2024年3月15日金曜日

周囲の人たちが抱える親の介護と日本の家の相続問題

  


 日本に帰国して以来、今のところ、毎日のように次から次へと会っている日本に住んでいる従姉妹や叔母や弟などの親戚の面々。それぞれに、お互いを子供の頃から知り合い、共通の思い出を積み重ねてきた彼女、彼らは、年齢を重ねるとともに、より大切に思える貴重なものを共有している者どおしが持つ親しさに格別なものを感じています。

 そんな同世代の彼女たちが現在、抱えている問題は、親の介護と相続問題。

 どの家も少しずつ、カタチは違うものの、将来に対する不安には、共通するものがあり、同様の悩みを打ち明けつつ、「みんな色々あるんだなぁ〜」としみじみ感じています。

 多くは、結婚するなり独立しているので、親とは離れた(といっても国内、しかも車で行き来できる範囲ではありますが・・)場所で生活していて、歳とともに、親が病気をしたり、怪我をしたりして、トラブルを抱える回数やその深刻度は、ここ数年でどんどん増していて、両親が揃っている場合は、もしも、両親のうちのどちらかに何かがあった場合は、どうしよう?

 もうすでに居を別に構えている自分たちと、かつては自分たちが育った両親が住んでいる家を将来どうしよう?と皆が不安に思い、また、兄弟間での相続問題など、どうしようか? どうなるのか? については、急ピッチで考えて動き始めなくてはならない状況のようで、「けっこう皆、それぞれに大変そうだ・・」と思うのです。

 我が家の場合は、もうすでに両親ともに他界してしまっているために、すでに相続手続きは住んでいるのですが、動産ならばともかく、家の相続となると、厄介で、その家を残して、兄弟のうちのどちらかが住むか? 家を処分して、もっと住みやすいマンションなどに買い替えるか?など、色々と考えあぐねているようで、「どこの家も大変なんだなあ・・」と思い知らされています。

 私の周囲の場合、だいたい両親が一軒家に住んでいるケースばかりなので、たとえ両親が揃っていたとしても、老夫婦だけで住むのが少しずつ難しくなっているようで、かといって、自分の家やマンションがあり、自分の子供たちの生活環境など(学校の問題など)もあるので、そうやすやすと居を移すことは難しく、親の側が頑として動きたがらずにいたりと苦労しているようです。

 そして、同時に自分たちの老後、そして、子供にどう不動産を受け継いでいくのかなども同時に考えていて、そうなってくると、どうしても子供の数が少なくなっているために、家族内というか、親族内でどんどん家が余ってくることになり、それを将来、子供たちが相続したとしても、そのまま相続すれば、大変な負担になってしまうのだろうと、皆、それぞれに考えあぐねていて、自分の親から相続することと同時に次の世代に相続させることを考えなければならず、かといって、将来、自分たちがどうなっていくのか?必ずしも思い描けるわけでもなく、日本で空き家問題が増えているのもわかるような気がしています。

 まあ、相続問題で頭を悩ませることなど、贅沢といえば、贅沢な悩みではありますが、でも、みんなが久しぶりに会う私のところに来てくれてはそんな話をしていくので、それぞれの家族構成を昔から知っているだけに、親の急激な老化に直面している話を聞いたりすれば、身につまされるような気持ちになるのです。

 しかし、まあ、そんな話を聞きつつも、無駄口もけっこうたたいて、楽しいおしゃべりの時間はあっという間に過ぎていきます。

 以前は、子供の教育などについて、色々と話したりもしていた時期もあって、そんな時は、その時々は、一生懸命であったにしても、現在の老化と相続の問題は、より深刻で、予想外のことが次々と起こるために決して楽しい話ばかりではありません。

 私などの場合は、たまに海外からやってくるということで、かえって気楽に話しやすいということもあるかもしれませんが、どどん・・と重いものを抱えている彼らが愛おしいような気さえします。

 そういう私も今回、急に帰国しなければならなかったのは、日本にある家の件についてなのですが、もうどうするかは、弟と事前の打ち合わせでどうするかは決まっているために、そこまで深刻な話なわけではありません。

