2023年12月6日水曜日

羽田空港 国際線ターミナルがあまりに混んでいて焦った!

  


 いよいよ、フランスに戻る当日、羽田からシャルルドゴール空港への直行便は、以前よりも出発が早くなっていて、朝8時半頃に離陸のスケジュールでした。

 ということは、ふつう、国際線の場合は2時間前くらいまでに空港に行くのですが、そうなると朝6時半までには、羽田に行っていなければならないということで、かなり早朝に家をでなければならないとなって、娘が車で送ってくれることになりました。

 朝は道もすいているということで30分もあれば充分だろうということで、家を出たのが6時頃、予想どおり道はすいていて、スイスイと羽田空港に到着しました。

 ところが、スイスイ来たのは、空港までで、羽田空港は、こんな時間だというのに大混雑。前日にネットでチェックインが済んでいるとはいえ、結局のところ、荷物を預けなければなりません。

 後になって、冷静に考えれば、いくつもある行列には、チェックインをするための行列と、荷物を預ける行列と保安検査場を通るための行列があったのですが、あまりの行列にどれがどの行列なのかがわかりにくく、「最後尾はこちら!」という看板を持っている人が立っているものの、それが何の行列の最後尾なのかがわからず、最初に違う行列にならんでしまったりしたために、時間はギリギリになってしまいました。

 チェックインも荷物を預けるのも、保安検査場へ通るのも、すべて自動化されて、簡素化されているはずなのに、こんなに何重にも行列ができてしまうということは、どこかが上手くいっていないと思われます。

 これまでは、2時間前に行けば、余裕でOKだったはずなのに、現在だと、もう少し時間をみなければならないかもしれません。

 なんだか、気のせいかもしれませんが、これまで日本はどこへ行っても至れり尽くせりなサービスで痒いところに手が届く感じだったのに、あれ?と思う場面が、今回の滞在では時々、見え隠れしたような気がしています。

 それが、よりにもよって、荷物の重量問題でドキドキしている最後の最後だっただけに、大いに焦ってしまいました。

 「いつも、こんなに混んでいるんですか?」と聞いてみたところ、「最近は、いつもこんな感じです」ということだったので、パンデミックで一時は空港もシンとしていたことを考えれば、見事に復活したとよいことだと考えることもできますが、それならそれで、なんとかしてほしいな・・と思います。 

 そんなわけで、いつもは、最後にコンビニに寄って、最後の最後に買い物をしていくところ、それができずに、大変、残念でした。

 しかし、ギリギリのタイミングで荷物を預けたおかげで、パリに着いたときには、荷物がいつもより早く出てきて、早々に荷物をピックアップして空港を出ることができました。

 シャルルドゴール空港からは、タクシーで家に帰ったのですが、運転手さんによれば、パリは、今、わりと観光客が少ないそうで、今日もお客さんを拾うまで2時間くらい待っていたとかで、商売あがったりとのことでした。

 しかし、まあ、パリの場合は、バカンスとバカンスの合間の一時的なこととも考えられますが、しかし、これはこれで、今までこんなことあったかな? 飛行機はまあまあ混んでたので、タクシーを避けて、他の交通機関に流れているのかな?などとも考えられますが、私の場合、日本から帰った際は、とても、他の交通機関に頼れる荷物ではないため、他の選択肢はありません。

 とはいえ、あっという間の3週間も過ぎて、無事、フランスに帰国いたしました。すごく忙しかったけど、とっても楽しい日本滞在でした!


