2022年9月22日木曜日

フランスのコロナウィルス第8波の始まり

  


 フランスのコロナウィルス感染者数は、夏の間は、減少を続け、むしろ、日本の方が酷いかも・・と思われる状況が続いていました。もはや、フランス人の生活は、ほぼほぼ、かつての日常に戻り、マスクをしている人も、あまり見かけなくなりました。

 先日のエリザベス女王の国葬でも参列者はノーマスクでしたが、さっそく国葬に参列したデンマーク女王がコロナウィルスに感染したというニュースも流れてきています。

 それでもその直前、WHO(世界保健機構)も「パンデミックの終焉は手の届くところにある」などと、かなり楽観的な声明を発表したりして、パンデミックもヤレヤレ・・ようやく一息つけるかと思いきや、今度はエネルギー危機とインフレで、立て続けの災難に境目がないな・・と、なんとなく、問題が別に移行しているような気にもなっていたのです。

 フランス政府は節電を呼びかけ、特に企業に関しては10%の節電の具体的な計画を検討することを提案し、企業によっては、暖房を使う部屋を減らすために、いくつかに分散されている部屋の人員を集結させて、暖房を使う部屋を減らすことで節電するなどという案なども紹介されていました。

 これまで、やたらとソーシャルディスタンスを叫んでいたのに、今度は節電のために同じ部屋に人を集めて人との間隔をつめるとは、パンデミックも完全に終結したわけでもないのに大丈夫なんだろうか?と思っていました。

 それが、新年度の開始とともに、9月6日以降、減少を続けていた感染者数が一転して上昇に転じ始め、残念ながら、ウイルスの循環が再開された兆候である1の値を超えています。

 週初めには、新たに51,816人の感染者が確認され、これは8月2日以来の記録となり、この1週間、フランスでは毎日平均28,837件の新たな感染が記録されました。これは、わずか1週間で47%の増加であり、多くの専門家は第8波の始まりであると語っています。

 今のところは、これまでに比べれば、大した数字でもありませんが、怖いのは増加率の方です。いったん、増加し始めるともう、しばらくは増加が続きます。

 フランスはここ1週間ほどで急激に気温が下がり、この気温の低下により、さらに感染症が再び増加する兆しと見られています。発生率は地域によって対照的に増加の兆候が見え始め、アルデンヌ地方では、すでに人口10万人あたり500人を超える患者さんが発生しています。

 イル・エ・ヴィレーヌ県(人口10万人あたり415人)、オート・ソーヌ県(451.98人)、ベルフォール県(458.92人)、クルース県(406.29人)、カンタル県(459.24人)の5県は、ほとんどがフランス北部に位置しており、特にフランス北部の被害が大きいことが報告されています。

 医療機関はこの2週間で入院患者数の減少がストップし、今後数日の間に再び増加することは避けられないと言われています。フランスでは、現在12,896人の患者がコロナウイルス感染が原因で入院していますが、1日平均401人が入院しており、この数字はここ数日上昇しています。

 この2年間で、コロナウイルスの季節性が明らかになり、ウィルスの循環は寒い季節の到来により活発になることは証明済であり、新しい変異種が出現せずとも、感染のリバウンドがあることは、わかっています。

 フランス政府は、まもなくオミクロン対応のワクチンが出回ることから、高齢者やリスクの高い人は、待ったなしで2回目のブースター接種を急ぐように呼びかけ始めました。

 皮肉なことに、エネルギー危機で節電を余儀なくされ、暖房も19℃までと指標が定められ、電気代、ガス代の高騰からも、思うように暖房をつけられない家庭も増える中、暖房をせずによりウィルスが循環しやすい環境を作らざるを得ない現在は、余計にややこしい第8波となるかもしれません。


フランス コロナウィルス第8波


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2022年9月21日水曜日

ストラスブール大学 節電のためにこの冬の15日間の臨時休校を決定

 


 ストラスブール大学の学長は、エネルギー価格の高騰に伴い、この冬の2週間を臨時休校とすることを発表しました。

 一昨日、ストラスブール大学学長は、エネルギー価格上昇のためのコスト削減のために、1月初旬に3週目のクリスマス休暇(通常、クリスマスの休みは2週間)、そして、さらに、2月に1週間のリモートワーク期間を設けることを説明したビデオをYouTubeで公開しました。




