2023年5月30日火曜日

リモートワークに見る日本人とフランス人の時間の感覚


 私は、そんなに頻繁にリモート会議のようなものを使うことはないのですが、先日、たまたま、普段、あまり関わらない人々とのリモート会議の機会があって、時間は13時半からと通知が来ていました。

 この会議は、もう5回目くらいだったので、初回の時には、10分くらい前から、ごそごそパソコンをセットし始めて、「あ~遅れちゃう!」と少々焦りながらも、2~3分前には、待機していたのです。会議に参加しているのは、フランス人ばかりなので、時間どおりに始まるとは思っていなかったものの、けっこう待つハメになったので、次回からは、時間になったら、セットするくらいにしていました。

 そして、最終回の会議は、さんざん日時を変更された挙句だったこともあり、もういい加減に、待たされるのも嫌だったので、少々、時間には遅れ気味の時間に会議に参加すると、結局、それでもまた、待たされることになり、結局、その日の会議が始まったのは、予定されていた時刻の20分後くらいでした。

 そして、2時間ほどの会議が終わって、疲れ切って、今、パリに来ている娘に、「もう・・始まるのも遅れるから、終わるのも遅くなる・・全くフランス人は・・」とぼやいたら、普段、日本で、毎日のようにリモート会議をしてきた娘が、「日本人は、すごいよ~!」と。

 「何が?」と聞くと、「リモートワークがあったら、1分前には、ほとんど全員が待機していて、時間になると、「あら、まだ○○さんがいませんね・・少し待ちますか?」と言って、その1分後くらいに遅れてきた人が登場し、「遅くなってすみません!」と謝るんだよ!」と。彼女は内心、「全然、遅れてないじゃん!1分だよ!1分!」と思うんだとか・・。

 フランス人が時間にルーズなのは承知していますが、リモートだと、待ち合わせをしたりするのとは、また別の感覚だし、ましてや、そういった日本人の会議のようなものから、ご無沙汰している私にとっては、客観的に時間厳守の日本人社会の様子を聞くと、あらためて、「ほ~!日本人ってスゴイ!」などとビックリしてしまう自分にも、ちょっとびっくりしているのです。

 決められている時間どおりということに、そんなにビックリすること自体がおかしいのですが、少々の時間のルーズさにイライラしていてはフランスでは生活できません。

 私自身は、遅刻ということが大嫌いなので、自分自身が遅刻することはありませんが、フランス人相手の時間の約束の場合は、遅れる相手に対して寛容になる習慣がついています。

 まあ、これもさんざん、腹を立ててきた挙句の自己防衛本能のようなものです。

 会議ではなくとも、例えば、家で何かの工事などを頼んだりした場合は、なおさらのことで、まず時間どおりに来ることはなく、遅れるのはあたりまえ、なんなら、約束どおり(時間は関係なく)・・その日のうちに来てくれれば「まあ、いいか・・」となります。

 ということは、すっぽかされることもあるということです。逆に時間どおりに来られたりすると「えっ?時間どおり??」とビックリするくらいです。

 そんなことを思い出させてくれた娘は、パリに戻ればパリ仕様になり、友人と待ち合わせしたりしても、彼女は、必ず遅れるから、「約束の10分後くらいの時間に行けばいい・・」などと、上手く使いわけています。

 日本語とフランス語を流暢に使いこなすようになった娘は、生活も日本とフランスを器用に使いわけているらしいです。


フランス人の時間の感覚


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2023年5月29日月曜日

リヨンの公立病院から5,000人の患者にHIV、B型肝炎、C型肝炎検査要請の手紙

  


 5月初旬、リヨンの公立病院(Hospices Civils de Lyon)から、約5,000人の人がHIV、B型肝炎、C型肝炎の検査を受けるように通知を受け取っています。もしも私が、突然、こんな通知を病院から受け取ったら、震え上がるような気がします。

 これは、そもそも、昨年の12月に同病院の歯科医療センターでのリヨン第一大学歯学部の学生らの過失が発覚したことによるもので、2023年からされ実施された内部調査の結果、器具の洗浄と滅菌のプロセスに重大な過失が発見されたということで、同病院が警報を発令したことから始まりました。

