2022年4月15日金曜日

エネルギー価格の高騰に伴うエネルギークーポンの配布

   


 昨年末の段階で、フランス政府は電力・ガスをはじめとする価格の高騰が続く対策として、100ユーロのインフレ補償手当を支給していました。

 我が家も100ユーロを受け取り、「これなら、いつもの電気代を考えたら、今回の電気代の支払いにはおつりがくるくらいだな・・」と、ニンマリしていたら、なんと、100ユーロでは足りずに追加分を慌てて支払うハメになり、「やっぱり、電気代もずいぶんと値上げしているんだ・・」と、その時点でようやくインフレを実感するという私のボンヤリ具合を自覚したくらいでした。

 私は車を持っていないので、ガソリンの価格が高騰したといっても、あまり実感はなく、食料品などの価格が上がったと言われても、特別に欲しいものでもない限り、もともと安くなっているものしか買わないので、正直、あまりインフレの実感はなかったのです。

 しかし、我が家のアパートは、オール電化で、電気料金の値上げは切実な問題で、今後の電気料金の支払いを考えると、「これは節電を心がけなければ・・」などと思っていたのです。

 しばらくフランスを留守にしていたので、溜まった郵便物やメールをチェックしていたら、その中に、EDF(フランス電力)からのメールを発見し、内容は、「あなたにエネルギークーポンが支給されています。エネルギー小切手は、次回のEDFの請求書または分割払いから差し引かれる予定です。また、お会いしましょう。あなたのEDFアドバイザーです」というもので、ちょっと胡散くさい感じもするので、「最近は、この手の詐欺メールもあるから、下手にいじるのはやめよう・・」と思って、そのまま放置していたのです。

 しかし、「そういえば、私は最近、EDF(フランス電力)のアカウントを作ったんだった!アカウントをチェックすれば、このメールの内容が本当かどうかわかるはず・・」と思い至り、サイトで自分のアカウントをチェックすると、メールで通知された金額が私のEDFのアカウントに入金されていました。

 その時点で、やはり、このメールは本当のものだったということがわかり、あわてて今回のエネルギークーポン配布についての報道を確認しました。

 どうやら、今回のエネルギークーポンは、2021年のエネルギークーポンを受け取った世帯に対しての、例外的な追加ということらしいです。前回のクーポン配布に際しても例外的な措置とされていましたが、今回も例外的な措置が続いているようです。

 このエネルギーチェックは、2023年3月31日まで使用することができます。

 金額は、各世帯の収入により積算されているようで、高額所得者には支給されていません。

 今回のエネルギークーポンも、前回同様、中産階級・低額所得者への財政的な後押しのようで、もしかしたら、大統領選挙を控えているということも関係あるかもしれません。

 しかし、それにしても、このあたりは、フランスの税務署の見事なところで、きっちり請求もするかわりに、国民(住民)各個人の財務状況(納税状況)をきっちり把握していて、データを全て管理しているために、政府からの援助や支給も速やかに合理的に対応してくれます。

 フランスは、日本のように全国民に一律10万円支給などという不合理なこともしません。

 それにしても、メールでうまい話が来ても、すぐには信用できないあたり、安心して生活できる社会ではない面も同時に感じています。

 次回の電気料金の請求が一体、いくらぐらいなのか?まだわかりませんが、 ひょっとして、またすごい値上げで、また、足りないのかもしれませんが、この全ての価格が高騰する中、少しでも援助してくれるのは、ありがたいことです。

 

フランス エネルギークーポン支給



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2022年4月14日木曜日

日本帰国時、帰仏時のダブル時差ボケの苦しみ 超長距離フライトの後遺症

   


 なんだかんだいっても、日本への一時帰国は楽しいことに溢れています。限られた滞在期間にやらなければならないことは山積みで、その中でのキツキツのスケジュール調整にちょっとウンザリすることもあるし、1日くらい家でダラダラとボーッとしたいな・・などと思っても、すかさず「ゆっくりするのはパリに帰ってからにすればいいでしょ・・」などと娘に言われて、「それもそうだ・・」と思い直して、結局、ギッチリと予定が埋まっていきました。

 それでも楽しい日本での滞在期間が苦しくなってしまう一因には、「時差ボケ」という、どうすることもできない現象が大きく影響しています。

 若い頃は、日本到着後も2〜3日もすれば、いつの間にか現地時間に順応していたものの、最近では、日本時間に適応するまでに、1週間はかかるようになりました。

 たいていは、パリを夕方出ると、翌日(日本時間で)夕方に日本に到着する(直行便では)ので、パリで飛行機に乗ってしばらくすると出てくる食事をして、寝てしまうと、ある程度、飛行機の中でもまとまって寝ることができて、あとは残りの時間は映画などを見て過ごせば、日本に着くのは日本時間の夕方です。

