さんのお店がパリでは1軒だけ、モンパルナス駅にあることを知っていたからです。




 ここのお店のカヌレはふんわりとラムの香りのするもっちりとしたカヌレで、何よりも、そのクォリティに対して圧倒的に値段が安いので(というより、一般的に他のお店のものが高すぎる)(例えばPAULなどの半額以下)、ボルドーには、この店舗はけっこうありますが、どこも行列のできる人気店。パリには、モンパルナス駅にしかないのです。

 店舗というよりは、駅の片隅にあるスタンドのようなスペースですが、しっかり発見、久しぶりのカヌレを買ってきました。




 そして、駅の構内のテイクアウトできるさまざまな食品のスタンドの種類の多いこと!昔は、駅にあるスタンドといえば、サンドイッチかクロワッサンくらいなものでしたが、今は、よりどりみどりで、ベーグルやマフィン、ドーナッツ、スープ、おにぎりやお寿司、ポケボウルなどなど、さしずめ日本でいうなら、駅弁フェアみたいです。



 食い意地の張っている私にとっては、新しいショッピングセンターよりもモンパルナス駅の方がよっぽど楽しく、一先ずお目当てのカヌレを抱えて、ニコニコでメトロで帰ろうと地下に降りていく途中に発見したのは、「M&S(マークスアンドスペンサー)Food」の看板が・・。



 ブレグジットとともに、あっという間にパリの街から姿を消していったイギリスのスーパーマーケットM&Sです。そういえば、空港や駅の一部の店舗だけは残すという話は聞いていたのですが、思わず、「あなた・・ここにいたのね・・」と別れた恋人にばったり出会った気分でした。

 M&Sには、クッキーや紅茶、サンドイッチ、スナック類、パンなど、大好きなものがたくさんで、思わず、カヌレを買ったことも忘れて、大量の食品を買い込んだのでした。イギリスに留学していたこともあり、より思い入れの深いこともありますが、フランスのものとは違うどこか懐かしい感じもするシンプルなクッキーやクラッカー、薄切り、ふわふわの食パンなどが結構、好きなのです。




 これまで、あまりモンパルナスに来ることはありませんでしたが、これからは、このカヌレとM&Sのために定期的に来ることになるだろうと思っています。


モンパルナス駅 M&S コマーシャルセンター Les Ateliers Gaîté 


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2022年11月12日土曜日

1686年創業のパリ最古のカフェレストラン ル・プロコープ Le Procope

  


 パリの街の美しいところは、近代化されていく中でも歴史が脈々と残されているところにあると思っています。とはいえ、場所によっては、「ここは、本当にパリ?」と思うほど劣化して、スラム化しているような場所もあるのですが、そういう場所は危険も伴うので、たまに出くわすことがあってもあまり近寄ることはありません。

 パリに来たばかりの頃は、「きっとパリってず〜っと変わらないんだろうな・・」と思っていたのですが、ここ10年ほど、特にパンデミックを境に大きく変わってきた気がします。

 パリの中でも、私が最も好きなの場所のひとつは、サンジェルマン・デ・プレ界隈で、おそらく日本の人がイメージしているであろうパリが楽しめる場所です。

 

サンジェルマン大通り沿いのパッサージュの入り口付近


 そんなサンジェルマン・デ・プレを散歩していて偶然見つけたのが、パリで最古といわれるル・プロコープ Le Procopeというカフェレストランです。実は、有名なレストランだったのですが、私は全くそんなことは知らずに、サンジェルマン大通り(Boulvard St.Germain)に面した小さなパッサージュ(石畳の小さなお店が迷路のように並んでいる一画)を歩いていて、こんなところにこんな空間!とちょっとワクワクして、その古路を歩いていると、一見すると小ぶりなカフェ?と思われるお店を見つけ、覗き込むとレストランでもあり、メニューを見ても、そんなに横暴な値段でもなく、ただ、看板には1686年創業とちょっと信じ難い年号が出ていたために興味を惹かれたのでした。

 

パッサージュの中のカフェ裏口のテラス席

 

 しかし、実のところは、そのパッサージュから入る入り口はいわば裏口のようなもので、正面口は、アンシャン・コメディ通り(Rue de l'Ancienne Comédie)にあり、見事な店構えです。

