2022年10月26日水曜日

義理の家族と嫁姑の関係

  


 私が夫と出会った時には、すでに夫の両親は他界していたので、私には、日本でいうところのお舅さんやお姑さんという人がいませんでした。しかし、夫には、歳の離れた兄夫婦がおり、特にそのお義姉さんは、夫の母親代わりのような感じで、非常に夫のことを可愛がっているのが傍目からもわかり、憎まれ口をききながらも、一方では、かなり甘やかしているようなところもあり、夫も好き勝手なことを言っているわりには、甘えたり、面倒をみたりもしていたので、ある意味、私にとってもお義母さんのような存在でもありました。

 とはいえ、本当のお姑さんではないので、また違うところもあるのでしょうし、彼女たちにはたくさんの子供や孫もいて、その全部を包み込んでくれるように優しさで、ほどほどの心地よい距離を保っている人でした。

 彼女は、お料理上手で、家の中ではいつでも何かしらの家事をしていて、いつも何かをしながら話をしている印象で、特に私たちがフランスに来たばかりの頃、まだ娘も赤ちゃんで、さまざまな書類の問題や私のビザの問題、職場を変わって、少しうつ状態だった夫など、問題が山積みしていた時に、彼らの存在は、私にとっては救いで、お義姉さんの存在がなかったら、そのままフランスにい続けてこれたかわかりません。

 しかし、姑がいなかった代わりに、夫には、前妻との間に3人の息子がおり、彼らは私にとっては、義理の家族ではありました。上の二人の男の子たちは、すでに大きかったのでクリスマスなどに家に来たりすることはありましたが、せいぜい、顔を合わせるのも年に数回でしたが、一番下の男の子は、隔週おきの週末には家に遊びにきていたので、一緒に出かけたりすることも多かったような気がします。

 日常的に同居しているわけではないので、そんなに負担ではありませんでしたが、いわば彼らにとって、私は継母なわけで、私の方は最初はけっこう身構えていましたが、彼らは、思っていたよりも全然、普通で、自然な態度で、逆に言えば、遠慮というものも全く感じられず、和気あいあいとした感じでした。

 日本の私の両親には、弟のお嫁さんがいて、彼らが日本にいた頃は、娘を連れて、顔を出したりしていたようですが、弟もある時から海外勤務になり、一時帰国時には、お嫁さんと子供は彼女の実家に滞在し、弟だけが実家に滞在するという奇妙なような、一方ではしごく当然のような感じで、私の実家と弟のお嫁さんは、別に険悪というわけではなくとも、最低限のつきあいという感じであまり深い関わりはなかったと思います。

 何より、父が大変、気難しい人だったので、弟が警戒してあまり近づけなかったというのが正直なところかもしれません。

 私の母や叔母と祖母(彼女たちにとっての姑)の関係を見ているとずいぶん違うな・・とも思いますが、それはそれぞれの家庭環境や時代の違いもあるのかもしれません。

 母は、お嫁さんとも、そんなに気を使わずにいられると言っていましたが、私がアフリカにいたり、出産後、しばらく日本に帰れなかった数年間ののち、日本に帰った時に、「今まで、お嫁さんにそんなに気を使っているとは思ってなかったけど、娘は楽ね・・」などともらしたことがあったので、それなりにお互いに気を使いながら、無難に過ごしていた気がします。

 しかし、母が心臓の発作を起こして入院した時、転勤でアメリカに行ったばかりだった弟たちが、トンボ帰りのように日本に帰国して、一時、どうにか症状が落ち着いたかに思われた母を見届けて、アメリカに帰る前に、母がベッドの上に座りなおして、お嫁さんに「息子をよろしくお願いします」と頼んだという話を母の死後に聞いて、この義理の親子の関係というものは、どういうものだろうか? 母はどんな気持ちだったのだろうか?と、そんな嫁に向けての最期の挨拶の仕方がかえって二人の距離を感じさせるような、複雑な思いをしたものです。

 私の義母は、義姉さんの話によると、かなり存在感のあるダイナミックな人だったようで、会ってみたかったな・・フランスのお姑さんというのも体験してみたかったとも思うのですが、こればかりは仕方ありません。

 家族それぞれにある家族関係、もともと違う環境で育った二人ですが、国も文化も違えばなおさらのこと、それがよいことも悪いこともあるかもしれませんが、結局は人と人との繋がり、相性もあるかもしれません。


