2024年4月20日土曜日

断捨離で厄介なもの 日本語の本

  


 夫が亡くなって、しばらくの間は、彼が生きている時は、「もうこんなの捨てなさいよ!」とか言っていた、夫がため込んでいた、なんだかわけのわからない夫が海外で買い集めてきた妙なオブジェのようなものとか、骨董品のようなものから彼の洋服や靴に至るまで、かえって捨てられなくなって、全く手をつけられなくなってしまいました。

 3年くらい経った頃からでしょうか? 洋服や靴などは、サイズの合う人には、もしよかったら使ってくださいと差し上げたり、もう人に差し上げるのも失礼だと思われるものは、処分し、その他の多くのものは、エマウス(不用品を持っていくときれいにして販売され、その収益は恵まれない人のための寄付金になる団体)に引き取ってもらいました。

 ある程度、片付いてきたあとは、今度は日本の両親が亡くなったりもしたので、今度は日本に行くたびに、両親の遺品や家のものを整理する月日が流れ、しばらくすると、断捨離にも疲れてきて、しばらく手つかずにいました。

 しかし、自分自身もだんだんと体力の衰えを感じはじめ、今度は、自分自身の断捨離も少し体力のあるうちにやらなければと思い始め、最近、また、断捨離を開始しています。

 買ったまま使っていなかったバッグなどの小物類から洋服やアクセサリーとか、大して使わなかった娘のおもちゃとか、子ども服などは、折に触れて、以前からVinted(ヴィンテッド)やルボンカンなどのメルカリのようなサイトに出して、おこづかい稼ぎをしているのですが、どうにもならないのが日本語の本です。

 海外生活を始めるにあたって(最初はアフリカだった)、何よりも恋しくなると思われた本類・・好きな作家の日本語の本などは、段ボール3個分、別送しました。そのうち1個はアフリカに到着したのかしないのか?紛失してしまいましたが、それ以外はずっと引っ越すたびに一緒に移動し、蓄積されてきたものです。

 パリに来てからは、一時帰国するたびに文庫本などはを少しずつ、買って帰ってきたもの、ブックオフなどで安売りしている時などに買い込んだものなど、とにかく四半世紀以上ともなれば、相当な数になっています。

 一番、手っ取り早いのは、こちらにいる日本人の友人たちに、聞きまわればいいのですが、本にはそれぞれの好みもあり、おまけに皆、自分自身もそろそろ断捨離し始めたい世代の人々。

 日本語の本ばかりは、おそらく娘も先々になって読むとも思えず、また、フランス語や英語の本ならばともかくVintedなどでは出品したところで売れません。かといって、本好きの身、また日本語の活字が読みたくて読みたくて仕方なかった時期があった私としては、本を捨てるということにはとても抵抗があるのです。

 なので、ここのところ、気が向いたときには、ブックオフに本を引き取ってもらいに行っています。とにかく、気が付いてみれば、自分でも、よくもこれだけ家に運び込んだな・・と思うほどあり、しかも、本というものは重いもので、家には車もないので、ラクではありません。

 一応、査定をしてくれて、買い取ってもらえる分もあるのですが、値段がつかなくても、「欲しい人がいたら、あげてください」と言って引き取ってもらいます。もしかしたら、捨てられてしまうかもしれないのですが、一応、私が死んだ場合はダイレクトに捨てられてしまいそうな本にちょっとでも敬意を払っている気になっています。

 このブックオフの査定ですが、ある程度、きれいな状態であっても、本の種類にもよるのか?基準がよくわからないのですが、査定をしてくれる人によって、ずいぶん差があるなという印象です。

 まあ、1回に持っていけるのは、せいぜいエコバッグ1個分くらいなので、しれていますが、せいぜい1回分3~5ユーロ程度、少ない時だと1ユーロにもならないこともあります。本と言えば、夫も本好きであったため、山ほどフランス語の本もあるのですが、こちらの方は、近くにいらなくなった本を置いておくスペースが街中にできているので、いざとなったら、そこへ持っていくつもりです。

 最後の最後まで身近にとっておきたい本をのぞいては、あとは少しずつ処分するつもりです。好きな作家の本は、何度となく読む本もあるにはあるのですが、その大部分はもうおそらく二度と読まない本がほとんどです。