 しかし、年齢とともに直面する問題というものは、皆、似通っています。


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2024年3月14日木曜日

最近の日本到着後の定番スケジュール

  


 私が日本への一時帰国の際、まず行く場所は美容院で、とにかく、とりあえず、日本行きのチケットを取ると、到着翌日の美容院を予約します。

 前回は、たまたま帰国翌日の日が美容院の定休日に重なってしまったために、その穴を埋めるために急遽なんとか、長期のフライトの疲労回復のために、初めてマッサージに行ったのですが、それに味を占めて、今回は、美容院と同日にマッサージを予約、この日で、かなり回復できるだろうと目論んでいたのでした。

 ところが、美容院が想像以上に時間がかかり、昼食の時間を逸し、思っていた場所での食事ができなくなり、それからが運の尽き。とりあえず、もうここでいいやというお店で食事をし、予定していた買い物も一軒だけに縮小して、次の場所に移動。

 その日は、一日中雨と風に見舞われ、気温も低く、移動のたびに傘をさしていても濡れ、マッサージの場所についたときには、身体も冷え切って、疲れ果てていました。

 途中の予定を飛ばしてしまったために、マッサージの予約時間にはまだ早かったのですが、とりあえず、もう外をうろうろしている元気はなく、とりあえず、予約時間に遅れないように、その場で少し待たせてもらうつもりで向かいました。

 すると、すぐに待たずにマッサージを開始してくれるというので、着替えて、いそいそとマッサージ台へ。

 ところが、身体が冷え切っているうえに、ガチガチになっていて、マッサージの痛いこと痛いこと!ほんの小さな刺激でさえもが拷問のような感じです。

 前回のマッサージの際には、身体中に血管がどう張り巡らされているのかを実感できるような感じで、身体がほぐれていく感じだったのに、今回は身体がガチガチに固まりすぎていて、もう痛いこと痛いこと!

 後半になって、ようやく身体がほぐれはじめて、少し身体が動く感じがしたものの、なんとなく、前回のようにはいかずに、消化不良な気分で、また雨風の中、帰宅したのでした。

 その日は一日中、雨で、もう疲れ果て、前日、時差ボケのために家に着いてからまったく眠れていなかったので、さすがにこの日は眠れました・・・がまた、翌朝は、早朝5時にパッチリ目覚めてしまい、また、料理をしたり、洗濯をしたり・・眠れずにイライラしながら寝返りを打っているのはもったいないと、動き始めました。

 しかし、身体は疲れがどっと出て、この日の予定は入れずに少し、ここでゆっくりとしてその後に備えようと、午前中の早い時間から、銀行に行ったり、近所で買い物をしたりして、「さあ!もう今日は家にいよう!」とあらためて、この家で過ごした日々の思い出に浸りながら、掃除をしてから、仲良しの叔母に到着のご挨拶がわりの電話。

 結局、その日はもう私はどこにも出かけたくないという私のわがままから、叔母が家に訪ねてきてくれて、一緒におしゃべりをしながら、しばし楽しい時間を過ごしました。

 本当に前日の雨風が恨めしいくらいの晴天でした。

 夕方には、従姉妹から連絡があり、仕事帰りに寄ってもいい?というので、「私は出かけたくないけど、それでもいいなら・・」と彼女の到着を横になりながら待っていました。

 みんな、日本食に飢えていると思ってくれているのか、みんなが食糧持参で来てくれるうえ、私自身も買い物に行くたびに食べたいものを買ってきているので、それらをワイワイとおしゃべりをしながら、一緒に頂きました。

 途中で娘も仕事からお土産持参で帰ってきて、それに参加。日本に来て、外食も楽しいですが、「疲れてる・・」という私のわがままで、家にまで来てくれることをありがたく思いながら、こういうのもいいな・・と自分の都合よく思うのでした。

 今回は、あまり荷物が持てなかったので、おみやげはいつもに比べるとあんまり買ってきていないのですが、とりあえずは、大きなチーズの固まりを買ってきているので、人が来てくれるたびにそれらを切り分けてお土産がわりに持って行ってもらうと、半分お世辞でしょうが、みんな、とっても喜んでくれて、あ〜フランスのチーズに助けられたな・・と変なことを思うのでした。