 「政府の発表を受けて、エコロジーへの移行において、大学もその役割を果たす必要がある」と述べ、「大学の機能をできるだけ維持しながら、エネルギー消費を10%削減する方法を模索しました」と学長はビデオの中で語り、これを正当化しようとしています。

 同大学では、エネルギーコストが爆発的に上昇しており、電気、ガス、暖房費は2021年の1000万ユーロから、補正予算で150万ユーロが追加で認められ、2022年には1300万ユーロに上昇し、2023年には、2000万ユーロの予算が計上されています。

 ちょっと一般的な家庭の金額とは規模が違うためにピンとこないのですが、大学がそもそもの本来最も優先すべきである授業を休講にしてしまうのは、ちょっと違ううえに、かなり乱暴な方法ではないかと思います。

 案の定、さっそく、これには、組合から反対の声が上がっており、組合は声明で、「行政閉鎖は公共サービスの継続性の原則に違反するものである」と述べ、「この措置により研究室へのアクセスが減少し、研究活動に支障をきたす可能性がある」

 そして、「この措置は学生や一部の職員に対する「リモートワークの押しつけ」に相当し、「雇用主が負担すべき暖房費と電気代」を学生や職員が負担することにつながる、「国が自らの雇用主の費用(暖房、(インターネット)接続、照明、ケータリングなど)を職員や学生に転嫁することは全く受け入れられない」と訴えています。

 パンデミックのために、かなり普及したリモートワーク、リモート授業の習慣ではありますが、パンデミックの場合は、感染対策のためであり、まだ合点もいく話ですが、今回のエネルギーコスト削減のための場合、リモートワークによる個々人の家庭の電力消費に負荷がかかるわけで、負担を個人に押し付ける結果になるのは納得がいきません。

 同大学組合はさっそく、「緊急の投資計画」を要求し、9月29日にストライキとデモを予定しています。また、デモです。

 中には、休みが長くなるのを喜ぶ学生もいるかもしれませんが、学生にとっての本業である講義を犠牲にしてまでの節電はお門違いで、大学側は、他の方法を模索する必要があるような気がしています。


ストラスブール大学節電のための臨時休校


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2022年9月20日火曜日

完璧だったエリザベス女王の国葬は世界中にイギリスを再評価させた

  


 エリザベス女王の国葬の日は熱狂し続けているフランスの報道も、いよいよピークを迎え、早朝6時過ぎからイギリスでの国葬の生中継が始まりました。「今世紀最大のセレモニー」と言われていたエリザベス女王の国葬は、どこを切り取っても完璧で美しい葬儀でした。

 イギリスの威厳と品格をこれでもかと感じさせるセレモニーのどの場面も、どこを切り取っても美しい素晴らしい国葬でした。


     


 そして、これを一層盛り上げたのは、数えきれないほどの一般市民で、それぞれに女王を見送る姿は、故意に演出しようとしても成し得ないものでした。

 これを相変わらず、我が国のことのように前のめりに報道し続けるフランスは、報道だけではなく、この日は、パリのメトロの駅 「George Ⅴ」駅が駅名を「ELIZABETH Ⅱ」に変更するという過熱ぶりで、ここはパリだよね・・などと思いました。




 こんなに女王の国葬に熱狂するフランスとイギリスの関係もまた、摩訶不思議な現象でもありますが、国葬当日は、さすがにフランスだけではなく、全世界40億人が見守ったと言われています。

 


 ウェストミンスター寺院での葬儀はかなり宗教色が強いもの(というよりそのもの)ではありましたが、「これがイギリスの国葬だ!」と毅然として、それを崩さない姿勢にも好感が持てました。

 全世界に流された映像は、BBCが独占で撮影したものでしたが、その場面場面、画角、演出なども、これは映画の映像かと思われるほどの質の高さで、イギリスの美しさを最高に見せつけるものでした。 