 これまでは、多少は疲れていても、少し頑張って寝ずにいて、夕食をとってから寝れば、ある程度は、少しでも日本時間に慣れていくことができる日本帰国時のリズムができていくように努めていました。

 それでも、翌朝には、朝4時くらいには、ぱっちり目を覚ましてしまうのは、いつものことで、日本到着翌日の朝には、無理に寝ようとはせずに、散歩がてら近所のコンビニを覗いてくるというのが、最近の私の日本へ帰国した際のおきまりのコースになっています。

 シンとした早朝の街を、「あれ?この家、こんなにきれいになったんだ・・」などと近所の家の変化などを楽しみながら、コンビニに足を踏み入れると「ピロリラリン〜ピロリラリン〜」という音に、なんとなく、「あ〜変わらないな・・この音・・」などと思いながら、ツイッターなどで流れていて、「いいなぁ〜食べてみたいな〜」などと思ってみていた新製品をちらちらと見て歩きます。

 どういうわけか、いざ現物を目の前にしてみると、さほど魅力的に感じないのも不思議なことです。

 日本に行った時は、決まって午後4時くらいになると、急激な睡魔に襲われるのも決まっています。それでも、そこで寝てしまえば、いつまでも時差ボケが治らないので、必死に睡魔を戦いながら、しばらく過ごしていると夜には復活しています。

 毎日、少しずつ無理をして頑張っていれば、一週間ほどで時差ボケは解消します。

 ところが、今回は超長距離のしかも経由便ということで、前日の朝早くにパリの家を出て、乗り換えの時間等もいれれば約20時間ほどの、どこの国でもない定まらない昼だか夜だかもよくわからない空間での時間の経過に時差ボケはいつもに増して重いものになり、とうとう帰仏するまで時差ボケがなおらないという異常事態に陥りました。

 そもそも長距離フライトの疲労はいつも以上に長い上に、滞在期間として見積もっていた時間が短縮されたり、機内接触による隔離などから、大幅にスケジュールが押せ押せになり、立て込んでしまったことから、いつも以上に忙しく動くことになって、疲労は堆積していく一方で、時差ボケのために、十分な睡眠がとれないままに日を重ねていくことは思っていた以上に体力的にキツい結果になりました。

 スケジュールも半ばを過ぎると、もう夕方は無理をしてでも起きていれば・・などと思っていても、突然、脳が膨張してボーッとしてくるような感じがいつまでも消えず、体力的にも背中全面に疲労が張り付いているような感じがとれなくなってきました。

 これは一日中、同じ状態が続くのではなくて、突然、吸い込まれるように眠くなったり、頭がボーッとしてくるのも時差ボケの特徴です。また、何の前兆もなく、急に空腹を感じたりするのも時差ボケの症状で、まるでスイッチが入ったかのごとく、急に感じるものなので、体内時計・腹時計の誤作動とも言えるような、自分の身体ながら、自分では制御不能な感じになるのも、客観的に見れば、とても興味深い現象です。

 しかし、悲しいかな、身体自体は、もうムリはムリで、ついていけなくなっていることをひしひしと感じています。

 今回は、とうとう日本滞在中に時差ボケがなおることはなく、そのまま、また再び超長距離フライトにて、帰仏。パリに戻ったら戻ったで、今度は「ダブル時差ボケ」にしばらくは苦しめられています。

 しかし、なぜかフランスに戻った時よりも、日本に行った時の方が「時差ボケ」が辛いのはいつものこと、以前はパリに戻った翌日から仕事・・などということもしていましたが、今はとても、そんなことはできません。

 超長距離フライトはそのフライト自体の負担だけでなく、「時差ボケ」に関しても、大きく影響を及ぼすということを思い知らされています。


時差ボケ 超長距離フライト


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2022年4月13日水曜日

日本で見たフランス人モード全開の娘

  


 今回の日本への一時帰国は、何かと忙しく過ごしましたが、その間、娘のフランス人モードが垣間見えるできごとがいくつかあって、あらためて、彼女がフランス人であることをちょっと、面白く、ちょっと頼もしいような気もして、また、明らかに同年代の日本の女の子とも違うことを再確認させられたのです。

 フランス人といっても様々なので、一概に全てのフランス人に通ずるわけではありませんが、概して、フランス人は締まり屋で無駄なお金は使いません。DIYなど、家の中の手入れなども、自分たちの手でできることは自分でするのが、一般的です。

 今回、長いこと日本へ行けなかったために、誰も住んでいなかった実家はあちこちに綻びが見え、エアコンからの水もれ、換気扇が動かなくなっていたり、雨漏り・・などなど大変なことになっており、さっそく、長年、両親が家の電気器具などをお願いしていた電気屋さんにきてもらうことになりました。

 一度、下見に来てくれた時点で、エアコンの水漏れは、おそらく排気口がつまっているのかもしれないということで、後日、その掃除に来てくれることに、そして換気扇は「もうこれは、交換しないとダメだな・・」ということで、交換することになりました。

 後日、工事に来てくれて、エアコンの方は、どうやらこれはエアコンよりも屋根の問題ではないか?ということになり、とりあえず換気扇の交換をしてもらい、料金をその場で支払う様子を娘は傍観していました。

 私は思っていた金額よりも少し高いな・・と感じたものの、まあ工事費も含めてだからこんなものか・・と思っていたのですが、その後、娘はその換気扇の値段をネットで調べて、これは、かなりボラれていると言うのでビックリ! 