 まだまだ、これから先は、本来、今回の帰国の用事の本題の方が控えているので、無理をせず、楽しく過ごしたいと思います。

 みんな、私のわがままを許してくれて、ありがとね。


マッサージ


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2024年3月13日水曜日

機内で出会ったイタリア人女性の1ヶ月間の日本一人旅

  


 日本に来る飛行機は満席で、しかもケチって座席指定もしていなかったので、一体、どの席に割り振られているのかは、運次第とはいえ、そのフライトの良し悪しを大きく左右するものでもあるので、心配でもありました。

 私が飛行機に乗り込んだときには、私の隣の席には、もうすでに若いヨーロッパ系の女性が一人座っていて、とりあえず、こんにちわとあいさつをして、私は通路側であったことにホッとしていました。

 私は、以前に怪我をして、足に血栓ができたことがあって、それ以来、飛行機に乗った時には、定期的に機内を歩くようにとお医者さんに注意されているので、そのために本当は通路側が好ましいのです。

 通路側であることにホッとしたとともに、あいさつをした感じで、13時間近くという長いフライトの間の隣人となる人が、ちょっとふっくらした、穏やかそうな感じの良さそうな若い女性であることに一先ず、よかったな・・と思いました。

 出発時、機内のアナウンスからは、「オンタイムで出発します」ということだったのですが、結局、飛行機が離陸したのは、予定時刻を20分ほど過ぎた頃でした。まあ、20分程度の遅れならば、フランスの航空会社としたら、ほぼオンタイムに等しいことです。

 飛行機が離陸してすぐに隣の彼女は早々に寝てしまい、なんとなく、寝そびれてしまった私は、食事のサービスが終わったら、寝ようと、大人しく、映画を探してみたり、持っていた本をちらちらとのぞいていました。

 隣の女性は、眠っていたので、食事をパスしてしまうのかな?と思っていたら、食事のサービスが始まると、器用に目をさまして、黙々と食事を始めました。ただ、アジア系の顔をしていない彼女は、CAさんからみたら、フランス人だと思われたのか、サービスのたびに悉く、CAさんからフランス語で話しかけられ、おそらく大体の意味は理解していたものの、返答に困っていたので、ああ〜彼女はフランス人ではないんだ・・と私はその時に彼女がフランス人ではないことに気が付きましたが、そして、その時は、あえて、どこの国の人が尋ねることもしませんでした。

 日本行きの直行便なので、日本人かフランス人が圧倒的に多いわけで、日本人の顔をしていれば、CAさんは、たいていは英語で話しかけてくれるのですが、彼女に対しては、フランス人以外であるということに気をとめることもなく、あくまでもフランス語で話しかけるのには、その度に少々、決まりの悪い顔をしている彼女が気の毒な感じがしていました。

 彼女と話を始めたのは、到着4時間くらい前になった頃のことで、彼女の方から、「すみません、座席の下に髪をとめるクリップを落としてしまったのでさがしているのですが・・」というので、一緒に探し、わりとすぐに、それは見つかりました。

 その時も彼女は私に英語で話しかけてくれたので、どちらの方ですか?と聞いてみたら、彼女はイタリア人の若い女性でこれから、1ヶ月近くを日本中を一人で旅行して歩くつもりだという娘と対して年齢が変わらない女性でした。

 彼女曰く、日本に行くのは初めてのことだけど、自分は日本が大好きで、日本の食べ物、日本の文化、マンガなど、全てが大好きで(マンガだけではないのよ!とマンガオタクではないことを強調)、1年近く前から、着々と準備をして、毎日、カレンダーに印をつけながら、ものすごく楽しみにこの日を待っていたということで、もう全てが準備万端でワクワクしている!と目を輝かせて話してくれました。

 どこの国の人にしろ、それがどんな理由であろうとも、日本にそんなに好感を持ってくれる人に出会えることは嬉しいことです。この旅行のたびに彼女曰くお金を貯めるために、1日9時間以上働いてきた・・と話してくれて、一瞬、イタリア人が毎日9時間以上も働くんだ・・と内心驚いたのも事実です。

