2023年12月9日土曜日

ノートルダム大聖堂 2024年12月8日一般公開再開

  


 2019年の火災以来、再建工事が続いているパリ・ノートルダム大聖堂をマクロン大統領が視察訪問し、同時にこの大聖堂再建についてのいくつかの発表がありました。

 思ってもみなかったパリ・ノートルダム大聖堂の大規模火災から早や4年が経ちました。この災害に対しては、全世界から約8億4千万ユーロが集まったと言われています。

 火災直後に発表された5年以内に再建させるという計画は、当初からかなり難しいだろうという見方もあったうえに、途中、パンデミックのために工事がほぼ中断した期間もありましたが、今回のマクロン大統領の発表によれば、2024年12月8日には、礼拝と一般公開を再開する見込みであることを明らかにしました。

 とはいえ、再建工事が全て完了するのは、2030年(あるいは2029年)になると言われています。

 ただし、今後、2024年初めに予定されている屋根部分の一部に鉛が使用されることに反対する団体が「屋根に使用されるのは圧延された鉛で、その特徴は雨や風によって時間の経過とともに鉛が放出される」とし、下水道やセーヌ川を汚染すると訴える動きもあります。

 2021年に公衆衛生高等評議会が発表した報告書では、ノートルダム大聖堂の屋根を流れる水を通じて年間約21kgの鉛が放出され、この鉛は人体に有害であるという声もあるので、この声が高まれば、工事の進行が阻まれることもありえないではありません。

 また、今回の再建工事は単に以前のものを再建するだけでなく、6つの現代的なステンドグラスに21世紀の印が刻まれるとし、新しい部分も加えられることが発表され、この6つの現代的なステンドグラス制作のために現代アーティストが発注に基づいて具象作品を発表できるコンペティションが開始されます。

 そして、隣接するシテ島のオテル・デューの敷地内には、ノートルダムの功績を集めた博物館ができることを発表。これは「歴史博物館であると同時に、美術館であり、パリのノートルダム大聖堂の恒久的な建設現場を説明する博物館でもある」と説明しています。

 現在も工事中のノートルダム大聖堂を囲むように、その工事段階を説明するようなパネルが展示され、そのパネルで囲まれているようなかたちになっていると同時に正面近くには、おそらくその美術館に将来展示されるであろう様々なノートルダムを解説するような模型などが飾られているスペースができていますが、おそらく、それらを一括して展示し、また、ノートルダム大聖堂にまつわる歴史的な飾りもの等が保存される模様です。

 現在の工事中でさえも、観光客の足が途絶えることのないパリ・ノートルダム大聖堂ですが、火災前までは、年間1,200万人が来場していたと言われているノートルダム大聖堂をこれまで以上の集客を望むことのできる場所に築き上げる計画であると思われます。

 しばらく、日本に行っていたために久しぶりにフランスのテレビを見て、これまた久しぶりに見たマクロン大統領は、すごく似合わない工事用のヘルメットをかぶって、この現場の視察を行っていました。

 あくまで私の主観ではありますが、日本のニュースでみかける日本の政治家と違って精悍な顔つきで、日本の政治家のようなふやけた印象は微塵もないことに、政治家のありようが顔つきにあらわれるものだな・・などと余計なことまで感じた久しぶりのフランスのニュースでした。


パリ ノートルダム大聖堂 2024年12月8日一般公開


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2023年12月8日金曜日

日本では、保冷剤がやたらと溜まる・・日本のエコ

  


 私は日本滞在中、とにかく食べ物に熱狂的になり、とりあえず日本の食べ物となると目の色が変わり、限られた滞在中にあれもこれもと食べてみたいものが後を絶たず、食べてみたいものには、手を出し、友人や親戚などと会っても、それぞれの近況とともに、すぐに食べ物の話になり、また、この間、これ食べたんだけど、すごく美味しかった!とかいう話にまつわり、それなら、ここの○○が美味しいという話を聞いたりすると、忙しいスケジュールの間にそれを探しまわったりします。

