2023年12月4日月曜日

真剣勝負の荷物の調整

  


 フランスに帰国する日が近づいてきました。

 今回の一時帰国は、かなり、いつもとは違って、ガンガンに自分の好きなことに時間を費やしたために、いつも以上に満足感があり、違う日本をたくさんみることができた本当に楽しい時間でした。

 しかし、日本への一時帰国において、私の中でのもう一つの重大ミッションは、たくさんの日本の食糧をフランスに持って帰ることでもあり、これから帰仏までに荷物の調整をしなければならない大変な局面でもあります。

 日本に到着して以来、ここまでの間には、少しずつ自分の「買いたいものリスト」に基づいて、少しずつ、リストに載っているものを買い揃えてきたと同時に、旅行などに行く先々で欲しいものを買い足してきて、あとは、荷物をスーツケースに詰めながら、重さとの兼ね合いでギリギリまで調整します。真剣です。

 正直、スーパーマーケットなどに行っても、欲しいものだらけで、どれから手をつけたらいいのか、毎回、困惑するほどです。

 今回の帰国のフライトは、23キロのスーツケースを2個と手荷物分少々で、約50キロほどが許容範囲になっています。

 重たいものからどんどん詰めていって、カサと重さの調整で、自分がこれまでに買い集めたものが一体、どのくらいの重量になっているのか、これだけ、何回もフランスと日本を行き来しているのに、いつも、全く見当がつきません。

 さきほど、ヘロヘロになりながら、一つ目のスーツケースに荷物を詰め始めてみたら、思ったよりも全然、重量に余裕があり、まだまだ、持って行けそうで、明日は少し買い足そうと思っていますが、いつも、最後に詰める冷蔵庫や冷凍庫の中に入っているものがくせ者で、たいていは、出発の日に全部を詰めてみると、結局は重量オーバーとなり、泣く泣くおいていかなければならないものが出てしまうので、今回は買い足しは少し控えめにと思っています。

 おそらくパリは、海外の中でもわりと日本の食材が手に入る場所だとは思うものの、実際に日本にあるものには、それを遥かに上回る種類のものがあるうえに、現在は、かつてないほどの円安で、ユーロに換算すると、驚くほど安いことになるので、ついつい、いつもよりもいじましいことを考えてしまいます。

 今回持って帰る食材をまた、次の帰国までの間に本当にもったいぶって使っていくのですが、これからしばらくの私の大切な食糧となるために、この最後の踏ん張りは、あなどれないのです。

 海外在住経験者なら、おそらく多くの人が同じように、一時帰国の際は苦労して、あれやこれやと持って帰る経験をされていることと思いますが、本当に滞在中のさまざまなアクティビティの中で、ある意味では、ひとつのハイライトでもあります。

 娘もパリにいた頃には、2人で100キロほどの荷物を持って行けていたので、羽田でチェックインの際には、「お引越しですか?たいへんですよね・・」などと言われて苦笑してしまうことも度々でした。

 今は日本で生活している娘が、私が「これ持って帰る!これも・・あれも・・」と欲張って買い物しているのをほくそ笑んで見守っていて、私が「やっぱり、これは無理だったから、置いていく・・」と言い出すのを待っています。

 そんなことにならないように、もう日本滞在中に充分すぎるほど、毎日毎日、これでもかというほど食べ続けてきたので、最後の最後に欲張らないように自分を戒めようとおもっています。


帰国の荷物 23キロ×2


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2023年12月3日日曜日

終末期のデザイン

  


 昨日まで一緒に旅行していた友人と東京への帰り道、「私は明日からまた旅行だ・・」と話したら、彼女は、「私は明日は、施設にいる母親の面会に行くの・・」と、ちょっと暗い顔をしたので、「お母様と少しでも良い時間が過ごせるといいね・・」と話したら、どうやら、すでに、そんな状況は通り越してしまっているようで、もうすでに、いつなにがあってもおかしくないような状態なのだとか・・。

 もう最近、身近な人や友人などに会っても、たいていは、親のどちらかの介護の話や、少々、記憶が定かではなくなってきているような話や、叔父さんが急に余命宣告を受けたとか、急に亡くなったとか、そんな話ばかりです。