 彼女は入念に日本国内の行き先を選び、どこへ行って何をするか?宿泊先も全て予約済みとのことで、当然、ジャパンパスレールも準備し、日本の携帯のSIMカードまで、すでに持ってきているの!と得意げに見せてくれました。

 それから、色々な話しをして、しばらくすると、彼女が今度は、「大事なSIMカードをどこかに落としてしまった・・」と血相を変え始めました。もうこの時は、彼女の日本での大冒険旅行の話を聞いていた私は、もうそれは他人事ではないと、一緒になって、しばらくの間、SIMカードを探し続け、ポロッと落ちているカードを私が発見しました。

 彼女は、飛行機の中で、「これは、イタリアのSIMカードだから、これと交換して・・」と一応、ひと段落がつきました。すると、またしばらくすると、今度は「携帯がない!」と。

 多分に気分が高揚しているのはわかりますが、これから先の日本での一人旅、ますます心配になりました。

 私の娘もしょっちゅう失くし物をしているので、どこか娘と似ているところがあるなと思いつつ、娘が先日、お財布を失くして、そのことに4日間も本人は気づかないでいたにもかかわらず、4日後には、そのお財布が見つかった話を彼女に話しました。

 「しかし、これは、日本では不思議なことではないにせよ、日本とはいえ、必ずしも見つかるとはかぎらないんだから、本当に気をつけなさいね・・」とまるで、彼女のママになったような気分でした。

 「日本で、なにか、困ったことがあったら、いつでも連絡してね・・そして、もしパリに来ることがあったら、うちに泊まってくれていいよ・・」と彼女とはアドレスを交換しました。

 彼女は、その日は京都泊という結構、キツいスケジュールを組んでいて、羽田についたら、すぐに東京駅に向かって新幹線に乗る予定だと言っていて、パスポートチェックで外国人と日本人で別れたあとは、はぐれてしまって、結局、その後は、会えずじまいでした。

 しかし、考えてみれば、東京駅の新幹線の時間に間に合ったかどうかは、甚だ疑問、でも、あれだけ、日本を楽しみにやってきてくれる人と直に触れ合えたことは、はじめてのことで、長いフライトが少しだけ短く感じられた楽しい、イタリア人女性との時間でした。

 どうか、彼女が1ヶ月近い日本での一人旅を無事に楽しく過ごせますように・・。


外国人観光客


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2024年3月12日火曜日

久しぶりのエアフランス日本行き直行便

   


 今回、日本にある家のことで、どうしても日本に行かなければならない用事ができて、日本には、つい3ヶ月前に行ったばかりなのに・・また、長距離フライト嫌だな〜と思いつつも、仕方なくて、4月以降になると運賃が跳ね上がるだろうし、それより先はまたパック(イースター)のバカンス時期になるし、その後は、日本のゴールデンウィークと重なるし、それより先は、もうパリはオリンピック騒ぎで、また、ストライキなども起こりかねないし、いつも以上に空港は警戒体制に入るだろうから、何かとトラブルが多そうで、もう用事はできる限り、早く済ませておきたいと、なんとか3月中にと日本行きを決めたのです。

 ただでさえ、時間がかかるために、今回は、直行便のみに絞って航空券を探したのですが、パリから日本(東京)への直行便となれば、JALかANAか、エアフランスだけで、もうあまり選択肢がなかったのですが、それでもできるだけ安いチケットと思うと、これまで、さまざまなトラブル(主にはストライキですが・・)のために避けていたエアフランスのチケットを購入しました。

 ちょうど、同時期に日本に行くという友人から、チケットがいくらくらいだったのかを聞いていたため、それでも安かった・・というのが頭にあったため、それよりもさらに安くて、直行便で1,200ユーロを切る値段のものを見つけたので、「もうこれでいいや! ストライキが起こりませんように・・」と決めたのでした。

 ただ、日本に行く際に(私の場合は)絶対にチェックしておかなければならないのは、持てる荷物の制限で、安い!と思ったチケットには、預けられる荷物の料金が入っておらず、後になってから、別払いで、スーツケースの料金は追加しました。しかし、荷物の分を追加したとしても、まだまだ日本の航空会社よりは安かったので、まあ今回はそれでよしとしました。