 最近は、荷物になるのが嫌なので、日本語の本もKindleで済ませてしまうので、今後、本は極力増やさないようにしていますが、正直なところ、本当は紙に書かれた活字の方がやっぱり、しっくりくる古い世代です。

 本当は、一度、じっくり徹底的に断捨離するのが合理的なのかもしれませんが、あとどのくらい生きているのかもわからないので、あまりさっぱりしすぎてしまうのも寂しいものです。

 しかし、考えてみれば、私が日常生活で使っているものなど、家にあるものの中で本当に限られたものだけで、本当に大切なもの以外はやはり少しずつ処分していき、大事なものを大切にして、暮らすべきなのだな・・それはモノに限らず、何かに費やす時間なども同じことだな・・などと断捨離しながら、考えています。


断捨離 ブックオフ 日本語の本


<関連記事>

「断捨離と帰国の憂鬱」

「海外生活一人暮らしの女性の終活」

「フランス版メルカリ ヴィンテッド Vintedの急成長」

「日本の空き家問題をフランスのニュースで知る 空き家の相続問題」

「メルカリとルボンカン(フランス版メルカリ)に見る、やたら礼儀正しい日本人とめんどくさいフランス人」

2024年4月19日金曜日

ギャラリーラファイエットグルメのレ・ヌーベル・ターブル ・デュ・グルメ(ストリートフード)

  


 実を言うと、私はデパートというものがあまり好きではなくて・・というより、買い物に行くということがあまり好きではありません。デパートに行くのは、ノエルの時にデコレーションをチラッと覗きに行く程度です。

 それでも食べることにだけは依然として、けっこう執着があり、美味しいものと聞けば飛んでいきます。なので、デパートとはいえ、ラファイエットグルメは時々、覗きに行くことはあります。常設している感じのお店もある中、わりと頻繁に入れ替わるお店などもあり、美味しいものを扱っているお店が期間限定で入っていたりもするので、これまで知らなかった美味しいお店を発見できたりもするのです。

 これは!というものを見つければ、ちょっと味見程度に購入し、気に入ったら、たいていはパリ市内に本店があるので本店の方に行ってみたりもします。

 昨日、たまたま、近くに用事があって、いつもと違う地下鉄の出口を出たら、ラファイエットグルメの近くであることに気が付いて、重たい荷物を持っていたけど、まあ、通り道、せっかくだから、ぐるっと覗いていくか・・と思って入ってみたのです。

 地上階は大した変化はなかったものの、1階(日本でいう2階)にレストラン(というほどかしこまってはいない)街のようなスペースができていて、はて?ここは昔何だったのかと思い返すに、以前はキラキラなカーブ(ワインやシャンパンやウィスキー、ブランデーなど)と食器などが置いてあったスペースだったと思うのですが、いつのまにか、すっかり様変わりしていました。


 まだ、あまり知られていないのか?そんなに混んではいませんでしたが、8軒のお店が入っています。「世界中のストリートフードからのインスピレーション」をテーマに出店しているレストランというか、フードコートのような、わりと気軽な感じのお店がおしゃれに並んでいます。


 以前のカーブだったスペースの名残りのような「ラ・カーブ」というワインや世界中のスピリッツを扱うお店もあります。


 その他、フレンチのひとつとしてロティスリー(鶏の丸焼きなど)、ペルー料理、地中海料理、アメリカ、インドなどの気軽に食べられる食事が集まっています。



 お味のほどはわかりませんが、ラーメンやお寿司を扱う日本食のお店も入っていました。

小さいワンカップの日本酒までありました!


 



 お値段は、ラファイエット価格なので、ストリートフードとはいえ、決してお安くはないものの、ラフな感じで楽しめそうなスペースになっています。

 そもそも、このスペースは、以前はワインを中心としたキラキラな、本当に美しい、お店というより博物館のようなスペースで一見の価値はあるようなスペースではあったものの、一般庶民には、敷居の高い感じでもあり、客足が若干、鈍いスペースでもありました。

 ギャラリーラファイエットだから、そんなスペースもあってもいいのかな?とも思っていたのですが、やはりフランス人でさえもワイン離れが叫ばれるなか、あの高級な感じのスペースがストリートフードのスペースになっていたとは驚きでした。

