2023年11月24日金曜日

完璧に壊れている私の満腹中枢

 


 日本に来る前から、私は食べる気満々で、日頃、パリでは簡単には手に入らない食材やお料理など、「日本に行ったら、あれを食べよう、これも食べよう、あそこに行ったら、これ・・、そうそう、あれも・・」などと、妄想は膨らみ、もう出発前から少なからず興奮気味ではありました。

 それは、いつものことではあるのですが、日本に行く前から、少し体重を落として・・などと思っていた結果、一時は胃が小さくなって、焦ったりもしていました。

 しかし、その小さくなっていた胃が元の姿を取り戻し、そして、あっという間に膨張していくのには、そんなに時間はかかりませんでした。

 日本に到着以来、毎日のように誰かに会っては食事をし、帰り道に夕食用の食べ物を調達して帰るわけですが、日本のデパートや専門店の食料品売り場などには、私の食欲を掻き立てるものが目白押しに並んでいるわけで、そのうえ、誰かに会うたびに、あそこの〇〇が美味しいのよ!などと言われれば、何が何でもそれを見つけ出し、それを買いに行って、またその先で、また別のものを見つけてしまい、到底、その日には、食べきれない量の食料を買って帰るわけで、その取り合わせがどうのこうのは、もう二の次で、ものすごい食料に囲まれているわけです。

 そんな状態で、今の段階ではダイエットなどというものは、パリに帰ってから・・ともうきっぱりと決めていて、どうすれば、色々なものを食べることができて、気持ちよくお腹がすいた状態になるのか? 食事のたびに、胃薬片手に奮闘しているわけです。

 しかし、今年の私の食い意地はちょっと自分でも常軌を逸している感じがあり、友人などと楽しくおしゃべりをしながら食事したりしていて、「あ〜もうお腹いっぱい!」などと、ギブアップしても、また、その瞬間に、友人がまた別の美味しそうなものを出してきたりすれば、その魅力的な食べ物を見ただけで、本当にお腹が空いたように感じてしまうところが怖いところで、もうお腹いっぱい・・から、お腹すいた・・という間隔が極端に短く、そのうえ、お腹がすいた・・から、お腹がぺこぺこのように感じる時間が短いことと言ったら、自分でも、苦笑を通り越して、ちょっとどうかしているのではないか?と思うほどです。

 まあ、そもそも、日常よりはずっと忙しく、飛び回っているうえに、時差ボケがまだすっきりとは治らず、ここ1週間以上、睡眠時間が4時間程度の超寝不足状態が続いており、「満腹中枢破壊」とググったら、その原因には、睡眠不足や生活習慣の乱れやストレス・・などとあったので、まさに、私の現在の状況はそれ・・。

 そもそもたくさんの美味しいものが日本にはあって、それが食べられるのは、期間限定であるという焦りのうえに、この時差ボケによる睡眠不足が原因となっているようです。

 現在、旅行に出ているのですが、その際も朝、早い出発便を選んでしまっていたため、これまた、えらい寝不足で、当日、家を出てからも、もう出発前に用意していた、日本にいる間に一度は食べておきたかった「まい泉のカツサンド」を用意していたのですが、そんなものは、飛行機に乗る前にあっという間になくなってしまい、空港で再びお弁当でも買おうかどうしようか?真剣に悩み、到着後に現地で食べる昼食に差し支えるから・・と自分に言い聞かせて、必死に思いとどまったのでした。

 どうにも詰め込みすぎている今回の日本滞在のスケジュールですが、詰め込みすぎているスケジュールとともに、私の胃袋には、想像を絶する量の食料がどんどん積み込まれ続けているのです。

 あ〜、ほんと、もういいかげん、やばいです・・。


満腹中枢 食欲 食い意地


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2023年11月23日木曜日

あり得ない再会

  


