2023年11月29日水曜日

数年ぶりの弟との再会

  


 東京にある実家のことで話すことがあり、今度、姉貴が帰ってくるときに合わせて帰るからと弟から連絡があって、その予告どおりに弟も日本に帰国してきてくれて、本当に数年ぶりに弟と再会しました。

 私は、イギリスから一度、日本に戻った後に、コートジボアールを経てパリ、その間、弟は、アメリカに転勤になって、その後、現在はシンガポールで仕事をしており、二人とも、海外生活を続けているため、帰国のタイミングが必ずしも合うわけでもなく、長い間、あんまり顔を合わせる機会はありませんでした。

 私はなんだかんだでパンデミックの時を除けば、たいてい一年に一度は日本に来ているのですが、従姉妹や他の親戚に会うことはあっても、彼に会えることは滅多にありませんでした。

 弟は、日本の企業に勤めていて、そこから海外赴任という形で海外生活を送っているので、私とは、ちょっとスタンスが異なるのですが、二人とも海外で生活をしているという意味では共通することで、これは母が小さい頃から私たちに英語を教えてくれていたことが大きく影響していると思っています。

 私の記憶が正しければ、私が彼と前回、最後に会ったのは、父が亡くなった時と、その翌年の相続手続きの際だったと思います。ごくごくたま〜にメールなどをすることはあっても、弟は第一線でバリバリに忙しく働いているので、そうそう頻繁に連絡を取ることはしていません。

 しかし、そこはさすがに兄弟で、いくら久しぶりでも一瞬に距離が縮まる感じで楽しく話をすることもでき、色々な昔話や、合わなかった間の出来事など、話が尽きることはありませんでした。

 弟は知らない間にけっこうな大病もしたりしていたようで、話を聞けば、命を取り留めているのが奇跡的な感じでもあるのですが、とりあえず、現在は、なんとか病気も克服したようで、元気に、また精力的に仕事をし、それなりに苦労もしながら、大人になったんだなぁと懐かしいような嬉しいような、一面では母親のような気持ちにもなりました。

 彼の娘もまた立派に成長し、仕事をしているようで、お互いに子育ての時は終わり、また人生の次の段階にさしかかりつつあることを感慨深く、思いました。

 今は私の娘が一人で生活している実家で少し話をしてから、従姉妹も交えて食事にでかけましたが、同世代の親族での会話はお互いのこれまでの軌跡を知り合い、共通のバックグラウンドを持つもの同士にしかわからない微妙な感覚があり、また、我が一族共通の異常な「食」への執着も楽しい話題の一つでもあり、周囲から見たら、あの人たち、一体、どれだけ飲んで、どれだけ食べる奴らなんだ・・と思われたと思いますが、それぞれの面々は、そんなことは、微塵も気にしている様子はなく、思い切り飲んで、食べて、しゃべって、楽しい時間を過ごしました。

 「次回はみんなで旅行でもしようよ・・」という話になったところで、お開きになりましたが、今までは似ても似つかないと思っていた弟の後ろ姿にちょっと父の面影を感じてどっきりしたりもしました。

 これまでの人生を振り返れば、弟と暮らしていた時間よりも別々になってからの方がずっと長い時が経っているのに、やっぱり兄弟なんだな・・と思えるのは、とても不思議な気持ちと嬉しい気持ちが混ざったほんわかとした温かい気持ちになりました。

 海外で生活していて、ふだんは離れていても、こういう兄弟とか従姉妹のつながりってありがたいものだな・・と感じた夜でした。

 一応、社会人としては成功したと思われる弟ですが、これからは、そんなに忙しくしないで、余暇を楽しめる生活に上手くシフトしていってほしいなと思っています。


兄弟 弟


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2023年11月28日火曜日

日本での運転免許証更新手続きと国際運転免許証

  


 今回の私の一時帰国の一番の目的は運転免許証の更新手続きでした。

 海外で生活していると、日本の運転免許証は、運転そのもののために使うよりも、私にとっては、身分証明書として必要不可欠なもので、これが失効してしまうと、色々、面倒なので、必ず、更新のタイミングを逃さないように気をつけています。