 しかし、ストリートフードとはいえ、そこはさすがのラファイエット、オシャレな感じに仕上がっています。

 ただし、個人的にはパリでストリートフード(ファストフード)といえば、ケバブではないか?と思うのですが、ケバブが入っていないのは、なんだか少々残念な気がしました。

 すっごく美味しいケバブのお店もあるのに・・。

 私が気が付いていなかっただけで、もう結構、前からあったのかもしれませんが、ラファイエットグルメといえば、これまで地上階、せいぜい地下の食料品売り場だけを覗いていた人も多いはず・・地上階を入って少し進むとエスカレーターがあるので、ついでにチラッとパリに集まっている世界のストリートフードスペースを覗いてみるのも楽しいかもしれません。


ギャラリーラファイエットグルメ ヌーベルターブルデュグルメ


<関連記事>

「ギャラリー・ラファイエット 26の店舗にセーフガード手続き申請 デパートに未来はあるか?」

「ついにギャラリーラファイエットグルメにまで登場した日本のパン屋さんブーランジェリーAKIとおにぎり」

「パリのデパート 私はボン・マルシェを侮っていた・・」

「最近のマイブーム パリのヴィエノワズリーの美味しいお店」

「16年ぶりに再開したパリ・サマリテーヌに行ってみました!」

「私史上、パリ最高のケバブに感激! パリの美味しいケバブ屋さん Doni Berliner Paris」




 

2024年4月18日木曜日

いつまで続くの?この気候? くもり時々晴れ、のち暴風雨・・

  



 春先は、天候が不安定になりがちではあるけれど、今年はちょっといつもより酷い気がしています。

 なにせ、全般的に年明けから天気の悪い日が多く、春が待ち遠しい気がしていたのに、春になっても、ちょっと晴れれば日差しは春の光になってはいるけれど、とにかく天気は荒れ模様の日が多いです。

 昨日も一昨日も、くもり時々晴れ、後、小雨が続いてその後は風が強くなって暴風雨みたいな感じになりました。朝、起きて、窓の外を見て、「やった!今日は晴れだ!」と思っても、そのうち、パラパラ雨が降ってきて、パラパラどころかけっこうな雨になったりもしtて、夕方になるとそれに風が加わって暴風雨です。

 先週は一瞬、20℃を超えるお天気の日が数日あって、「やっと、これで暖かくなる!」と喜んで、これならTシャツで大丈夫!と歩き回っていたら、翌週には、また冬に逆戻り。

 こんなところは、フランス人、実に服装の切り替えは鮮やかで、暑い日にはTシャツ姿、翌週、寒ければ皆、真冬の装備に戻っているところはさすがだな・・と感心します。

 いつもなら、お花見がてらにお花のきれいなところにでも出かけてみよう!などと思う季節なのですが、このお天気と気候では、そんな気分にもなりません。天気が悪い日が続いて、気持ちが沈みがちになったりすると、気候はその土地に住む気質にも影響しているんだろうな・・などということまで考えたりもします。

 以前は、雨が降っても、しばらく待っていれば止んでしまう感じだったので、雨でも傘をささないフランス人が多かったけれど、最近は、こう雨が多いとちゃんと傘をさす人も増えたような気がします。

 考えてみれば、日本には、よくある傘置き場のようなものや、雨に濡れた傘をカバーする袋のようなものが設置されていることもパリではほとんど見かけないので、今後はそういったものがパリにも必要になる日が来るかもしれません。

 これまでは、パリは一日中雨という日もあまりなかったし、もちろん天気の良い日は、青空にパリの街並みも美しく、夏の暑い日とて、本当に暑くて厳しいのは、ほんの1~2週間で、それも湿度が低いために建物の中に入るとスッと涼しかったりもしたので、気候も気に入っていたのですが、最近は、以前の気候とはすっかり変わりつつあるのを感じます。

 天気が良すぎるアフリカにいた時には、曇っている日には、心の底からホッとした記憶がありますが、パリでもこう天気が悪い日が多いと、気分もやる気も落ちがちで、もっと温暖な土地がよいな・・と、ないものねだりをしてしまいます。

 しかし、夏になれば、きっとまた猛暑がやってくるだろうし、本当に異常気象は年々エスカレート。猛暑の期間が長くなっているのは感じていたけれど、今度は雨の日が増えてきた感じ。確実に地球が壊れかけているんだろうな・・ということを実感しています。