羽田空港国際線ターミナル激込み


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2023年12月5日火曜日

今回の日本への一時帰国 思わぬ娘への二次被害

  


 今回の日本への一時帰国は、本当に良く食べ、良く遊びました。

 私としては、もともと、「日本へ行ったら、好きなもの、食べたいものは思う存分、心おきなく食べる!フランスに戻ったら、しっかり元に戻すから、それでいい・・」と思っていたので、ある程度の体重増加は覚悟していました。

 実際には日本に来る時点で体重を測っていなかったので、どれだけ体重が増えたのかはわかりませんが、確実に太ったと思います。

 なにしろ、「食べるぞ!」という気持ちが高まり、ちょっとした興奮状態でもあったので、食べても食べても、またすぐにおなかがすいてしまうという満腹中枢がイカれた状態であったので、自分でも、ちょっと滑稽なほど、四六時中食べていて、いっ時、おなかがいっぱいになっても、また、次の食事に備えて、おなかをすかせるために、できるだけ動くようにしていて、また、おどろくほど、すぐにおなかがすいて、食べるということを繰り返していました。

 周囲にいる娘も友人も従姉妹も、そんな私の様子を「ちょっと、おかしいんじゃない? おかしいよ! 大丈夫?」と、そんな私を笑いながら、呆れた様子で面白がっていました。

 いよいよ、荷物のパッキングを始めて、前日の夜にとりあえず、全部の荷物を入れて計量してみた結果、どうにかギリギリセーフラインに達しました。

 家での計量は難しく、まず自分の体重を測ってから、次にスーツケースを持って体重計に乗り、差し引いて計算するのですが、自分で一度、計量しただけでは心許なく、娘に、「あなたも測ってみて!」と頼むと、「ちょっと、太ったと思うから体重を測りたくない・・」と。

 それでも、私にとっては、スーツケースの計量は重大問題。空港に行ってから、中身を捨てるわけにもいかないので、「どうしても!お願い!」と懇願して、娘を説き伏せました。

 娘はしぶしぶ、まず自分の体重を測ったところで、「ちょっと信じられない・・」と、もうスーツケースどころではなく、「こんなに増えてる!過去最高体重になってる!」と茫然自失。

 私は軽く、「まあ、あれだけ私に付き合って食べていれば、仕方ないよ・・私も覚悟してたし・・」と言うと、「私は全然、覚悟していなかった・・」と。

 それからの娘の落ち込み具合は、ちょっと笑ってしまうほどで、もうしばらく何も手に付かない様子。それでもスーツケースを持って測ってもらうと、どうやら、結果は同じ、スーツケースの方は、ギリギリセーフと私と同じ結果でした。

 今回の私の日本滞在中は必ずしも、四六時中、娘と一緒にいたわけではありませんが、私が食べたいものを後から後から買ってきて、まあ、一人で食べきれなくても娘がいるから・・と思って遠慮しなかったのですが、買ってきたものが、「あれ?もうなくなっちゃったの?」ということはたびたびありました。

 どうやら、娘は私の壊れた満腹中枢の余波を受け、娘は見事に増量していたのでした。

 それでも、彼女は、前向き。しばらくすると、「今、わかってよかった!ちょっと太ったな・・くらいに思っていたけど、かなりヤバいことに今、気がついたから、これでママが帰ったら、せいぜい運動に励んで、ダイエットして、早いうちに取り戻せる!」と。

 やっぱり、私は、そろそろフランスに帰った方が娘のためにもよさそうです。


ダイエット 体重増加 一時帰国


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2023年12月4日月曜日

真剣勝負の荷物の調整

  


 フランスに帰国する日が近づいてきました。

 今回の一時帰国は、かなり、いつもとは違って、ガンガンに自分の好きなことに時間を費やしたために、いつも以上に満足感があり、違う日本をたくさんみることができた本当に楽しい時間でした。

 しかし、日本への一時帰国において、私の中でのもう一つの重大ミッションは、たくさんの日本の食糧をフランスに持って帰ることでもあり、これから帰仏までに荷物の調整をしなければならない大変な局面でもあります。

 日本に到着して以来、ここまでの間には、少しずつ自分の「買いたいものリスト」に基づいて、少しずつ、リストに載っているものを買い揃えてきたと同時に、旅行などに行く先々で欲しいものを買い足してきて、あとは、荷物をスーツケースに詰めながら、重さとの兼ね合いでギリギリまで調整します。真剣です。