 今なら、もう子供のお休み(バカンス期間)なども関係ないので、日本に来ようと思えば、いつでも来れるので、そんなに問題ではないのですが、以前は、子供のバカンス期間に合わせて、日本に来ることが多かったので、免許証の更新のタイミングに必ずしも帰ってこれるわけでもなく、それを考えると、しばらくは来れそうもないから、有効期限までは、けっこうあるけど、更新していってしまおうと、前倒しに更新手続きをしてしまうことが多くて、5年間有効の免許証なのに、実質はそれ以下になってしまうことが多くて、おそらく、ふつうに日本で生活をしている人と比べたら、ずいぶん余計に更新手続きをしてきたのだろうと思います。

 今回もまた、免許証の有効期限は来年の1月22日までとなっていたのですが、来年の1月には、日本に来れそうもなかったために、今年の年末にしようと、まあ、また少し前倒しだけど、しょうがないか・・と思っていたのです。

 前回、免許証を書き換えた時は、まだ平成でしたが、もう平成という年号は、令和に変わることがわかっていたにもかかわらず、免許証の表示は、平成36年1月22日までとなっていて、いいかげん、年号での表示はやめて!せめて、令和になることがわかっているのだから、令和6年って書いてよ!と思っていました。

 運転免許証の更新手続きは、地元の世田谷警察署でできるので、毎度おなじみの世田谷警察署の裏手にある運転免許更新所に出向くのですが、これがまた、プレハブ建の掘立て小屋のような建物で、毎回感じる、みすぼらしさは相変わらず。もはや、ここまで変わらないと郷愁のようなものさえ感じます。まあちゃんと機能していれば、見かけなどはどうでもよいのですが・・。

 手続きが順を追ってスムーズに運ぶようにできているのですが、以前と比べると、空いている感じで、運転免許を取る人が減ったんだなぁ・・と思います。そこで働いている人々は、警察のOB、OGらしき人が多く、やけに上から目線な人が多いなという印象でしたが、今回の人たちは、ずいぶん態度が軟化した気がしました。

 私は、EU圏の運転免許証を持っていたのですが(イギリスにいた時に取得したもの)、これが失効してしまって、新しく免許を取り直すのが面倒で、同時に日本で国際免許証を発行してもらいました。こちらの方の期限は1年間なのですが、まあ、また1年くらいしたら、日本にも来るだろうから、とりあえず、とっておこうといった感じです。

 国際免許証申請には、証明書用の写真が必要ですが、この写真も同建物の中に自分で撮れる場所があるので、あらかじめ写真をもっていなくても大丈夫です。

 私はふだん、パリでは運転しませんが(メトロとバスで十分だし、車で出かけるとパーキングを探すのに一苦労するので・・)、旅行に出かけた時などは、方々へ出かける際に車があると便利なので、そんなときに車を借りて、運転するくらいです。

 相変わらず、書類に必要事項を書いて提出、料金を支払い(運転免許更新3,000円、国際免許証2,350円)、視力検査を行い、講習用の部屋でしばらく待たされ、講習?(数分の講義とビデオ視聴)を受けます。いつも思うのですが、その際に渡される「安全運転のしおり」と「わかる 身に付く交通教本」という2冊の新品の本。無駄です。

 これ、講義の時に配って、講義が終わったら回収して使いまわせばいいのに、もったいないな〜と思います。

 講義は20分程度ですが、その間に新しい運転免許証ができあがっており、退出時に渡してもらって終わりです。思っていたよりもずっと早く用事が済んで、しかも、国際免許証まで同時にもらえてラッキーでした。

 記載事項に間違いがないかチェックしてくださいと言われて、目を通したら、今回の免許証は、西暦表示と年号表示の両方が記載されていて、新しい免許証には、2029年(令和11年)1月22日まで有効と書かれていました。

 今回は、幸いにも日本に到着した数日後に自宅に「運転免許証更新のお知らせ」というハガキが届いて、それを持って更新に行ったら、まだ失効するまでには2ヶ月近くあるというのに、その有効期限までの期間を削られることなく、まるまる5年で更新してくれました。

 なので、どうやら運転免許証というものは、失効する2ヶ月前には、通知がくるので、それ以降、そのハガキを持参しての更新手続きならば、残りの期間を失うことなく、まるまる5年分として更新ができるようです。

 まあ、これで、5年間は、運転免許証更新手続きからは逃れられると思うと、ちょっとしばらく、ひと段落な気持ちですが、今度はおそらく、近いうちにパスポートを書き換えなければならないはずで、どうやら、定期的にこのような手続きはついてまわるようです。

