2025年9月21日日曜日

仏婦人服ブランド Pimkie SHEINとの提携で業界から締め出し

  


 フランスの婦人服ブランド Pimkieは、中国の超ファストファッション大手SHEINとの業務提携を行い、Pimkieブランドの既製服がこのSHEINのプラットフォームで一部の商品を販売できることになったと発表しています。

 ところが、この業務提携は、アンチファストファッションを叫んでいるフランスの繊維業界からは、大バッシングを受け、Pimkie はフランス商業同盟(Alliance du Commerce)に加盟する衣料品小売業連盟から全会一致で除名されています。

 そもそも、この婦人服ブランド Pimkieは、2018年頃には、世界30ヶ国で700軒以上を展開する人気ブランドであったものの、ここ最近では、すっかり業績不振の一途をたどって不特定多数の人員削減が続き、ついには、破産宣告まで受けて、正直、私はもう、とっくに倒産してしまったものと思っていました。

 しかし、Pimikiは2022年に3社の投資家に売却されており、現在の主要株主は、Lee Cooper(75%株式所有 米国Iconix Brand Groupの子会社)となっています。

 この業務提携により、Pimkieは、世界160ヵ国に販売できるプラットフォームを得ることができ、また、SHEINにとっては、アンチファストファッションを閉め出そうとしているヨーロッパの市場に食い込むチャンスを目論んでいます。

 ところが、このビジネスモデルには、フランスの既存の衣料品メーカー、業界全体は、強い反発を示して、大激怒しています。

 ここ数年にわたり、この超ファストファッションには、業を煮やして、最近では、本格的な閉め出しに向けて動いているこの業界には、まさしくこのモデルが成功してしまえば、なすすべもなく、駄々洩れ状態になりかねない絶対に許せない業務提携。

 パンデミックが拍車をかけたSHEINやTemuといった超低価格の巨大プラットフォームが大きく、この業界に食い込んで以来、Camaïeu、Kaporal、C & Aなどの同業他社も閉店を余儀なくされ、その他、多くのブランドも苦境に立たされています。

 それが、こちら側にいたと思っていた身内から、身売り同然?の業務提携により、敵に塩を送るかのごとき業務提携に応じて、フランスの繊維業界全体をさらに苦境に立たせようとするとは何事であるか!ということなのです。

 「この提携は真の裏切り行為であり、犯罪的な陰謀である!我々のビジネス全体を弱体化させるものであり、悪魔との共謀だ!」と強い言葉でののしっています。

 たしかに、フランスの繊維業界、衣料品小売業にとっては、仰る通りの話だとは思うのですが、しかし、だからといって、このフランス商業同盟(Alliance du Commerce)に加盟する衣料品小売業連盟が、「だったら、このアンチファストファッションに対抗できる策を持っているのか?」といえば、どうにも相手を叩くだけで、具体的な秘策は見えてこないのも現実です。

 結果的にこのPimkieとSHEINの提携でPimkieが成功する確約はなく、SHEINに利用され、食われるだけのものになる危険性すら無きにしも非ずです。

 しかし、現在の状況を見れば、このような業界の反発は予想できたはずのことであり、Pimkieとしては、捨て身の覚悟かもしれません。

 このような業界全体の猛反発を受けての今後のPimkieの成り行きからは、しばらく目が離せない気がしています。


PimkieとSHEINの提携


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2025年9月20日土曜日

イギリスのホスピスで見てきたことが、最近になって、本当の意味で理解できるようになった・・

  


 フランスに来てから四半世紀以上が過ぎ、最初は夫と娘の3人で暮らしていた我が家は、まず、夫が先立ち、それから一人で子育てをし、娘が無事、フランスでの学業を終了し、独立をして以来、私は一人暮らしになりました。

 常日頃から思うのは、海外で生活している人は、そもそも、自分の生まれ育った家族からも離れ、海外に出てくる時点で、ある程度、一人で生活することに耐えられる人が多いようにも思いますが、私は正直言って、一人で生活することが、こんなに寂しくないのか?、こんなに孤独を感じないでいるのは、ちょっとヤバいのではないか?と思われるレベルでもあることは、ちょっと気恥ずかしい気もするくらいです。

 娘が独立した当初は、それまで娘中心の生活、スケジュールから食べ物から、全て娘がよりよく生活できるために・・と思って生活してきたので、それは、なんとなく、気が抜けたような感じになった時期があったのも事実です。

 しかし、そんな生活にも慣れ、軌道にのってくると、なにもかも自分の好きなようにできる生活が快適でもあり、もともと我儘な私が自分の好きなようにできるため、それが夫であろうと娘であろうと、自分以外の人と生活するのは、もう無理だろう・・と思うほどになってしまいました。