 正直、スーパーマーケットなどに行っても、欲しいものだらけで、どれから手をつけたらいいのか、毎回、困惑するほどです。

 今回の帰国のフライトは、23キロのスーツケースを2個と手荷物分少々で、約50キロほどが許容範囲になっています。

 重たいものからどんどん詰めていって、カサと重さの調整で、自分がこれまでに買い集めたものが一体、どのくらいの重量になっているのか、これだけ、何回もフランスと日本を行き来しているのに、いつも、全く見当がつきません。

 さきほど、ヘロヘロになりながら、一つ目のスーツケースに荷物を詰め始めてみたら、思ったよりも全然、重量に余裕があり、まだまだ、持って行けそうで、明日は少し買い足そうと思っていますが、いつも、最後に詰める冷蔵庫や冷凍庫の中に入っているものがくせ者で、たいていは、出発の日に全部を詰めてみると、結局は重量オーバーとなり、泣く泣くおいていかなければならないものが出てしまうので、今回は買い足しは少し控えめにと思っています。

 おそらくパリは、海外の中でもわりと日本の食材が手に入る場所だとは思うものの、実際に日本にあるものには、それを遥かに上回る種類のものがあるうえに、現在は、かつてないほどの円安で、ユーロに換算すると、驚くほど安いことになるので、ついつい、いつもよりもいじましいことを考えてしまいます。

 今回持って帰る食材をまた、次の帰国までの間に本当にもったいぶって使っていくのですが、これからしばらくの私の大切な食糧となるために、この最後の踏ん張りは、あなどれないのです。

 海外在住経験者なら、おそらく多くの人が同じように、一時帰国の際は苦労して、あれやこれやと持って帰る経験をされていることと思いますが、本当に滞在中のさまざまなアクティビティの中で、ある意味では、ひとつのハイライトでもあります。

 娘もパリにいた頃には、2人で100キロほどの荷物を持って行けていたので、羽田でチェックインの際には、「お引越しですか?たいへんですよね・・」などと言われて苦笑してしまうことも度々でした。

 今は日本で生活している娘が、私が「これ持って帰る!これも・・あれも・・」と欲張って買い物しているのをほくそ笑んで見守っていて、私が「やっぱり、これは無理だったから、置いていく・・」と言い出すのを待っています。

 そんなことにならないように、もう日本滞在中に充分すぎるほど、毎日毎日、これでもかというほど食べ続けてきたので、最後の最後に欲張らないように自分を戒めようとおもっています。


帰国の荷物 23キロ×2


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2023年12月3日日曜日

終末期のデザイン

  


 昨日まで一緒に旅行していた友人と東京への帰り道、「私は明日からまた旅行だ・・」と話したら、彼女は、「私は明日は、施設にいる母親の面会に行くの・・」と、ちょっと暗い顔をしたので、「お母様と少しでも良い時間が過ごせるといいね・・」と話したら、どうやら、すでに、そんな状況は通り越してしまっているようで、もうすでに、いつなにがあってもおかしくないような状態なのだとか・・。

 もう最近、身近な人や友人などに会っても、たいていは、親のどちらかの介護の話や、少々、記憶が定かではなくなってきているような話や、叔父さんが急に余命宣告を受けたとか、急に亡くなったとか、そんな話ばかりです。

 私の両親は、二人とも、すでに他界してしまっているので、もうそういう状況からは悪く言えば、解放されているのですが、私たちの世代は、こちらも子供が大きくなって子供に手がかからなくなってきたとはいえ、自分自身もそろそろガタがきはじめているところに、子育て終わって、次は介護・・で、介護もまた、別の意味で厳しくなってしまうようで、いつにしても親の介護問題は、大変なことです。