 まあ、パスポートの方はパリにあるフランス大使館でできるので、わざわざ日本に出向く必要はありません。

 いっそのこと、運転免許証の更新も大使館でやってくれると良いのにな〜と思います。更新手続きは3,000円でも日本に来る交通費がかかるので、えらく高い更新料です。まあ、そのおかげで、他に色々と楽しんでいるのですが・・。

 とりあえず、今回の一番の用事が無事に済んで、ヤレヤレです。


運転免許証更新手続き


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2023年11月27日月曜日

日本だと知らない人が話しかけてくれないのが寂しい・・

  


 フランスにいると、私はなぜだか、知らない人に話しかけられる機会が多くて(ナンパとかではなくて、たいていがおばちゃんたち)、それに慣れるまでは、なんだかそれが怪訝な感じがしていたのですが、今ではすっかりそれに慣れてしまい、知らない人に話しかけられても、あたりまえのようにその話にのって、一緒に話し始めるようなこともけっこうあって、いつのまにか、そんな日常が心地よいようになっています。

 ところが、日本に来ると、知らない人に話しかけられるということは、まずなくて、なんだか皆がそっけなくて、冷たいような気がして、それが物足りないというか、どこか寂しい気がしてしまう自分に気付いて、苦笑してしまいます。

 まあ、日本だと、私が主に滞在しているのは、実家のある東京なので、そもそも、パリとは規模も人の数も全く違い、パリに比べると何倍も大都会なわけで、そんな場所では、たくさんの人がすごい速度で行き交っているわけで、そんな場面、場面でパリのようなことが起こるわけもないのです。こうしてあらためて書いてみると、つまりは、地方から来た人間が都会に怖気付いている感じでもあります。

 まず、人と目が合うということがないのも、不思議といえば、不思議な話で、これだけ大勢の人がいる中で、電車の中などでも、まず人と目が合わないというか、みんなが人と目を合わさないようにしていると感じるというのが正直なところ・・。

 パリなら、電車の中などで、知らない人とふっと目があったりして、にっこりしてくれたりすることがあるのに、にっこり以前に目を合わせないようにしているのが日本人・・というより東京の人なのかもしれないな・・などと、思うのです。

 私は生まれも育ちも東京で、実際に以前はそのように生活していたはずなのに、違う環境に慣れてしまうとなんだか、それがしっくりこないというか、今さらながら、冷たい印象を受けてしまうというのも妙な話ですが、事実です。

 実際に、もっと小さい、人と人との距離が近い地方都市から東京に来られた方は、今の私のように、東京の人は冷たいとか、たくさんの人がいても孤独に感じるとかいうのが、こういう感覚なのではないだろうか?とそんなふうに思うのです。

 この間、家電量販店で買い物をしていた時のこと。どういう経緯だったのかは、わかりませんが、ちょっと離れた場所で、初老の男性が転んで倒れてしまったらしく、それに周囲の人々が気がつかなかったのか?気が付いたのに周囲が知らん顔をしていたのか、どちらかは定かではありませんが、遠く離れた場所からも、その男性が転んだゴツンという鈍い音が聞こえたと同時に、その男性が、一人では起き上がれなかったのか、それとも誰も近寄ってこなかったことに腹をたてたのか?「この店は、客が転倒しても、知らん顔か!」と怒鳴りちらして、店内が異様な雰囲気に包まれました。

 さすがに、その男性が騒ぎ出したので、数名の店員さんが駆け寄って行きましたが、周囲の人々は、遠巻きに眺めているだけで、手を差し伸べる人はいませんでした。ここでパリだったら・・などとパリを比較の対象に挙げることは、適当ではないかもしれませんが、あえて・・、パリだったら、すぐにどこからともなく、瞬時に数名のお助けマンがあらわれるところなのにな・・と思ってしまうのです。

 人と目を合わさないだけでなく、他人との距離を極力縮めない・・そんな感じがしてならないのがとっても寂しいです。

 だからどう・・というわけではないのですが、フランスでさえ、地方に住んでいるフランス人は、「パリの人は冷たい」とか、「人間が住むところではない!」などクソミソに言われていることには、驚きですが、やはりパリから東京に来てみると、「都会の人は冷たい・・」などと思ってしまうのも妙なものです。

 

他人


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2023年11月26日日曜日

宮古島グルメ 宮古島で食べたもの

  