 店内は美術館というか博物館のような感じの重厚なインテリアでシャンデリアや絵画、歴史的な書物などが要所要所に飾られており、だいたい建物自体が歴史を感じさせる一見の価値があるもので、地上階(日本でいう1階)、階段を登ると中間の階にも部屋があり、その上に1階と大変、立体的で面白い作りで、「うわっ!ここにもお部屋が・・うわっ!こんなものが・・」といちいち感動します。






 テーブルには古典的ではありますが、白いテーブルクロスが敷かれ、ウェイターの人も背筋が伸びている感じで礼儀正しく、感じよく、細かいサービスも行き届いています。




 メニューは、アントレ(前菜)10〜20ユーロ前後、肉料理、魚料理(20〜30ユーロ前後)、デザート(10ユーロ前後)と、パリでは一般的な感じのお値段ですが、お昼のメニューだと、その日のいくつかのメニューの中から、前菜とメインまたは、メインとデザートで23.50ユーロ(平日のみ)というチョイスもできます。

 お店のインテリアや雰囲気、サービスに負けることなく、お料理もしっかり美味しく、一つ一つ手抜きのないお料理であることが一口、口にするとわかります。

 


 オーダーするとまず、つきだし?のように出してくれるオリーブがちょっと感動するほど美味しく、前回、行った時に食べたお昼のメニューのアントレに頼んだ白トリュフのラビオリは、「これは、やっぱり自分ではできない、なかなかなクォリティー!」と感動し、メインに選んだ鱒のムニエルは散りばめられているアーモンドのソテーの香ばしさが上手くマッチしていて、外はカリッと中はふっくらとしていて絶品でした。

 

白トリュフのラビオリ

 また、添えられていたピューレもわざとつぶが残されているバターの香りの効いた思わずにっこりしてしまう味、何も足さずに出てきたそのままで満足できるお味でした。


鱒のムニエルとじゃがいものピューレ


 デザートは、もうお腹いっぱいで、食べられませんでしたが、近くの席に座っていた人が食べていたこのお店の人気のタルト・オ・カフェがとても美味しそうでした。

 また、このお店には、伝統的に受け継がれたメニューというものが、いくつか存在していて、その中でも人気のコック・オー・ヴァン(雄鶏の赤ワイン煮込み)を、後日、食べてみましたが、まず、実に鶏肉自体が大変美味しく、味のしっかりした鶏肉で、これが鶏肉料理?と思うほどの煮込み料理で、赤ワインと鶏のブイヨンでよくぞこれほどのコクのある味が・・と思わせられるのに、鶏肉自体は柔らかく煮込まれているにもかかわらず、煮崩れることなく存在し、一緒に煮込まれている小さなじゃがいもや小玉ねぎ、人参、マッシュルームなどが、ソースと混ざって、かなり食べ応えがあります。


 
コック・オー・ヴァン(雄鶏の赤ワイン煮込み)


 このコック・オー・ヴァンは、お鍋のままサーブされ、温かいお皿が別にやってきます。ふたりで分けて食べてもいいくらいたっぷり入っています。

 デザートは食べられなかったので、最後にカフェだけ頼んだら、なんとカフェにはマドレーヌで蓋がしてあるというユニークな心遣いで、なんだか妙にお得な気分。よくカフェには小さなチョコレートがついてきたりしますが、マドレーヌとは・・、これにもちょっと感激でした。



 一見すると煌びやかな感じもしますが、お客さんはそんなにかしこまることもなく、普段着で気楽にやってきていて、たまに観光客らしきアジア人のカップルがやけにドレスアップしてやたらと写真を撮りまくっていたりするのもまた、そんなに違和感もありません。




 ちょうど近くにいた私と同年代の女性が母親らしき人を連れて食事していたのが、微笑ましく、かなり高齢と思われる母親はオニオングラタンスープだけしか食べていませんでしたが、それはそれでOKな、見かけの重厚さとは裏腹な、温かいお店の雰囲気です。

 私もそんな彼女を見ていて、母が生きていたら、連れてきてあげたかった・・いやいや、フランス料理好きだった祖父を連れてきてあげたらどんなに喜んだだろうか?などと、一瞬、思っていたのですが、そもそも歴史あるお店ゆえ、パリに留学していたことのある祖父です。