 両親の代からの長い付き合いの電気屋さん、ボラれているというよりは、工事費を含めて、この地域に通用しているそれなりのお値段ということなのでしょう。

 しかし、娘は、工事もそれほど複雑なものではなく、あれくらいなら、自分でもできる!と主張。比較的、高齢者の多い一軒家の多い場所柄、電化製品等は、その設置や、その後のメンテナンスなどを考えて、地域の電気屋さんで買うと言う人が多い実家近辺は、その高い電気屋さんに何の疑問も持たずに頼んでいるらしいことは想像に難くないことです。

 むしろ、長年の地域のネットワークを持つ地元の商店を頼りにしている向きがあり、これはこれで大切なことで、もしも私だけだったら、むしろ、こういうお店に頼るしかないかもしれません。

 しかし、この高額な支払いに、何でも自分でやるフランスで育った娘は、納得がいかないらしく、他の家の修繕も知り合いを紹介してあげる・・とまずは自分で下見をしたりしてくれる電気屋さんが屋根にまで登ってくれるところに、自分も一緒に屋根に登って確認する・・という娘に電気屋さんも驚愕していました。

 また、別日、今回の帰国でパソコンやタブレットを買って帰りたいと思っていた私は、娘とともに家電量販店へ。「ネットで買う方が安いんじゃないの?」と渋る娘をよそに、私としては、「高額の買い物・・現品を目の前にして、説明を聞きながら買いたい・・ポイントもつくし・・」などと言いながら、お店へ。

 店員さんの説明を聞きながら、なんとなく、より高いものを買わせようとしている感じが伝わってきて、少々疑心暗鬼になり始めていたところ、娘は日本での販売価格の相場がわからない・・と言い始め、本来ならば、そこで自分のスマホを使って、他の値段のチェックをし始めるところが、まだ日本に着いてまもないことから、日本でネットを使える携帯を持っていなかった私たち。フリーWi-Fiもつながらず、店員さんに頼んで、展示してあるパソコンの中でネットの繋がるもので、「これでアマゾンでの値段を検索してもらえますか?」という大胆なお願いに・・。

 結局、いくつかの候補の中からパソコン1台とタブレットを選んでお支払いの場へ。パソコンをまず買って、そのパソコンでゲットしたポイントを使ってタブレットを買うという計画に、まずパソコンの方のお支払いの段になって、店員さんから「ポイントは現金払いならば10%つきますが、カード払いだと8%になってしまいますが、よろしいでしょうか?」という断りが入ったのです。

 それなりに高額のために、そもそも現金で支払うことなど考えていなかった私は当然、持ち合わせがなく、「え〜〜っ?」と思ったものの、持っていないものは持っていないから仕方がないか・・と思い始めていた私に、娘は、「なんで?お金、おろしてくればいいじゃない!なんなら、今、私がおろしてこようか?」と言い始めたのでした。

 私たちがごちゃごちゃ揉めている様子に、店員さんが、「なにか?」と言うので、「現金が足りないので、今、お金をおろしに行こうかどうしようか? と考え中なのです」と言うと、まさか、そんなことで揉めているとは思いもよらなかった店員さんが、根負けして、「カードで10%で結構です」と・・。

 ・・なんだ・・ポイントってこんなに適当な感じなんだ・・と思いながらも、ちょっと拍子抜けしたとともに、なんだかちょっと得した感じで、実際に、ポイントでタブレットをもらってくるような形に大変、二人で満足して帰ってきたのでした。

 これらの逸話はフランス人・・というだけでなく、彼女自身のキャラクターからくるものでもあるかもしれませんが、とりあえず、「あっさりとは受け入れない」明らかに一般的な日本人にはない部分を彼女が持ち合わせていることに、私も含めて周囲が呆気にとられている様子に、流暢に日本語を話すようになった娘も、その中身はフランス人であることをまざまざと見せつけられているような気分でした。

 そこへ行くと、フランスでは、娘と同じような戦闘モードでいる私も、日本に帰国した際は、あっさり日本モードに移行しそうになるあたり、私は日本人だな・・とつくづく思うのです。


フランス人のキャラクター フランス人気質


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2022年4月12日火曜日

羽田発ロンドンーパリのフライトと静まり返った羽田空港・ファーストクラスラウンジ

 

