2023年9月1日金曜日

ダイアナ妃の命日 アルマ橋にある記念碑には、今もお花が絶えることはない

  


 8月31日という夏の終わりを告げるような日は、ダイアナ妃がパリでの悲劇的な事故で亡くなった日で、私もその日のことをぼんやりと覚えています。

 なんとなく、ぼんやりと夏の終わりだった気がするものの、当時、私はアフリカに住んでいて、ほぼ一年中が夏のような暮らしだったのですが、8月ももう終わりという区切りのタイミングだったために、なんとなく、夏の終わりだったことを覚えているのです。

 あの日は、家にいて、つけっぱなしになっていたテレビはたしか、CNNのニュースだったと思うのですが、何か別のことをしながら、見ていたというよりは、眺めていた感じだったので、突如、ダイアナ妃の映像に切り替わり、映像の下には、Diana Spencer(1961~1997)と記されていて、生まれた歳はともかく、「なんで、1997で閉じられているのだろうか?」と一瞬、考えてから、「えっ??まさか??」と思ったことを思い出します。

 あれから、しばらくして、我が家はパリに引っ越すことになり、その後にアルマ橋には、ダイアナ妃を偲ぶモニュメントが建てられたと聞いていて、たまに、近くを通ることがあっても、「ああ、あそこなんだなぁ・・」とそのたびに思うくらいで、特に記念碑?を訪れることはありませんでした。

 しかし、あの場所は、あれ以来、ある種の観光名所とは言わないまでも、車やバスなどで通りすぎることがあれば、パリをガイドしている人は、必ず、一言、説明を加える場所にもなっているようです。

 なんと、ダイアナ妃が亡くなってから、すでに26年が経っているそうで、いくら衝撃的な事故であったとしても、事故現場とはいえ、ダイアナ妃にとっては異国の地である場所に大きな記念碑が建つだけでなく、26年間、人の足が絶えることがないというのも凄いことです。

 しかし、あらためて、調べてみると、あのモニュメントは、自由の女神の100周年を記念して、アメリカからフランスに送られたニューヨークにある自由の女神が掲げている炎のレプリカ版であり、送られた当初、パリ市はこの高さ3.5メートルもあり、なかなか明るいゴールドのこの炎のモニュメントをどこに置き、どのような位置づけとして扱うか、処遇を図りかねたまま、アルマ橋に設置したと言われています。

 アメリカから自由の女神100周年記念で送られたとはいえ、正直、「何あれ?」という感じで存在感もあまりありませんでしたが、その後、ダイアナ妃の悲劇的な事故がアルマ橋の下で起こり、この炎のモニュメントは、図らずも、その意味を与えられることになったという不思議なめぐりあわせになっています。

 このモニュメントは、1980年代から存在していたものでありながら、あまり注目されることもなく、ダイアナ妃の事故によって、新たな意味付けを与えられたかたちになったようですが、鎮魂の炎として、また、華やかで美しかったダイアナ妃の慰霊碑として、あまりにピッタリ着すぎて、怖いくらいです。

 事故現場は陸橋の下なので、そこを歩くことはできませんが、こんなところで、死亡事故が起こるほどのスピードを出していたのか?と思わないでもありませんが、陸橋の下は、当然、交差する道路もなく、また、歩行者が絶対に通らないところなので、今でも、なかなかのスピードを出して車が走っていて、なるほど、夜遅い時間で、パパラッチとのカーチェイスのようなことをしていたら、事故は起こりかねないのかもしれないとも思える場所です。

 しかし、このダイアナ妃のモニュメントになっている場所は、セーヌ川を含めたパリの街なみが広がるエッフェル塔をまるまる拝めることができるパリの絵葉書に登場するような美しい場所で、美しい人がこの美しい場所で亡くなり、しかも、そこには、あたかも彼女のために用意されていたかのごときモニュメントが存在していたことに、不思議な偶然を感じさせられるのです。



 彼女の26回目の命日のために、お花はもちろんのこと、写真や手作りのメッセージが飾られていて、若くして亡くなった彼女の写真は当然のごとく、若く美しいままです。

 どういうわけだか、フランス人はイギリス王室の話題が大好きですが、なんといっても未来永劫の人気を保ち続けるのは、ダイアナ妃だろうと思われます。今では、長きにわたり王座におられたエリザベス女王も亡くなり、なんだか、今一つ人気が冴えないチャールズ国王ですが、今年、即位後、初の海外公式訪問にフランスを選んでくれていたのに、フランスは年金問題の暴動で、彼のフランス訪問はキャンセルになっていました。

 9月には、その延期されていた公式訪問が予定されていますが、彼がフランスを訪問した際には、このアルマ橋を訪れるのでしょうか?