 それは、娘がもう少し、近くにいてくれれば・・と思うこともあるのですが、今は、メールでもラインでもいつでも連絡は取れるし、話もできるし、空き家になっていた日本の家に住んでいてくれることは、また、別の意味で大いに助かることもあるのです。

 もはや、私にとって、娘は元気で楽しく生活していてくれて、たまに会えれば、充分に幸せで、彼女がこの世に存在してくれているということだけで、充分に満たされる気持ちなのです。離れていても、彼女は私の支えなのです。

 そんな私が、今、そんな心持ちになりながら、若い頃、死生学(thanatology)の勉強をしていた時があって、それが高じて、イギリスにあるホスピスでしばらく勉強させていただいていたことを思い出しています。

 それは、もう命の期限が間近に迫っている患者さんたちと話すために、病室を廻っていた時のこと、さすがに高齢の方が多かったのですが、患者さんたちが口にするのは、それぞれの家族の話題がほとんどでした。

 とうとうと家族の自慢話や微笑ましい話を聞いていて、人間にとって、最後の最期に大切に思うものは、家族なのではないだろうか?と思ったりもしました。

 彼ら(彼女ら)の家族は、もちろん、側にいるわけではなく、時には、よく話を聞いてみると、もうその家族は亡くなっていた・・なんていう話もありました。もうその存在そのものが彼らの心を満たしてくれる・・そんな存在であることを聞いて、やっぱり家族というもは、大切なものなんだ・・とわかったような気持ちになっていました。

 V.フランクルの「夜の霧」という話の中にもそんな話が出てくるのですが、今、まさに、私が娘に対して思う感情は、そんな感じなのだな・・と実感している気持ちです。

 そんなホスピスでの経験の後、私は、自分が死ぬ前にそんなふうに思える家族というものを持ちたいと思ったものです。そして、それを大切にして、生きていくべきだと思ったものです。

 残念ながら、思いがけずに夫は早くに他界してしまったので、夫との時間は短かったのですが、その分、娘は大切に育ててきました。

 今、無事に娘は独立してくれて、離れていますが、いつでも彼女がどこかにいてくれることだけで、私は一人でいても、心が満たされているのです。


孤独が寂しくない


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2025年9月19日金曜日

若い時にたくさん遊んだり、多くの経験をしておくことはやっぱり大切なんだな・・と思う

  


 最近、歳のせいか?体調がいま一つ思わしくないこともあってなのか?色々なことが億劫に感じることが多くなってきてしまいました。

 日本に行くことでさえも、長距離フライトやら時差ボケやらなんやらが、けっこう気が重くて、以前のように、手放しで「日本への一時帰国!楽しい!」とは思わなくなってしまいました。

 まあ、日本への一時帰国に関しては、両親が他界してしまったということもあるのですが、現在、日本には、娘が住んでいるので、娘に会いたい気持ちはあるのですが、そこまでの情熱がなかなか湧いてきません。

 また、若い頃から旅行が大好きで、知らないところに行ったり、見たことのない景色を見たりすることは、とても楽しく、行けば行ったで楽しいのですが、これもまた、以前のような情熱がなくなってしまいました。

 以前は、なかなか取れないお休みには、寸暇を惜しんででも娘を連れて旅行していたのに、自分の変わりようには、情けない思いをしています。

 第一には、気力と体力の問題で、双方が私の行動を妨げているような気がします。

 スポーツなどに関しても、かろうじて今でも続いているのは、水泳くらいなもので、もうなんかすると思わぬ怪我をしたりして、その後、長いこと身動きがとれなくなってしまうので、ついつい躊躇してしまいます。

 こうして書いていると、立派な老人というか、老化の一途を辿っている気がしますが、最近、思うのは、若い時にやったことがあることに関しては、この重い腰が少しだけ軽くなるような気がします。

 旅行に関して言えば、以前住んでいたことがあるとはいえ、さすがにアフリカ(コートジボアール)に行きたいとは思わない(黄熱病の予防注射をしなければならないのが一番嫌・あの若かった時でさえ、予防接種の後、死ぬほど苦しかったのです)のですが、最近は、もっぱら、イタリアばかり(といっても、同じ場所ではありませんが・・)で、たまには、どこか別の国にしようか?などと思ったりもするのですが、やっぱりイタリアに行きたい・・となってしまうのは、別にイタリア語ができるわけでもないのに、イタリアを選んでしまうのは、やっぱりイタリア(特に料理)が好きなこともありますが、なんとなく、馴染みを感じるところがあるわけで、若い頃の経験って歳をとってから、大切なんだな・・とつくづく思うのです。