 エリザベス女王の棺は最初から最後まで、常に軍隊がガードし、葬儀終了後に棺がウィンザー城に向かう時には、棺は、海軍兵が引いていきましたが、この伝統は、ヴィクトリア女王の葬儀の際に馬に引かれていた棺が、馬がパニックになって走り出したために、倒れそうになった時、助けに来たのは英国海軍の水兵で、棺を人の背中に乗せて引っ張ったというエピソードに由来しているイギリスの伝統なのだそうです。

 


 こうした一つ一つの儀式には、伝統的な由来があり、そして、その一つ一つが美しいのですから、もう参りました・・という感じになります。

 



 極め付けの美談は、エリザベス女王は1年半彼女を待って王室保管庫に安置されていた夫のフィリップ殿下と共に、ウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂に埋葬されたということで、これはお二人が生前に、「どちらかが先に逝っても埋葬せずに待っている」という約束だったそうで、お見事としか言いようのない最期でした。

 女王の棺は30年前から用意されていたという噂もあり、ご高齢であっただけに、いつ何が起こってもいいように準備は万端であったであろうとはいえ、何から何まで、本当に見事でした。

 この国葬を見て、「イギリスって、やっぱりすごい!かっこいい!」と感じた人は少なくないはずで、エリザベス女王は、70年間、女王として国のために尽くし、またその死をもってしてもイギリスに大きく貢献したのです。


エリザベス女王国葬


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2022年9月19日月曜日

日本の天皇皇后両陛下のエリザベス女王国葬参列は別格扱いの報道

  



 フランスは9月8日のエリザベス女王ご逝去からの一連の流れに釘付けのような騒ぎようですが、いよいよ国葬の日を迎えるにあたって、脅威的な盛り上がりを見せています。

 エリザベス女王のご逝去からイギリス王室の伝統的な一連の儀式や、どれほど、イギリス国民にとってエリザベス女王がどんなに大きな存在であったか、棺と対面するためにウェストミンスターから、ベッカムでさえも12時間並んだとか、今は16時間待ちだとか、夜通し行列する人々の声などを届けながら、今世紀最大の葬儀の様子をフランスは、もう一週間以上も熱狂的に報道し続けています。

 そんな報道を見ていると、これまで取り立てて考えることもなかった王室や皇室の存在や意味、意義をあらためて思い知らされる気持ちがしています。

 この今世紀最大の葬儀と言われるエリザベス女王の国葬には、夜通し並んでまで最期のお別れをしたい国民や各国からの弔問には、年齢、性別、職業、宗教、政治的思想、国籍など全て異なる人が集まっており、こんなにも多種多様な垣根を越えて、これほどの人々が集まるという出来事は、他にはちょっと考えられない凄いことなのだと思うのです。

 国葬当日には、世界中から約500人の国家元首ら賓客が弔問に訪れ、前日夜には、世界中の要人が続々とロンドンに到着する中、この国家元首はそれぞれの国にとっては、トップの人々でありながら、これだけたくさんの要人が集まるとなると、その一つ一つの国の要人は、たくさんの弔問客に埋もれてしまい、一人一人は特に取り上げられることはありません。

 フランスでは、マクロン大統領のロンドン入りが報道されるのはもちろんのことですが、その他は、当日のウェストミンスター寺院への移動は、専用車の利用が禁止されているところ、アメリカのバイデン大統領だけが警備上の理由で特別に専用車を使うことを許可されたなどと報道されているくらいで、他はその他大勢の扱いです。

 ところが、その他大勢に入らなかったのは、日本の天皇皇后両陛下で、日本の皇室、天皇皇后両陛下のイギリス国葬参列は別格扱いです。

 エリザベス女王の70年にわたる在位中に日本の皇室は、現在の天皇の祖父にあたる裕仁(1901-1989)、明仁(1933年~2019年退位)、そして現在の成仁天皇と三代にわたり友好関係を保ち続け、成仁天皇はオックスフォード大学留学中にも、女王陛下からのご招待を受け、バルモラル城で休日を共に過ごすなど、英国王室との交流があり(皇后陛下も時期を隔ててオックスフォード大学で学ばれていた)、イギリス王室と日本の皇室との関わりの深さから、本来は日本の天皇皇后両陛下は、海外の葬儀に参列することは前例がない中、エリザベス女王の葬儀には、特別に参列することを望まれた結果で、イギリス王室と日本の皇室の強い絆が反映されていると伝えています。