 私の両親は、二人とも、すでに他界してしまっているので、もうそういう状況からは悪く言えば、解放されているのですが、私たちの世代は、こちらも子供が大きくなって子供に手がかからなくなってきたとはいえ、自分自身もそろそろガタがきはじめているところに、子育て終わって、次は介護・・で、介護もまた、別の意味で厳しくなってしまうようで、いつにしても親の介護問題は、大変なことです。

 しかし、彼女の話を聞くと、彼女の両親は、ある程度、心身ともにしっかりしているうちに、自分たち自らで介護施設を探して、子供たちが親を介護施設に入れるということに罪悪感を感じたりすることもあろうと、年金等の計算もしつつ、経済的な算段もつけて、あらかじめ申し込みをしていたということで、その後、施設に入って、先にお父様が亡くなって、現在は、お母様が一人で施設に入っておられると段階、これまで経済的にも子供たちの負担はまったくなかったとのことで、こんなケースもあるのか?と話を聞いて、びっくりしました。

 それでも、すでにお母様はかなり弱っていらっしゃるようで、すでに個室に移られていて、個室に移るということは、やはりかなり重篤な状態を意味することのようで、彼女が今回、面会に行ったのは、この先、どう最期を迎えるかということの相談のようで、彼女たち兄弟が直に介護するというわけではなくとも、精神的にもかなり厳しいことには変わりなく、気の重いことに違いありません。

 しかし、体調的には、年齢相応の衰えがあるものの、それ以外は特にここが問題というところがないままに衰弱していらっしゃるというのも、それはそれで厳しいことで、うまく死ねるということも大変なこと、最近、そんな話ばかりを聞いていると、ちゃんと死ねなかったらどうしよう?などと、考えてしまいます。

 いずれにしても、生まれて来るのも、死にゆくのも自分では選べないものの、少なくとも自分の終末期のある程度のデザインは、事前にできないことでもないかもしれないと、彼女の話を聞いて、考えさせられたのでした。


終末期


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2023年12月2日土曜日

親戚付き合いは、必ずしもみんながしているわけではないらしい・・

  


 私の日本滞在も、残念ながら残りわずかになってきました。

 いつも忙しい日本一時帰国ではありますが、今回もまたスケジュールはギチギチで、結局、1日も予定のないゆっくりとした日はありませんでした。とはいえ、今回は、自分の好きに旅行の予定を複数入れ、今日、鹿児島から帰ってきたばかりで、また明日には、1泊ですが、別の旅行の予定を入れてしまいました。

 まさに、フランスに帰る直前まで、1日も空いていないのですが、今回、鹿児島空港を出発する直前に、従姉妹の一人から、「今日、東京の家に何時に帰ってきますか?」というメッセージが入り、夕方、到着後、羽田から家に戻る予定を伝えると、「もう会える日が他になさそうだから、仕事帰りに家に会いに行ってもいいですか?」というメッセージ。

 彼女の仕事場は、比較的、私の実家から、距離的には、車ならば、10分程度と、そんなに遠くない場所にあるものの、電車の駅からは、そんなに近くもないし、かといって、バスなら、乗り継ぎが必要で、一体、どうやって来るつもりなのかな?と思いつつ、「せっかくなら、会えれば嬉しいけれど、無理しないで・・」と連絡すると、「じゃあ、行ってみようかな?」というので、急遽、その日の夜に彼女と会うことになりました。

 旅行に行っていて、帰ってきて、また次の日は別の旅行に出かけるというのも、私にしては、ちょっと、なかなかな強行軍だったわけで、一緒に旅行中の友人にも、「なかなかスゴいね・・」と呆れられたのですが、途中にもう一人の従姉妹の訪問予定が入ってきたことで、「あなたの親戚の付き合いの濃さは、相当だね・・うちなんて、ほとんど親戚付き合いはないよ・・」と言われ、「なるほど・・」と思いました。

 翌日から一緒に旅行に行く予定にしているのは、隣に住んでいる父方の従姉妹、そして、今夜、家に来てくれたのは、母方の従姉妹。我が家は父方の親戚も母方の親戚も双方ともに東京、しかも同じ区内、もしくは、車で行き来できる範囲内に皆が住んでいて、小さい頃から何かにつけて、親戚で集まる機会が多く、その結束は未だ強いのです。