 数々の歴史的著名人も訪れていたというこのお店、なにしろ、1686年からやっているのですから、彼の留学中にも存在していたわけで、もしかしたら、祖父もここに来たことがあったかもしれない・・などと想像が膨らんだのでした。


このお店に来店していた著名人の名前が刻まれている


 レストランを選ぶ時には、その味はもちろんのこと、そのお店の雰囲気、サービスなど色々な要素が加わりますが、このお店はそのどれをとっても超おススメです。

 また、私が初めてパリに旅行に行く際に一番、躊躇したのが言葉の問題ですが、ここは英語もOK(というより、今はパリ市内のたいていのレストランは英語を話してくれます)で、英語のメニューもあるようですのでご心配いりません。


Le Peocope ル・プロコープ

13 Rue de l'Ancienne Comédie 75006 Paris      毎日12:00~0:00まで


パリ最古のカフェレストラン ルプロコープ


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2022年11月11日金曜日

パリ大規模ストライキと無人運転のメトロ

 


 ストライキ大国のフランスでストライキは珍しいことではありませんが、先月のトータル・エナジー(石油・ガス供給会社)のストライキは、大混乱を巻き起こしましたが、これは、今まであまりなかったことで、びっくりしました。

 しかし、メトロやバスなどの公共交通機関のストライキに関しては、わりと定期的?というか、珍しくないことで、ストライキの予告があっても、今さら驚くこともなく、「またか・・」と思う人の方が多いと思います。

 とはいえ、迷惑千万なことには違いなく、私も今の家に引っ越してくる前(パリ近郊だった)には、郊外線を使っていたために、ストライキとなると、電車の本数が通常の3分の1とか、半分になってしまうために、時間にも余裕を持って出かけなければならないうえに、本数が減らされる電車にいつもと大して変わらない人数が詰め込まれるので、大混雑になり、そのうえ、日本の交通機関のように皆がすし詰め状態で電車に乗ることに慣れていないために、上手く詰めて乗るということができずに、時には乗客同士で争い始めたりして、大変に体力を消耗するものでした。

 現在は、パンデミックのおかげでリモートワークも以前よりはずっと増え、もうストライキの予定が発表された時点で、早々にリモートワークに切り替えたりする人も増え、ストライキとはいえ、以前よりはおそらくマシな状態になったとも思うのですが、やはり、誰もがリモートワークが可能というわけではなく、それなりに動いている電車は混雑し、全く動いていない路線などを利用している人などは、車を利用するために、けっこうな渋滞が起こったりしていますが、これもやはりパンデミック以来、広まった自転車やキックボードなどを利用している人も増え。以前よりはマシになったのではないかとも思います。

 私が利用する路線は幸いなことに無人運転の路線のために、ストライキで路線がストップすることがないので、いつもは他の路線を利用している人が仕方なく流れてくる分の混雑を除けば、ストライキの影響がないことは、大変、助かっています。

 このストライキがあるために、日本であれば、通勤時間1時間程度ならば、普通に通勤圏内だと思うのですが、フランスの場合は、トラブル前提で(ストライキの他にも、日常の交通機関のトラブルも少なくない)、通勤時間が正味1時間(正常運転の場合)といっても、ちょっと二の足を踏むことになります。

 比較的、日仏家庭、フランス人のパートナーと家族を持っている人は、少し郊外に家を買ったりする人も少なくはないような気がしますが、パリに通勤するとなると、私は腰が引けてしまいます。

 とはいえ、今は、パリには、無人運転の路線が1番線と14番線の2本になり、これがもっと、多くなってくれれば、ストライキの被害も減るのに・・と思っています。

 今日、たまたまVinted(フランスのメルカリのようなもの)に出展していた商品が売れたので、荷物を出しに行ったところ、最近では近所にその配送のためのロッカーができて、バーコードを機械で読み取ると、指定されたロッカーの扉が自然に開いて、その中に荷物を入れてくるだけで、配送が済むようになって、画面には、得意下に今回の所要時間は13.45秒でした・・とか表示され、ロッカーを閉めた時点で、荷物を預かりましたというメッセージが携帯に入ります。