 しかし、彼女の話を聞くと、彼女の両親は、ある程度、心身ともにしっかりしているうちに、自分たち自らで介護施設を探して、子供たちが親を介護施設に入れるということに罪悪感を感じたりすることもあろうと、年金等の計算もしつつ、経済的な算段もつけて、あらかじめ申し込みをしていたということで、その後、施設に入って、先にお父様が亡くなって、現在は、お母様が一人で施設に入っておられると段階、これまで経済的にも子供たちの負担はまったくなかったとのことで、こんなケースもあるのか?と話を聞いて、びっくりしました。

 それでも、すでにお母様はかなり弱っていらっしゃるようで、すでに個室に移られていて、個室に移るということは、やはりかなり重篤な状態を意味することのようで、彼女が今回、面会に行ったのは、この先、どう最期を迎えるかということの相談のようで、彼女たち兄弟が直に介護するというわけではなくとも、精神的にもかなり厳しいことには変わりなく、気の重いことに違いありません。

 しかし、体調的には、年齢相応の衰えがあるものの、それ以外は特にここが問題というところがないままに衰弱していらっしゃるというのも、それはそれで厳しいことで、うまく死ねるということも大変なこと、最近、そんな話ばかりを聞いていると、ちゃんと死ねなかったらどうしよう?などと、考えてしまいます。

 いずれにしても、生まれて来るのも、死にゆくのも自分では選べないものの、少なくとも自分の終末期のある程度のデザインは、事前にできないことでもないかもしれないと、彼女の話を聞いて、考えさせられたのでした。


終末期


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2023年12月2日土曜日

親戚付き合いは、必ずしもみんながしているわけではないらしい・・

  


 私の日本滞在も、残念ながら残りわずかになってきました。

 いつも忙しい日本一時帰国ではありますが、今回もまたスケジュールはギチギチで、結局、1日も予定のないゆっくりとした日はありませんでした。とはいえ、今回は、自分の好きに旅行の予定を複数入れ、今日、鹿児島から帰ってきたばかりで、また明日には、1泊ですが、別の旅行の予定を入れてしまいました。

 まさに、フランスに帰る直前まで、1日も空いていないのですが、今回、鹿児島空港を出発する直前に、従姉妹の一人から、「今日、東京の家に何時に帰ってきますか?」というメッセージが入り、夕方、到着後、羽田から家に戻る予定を伝えると、「もう会える日が他になさそうだから、仕事帰りに家に会いに行ってもいいですか?」というメッセージ。

 彼女の仕事場は、比較的、私の実家から、距離的には、車ならば、10分程度と、そんなに遠くない場所にあるものの、電車の駅からは、そんなに近くもないし、かといって、バスなら、乗り継ぎが必要で、一体、どうやって来るつもりなのかな?と思いつつ、「せっかくなら、会えれば嬉しいけれど、無理しないで・・」と連絡すると、「じゃあ、行ってみようかな?」というので、急遽、その日の夜に彼女と会うことになりました。

 旅行に行っていて、帰ってきて、また次の日は別の旅行に出かけるというのも、私にしては、ちょっと、なかなかな強行軍だったわけで、一緒に旅行中の友人にも、「なかなかスゴいね・・」と呆れられたのですが、途中にもう一人の従姉妹の訪問予定が入ってきたことで、「あなたの親戚の付き合いの濃さは、相当だね・・うちなんて、ほとんど親戚付き合いはないよ・・」と言われ、「なるほど・・」と思いました。

 翌日から一緒に旅行に行く予定にしているのは、隣に住んでいる父方の従姉妹、そして、今夜、家に来てくれたのは、母方の従姉妹。我が家は父方の親戚も母方の親戚も双方ともに東京、しかも同じ区内、もしくは、車で行き来できる範囲内に皆が住んでいて、小さい頃から何かにつけて、親戚で集まる機会が多く、その結束は未だ強いのです。

 しかし、周囲の友人の話を聞くと、もう、あまり親戚付き合いはしていないという人も少なくなく、どちらかといえば、我が家のようなケースの方が少ないかもしれないと、最近は思っています。