 該当すると考えられる2022年5月から12月にこの病院で受診した患者宛てに、「2022年5月から12月にかけて歯科センターで患者の治療中に使用された「特定の材料」が「滅菌サイクルのプロセスで欠陥を被った可能性があるため、HIV、B型肝炎、C型肝炎の検査を受けてください。これらの検査は無料となります」という旨の手紙が送られたということです。

 病院側は、取材先の地元新聞社に対しては、「あくまでも予防原則を適用したもので、感染のリスクは低い」と回答していますが、そもそも、その過失が発生してから、どれだけ時間が経ってしまっているのか?という話。

 感染の可能性は低いとしながらも、感染の可能性のある人の枠が半年から1年前に受診した者で、それだけの時間が経過してしまった後の通知となっているのは、どうにもモヤモヤさせられるところであるし、そのうえ、病院側の過失にもかかわらず、検査は無料と恩着せがましい気もしないでもありません。

 歯の治療を受けて、半年ないしは、1年後に「HIV、B型肝炎、C型肝炎の検査を受けろなどという手紙を受け取ったら、わけもわからず、動揺するのは必須のことです。

 当面のところ、この地域、オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地域保健局はこの事件を取り上げる予定はなく、制裁も予定されていないと回答しています。

 この通知が遅れたことは、甚だ納得がいかない感じではありますが、それでも隠蔽されなかっただけ、まだマシなのかもしれません。

 また、同じくリヨンの別の病院では、看護師の告発により、病院内の救急外科治療室で大量のトコジラミが発生したことが発見されたにもかかわらず、その間に病室を閉鎖しなければならなくなることを避けるために、経営陣は消毒会社を介入させずに、診療を続けていたことが発覚しています。

 こちらは、たかがシラミの発生・・と思わないこともありませんが、場所は病院・・看護師が告発しなければ、放置されたと思うと、ゾッとするところです。告発した看護師は、介護者や患者に対しても、補償がなされていないと激昂していますが、病院の経営陣は、患者がシラミを家に持ち帰るリスクはほとんどないと回答しています。

 どうにも、とかく病院に関しては、耳に入ってくるのは、おぞましい話ばかり、問題だから取り上げられるとはいえ、やっぱり、なるべく病院のお世話にはなりたくないと思ってしまうのです。


リヨン公立病院 HIV、B型肝炎、C型肝炎検査


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2023年5月28日日曜日

マクロン大統領の支持率 ほんのちょっとだけ回復

  


 年金改革を憲法49条3項の発令により、強行突破して、2019年の黄色いベスト運動以来、26%までに低下していたマクロン大統領の支持率がここへきて+6%の32%まで回復したことが話題になっています。

 とにかく、今回の年金改革問題でのマクロン大統領に対しての国民の怒りは激しく、最低支持率を記録した当時は、フランス国民の 72% が共和国大統領に不満を持っていると答えたが、そのうちの47% が単に不満という程度ではなく、「非常~に不満!」と答えるほどで、このままどうなることかと思っていました。

 マクロン大統領への不満は、街中の落書きだけにはとどまらず、嫌悪感丸出しの肖像画が出没したり、マクロン大統領にまつわるレストランが燃やされかけたり、甥っ子が襲われたりとなかなか深刻なものにまで発展し始めていました。

 しかし、マクロン大統領本人は、国民に嫌われることを厭わずに、国民に嫌われることを憂うよりも、これがフランスにとっては必要なことであるという姿勢を全く崩すことなく、大統領の職務に邁進しつつ、100日後を見ていてほしいと、年金改革法案成立とともに、フランスが乗り越えていかなければならない道と方策を示していくと約束していました。

 正直、彼はフランス国内にとどまることを避けているのではないか?と思ってしまうほど、海外訪問する機会が重なり、フランスにいるより、海外で外交の仕事をしている方が居心地が良いのではないか?と思ってしまうほど、中国を訪問したり、G7に出席したり、その後にモンゴルを訪問したりする日が続いていました。