 以前は、日本行きのエアフランスの便は1日2〜3便あったと思うのですが、今は若干、減っているようで、それなりに日本に行く人も以前よりは減っているのかと思いきや、CDG空港でチェックインの際に満席ですか?と聞くと、満席とのことで、比較的小さめの航空機ではあったものの、やはりキツキツでした。

 長らくお目にかからなかった日本の添乗員さん付きのツアー客らしき人々もいて、知り合いの添乗員さんいないかな?などと探しましたが、どうやら時代は変わっているようでした。日本からのお客さんも以前のようにブランド物の袋を持っている人などもほとんどみかけることはなくなり、服装などからみると、全体的に以前よりもおとなしめの印象を受けました。

 現在、パリから日本への直行便はフライト時間12時間50分とのことで、一時の迂回便よりはマシになっているものの、やはり長いフライトでした。

 機内はかなりシンプルで、以前はあったエチケット袋や機内紙や機内食のメニューなども一切なくなり、シンプルなのは、けっこうですが、さすがに外国?(フランス)のCAさんがほとんどなので、なかなかつっけんどんな感じだったり、妙にお客さんに媚びる感じがないのはよいのですが、よく言えば、フランスらしい感じではありました。

 飛行機が少し揺れ出した時に、急にお腹が痛くなり出して、私としては緊急事態であわててトイレに駆け込もうとしたら、フランス人のCAさんに「ベルト着用サインが出てるでしょ!」と怒られたけど、「私も緊急事態です!」とトイレに駆け込んでしまいました。本当にもう油断ならない状況だったので・・。とりあえず、飛行機も私も無事でした・・。

 たまたまだったのでしょうが、比較的、年長のCAさんが多く、フランスではあまりドギツいメイクをしている人は滅多にお目にかからないのですが、このCAさんたち、日本到着数時間前に現れたときには、かなりしっかりメイクしておられたのには、ちょっとビックリしました。そういう社風になったのでしょうか?

 まあ、時期も時期で中途半端ということもあるのでしょうが、一時は日本行きの直行便には、ほとんどフランス人のお客さんしか乗っていなかった時期もあったので、それを考えたら、フランスから日本への観光客は、以前のようには戻っていないのかもしれません。

 しかし、数日前に日本にいる友人が京都に行ったら、外国人ばかりで、まるで海外旅行をしているみたいだった・・と言っていたので、日本にも外国人観光客はいるところには、山ほどいるようです。

 なんどか痛い目にあったために避けていたエアフランスですが、まあ、到着先は同じ場所、できるだけ安いチケットをと思ったのですが、とりあえずは無事に到着いたしました。

 それにしても、以前は2月、3月頃ならば、700〜800ユーロというのもあったのに(一体、いつの話をしているんだ!と言われそうですが・・)、1,100ユーロ台でも安い!と飛びつくようになってしまったのですから、それにしても物価が上がったんだ・・とゲンナリしますが、仕方ありません。

 パリを夜、出発して、日本に着くのは日本時間で翌日の夜です。時差があるとはいえ、やっぱり長旅・・。早くロシア上空を飛べる以前のような以前の通常運行状況に1日も早く戻ってもらいたいと思います。


エアフランス パリ発東京行き


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2024年3月10日日曜日

「実家に帰らせていただきます」とは言えなかった海外生活

  


 昔の日本のドラマを見ていたら、「実家に帰らせていただきます・・」みたいなシーンが出てきて、そういえば、私には、そういう選択肢はなかったな・・考えたこともなかった・・と思いました。

 なにしろ、実家に帰るといっても、そうそう簡単には帰ることはできないのです。帰るとなったら、仕事も何もかも捨てて・・ということになってしまうのですから、そうそう簡単に口にできる話でもなく、自ずと私の意識からは、排除されていたのだと思います。