 毎回、帰国するたびに、そのうちの誰に会えるかは、双方の都合が必ずしも合うわけではなく、必ずしもみんなに会えるわけではないので、渡せなかったお土産は、後で、娘に託して、機会があれば、渡してもらおうと思っていたのですが、今夜の彼女が来てくれたのは、渡りに船といったところで、現在は、母方の親戚のまとめ役のようになっている彼女に託せば、メッセージとともに、確実に早くに皆に行き渡ること間違いなしで、以前は、その役割を担っていた叔父や叔母たちも、そろそろその任務は交代の時期にさしかかっているようです。

 結局、けっこう話し込んで、「夕飯どうするの?」と彼女が言い出したので、私は今回の旅行でも、食べ続けていたので、「ここらで一食、休んでおこうかな?」と思っていたにもかかわらず、結局、彼女と一緒に近所に食事に行くことになりました。

 彼女と食事中に、娘から、「夕飯の買い物していこうか?」とメッセージが入ったので、今、彼女と〇〇で食事してるから、よかったら、来れば?と返事をすると、それからまもなく、娘も合流し、結局、3人でおしゃべりしながら、楽しく食事をしました。

 本当にスケジュールがギューギューで忙しくもあるのですが、楽しいことばかりなので、それほど苦にもなりません。

 それにしても、長年にわたり、親の世代から繋ぎ続けてきてくれた、この親戚付き合いは、兄弟とも、また別のものでありながら、特別な間柄、親の世代から受け継いでいる大切な遺産のひとつで、このような関係を保ち続けられているのも、決して当然のことではなくて、とってもありがたいことだな・・と最近、つくづく思うのです。

 明日は父方の従姉妹と娘との旅行です。


親戚付き合い


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2023年12月1日金曜日

鹿児島の魅力と30年来の友人の生き方

  


 鹿児島県の霧島温泉に来て、2日目。私がロンドンにいた頃からの30年来の友人が霧島を案内してくれました。私たちには、土地勘が全く無いなか、彼のおかげで効率よく色々な場所を訪れることができました。

 私は東京生まれ、東京育ちで、両親も東京の人間であったために、自分の故郷というものは、やはり、東京ではあるのですが、こうして彼のような郷土愛といったものは、それほど強く感じることはなく育ってきたので、彼のような溢れる郷土愛を持つ人が少々、羨ましい気もしました。

 霧島神宮をはじめ、車でかなり広範囲にわたって、あっちへ行きたい、こっちも行きたいという私たちに、彼は上手にスケジュールを組んで、色々なところを案内してくれたのですが、現在の彼は、地元の色々な機関の重鎮になっており、本当にびっくりするほどに、かなりの広範囲にわたって、どこへ行っても知り合いがおり、気さくに声をかけつつ、知人に会うたびに、「パリから来てくれた友人で・・」と紹介してくれて、少々、照れ臭い気もしました。

 この鹿児島県という、私にとって初めての土地の偉大さ、自然の美しさに触れて、「鹿児島って、こんなに良いところだったんだ!」とその魅力に惹きつけられたとともに、彼がロンドンから日本に戻ってからの地道な道のりと、まさに地に足がついた彼らしい生活ぶりにとても感心しました。

 彼は私がロンドンから日本に戻ったあとも、そのまま、ロンドンに残って生活を続けていて、一時は、このままずっとロンドンにい続けるんじゃないだろうか?と感じていた時もあったのですが、結局、彼は、父親の体調悪化のために、5年ほどのロンドン生活に終止符を打ち、故郷である鹿児島に戻って、日本での再スタートを切っていたのでした。