ダイアナ妃 アルマ橋 炎のモニュメント


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2023年8月31日木曜日

夏のバカンスが終わると、続々と発表されるストライキの予告

 



 フランス人のデモやストライキの激しさは、今さら説明する必要もないくらい有名な話だと思われますが、バカンス(特に夏)を一年のメインイベントの一つとして捉えている(習慣づいている)フランス人にとっては、この時期のデモやストライキは、基本的には、お休みになります。

 その年によって、よほどのムーブメントがあった場合(黄色いベスト運動の時やワクチンパスポート反対の時など)には、夏まで引きずったこともありましたが、例年は、わりときっぱり、あっさり、夏の間はみんながバカンスに散っていきます。

 ワクチンパスポートの時は、感染拡大予防のために、ワクチン接種を早急に浸透させるために、バカンスを人質にとり、夏のバカンスシーズン直前に、ワクチンパスポートがないと、長距離移動の公共交通機関に乗車できないとかイベント会場に入場できない、外食できないなどの規制ができたために、発表当時は、大変な反対の声が上がり、大きなデモが起こりましたが、結果的には、「あれこれ言っていないで、さっさとワクチンでも何でも打って、バカンスに行きたい!」と思う人が多かったようで、いつの間にか、このデモも鎮まり、何より、ワクチン接種があっという間に進んだという経緯がありました。

 ということは、やっぱり、何よりもバカンスファーストの国なわけです。

 今年は、年初から、年金問題のデモやストライキ、そして、警察官の発砲事件による未成年者死亡事故をきっかけにしたデモから大きな暴動が起こり続けていましたが、そのどちらも夏まで引きずることはなく、夏のバカンスの期間は大きなデモやストライキはありませんでした。

 何よりも、パリは特に、バカンス期間中は多くの住民が出払ってしまうので、あまりストライキをしても、そもそも人が少ないのですから、あまり影響はなく意味もないのです。

 そんなわけで、夏のバカンス期間があけて、新年度が始まるとともに、学校や仕事も再開されると同時にストライキも再開されます。下手をすると、夏のバカンス前に9月のストライキの日時の予告をして、バカンスに突入する機関もあるくらいです。本当にちゃっかりしています。

 現在、聞いているだけでも、9月7日にSAMU(救急隊)のデモ、8日のラグビーワールドカップ開幕戦(スタット・ド・フランス)の当日のRATP(パリ交通公団)、SNCF(フランス国鉄)のストライキなどが発表されており、今後も続々と出てくるのではないかと予想されます。

 日本人からすれば、考えられないほどの長期間の夏のバカンスをとった後に、すっかりリフレッシュして、さあ仕事!と思いきや、ストライキですから、もうある意味、突き抜けているというか、極めているというか、もう見事なものです。

 もちろん、こんなことができるのは、一部の企業や機関のことではありますが、夏のバカンスの後のストライキ、これもまた、ある意味、フランスの風物詩のような感もあるくらいです。

 来年の夏は、パリでオリンピックが行われるために、確実にいつもと違う夏を迎えることになると思われるフランスですが、一体、どんなイレギュラーなことになるのか?不安なような、楽しみなような気持ちです。

 まさか、オリンピックの最中にストライキ?なんてことはないと思いたいのですが、このオリンピックを妨害したい人々がボランティアに紛れ込んでいて、彼らが一斉にボランティアの仕事をボイコットする・・なんていう計画というか、噂もあるのです。

 フランス人恐るべしです。


バカンス後、9月はストライキ


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2023年8月30日水曜日

福島の放射能汚染水と中国人に対する非難について

  


 日本が福島原発の処理水を海に放出することを発表した後に、中国がこれを強く非難し、その報復措置として、日本からの水産物全面禁輸を発表しました。日本政府は、この放射能汚染水は、安全性が保たれる希釈措置が取られているものであることを強調しているので、専門家が多くの資料や実験などで検討した結果であるだろうし、それを信頼する以外にありません。