 また、出先で美味しそうなものを見つけると、やっぱり、それはそれで食べてみたくなり、やたらと食料品を買って帰ることになるのです。

 そうしているうちに、フランスでは、ほとんど見かけることのない「保冷剤」というものがどんどん溜まっていくことになり、帰る頃には、「保冷剤」が大量に蓄積されていました。

 さすがにスーパーマーケットなどではないのですが、それがデパートだったりすると、必ず保冷剤を入れてくれていて、レジ袋などは、有料になって、ずいぶん減ったな・・と思うのですが、この保冷剤は相変わらずで、なんだかな~?と、妙な気持ちにもなりました。

 たしかに日本の気候も関係あるのかな?とも思わないでもないのですが、今は外の気温も低く、それほど保冷剤が必須というわけでもありません。昔は、アイスクリームを買ったりすると、ドライアイスを入れてくれて、家に帰ってきてから、そのドライアイスを水に入れて、もくもくと煙があがるのをおもしろがったりしていたのを覚えていますが、今は保冷剤がとってかわったのでしょうか?

 しかし、保冷剤を入れてくれるような食品は、たいてい日本にいるうちに食べてしまうのですが、それでも冷蔵したままフランスに持って帰りたいものはあります。しかし、重量の関係から、保冷剤を使うことはなく、いくつかの冷凍した食品を保冷剤がわりにして、保冷袋に一緒に入れてくるので、保冷剤をフランスに持ち帰ることはありません。

 一方、日本ならではのものには、「乾燥剤」というものがあり、この乾燥剤は、もうすでに、袋の中に入っているので、否応なしにその食品と一緒にフランスに持ち帰ることになるのですが、これは意外とその後も便利に使えるので、大きめのものなどは、そのままとっておいて、固まりやすい塩や砂糖などに入れたりして、利用しています。

 やたらと乾燥剤を使っているだけあって、日本はやっぱりなんでも湿気ることが多く、そうそう、気をつけなくては湿気てしまう・・とハッとすることもあります。逆にフランスに来て、驚いたのは、おせんべいなどがなかなか湿気らないことでもありました。

 レジ袋に関しては、かなり減ったとも思うものの、やはり、デパートなどでは、「レジ袋はいりません」などと言うと、「では、無料の包装にしておきましょうね・・」などと言われてしまうのには、「へっ??」と思ってしまうのでした。

 心配りが行き届いている日本だからこそ、エコに向かうハードルがより高いのだろうか?とも思います。


保冷剤


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2023年12月7日木曜日

海外在住者の免税でのお買い物は思ったよりも全然、簡単だった!

  


 日本国籍を持ち、且つ、2年以上海外に在住している者は日本で免税でお買い物ができるという話はこれまでも聞いたことがありましたが、なんとなく、きっと面倒なんだろうな・・と思って、これまで一度も利用したことがありませんでした。

 しかし、今回は、パソコンを買おうと思っていたので、金額もなかなか張るものなので、この際、やってみようかな?と思って、ダメ元で免税でのお買い物に挑戦してみたので、今回はそのお話にしようと思います。

 まず、現在は、入国の際にパスポートチェックが自動ゲートになっており、入国スタンプなしに通過できるようになっていますが、この際、「入国スタンプが必用な方はこちら・・」となっているところに進み、そこで必ずスタンプをもらいます。

 そして、日本で最後に住民票を抜いた住所のあった区役所で、「戸籍の附票」をもらいます。この手数料は300円(2023年11月現在)でした。また、この「戸籍の附票」の代わりに出発前に大使館で「在留届」を申請し、それを使うこともできるようです。