異常気象


<関連記事>

「イル・ド・フランスの洪水被害 セーヌ川の排水網は、なぜ改善されないのか?」

「パリ40℃の猛暑とパリの上空を覆う噴煙のベールの正体」

「猛暑の後は豪雨、洪水 パリの脆さを露呈する異常気象」

「一瞬やってきた秋が去って、また夏日のフランス 10月の異常気象」

「フランス人の衣替えの素早さにはいつも驚嘆させられる」







2024年4月17日水曜日

オーストラリア シドニーでヒーローになったフランス人

 


 先週末、オーストラリア・シドニーのショッピングセンターで買い物客らが無差別に刃物で襲われ6名が死亡したという事件はフランスでも報道されていました。

 その時は、「オーストラリアでもこんな恐ろしい事件が起こるんだな~怖い怖い・・」とその事件の映像を見ながら同時に「これ、フランスでもありそうなことだな・・(実際にある・・去年もいくつかありました)」と思っていました。

 襲撃犯は射殺されているので、動機などは不明のままですが、精神疾患を患っていた可能性があると言われています。

 結局、その時の報道は、死亡者6名、乳幼児を含む負傷者12名というだけで終わっていたのですが、その後に、その襲撃犯がさらなる獲物にターゲットを向けている間にそれを阻止しようと介入した人物がいて、それが31歳のフランス人の男性であったことがわかり、にわかに彼はヒーローになっています。

 当日、事件の起こったコマーシャルセンターのジムに来ていたフランス人男性二人はこの襲撃事件に遭遇し、襲撃犯がやってくるのを見てなんとかしてこれを阻止しなければならないと夢中でこの襲撃犯と対峙したということで、このうちの男性の一人はインタビューにこたえ、「襲撃犯の目はうつろで、彼自身の魂が抜けているような感じだった・・」と語り、自分がヒーローと讃えられていることについて、「自分は当然のことをしただけで、本当のヒーロー(ヒロイン)は、襲撃犯を射殺した女性警察官である!」と話しています。

 彼らの勇気ある行動に対して、オーストラリアの首相も「フランスの英雄」として賞賛。

 彼は、2017年にオーストラリアに渡り、建設作業員として働いていたと言われていますが、ちょうどビザが切れるタイミングでビザを申請中のタイミングだったようです。

 オーストラリア国民からも彼は大絶賛されており、「これは人間の本性について多くを物語っている。私たちが困難な問題に直面したとき、この国の国民ではない人が勇敢にあのエスカレーターの頂上に立って、この襲撃者が別の階に到達してさらなる大虐殺を起こす可能性を阻止したのです!」と、ビザどころか彼にオーストラリア国籍を!という嘆願書がオンライン上で立ち上がり、あっという間に1,800名以上の署名が集まったそうです。

 しかし、署名を集めるまでもなく、オーストラリア首相は「彼はオーストラリア国民として喜んで歓迎したい人物、好きなだけオーストラリアにいてほしい」と話しています。

 これまで、幾度となく、フランスで同じような事件が起こって報道されることがあり、本当に恐ろしいことだと思う反面、このような事件が起こったときには、必ずといっていいくらい、警察官以外のその場に居合わせた男性が介入して助けてくれる・・ということも事実で、フランスには、恐ろしい事件も起こるけれども、勇気ある頼もしい男性も少なからずいることも事実のようです。

 フランス人には、窮地に至っている人を助けようとするような、こういう面もあるんじゃないかな?という気もしています。

 この件は、マクロン大統領もX(旧Twitter)で彼の勇気ある行動を讃えるポストをしています。


オーストラリアのフランス人ヒーロー


<関連記事>

「早朝のパリ・リヨン駅でのナイフとハンマーによる襲撃事件」

「フランス全土が震撼とした のどかなアヌシーの公園で起きた難民による子供を狙った襲撃事件」

「一日にして、フランス中のヒーローになったバックパックの男」

「早朝のパリ北駅での6人刺傷事件 容疑者は、OQTF(フランス領土退去命令)の移民」

「閑静な住宅街で起きた路上で首を掻き切られる陰惨なテロ事件発生 18歳のテロリスト」

2024年4月16日火曜日

パリオリンピックに関してマクロン大統領のインタビューで話したこと

  