 この日本の放射能汚染水の処理について、フランスはどんなにか騒ぐだろうか?と思いきや、遠いこともあるのか、また、原子力発電を日本よりもよっぽど多く活用しているフランスは、他人様のことを言える立場でもないのかもしれないし、国際的な安全性の基準内(国際原子力機関(IAEA)も承認している)であれば、フランスはとりたてて騒ぐことでもないと考えているのかもしれませんが、現在のところは、あくまでも客観的な立場をとって、中国が日本企業などに対して電話攻勢をかけたり大騒ぎしていることを報じています。

 この中国の報復措置に日本国民の一部が、過剰に反応し、ネットで、「中国人へ 当店の食材は全て福島産です」などと掲げているお店に対し、中国人排斥だと抗議しているジャーナリストがいたり、また、逆に「日本に入国する中国人全員にホタテを食わせろ!」とか、「中国人を福島の海で泳がせろ!」などと言っている元政治家たちのトーク番組の切り抜きが流れてきたり、なんだか荒れているようで、特にこの「中国人にホタテを食わせろ!」とか、「福島の海で泳がせろ!」などという元政治家には、あまりに低次元で、こんな発言が世界的には、どんな扱いを受ける、どんな風に見られるかを思うと、もう言葉もない気がします。

 福島の食材を擁護しようとする?お店の気持ちはわからないではありませんし、福島の食材を忌み嫌う中国人に親切にも教えてあげているのだ・・などという意見もあるようですが、そもそも、「中国人へ」という書き方に、侮蔑の意が表れている気がします。

 親切で教えてあげるというのなら、お店の側から出すべきは、せめて、「中国からのお客様」とか、なんらかのもう少しソフトな書き方があるだろうし、なにも中国人だけを取り上げることもないと思うのです。

 もし、フランスでお店がこんな看板を出したら、あっという間にこのお店は中国人からだけでなく、人権擁護団体などから、袋叩きにあうか、お店を破壊されてしまうだろうと思います。フランスに差別がないとは言いませんし、むしろ、差別の歴史があるからこそ、非常にデリケートに扱われる問題なのかもしれません。なので、特定の国名を挙げてのお店の看板(プラスの印象のものは別として)などは、あり得ないことで、公人のこんな発言は絶対的なタブーです。

 ましてや、元とはいえ、政治家、評論家のような立場の人がこんなことを公の場で口にするとは、なんと幼稚で国際的な感覚が欠如しているのかと情けなくなります。

 フランスでも、中国人観光客があまりお行儀がよくない噂を聞かないわけではありませんが、だからといって、このような国を特定して、卑しめるような発言や表記は、あり得ないことです。

 中国政府は、なにかにつけて、ケチをつける材料を探しているのであって、今回は、中国政府にとって絶好のターゲットとなっているのであって、中国人全員が意を共にしているわけでもありません。

 むしろ、中国人に対する嫌がらせのような言動は、日本人の恥部を晒しているようにも感じるのです。


福島放射能汚染水 中国人


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2023年8月29日火曜日

物議を醸すフランスの公立校でのアバヤ着用禁止 アバヤは宗教か?文化か?


 

 新年度を目前にして、国民教育相ガブリエル・アタルがフランスの公立校における「アバヤ」の着用を禁止することを発表し、物議を醸しています。彼は、これを「国家レベルでの明確な規則とする」としています。

 これは、ただちに左翼指導者の怒りを引き起こし、イスラム教徒女性に対する強迫的規則であると、この公立校におけるアバヤ着用禁止を非難しています。

 恥ずかしながら、私は、この「アバヤ」という名前を知らず、一瞬、???となりましたが、映像を見ると、当然、見かけたことはある顔以外の全身を覆うアラブの女性の伝統的衣装であることがわかりました。

 フランスでは、政教分離の原則に則り、公立校では宗教的なシンボルを着用することが法律で禁止されているようですが、具体的な衣装を名指し?で禁止というのは、初めてです。

 問題はこの「アバヤ」が宗教的なシンボルであるかどうかということが争点となると思われますが、争点云々以上にわざわざ公的に禁止するほど、アバヤを着ている子がいるのだろうか?ということです。

 まあ、地域によっては、そういう地域もあり得るのかもしれませんが、少なくとも私は、学生で登校するのにアバヤを着ている子を見かけたことはありません。むしろ、禁止されたところで、関係ない子が大多数だと思われるものをわざわざ「禁止」というような発表をして、反感を買うのもいかがなものだろうか?とも思います。