 これまで日本に帰国して、友人と会うことは度々あっても、その友人不在で、その家族と2人で会うことなど、想像したことがありませんでした。

 しかし、今回、初めて、そんなケースが私には訪れて、なんだか、「こんなことってあり得ないよな・・」と、受け入れ難い気持ちでした。

 今回のケースは、数ヶ月前に突然、届いた、ちょっと信じ難かった訃報に端を発したもので、そもそもその友人が突然、亡くなってしまったことが信じ難いことで、若者とは言わないまでも、大して私とも歳が離れておらず、彼女は悠々と、誰よりもストレスとは無縁の生活に見えていたし、マイペースな生活を崩さない人で誰よりも長生きすると思っていたので、余計にちょっと想像すらつかない出来事でした。

 私がその訃報に接したのは、彼女が亡くなって数ヶ月後のことだったし、お参りもできなかったので、次回の帰国の際には、なんらかのカタチで彼女の死と向き合う機会を持ちたいと思っていたのです。

 結果、彼女の夫と二人で食事でもしましょうということになり、出かけたのです。

 しかし、これまで、彼女の生前には、幾度となく、彼女の家にお邪魔したり、家に泊めていただいたりしたこともあったので、彼女の夫とは、面識もあり、話をしたこともあったのですが、あくまでも、私は彼女に会いに行っていたわけで、彼女なしに彼女の夫と会うなど、想像すらつかなかったことでした。

 たまたま、私が彼女と最後に会って食事をした時に(ほんの数年前)、彼女の夫も一緒についてきていたので、以前よりも印象はあったので、今回のようなことになっても、そんなに抵抗はなかったのですが、やはり、実際に対面してみると、彼女なしでは、やっぱり全然、違うわけで、ますます、なんでこんなことがあり得てしまうんだろうか?と、私自身、まだまだ彼女の死を受け入れられていないことを痛感したのでした。

 しかし、彼女の発病から最期までの様子をあらためて、聞いてみると、どうやら、彼女は、そもそも、それまで検査らしいものをしたことがなく、いざ、闘病となっても、かなりの覚悟をもって、手術や抗がん剤などのクォリティ・オブ・ライフを損なうものは拒否し、周囲にも病気のことは、告げずにいたことを知りました。

 彼女の遺言で、葬儀等は、一切行わず、死後、遺体を家に戻して、2日間だけ家にいて、その後は、家から火葬場に直行したとのことでした。

 彼女の両親はすでに他界しているのですが、ご存命のお兄様にさえ、全てが終わってからお知らせしたということでした。

 死の迎え方というのは、人それぞれでよいと思うので、彼女は最期の最期まで、マイペースを全うしたと思われ、彼女の遺言らしい遺言は、彼女のお嬢さんに対しての「パパのこと、お願いね・・」という言葉だけだったそうです。

 そもそも、人と群れることが好きではなかった彼女らしい選択に、儀礼的なことは一切、省いて、家族に見守られて・・という形は、一般的ではありませんが、彼女の意に沿ったものであり、これもまた、悪くないかもしれないとも思ったのです。

 しかし、そもそもは、彼女の夫の方が先にガンを発病し、手術をしたりしていたために、夫の側からしたら、当然、自分の方が先に逝くものと思っていたところ、あっさり彼女に先を越されてしまったために、そのショックは計り知れないもので、どうにも痛々しいなか、「もう少しで、やっと相続手続きが終わりそうだ・・」などと、話していました。

 家族を亡くしたばかりの人に対して、この相続手続きの期限はかなり短いといつも思うのです。

 彼女自身もほんの少し前に、お母様を亡くしており、彼女は、この時の相続手続きをしてから、まだそんなに時間が経っていませんでした。まるで、それが彼女を素通りするようなことになってしまい、ふたたび、このような事態。数年に一度の割合で、あのややこしい相続手続きに追い立てられ、おまけにその度に、税金を支払っているのですから、本当に気の毒でしかありません。

 しかし、彼女自身は、自分の病気が宣告されたあとも、極めて肝がすわっていた感じで、ジタバタなど全くせずに、ある程度、自分の病気を受け入れ、緩和ケアのみでギリギリまで家にいたということで、そんな彼女の姿を聞いて、自分の場合もまた、ジタバタせずにいられるように、常に死については考えておく必要があるんだな・・と思わされました。

