海外に在住することを決めた段階では、私の場合はあまり詳しく後先を考えていませんでした。別に海外に永住すると心に決めていたわけでもないし、もしも私がもう少し思慮深い人間で、後のことまで色々と心づもりをして考えていたら、海外に移住することなどできなかったかもしれません。
しかし、私だけでなく、周囲の家族を含めての、すべての人々の先のことなど想像がつかないことでした。
だからといって、海外に移住したことを後悔しているわけではありませんが、最も困ったことの一つは、日本にいる両親が歳をとっていって、健康を害する場面に直面したときだったような気がします。
娘が生まれて、私がフランスで就職して約1年後、バカンスが取れるようになってからは、娘を連れて毎年のように日本の両親に会いに行っていましたが、本当に一緒に買い物に行ったり、山荘に行ったりと、楽しいばかりの日本への帰国は、最初の数年だけでした。
その後は母の心臓病が悪化して、急に入院したと聞いて、慌てて日本に帰国して、退院してから母が家で過ごしやすいように実家での母の生活環境を整えたり、介護保険の申請に行ったり、それから先、母は数年、なんとか家で寝たり起きたりの生活を続けていましたが、普段、何もできないからと日本に行った時には、家の家事から何から全て私が請け負いながら、娘を日本の小学校に体験入学をさせてもらったりとまるでバカンスとは思えない忙しい時間でした。
しかし、今から思い起こすに、それでさえ、母が生きていてくれた頃はそれはそれで、かけがえのない楽しい時間でした。
母は、結局、69歳で亡くなり、1人残された父は当時72歳でした。父は子供の頃から、ずっと同じところに住んでいたこともあり、今さら自分が他の場所で暮らすということなど微塵も考えていなかった様子だったし、当時から、私も弟も海外在住だったため、父と同居するということは、考えていませんでした。
72歳にして初めて一人暮らしをすることになった父は、そこまで心配される持病があるわけではなく、少しずつ時間をかけて、独りの生活を築いて行ったようです。幸いにも父の兄弟家族が同じ敷地内の別の家に住んでいたことも、彼にとっては何よりも心強いことだったと思います。
それから、10年くらいは、碁会に通ったり、ネットに挑戦して株式投資をしたり、友人と旅行に行ったりと、父にこんなに親しくしていただける友人がいたのか?とびっくりするほど、それなりに楽しく暮らしていたようです。
その間、私の方は、フランスで夫が急に亡くなるということもあったりして、しばらく、日本には行けない期間が数年ありました。
途中、東日本大震災で日本が大変なことになっていると言う時には、もしも、日本が危険なら、フランスに来たら・・と父に話したことがありましたが、当時、アメリカにいた弟も同じことを父に話していたようで、父は、長期間、家を空けることはできないからと私たちには、断っていましたが、周囲には、アメリカからもフランスからも避難してくれば?と言ってくれていると嬉しそうに話していたそうです。
当時、父はすでに引退していて、長期間、家を空けられないというのも、私には、よく意味がわかりませんでしたが、後々になって考えるに父にとって、住み慣れた家への執着というものはかなり大きなものであったことをしみじみと思わせられました。
以前、親をフランスに呼び寄せたという知人がいましたが、しばらくフランスで一緒に生活したものの、結局、日本で介護施設に入れることになったようです。
日本で生まれ育ったはずの自分の子供が2人とも海外生活を送っているというのは、そうそうあることではないことなのかもしれませんが、我が家の場合は、まさに日本には、父が独り残ったことになりました。
フランスにいる日本人の友人などでも、たいていは、他の日本にいる兄弟がいて、彼らが親のことは、彼らに任せているという人が多いのですが、先日も久しぶりに日本に帰国した友人が、久しぶりに母親に会ったら、かなり、危うい感じになっていて、愕然としたと話していました。
しかし、独りになって、歳をとればとるほど、家や住まいを変えるというのは大変なことで、住み慣れた家、地域とともに、友人や親戚なども全てひっくるめた住まいということなわけで、息子や娘がいるからといって、それらを全て捨てて、海外へ・・とは、なかなか思い切れないのもわかります。
父は英語は堪能で、弟が住むアメリカには、一度、遊びに出かけたことがあったのですが、フランスは言葉の問題もあったのか、父にとってはハードルが高かったようで、結局、一度もフランスに来ることはありませんでした。
いよいよ、父も身体が弱ってきた頃には、父からは、特に私に対して、具体的に何か言ってくることはありませんでしたが、周囲の親戚などからは、年老いた親を放ったらかしにしておくのか!!などと、お叱りを頂いたりもして、自分たち(私たち姉弟)は身動きがとれず、弟が父に介護施設に入るように説得したりしたものの、父はなかなか受け入れず、「ここで野垂れ死んでもいいからどこへも行きたくない!」と言い張っていましたが、最後の最後には、体調が回復するまでという約束で施設に入りました。
当時、私はちょうど娘の大学受験前で、今さら日本へ本帰国するということは考えられず、また、一人親の家庭で、裁判所の監督下にあった我が家は娘が18歳になるまでは、娘を一人にして家を空けるということは絶対にできなかったので、そうそう簡単に動くということもできなかったのです。
あれが数年ずれていたら、私は日本に帰国していたと思うのですが、当時は私には、他の選択肢はありませんでした。幸い弟は、子供の将来を優先すべきだと理解してくれていたので、助かりましたが、私は私で、色々重なる時には重なるものだ・・と、ちょっと参っていました。
父が亡くなって、もう数年経ちますが、今、私の周囲では、たとえ親子ともに、日本に住んでいても、親の介護問題に頭を悩ませている人が多く、大変だな・・と思うと同時に、両親ともにいなくなってしまっている私にとっては、ちょっと羨ましかったりもするのです。
しかし、両親がいなくなってしまえば、今度は自分の番で、私など、元気なうちは、願わくば、フランスと日本と半々くらいで暮らしたいなどと思ってはいるものの、パンデミックや戦争、航空運賃の爆上がりなど、そうそう簡単には、日本には行けない状況になり、ほとほと、予定どおりには、人生うまくは行かないものだ・・とつくづく思っています。
とかく、人生は思い通りには行きませんが、その時にできることを自分で選択していく積み重ね・・それでも、家族の問題は、海外在住者にとっては、特に大きなハードルでもあるのです。
海外移住 介護問題
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