 これに反して、このアバヤを着ることについて、これは宗教的なものではなく、単なるファッションの一つであると言い張る子もいるようです。

 ただ、このドレスが宗教云々以前に、学校生活を送るために、便利でふさわしいものであるかというと、そうとは思えないところではあります。

 そもそもフランスでは公立、私立ともに制服を定めている学校というのはほとんどなく、服装について、あまり、うるさく言われることもないし、禁止されるとか、縛られるということに慣れていません。

 だいたい、この年頃の子たちは、禁止と言われれば、より反抗するようなところもあります。

 娘が通っていた学校(私立)では、ある程度の節度ある服装をというぼんやりとした指導はあるようで、節度を外れているような場合は、忠告があったようです。

 日本の学校では、制服のある学校も多く、服装や髪型に対してまで、それこそそんな校則いる?と思うほど、厳しい規則を強いている学校もあるように聞きますが、宗教的なものに関する規則というのはあるのでしょうか?

 バブル世代に学生時代を過ごした私は、お嬢さん学校に入学した子が入学と同時にイブニングドレスがいると言われたとか、逆に、あの女子大はブーツが禁止らしいとか、毛皮のコートはダメとか、規則とはいえ、今から思えれば、どうかしている、それこそ浮世離れした話ばかり耳にしていました。

 今回のフランスの公立校における「アバヤ着用禁止」は、ともすると宗教的な差別とも言われかねないものでもあり、この種の訴訟を専門としている一部の弁護士によると、「アバヤは長いドレスであり、国家公認の権威であるCFCM(フランスイスラム崇拝評議会)の宣言によれば、宗教的な衣服ではない。従って、アバヤは宗教的なしるしではなく、文化的なものである」と説明しており、今後のこの禁止措置は主に行政管轄権への上訴の対象となる可能性があると語っています。

 「アバヤ」は宗教か?文化か? 難しい問題です。

 

フランス公立校アバヤ禁止


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2023年8月28日月曜日

フランスでも日本でも、最近、もっぱらよく聞くようになった、けっこうキツい親の介護の話

  


 以前は、娘の学校の休みの時期、しかも娘を日本の小学校に少しでも体験入学をさせたいなどと思うと、日本が最も暑くて、過ごしづらくて、航空運賃も最も高い夏に日本に一時帰国することに、いささか、憤りを感じてはいたものの、一方では、一年に一度の日本への一時帰国は、やはり、このうえなく楽しみで、両親も年に一度、孫に会えるのを楽しみにしてくれていました。

 孫というものは、本当に可愛いものらしく、母も手放しで娘をほめちぎり、まだ元気だったうちは、やたらとどこへでも孫を連れて歩きたがり、多分に気難しく、ケチな父親でえさえも、孫にだけはなにやら様子が違って、やたら気前よく、私も夫も絶対に買い与えなかった、携帯ゲームなどをいそいそと2人でこっそり事前に約束して買いにでかけたり、いずれにしても、両親2人ともが、それぞれにとても楽しそうで、これまで私がどんなに親のためにしてきたことも孫の存在にはかなうものではありませんでした。

 しかし、両親は、私の年齢からしたら、わりと早くに2人とも他界してしまい、母にいたっては、もう亡くなってから15年以上も経っているので、周囲の友人たちが親の介護に苦労しているなどという話を聞いても、介護する親がまだ生きていてくれて、羨ましいとさえ思っていました・・つい最近までは・・。

 母は本当に倒れてから、亡くなるまでがあっという間のことだったので、介護らしい介護をする間もなく、また、父の時は、私も弟も海外で生活しているために、けっこう、周囲の親戚などと、ゴタついたりもしましたが、それでも結局、父は最期のギリギリまで家で頑張り続け、介護施設に入って、半年くらいで亡くなってしまったので、私は、父に対しても、母に対しても、ほぼ介護らしい介護をすることはありませんでした。

 その後も、パンデミック前までは、ほぼ1年に1~2度は日本に帰国し、誰もいなくなった家の片付けをしたりして、その際には叔父や叔母たちに会ったりするたびに、父や母がいなくなっても付き合いが続いていることに感謝し、嬉しくもあるものの、どこかで、正直なところ、なんで父と母だけがもういないんだろう?などと思うこともありました。

 今、フランスに居続けるか日本に帰るかなどと考えたりもしますが、今でも両親のどちらかが生きていたら、ブーブー文句を言いつつも、私はきっと日本に帰っていただろうなとも思います。