 私は、そんなに友達が多い方ではないかわりに、その一人一人との付き合いはかなり密であるため、想像以上に彼女のいなくなり方に、私は、影響を受けそうな気がしています。


自分自身の死の迎え方


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2023年11月22日水曜日

渋谷・下北沢 すっかり変わってわけがわからなくなってしまった・・

  

これが下北沢???と、ビックリした・・


 海外在住者の一時帰国は、本当に忙しいのです。

 私の場合、いつも、何らかの用事にかこつけて帰国し、この際、せっかくだから、これもやっておこう、あれもやっておこうと予定を入れてしまうので、まだ、しばらく日本に滞在予定ではありますが、全ての日程が埋まっており、下手をすると、1日にいくつもの予定が重なっている日もあり、まだ、時差ボケがなおっていないこともあって、すでに、かなりグロッキー気味です。

 ただ、今回、後半には、国内旅行の予定をいくつか入れているので、その分、他のことができないために、ますます予定が詰まってしまうという自分で自分の首を絞めているようなところもあるので、致し方ありません。でも、いつもは会えない人々に会えて、とっても楽しいです。

 それにしても、忙しく動き回るなか、私はすっかりおのぼりさん状態で、どんどん変わっていっている街の様子にどうしても視線が上に向きがちになり、キョロキョロしながら、歩くことになります。

 パリから帰ってきて、いつものことなのですが、電車の駅などのエスカレーターで右に立つ癖がついており、つい右側に立ってしまい・・おっと・・いけない・・となります。そこらへんまでは、少しすれば、慣れるのでさほど問題ではないのですが、それよりも、すっかり街の様子が変わってしまっている場所では、かなり動揺します。

 特に今回、動揺しているのは、なんといっても「渋谷」です。数年?前から工事中だったのは、知っていますが、特に駅の中、駅の周辺、地下も含めた連絡通路、一体、どこがどこと繋がっているのか?まるでわかりません。

 地下鉄や電車の乗り換えなどは、案内が出ているので迷うことはありませんが、通行止めになっている部分もあるせいか、また、今まで突っ切れていた場所が通れなくなったのか?指示どおりに歩くと、なんだか、今までよりも余計に歩くようになったというか?もともと方向音痴で地下などは特に、歩いているうちにどっちの方角に向かっているのかわからなくなる私には、現在のところ、全く慣れずにちょっと気後れしてしまいます。

 おまけに、大変な人の数には、ちょっとめまいがしそうになり、結果的に渋谷はどうしたいのか?と、うらめしく思ってしまいます。

 私にとって、渋谷は以前(といっても、ずいぶん昔の話ですが・・)通学路であったこともあり、自分の庭のような気がするほどに、けっこう詳しかったのですが、もうお手上げ状態です。

 もともと人混みが苦手な私は、今では本当に渋谷が苦手です。

 あと、もう一つビックリしたのが下北沢です。こちらも、ずいぶん前から工事中だったのは、知っていますが、もうどこの出口がどこなのか?もうわけがわからなくなり、また、こちらは、ずいぶんとイメージも違うような場所ができあがっていて、「これ?ほんとにシモキタ?」と思ってしまいます。

 それでも、以前からあった古いお店も、ところどころ、残ってはいるので、「あ〜!これ?ここ?・・これがここにあるってことは、ここは、あそこだ・・」と昔の街並みを思い出したりもします。しかし、悔し紛れに言わせてもらえば、昔のシモキタらしさがなくなっていくようで、ちょっと、こじんまりとして、ちょっと薄汚れた感じで、ちょっとごちゃごちゃしているのが下北沢の良いところだったのに、なんだか、どこも似通ったような感じに街が整備されていくことに、ちょっと抵抗を感じてしまうのでした。


渋谷 下北沢


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2023年11月21日火曜日

高齢者の一年と代がわり

 