 免税対象になるお買い物の際に、パスポートとこの「戸籍の附票」、あるいは「在留届」の提示が求められます。

 しかし、この後は、結構、簡単で、特に免税手続きをしてくれるお店でのお買い物なら、あとは、お店の方が手続きはしてくれます。

 私の場合は、お買い物の際にお店の方に「免税手続きお願いします」と言ったら、「では、こちらのカウンターで・・」と言われて、パスポートとこの「戸籍の附票」の原本を提出、その場で免税後の価格のみを支払いました。

 この時点でパスポートナンバーを通じて、税関にそのお買い物のデータが送られているそうなので、あとは、出国の際に空港でパスポートを税関で見せればよいと言われました。また、その際に一応、免税にした商品は手荷物にして、未使用、未開封ということになっていますという注意を受けたので、そのとおりに携帯しました。

 その免税手続きのチェックが空港のどの場所なのか?よくわからなかったのですが、それは、保安検査場の奥にある「税関」というスタンドで、「免税手続きをしたいのですが・・」と言ったら、「では、パスポートをこれに通してください」と言われて、「ピッ!」とやって、それで終了です。

 アトランダムでチェックがあるのかもしれませんが、私の場合、商品のチェックはありませんでした。

 今回は、このパソコンしか、免税でのお買い物をしませんでしたが、後になってから考えれば、今は外国人観光客のために免税をうたっているお店も多く、特に渋谷などのドラッグストアなどは、どこもこの免税手続きをやっていて、スゴいな・・と感心したのですが、そういえば、私も少なからず、私も日本の薬なども買っているので、免税にしてもらえばよかった・・と後になってから思いました。

 また、日本に行けば、必ず立ち寄る「ユニクロ」なども、免税をしてくれるので、これまた、バラバラ買わずに一か所で買って、免税にしてもらえばよかった・・とこれまた後悔。ユニクロはパリにもあるのですが、価格も違い、そのうえ、品揃えは日本には叶わないので、必ず行きますが、今回は免税してもらい損ねました。

 ユニクロは、店舗にもよるのかもしれませんが、「他の店舗(ユニクロ)で購入した商品に対してもまとめて免税にします」と書いてあったので、時間があれば、後になってから、持っていけば、免税にしてもらうことができたのですが、私の場合、時間がなくて、それもできませんでした。

 次回の一時帰国の際には、とりあえず、この免税でのお買い物にもっと、注意を払い、出かけるときは、パスポートと戸籍の附票を持ち歩き、免税できる場合は、してもらおう!と思います。

 海外在住2年以上の方々、これを、利用しない手はありませんよ!


海外在住者の免税手続き


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2023年12月6日水曜日

羽田空港 国際線ターミナルがあまりに混んでいて焦った!

  


 いよいよ、フランスに戻る当日、羽田からシャルルドゴール空港への直行便は、以前よりも出発が早くなっていて、朝8時半頃に離陸のスケジュールでした。

 ということは、ふつう、国際線の場合は2時間前くらいまでに空港に行くのですが、そうなると朝6時半までには、羽田に行っていなければならないということで、かなり早朝に家をでなければならないとなって、娘が車で送ってくれることになりました。

 朝は道もすいているということで30分もあれば充分だろうということで、家を出たのが6時頃、予想どおり道はすいていて、スイスイと羽田空港に到着しました。

 ところが、スイスイ来たのは、空港までで、羽田空港は、こんな時間だというのに大混雑。前日にネットでチェックインが済んでいるとはいえ、結局のところ、荷物を預けなければなりません。

 後になって、冷静に考えれば、いくつもある行列には、チェックインをするための行列と、荷物を預ける行列と保安検査場を通るための行列があったのですが、あまりの行列にどれがどの行列なのかがわかりにくく、「最後尾はこちら!」という看板を持っている人が立っているものの、それが何の行列の最後尾なのかがわからず、最初に違う行列にならんでしまったりしたために、時間はギリギリになってしまいました。

 チェックインも荷物を預けるのも、保安検査場へ通るのも、すべて自動化されて、簡素化されているはずなのに、こんなに何重にも行列ができてしまうということは、どこかが上手くいっていないと思われます。