 しかし、周囲の友人の話を聞くと、もう、あまり親戚付き合いはしていないという人も少なくなく、どちらかといえば、我が家のようなケースの方が少ないかもしれないと、最近は思っています。

 毎回、帰国するたびに、そのうちの誰に会えるかは、双方の都合が必ずしも合うわけではなく、必ずしもみんなに会えるわけではないので、渡せなかったお土産は、後で、娘に託して、機会があれば、渡してもらおうと思っていたのですが、今夜の彼女が来てくれたのは、渡りに船といったところで、現在は、母方の親戚のまとめ役のようになっている彼女に託せば、メッセージとともに、確実に早くに皆に行き渡ること間違いなしで、以前は、その役割を担っていた叔父や叔母たちも、そろそろその任務は交代の時期にさしかかっているようです。

 結局、けっこう話し込んで、「夕飯どうするの?」と彼女が言い出したので、私は今回の旅行でも、食べ続けていたので、「ここらで一食、休んでおこうかな?」と思っていたにもかかわらず、結局、彼女と一緒に近所に食事に行くことになりました。

 彼女と食事中に、娘から、「夕飯の買い物していこうか?」とメッセージが入ったので、今、彼女と〇〇で食事してるから、よかったら、来れば?と返事をすると、それからまもなく、娘も合流し、結局、3人でおしゃべりしながら、楽しく食事をしました。

 本当にスケジュールがギューギューで忙しくもあるのですが、楽しいことばかりなので、それほど苦にもなりません。

 それにしても、長年にわたり、親の世代から繋ぎ続けてきてくれた、この親戚付き合いは、兄弟とも、また別のものでありながら、特別な間柄、親の世代から受け継いでいる大切な遺産のひとつで、このような関係を保ち続けられているのも、決して当然のことではなくて、とってもありがたいことだな・・と最近、つくづく思うのです。

 明日は父方の従姉妹と娘との旅行です。


親戚付き合い


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2023年12月1日金曜日

鹿児島の魅力と30年来の友人の生き方

  


 鹿児島県の霧島温泉に来て、2日目。私がロンドンにいた頃からの30年来の友人が霧島を案内してくれました。私たちには、土地勘が全く無いなか、彼のおかげで効率よく色々な場所を訪れることができました。

 私は東京生まれ、東京育ちで、両親も東京の人間であったために、自分の故郷というものは、やはり、東京ではあるのですが、こうして彼のような郷土愛といったものは、それほど強く感じることはなく育ってきたので、彼のような溢れる郷土愛を持つ人が少々、羨ましい気もしました。

 霧島神宮をはじめ、車でかなり広範囲にわたって、あっちへ行きたい、こっちも行きたいという私たちに、彼は上手にスケジュールを組んで、色々なところを案内してくれたのですが、現在の彼は、地元の色々な機関の重鎮になっており、本当にびっくりするほどに、かなりの広範囲にわたって、どこへ行っても知り合いがおり、気さくに声をかけつつ、知人に会うたびに、「パリから来てくれた友人で・・」と紹介してくれて、少々、照れ臭い気もしました。

 この鹿児島県という、私にとって初めての土地の偉大さ、自然の美しさに触れて、「鹿児島って、こんなに良いところだったんだ!」とその魅力に惹きつけられたとともに、彼がロンドンから日本に戻ってからの地道な道のりと、まさに地に足がついた彼らしい生活ぶりにとても感心しました。

 彼は私がロンドンから日本に戻ったあとも、そのまま、ロンドンに残って生活を続けていて、一時は、このままずっとロンドンにい続けるんじゃないだろうか?と感じていた時もあったのですが、結局、彼は、父親の体調悪化のために、5年ほどのロンドン生活に終止符を打ち、故郷である鹿児島に戻って、日本での再スタートを切っていたのでした。