 しかし、最近は、周囲の友人たちの親も、生きているかわりに、介護はそれなりに壮絶になってきているらしく、多少、ボケてきたり、物忘れがひどくなって、同じことを繰り返したりするのは、仕方ないにしても、ごくごく身近で介護している人に対して、異常に暴言を吐いたり、頑固に家に引きこもるようになったり、やたらと攻撃的だったり、もう耐えられないと音を上げている友人もいます。

 ついこの間は、母娘二人暮らしだった友人がお母さまを見送ったばかりだし、介護する側もされる側も、私が両親を看送った時よりも、歳をとっているため、精神的にも肉体的にも大変そうです。

 つい先日、こちらでも、フランス人の友人と久しぶりに会う約束をしていたら、両親の具合が悪くなったとかで、約束は延期になり、どうやら、コロナウィルスに感染してしまったそうです。

 彼女とは、しばらく会っていませんでしたが、以前に話を聞いた時にも、両親ともに健在?(とはいっても、要介護)ながら、すでに、もう2人とも90を過ぎていると言っていたので、今はおいくつになられたのかわかりませんが、あれからけっこう経っているので、2人とも相当な高齢で(もしかしたら、100歳くらい)、それでコロナウィルス感染などといったら、下手をしたら、深刻なことにもなりかねないわけで、それはそれは大変です。

 彼女自身ももう引退していて、郊外に住んでおり、パリに住んでいる両親の介護に通うのもなかなか大変なようで、フランス人もけっこう長生きで、まさに老々介護の感じです。

 こうなってくると、今度は、あまり長生きして、娘や周囲の人に迷惑をかけたくない・・などと考え始めてしまい、上手い具合に死ぬのも大変・・などと思ってしまい、あまり健康に気を付けすぎるのも困った結果になりかねないなどといらぬことを考えたりもするのですが、こればかりは、自分でどうこうできるものでもありません。

 これからは、自分も含めて周囲もどんどん歳をとっていくわけで、そうなってくると、小さい子供、若い命、しかも自分の遺伝子を受け継ぐ小さないいきものがスクスクと育っていることに別の感動を覚え、両親が娘を無条件に可愛がってくれた気持ちがなんとなく、今はわかるような気がしてきました。


老々介護


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2023年8月27日日曜日

海外在住者の老後 日日(日本人同士)カップルも帰国しない人が増えているらしい・・

  


 私は、そんなに日本人の知り合いが多いわけではないのですが、それでも四半世紀以上もパリに住んでいると、少しは日本人の友人(在仏)もいて、まあ、だいたい似通った年頃か、もしくは、私よりも年上の人が多いので、日本にいる親の介護の話とか、仕事を引退してからはどうするとか? そんな話題も少なくありません。

 どちらかというと、日本人以外のパートナーを持っている人が多く、また、こちらで、アパートや家を買ってしまっている人は、おそらく、老後もこのままフランスで過ごすつもりなのだと思いますし、もうすでに、引退した生活が始まっている人もいます。

 なかでも、独身を通してきた人などは、自分の住まいを縮小して、かなり整理したりして、自分にもしものことがあった場合、日本の家族(といっても、両親はすでにいないために、自分の兄弟やその子供たち)に後のことを頼み、遺言書まで用意して、また、必要な手続きをできるだけスムーズにできるように準備している人までいます。

 私の周囲では、珍しい日日(日本人同士)のカップルは、一応、こちらでアパートを購入し(まだローンが残っていると言っていたけど・・)、「将来は、2人で日本に帰るかもしれない・・」と、以前から話していたのですが、ここのところ、「う~ん・・どうも、あんまり日本には、帰りたくない気がしてきた・・」と言い出しています。

 どちらにしても、まだ、引退しているわけでもないし、決定事項ではないようなのですが、彼女の周囲には、他にも、日日カップルがいるらしく、彼らも、以前は「将来、老後は日本に帰ると言っていたのに、帰らないと言い出した・・」そうで、日本での老後の生活に不安要素が増えたというか、あまり、魅力を感じなくなってしまったというところでしょうか・・。

 日本とフランスの間には、相互の年金を合算して計算してもらうこともできるという協定があるらしく(具体的には、まだ調べていませんが・・)、フランスで働いた分の年金を日本で働いた分と合算して受け取ることもできるようなので、そもそも日本で生まれ育った日本人同士のカップルならば、老後、病気になったり、弱ったりしてきたら、食べ物だって、なんだって、日本人として、やっぱり日本の方が安心と思うのも当然のような気もするのです。