 今まで人間がしていた作業を機械が自動的にこなしてくれるのは、ミスも少なく、時短で助かります。

 そのうえ機械やロボットはストライキをしないので、メトロも全線、無人運転になってくれればいいのに・・と思うのでした。

 とはいえ、今回のストライキは、パリ市内の5つの路線は完全に閉鎖され、「要求が受け入れられなければ、来週の無制限のストライキの準備と覚悟はできている!」と息巻いています。

 パリのメトロは、路線によって、かなり差が激しく、全てが自動になったうえ、車内もピカピカで、細かい路線案内の自動掲示板などもあったりして、びっくりすることもあるのですが、一方では、未だに汚い車両で、ドアも「ガッチャン!」と手動で開ける車両などを使っている路線(個人的にはこの手動ドアは好きなのですが・・)もあったりして、自動運転には、ほど遠い感じがする路線もあります。

 フランスのストライキはまだまだ続きます。

 

RATPストライキ 


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2022年11月10日木曜日

骨折で入院した患者が餓死させられた 遺族が病院を告訴

   


 ディジョン大学病院で骨折で入院した母親が絶食状態で放置されたために死亡したと、遺族が病院を告訴するという事件が起こっています。

 この事件は、8月23日、77歳の母親が骨折し、治療、手術のために入院し、翌日、夜の野菜スープの食事を与えられた後は、手術のために絶食が必要とされていたため、数日間にわたり、手術が延期されたために、その間、食事が与えられず、4日後には、脱水症状を起こして集中治療室に入り、その3日後には死亡してしまったという悲劇です。

 この遺族の訴えに対して病院側は、「手術が延期になることが決定した時点で、毎回、彼女には食事を与えていたし、彼女のファイルには、その旨が記載されている」と発表しています。

 しかし、遺族側は、「昼時に数回、面会に行ったが、彼女が食事をした気配はなかったといい、集中治療室に移動する事態に陥った際に医師からは、「完全な脱水状態にある」と説明があり、きちんと食事をしていたら、そんな事態はあり得ない」と病院側の説明には、全く納得していません。

 そのうえ、病院側が医療機密の尊重と調査の適切な実施を理由に、患者の死の正確な状況を公にすることを拒否しているため、ますます騒動が大きくなり、ついには、ディジョン検察庁は、この告訴を受けて自発的過失致死罪で予備調査を開始したことを確認し、大学病院は検察庁から解剖を命じられました。

 現実的には、骨折や3日間の断食で死亡するとは考え難いため、問題とされるのは、彼女が集中治療室に入る前の4日間に、少なくとも水分補給をしていたかどうかということにあります。

 遺族にとっては、母親と同居していた障害を持つ妹の安全の方が気にかかっていたと語っており、むしろ、母親は病院に入院しているのだから安心していたといい、それはそのとおりで、骨折で入院した人間がまさか死ぬとは思っていなかっただけに、その衝撃も大きかったと思います。

 病院の人手不足はいつも叫ばれていることで、緊急性の低い手術が延期されてしまうことは、十分にあり得ることだとは、思いますが、度々、延期になる手術のための食事管理等は、二次災害のようなもので、考えてみれば、そのようなミスもあり得ないこともないかもしれません。

 しかし、少なくとも患者は、集中治療室に入る前までは、話ができない状態であったわけでもなく、絶食状態、あるいは水分をとれない状態に何かしらのアクションはとれたのではないかとも思えるところが疑問ではあります。

 どちらにしても、医者が遺族に対して十分な説明を行っていないことも告訴の原因の一つとなっているこの騒動。少なくとも母親が死亡した場合に、その原因は何であったのか?知りたいのは、当然のことだと思います。

 しかし、病院の記録というものは、どの程度、正確なものであるかは、私も疑問に思う経験がないでもありません。

 それは、夫が亡くなった病院から、その1年後くらいに、「その後、体調はいかがでしょうか?」という手紙がご丁寧に届いたことがあり、「どうなってるの?この病院?」と少なからず不快な思いをしたことがありますが、もうその時点では、全て終わっている状態だったので、そのまま手紙は捨ててしまいました。