義理の家族 嫁 姑


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2022年10月25日火曜日

ルボンカン leboncoin(フランスのメルカリの拡張バージョン)に潜り込むロシアのスパイ

  


 ルボンカンと言えば、フランス版メルカリのようなサイトで有名なのですが、現在の日本のメルカリのサイトがどこまで手を広げているのかはわかりませんが、ルボンカンの守備範囲は広く、簡単な不用品の売買から、家や車、バカンスや求人まで多岐にわたる一種の幅広い広告掲載サイトとして広く利用されています。

 このルボンカンにロシアのスパイが潜り込み、グランゼコールの数学、エンジニアなど知識レベルの高い人に接触し、核研究や原子物理学、人工知能など、自分たちが興味を持ち、機密性の高い分野でインターネットを通じて名門校の学生や個人レッスンを提供する若い専門家をターゲットにし、情報収集を行っていることが発覚していることから、内務省保安総局(DGSI)が警告を発しています。

 外国のエージェントを追跡する役割を担うフランス国内情報局は、最近、フランスの学生や若い専門家が、専門分野(経済、科学、言語、地政学など)のネット広告で個人レッスンを提供した後、ロシアの外国情報機関SVR(旧KGB)の幹部から接触されたことが判明したとホームページで説明しています。

 パリで、若い人工知能のエンジニアに対して、KGBの専門家がルボンカンで接触を取り、レストランで出会った二人は、数学の授業を受けていた。しかし、ある日、スパイはさらにしつこく、生徒が取り組んでいる科目のノートを要求し、その代わりにお金を渡すと言い出しました。

 しかし、このケースでは、ロシアのスパイは取引の途中で捕まり、ロシアに送り返されていますが、DGSIでは、3年間で12件の同様の事例が確認されています。各サービスはロシアのテクニックとそれを阻止する方法について警告を発しています。

 諜報機関では、スパイの手口について、「偽りの無害な関係を築き、やがてスパイ行為に利用できるようにする」ことを目的としている、と説明しています。

 このロシアのスパイ活動について、DGSIは、疑いを抱かせるような警告サインを列挙しています。

 ロシア以外の国籍を使用する「弟子(スパイ)」は、まずは親しい関係を築くことに注力し、関係が構築されていくうちに、徐々にデリケートなテーマでリクエストをし、電話にはほとんど出ず、自宅ではなくレストランやバーでレッスンを受けることを望み、どんどん多額のお金を現金で支払い、レッスンから次のレッスンまで、常に口頭でスケジュールを組むのが手口だと言われています。

 自分の本当の身元は明かさずに、親しい人間関係を構築して・・というと、どこか、今、日本で話題の宗教の勧誘、霊感商法にも共通する感じがしますが、つまり、これが人を騙す詐欺の手口なわけです。

 しかし、この広告サイト、今回問題になっているのは、この求人広告の部分ですが、正当にこのサイトを利用している人もたくさんいるわけで(というか、それがほとんど)、あらぬ疑いをかけられて、迷惑この上ない話だと驚いています。

 スパイといえば、映画やドラマの中のことのような気もしますが、スパイはロシアだけでなく、どこの国にもいるわけで、以前、主人の同僚の大使館員の中に元スパイ(フランス人)だったという人がいて、びっくりするほどスパイっぽくない人で(私は勝手に映画の中にでてくるスパイのイメージを持っていたため・・)逆に拍子抜けしたくらいですが、考えてみれば、本物のスパイは、その身分が明かされてはいけないので、それらしく見えない方がいいのです。

 しかし、私も利用しているルボンカン(私は不用品の売買だけですが)にロシアの魔の手が迫っていたとは、本当にビックリしました。


ルボンカン ロシアのスパイ   leboncoin


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2022年10月24日月曜日

進化しているフランスのクリーニング屋さん

 



 フランスに来てから、クリーニング屋さんを利用する機会がグッと減った気がします。それでも、当初は、季節が変わるごとにある程度の洋服を出していたのですが、一度、お気に入りだったコートをダメにされて以来、信頼できるクリーニング屋さんを見つけるのはなかなか大変で、近所に新しいクリーニング屋さんができた!と思っても、いつのまにかなくなってしまったり、クリーニング屋さんもなかなか安定した顧客を確保するのが大変で、生き残りが難しいのかもしれません。

 ある時、あるクリーニング屋さんにコートを持っていったら、受付のおばさんに、「ここは、ダメにされたり、預かったものがなくなったりするから預けない方がいいわよ・・」と言われて、ビックリしたこともあります。よっぽど正直な人なのか、自分の働くお店に恨みでもあるのか?ちょっとあり得ないことです。