 彼は、決してイケメンという感じではなく、若い頃からどこか、おっさんぽい人で、よく言えば、彼のキャラはどこか人を安心させるような、温かい人柄で、ひょんなところから、人と人とのつながりが広がっていくような人で、現在は、大学で英語を教えたり、子供から老人に至るまでの小さいグループで英語を教えたり、また外国人に日本語を教えたり、霧島市観光協会の副会長をしていたり、霧島国際音楽祭の会長をしていたり、その他、お金になることばかりではなく、さまざまな集まりに参加して地域活動に貢献をしていて、その様子が一日、彼に霧島温泉界隈を案内してもらっている間に、彼が地域でどのような存在であるかが手に取るようにわかり、今まで、話には聞いていたものの、こうして実際にその土地での彼をみて、なんか、彼らしく、上手に歳を重ねてきたんだな・・ということを目の当たりにできて、これまでよりも、ちょっと頼もしいような、また、彼の持ち味を活かせている素敵な生き方をしているな・・ととても嬉しく思いました。



 彼の生き方は、あまり一般的なわかりやすいものではないかもしれませんが、個性的でオリジナルで、無理なく、彼らしい生き方を貫いているようで、なんだかとても良いな・・と思いました。

 何より、こんな私が突然、「行くよ!」と勝手にやってきたにもかかわらず、一日潰して、地元を案内してくれるような人の良さ、温かさ、そして彼なりの信念の強さ。

 びっちりと一緒に過ごしてきたわけではありませんが、住んでいる国も生活も全く違っているのにもかかわらず、なんとなく、つながりが途絶えずにいると思っていたら、いつのまにかこんなに年月が経っていたという感じ。

 それでも、長く付き合いが続いてきたのには、意識している部分だけでなく、たとえ、それが無意識の部分であっても、それなりに共感できる部分がどこかにあったのだということをあらためて、感じさせられるのでした。

 何より、私が言いたい放題言っても、「相変わらずだなぁ〜」とゆる〜く受け止めてくれる優しさが私にはとっても心地よく、基本的に私たちの関係性は、出会った頃のまま、ほとんど変わっていません。



 鹿児島というところに関する私の知識は、これまでほぼゼロに近いものでしたが、今回、この地を訪れてみて、「なんで、もっと世間の人にこの良さが伝わっていないだろうか?」と不思議に思ったほどです。

 現在は、深い緑の中の紅葉のグラデーションがちょっと目を見張るほど美しく、遠くに、そして、近くに見える山の稜線の向こうに見える海と桜島。いたるところから湧き出ている温泉、滝などの自然の美しさとパワーに圧倒されました。




 最近は、日本政府の体たらくにうんざりして、「もう、日本はダメなんじゃないの?」とウンザリもしていたのですが、こうして、これまで訪れたことのなかった場所に行くたびに、「日本もまだまだすてたものじゃない!」「こんなに素晴らしいところがたくさんあるんだ!」、「いやいや、日本には、こんな素晴らしい自然の美しさがあるではないか!」と日本の観光業界に期待したい気持ちになりました。


鹿児島県 霧島温泉郷


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2023年11月30日木曜日

日本の温泉は海外在住者の憧れの場所 やっぱり日本って素晴らしい!

  


 若い頃には、そんなに憧れることもなかったのに、特に海外に出てから、時々、映像や画像で見かける日本の温泉の景色には、ため息が出るほど憧れ、いつしか憧憬といえるような感覚を覚えるようになりました。

 いつか、「日本の温泉に行きたい!」、「いいなぁ〜〜日本の温泉!」、「一日、温泉に何回も浸かって、美味しいご馳走を食べてのんびりしたい!」と、いつもいつも思っていました。大袈裟ではありますが、それは長年の私の夢でもありました。

 しかし、これまでの一時帰国は、なんだかんだと色々、他の用事に追われることになり、結局、今まで、ほとんどそのような機会はありませんでした。

 今回は、一念発起して、いつもとは、逆バージョンに日本の一時帰国の予定を立て始め、一度は行ってみたい・・というか、是非、泊まってみたいと思う旅館の予約に合わせて、日本行きのチケットを取りました。

 というのも、その私が泊まってみたかった旅館は、想像以上の人気だったらしく、かなりお値段のはる旅館にもかかわらず、一緒につきあってくれるという友人に、「予約状況がどんなふうになっているか?見てみて!」と頼んだら、「11月はもう1日しか空きがないから、早く飛行機のチケット取らないと、取れないよ!」と言うので、慌てて、その日を間に挟んだ日付でチケットを予約したような感じでした。