 そもそも、昔のドラマなので、今の時代、日本でもそういうセリフを叩きつけて実家に帰ってしまうというようなことがあるのかどうかもよくわかりませんが、そんなことが簡単にできなかった環境に結局は救われたのかも?という気持ちと、夫婦喧嘩をして、気安く実家に帰れる環境が羨ましいような、そんな両方の気持ちがありました。

 夫とは、そんなに派手で壊滅的な喧嘩をした記憶はありませんが、それでも波風が全くたたなかったわけでもなく、言い合いをしたり、喧嘩をしたこともありました。たいていは、ヒートアップしてくると、もう彼の方は、普段はわかりやすく、ゆっくりめに話してくれるフランス語も早口になり、語調も強くなり、私の方は、もう語彙の少ないフランス語や英語では、足りなくなり、ついには怒りを日本語で爆発させることになるので、途中からは相手の話を聞くということよりも、自分の言いたいことを言うということになるので、お互いにとことん芯から傷つけたり、傷つくこともなく、時間がたてば、忘れてしまうことが多かったような気がします。

 どちらにしても、そもそも、今となっては、喧嘩の原因が何だったのかすら、思い出せないくらいの些細な事が原因なので、それで済んでしまってきたところもあるのですが、数回は、少し時間をおいてから、とことん話し合ったこともありました。

 私の両親などのケースを思い返してみれば、父も母もそれぞれの実家との繋がりがとても強く、そもそも父は、兄弟で隣同士というか、同じ敷地内にそれぞれが家を建てて住んでいたし、母の実家も車で10分ほどのところにあり、祖母(母にとっての母)は、毎晩のように電話をしてきていたし、母は父と喧嘩をして、実家に帰るというようなことはなかったものの、頻繁に実家に出入りしていたので、二人とも、すごく実家と近い距離を保っていたと思います。

 今から思い返せば、特に母に関しては、とてもしっかりしている人であったけど、その根底には、実家との繋がりが頑強であったことがあったのかもしれない・・と今になって思うのです。

 その結果というのか、私の両親はすでに他界していますが、私の日本の親戚のネットワークは、未だかなり強力なもので、その親戚づきあいの緊密さが、たまに帰る日本では、一気に集中し、周囲の友人などからは「今どき、珍しいね・・」と驚かされるのです。

 とはいえ、私が私自身の実家との繋がりが頑強であったかどうかというのは、また別の話で、そもそもたとえ、私が日本に住んでいたとしても、頻繁に帰りたいと思う実家ではありませんでした。

 おそらく、そんなところが私自身が精神的に今一つ強くないところなのかもしれない、繋がりのたしかな家庭というものが人にとってすごく大切なことなのかもしれないな・・と最近になって思うのです。

 ところで、私と夫のフランス語×日本語の喧嘩については、そばで目にしていたどちらの言語も理解している、まだ幼かった娘のみが冷静に話を聞いていて、パパとママ、全然違う話をしてるんだよね・・とつぶやいていたのには、私としては大いに気恥ずかしさを覚え、娘のバイリンガルの悲哀を感じたものの、そんなことが娘の歳のわりには、妙に冷静な性格を培っていたかもしれません。

 


実家に帰らせていただきます


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2024年3月9日土曜日

鳥山明氏の訃報が証明したフランスでのマンガ人気

  


 フランスで日本のマンガが大人気であることは知っていましたが、フランスでの鳥山明氏の訃報の扱いで、その存在がいかに大きいものであったかを再確認させられたような気がしています。

 彼の訃報が発表された日、フランスでのX(旧Twitter)のトレンドの圧倒的なトップは一日中「Akira Toriyama」で、それを追随するのは、「Dragon Ball」でした。

 フランスのル・モンド紙をはじめとする大手新聞をはじめ、ほぼ全てのマスコミが彼の訃報を大々的にとりあげ、彼のこれまでの作品や彼のマンガがフランスに浸透していった経緯、また、彼の人となりなどを報道していました。

 もしかしたら、彼はフランスで一番有名な日本人であり、近年最もその功績を讃えられている日本人なのかもしれない・・と思いました。

 何しろ、MANGA(マンガ)という単語でさえも、現在はそのままフランス語に使用され、恐らく、ドラゴンボールを知らないフランス人を探す方が難しいくらいかもしれません。