 天皇皇后両陛下は「女王の多くの功績と貢献」に対して感謝と尊敬の念と深い哀しみを表し、女王の死を聞いて3日間の喪に服したと言われています。

 今回の主人公?であるイギリスは、これだけ国全体が哀悼の意に包まれている王室を大切にしている国、またそのイギリスの一大事を熱狂的に報道しているフランスも王室・皇室に関しては、やはり別格に扱うところがあるのです。

 本来ならば、500人以上の国家元首ら賓客の中には、埋もれてしまいそうな日本ですが、日本からは歴史ある皇室から天皇皇后両陛下が慣例を越えて参列されるために別格扱いの注目を集めていることに、なんだか、ちょっと久しぶりに日本が誇らしい気持ちになりました。

 これだけの賓客が集まる中、席次も大変なことだろうと思いましたが、天皇皇后両陛下は4列目に、(ちなみにバイデン大統領は16列目)着席されました。

 今、パンデミック、戦争と世界中が不安定な中、政治や宗教を越えて確固として存在し続けている何かはとても重要なもので、このエリザベス女王の葬儀の一連を見て、王室や皇室の存在というものは、思いの外、貴重な存在であったのではないか?とあらためて、感じているのです。


天皇皇后両陛下イギリス国葬参列


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2022年9月18日日曜日

フランス人の衣替えの素早さにはいつも驚嘆させられる

  


 

 ここ数日でパリはあっという間に寒くなってきました。つい数日前までは、30℃超えのちょっと動くと汗ばむような気候だったのに、あっという間に朝晩は10℃を切る寒さに突入しました。

 日中と朝晩の寒暖の差が激しいのには、さすがにもう慣れましたが、この季節の変わり目の衣替えのタイミングというものは、未だに出遅れそうになります。

 とはいえ、さすがに、出かける前には、天気予報を見て、お天気や気温を見るくらいの習慣はついたものの、その変わり目となると、どうにも、その気温の感覚が選ぶ服装と直結せずに、なんとなく、こんな感じでいいかな?と思っていくと、少し肌寒かったり、逆に暑すぎたりとどうにもチグハグになってしまうのには、パリに来て20年以上経った今でも、どうもバシッと決まり!という感じにはなりません。

 特にここ数年の夏の猛暑と夏の暑い期間が長くなったことで、私の衣替えのバロメーターがさらに狂ってしまった感じがしています。

 ところが、ここがフランス人の肌感覚の凄さというのでしょうか? 先日、出かけたら、もうダウンを着ている人がちらほらいたりして、また、彼らの服装のとおりに、しっかり寒かったりしたのには、やっぱり、彼らは、スゴいな・・と感心します。

 本当にある日を境にどっと服装が変わる、しかも、その変わり方もサンダルからダウンとかになりインパクトが激しいので、驚かされるのです。

 また、逆に暖かくなってくる時期に、少しでも気温が上がる日には、待ってましたとばかりに真夏のような格好でみんな出てくるので、これもまたスゴいな・・と思います。

 そもそも、私にとっては、フランスの天気予報というのは、あまり当てにならない印象があるので、明日は雨になるらしいから、今日のうちになんとか、無理をしてでも行っておこうとか、思って出かけると、翌日も結局、雨など降らずに晴天だったりするのです。

 前日まで、サンダルにTシャツだった人々が、一気にダウンやコート、マフラーまでしているのには、本当に見事だな・・と思わせられます。秋の訪れとともに、ブーツを履いている人もちらほらし始めます。これは、ファッションなのか?おしゃれなのか?わかりませんが、どこか、秋の風を感じたりし始める季節、季節を先取りしている感じのブーツも彼らなりのファッションなのかもしれません。

 私の印象としては、彼らには、春や秋というものの存在は薄く、夏から冬、冬から夏になるような気がします。

 そもそも、パリの街中にいる人々の服装は、本当に様々なので、多少、季節にピッタリ来ない格好をしていても、そんなに目立つことはないのですが、この季節がわりのタイミングだけは、急にダウンやマフラーなどのアイテムがいきなり出てくることに、毎年のことながら、驚かせられるのです。