深夜便で機内食サービスが1回のみのためにファーストラウンジが使えました


 前代未聞の長距離フライトで、日本へ一時帰国をしていましたが、 とうとうフランスへの帰国の日が近づいてきたと思ったら、予約していたフライトがキャンセルになり、1日前倒しの経由便に変更になり、最後の最後までバタバタと日本滞在の日を過ごすハメになりました。

 それでも、前日に繰り上がったとはいえ、夜遅くのフライトだったため、出発当日は、ほぼまるまる使え、きっちりと荷造りをして、羽田空港に向かいました。

 フライトは、ロンドンまではJAL、ロンドンからパリはエアフランスの経由便でした。

 あらかじめ、羽田からロンドン、パリ行きの場合、飛行機搭乗に際してのPCR検査陰性証明書はいらないことは確認してあったものの、何かと心配でもあり、いかなる附則の事態にも対応できるように、少し早めに空港に到着。結局、いつものチェックインと異なるのは、ワクチン3回済証明書の提示くらいなものでした。

 飛行機は、23時35分発のフライトでしたが、20時にはチェックイン。久しぶりの羽田空港で時間を過ごすのもいいな・・と思っていたのです。最後にコンビニで買い物をして、手荷物検査へ進みました。

 いつもなら、手荷物検査では、「香水の小瓶や化粧品など小さな液体などや、パソコン等の電子機器は、手荷物から取り出してください」と言われるところが、今回は別に取り出すようには言われず、その代わりにX線での確認に時間をかけているようでした。

 パスポートも全てオートチェックになっていました。羽田空港も変わりました。

 パスポートチェックも終わって、さて、今度は免税店で買い物!と思いきや、空港内の店舗はすでに17時で全店閉店しているとかで、何も買えず・・「なんで?事前にJALの人は、教えてくれなかったのだろう?」と思いつつ、もはや、再び、外に出ることもできずに買い物は断念せざるを得なくなりました。

 それでも今回は、チェックインの際に、深夜のフライトゆえ、機内食のサービスが到着2時間前の1回だけになるために、ラウンジをお使い下さいと言われており、SAKURAラウンジが閉鎖のために、ファーストクラスのラウンジへ。(私の予約はエコノミークラスなのに・・)

 ファーストクラスのラウンジなど初めての体験でした。これは、今回のフライトで唯一の思わぬ僥倖でした。広々として、贅沢な空間のラウンジで、食事は好きなものが注文できるのは、少なくとも1回分の機内食の代わりとしては、絶対にこちらの方がいいわけで、出発前の時間は、食事をしながら、最後に友人たちと電話で話したりしながらあっという間に過ごしたのでした。


  

   
  ゆず塩ラーメンが美味しかった・・欲張って、デザートにたい焼きまで、食べてしまった


 今回の帰りの便は、行きと違ってほぼ満席、空席を見つけて移動するということもできませんでした。どうやら、今回のフライトは小さな子供を連れている人もちらほらいて、欧州在住の人が多い感じでした。

 なにせ、他の欧州行きのフライトはロンドンかヘルシンキ行きしか飛んでいないようで、ロンドン・ヘルシンキ以外へ行きたい人も、必ずこれらの地を経由しなければならないわけで、いくら渡航する人が減っているとはいえ、ほぼ満席になるのも致し方ないのかもしれません。

 3月に日本に来た時のフライトでは、機内サービスなども、ここは病院??という感じだったのに比べて、CAさんも通常どおりの服装でのサービスに切り替わっており、緊迫感は薄れているような感じでした。

 しかし、フライトが長いことに変わりはなく、羽田ーロンドンのフライトは14時間15分かかりました。通常の羽田ーロンドン便は12時間程度、現在の航路の航空時間は、だいたい3時間程度余計にかかっているそうで、天候や航路の状況により±1時間だということで、便によって、14時間から16時間の間のようです。

 重ねて、問題は、そこから経由する便への乗り継ぎで、私の場合は、ロンドンで3時間待ちのエアフランスのパリ行きの予約にしてもらえましたが、たまたまロンドン行きの便で隣に座っていた女性は、同じパリに行くのに、最初はヘルシンキ経由を提案されたものの、それをロンドン経由に変更してもらったものの、ロンドンーパリ行きの乗り継ぎ便は、ロンドンで6時間待ちの便にしか、予約が入れられなかったとのことでした。

 やはり、直行便を予約していて、結局、直行便が欠航になったために、経由便に振り替えになった人が多く、その振り替えの予約の際には、かなり粘って、乗り継ぎの際の待ち時間が長すぎない便を予約してもらう試みが必要かもしれません。