 日本は、どこも清潔で、治安もよくて(海外と比較しての話)、きちんとしていて、何より、生まれ育った我が国は安心だという気持ちは多々あります。

 しかし、長くフランスで生活してきた生活習慣や、また、現在のそれぞれの国のありようを比べて、日本への帰国に二の足を踏んでしまう気持ちもわからないではありません。

 フランスで生活していくために、自分をフランスでの生活に順応させていくうちに、自分自身の行動や、考え方なども変わってしまっているところもあります。

 フランスでは、外国人であるとはいえ、正当な権利をもって(ビザを持って)生活している以上、ほぼ、フランス人と同様の社会保障が受けられます。税金も高いですが、それなりの保障に還元されている気がします。特に、最も弱い立場に陥った場合には、優しい国だと思います。

 もはや、日本の事情の方に疎くなってしまっているところもあるのですが、日本には、それがあるのかどうかが、甚だ疑問でもあります。

 そもそも、歳をとってから、生活環境を変えるというのは、大変なことで、しかも、国をまたいで・・となれば、なおさらのことです。

 私自身もまだ、将来、どうするのかは決めてはいませんが、今のところは、どこに住むか、どこで死ぬかというより、とにかく少しずつ片付けるように心がける・・くらいしかしておらず、今のところは、国というよりも、とりあえずは、今、住んでいる家(アパート)(決して豪華でもないし、きれいなところでもないのですが・・)の自分の空間が心地よいので、今は、動くつもりはありません。

 「猫は、家につく」というように、私も今のところは、この家が気に入っているのでここにいたい・・そんな感じです。

 しかし、老後は日本に帰ると決めていた日本人たちが、こぞって、「日本には帰りたくなくなった・・」と言いだしたのは、ここ20~30年の日本の国の変わりようもあるのかもしれないと、なんとなく、「やっぱり・・」と、うなずける部分もある気がしているのです。


日本での老後生活


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2023年8月26日土曜日

超人気のセドリック グロレのクロワッサンを買うのは大変 Cédric Grolét Opéra

  


 ずっと気になっていたセドリックグロレ(Cédric Grolét Opéra)というパティスリーがあって、いつ通りかかっても(といっても、そんなに頻繁に通るわけでもないけど・・)、長蛇の列ができていて、なんだか、いかにもインスタ映えしそうな可愛らしい店構えのお店で、そのうち、ブームが過ぎて、空いてきたら行ってみようと思っていました。

 なにやら、ホテル・ムーリスの世界的に有名なスターシェフがやっているお店だとかで、クロワッサンにしても、ケーキにしても、美しく麗しいことこのうえないのですが、食べてみないことには、どんなふうに良いのかもわかりません。

 サイトを見ると、予約することもできるのですが、それはケーキだけで、クロワッサンやヴィエノワズリーは、予約はできません。

 知人からも、「やっぱり美味しいよ!あそこのクロワッサン!」などと聞いていたのも、私を突き動かすきっかけともなりました。

 もうそろそろ、夏のバカンスシーズンも終わりに近づいてきて、ふと、「バカンス期間中の今だったら、そんなに並んでいないかもしれない!」と急に思い立ち、行ってみることにしました。

 まだ、午前中だったし、我が家からもそんなに遠くもないし・・と思って出かけたのですが、私の思いつきは、全く甘い考えで、やっぱり結構な行列ができていました。私がお店に到着したのは、11時頃、行列を整理するために張られたロープの先には、「クロワッサン等のヴィエノワズリーは午前中、12時までです」と書かれていたので、私はそれを見て内心、「セーフ!やった~!」と思っていました。 

 それから行列に並ぶこと約40分、ようやく店内に入れましたが、すでにクロワッサンもパン・オ・ショコラも売り切れで、思いっきりガッカリし、「え~~!売り切れだとわかっていたら、並ばなかったのに~~!先に言ってよ~~!」と思いましたが、これだけ並んで手ぶらで帰るのも悔しく、まだ、かろうじて存在していたヴィエノワズリーの一つである、シナモンを使ったヴィエノワズリーを一つ買って(12ユーロ)、帰ってきました。もはやこの値段、ふつうのヴィエノワズリー一つの値段ではありません。(ちなみにここのケーキも小さい一人用の大きさのケーキ一つの値段の平均は17ユーロというビックリ価格です!)