 海外に住んでいると日本にいる家族や親戚とも久しく会わないことも珍しくありません。たとえ、定期的に一時帰国していても、必ずしもみんなに会い切れるものでもないのです。

 少なくとも、パンデミックの間2〜3年は、全く日本に帰ってこれなかったので、その間には、全く会えなかったし、我が家系は両親ともに、兄弟姉妹が多く、叔父・叔母も多く、また、とても親戚付き合いが緊密で、結束が固いために、小さい頃から、度々、親戚が集まる機会も多く、それは、現在でも続いているのです。

 私の両親はすでに他界しているので、その本来の繋ぎとなっていた部分は存在しないものの、その濃淡はあるにせよ、かなり私との繋がりが密?な、叔父や叔母もおり、彼らとは、日本に一時帰国をする際にこれまで一度も会わなかったということは、一度もありませんでした。

 特に、その中の一人である叔父などは、つい最近までは、必ず羽田空港まで車で迎えにきてくれて、滞在中も最低でも一回は一緒に食事に行ったり、お墓参りにいったり、また、自分の得意料理を作っては、わざわざ家に届けてくれたりと、もういい歳をして、私は大変に甘やかされた状態だったのです。

 彼らは亡き母の弟や妹たちで、まるで使命感にかられているのではと思うほどに、もう私たち親子の面倒を見る?のが、当然のように思っている気もするのです。大変、愛されていることを実感しているわけですが、その叔父や叔母もある程度の年齢までは、いつまでも、あんまり変わらないなぁ・・(見た目もフットワークなど)と思っていたのに、ここ数年で突然、めっきり老け込んだ感じがして、車の運転なども危ないのではないか?と思うようになりました。

 叔母の方は、きっぱりとすでに運転はやめてしまったのですが、叔父については、まだ運転を続けています。なので、今回の帰国なども、帰国することを知らせてしまえば、誰がなんと言おうと、叔父は空港に迎えに来てしまいそうで、私は、遠慮して、その叔父家族には、事前に帰国を知らせませんでした。

 人というものは、個人差もあるでしょうが、中年以降、しばらくは、そんなに変化がないものの、ある年を境にめっきり変化してしまうタイミングがあるようで、今年は、叔父、叔母たちに顕著にその姿に表れていることに接し、少々、戸惑っています。

 そもそも、日本に来ると、来るたびに高齢者が増えたことを実感し、地下鉄に乗っても、街を歩いていても、高齢者を目にすることが増え、日本の高齢化を再認識させられます。

 特に今回の帰国では、まだ叔父・叔母全員に会ったわけではありませんが、80代になった叔父や90代に突入した叔母が、この一年でかなり加速度的に変化していたことに、驚いています。

 代がわりというのは、やはり節目なようで、昨年から考えるとずっと腰がまがってしまい、また歩き方なども危なっかしい感じだったり、また、会話の様子などからしても、噛み合わない部分が表れたり、もともとの性格的なキャラクターがより一層濃くなって、より頑固で頑なになっていたりして、「去年は、こんなじゃなかったよね・・」と思うことが増えて、たった一年の間に??と、びっくりしてしまいます。

 小さい子供の一年での成長ぶりならば、「大きくなったね〜」とか、「ずいぶんとおにいさんになって、しっかりしてきたね〜」などと、頼もしく、また嬉しくもあるのですが、この代がわりの高齢者の一年の変化には、複雑な思いにかられます。

 それでも、ある日、一日を境に劇的に変化したわけでもなく、ごくごく周囲の人々にとっては、その老化のスピードは以前よりも早くなったとはいえ、徐々に変化していることに周囲も慣れてきているのであって、「最近、こうなのよ・・」とか、嘆いてみせたりするのですが、一年以上のブランクがあった私にとっては、歴然とした変化がかなりショッキングでもあるのです。