 旅の醍醐味は日常では味わえない異国情緒というか、いつもと違う景色の中に身を置くこと、異なる文化に触れること・・そして、その土地ならではの美味しいものを食べることが私にとっては大きな目的です。

 これまで、私は日本国内では、あまり旅行をしておらず、実家、親戚なども、すべて東京で、さすがに30年以上、日本で生まれ育ってきたので、それなりに少しは旅行をしてはいましたが、沖縄を訪れたのは初めてのことでした。

 他の地域でもそれぞれ、違う文化があるのでしょうが、沖縄というのは、日本でありながら、どこか、異文化色が強いようで、殊に宮古島などという沖縄本島から、さらに離れた島ともなれば、ちょっと外国のような感じを受けないでもありません。

 ちょっと、この世のものとは思えないほど美しい海やビーチなどに囲まれていると、たびたび、ここが日本であることを忘れてしまいそうにもなり、ふとビーチからあがってきて、看板が立っているのをあらためて、眺めたりすると、一瞬、「なんで、この看板、日本語で書いてあるんだろう?」などと、錯覚に陥ることもあります。

 食べ物にしても、島民がふだん、どんなものを召し上がっているのかはわかりませんが、外でやたらと見かけるのは、「宮古そば」、「ソーキそば」、「てびち」、「じゅーしー」、「島どうふ」、「海ぶどう」などなど、聞いたことはあるけれど、食べたことがなかったものが目白押しで、これは、宮古島にいる間に是非、食べてみなければ・・と、また、宮古島滞在中の食事の回数に合わせて、できるだけ食べてみたいと、これまた、一食もスキップするわけには、いかないと躍起になるわけです。

 しかし、他の予定で食事の時間がズレたりすると、昼食時の時間が過ぎてしまって、行こうと思っていたレストランも昼の営業時間が終了してしまっていたり、定休日にあたってしまったりで、必ずしもうまいこと予定が進まなかったりもします。

 一番、手っ取り早く、色々な宮古島、沖縄のお料理を色々と食べてみることができるのは、ホテルの朝食で、これまた、よくも、こんなに取り揃えるものだと感心し、ここである程度の土地のお料理を味わうことができるのは、大変に嬉しいことです。

 ついつい、あれもこれもと欲張って、朝食後は、お腹いっぱいになってしまうのですが、ここで、ひととおりの沖縄・宮古料理を堪能しました。ちょっと欲張りすぎです・・。



 野菜や海藻、大豆、肉、魚など、選び方にもよるでしょうが、上手に選べば、旅行中に野菜不足に陥りがちなところ、かなりバランスよい食事ができます。

 中でも宮古そばは、美味しいお店のものを探したいと調べた挙句に、「古謝そば屋」というお店にあたりました。このお店は空港から比較的近いのですが、どうやら、不思議なことに、宮古島は空港近くというのが、よいお店に遭遇する可能性が高いような気がします。


 

 ちょっと、車で走ると、見渡す限り、さとうきび畑が続き、夜になると街灯もないような道が続き、めぼしいお店も見当たらなくなり、あとは、ホテル近くのいかにも観光客相手という感じのやたらと飾り立てたようなお店しかなくなってしまいます。

 地元の食べ物を探すには、あとは、スーパーマーケットやJAのやっている「あたらす市場」などには、地元の野菜や食材のほか、お惣菜やお弁当などもお手頃価格で売っているので、こういうものをテイクアウトするのもよい気がします。

 

 たまたま、ホテルの近くの地元民も集う食堂のようなお店で、今日は、海ぶどうやお味噌の入ったおにぎり、タコの唐揚げ(タコがぷりっぷりですごく美味しかった)、さきいかの天ぷらなども、珍しくて美味しかったです。


 


 また、沖縄ならでは?のサーターアンダギーなども、紫芋のものや、黒糖のものなどもあって、娘はこの黒糖入りのサーターアンダギーがいたくお気に召した様子で、このカロリー爆弾のような食べ物にも、期間限定ということで、ホテルに買って帰って、丁寧にお茶をいれて、美味しそうに頬張りながらも、これは東京に買って帰って、ちょっとだけオーブンで温めて食べてみたいと、すでに買って帰るものリストに追加しています。




 そもそも、私は日本に来ている時点で、このちょっと長い期間限定の食べ放題の旅が始まっており、これは宮古島から戻ってもまだ続くわけで、脂っこい食事にぴったり!などというお茶を飲みながら、どうにか罪悪感を軽減しつつ食べ続けています。