 14時間のフライトの後に、ヒースロー空港で6時間待ちとは・・ロンドンまでのフライトだけでも十分に疲れているところに、また長時間の空港待機はとても辛いです。今回、私の場合、JALのサイトでのフライト変更の予約はエラー続きで結局電話しなければならないハメになりましたが、この時に機内に乗り合わせた他の女性、2人とも、サイトはエラー続きで結局、電話で予約したと話しており、現在、多くの欠航便の振り替え手続きで混乱しているとはいえ、これには、骨が折れました。

 しかも、事態が事態とはいえ、直行便から経由便に変更なのに、料金は同じでした。

 ロンドンに到着すると、またヒースロー空港内での乗り換えの際には、遠いターミナルへの移動とともに、再び、手荷物チェック(羽田と違って、ヒースローでは、手荷物の香水の小瓶や化粧品など小さな液体などや、パソコン等の電子機器は、手荷物から取り出さなければならない)を受けなければなりません。

 結局、フライト+待ち時間トータルで約20時間後にようやくパリCDGに到着しました。パリ・シャルル・ド・ゴール空港では、一応、ワクチンパス(ワクチン接種3回済み証明書)が求められるということになっていたので、携帯のワクチンパスを準備していたものの、まさかのノーチェックで肩透かしをくらった感じでした。

 このチェックは、アトランダムに行われているようで、全員に対して行われているものではないようです。いつもなら、日本からの到着便は午後3時とか4時なのに比べて、今回、私がパリに到着したのは、午前中(現地時間)。昼過ぎには、自宅に戻ることができました・・がよくよく考えてみれば、日本から帰ってきたのに、日付が変わっていて、もはや時間と日にちの感覚が壊れた感じです。

 今回の一時帰国では、日本滞在中、ずっと時差ボケがなおることがないまま、フランスに戻ることになりましたが、時差ボケがなおらなかったからと言って、フランスに戻った時に時差が元通りになるかというと、そういうわけにはいかずに、これはまたしっかり、時差ボケをし直しているわけで、パリの自宅に戻って、どこか煤けた感じの家を掃除したり、日本から持ち帰ったものを片付けたりして、ちょっとホッとして、あまりの疲労にちょっとだけ横になろうとゴロンと寝転がったが最後、しっかり寝てしまい、目が覚めると午前1時、そこから、お風呂に入ったりして、もう一度、寝直そうとしても眠れず、とはいえ、身体は激疲れ状態。

 しかし、この厄介な時期に、色々なトラブルに見舞われたとはいえ、無事に日本へ行って帰ってこられ、日本で桜も見て、美味しいものもたくさん食べて、友人や親戚数人には会えて、凝縮した楽しい時間を過ごすことができ、とりあえず、当面の食糧も確保してきました。

 日本の友人たちは、気軽に「今度はいつ帰ってくるの?」と言ってくれましたが、こんなフライトは、しばらくは、ごめん被りたいので、少なくともパリー羽田間の直行便が回復するまでは、ちょっと無理かもしれません。


羽田空港 ファーストクラスラウンジ 羽田ーロンドン迂回便 経由便待ち時間


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2022年4月9日土曜日

日本のお金・銀行事情に驚いた!

 

日本の銀行のATMがこんなに混んでいることにビックリした・・

 

 私が一時帰国をしている時に、しなければならない私的な用事の中に、銀行関係の用事があります。日頃は、日本の銀行口座もほとんどは、ネットバンキングで時々、パリの自宅からネットで確認したりしているのですが、今回は、そのうちの一つが暗証ナンバーを間違えたか何かでブロックしてしまい、「お取り扱い銀行の窓口までおいでください」と表示され、つながらなくなってしまったことによるものでした。

 「窓口までおいでください」と気安く言われても、フランスからではそうそう簡単に窓口に行くこともできずに、次回の、一時帰国の際には行かなくちゃ・・と思っていました。

 現在、フランスで口座を持っている銀行も、現在ではほぼ自ら出向くということは、まずなくなり、もともと通帳というものがないフランスでは、ネットバンキングへの移行も早かったように感じています。

 というわけで、それは、私に限ったことではなく、フランスの銀行に行っても、受付には一人か二人、お客さんもほぼ、予約制なので、あまり人が多くいることはありません。

 ところが、久しぶりに日本の銀行へ行くと、けっこうな人。順番待ちの番号をとって、大勢の人々が待機しています。また、ATMにも結構な行列。現金を下ろしたり、振込をしたり、キャッシングまでできるようになっているので、ただお金を引き出すだけでも、久しぶりでちょっと戸惑ってしまいました。

 日本で買い物をしたり、食事に行ったりしていると驚くのが、日本では、カードは使えない・・というお店もけっこうあるし、しかも、結構、私の周囲には、カードを使える場所でも現金を使って生活をしている人が多いということです。

 最近、フランスでは、コロナウィルスの影響もあり、少額からカードを受け付けるお店が圧倒的に増え、あまりハイテク化の波にはのっていない私でさえも、フランスで現金をおろして使うということは、滅多になくなっていて、カードに頼り切った生活になっています。