 不景気だ不景気だと言われているのに、このような旅館がかなり早い段階から、すでに予約でほぼいっぱいだというのにもびっくり!私としては、一世一代の贅沢と思って、「よし!絶対行きたい!」とかなり思い切ったつもりだったのに、こんなにいっぱいとは・・驚きでした。

 ここは、九州の霧島温泉で、せっかく九州まで行くのなら、もう一泊くらいはしたいと思い、一日目は、別の良さそうな旅館を予約して、今日はその一日目の宿です。

 霧島には、偶然にも、私がロンドンにいた頃に知り合いになって以来、どういうわけか?付き合いの続いている年下の男の子(今では立派なおじさんですが・・)がいて、前もって、「今度、友人と霧島行くよ〜!」と伝えておいたら、二日目の日に仕事を早めに切り上げて、霧島を案内してくれることになっていたのですが、なんと初日まで、サプライズで空港まで出迎えに来てくれていて、ちょっと感動しました。

 今では立派なおじさんですが、彼は最初に出会った20代の頃からすでに子供が2〜3人はいそうに見えるおじさんでした・・。

 行きの飛行機がけっこう遅れて、あらかじめ立てていた予定が大幅にずれ、桜島を眺めに眺望のいい丘の上に立つ城山観光ホテルに行き、ついでに美味しいと評判のさつま揚げを購入し、道すがら、美味しそうなものを見るたびに、車を停めて、味見したりしながら、旅館についた頃には、もう真っ暗。

 お部屋ごとに室内のお部屋に加えてそれぞれのお部屋に風情のあるお庭がついていて、そこには2つもの露天風呂があり、もう着く早々、お風呂に入ったり出たり、大はしゃぎ。おまけにお部屋には、大変、高性能の全身マッサージチェアが配備されていて、友人は、その椅子に張り付いて、もう長いこと動きません。


 食事は黒毛和牛と黒豚のしゃぶしゃぶやおさしみ、お造り、松茸の土瓶蒸し、地鶏の炊き込みごはんなどなどのごちそうをお腹いっぱい食べて、もう極楽そのものの夜を過ごし、今、なんと、これをお部屋の露天風呂に浸かりながら書いています。

 こんな幸せな空間が日本にはあるんだ・・日本もまだまだ捨てたもんじゃない・・と都合のよいことを思っています。

 ゆっくり、ゆったり、くつろいで過ごそうと思っていたのに、お風呂に何度も入ったり出たりして、「お肌がつるつるすべすべ〜!」とかいいながら、寝るのも惜しい気持ちです。しかし、ベッドがまた、このうえなく寝心地がよく、このベッドで少しでも長く寝たいわ、露天風呂にはつかっていたいわ、マッサージチェアにもすわっていたいわ・・もう身体が一つでは足りない感じです。

 本当に豊かな温泉源に恵まれ、これがまた、しびれるほどにまろやかなお湯でお湯から上がっても、ローションや化粧水などは無用に感じるほどお肌はしっとり。虫さされのあとのお肌のトラブルっぽくなっていた箇所もスベスベになりました!

 今まで考えてもみなかったパンデミックが起こったり、戦争があちこちで起こったり、いつまた、長期間、日本に来れなくなるかもしれないかと思うと、今後は、日本に来れる時には、こうした日本の美しく、心地よい場所をできるだけ巡りたいと思います。

 明日はいよいよ、念願の旅館に宿泊予定でワクワクしています。


日本の温泉 霧島温泉郷


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2023年11月29日水曜日

数年ぶりの弟との再会

  


 東京にある実家のことで話すことがあり、今度、姉貴が帰ってくるときに合わせて帰るからと弟から連絡があって、その予告どおりに弟も日本に帰国してきてくれて、本当に数年ぶりに弟と再会しました。

 私は、イギリスから一度、日本に戻った後に、コートジボアールを経てパリ、その間、弟は、アメリカに転勤になって、その後、現在はシンガポールで仕事をしており、二人とも、海外生活を続けているため、帰国のタイミングが必ずしも合うわけでもなく、長い間、あんまり顔を合わせる機会はありませんでした。

 私はなんだかんだでパンデミックの時を除けば、たいてい一年に一度は日本に来ているのですが、従姉妹や他の親戚に会うことはあっても、彼に会えることは滅多にありませんでした。