 あまり深くは考えずに娘には、子どもの頃にできるだけ多くの経験をさせてあげたいと思って、ありとあらゆるスポーツをさせ、色々な国に行く機会を与えてきましたが、それは、彼女が歳をとってからも、きっと良いことだったんだろうな・・と身をもって感じているのです。


若い頃の経験・体験


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2025年9月18日木曜日

パリでおススメの両替所 MERSON

  


 昔に比べるとパリのいわゆる両替所というものは、かなり減りました。買い物等もかなり少額のものでもカードで買い物が可能となり、カードを持っていれば、ほぼほぼ現金は必要ないくらいになったので、当然といえば、当然なのかもしれません。

 とはいえ、全く現地の通過を持っていないで歩くというのも、心もとないとは思いますが、この両替所も気をつけないと、とんでもない、ぼったくりのようなお店もあるので、気を付けるに越したことはありません。

 また、このような悪徳両替所は、一度、替えてしまうと、二度と戻してくれなかったりもするので、まあ、できれば気を付けた方がいいと思います。

 一度、日本人の知人が「両替してきた!」というので明細を見せてもらうと、酷くレートが悪いうえに、ものすごい手数料をとられていたので、「ちょっと、これはないんじゃないの?」とすぐに(たった今両替したところで、その5分後くらい)これ、取り消してください・・と言っても、絶対に戻してくれなくて、悔しい思いをしたことがあります。

 例えば、日本円からユーロに両替するとして、日本円の売りと買いが逆に書かれていたり、レートはまあまあ悪くなくても、手数料が恐ろしく高くて、実際に替えてみて、手にすると、「えっ?これだけ?」となってしまうことも少なくありません。

 もっとも、ほぼほぼカードで済んでしまう今、あまり高額な両替をする必用もないので、大したことではないかもしれませんが、現在は、日本円はすごく下がってしまっているので、ますます、なんだ?これだけ?という気分になると思います。

 私が知っている両替のお店でまあまあ良心的と思われるのは、「MERSON」という両替所で、ここは、同じ通り沿いにもたくさん両替所がありますが、だいたい、このお店が一番レートもよく、しかも手数料も取られないので、私が日本から持ってきた日本円を両替する時には、だいたいこのお店で両替します。

 現在の日本円のレートの悪さには、ちょっとウンザリしますが、それでも、両替所によっては、さらに酷いことになるので、もし、時間的な余裕があれば、少しでもレートの良いところに行くにこしたことはありません。

 比較的、パリの中心地の近くですので、なにかのついでに行くのも可能だとも思います。

 近くには、蝋人形館(Musée de Grévin) があります。

 


🌟MERSON    33 Rue Vivienne 75002 Paris      9:00~17:45


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2025年9月17日水曜日

超人気パティスリー セドリック グロレ攻略法

  


 以前、セドリック グロレ(Cédric Grolét Opéra)に行ったのは、もう2年前のこと。一度目に行ったときには、さんざん並んだ挙句に、結局、お目当てのクロワッサンは買えず、悔しくて、翌日、もう一度、開店時間目掛けて行ったら、もうすでに長蛇の列で、また延々とならびました。それでもなんとか、思っていたものを買えるには買えました。

 さすがに、飛び切り美味しかったのですが、しかし、これだけ並ぶのはな~~と、それ以後、行っていませんでした。

 それでも、近くを通るたびに、いつも気になって、「まだ、並んでいるのかな~?」と思って見ると、やっぱりいっつも並んでいます。

 今回、久しぶりに娘が来るというので、なんか、美味しいものを食べさせてあげたいな・・と思って、ああそうだ!セドリック グロレだ!と思ってクロワッサンやパンオショコラなどを買いに行きました。

 並ぶのは覚悟していたのですが、今回は、その並ぶ時間を最短にしたい!と思い、開店時間の約30分前に到着(午前9時開店)。すでに、私の前に8人が並んでいましたが、私は9番目。これならば、開店とほぼ同時に入れます。

 一度にたくさんのお客さんを入れないので、それから5分ほどは待ちましたが、このくらいが一番、効率的なんだな・・と自分では、大満足。そのうえ、開店とほぼ同時なので、その日に買えるものは、ほぼほぼよりどりみどりです。



 なんといっても、そこまで詳しいわけではないので、クロワッサンとパンオショコラ、パンスイスの他に今日は、今まで見たことがなかったバニラのフランとシナモン風味のグリエ オ ポム(りんごのパイみたいな感じ)などがあり、ついつい買ってしまいました。