 カウントダウンが始まりつつあるパリオリンピックについて、マクロン大統領がテレビのインタビュー番組に出演、熱弁を振るいました。マクロン大統領がこのインタビューの場所に選んだのは、オリンピックのテコンドーとフェンシングの会場となるグランパレの中でした。

 インタビューは先日起こったイランによるイスラエルの攻撃の話題から始まるというオリンピックに関するインタビューとしては、異例の話題で始まりましたが、フランスは、イスラエルの防空にも参加しており、このような不安定な世界情勢の中で行われようとしているオリンピックの安全性からも残念ながら避けて通れない話題でもあります。

 マクロン大統領は、このインタビューの中で、「オリンピックは外交上の平和の瞬間でもあり、少なくともオリンピック休戦に向けて取り組みたい。これは多くのパートナーとの間に敬意と寛容の精神を確認する機会でもある」と述べています。

 とはいえ、逆に考えれば世界中から多くの人々が集まり、多くの人々が注目するであろうオリンピックの場は、テロのターゲットとして計画されかねない機会でもあります。

 特にフランスが計画している今回のオリンピックの開会式は、オーステルリッツ橋から各国代表団専用の94隻の船がセーヌ川で行進してエッフェル塔に向かうという壮大な計画で通常の情勢でさえも、大変なリスクを伴うものになっています。

 これに対して、なぜ?こんなにリスクの高いことを行うのか?本当に大丈夫なのか?という質問に、「もちろんリスクはある」としながらも、「われわれは最大級の警戒体制をとっており、毎日3万人がこの警戒にあたり、ヨーロッパやアメリカ、アジアと協力体制をとりながら、諜報機関とあらゆる情報を収集し、サイバー攻撃も含めてリアルタイムに分析を行い、テロの脅威に備えている」と説明したうえで、「それでも、テロの危険性が確認された場合には、開会式は縮小され、プランB、さらにはプランCとして用意されている「トロカデロに限定」されるか、さらには「スタッド・ド・フランスに移送される」可能性もある」と語りました。

 また、この大規模の警戒体制を支えるために動員される人々をはじめ、オリンピック期間中(バカンス期間中)に働かなければならない人々が「CGT(労働組合)」を筆頭にストライキを計画していることについては、労働組合とその「責任精神」に対する「信頼」を表明し、「フランスはチームであり、統一国家であるため、我々はこの模範的な性質に対応しており、 私は、労働法や職場の安全に関して模範となることで、フランスが大きなイベントをどのように組織するかを知っていることを証明するつもりだ」と力説しています。

 どうにも「それは理想的にはそうなんだろうが・・」という話をものすごくエネルギッシュに語るのはいつものマクロン大統領の話にありがちなことです。

 オリンピックが開催されるのは7月26日からのことですが、実際には、オリンピックの聖火は5月8日にマルセイユに到着します。

 そして、オリンピック聖火は7月8日から26日までフランス全土を巡る450の中継都市を通過し、海外も含めてその聖火リレーの様子は全世界に報道されることになり、その一つ一つの都市のPRにもつながると説明しています。

 それにしても、フランスの大統領であるとはいえ、オリンピックの大会委員長であるわけでもないのに、大筋とはいえ、詳細にわたって自分の言葉で強く熱く語れるということは凄いことだな・・といつもながら感心してしまいます。

 我ながら、感動ポイントがズレているとは思うのですが、残念ながら、日本の政治家には、期待できないことです。


パリオリンピック


<関連記事>

「パリオリンピックまで3ヶ月 セーヌ川の水質状況の悪さに警告」

「全国労働組合のオリンピック期間ストライキ警告に見える社会的アンバランス」

「パリオリンピックのセキュリティ情報が盗まれた セキュリティ情報のセキュリティ」

「パリオリンピックのメダルの特別感 デザインは高級ジュエリーブランド「ショーメ」が担当」

「パリオリンピック開催時に予想される住民が迷惑すること」


 

2024年4月15日月曜日

電気料金の値上げとエネルギーチケット

  


 ここのところ、電気料金は毎年、着実に値上げされており、2024年は2月からさらに10%値上げされています。これは毎年徐々にあげられているため、数年前から比べるとずいぶん高くなったと思いますが、しかし、それでもこの値上げは国によって抑制されている状態のようです。 