 だいたいパリは治安もあまり良くないので、高額の現金を持ち歩くということも、あまりしたくはないし、殊に、パンデミック以来は特に衛生面でもお金に直に触れるということにちょっと抵抗が生まれています。

 それが、日本に来て、叔母二人と話していて、彼女たちが、一切クレジットカードの類を持っていないという事実が発覚して、驚愕!日頃の生活ぶりから見て、けっこうお金を使っている人たちです。それが、これまで一切現金でしか、生活していなかったと知ってびっくりしました。

 彼女たちは、70代、私よりも少し上の世代とはいえ、頑なにその生活を貫いているあたり、この期に及んで、彼女たちが現金生活から脱却するとは考えづらく、もしかしたら、こんな人々が想像以上に多いのでは・・それが銀行の人の多さに繋がっているのか?と妙に納得させられた気もしたのです。

 また、彼女たちは、誘い合わせたかのごとく、携帯もガラケーでスマホは使用していません。私とて、スマホを器用に使いこなせているとは言い難いとはいえ、今やどこかに出かけるにしてもスマホなしだとかなり不便を感じるようになりました。

 フランスでのワクチンパスもスマホに読み込みだし(紙に印刷しても良いにはよいけど・・)、だいたい、今回の一時帰国にしても、日本入国に際しては、スマホにMy SOSという感染者追跡アプリをダウンロードしなければならなかったし、スマホを持っていない場合は、強制的にレンタルさせられることになっていて、スマホはほとんど必須アイテム。

 それが、日本で暮らしている分には、まだ、以前の私が海外に出た当時(20年以上前)とさほど違わない生活が、それはそれなりに、続けられるようにできるようになっていることが、実際に、社会がそのような人々に対応するようにできているものなのだ・・と逆に、その違いに感心させられもしたのです。

 一方、今回の一時帰国中に買い物をするたびに、たまたまなのかもしれませんが、やたらと「楽天ポイント、ご利用になっていますか?」と聞かれるようになっていることに、「これは2年前の一時帰国時にはなかった・・楽天の勢力拡大恐るべし・・」と思わされたりもしたのでした。

 しかし、人口の比率を考えれば、圧倒的に高齢者の割合が多い日本の社会の一面を銀行や、やたらと?現金をまだまだ使いたがる人々の様子から、日本のIT化やデジタル化の速度が緩やかである理由を垣間見た気がしたのでした。

 逆に考えれば、私がフランスに住み始めた頃を考えると、その頃は小切手などの日本ではあまり一般的に使用されていない文化が存在していたのですが、現在は、めっきり小切手が使用されている場面も減り、ここ20年ほどで、フランスは大きく変化して、いつの間にか、国民もそれに順応しており、社会自体も変わっていたことを日本の現状から、あらためて、気付かされたような気がしています。


日本の銀行 現金 カード決済


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2022年4月8日金曜日

帰仏間近の切迫スケジュール 食事の回数がどう考えても足りない!

   

ここのお寿司も美味しかった!ガリまで最高でした!


 帰仏の日が迫って、気忙しいだけでなく、実際、忙しく毎日を過ごしています。やらなくてはいけないことは、リストアップしていたのにもかかわらず、そのリストを見ることも忘れていて、とはいえ、大まかには、どうしてもやらなければならないことは、一応、済ませているのに、ギリギリになって思いついたことなども間に割って入り、慌ててその用事を済ませたり、本当にいつもいつも日本への一時帰国の終盤戦は、目まぐるしくなってバタバタで、あいも変わらず、どうしてこう毎回、学習せずに、同じことを繰り返すことになってしまうのか?自分でも嫌気がさしてきます。

 しかし、この帰仏前の忙しさには、多分に私の食い意地が影響しており、フランスへ持って帰る食糧の調達と、どうしても日本にいる間に食べておきたいものが、そのスケジュールを圧迫しているとともに、焦りと欲張った気持ちを増長させています。

 来日して、しばらくは、わりと、余裕で、「あぁ〜そういえば、あれも食べたいなぁ〜〜」くらいに構えていて、食べたいものは、いつ食べるかという具体的なことを考えずに、「うわっ!これも!」「うわっ!あれも!」などと思いながら、逸る気持ちを抑えているつもりでも、比較的、ポンポンと買い込み、それらが家の冷蔵庫に溜まっていくのですが、出かけるたびにそれが積み重なり、そのうえ、食べるつもりでいたのに、急に頂き物をしたり、外食してしまったりしているうちに、「うわっ!これまだ食べてなかった!」などと自分の食い意地に実際の自分がついていけていないみっともない事態に陥るわけです。