 弟は、日本の企業に勤めていて、そこから海外赴任という形で海外生活を送っているので、私とは、ちょっとスタンスが異なるのですが、二人とも海外で生活をしているという意味では共通することで、これは母が小さい頃から私たちに英語を教えてくれていたことが大きく影響していると思っています。

 私の記憶が正しければ、私が彼と前回、最後に会ったのは、父が亡くなった時と、その翌年の相続手続きの際だったと思います。ごくごくたま〜にメールなどをすることはあっても、弟は第一線でバリバリに忙しく働いているので、そうそう頻繁に連絡を取ることはしていません。

 しかし、そこはさすがに兄弟で、いくら久しぶりでも一瞬に距離が縮まる感じで楽しく話をすることもでき、色々な昔話や、合わなかった間の出来事など、話が尽きることはありませんでした。

 弟は知らない間にけっこうな大病もしたりしていたようで、話を聞けば、命を取り留めているのが奇跡的な感じでもあるのですが、とりあえず、現在は、なんとか病気も克服したようで、元気に、また精力的に仕事をし、それなりに苦労もしながら、大人になったんだなぁと懐かしいような嬉しいような、一面では母親のような気持ちにもなりました。

 彼の娘もまた立派に成長し、仕事をしているようで、お互いに子育ての時は終わり、また人生の次の段階にさしかかりつつあることを感慨深く、思いました。

 今は私の娘が一人で生活している実家で少し話をしてから、従姉妹も交えて食事にでかけましたが、同世代の親族での会話はお互いのこれまでの軌跡を知り合い、共通のバックグラウンドを持つもの同士にしかわからない微妙な感覚があり、また、我が一族共通の異常な「食」への執着も楽しい話題の一つでもあり、周囲から見たら、あの人たち、一体、どれだけ飲んで、どれだけ食べる奴らなんだ・・と思われたと思いますが、それぞれの面々は、そんなことは、微塵も気にしている様子はなく、思い切り飲んで、食べて、しゃべって、楽しい時間を過ごしました。

 「次回はみんなで旅行でもしようよ・・」という話になったところで、お開きになりましたが、今までは似ても似つかないと思っていた弟の後ろ姿にちょっと父の面影を感じてどっきりしたりもしました。

 これまでの人生を振り返れば、弟と暮らしていた時間よりも別々になってからの方がずっと長い時が経っているのに、やっぱり兄弟なんだな・・と思えるのは、とても不思議な気持ちと嬉しい気持ちが混ざったほんわかとした温かい気持ちになりました。

 海外で生活していて、ふだんは離れていても、こういう兄弟とか従姉妹のつながりってありがたいものだな・・と感じた夜でした。

 一応、社会人としては成功したと思われる弟ですが、これからは、そんなに忙しくしないで、余暇を楽しめる生活に上手くシフトしていってほしいなと思っています。


兄弟 弟


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2023年11月28日火曜日

日本での運転免許証更新手続きと国際運転免許証

  


 今回の私の一時帰国の一番の目的は運転免許証の更新手続きでした。

 海外で生活していると、日本の運転免許証は、運転そのもののために使うよりも、私にとっては、身分証明書として必要不可欠なもので、これが失効してしまうと、色々、面倒なので、必ず、更新のタイミングを逃さないように気をつけています。

 今なら、もう子供のお休み(バカンス期間)なども関係ないので、日本に来ようと思えば、いつでも来れるので、そんなに問題ではないのですが、以前は、子供のバカンス期間に合わせて、日本に来ることが多かったので、免許証の更新のタイミングに必ずしも帰ってこれるわけでもなく、それを考えると、しばらくは来れそうもないから、有効期限までは、けっこうあるけど、更新していってしまおうと、前倒しに更新手続きをしてしまうことが多くて、5年間有効の免許証なのに、実質はそれ以下になってしまうことが多くて、おそらく、ふつうに日本で生活をしている人と比べたら、ずいぶん余計に更新手続きをしてきたのだろうと思います。

 今回もまた、免許証の有効期限は来年の1月22日までとなっていたのですが、来年の1月には、日本に来れそうもなかったために、今年の年末にしようと、まあ、また少し前倒しだけど、しょうがないか・・と思っていたのです。