 実際の電気料金は、これ以上に値上げされているのが現実なのですが、国が関税を調整しているために、これでも他の欧州諸国に比べて大幅な値上げを抑えているのだそうで、国からしてみれば、この調整を少しずつ段階的に終了させていく予定で、当初は2023年12月に終了予定だったものが、2025年2月までに延長されています。

 したがって、国は引き続きフランス国民の請求書の一部を一定期間負担しているわけで、この措置により、2024 年の国家予算では、30億ユーロが割かれています。

 ということは、2025年2月には、また確実に値上げされることは間違いなさそうです。

 これまでフランスは特にウクライナでの戦争が始まって以来のインフレのために、インフレ手当やエネルギークーポン(エネルギーチケット)などを数度にわたって配布してきましたが、全員に一律○○ユーロ・・ということはまずなくて、この援助の実質的な金額も所得によって違っています。

 このあたりは、とても合理的なところです。

 これは、前年度に申告された所得や家族構成(子どもの年齢や数など)により、自動的に配布されるもので、エネルギーチケットに関しては現金で支払われるものではなく、EDF(フランス電力)の個々のアカウントにデポジットとして、支給されます。

 今回のエネルギーチケットの平均支給額は150ユーロ(約24,500円)ということで、所得や世帯の規模に応じて48ユーロから 277ユーロ(約45,000円)とされています。

 このあたりの援助に関しては、フランスのシステムは非常によくできており、この枠内の人々に一定の率の金額(相当のバウチャー)を配布するとなれば、そのたびに個々に申請する必要はなく、自動的に振り込まれるようになっているところは、とてもスムーズで円滑に行われます。

 実際には、このチケットが配布された後は、電気料金は、そのデポジットから電気代が自動的に支払われることになるので、他の用途に使うことはできません。

 これらの援助に関しては、かなり手厚いと言えば手厚いのがフランスですが、年々、その援助されるはずの枠が狭められてきているのも国家の緊縮財政が見え隠れするところで、最近ではHLM(低所得者向けの公営住宅)の居住資格についての見直しを行う必要があることが話題に上がっています。

 このHLMについては、一応、2年に一度、チェックされているのですが、このチェックはこれまで居住権の問題もあって、わりと緩かったのですが、「所得の上限を大幅に超えた人々が公営住宅に住み続けることの妥当性を再検討する必要がある」と住宅大臣が問題を投げかけており、収入増加に応じて、家賃の増額、あるいは、退去が求められる可能性があります。

 フランスの場合、低所得者層への援助はこれまでも手厚いイメージがあるのですが、それだけ低所得者層がギリギリの生活に窮しているということでもあり、格差社会のあらわれでもあると思われます。

 そこのところが、税金を払う側にまわるか?もらう側にまわるか?などと揶揄されることにもつながっているのですが、実際のところは、ギリギリのところで、もらう側には回れない人々が一番厳しいのかな?という気もしてしまいます。


フランスのエネルギーチケット エネルギーバウチャー


<関連記事>

「エネルギー価格の高騰に伴うエネルギークーポンの配布」

「フードバウチャーは2段階の施行 9月初めには低所得者向けにインフレ手当の支援金直接銀行振込」

「「私たちは豊かさの終焉の時を生きている」マクロン大統領閣僚理事会での厳しめのスピーチ」

「電気料金値上げによるエネルギークーポン再び配布」

「ガス・電気料金高騰で閉店に追い込まれるかもしれないパン屋さんの反乱」

2024年4月14日日曜日

春の種蒔き ベランダ野菜栽培

  


 春になると、毎年、ベランダで野菜の種を撒くのが年中行事のようになっています。今年は、3月にしばらくパリを留守にしていたし、パリに帰ってきてからも、お天気があまり良くなくて、気温も上がらなかったので、ずっと頃合いを見計らってきました。

 そもそも私がベランダで野菜を育てるきっかけになったのは、最初にアフリカに引っ越したときのことで、アフリカといえば、そうそう簡単に日本に帰ってくることも難しく、持っていける荷物にも限度があって、日本の食べ物にしても、そんなに持っていけるわけでもなく、母が、持っていけないならば、自分で育てれば?と日本の野菜の種を持っていくことを提案してくれたのでした。

 今から考えれば、アフリカにいた頃はもっと時間もあったし、広いベランダもあったし、年中お天気もよかった(良すぎ)ので、もっと本腰を入れてやれば、どんなにか立派な野菜もできただろうに・・と思うのですが、あの頃は、とにかく私はフランス語を覚えることに必死で、そこまで真剣に野菜の栽培には取り組んでいませんでした。