 旅も終盤に入ると、もう東京に何をいかに持ち帰って食べようか?と真剣に検討している親娘です。


宮古島グルメ 宮古そば


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2023年11月25日土曜日

久しぶりの日本国内旅行 宮古島

  


 私が若い時には、やたらと海外旅行ばかりをしていて、国内旅行は、東京から車で行ける範囲に行くことが多く、むしろ、当時は国内旅行は海外旅行に比べて、割高に感じられたりもして、あまり国内で遠方に旅行することはありませんでした。

 その頃は、国内旅行は、もっと歳をとって、長距離移動が難しくなってからにしようと思っていました。

 しかし、どういうわけか、いつのまにか海外で生活するようになり、あっという間に時間が経って、まず、日本に来ること自体が長距離移動。そのうえ、たまに一時帰国した時には、あれこれ、所用に追われ、友人や親戚に会う予定などを入れていると、あっという間にスケジュールはいっぱいいっぱいになり、このままだと永久に日本国内を旅行する機会は訪れることはないという危機感を感じ始め、今回は、意を決して、いつもとは、逆バージョンに、まず自分の旅行の予定を入れてから、他のスケジュールをいれることで、予定を組み始めました。

 まあ、行きたいとなって、一緒に旅行に付き合ってくれる人がいなければ、一人でもいいと思っていたのですが、まず、一番、予定を合わせやすい、娘に「どっか旅行しない?」と声をかけると、ちょうど、飛び石連休のタイミングがあり、そこなら、1日休みをとれば、大丈夫だから・・と、まず日にちだけをおさえて、行き先はその後に探し始めました。

 娘とは、これまでかなり旅行をしてきましたが、直近では、娘がパリに来た際に、一緒にイタリアのトロペアに行ったのが最後でした。とにかく、私も日本でも行ったことのないところがいっぱいで、逆に、「どっか行きたいところある?」と聞いたら、「温泉で一ヶ所行ってみたいところがあるけど・・」というので、探しましたが、時、すでに遅しで、どこの旅館も満員御礼でとれず、それでは、別のところ・・ということで、「私、沖縄に行ったことないから、沖縄がいい!」と話したところ、彼女の会社の同僚たちが、それなら、ぜひ、沖縄本島よりも宮古島がきれい!と勧めてくれたということで、私も色々な情報を見てみたところ、その海の美しさは比類のないもので、私も即、賛成し、今回、二人で宮古島に来ることになったのです。

 彼女とは、どういうわけか、海へ行くことが多く、この間のトロペアにしても、「こんなに美しい海があるだろうか?」、私たちは、あまりに美しい海のハードルをあげてしまったのではないか?とちょっと動揺するくらいでした。


 しかし、いざ、宮古島に来てみると、その海の美しさは、「ここ、本当に日本?」としばし勘違いするほどで、幾重にも重なる海のブルー、透明な海の水、どこまでも続く白い砂浜の砂は、とてもきめが細かくて、砂浜の上を裸足で歩いても、まったく痛くなくて、また砂がサラサラしているので、身体に砂がついても、サラッとしていて、手で軽くはらうだけで全然、OKです。

 また、磯臭さがあまりなく、海の水でさえも、あまりベタベタしないのも特徴です。

 何より、海の美しさがとにかく感動もののレベルです。

 海は比較的穏やかな海で、昨日はシュノーケリングをしましたが、ビーチから、そんなに離れていない場所で、ウミガメに遭遇しました。

 


 食べ物も、いわゆる沖縄そばのようなものから、独特の食材が使われた宮古島ならではの食べ物がたくさんあって、何より、海藻類など、とても健康的なものが多く、以前、やたらとフランスで沖縄の人の長寿の秘訣!沖縄の食事・・などと、囃し立てて報道していたテレビ番組を見て、やたらと「レジームOKINAWA」などといいながら、沖縄の食事を真似して喜んでいたことを思い出したくらいです。




 11月というのに、初日などは、思わず冷房をつけてしまうような気候。あの寒い東京からやってきて、ここでは、余裕で泳げるという気候にも感動。さらさらのビーチで昼寝してしまいました。



 東京にいるのとは、違って、用事に追い立てられることのない、ほんもののバカンス。この絶景の海辺で波の音を聞きながら、ビーチでぐっすり眠ったり、海に潜ったり、最高の時間を過ごしています。