 言い訳をするとすれば、今回は、通常の全体の日程から換算すると、超長距離フライトのためにまる1日以上は、短縮されており、そのうえ、帰国直後に機内濃厚接触隔離で数日間、思うように出かけられないという憂き目にあったために、大幅に予定が狂っただけでなく、食事のスケジュール(そんなものは、ほんとはないけど・・)も狂い、日本に来ているというのに外食ができたのは、約1週間後のことでした。

 しかし、それにしては、周囲の助けもあって、その後にかなりの勢いでの追い上げ、日本に来てから食べたものを思い浮かべるに、かなりを網羅しているのに、なぜだかこの焦り・・。

 従姉妹などが買い物につきあってくれては、「そういえば、あそこの洋食はおいしい・・」などと言い出すので、「じゃあ、今度来た時には・・」とはならずに、また、そのキツキツのスケジュールに無理矢理、割り込ませることに・・。

 いつも、日本に来た時には、外食は、行っておきたいお店は決まっていて(必ずしも高級なレストランばかりではなく、その中には餃子の王将なども入っている・・)、多少、それが入れ替わったり、周囲がどこかを予約してくれていて、新しいお店が開拓されていくのですが、それにしても日本の食事は、やっぱり世界一。

 今回、予定が狂ったと言いながらも、すでに、おそば、天ぷら、お寿司、お刺身、うなぎ、中華料理、餃子などなど、結構、食べています。どれもユーロに換算すると信じられないコスパの良さとクォリティーにいちいち、値段をユーロに換算しては、感動しつつ、しばらく、パリに戻って日本食など、とてもバカバカしくて食べられない・・と一人で勝手に考えたりしながら、次の日の食事の予定を「明日の朝、昼、夜は・・あれを食べるから・・とすると、さっき買った肉まんやカレーパンは一体、いつ食べるの?」などと、考え始め、「最悪、出発間際に食べて、機内持ち込み・・フライト長いし・・」などと算段しているのです。

 もしも、近々、ロンドン行きの機内でごそごそとバッグから食べ物を取り出しているおばさんがいたら、それは私です。

 もはやダイエットはパリに帰ってから・・自分の計量はせずに、持って帰る荷物の計量をしなければなりません。

 毎回、今回こそは、少し食器でも持って帰ろうか?と思いつつも、結局、いつも溢れかえる食べ物の一部は泣く泣く諦めて、冷蔵庫に入れて帰るハメになり、食器の持ち帰りなどは問題外。持って帰れないものは、食べて帰るしか、ないではありませんか?

 ここ帰国までの数日が今後、1年くらい?(次回に一時帰国できるまで)の私の食糧事情を大きく左右する正念場なのだから、それはそれは必死なのです。


日本一時帰国時の食事 


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2022年4月7日木曜日

京都 山城産の朝掘りたけのこと叔母の突然の訪問

 


 

 私の両親はすでに他界していますが、彼らの生前から、彼らの兄弟姉妹とのつながりは強く、父方、母方の両方の親戚(叔父叔母や従姉妹たち)と我が家はとても親しい関係を保ち続けてきました。

 私の実家は、父の兄弟一家と同じ敷地内にあり、母の兄弟は、家から車で10分ほどのところに2家族がやはり、同じ敷地内にそれぞれの家を建てて暮らしています。

 父方の兄弟姉妹、母方の兄弟姉妹は、他にもいて、彼らは都内から少しだけ外れた場所に住んでいます。

 当然、家が近い叔父・叔母とは、行き来も頻繁で、隣の叔母・従姉妹は、本当に庭先から出入りが見えるような場所のため、「今、帰ってきた・・今、電気がついている・・じゃぁ、ちょっと、これ、渡してこよう・・」など、わたしたちが帰国している間は、顔を合わさない日はないくらいなのですが、それほどではないにせよ、車で10分圏内の叔父・叔母たちも、なかなかの頻度で連絡したり、一緒に出かけたりするので、帰国すれば、わりと頻繁に連絡をとっているのです。

 母の妹にあたる叔母は、母方の親戚の窓口のようになってくれていて、彼女に話しておけば、だいたいのことは、親戚中に伝えてくれるという、私には、とても近く、とても大切な存在の叔母でもあります。

 今回の帰国に関しては、数度にわたり、フライトがキャンセルになったり、羽田に到着しても、コロナウィルス検査で陽性になれば、しばらく隔離しなければならないので、それまで、一喜一憂させて、心配をかけたくないという思いから、隣に住む従姉妹にだけは、ヒースロー空港から、「予定どおりならば、明日、日本に到着します」と知らせ、母の妹である叔母には、家に着いてから、電話して、「実は、今、日本に帰ってきている」と驚かせてしまいました。

 彼女には、今回の帰国の事情や滞在日程、また、どうしてもやっていかなければならないことなどを説明して、「ちょっと、やるべきことを滞在中に済ませなければならず、それがどの程度の時間がかかり、日程を組んでいけるのかわからないので、だいたい目処がついたところで、また連絡するね・・」と伝えました。