 その後、フランスに引っ越してきてからは、しばらくは色々と落ち着かず、仕事と子育てに忙しい日々を送っていたので、野菜を育てることもすっかり忘れていました。

 とはいえ、パリに来て、生活も落ち着き始めてから、私のベランダ野菜栽培は再開し、日本に一時帰国するたびに野菜の種を買ってきては、春になると種まきをし、春先には春菊や水菜、小松菜などの葉野菜、夏にはきゅうりというのがお決まりのスタンダードになり、その他に小葱やにら、しそ、三つ葉、山椒などの薬味の類は、欠かせません。

 なにしろ、本当に猫の額ほどの狭いベランダなので、何を優先させるかは頭の痛いところです。今年は、いつものメンバーに加えて、スナップエンドウやからし菜、ししとうなどにも挑戦します。

 数年前にパンデミックのために突然、ロックダウンになり、家から出られなくなったときも、たまたまその直前に日本に行ったときに買い集めていた野菜の種が、いつも以上に役に立ち、当初はどんな病気なのか、予想もできずに、毎日毎日、外からは救急車のサイレンが聞こえてきて、テレビから流れてくるのは、もう病院に収容しきれない患者が溢れた病院の様子などで陰鬱になりがちだったときに、ベランダでの野菜の栽培には、心がなごみ、どこか土いじりに癒されている感じがしたと同時にどんどん育っていく野菜に実際に買い物に行くのも怖かったときに食卓を彩ってくれるとれたての野菜には、本当に助かった思い出があります。

 今でも春先の種蒔きの時期になると、あのロックダウンという前代未聞の時間を思い出します。

 現在は、どこにでも買い物には出られますが、やはり日本の野菜というと手に入りにくいものも多く、なにしろ、ベランダに出れば、ちょっとした青菜や薬味などが手に入るので、こんなに便利なことはありません。

 だいたい収穫が終わる秋の終わり頃には、枯れ枝を取り除き、土を大きなケースに入れ替えて、冬の間は、野菜くずなどを少しずつ土に埋めながら、翌年用の土を作ります。我ながら、「エコだな~!」と悦に入りつつ、土づくりをしています。

 この種蒔きの時期もなかなか頃合いをはかるのが難しく、早すぎれば芽が出ないままダメになってしまうこともあり、とはいえ、スペースにも限りのあることゆえ、後の予定が詰まっていて気は焦ります。

 私の場合、一番のメインイベントはきゅうりなので、きゅうりはだいたい例年からいくと、5月の日本のゴールデンウィークあたりに撒くのが一番成功率が高いです。きゅうりは、一旦、育ち始めると、ジャックと豆の木みたいに目に見えるかたちで、どんどん蔓を撒いてどんどん育っていくので、喜びもあります。

 少し背がのびていくと、毎年のようにベランダにやってくる鳩との闘いになるのですが、これも、根気よく闘っていく日を過ごしていくとそのうち鳩も諦めてくれます。

 こうして、ごくごく狭いベランダでも植物が育っていく喜びと太陽と土と水の偉大なチカラをしみじみと感じたり、同じように育てても、育ちかたが色々だったり、収穫の喜びを味わったり・・。こんな時間の過ごし方も楽しいものだ・・と思ったり・・。

 日本の家なら、庭もあるので、野菜を育てるスペースはあるものの、日本の野菜はいつでもどこでも簡単に手に入るために、きっとこんなことしなかっただろうし、こんな楽しみも味わうことはなかったと思います。

 海外生活ゆえに始めたこのベランダ菜園も今や私にとっては大切な楽しみになっているのです。


ベランダ菜園


<関連記事>

「コロナウィルス・ロックダウン生活と海外生活」

「潤沢な日本食材を目の前にして思うこと 満ち足り過ぎると幸福に鈍感になる」

「フランス語力ほぼゼロだった私のフランス人外交官の夫とのアフリカ生活 」

「ロックダウンの我が家の収穫 ベランダでの野菜の栽培のコツ」

「パリでのベランダ菜園 本格的な種まき開始 ベランダでの野菜の育て方」

「夏のベランダ菜園 鳩との戦いの日々」