 彼は、決してイケメンという感じではなく、若い頃からどこか、おっさんぽい人で、よく言えば、彼のキャラはどこか人を安心させるような、温かい人柄で、ひょんなところから、人と人とのつながりが広がっていくような人で、現在は、大学で英語を教えたり、子供から老人に至るまでの小さいグループで英語を教えたり、また外国人に日本語を教えたり、霧島市観光協会の副会長をしていたり、霧島国際音楽祭の会長をしていたり、その他、お金になることばかりではなく、さまざまな集まりに参加して地域活動に貢献をしていて、その様子が一日、彼に霧島温泉界隈を案内してもらっている間に、彼が地域でどのような存在であるかが手に取るようにわかり、今まで、話には聞いていたものの、こうして実際にその土地での彼をみて、なんか、彼らしく、上手に歳を重ねてきたんだな・・ということを目の当たりにできて、これまでよりも、ちょっと頼もしいような、また、彼の持ち味を活かせている素敵な生き方をしているな・・ととても嬉しく思いました。



 彼の生き方は、あまり一般的なわかりやすいものではないかもしれませんが、個性的でオリジナルで、無理なく、彼らしい生き方を貫いているようで、なんだかとても良いな・・と思いました。

 何より、こんな私が突然、「行くよ!」と勝手にやってきたにもかかわらず、一日潰して、地元を案内してくれるような人の良さ、温かさ、そして彼なりの信念の強さ。

 びっちりと一緒に過ごしてきたわけではありませんが、住んでいる国も生活も全く違っているのにもかかわらず、なんとなく、つながりが途絶えずにいると思っていたら、いつのまにかこんなに年月が経っていたという感じ。

 それでも、長く付き合いが続いてきたのには、意識している部分だけでなく、たとえ、それが無意識の部分であっても、それなりに共感できる部分がどこかにあったのだということをあらためて、感じさせられるのでした。

 何より、私が言いたい放題言っても、「相変わらずだなぁ〜」とゆる〜く受け止めてくれる優しさが私にはとっても心地よく、基本的に私たちの関係性は、出会った頃のまま、ほとんど変わっていません。



 鹿児島というところに関する私の知識は、これまでほぼゼロに近いものでしたが、今回、この地を訪れてみて、「なんで、もっと世間の人にこの良さが伝わっていないだろうか?」と不思議に思ったほどです。

 現在は、深い緑の中の紅葉のグラデーションがちょっと目を見張るほど美しく、遠くに、そして、近くに見える山の稜線の向こうに見える海と桜島。いたるところから湧き出ている温泉、滝などの自然の美しさとパワーに圧倒されました。




 最近は、日本政府の体たらくにうんざりして、「もう、日本はダメなんじゃないの?」とウンザリもしていたのですが、こうして、これまで訪れたことのなかった場所に行くたびに、「日本もまだまだすてたものじゃない!」「こんなに素晴らしいところがたくさんあるんだ!」、「いやいや、日本には、こんな素晴らしい自然の美しさがあるではないか!」と日本の観光業界に期待したい気持ちになりました。


鹿児島県 霧島温泉郷


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2023年11月30日木曜日

日本の温泉は海外在住者の憧れの場所 やっぱり日本って素晴らしい!

  


 若い頃には、そんなに憧れることもなかったのに、特に海外に出てから、時々、映像や画像で見かける日本の温泉の景色には、ため息が出るほど憧れ、いつしか憧憬といえるような感覚を覚えるようになりました。

 いつか、「日本の温泉に行きたい!」、「いいなぁ〜〜日本の温泉!」、「一日、温泉に何回も浸かって、美味しいご馳走を食べてのんびりしたい!」と、いつもいつも思っていました。大袈裟ではありますが、それは長年の私の夢でもありました。

 しかし、これまでの一時帰国は、なんだかんだと色々、他の用事に追われることになり、結局、今まで、ほとんどそのような機会はありませんでした。

 今回は、一念発起して、いつもとは、逆バージョンに日本の一時帰国の予定を立て始め、一度は行ってみたい・・というか、是非、泊まってみたいと思う旅館の予約に合わせて、日本行きのチケットを取りました。