 一方では、彼はフランスに戻っている間も、勢力的に公務をこなし、インタビューに答える中で、中間層に向けての減税を発表したりしていました。これは人気回復のための手段だと言われつつも、しかし、この減税にも何やらカラクリがあるようで、止まらないインフレで上昇し続ける価格を無理に抑えるのではなく、中間層(実質、中間層というよりもそれ以下の感じ)の人々の生活が少しでも楽になるために、これらの人々に対して減税する手段をとるということに、「恩着せがましく減税などといっておいて、結局は、減税した分など、上昇し続ける価格に対しての消費税等で結局はまき上げられることになるではないか?おまえの言うことなんか、もう信じない!」などと一部から反発の声も上がっていました。

 しかし、結果的には、このままどこまで下がり続けるのかと思われた支持率は、下降がストップし、ほんの僅かとはいえ、上昇に転じたということは、彼が行おうとしていることが、一定の割合の人には響いたのではないかと思われます。

 今後、夏までに(100日後の約束)提出される予定の法案の中心となる移民問題については、フランス人の69%が移民問題については、懸念していると答えてはいるものの、彼らの中での憂慮している問題の6位(24%)にとどまっており、購買力(56%)、健康(38%)、安全(32%)には大きく及んでいません。(複数回答可能の質問)

 しかし、フランス人の67%が移民が多すぎると考えているものの、大多数(60%)は「移民は差別の被害者である」と認識していることも興味深い結果でもあります。

 今後、発表されていく移民問題については、国民の一番の関心事ではないことから、少し、国民の関心が逸らされるような気もしますが、他人事ではないので、これは気になるところです。


 それにしてもマクロン大統領の自己アピールは、なかなか強烈なものがあり、現在は、むしろ、海外での活躍をドキュメンタリーのようにまとめて発信したりするのを見るにつけ、(もちろん、本人が自分で作っているものではないにせよ)、G7の際のフィルムなどを見たりすれば、他国の首脳に比べると圧倒的にスキンシップが多く、肩を抱いたり、抱きあったり、手を握ったりして、相手との距離を縮めて、海外の首脳と向き合っている姿は、もちろん、このフィルムは彼を引き立たせるために作られているとはいえ、さすが!と思わされてしまう感じで、最後はG7の会場となったホテルのスタッフに1人1人握手をしながらお礼を言い、最後は記念撮影を撮るところで閉められていて、マクロン大統領の人気取りもここまでやるのか!と脱帽もので、そのフィルムに彼は、「外交」のひとことをつけてSNSで発信しています。

 このフィルムをどれだけの人が目にふれて、どれだけの人が彼を評価するのかわかりませんが、もしかしたら、このフィルムに誰よりも力づけられているのは彼自身なのかもしれない・・などと思ったりもするのです。

 しかし、若干の回復を見せているとはいえ、未だ67%の国民には否定的に見られているマクロン大統領、とはいえ、いくら支持率が低いとて、大統領は大統領、そのうえ、だからといって、国民から絶大に支持されている他の候補がいないということも、逆風を受けてなお、彼を強くしているのかもしれません。


マクロン大統領支持率


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2023年5月27日土曜日

パリの老舗アイスクリーム屋さんといえば、ここ!サンルイ島 ベルティヨン Berthillon

 


 今年のパリはなかなか気温が上がっていかずに、いつまでも肌寒い日が続いていましたが、ようやく太陽が輝き始め、青空が広がり、初夏の訪れを感じさせる季節になってきました。

 お天気がよいと、パリを歩くのは本当に楽しくて、アイスクリームの出店が街の中にも増えてきました。

 フランス人は、いやいや観光客もアイスクリームが大好きで、暑くなってくるとアイスクリーム屋さんには、行列ができていることが多いです。

 アイスクリームといえば、今や、かなり、ジェラートのお店が多くなってきた気がするのですが、そんな中で、パリの老舗中の老舗のアイスクリーム屋さんがサンルイ島にあります。こちらはほんもののフランスのアイスクリームです。