 こうなってくると、普段、並んで何かを買い物をしたりすることは、まずない私も、ちょっと意地になってきて、是が非でもクロワッサンをゲットしたくなり、お店で明日の開店時間を確認して、次回は開店時間に行こう!とその日は、家に戻りました。

 買って帰ったシナモンのヴィエノワズリーは、想像以上にかなり美味しく、こうなってくると、余計に期待も高まります。

 翌日は、開店時間に行ったのですが、すでに、昨日同様の長蛇の列、このような行列に慣れていない私は全くもって、甘かったのです。行列ができるなら、開店時間の前から並ばなければいけないのです。

 お店を覗いてみれば、今日はしっかりウィンドーから見えるところに麗しいパン・オ・ショコラが並んでいます。しかし、行列は、昨日以上に凄まじく、私の手前に並んでいた人が行列を時々、整理しにくる男性に、「昨日は、さんざん並んでクロワッサン1個しか買えなかったんだけど、今日は大丈夫?」などと言って、結局、怒って帰ってしまったりしたので、「並んでいるからといって、必ずしも買えるとは限らないんだ・・」と思いながら、少しずつ行列の前に進んでいきながらも、ショーウィンドーに並んでいるクロワッサンを確認しつつ、「まだあるある・・」と思いながら、行列に並んでいる人の様子を眺めながら、ひたすら順番を待つこと約1時間半くらい・・ようやく中に入れて、無事、クロワッサン、パン・オ・ショコラ等、4種類のヴィエノワズリーをゲットしてきました。


この4つで31ユーロでした! 高いけど、それなりの感動が・・!


 我ながら、ちょっとバカらしいと思いつつも、一応、念願を果たし、まあ、キレイなお金がかかっていそうな包みと紙袋に包まれたパンを持って家に帰りました。

 せっかくだからと、クロワッサンとパン・オ・ショコラはちょっとだけオーブンで温めて食べましたが、苦労が報われる素晴らしい味で、ちょっと冷めてからは、むしろ、本来の味わいを深く感じたというのも、皮肉な感じでもありますが、クロワッサンにありがちな、バターの油が染み出してしまう感じがなく、思っていた以上にさっぱりとしていて、それでいて、口の中に入れたときに、鼻から感じる風味までが素晴らしく、思わず一人で「う~ん!納得!」と満足しました。

お見事すぎてパンオショコラには見えない


 また、どこのチョコレートを使っているのかはわかりませんが、パン・オ・ショコラのチョコレートの香りもすばらしく、あっという間にペロッといってしまいそうになりました。あんなにならんだのに、食べてしまうのは一瞬です。

 しかし、これだけ行列ができるからといって、クロワッサンだって、ヴィエノワズリーだって、一日中、売っていたってよさそうなところを無理はせず、品質は落とさず、逆に商品価値を上げてしまうあたり、なかなかな手腕、同じ通りの並びにあるPAULには、「クロワッサン3つ買ったら1つおまけ」の看板が立っていて、なんだかちょっとPAULが気の毒な気になったくらいです。

 また、紙袋もさることながら、お店のデコレーションもどこから撮っても映えるようにデザインされていて、買い物をする人はほぼ100%写真を撮っていました。

 また、このお客さん、どうやら、観光客もかなりの割合で、含まれているようで、数日しかパリにいない僅かな時間をこの行列に割くのか・・と、不思議な気もしましたが、パリに来て、ぜひ、行きたい場所がパティスリーというのも、楽しいことなのかもしれません。

 こうしてやってきたお客さんたちが、SNS等で拡散して宣伝してくれるのですから、バカンス中でパリの住民が少ないからといって、お客さんが全然、減らないわけです。

 この分だと、当分、この行列はバカンス期間関係なしに、当分、短くなることは、なさそうです。

 しかし、また、この行列に並んでまで買いたいかというと、それは御免被りたいところ、パリには、まだまだ、私が食べたことがない美味しいものがたくさんあるのです。

 でも、とりあえずは、話題の?大人気のクロワッサンを一度は食べられたことにとっても満足しています。これだけ感動できるクロワッサンもなかなかないかも・・。


⭐️ Cédric Grolét Opéra

     35 Avenue de l'Opéra 75002 Paris


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