 美しいというか、もはや麗しい感じのケーキも勢ぞろいで、一応・・値段を聞いてみましたが、恐ろしいことに、これが25ユーロ、これは35ユーロ、これは45ユーロとごくごく小さいケーキの値段としては、天文学的な数字・・。ケーキを見つめる私の目がいじましかったのか、教えてくれた店員さんが、サントノーレは、今日はこの3つしかないのよ!と・・。




 さすがに、ヴィエノワズリーをこれだけ買ったうえに、サントノーレまでは、ダメダメ・・と自分に言い聞かせ、教えてくれた店員さんに「いじわる!」と言ったら、彼女も大笑い。

 しかし、これまでで最短の30分でクロワッサンをゲットできました。



 さすがに立派なクロワッサン、立派な袋に入れてくれても、もうその柔らかで魅力的な香りが漂ってきます。これは、歩きながらかじる・・というには、もったいなく、家に帰って、美味しいコーヒーを入れて、しっかり味わいたい・・とニコニコで家に帰りました。

 家に帰っても、ほぼほぼ焼き立てのクロワッサン。美味しいコーヒーをいれて、食べました。

 あらためて、味わうと、やっぱり、ふつうのクロワッサンとは、やっぱり次元が違い、一人で食べながらも、何度も「う~ん!」と唸り、「美味しい~~~」となんど口から洩れたことか・・。

 やっぱり、ふつうのクロワッサンとは段違いです。

 サクふわ・・なんて、軽々しくは言いたくない・・このサクサクの部分がとにかく軽くて、中はしっとり・・しかし、全然しつこくないどころか、全体の香りがふんわりとしていて、とにかく、たまらないのです。

 今回、パン・オ・ショコラ等はまだ食べていませんが、やっぱり最高に美味しいです。

 お値段はクロワッサン4ユーロ、パン・オ・ショコラ6ユーロ、フラン12ユーロ、グリエ・オ・ポム8ユーロ(2025年9月現在)とふつうのパティスリーに比べれば、かなり高めではありますが、充分、それだけの価値はあるかと思います。



 美味しいものは、少しだけの量でも満足感が違います。1個のクロワッサンで今日1日、私は幸せな気分で過ごせるのです。

 30分程度並んで、この満足感なら、また、行ってもいいかな?と思うのでした。

 しかし、私が買い物を終えて、ニコニコでお店を出ると、お店の前には、すでに100人は下らない行列。もうこうなってしまうと、この人たちは、少なくとも1時間は待つだろうと思われるので、この30分の違いが大きな違いになってしまうんだな・・と思いました。

 行列には、あまり抵抗がないのか、最近では減ったな・・と思われる日本人観光客もパラパラいるようで、近くにいた若いカップルの女性が男性に向かって「今日はちょっとぜいたくして・・」というので、爆買いする??と思って聞いていたら、「クロワッサンだけじゃなくて、パンオショコラも買っていい?」と聞いていて、それには、相手の男性も無言・・彼女の方は、それで彼の意を察したのか、「やっぱり、やめとこうか・・」と・・なんだか、気の毒な気持ちになりましたが、今の日本人ってこんな感じなのかな?とちょっと悲しい気持ちになりました。


🌟セドリック グロレ  オペラ(Cédric Grolét Opéra)35 Avenue de l'Opéra 75002 Paris


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2025年9月16日火曜日

2025年バゲットコンクール グランプリ受賞のお店 Boulangerie La Parisienne

  


 もうここ何年もパリのバゲットコンクールでグランプリを獲得したバゲットは、必ず味見をしてみるようにしているのに、今年は、もうとっくに決まっていたというのに、これまで、ついついうっかりして、忘れていました。

 つい先日、思い出して、ついに行ってきました。

 正直なところ、美味しいバゲットに感動するハードルは自分の中でどんどん上がってしまって、当初のような派手な感動はしなくなっていることは、なんだか自分でも寂しいのですが、それでも、今まで行ったことのない知らなかったお店に行ってみるということは、ブーランジェリーに限らず、どんな場所でも楽しいものです。



 いつも思うのですが、パリのバゲットコンクールでグランプリを獲得!なんていっても、本当にごくごくふつうのブーランジェリーで、特に値段が高いわけでもなく、それぞれに、本当にバゲット(バゲット・トラディション)のみに関して審査しているコンクールなので、なんだか、他のものは、全然、冴えないな~というお店もあります。

 いつもは、コンクールの結果が出て、わりとすぐに行ってみることが多いので、お店にそんな表示は微塵もされていないのですが、今年は、グランプリが決まってからずいぶん時間が経ってしまっていたため、お店のウィンドーには、このグランプリの表示がど~んと掲げられていました。