 というのも、その私が泊まってみたかった旅館は、想像以上の人気だったらしく、かなりお値段のはる旅館にもかかわらず、一緒につきあってくれるという友人に、「予約状況がどんなふうになっているか?見てみて!」と頼んだら、「11月はもう1日しか空きがないから、早く飛行機のチケット取らないと、取れないよ!」と言うので、慌てて、その日を間に挟んだ日付でチケットを予約したような感じでした。

 不景気だ不景気だと言われているのに、このような旅館がかなり早い段階から、すでに予約でほぼいっぱいだというのにもびっくり!私としては、一世一代の贅沢と思って、「よし!絶対行きたい!」とかなり思い切ったつもりだったのに、こんなにいっぱいとは・・驚きでした。

 ここは、九州の霧島温泉で、せっかく九州まで行くのなら、もう一泊くらいはしたいと思い、一日目は、別の良さそうな旅館を予約して、今日はその一日目の宿です。

 霧島には、偶然にも、私がロンドンにいた頃に知り合いになって以来、どういうわけか?付き合いの続いている年下の男の子(今では立派なおじさんですが・・)がいて、前もって、「今度、友人と霧島行くよ〜!」と伝えておいたら、二日目の日に仕事を早めに切り上げて、霧島を案内してくれることになっていたのですが、なんと初日まで、サプライズで空港まで出迎えに来てくれていて、ちょっと感動しました。

 今では立派なおじさんですが、彼は最初に出会った20代の頃からすでに子供が2〜3人はいそうに見えるおじさんでした・・。

 行きの飛行機がけっこう遅れて、あらかじめ立てていた予定が大幅にずれ、桜島を眺めに眺望のいい丘の上に立つ城山観光ホテルに行き、ついでに美味しいと評判のさつま揚げを購入し、道すがら、美味しそうなものを見るたびに、車を停めて、味見したりしながら、旅館についた頃には、もう真っ暗。

 お部屋ごとに室内のお部屋に加えてそれぞれのお部屋に風情のあるお庭がついていて、そこには2つもの露天風呂があり、もう着く早々、お風呂に入ったり出たり、大はしゃぎ。おまけにお部屋には、大変、高性能の全身マッサージチェアが配備されていて、友人は、その椅子に張り付いて、もう長いこと動きません。


 食事は黒毛和牛と黒豚のしゃぶしゃぶやおさしみ、お造り、松茸の土瓶蒸し、地鶏の炊き込みごはんなどなどのごちそうをお腹いっぱい食べて、もう極楽そのものの夜を過ごし、今、なんと、これをお部屋の露天風呂に浸かりながら書いています。

 こんな幸せな空間が日本にはあるんだ・・日本もまだまだ捨てたもんじゃない・・と都合のよいことを思っています。

 ゆっくり、ゆったり、くつろいで過ごそうと思っていたのに、お風呂に何度も入ったり出たりして、「お肌がつるつるすべすべ〜!」とかいいながら、寝るのも惜しい気持ちです。しかし、ベッドがまた、このうえなく寝心地がよく、このベッドで少しでも長く寝たいわ、露天風呂にはつかっていたいわ、マッサージチェアにもすわっていたいわ・・もう身体が一つでは足りない感じです。

 本当に豊かな温泉源に恵まれ、これがまた、しびれるほどにまろやかなお湯でお湯から上がっても、ローションや化粧水などは無用に感じるほどお肌はしっとり。虫さされのあとのお肌のトラブルっぽくなっていた箇所もスベスベになりました!

 今まで考えてもみなかったパンデミックが起こったり、戦争があちこちで起こったり、いつまた、長期間、日本に来れなくなるかもしれないかと思うと、今後は、日本に来れる時には、こうした日本の美しく、心地よい場所をできるだけ巡りたいと思います。

 明日はいよいよ、念願の旅館に宿泊予定でワクワクしています。


日本の温泉 霧島温泉郷


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