 食べ物にも流行のようなものがありますが、やはり古くからある、いわゆる老舗と呼ばれるお店には、長い歴史の中を生き残ってきた伝統と、それなりのクォリティは揺るぎないもので、やはり見過ごせないものがあるのです。

 サンルイ島にあるパリ最古のアイスクリーム屋さんの一つといわれる「ベルティヨン(Berthillon)」は、1954年創業で、こんなに有名になった現在も家族経営を貫いているお店です。

 貫いているのはアイスクリームの原材料や製法へのこだわりでもあり、季節の果物などのナチュラルな素材のみを使っており、保存料や人工的な香料や甘味料を一切使っていません。

 90種類近くあるフレーバーの中から季節によってフレーバーが変わりますが、常時30種類程度のフレーバーが待ち構えていてくれます。




 アイスクリームは、牛乳、クリーム、卵、砂糖、果物がベース、シャーベットは、フルーツ(30%~70%)、シロップと実にシンプルで贅沢な材料を使用しています。

 店内には、アイスクリーム以外の商品、ジャムやケーキ類、ヌガーなどのお菓子も扱っていますが、お客様の99%はアイスクリーム目当てで、外に長い行列ができていても、お店の奥は意外と空いている・・なんてこともあります。



 ほぼ、持ち帰りのお客様が多い中、店内で腰を落ち着けて注文して、テーブル席で食べることもできます。

 店内には、かなり大きなサイズの見事なお花が飾ってあり、それと同じお花がテイクアウトのコーナーのカウンターの奥にもあるのが、パリの老舗らしい威厳のようなものを感じさせてくれます。



 お値段は、カップに入れてもらっても、コーンに入れてもらっても同額で、1フレーバー3.50ユーロ、2フレーバー6.5ユーロ、3つで8.5ユーロ、4つだと10.5ユーロです。




 その他にフレーバーによって+50セント(このお店の名物と言われているワイルドストロベリーとマロングラッセ)なんていうのもあり、また、ホイップクリームのトッピングは60セントなど、若干のバリエーションがあります。

 サンルイ島の本店は何とも古めかしい店構えがまた老舗らしい味わいなのですが、実際には、サンルイ島には、「ベルティヨンのアイスクリーム扱ってます!」と看板を掲げているお店がけっこうあり、他のお店でも買うことができます。

 また、サンルイ島以外にもイル・ド・フランス内には約100店舗の小売店のネットワーク(おそらくアイスクリームスタンドや、「ベルティヨンのアイスクリームあります」などの他の店舗の間借りのようなものも含めている)があるそうで、そもそも、私もサンジェルマンデプレ界隈でここのアイスクリームスタンドをみかけたことで、この存在を思い出しました。

 

ベルティヨン本店の近くにある「ベルティヨンのアイスクリームあります」のお店
もともとはお土産屋さん?もう元のお店がよくわからない・・


 娘もいつだったか、学校の遠足?でノートルダム寺院に行った帰りに、ここのアイスクリームを食べたことがあるとかで、全く、なんとも羨ましい遠足です。

 私は今回、マロングラッセのアイスクリームを食べてみましたが、想像どおりのマロングラッセ味・・といったら、身も蓋もありませんが、シンプルな、しかし、かなりしっかりしたマロングラッセの味、マロングラッセのかけらもけっこうたくさん入っていて、食べ応えも満足感もあり、しかし、だからといって甘すぎず、マロングラッセに使われている洋酒の香りがほんのり感じられる後味のよいアイスクリームでした。

 また、コーンも独特でほどよい厚みがあり、もちろんサクサクで、固すぎず、柔らかすぎず、大きさ、バランスともに完璧でした。

 まあ、難をいえば、暑くなってきたために溶けやすいことくらいで、しかし、溶けそうになるアイスクリームをペロペロしながら(お行儀悪い?)あわてて食べるのもまた楽しいものです。