 この叔父と叔母には、私が子供の頃から大変、お世話になり続けてきて、いつもは帰国のフライトを予約すれば、誰よりも一番に知らせる二人、たいてい叔父は羽田まで迎えにきてくれていました。

 それが今回は、何も知らせずに来てしまい、コロナ禍ということで日本国内での親戚の集まりなどもしていなかったようで、私たちが帰国したからといって、いつものようにみんなで集まって・・などということも無理で、今回は、ごくごく近い親戚に運がよければ会えるか、そうでなければ、電話では話せるかな?くらいに思っていました。

 一番近しい叔母に連絡した時点で、皆が知っていることはわかっていましたが、その叔母を通じて、別の叔母が、「忙しそうだから、電話も時間をとらせてしまうので、遠慮しておくね・・」と話していたということを聞きました。

 そこまで言われて、電話の一本もしないのも失礼だと思い、こちらから電話をすると、その少し遠いところに住んでいるその叔母はとても喜んでくれて、電話でお互いの近況などを話し、「今回は、コロナということもあるし、忙しそうだから会うのは諦めることにして、次回、帰国の際には、会えるようにしましょうね・・」ということで、電話を切ったのです。

 それから数日して、ある程度の優先的な用事は済み、どうにも今回は終わりそうにないことには、見切りをつけて、帰仏の日も迫ってきて、比較的、近くに住んでいる叔父・叔母と都内にあるお墓参りをして、一緒に食事し、しばしのおしゃべりの時間を過ごしていました。

 そこに、食事だけ一緒にして、仕事のために家に戻っていた娘から「今どこ? 叔母さんが急に家に来たから、もし、すぐに帰って来れるようなら、待っていてもらうし、無理なら帰ると言っているけど・・」と電話があり、仰天。

 「えっ?遠いのに、在宅を確認もしないで、突然?二人とも留守だったらどうするつもりだったのだろうか?」とびっくりして、また、叔父に頼んで急に家に送ってもらい、叔母と数分、対面したのでした。

 以前から猪突猛進型の叔母ではありましたが、すでに80歳という高齢で、足も悪く、杖をつきながらの突然の訪問に、私も少々動揺し、家から、電車とバスを乗り継いで、悠に2時間はかかると思われる道のりを連絡もせずにやってきてくれた叔母に不安を覚えて、少し話をした後に、送ってきてくれた叔父に、このまま叔母を乗り継ぎのよい駅まででも、送ってあげて・・」と頼んだのです。

 叔母は、私と電話で「今回は諦めよう」と話していたにもかかわらず、「今朝、京都から山城産の朝掘りたけのこが届いて、どうしても、これをあなたたちに食べさせてあげたいと思ったら、居ても立っても居られなくなって・・」とそのたけのこを茹でて、他の食糧とともに届けに来てくれたのです。

 結局、叔父は2時間近くかけて、彼女の自宅まで送って行ってくれたようで、なんだか、私たちの帰国がみんなを巻き込んで、振り回しているようで、申し訳ない気持ちになりました。

 コロナ禍でずっと会っていなかった叔父と叔母は、久しぶりに道中、車の中でゆっくり話したようで、怪我の功名でもあったかな?とちょっとだけ、良い機会であったかもしれない・・と思うことにしたのですが、夜になって、娘と共に、叔母の持ってきてくれたたけのこを食べて、ちょっとびっくり!こんな美味しいたけのこを食べたのは、初めてで、ちょっとありえないくらい感動しました。

 茹でただけで、柔らかくて、ちょっとトウモロコシにも似た香りのこんなにほっくりした味のたけのこを食べて、この京都の朝掘りたけのこが叔母を突き動かしたことにちょっと合点がいくような気もしたのでした。

 最初は、電話することさえも「邪魔しちゃいけないから・・」控えておくと言っていたはずの叔母を、この「京都山城産の朝掘りたけのこ」が突撃訪問モードにスイッチを入れたのです。

 しかし、80歳という高齢にもかかわらず、2時間以上もかかる道のりを杖をつきながら、たけのこを届けてくれた叔母。嬉しいやら、申し訳ないやら、心配やら・・。

 少なからず、私たちの一時帰国はいつでも、お騒がせでもあるのですが、結果的に今回は、さらにお騒がせになってしまったことや、叔父や叔母たちも、ずいぶん、おじいさん、おばあさんになってしまったんだな・・と、このパンデミックの間の失われた時間を実感するのでした。

 それにしても、父方、母方の親戚ともに、食べ物に並々ならぬ情熱を持った家系であることも、あらためて実感させられたのでした。私たちが一時帰国の際には、食べたいものと食事の回数が足りなくなって焦るのも、そういう家系・一族なのだ・・と思うのです。


京都山城産朝掘りたけのこ 一時帰国


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