 しかし、考えてみれば、これから先は、本当にこのようなことが増えるのは、まさに不可避で、わりと早くに亡くなってしまった母には、このようなことが訪れたこともなく、父に関してみれば、そもそも性格的にもかなり特異であったために、それが加齢によるものなのかどうかという判断もつきにくかったのです。

 しかし、ここへきて、一年のブランクがこれまでの数倍の変化をもたらしていることは、これまでには、感じることのなかった厳しい現実なのです。



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2023年11月20日月曜日

パリに持って帰りたい食材を買いたいお店の一つ 上野 吉池

 


 私の携帯のメモには、いつも「日本に行ったら買いたいものリスト」があって、何か思いつくたびに、それに追加していきます。

 一時帰国の日が近づくと、逆に友人や親戚へのお土産ものや頼まれものを買い集め、日本に来る時の私のスーツケースの大部分は、誰かにあげてしまうもので、日本にいる間に少しずつ会う人々に渡していくのです。

 しかし、日本に到着した途端に、お土産を渡して少しずつ持ってきた荷物が減っていくのと同時進行で、今度は、パリに持って帰るものの買い物がスタートするのです。

 こんなことをしていると、この期間は、常にスーツケースをつめ、それを空にして、また、別のものをつめていく、なんだか運び屋みたいだ・・と妙な気分にもなります。

 もちろん、パリにいる友人に頼まれているものや他人に渡すものも少しはあるのですが、フランスに戻るための荷物(買い物)は、ほぼ日常の私の食材などがメインで、それからしばらくの私の食生活に重大に関わってくるので、真剣味も違います。つまりは、日本に着いた瞬間から、もうパリに持ち帰るものを物色する毎日が始まるわけです。

 もう端的に言えば、ごくごく普通のスーパーマーケットでさえも、はっきり言って、正直、目に入るものは、次から次へと、全部欲しいのですが、持てる荷物には限度があり、その中から、選んでいかなければならないわけです。

 そして、こうなってくると、できるだけ持ち帰ることのできる他のお店では、あんまり見かけない、これはあったら、絶対便利だ!と思われる商品をたくさん扱っているお店に行くのが効率的ですが、その一つが上野(御徒町)の「吉池」というお店です。




 もちろん、このお店には、ふつうのスーパーマーケットにあるような食材もおいているのですが、特に海産物関係の乾物や缶詰、乾燥だし粉末、薬味系などが充実していて、ちょっとテンションがあがります。

 わかめやひじきなどのポピュラーな、わかりやすい乾物から鰹節なども種類が豊富で、特に私は、あさりやしじみ、カニやエビなどのエキスのパウダーやお魚のおせんべいなどが気に入っています。



 また、カニ缶やウニの瓶詰めなども、比較的、お手頃価格のものから、ちょっといいものまで置いていたり、行くたび(とはいえ、毎回、必ず行けるわけではないですが・・)に、「うわっ!こんなのあるんだ!」と、我を忘れてお店の中をウロウロしたり、気になった商品に釘付けになったり、食い意地の張っている私はしばし、時が経つのを忘れてしまいます。




 もちろん、鮮魚も充実しているので、海外に持って帰ることは不可能でも、日本滞在の間に食べることもでき、同列経営の食堂も同じビルの中に入っています。

 もともと、この界隈、あまり行かない場所ではあるのですが、それでも、何かにかこつけて、日本にいる間にできれば行っておきたい、そんなお店です。

 

吉池本店 東京都台東区上野 3-7-12 JR御徒町駅徒歩5分


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2023年11月19日日曜日

親友と語り明かした至福の時間 今さら発見した彼女と親しくなった理由

  


 彼女と知り合いになってから、ちょっと年数を明かすのも歳がバレる・・とはばかられるほどの月日が経っています。

 私は、昨年も一時帰国をしていましたが、その時は、彼女の職場でコロナウィルス感染者が出たために、彼女は濃厚接触者として分類され、泣く泣く会うのを諦めていました。なので、考えてみれば、パンデミックの期間プラス1年余計に彼女には会えなかったわけです。