 パリにいらっしゃる機会があれば、パリで一番、フランスで一番とフランス人が誇るアイスクリームを試してみませんか? 正真正銘フランスのアイスクリームです。


🌟Berthillon  31 rue Saint-Louis en l'ile 75004 Paris


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2023年5月26日金曜日

娘の友人関係に見るフランスの社会構造

  


 現在、日本で就職した娘がフランスに一時帰国しており、彼女は久しぶりのフランスで日頃、会うことができていない友人に会ったり、買い物をしたり、私が日本に一時帰国した時と同じようなことをして楽しんでいます。

 まあ、違う点といえば、彼女はそもそもフランスで育ったというのに、フランス料理はあまり好きではなく、圧倒的に日本の食生活に満足しており、私が日本に行った時のように、ここぞとばかりに日本の食料を買い集めて持って帰ろうとするようにフランスの食べ物を買い集めたりすることはなく、日本では、探すのが難しい、彼女の体型に合った洋服などを悠々と探していることで、私が日本に帰った時のように食べ物に対してガツガツした姿勢がないことくらいです。

 日本で生活を始めて約1年半が経ち、日本でもそれなりに友人ができ始めたようで、当初は私が心配していた人間関係も概ね好調のようで、彼女にとっては、特に彼女とほぼ同じような境遇、フランス人と日本人のハーフでパリ育ちで現在、日本で就職して、日本で一人暮らしをし、親はフランスにいる・・という女の子と仲良くなったことは彼女にとっては大きなことだったようです。

 今後のことはわかりませんが、現段階では、フランスで育ってきた彼女にとってはフランスの方が長く知り合っている友人はフランスの方が多いわけで、そんな友人たちに会えることは、何より楽しいことのようです。

 彼女は小学校から高校までは、近所の私立の学校に通っていたので、その学校での友人との付き合いは長く、また、その後、プレパー、グランエゼコールと進む中でも、それなりに友人ができていったのですが、彼女の友人たちの近況を彼女から伝え聞くにつけ、世の中で騒いでいる生活が苦しい学生の話や貧しい若者たちの話などとは、まるで無縁の世界に突入していて、すべて、うまいように人生が転がって行っている感じで、人生は早い時点でその道筋がついてしまっているのかもしれない・・と思わずにはいられない感じがしています。

 とはいえ、皆、仕事を始めて、まだそんなに経っていないので、これからどんな落とし穴が待っているかはわかりませんが、彼女の友人たちは皆、よい就職先に就き、けっこうな高収入を得て、順調にキャリアを積んでいるようで、特にグランゼコールを卒業した子たちなどは、話には、聞いていましたが、普通の人たちが何年もかけて昇格していくところをいきなり管理職だったりするのには、唖然とさせられます。

 私自身は、フランスの学校のシステムをよく理解していたわけでもなく、特に唯一の頼みの綱だった夫が亡くなってからは、彼女にそれらしいアドバイスができていたわけでもなく、なので当然、それを目指して教育してきたわけではないのですが、結局、彼女を小学校から通わせていた私立の学校へ入学させたことが、今から思い返せば、大きな分かれ道だったような気がしています。

 彼女たちは、まだ、20代前半(中盤?)なので、これからも色々なことがあるでしょうが、教育というものは、大変なものだ・・良くも悪くも、人生を全く違うものにするものなんだな・・と実感しています。

 彼女が通っていた私立の学校は、とりあえず、家から近いということで選んだ学校だったのですが、これが、たまたま結構な受験校(フランスには実際に受験らしい受験はないので、受験校という言い方はふさわしくなく、教育熱心な学校という方がよいかもしれない・・)高校卒業時点でプレパー(グランゼコール準備学校)に進む人も少なくないような学校だったのです。

 ですから、そんな学校の中で育てば、負けず嫌いな娘は上を目指すようになったのですが、実際のところ、世間一般の社会の中では、フランス人でもグランゼコールというものを知らない人もいるのには、驚いたことがありました。