 私のところにも、今朝、フランス人の知人から電話がかかってきて、「日本の偉人が亡くなったね・・ほら、ドラゴンボールの作者・・」と私は、自分でニュースを見る前に、彼から鳥山明氏の訃報を聞いたのでした。

 この鳥山明氏の訃報を知らせてくれた知人は、私よりも年長のマンガなど読みそうもない世代の人ですが、そんな人?にさえも知られているドラゴンボールって、やっぱり、フランスでもすごい人気だったんだな・・と思わせられたのでした。

 実際にフランスは日本に次ぐ世界2位のマンガ人気大国でもあり、この日本のマンガをきっかけに日本の文化に触れ、特にマンガの中にも登場する日本食をきっかけにフランスでの日本食ブームが起こったとも言われています。

 以前、ドイツから交換留学で我が家にやってきた女の子が大のマンガ好きで、ぜひ、マンガに出てくるラーメン屋さんというもの、に行ってみたいと頼まれて、パリにあるラーメン屋さんに連れて行ったこともありました。

 フランスでは1980年代から1990年代にかけて「マンガマニア」が創刊されて以来、フランスでのマンガ人気は、凄まじいものになり1988年からは、ドラゴンボールはテレビでも放映され始め、当初は古い世代の国会議員などから「日本のマンガは酷い!」などとの声があがることもあったようですが、結局は圧倒的な人気に支持され、マンガへの熱狂はフランスの文化的現象とさえも呼ばれるようになりました。

 あるジャーナリストは、鳥山明氏の作品を「伝統的な漫画に対する総攻撃の先鋒」と称する人もありました。

 また、多くの若者が彼のマンガに惹きつけられた理由を「この小さな悟空は、社会的、感情的な環境でうまく成長できない孤独な多くの若者たちに力を与えてくれた」

「これらのキャラクターたちは、私たちが戦ったとき、団結して立ち上がったときに成功することを示してくれました」などという彼の訃報に対する数多くのコメントの中から理解することができます。

「Merci!Akira Toriyama!(ありがとう!鳥山明さん!」「あなたのキャラクターのおかげで問題を乗り越えられました!ありがとう!」などなど・・SNS上には彼に対する感謝のコメントがフランスでも溢れています。

 マクロン大統領でさえも、X上に「マクロン大統領へ」と書かれた額に入れられた彼のデッサンを「鳥山明氏と何百万人もの彼の愛好家へ」と言葉を添えて投稿しています。


 フランスでは、パンデミックのために停滞したフランスの文化事業推進・支援と若者への文化と芸術への好奇心を喚起させるために、年間1億6000万から1億8000万ユーロを投資し、映画、小説、マンガ、ビデオゲーム、劇場、ラップ、メタルなどなど・・あらゆる文化的な目的に使用することができる「カルチャーパス」なるものを発行しました。

 ところが、ふたを開けてみれば、このカルチャーパスの75%は、マンガのために使われたという結果となり、この「カルチャーパス」は別名「マンガパス」と呼ばれるようになりました。

 それくらいフランスでのマンガ人気は凄まじく、もはやマンガはフランスの文化の一部とも言われるようになり、パリのいわゆるお土産屋さんのようなお店でなぜか、日本のマンガのデッサンの色紙などを見かけることもあり、「なぜ?これがパリのお土産屋さんで売ってる?」とびっくりさせられたこともありました。




 かつて、日本といえば、TOYOTAやNISSANなどの車やSONYなどの電気製品などが連想されることが多かったと思いますが、今の時代は、日本といえば、一番に連想されるのは、「MANGA(マンガ)」なのかもしれません。

 このフランスでのマンガ人気を牽引してきた鳥山明氏は、まさにヒーロー的存在で、ドラゴンボールは、マンガ愛好家のみならず、誰でも知っている抜群の知名度で、まさにフランスにおける日本の偉人の一人であったことが認証されたようです。

 こんなにフランスでも讃えている彼の偉業を日本が国民栄誉賞などの国家的な栄誉と称賛を与えていないことをむしろ、不思議な気がするくらいです。


鳥山明 訃報


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2024年3月8日金曜日

全国労働組合のオリンピック期間ストライキ警告に見える社会的アンバランス

  