 彼女とは、若い頃、一時、同じ会社に勤めていた時期があり、その時以来、付き合いが続いているのですが、それからお互いに職場を変わっても、そして、私が海外に出てからも、ずっと付き合いは続いていました。

 今のようにネットが一般的ではなかった頃は、彼女は実に筆まめな人で、頻繁に手紙のやりとりをしていましたし、その後、ネットが通じるようになってからは特に定期的に連絡をとりつづけてきたので、遠く離れていても、会えば、すぐに昔のようにいつまでも話していられる・・そんな存在です。

 会えるはずだったのに会えなかった昨年、私がフランスに帰国してしばらくして、彼女は彼女の人生において、なかなか大変な出来事、二人暮らしであった母親を看送るという一大事を経験していたのです。

 お互いに大変な食いしん坊で、彼女は、仲間うちでは、食べログなどのサイトができる前から、「歩くグルメマップ」と呼ばれるほどの食通で、とにかく「食」へのこだわりがものすごく、また、その味覚もたしかなことから、帰国して、何が食べたい?どこで?というリクエストだけで、瞬時にいくつものお店の名前が出てくる・・そんな人なのです。

 彼女がそんな仕上がりになったのも彼女の母親の影響が大きく、また若い自分からお互いを知っているだけあって、彼女の家に電話したりして、たとえ、彼女がいなくても、ついつい彼女のママと長話をしてしまう・・そんな付き合いだったのです。

 海外で一人で子育てしていた私たち親子を彼女親子はいつも暖かく見守ってくれていて、娘が成人した時などは、まるで自分の家族のことのように喜んでくれたりしていたのです。

 彼女の住まいは葉山の方にあり、私の実家からはえらく遠いために、大昔に一度、娘を連れてお邪魔したことはあったものの、たいていは都内のどこか美味しいお店で美味しいものを食べながら、おしゃべりするという感じでした。

 しかし、今回ばかりは、彼女は母親を亡くしたばかり、彼女のママのお参りもかねて、今回は、彼女の家でゆっくりおしゃべりをしようと彼女とのおうち時間を過ごしに行ったのです。

  長年、二人で暮らしてきた家に一人になった彼女の傷はまだ、癒えてはおらず、話をしながら、彼女は度々、涙ぐんでしまうこともあったのですが、そうして、彼女のママのことやらなんやらを二人で話続けていると、私にとっては、なんと至福のリラックスできる時間なのだろうかと思わされるのでした。

 彼女のママが突然ガンを宣告されて4ヶ月、彼女の家族は深く話し合い、積極的な治療は受けずに自宅で最期を送るという選択をしたのです。日に日に弱っていく母親のもとで、彼女は献身的に介護を続け、とうとう最期を家で看取った話を静かに話してくれました。

 この大変な決断をするにあたって、私が昔、イギリスのホスピスで勉強をしていた時の話がとても影響していたと話してくれました。

 時にはぶつかることもあったようですが、それでも、最期の時間を自宅で過ごせたことは、大変な勇気のいることだったと同時に看取った後には、淋しい気持ちはもちろんあるものの、やれることはやったという自信が感じられました。

 どんな人でも人生を全うするということは大変なこと。その大切な最期の時間をお互いの尊厳を傷つけずに乗り切った彼女を私はすごいな・・えらかったな・・と素直に思います。

 そして、今さらのように気がついたことなのですが、(彼女のママには、「そんなこと、ずっと前からわかってたわよ!」と言われそうですが、)彼女のママについて、こんな人だった・・とか、あんなことを言っていたのよ・・という話を続けていると、実は私は、彼女のママに芯の部分が似ているところを持っている・・ということにあらためて気付かされ、二人がずっと仲良く付き合ってこられたのは、こんなところに秘密があったのではないか?と思わせられました。

 しかし、こんな話を延々としつづけることのできる、私にとって、まさにかけがえのない親友の存在が、やっぱり私を満たしてくれることをあらためて、再認識し、とてもありがたいことであると思っています。