 車を借りて島内を移動していますが、周囲の車の運転の様子から、のんびりとゆったりと生活している島の人々の穏やかさが伝わってくる気がします。

 東京から3時間ほどで、この絶景。



 まだまだ、たくさん行きたいところのある私ですが、ここへはリピートしたい!なんなら、移住してもいいな・・と思ってしまうほど、素晴らしいところです。


宮古島


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2023年11月24日金曜日

完璧に壊れている私の満腹中枢

 


 日本に来る前から、私は食べる気満々で、日頃、パリでは簡単には手に入らない食材やお料理など、「日本に行ったら、あれを食べよう、これも食べよう、あそこに行ったら、これ・・、そうそう、あれも・・」などと、妄想は膨らみ、もう出発前から少なからず興奮気味ではありました。

 それは、いつものことではあるのですが、日本に行く前から、少し体重を落として・・などと思っていた結果、一時は胃が小さくなって、焦ったりもしていました。

 しかし、その小さくなっていた胃が元の姿を取り戻し、そして、あっという間に膨張していくのには、そんなに時間はかかりませんでした。

 日本に到着以来、毎日のように誰かに会っては食事をし、帰り道に夕食用の食べ物を調達して帰るわけですが、日本のデパートや専門店の食料品売り場などには、私の食欲を掻き立てるものが目白押しに並んでいるわけで、そのうえ、誰かに会うたびに、あそこの〇〇が美味しいのよ!などと言われれば、何が何でもそれを見つけ出し、それを買いに行って、またその先で、また別のものを見つけてしまい、到底、その日には、食べきれない量の食料を買って帰るわけで、その取り合わせがどうのこうのは、もう二の次で、ものすごい食料に囲まれているわけです。

 そんな状態で、今の段階ではダイエットなどというものは、パリに帰ってから・・ともうきっぱりと決めていて、どうすれば、色々なものを食べることができて、気持ちよくお腹がすいた状態になるのか? 食事のたびに、胃薬片手に奮闘しているわけです。

 しかし、今年の私の食い意地はちょっと自分でも常軌を逸している感じがあり、友人などと楽しくおしゃべりをしながら食事したりしていて、「あ〜もうお腹いっぱい!」などと、ギブアップしても、また、その瞬間に、友人がまた別の美味しそうなものを出してきたりすれば、その魅力的な食べ物を見ただけで、本当にお腹が空いたように感じてしまうところが怖いところで、もうお腹いっぱい・・から、お腹すいた・・という間隔が極端に短く、そのうえ、お腹がすいた・・から、お腹がぺこぺこのように感じる時間が短いことと言ったら、自分でも、苦笑を通り越して、ちょっとどうかしているのではないか?と思うほどです。

 まあ、そもそも、日常よりはずっと忙しく、飛び回っているうえに、時差ボケがまだすっきりとは治らず、ここ1週間以上、睡眠時間が4時間程度の超寝不足状態が続いており、「満腹中枢破壊」とググったら、その原因には、睡眠不足や生活習慣の乱れやストレス・・などとあったので、まさに、私の現在の状況はそれ・・。

 そもそもたくさんの美味しいものが日本にはあって、それが食べられるのは、期間限定であるという焦りのうえに、この時差ボケによる睡眠不足が原因となっているようです。

 現在、旅行に出ているのですが、その際も朝、早い出発便を選んでしまっていたため、これまた、えらい寝不足で、当日、家を出てからも、もう出発前に用意していた、日本にいる間に一度は食べておきたかった「まい泉のカツサンド」を用意していたのですが、そんなものは、飛行機に乗る前にあっという間になくなってしまい、空港で再びお弁当でも買おうかどうしようか?真剣に悩み、到着後に現地で食べる昼食に差し支えるから・・と自分に言い聞かせて、必死に思いとどまったのでした。

 どうにも詰め込みすぎている今回の日本滞在のスケジュールですが、詰め込みすぎているスケジュールとともに、私の胃袋には、想像を絶する量の食料がどんどん積み込まれ続けているのです。

 あ〜、ほんと、もういいかげん、やばいです・・。


満腹中枢 食欲 食い意地


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2023年11月23日木曜日

あり得ない再会

  