 前回、免許証を書き換えた時は、まだ平成でしたが、もう平成という年号は、令和に変わることがわかっていたにもかかわらず、免許証の表示は、平成36年1月22日までとなっていて、いいかげん、年号での表示はやめて!せめて、令和になることがわかっているのだから、令和6年って書いてよ!と思っていました。

 運転免許証の更新手続きは、地元の世田谷警察署でできるので、毎度おなじみの世田谷警察署の裏手にある運転免許更新所に出向くのですが、これがまた、プレハブ建の掘立て小屋のような建物で、毎回感じる、みすぼらしさは相変わらず。もはや、ここまで変わらないと郷愁のようなものさえ感じます。まあちゃんと機能していれば、見かけなどはどうでもよいのですが・・。

 手続きが順を追ってスムーズに運ぶようにできているのですが、以前と比べると、空いている感じで、運転免許を取る人が減ったんだなぁ・・と思います。そこで働いている人々は、警察のOB、OGらしき人が多く、やけに上から目線な人が多いなという印象でしたが、今回の人たちは、ずいぶん態度が軟化した気がしました。

 私は、EU圏の運転免許証を持っていたのですが(イギリスにいた時に取得したもの)、これが失効してしまって、新しく免許を取り直すのが面倒で、同時に日本で国際免許証を発行してもらいました。こちらの方の期限は1年間なのですが、まあ、また1年くらいしたら、日本にも来るだろうから、とりあえず、とっておこうといった感じです。

 国際免許証申請には、証明書用の写真が必要ですが、この写真も同建物の中に自分で撮れる場所があるので、あらかじめ写真をもっていなくても大丈夫です。

 私はふだん、パリでは運転しませんが(メトロとバスで十分だし、車で出かけるとパーキングを探すのに一苦労するので・・)、旅行に出かけた時などは、方々へ出かける際に車があると便利なので、そんなときに車を借りて、運転するくらいです。

 相変わらず、書類に必要事項を書いて提出、料金を支払い(運転免許更新3,000円、国際免許証2,350円)、視力検査を行い、講習用の部屋でしばらく待たされ、講習?(数分の講義とビデオ視聴)を受けます。いつも思うのですが、その際に渡される「安全運転のしおり」と「わかる 身に付く交通教本」という2冊の新品の本。無駄です。

 これ、講義の時に配って、講義が終わったら回収して使いまわせばいいのに、もったいないな〜と思います。

 講義は20分程度ですが、その間に新しい運転免許証ができあがっており、退出時に渡してもらって終わりです。思っていたよりもずっと早く用事が済んで、しかも、国際免許証まで同時にもらえてラッキーでした。

 記載事項に間違いがないかチェックしてくださいと言われて、目を通したら、今回の免許証は、西暦表示と年号表示の両方が記載されていて、新しい免許証には、2029年(令和11年)1月22日まで有効と書かれていました。

 今回は、幸いにも日本に到着した数日後に自宅に「運転免許証更新のお知らせ」というハガキが届いて、それを持って更新に行ったら、まだ失効するまでには2ヶ月近くあるというのに、その有効期限までの期間を削られることなく、まるまる5年で更新してくれました。

 なので、どうやら運転免許証というものは、失効する2ヶ月前には、通知がくるので、それ以降、そのハガキを持参しての更新手続きならば、残りの期間を失うことなく、まるまる5年分として更新ができるようです。

 まあ、これで、5年間は、運転免許証更新手続きからは逃れられると思うと、ちょっとしばらく、ひと段落な気持ちですが、今度はおそらく、近いうちにパスポートを書き換えなければならないはずで、どうやら、定期的にこのような手続きはついてまわるようです。

 まあ、パスポートの方はパリにあるフランス大使館でできるので、わざわざ日本に出向く必要はありません。

 いっそのこと、運転免許証の更新も大使館でやってくれると良いのにな〜と思います。更新手続きは3,000円でも日本に来る交通費がかかるので、えらく高い更新料です。まあ、そのおかげで、他に色々と楽しんでいるのですが・・。

 とりあえず、今回の一番の用事が無事に済んで、ヤレヤレです。


運転免許証更新手続き


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