 まだまだ、彼女の傷が癒えるのには時間がかかると思いますが、焦らず、無理をしないで、少しずつ自分の生活を大事にしていってほしい、そして、私と彼女がこういう時間を積み重ねていくことで、ますます絆を深め、ずっとずっと友達でいてほしいと思った夜でした。


親友


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2023年11月18日土曜日

日本到着後の身体のメンテナンスは至福の時間

  


 ここのところ、日本行きのチケットを取るとすぐに、日本到着翌日に日本での美容院の予約を入れて、伸び放題になっていた髪を切り、カラーリングをしてもらったり、ヘッドスパのようなことをやってもらったりと、至れり尽くせりのお気に入りの美容院で、ゆったりした時間を過ごすのが大きな楽しみの一つになっています。

 今回は、たまたま翌日に美容院の予約が取れなかったので、その代わりといってはなんですが、中継ぎとして、整体・マッサージを予約していました。

 大昔に祖母のお供で、若い頃に整体に通っていたこともありましたが、今から考えてみれば、少々、胃が痛かったり、それにつれて脾臓が腫れているとのことで、治療を受けていたこともあったのですが、さすがに若かっただけあって、今よりも全然、元気だったわけで、そこから、大きな効果がみられた実感は、正直、ありませんでした。

 しかし、ここのところの長距離フライトの疲労感は半端なく、年齢のせいも、実際に飛行時間が長くなっていることもあるのでしょうが、日本到着後、身体はガタガタな状態で、おまけに時差ボケでよく眠れないままに忙しい日程を動き回るので、とても楽しい反面、パリに帰る頃には、もうボロボロで、正直、反面では、「やっと帰れる・・」という気持ちがないわけでもありません。

 長らく、そういった整体やマッサージというものを体験していなかったので、今回は、事前にネットで調べて、よさそうなところにあたりをつけて予約をしていたのです。

 そして、身体をほぐしてもらって、少々回復して、日本での日程をこなしていくのは、なんだかとても良いアイディアのような気がしたのです。

 実際にワクワクしながら、施術を受けてみると、足湯からはじまり、足ツボ、足、ふくらはぎ、指、腕、肩、首、背中、腰、頭と少しずつ、丁寧に進めてくれました。

 ついウトウトしてしまえるような、生やさしいものではなく、箇所によっては、悲鳴をあげそうになるほど痛い場所もあるのですが、ツボをほぐし、周囲の筋肉をほぐしていっていただくことによって、自分の血管がどのように身体にはりめぐらせられているのかを実感できるような感じで、身体の中の眠っていた場所、隅々にまで血液が循環して、ホワンと温かくなって、自然と大きく呼吸をしている自分に気付きます。

 私は、全身75分のコースでお願いしましたが、身体がほぐれて、イタ気持ちいいの連続で、これを定期的に続けていたら、きっと健康になりそうな実感がありました。

 まさに、長距離フライトの翌日には、もってこいのタイミング、その日の夜は(前日、バタバタしてほとんど眠れなかったこともありますが・・)ぐっすりと眠りにつけました。(朝、4時半に目覚めちゃったけど・・)

 施術をしてくださった方の大きなグローブのような手の温かさと、これだけツボをおしたり、筋肉をほぐしたりする中、足でもつりそうなところ、まったくそのようなことも起こらないのも不思議。そして、なによりも言葉控えめに質問には的確に応えてくださりながら、自然な細かい気配りや丁寧な仕事ぶりは、やはり日本人ならではのサービスを受けていることを実感します。「やっぱりこういうのは、日本人ならではのクォリティーなんだな・・」と大変、満足し、たまたま美容院の予約が翌日にとれなかったことから、急遽、入れた予定でしたが、なかなかよいチョイスであったと大変、満足しています。

 これで、今後、おそらく、日本到着後の日程は、これまで初日に行っていた美容院と入れ替わることになりそうな、そんな気がしています。

 長距離フライトがキツいと感じていらっしゃる方々には、この初日のマッサージ、大変、おすすめです。


整体・マッサージ


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