 むしろ、在仏日本人の方が、結構、子供がグランゼコールに行っていたとか、ポリテクニック( École polytechnique)に行っていたとか、シアンスポ(Sciences-po)に行っていたとかいう話は、そこここで、よく聞く話なので、そんな学校の存在をフランス人でさえ知らない人がいるということは、もっと知らないはずの日本人の私にとっては、びっくりだったのです。

 ということは、もうその親からして、まるでそういう学校とは無縁の人生を送ってきたということで、家族もろとも、別世界を生きているのだと思わざるを得ません。

 これまでのフランスでの生活で、私自身は、ロクにフランス語もできていないような状況なので、圏外みたいなものですが、話には聞いていた格差社会は根深いものだという裏付けが娘やその友人たちを通して見えるような気がしています。


フランスの社会構造 格差社会


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2023年5月25日木曜日

今度はパリ日本大使館近くで銃撃事件 31歳の男性死亡

  


 パリのど真ん中で銃撃事件が起こった・・事件現場はパリ8区のクールセル大通り、メトロ・クールセル駅の近く、クールセル駅とテルヌ駅の間・・と聞いて、えっ??聞き覚えのある駅だ・・と思いました。

 パリには、かなりの数のメトロの駅があって、もちろん、私の行動範囲は限られていて、自分の通勤圏内だったり、ごくごくよく利用する駅だったりする以外は、なんとなく見覚えがある気がしたりするものの、全部の駅を知っているわけではありません。

 しかし、この駅には、なんか聞き覚えがあったと思ったら、パリの日本大使館から遠くない駅なのでした。大使館といのは、そんなに頻繁に行く場所ではありませんが、パスポートの書き換えだったり、日本での公式な手続きに必要な在留証明書だったり、在外投票だったり、また、娘が義務教育の期間は、日本語の教科書をもらいに少なくとも年2回は、行っていました。なので、そこそこ記憶には、残っている場所です。

 パリの日本大使館は、シャンゼリゼからも近く、凱旋門からも歩いていけるような、とてもよい場所にあるのですが、今回の銃撃事件は、クールセル駅の近く・・というよりは、私にとっては、日本大使館の近く・・と連想する場所でした。

 あのあたりは、ゆったりした優雅な街並みで、とても銃撃事件が想像しがたい場所です。

 銃撃犯は、最初、クールセル大通りにある被害者の父親が経営する不動産屋さんに入っていき、その後、被害者が危険を感じて逃げようとしたところを路上で撃ったようです。目撃者の証言によると、少なくとも3発以上の銃声を聞いたと証言しており、数人の銃撃犯は、その後、青いヤマハのバイクで逃走したとのこと。

 被害者の31歳の男性は犯人が最初、入っていった不動産会社の経営者の息子で10年近く、その不動産屋で働いていたようです。被害者は即死ではなかったものの、かけつけた救急隊の処置も虚しく死亡しました。

 数名の銃撃犯が逃走に使用したバイクは、それからまもなく、シャトネー・マラブリー(オー・ド・セーヌ県)で発見されたものの、彼らはそこで待機していた別の車で逃走したと見られています。

 被害者の男性はパリ16区育ちの富裕層であったものの、子供の頃からのつきあいのあった友人たちの話では、彼は豪華な車を乗り回すわけでもなく、見栄を張るでもなく、歯に衣着せぬ物言いをするところはあったものの、基本的にはとても優しい人だったと話しています。

 しかし、犯行の状況から考えるとこの銃撃事件はなんらかの報復であると見られていますが、それにしても大通りの路上で銃撃とは・・全く無関係の第3者に被害が及ぶ可能性もあったわけで、本当に恐ろしい話です。

 シャンゼリゼのすぐ近くのジョルジュサンク付近で射殺事件がおこったのはついこの間のこと・・。今回の事件ともそんなに離れている場所でもなく、歩いて行ける範囲内の距離にあります。

 だからといって、前回の事件とは、無関係であるとは思われますが、いずれにしても、パリのど真ん中、しかも、かなり高級な住宅や店舗が並ぶような地域での銃撃事件には、ほんとうに閉口してしまいます。