 だいたい、もともと、彼らは、夏の間には、コートを防虫剤を入れてしまい込むということもせず、ほぼ一年中、同じタンスに入れたままに保管している人が多いようで、急な衣替えにも対応できる?体制を保っているような気がします。

 日常のお天気(雨が降るかどうか?)については、彼らにとっては、雨が降ろうが傘もささないので、彼らにとっては、「雨が降りそうだから、今日は傘をもっていかなきゃ・・」なんてこともないのでしょうが、この衣替えだけの素早さだけは、彼らは完璧です。


フランス人の衣替え


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2022年9月17日土曜日

WHOが発表 パンデミックの終焉は手にとどくところにある 

  


 「世界はパンデミックを終わらせるためにかつてないほど良い状況にある」「まだそこには到達していないが、終わりは手の届くところにある」コロナウィルスの出現から約3年、WHOのトップは世界的なパンデミックの将来について楽観的な見解を発表しました。

 WHOの最新のレポートによると、先週、コロナウィルスによる週間死亡者数は2020年3月以来、最低に減少したと報告しています。

 ワクチン接種の拡大により、大幅に重症化する患者数やそれに伴う死亡者数も確実に減少した結果であるとはいえ、2020年3月以来、最低の死亡者数までになたたということは、ようやく振り出しに戻っただけであるということもできます。

 このパンデミックによって、世界経済は長期間にわたり麻痺し、ワクチン接種の開発と浸透により、多くの人々の命が救われたと同時に、このワクチン接種を含む世界規模の不平等を露呈させたとも言われています。 豊かな国々は有効なワクチンをため込み、多くの貧しい国では接種率がまだ低くなっているのが現実でもあります。

 実際の感染者数が正確に把握されているとも言い難く、WHOが公式に確認した世界中の感染者数は6億人を超えていますが、公式に記録された640万人の死亡者数と同様、現実よりもはるかに低い数字だとも言われています。

 「パンデミックの終わりが見えてきた」というのは、トンネルの向こうに微かな希望の光が見えてきた程度の話で、逆に言えば、「この機会をとらえなければ、さらなる変異種、さらなる死、さらなる混乱、さらなる不確実性が生じる危険性がある」とWHOは同時に警告もしているのですが、世間の捉え方はどうしても希望、楽観的な予測に偏りがちです。

 ワクチンという強い味方を手に入れたものの、ワクチン接種をしているのに、感染するケースなどもあります。しかも、これから秋から冬へと気温が下がってウィルスが活発化する季節を迎えている今、このWHOの見解は、かなり楽観的なもので、多くの人を油断させるという逆効果になりかねないのではないだろうか?と心配しています。

 今や、フランスでは、ほとんどマスク姿の人は見かけなくなりましたし、今、毎日のように中継されているエリザベス女王を弔問する人々の長蛇の列を見ても、マスクをしている人の姿は見えません。

 しかし、一方では、フランスでも、一部には頑なにメトロの中でもオフィスでも、マスクをキープしている人がいないわけでもありません。そして、以前には、日常であったビズー(頬と頬を合わせてのあいさつ)は、未だに完全復活はしておらず、握手に切り替えている人が多いのには、ちょっと救われる気持ちです。

 いつまでも、怖がっているのは、ナンセンスな気もするのですが、私は、このまま「パンデミックの終焉は手にとどくところにある」と安堵する気にはどうしてもなれないのです。

 私は、4回目のワクチン接種を7月に済ませていますが、今度はそうそうに、インフルエンザのワクチン接種の招待券?が送られてきました。これまではインフルエンザのワクチン接種などしたことがなかったのですが、昨年は、インフルエンザに罹って抵抗力が落ちた時にコロナに罹ったら、もっと怖いと思って、インフルエンザのワクチン接種をしてかなり体調を崩してげっそりしました。

 こうして、これから、毎年、コロナとインフルエンザのワクチン接種を続けることになるのでしょうか?