 これまでは、2時間前に行けば、余裕でOKだったはずなのに、現在だと、もう少し時間をみなければならないかもしれません。

 なんだか、気のせいかもしれませんが、これまで日本はどこへ行っても至れり尽くせりなサービスで痒いところに手が届く感じだったのに、あれ?と思う場面が、今回の滞在では時々、見え隠れしたような気がしています。

 それが、よりにもよって、荷物の重量問題でドキドキしている最後の最後だっただけに、大いに焦ってしまいました。

 「いつも、こんなに混んでいるんですか?」と聞いてみたところ、「最近は、いつもこんな感じです」ということだったので、パンデミックで一時は空港もシンとしていたことを考えれば、見事に復活したとよいことだと考えることもできますが、それならそれで、なんとかしてほしいな・・と思います。 

 そんなわけで、いつもは、最後にコンビニに寄って、最後の最後に買い物をしていくところ、それができずに、大変、残念でした。

 しかし、ギリギリのタイミングで荷物を預けたおかげで、パリに着いたときには、荷物がいつもより早く出てきて、早々に荷物をピックアップして空港を出ることができました。

 シャルルドゴール空港からは、タクシーで家に帰ったのですが、運転手さんによれば、パリは、今、わりと観光客が少ないそうで、今日もお客さんを拾うまで2時間くらい待っていたとかで、商売あがったりとのことでした。

 しかし、まあ、パリの場合は、バカンスとバカンスの合間の一時的なこととも考えられますが、しかし、これはこれで、今までこんなことあったかな? 飛行機はまあまあ混んでたので、タクシーを避けて、他の交通機関に流れているのかな?などとも考えられますが、私の場合、日本から帰った際は、とても、他の交通機関に頼れる荷物ではないため、他の選択肢はありません。

 とはいえ、あっという間の3週間も過ぎて、無事、フランスに帰国いたしました。すごく忙しかったけど、とっても楽しい日本滞在でした!


羽田空港国際線ターミナル激込み


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2023年12月5日火曜日

今回の日本への一時帰国 思わぬ娘への二次被害

  


 今回の日本への一時帰国は、本当に良く食べ、良く遊びました。

 私としては、もともと、「日本へ行ったら、好きなもの、食べたいものは思う存分、心おきなく食べる!フランスに戻ったら、しっかり元に戻すから、それでいい・・」と思っていたので、ある程度の体重増加は覚悟していました。

 実際には日本に来る時点で体重を測っていなかったので、どれだけ体重が増えたのかはわかりませんが、確実に太ったと思います。

 なにしろ、「食べるぞ!」という気持ちが高まり、ちょっとした興奮状態でもあったので、食べても食べても、またすぐにおなかがすいてしまうという満腹中枢がイカれた状態であったので、自分でも、ちょっと滑稽なほど、四六時中食べていて、いっ時、おなかがいっぱいになっても、また、次の食事に備えて、おなかをすかせるために、できるだけ動くようにしていて、また、おどろくほど、すぐにおなかがすいて、食べるということを繰り返していました。

 周囲にいる娘も友人も従姉妹も、そんな私の様子を「ちょっと、おかしいんじゃない? おかしいよ! 大丈夫?」と、そんな私を笑いながら、呆れた様子で面白がっていました。

 いよいよ、荷物のパッキングを始めて、前日の夜にとりあえず、全部の荷物を入れて計量してみた結果、どうにかギリギリセーフラインに達しました。

 家での計量は難しく、まず自分の体重を測ってから、次にスーツケースを持って体重計に乗り、差し引いて計算するのですが、自分で一度、計量しただけでは心許なく、娘に、「あなたも測ってみて!」と頼むと、「ちょっと、太ったと思うから体重を測りたくない・・」と。

 それでも、私にとっては、スーツケースの計量は重大問題。空港に行ってから、中身を捨てるわけにもいかないので、「どうしても!お願い!」と懇願して、娘を説き伏せました。