 昨年のグランプリを獲得したお店もそうだったのですが、意欲満々な感じが伝わってくるような品揃えで、パンはもちろんのこと、あまり他では見ない感じのフレーバーやデコレーションのケーキなどが色とりどりにきれいに並べられていて、バゲットに辿りつくまでにも魅惑的なものが、たくさん並んでいます。




 私が特に気になったのは、シソの葉を使ったもので、よくよく見れば、これもパティスリー部門で1位をとったと書いてありました。

 その他、季節のイチジクのタルトやクラッシックなミルフィーユなども、美味しそうです。



 他のケーキ類に気をとられて、肝心のバゲットは、別に焼き立てだったわけでもなく、あまり感動もなく、家に持ち帰り、それでもしっかり、ついでに美味しいチーズなども買って帰り、家に帰って食べてみると、やっぱり美味しい~~!

 まあ、パリで今年、一番のバゲットに選ばれたのですから、そりゃ~美味しいでしょうが、期待は裏切られず、シンプルにバゲット、美味しいバター、チーズ・・やっぱり、フランスは、美味しいパンと美味しいバター、美味しいチーズ。これは、間違いないな・・と久しぶりにシンプルにバゲットを味わいながら、納得したのでした。

 ちなみにバゲット(バゲット・ドラディション)のお値段は1本 1.30 ユーロです。


🌟Boulangerie La Parisienne     12 Rue de Faubourg Poissonnière 75010 Paris 


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2025年9月15日月曜日

フランスで流行するチクングニア熱 土着感染例2件確認

 


 チクングニア熱(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカなどの蚊により媒介するウィルス性の伝染病)がフランス本土で蔓延しているといいます。この熱帯ウィルスによる感染例がフランスで数百件報告されており、特にグラン・テスト県、ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ県、ヌーベル・アキテーヌ県において顕著なようです。

 また、先週末には、プリーヴ・ラ・ガイヤルド県(コレーズ県)で新たに2件が確認されています。

 特にヒメカノコギリ蚊の感染拡大が続いており、プリーヴ県(コレーズ県)で新たに2例の土着感染例が確認されたことが懸念を拡大させています。

 土着感染例の症例というのは、いわゆる海外旅行などで外地に出かけた際に感染したわけではなく、地元で感染したということで、これは、フランス国内の一部の地域に生息する蚊によって感染したということです。

 地球温暖化によって、フランス国内で循環するようになったこれらの蚊が感染を広めているというのです。

 この夏、フランスではこのウィルスが爆発的に増加しました。南部での発生が最も多いようですが、現在はフランス東部や北部にもゆっくりと広がっています。

 ディジョン(コート・ドール県)では7件、バ・ラン県で2件の症例が確認、アンティーブ(アルプ・マリティーム県)は最も被害の多い都市で、ある地域では、家全体にウィルスが広がっており、どの家にも誰かがチクングニア熱に感染したことがあるというほどだといいます。

 症状は2日間から2週間程度の潜伏期間ののち、40℃に達する高熱と斑状丘疹があり、関節が痛むのが特徴。発熱が2日ほど続き、急速に終息するものの、関節痛、頭痛、不眠、全身疲労などは、1週間ほど継続する傾向にあります。

 また、チクングニア熱による関節痛は、年齢差にもよりますが、2年ほど続くこともあるというのは、キツいことです。

 そういえば、夏の間に蚊の駆除に苦労しているとか、蚊を不妊化する技術などを紹介していたことがあって、「蚊の不妊化??」と奇妙に思っていたのですが、このことだったのですね。

 なにやら、モンペリエ市には、蚊の個体数を減らすための新しい技術(昆虫不妊化)を専門とする新興企業があって、不妊のオスのヒトスジシマカを放ちメスと交尾させます。不妊のオスと交尾すると、生涯にわたって不妊の卵を産み続けるとかで、これが大活躍していたということでした。

 今までお目にかからなかった奇妙な病気の上陸にしたがって、摩訶不思議な仕事も生まれるという時代です。

 そういえば、フランスに来てからは、滅多に虫刺され、特に蚊に刺されるということがなかったのですが、それでも、ここ数年は小さなコバエのような虫を見るようになりました。それでも、虫刺されの薬、お手軽なかゆみ止めのような薬がフランスにはなくて、日本に行った時には、たいていムヒを買ってきます。(虫刺されのためというより、かゆみ止めとして使っています)

 日本にある実家は夏には、庭がうっそうとしてきてしまい、蚊がものすごくて、とても庭になど出れたものではなくなっていたことを思い出しました。


チクングニア熱フランス流行


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