パンデミックの終焉 WHO


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2022年9月16日金曜日

子供の「はじめてのおつかい」も時代が変わったことにしみじみする

  


 この間、スーパーマーケットに買い物に行ったら、レジで私の前に5歳くらいの男の子が並んでいて、気がつけば、彼は一人でレジに並んでいました。彼がレジのベルトコンベアーの前に置いているのは、数個のパンが入った袋だけでしたが、手にはゴールドカードを1枚、握りしめていました。

 スーパーマーケットのレジの近くには、つい追加してしまいそうになるガムやキャンディ、チョコレートなどが置かれているのは、どこの国も一緒で彼もまた、その中のチョコレートバーに魅了され、手にとって、それをしばらく見つめていました。

 パリで小さな子供が一人で買い物に来ているということは、非常に稀なことで、そもそも一人で外出させるということはあまりないのです。

 家庭によっても多少は差があるとは思いますが、小学校卒業までは、学校の送り迎えをするのが普通で、我が家の場合、朝学校に送って行って、仕事が終わって学校に迎えに行って帰ってくると、もう夜7時過ぎくらいにはなってしまうので、学校が終わって友達と遊ぶということもなく、学校がお休みの日はお稽古事などに追われているわけで、それも全て送り迎えが必要で、一人で出歩くということはまずなかったのです。

 たまにお友達のお誕生日会などに呼ばれてお友達の家に行く時も、必ずお友達の家まで送って行って、また終わる頃にまた迎えに行く、もしくは、招待してくれたおうちの人が家までおくってくれるという感じなので、一人で買い物に行くとか、寄り道をするとかいうことは、少なくとも小学生のうちは、ありませんでした。

 なので、買い物に行くことはあっても、必ず家族の誰かと一緒なわけで、一人で買い物をするという、日本でいう「はじめてのおつかい」のような体験はありません。

 しかし、娘が小さい頃に、一度、お店で何か一人で買い物をするということをさせてみたくて、一緒にパン屋さんに行った時に、1ユーロのコインを娘に渡して(あの頃は1ユーロでバゲット1本買ってもお釣りがきた・・)、「バゲット1本買ってきて!焼けすぎていないやつ(「Une baguette pas trop cuit s'il vous plait」)ってちゃんと言うのよ!」と言って、ちょっと離れたところで見守っていたことがありました。

 娘は最初は躊躇っていましたが、意を決してパンを手に入れ、どこか満足そうにしていた記憶があります。

 私の前にレジに並んでいた男の子に、「ん??一人??」と思っていた私は、次の瞬間、彼がチョコレートバーをつかんで「これ買ってもいい?」と控えめな声で少し離れたところにいるお母さんに尋ねているのに気がつきました。

 一人で買い物に来ていたのかと思いきや、いつかの私のように、少し離れたところでお母さんがしっかり見守っていたのです。

 お母さんは、しっかり口を結んで、「ダメダメ・・」と首を横にふると、彼は「これ、90セントだよ!」とさらにもう一声、それでも、ママは毅然として、「ダムダメ・・」と・・。彼は諦めてチョコレートバーを棚に戻していましたが、そんな光景を見て、なんだか、懐かしいような、微笑ましいような、そんな気持ちになりました。

 しかし、今は子供に買い物をさせるにもゴールドカード、しかもサインも暗証番号も必要ないし、軽くカードをかざすだけで決済が済んでしまうので、おつりの計算も心配もいりません。

 なるほど、昔はお金を預かって「お釣りを間違わないようにね・・」などと言っていた子供のおつかいも、今はひどく簡単になりました。

 一方、カードなら、余計なものがいくらでも買えてしまうので、頼んだもの以外は頑として買わせないというのは、現代のこどもの「はじめてのおつかい」には、必要な訓練なのかもしれません。

 私も最近は、すっかり現金は使わなくなり、現金を使って買い物をするということは、1年に1〜2回あればいいほどで、何かの時のために少額の現金は持っているものの、そういえば、お釣りのことなど考えることもなくなりました。

 しかし、こうして「子供のおつかい」などを見ていると、お金を握りしめて、お釣りの計算をしたりする・・そんなアナログな時代も、それはそれでよかったな・・という郷愁のようなものを感じるのです。

 

はじめてのおつかい ゴールドカード


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