 娘はしぶしぶ、まず自分の体重を測ったところで、「ちょっと信じられない・・」と、もうスーツケースどころではなく、「こんなに増えてる!過去最高体重になってる!」と茫然自失。

 私は軽く、「まあ、あれだけ私に付き合って食べていれば、仕方ないよ・・私も覚悟してたし・・」と言うと、「私は全然、覚悟していなかった・・」と。

 それからの娘の落ち込み具合は、ちょっと笑ってしまうほどで、もうしばらく何も手に付かない様子。それでもスーツケースを持って測ってもらうと、どうやら、結果は同じ、スーツケースの方は、ギリギリセーフと私と同じ結果でした。

 今回の私の日本滞在中は必ずしも、四六時中、娘と一緒にいたわけではありませんが、私が食べたいものを後から後から買ってきて、まあ、一人で食べきれなくても娘がいるから・・と思って遠慮しなかったのですが、買ってきたものが、「あれ?もうなくなっちゃったの?」ということはたびたびありました。

 どうやら、娘は私の壊れた満腹中枢の余波を受け、娘は見事に増量していたのでした。

 それでも、彼女は、前向き。しばらくすると、「今、わかってよかった!ちょっと太ったな・・くらいに思っていたけど、かなりヤバいことに今、気がついたから、これでママが帰ったら、せいぜい運動に励んで、ダイエットして、早いうちに取り戻せる!」と。

 やっぱり、私は、そろそろフランスに帰った方が娘のためにもよさそうです。


ダイエット 体重増加 一時帰国


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2023年12月4日月曜日

真剣勝負の荷物の調整

  


 フランスに帰国する日が近づいてきました。

 今回の一時帰国は、かなり、いつもとは違って、ガンガンに自分の好きなことに時間を費やしたために、いつも以上に満足感があり、違う日本をたくさんみることができた本当に楽しい時間でした。

 しかし、日本への一時帰国において、私の中でのもう一つの重大ミッションは、たくさんの日本の食糧をフランスに持って帰ることでもあり、これから帰仏までに荷物の調整をしなければならない大変な局面でもあります。

 日本に到着して以来、ここまでの間には、少しずつ自分の「買いたいものリスト」に基づいて、少しずつ、リストに載っているものを買い揃えてきたと同時に、旅行などに行く先々で欲しいものを買い足してきて、あとは、荷物をスーツケースに詰めながら、重さとの兼ね合いでギリギリまで調整します。真剣です。

 正直、スーパーマーケットなどに行っても、欲しいものだらけで、どれから手をつけたらいいのか、毎回、困惑するほどです。

 今回の帰国のフライトは、23キロのスーツケースを2個と手荷物分少々で、約50キロほどが許容範囲になっています。

 重たいものからどんどん詰めていって、カサと重さの調整で、自分がこれまでに買い集めたものが一体、どのくらいの重量になっているのか、これだけ、何回もフランスと日本を行き来しているのに、いつも、全く見当がつきません。

 さきほど、ヘロヘロになりながら、一つ目のスーツケースに荷物を詰め始めてみたら、思ったよりも全然、重量に余裕があり、まだまだ、持って行けそうで、明日は少し買い足そうと思っていますが、いつも、最後に詰める冷蔵庫や冷凍庫の中に入っているものがくせ者で、たいていは、出発の日に全部を詰めてみると、結局は重量オーバーとなり、泣く泣くおいていかなければならないものが出てしまうので、今回は買い足しは少し控えめにと思っています。

 おそらくパリは、海外の中でもわりと日本の食材が手に入る場所だとは思うものの、実際に日本にあるものには、それを遥かに上回る種類のものがあるうえに、現在は、かつてないほどの円安で、ユーロに換算すると、驚くほど安いことになるので、ついつい、いつもよりもいじましいことを考えてしまいます。