 冬休みが終わるか終わらないかのタイミングから、通常、フランス人の間では「夏のバカンスはどこへ行くか?」という話題で持ちきりになり、実際に夏のバカンスの予約を開始します。

 ところが、今年は、例年とは同じにはいかずに、夏のバカンス期間中には、フランス人にはオリンピック・パラリンピックという巨大な壁が存在します。

 考えてみればみるほど、このオリンピックという最高の機会をフランスCGT(労働組合)が黙って見過ごすはずはないし、実際に、彼らが訴えている「オリンピック開催により数十万人の労働者が打撃を受ける」というのは、事実でもあります。

 国家総動員とまではいかないまでも、パリオリンピック開催には、多くの人がフランス人の生きがいとも言える夏のバカンス期間を働かなくてはならず、また、これを政府が当然のことのように行おうとしていることに怒りを訴えています。

 オリンピックのために多くの人々が残業を余儀なくされたり、バカンスがとれないことや、通常よりもずっと長い時間働かなければならないことに対して、何も対処されていない!政府は即刻回答すべし!と。

 また、オリンピックのために、イル・ド・フランス(パリ近郊地域)に来なければならない労働者たちのその間の滞在施設(住居)は大惨事に見舞われています。その間に働かなければならない人々の子供たちは、どうするのか? その超過労働に対してのボーナスは正当に支払われるのか?などなど、言われてみれば、オリンピックという華やかな舞台の裏には、問題が山積みになっています。

 たしかに、このために、イル・ド・フランスにやってくる人々の滞在施設とて、パリ近郊のホテルや短期の貸アパート等はすでに満室状態でその価格だけでも大変な高騰ぶりという話で、海外からの選手団を受け入れるために、奨学金を受けて生活している学生の宿泊施設などでさえも、6月には追い出されるという話に、怒りの声が上がっています。

 そのうえに、一体、どこにこのオリンピックのために動員される人々が一体、どこに滞在できるのかは、大変な問題だと思います。

 内務省は、すでにオリンピックに動員される警察官については、今年1月の段階で最大1,900ユーロのボーナスを約束していますが、オリンピックに動員されるのは、警察官だけではありません。このフランスCGT(労働組合)は、全ての公務員にボーナスを!と訴えています。

 同時に病院や医療関係者は、このオリンピック開催に関して、警鐘を鳴らし続けています。パンデミックとまでは言わないまでも、何百万人ものオリンピック関係者や観光客が訪れるといわれるこの期間に、これに応じて起こり得る事故や病人に対して、対応しきれるスペースも人員も全く足りていません。

 「政府は大会の社会的課題を検討し、適切な決定を下さなければならない」、「すでに何度もこの問題提起を政府に対して行っているのに、一向に何の対策もとられていない!」と。

 すでにRATP(パリ交通公団)やSNCF(フランス国鉄)などがストライキの通告を行っていますが、具体的な政府からの労働者への回答は出されていないままです。

 私自身は、オリンピックの現場で働くわけではありませんが、生活しているだけでも、この期間、ふつうに出歩くことができるのだろうか?という不安が日に日に増しています。

 最近では、オリンピックのポスターが発表されたりして、華やかさばかりが強調されていますが、この巨大なイベントが多くの人々の犠牲のうえに成り立つものであることは、明白で、オリンピックって本当に必要なのだろうか?と思わないでもありません。

 たしかに、オリンピックで得られる収益も莫大なものであることには違いないとは思われるものの、今の時代、一般市民にとっては、ふつうに生活を送るだけでも大変なのに、オリンピックだの万博だのに割かれる莫大な費用や労力・・2年前に「私たちは、豊かさの終焉のときを生きている」とスピーチしたマクロン大統領ですが、どうにもこのオリンピック、豊かさの終焉を生きているのは、その陰で働く労働者だけのように見えてしまうバランスの悪さが気になります。

 しかし、そこは、フランス人、黙ってガマンしないところは、さすがです。


オリンピック期間のストライキ


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