 少なくとも、銃を持つ輩たちは、もはや、ここらあたりではやめておこう・・というような思いはなくなってきていて、所かまわず銃を向けるようになってしまっているということで、こうなってくると、もう危険な地域には近寄らないだけでは済まされないことになります。

 とりあえずは、テロのような無差別な攻撃ではないことだけが、幸いであったとでもいうしかない、本当にショッキングな事件がパリでは続いています。

 犯人は未だ逃走中とのことで、パリの日本大使館も銃撃事件についてのお知らせと注意喚起のメールが届いています。


パリ 日本大使館付近銃撃事件


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2023年5月24日水曜日

しばしの娘の帰省と早々の転職

 


 日本で就職した娘が半年ぶりぐらいにパリに来ています。

 娘が日本で就職して、1年とちょっとが経ちました。昨年の夏頃に一度、友人の結婚式があるとかでパリに来ていたのですが、その時は、「就職して、まだ半年くらいしか経っていないのに、そんなに長くお休みが取れるの?」とビックリしたのですが、娘の仕事は、ほぼリモートで、実際に出勤することはほとんどないので、移動中の日程だけの分のお休みをとれば、あとは、パリに来ても、日本時間に合わせて起きて仕事をすればいいのだとかで、仕事柄ということもあるのでしょうが、まぁ時代も環境も変わったものだと感心していました。

 しかし、日本のリモートでの会議に合わせて夜中に起きたりしていたので、ほぼ、私まで時差ボケ状態で、その合間を縫って、彼女は友人の結婚式に出席したり、友人に会いに行ったり、いくらリモートワークができるとはいえ、若いからこそなせる業だと、その体力とバイタリティが羨ましい気がしていました。

 あれから、さらに半年と少しが経ったころ、日本にいる彼女から電話があって、「ちょっと報告することがある・・」と。ちょっと私はドッキリしたのですが、現在の会社に就職して1年数ヶ月経ったところで、もう次の転職先を見つけたとかで、転職することにしたとか・・。

 理系の彼女の仕事に関しては、私はよくわからないので、何も口を出す気もないのですが、まあ、彼女が就いた仕事を一生続けるともハナから思っていなかったし、今の時代、転職をしてキャリアアップしていくのは、珍しくない話だし、転職先がフランスなら誰でも知っているようなフランスの大手の製薬会社ということもあり、転職先としては文句なしで、しかも、その会社の日本支社ということで、日本に居続けることもできて、まことによいお話で「よかった!よかった!おめでとう!」ということになったのです。

 そんなわけで、最初の就職先を退社して、次の会社との契約が始まるまでのひと月ほどの間が空くので、その間にパリにも行くから・・と。

 だいたい、これまでも、ある程度、時間の自由が利く仕事で、ここぞとばかりに日本に行って以来、なんだかあちこち旅行して歩いて、大いに人生を楽しんでいる様子の娘。

 小さい時から、とにかく日本語をしっかり教えることにこだわってきた私にとっては、娘が日本で仕事ができていることは嬉しい限りですが、これまでの会社は英語圏の会社で、仕事は日本語と英語の職場で、彼女にとって母国語であるフランス語を仕事を使えないのは、なんとも残念なことだと思っていたのです。

 しかし、今度の仕事は日本語、英語に加えて、フランス語も使う機会がありそうなので、ヤレヤレよかったよかった・・と思っています。

 とにかく、今回は、転職する間の本当のお休みで来ているため、前回のような、日本時間での生活をする必要はないわけで、それはちょっとホッとしています。

 日本の便利な生活にすっかり慣れた娘は、パリのCDG(シャルルドゴール)空港について、いきなりエスカレーターが壊れているのに遭遇して、「あ~~フランスに帰ってきたな・・」と実感したとか・・。

 そのうえ、電車に乗ったら、途中で何度も電車が止まって、さらにその実感が増したとか・・。

 私はと言えば、とりあえず、さらにたくましく成長している彼女の顔を久しぶりに見れて、とても嬉しいのですが、それに加えて、自分が長距離フライトに苦しむこともなく、山のような日本の食料が手に入って、とってもごきげんなのでありました。


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