 今回持って帰る食材をまた、次の帰国までの間に本当にもったいぶって使っていくのですが、これからしばらくの私の大切な食糧となるために、この最後の踏ん張りは、あなどれないのです。

 海外在住経験者なら、おそらく多くの人が同じように、一時帰国の際は苦労して、あれやこれやと持って帰る経験をされていることと思いますが、本当に滞在中のさまざまなアクティビティの中で、ある意味では、ひとつのハイライトでもあります。

 娘もパリにいた頃には、2人で100キロほどの荷物を持って行けていたので、羽田でチェックインの際には、「お引越しですか?たいへんですよね・・」などと言われて苦笑してしまうことも度々でした。

 今は日本で生活している娘が、私が「これ持って帰る!これも・・あれも・・」と欲張って買い物しているのをほくそ笑んで見守っていて、私が「やっぱり、これは無理だったから、置いていく・・」と言い出すのを待っています。

 そんなことにならないように、もう日本滞在中に充分すぎるほど、毎日毎日、これでもかというほど食べ続けてきたので、最後の最後に欲張らないように自分を戒めようとおもっています。


帰国の荷物 23キロ×2


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2023年12月3日日曜日

終末期のデザイン

  


 昨日まで一緒に旅行していた友人と東京への帰り道、「私は明日からまた旅行だ・・」と話したら、彼女は、「私は明日は、施設にいる母親の面会に行くの・・」と、ちょっと暗い顔をしたので、「お母様と少しでも良い時間が過ごせるといいね・・」と話したら、どうやら、すでに、そんな状況は通り越してしまっているようで、もうすでに、いつなにがあってもおかしくないような状態なのだとか・・。

 もう最近、身近な人や友人などに会っても、たいていは、親のどちらかの介護の話や、少々、記憶が定かではなくなってきているような話や、叔父さんが急に余命宣告を受けたとか、急に亡くなったとか、そんな話ばかりです。

 私の両親は、二人とも、すでに他界してしまっているので、もうそういう状況からは悪く言えば、解放されているのですが、私たちの世代は、こちらも子供が大きくなって子供に手がかからなくなってきたとはいえ、自分自身もそろそろガタがきはじめているところに、子育て終わって、次は介護・・で、介護もまた、別の意味で厳しくなってしまうようで、いつにしても親の介護問題は、大変なことです。

 しかし、彼女の話を聞くと、彼女の両親は、ある程度、心身ともにしっかりしているうちに、自分たち自らで介護施設を探して、子供たちが親を介護施設に入れるということに罪悪感を感じたりすることもあろうと、年金等の計算もしつつ、経済的な算段もつけて、あらかじめ申し込みをしていたということで、その後、施設に入って、先にお父様が亡くなって、現在は、お母様が一人で施設に入っておられると段階、これまで経済的にも子供たちの負担はまったくなかったとのことで、こんなケースもあるのか?と話を聞いて、びっくりしました。

 それでも、すでにお母様はかなり弱っていらっしゃるようで、すでに個室に移られていて、個室に移るということは、やはりかなり重篤な状態を意味することのようで、彼女が今回、面会に行ったのは、この先、どう最期を迎えるかということの相談のようで、彼女たち兄弟が直に介護するというわけではなくとも、精神的にもかなり厳しいことには変わりなく、気の重いことに違いありません。

 しかし、体調的には、年齢相応の衰えがあるものの、それ以外は特にここが問題というところがないままに衰弱していらっしゃるというのも、それはそれで厳しいことで、うまく死ねるということも大変なこと、最近、そんな話ばかりを聞いていると、ちゃんと死ねなかったらどうしよう?などと、考えてしまいます。

 いずれにしても、生まれて来るのも、死にゆくのも自分では選べないものの、少なくとも自分の終末期のある程度のデザインは、事前にできないことでもないかもしれないと、彼女の話を聞いて、考えさせられたのでした。


終末期


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