 つまり、そのような手紙が届くということは、その病院(パリ市内の公立病院)での夫に関するファイルは不完全であったということなのです。

 病院については、嫌な話ばかり聞くような気がしますが、滞りなく治療が済んだケースは、取り上げられることはないので、印象は悪くなる一方なのかもしれません。

 それにしても、遺族側の訴えが事実だとしたら、骨折をしたばかりに空腹と喉の渇きに苦しんで死んでしまった・・しかも病院で・・というのは、やはりあり得ない話です。


ディジョン大学病院 骨折で入院、餓死

 

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2022年11月9日水曜日

インターネット不通の一日の恐怖 想像以上のネット依存

  


 一昨日、午前中の一仕事を終えて、一息ついたところで、つけっぱなしにしていたYouTubeの画面が急に止まって、ぐるぐるし始めて、「えっ??」と思ったものの、そのうち、また繋がるだろうと思って、そのまま放置しておきました。

 ところが、一向に回復する兆しはなくて、「えっ??」が、「え〜〜〜??」という感じになってきて、「まさか??」と思って、コンセントを一旦、外して、繋ぎ直すという原始的な手段を試みましたが、回復はせず・・(これで回復する場合もある)。

  これが、家のボックスが故障したのか、それとも我が家が利用しているネットサプライチェーン側のシステムダウンなのか?もわからず、とりあえず、携帯でSFR(ネット会社)と検索すると、同様のトラブルに遭っている人がいる模様で、おそらく、これはうちの問題ではなく、供給側の問題なのだろうと判断し、イライラしながら家で待っていても仕方ないので、パリの街中にお買い物に行くことにしました。

 ネット環境というものは、現在の私の生活には欠かせないものであるにもかかわらず、どうにも苦手意識が消えないというか、実際に苦手だし、わけがわからないというか、わかっていないというのが正直なところで、これまでは、ほぼ全て娘に頼っていました。 

 実際に現在の家のインターネット契約は、彼女が全てやってくれて、彼女名義になっているのです。しかし、現在、彼女は日本に住んでいて、彼女に頼るわけにもいかなくなったのです。

 以前に、携帯のネットが繋がらなくなって、「実は契約切れになっていた・・」ということもあったので、もしかして、「今回もネット回線の契約切れ?」とも思い、娘に「家のネットが繋がらなくなったけど、もしかして、契約切れ?」というメッセージを送ると、しばらくして、彼女は問い合わせをしてくれたようで、SFRからの「今、復行作業中、できるだけ早く復行させます」という返事を送ってくれて、「そのうち治るみたい」と言われて、一安心。

 買い物が終わって、家に戻る頃には、治っているだろうと思って、パリの紅葉を楽しみながら呑気に買い物をして、家に戻ると、まだ、なおっておらず、結局、その日は一晩、ネットなしの夜を過ごすことになりました。

 まあ、携帯は繋がるので、全く閉ざされた状況ではないとはいえ、普段はパソコンとiPadと共に家の中を移動しているほど、家のネット環境に依存している私の生活、まるで、ネットがないのは、停電したのと同じような気分でした。

 今や私にとって、家でパソコンが使えないのは恐怖に近く、現在、使っているパソコンが壊れた時のために、予備のパソコンを準備しているほどなのですが、しかし、それもネットが繋がらなければどうにもなりません。

 なにか、故障があったり、わからないことがあれば、何でもすぐにネットで検索して解決法を見つけるので、ネットが通じなければ心許ないといったらありません。

 いつのまにか、こんなにネットに頼る生活になっていることを今さらのように思い知らされて、家の中が暗くなったような気さえしてしまうのです。

 今では普段、あまり見ることがなくなったDVDを見たりして、その日、本来はやるはずのことは諦めて、早々に寝ることにしたのですが、なんだか眠れず、結局、飲んだくれることになりました。

 翌朝、起きると、幸いなことにネットは復行していましたが、これが何日も続いたら、どうなることだろうか?とゾッとしました。

 しかし、もともとは、ネットなどない世界に生まれ育ってきたにもかかわらず、今では当然のようにあるネット環境に浸りきって生活していることを、あらためて実感し、ちょっと一日ネットが繋がらないくらいでパニッてしまうのも、「それならそれで、落ち着いて、今日は本でも読もう・・」とはならなかったことに、以前は、あんなに好きだった本を最近、ちっとも読まなくなったな・・と思いながら、これからは、心してネットから少し離れる時間を心して作った方がいいかな?などとも思ったのです。


インターネット不通 ネット依存


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