 これまで日本に帰国して、友人と会うことは度々あっても、その友人不在で、その家族と2人で会うことなど、想像したことがありませんでした。

 しかし、今回、初めて、そんなケースが私には訪れて、なんだか、「こんなことってあり得ないよな・・」と、受け入れ難い気持ちでした。

 今回のケースは、数ヶ月前に突然、届いた、ちょっと信じ難かった訃報に端を発したもので、そもそもその友人が突然、亡くなってしまったことが信じ難いことで、若者とは言わないまでも、大して私とも歳が離れておらず、彼女は悠々と、誰よりもストレスとは無縁の生活に見えていたし、マイペースな生活を崩さない人で誰よりも長生きすると思っていたので、余計にちょっと想像すらつかない出来事でした。

 私がその訃報に接したのは、彼女が亡くなって数ヶ月後のことだったし、お参りもできなかったので、次回の帰国の際には、なんらかのカタチで彼女の死と向き合う機会を持ちたいと思っていたのです。

 結果、彼女の夫と二人で食事でもしましょうということになり、出かけたのです。

 しかし、これまで、彼女の生前には、幾度となく、彼女の家にお邪魔したり、家に泊めていただいたりしたこともあったので、彼女の夫とは、面識もあり、話をしたこともあったのですが、あくまでも、私は彼女に会いに行っていたわけで、彼女なしに彼女の夫と会うなど、想像すらつかなかったことでした。

 たまたま、私が彼女と最後に会って食事をした時に(ほんの数年前)、彼女の夫も一緒についてきていたので、以前よりも印象はあったので、今回のようなことになっても、そんなに抵抗はなかったのですが、やはり、実際に対面してみると、彼女なしでは、やっぱり全然、違うわけで、ますます、なんでこんなことがあり得てしまうんだろうか?と、私自身、まだまだ彼女の死を受け入れられていないことを痛感したのでした。

 しかし、彼女の発病から最期までの様子をあらためて、聞いてみると、どうやら、彼女は、そもそも、それまで検査らしいものをしたことがなく、いざ、闘病となっても、かなりの覚悟をもって、手術や抗がん剤などのクォリティ・オブ・ライフを損なうものは拒否し、周囲にも病気のことは、告げずにいたことを知りました。

 彼女の遺言で、葬儀等は、一切行わず、死後、遺体を家に戻して、2日間だけ家にいて、その後は、家から火葬場に直行したとのことでした。

 彼女の両親はすでに他界しているのですが、ご存命のお兄様にさえ、全てが終わってからお知らせしたということでした。

 死の迎え方というのは、人それぞれでよいと思うので、彼女は最期の最期まで、マイペースを全うしたと思われ、彼女の遺言らしい遺言は、彼女のお嬢さんに対しての「パパのこと、お願いね・・」という言葉だけだったそうです。

 そもそも、人と群れることが好きではなかった彼女らしい選択に、儀礼的なことは一切、省いて、家族に見守られて・・という形は、一般的ではありませんが、彼女の意に沿ったものであり、これもまた、悪くないかもしれないとも思ったのです。

 しかし、そもそもは、彼女の夫の方が先にガンを発病し、手術をしたりしていたために、夫の側からしたら、当然、自分の方が先に逝くものと思っていたところ、あっさり彼女に先を越されてしまったために、そのショックは計り知れないもので、どうにも痛々しいなか、「もう少しで、やっと相続手続きが終わりそうだ・・」などと、話していました。

 家族を亡くしたばかりの人に対して、この相続手続きの期限はかなり短いといつも思うのです。

 彼女自身もほんの少し前に、お母様を亡くしており、彼女は、この時の相続手続きをしてから、まだそんなに時間が経っていませんでした。まるで、それが彼女を素通りするようなことになってしまい、ふたたび、このような事態。数年に一度の割合で、あのややこしい相続手続きに追い立てられ、おまけにその度に、税金を支払っているのですから、本当に気の毒でしかありません。

 しかし、彼女自身は、自分の病気が宣告されたあとも、極めて肝がすわっていた感じで、ジタバタなど全くせずに、ある程度、自分の病気を受け入れ、緩和ケアのみでギリギリまで家にいたということで、そんな彼女の姿を聞いて、自分の場合もまた、ジタバタせずにいられるように、常に死については考えておく必要があるんだな・・と思わされました。

 私は、そんなに友達が多い方ではないかわりに、その一人一人との付き合いはかなり密であるため、想像以上に彼女のいなくなり方に、私は、影響を受けそうな気がしています。


自分自身の死の迎え方


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