 結局、「本当にいいのね・・」と脅されるようにしながらも、その時、私が預けたものは無事にクリーニングされて戻ってきましたが、その後、そのお店はいつのまにかなくなってしまいました。

 他の家の様子はわかりませんが、フランス人はアイロンをしっかりかける習慣のあるイメージで、以前、義理の姉の家に行くと、彼女はいつもアイロンをかけているイメージがあり、しかもT-シャツからジーンズなど、何から何まで丁寧にアイロンをかけているのでした。

 そういえば、アフリカにいた時も家にいたボーイさんは家事を何から何までやってくれていましたが、前任者のフランス人の奥さんから色々と仕込まれていて、それこそ洗濯機に入れて洗ったものは全て(パンツまで)アイロンをかけてくれていて、フランス人に仕えるボーイさんにとって、アイロンかけは必須事項で、夫の同僚は、1日中、家にいるボーイさんは雇わずとも掃除とアイロンかけのためのボーイさんを午前中だけ頼んでいました。

 フランスに戻ってボーイさんのいない普通の生活に戻っても、アイロンかけは、なぜか夫がこだわっていて、家事の分担の中で、自ずとアイロンかけは夫が自分でやると言い出し、彼がずっとやっていました。

 夫も亡くなり、私もスーツなどのクリーニングが必要な服は極力着ないようになり、今はシーズン毎のコートくらいですが、最近は、ネットでクリーニングを頼むと集配に来てくれて、配達してくれるというシステムが浸透し出したようで、フランスも変わったなぁ〜とビックリしています。

 そのサービスが浸透することで、ますます元来のクリーニング屋さんの生き残りが難しくなっているそうで、私は頼んだことがありませんが、この集配とクリーニング、そしてクリーニングできたものの配達と、フランスだったら、何重にもハードルがある気がします。

 このサービスのサイトを見ると、「時間を守りますとか、お預かりしたものは大切に取り扱いますとか、プロフェッショナルなクリーニングをお約束します」などと書いてありますが、日本のサービスなら当然のことですが、フランスだと、これまでの経験から、どうも懐疑の念が拭えません。

 私にとっては、まず、集配や宅配に来てくれるといっても、決めた時間に来てくれるという保証もないし、品物がなくならずにキレイになって戻ってくるかどうかもわかりません。この集配や宅配を待ってイライラするのは嫌だな・・と思ってしまいます。

 しかし、本来のクリーニング屋さんが脅かされているというのだから、それなりにこの新しいタイプのクリーニング屋さんもけっこう、廻っているのかもしれません。

 しかし、これ、考えてみれば、クリーニングの注文をネットでするというだけで、日本には以前からあったクリーニング屋さんの御用聞きのようなもので、そんなに新しい話でもありません。ただ、大量に集配するので、工場でまとめて機械を使って合理的に一気にクリーニング処理していくところが違うのですが、洗濯物の集配と宅配については、まさに昔の日本のクリーニング屋さんです。

 日本の実家に来てくれていたクリーニング屋さんのおじさんは、遠くに引っ越してしまってからも、半分、おしゃべりを楽しみにずっと来てくれていたようです。この程度の洗濯物で、こんな遠くにまで来て、割が合うのだろうか?と思うほどでしたが、東京に来ると、区内にあるうちの親戚中を渡り歩き、もはや親戚の動向を誰よりも把握している親戚のおばさんのようなおじさんでした。

 考えてみれば、今、世界中に広がっているUber Eatsなども、ちょっと見方を変えれば、日本には昔からあった出前を現代風にしたもので、日本に昔から存在するものは、けっこう便利なシステムだったのだな・・と思います。


集配・宅配するクリーニング屋さん


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2022年10月23日日曜日

最近、考える終の住処

   


 私が海外で生活を始めた時点では、私はずっと海外に永住しようとか、そんな決意があったわけでもなく、ただ、好きな人と暮らしたいという思いだけで、あまり長期的なことを計画していたわけではありませんでした。

 まあ、夫が今でも生きていれば、今でも、そんなことは考えていなかったかもしれませんが、思いの外、夫が突然、早くに亡くなってしまい、その時点で、日本に帰ろうかどうか考えたこともありましたが、結局、娘の教育のことを考えて、また、周囲のフランス人のママ友たちが強く、フランスに残ることを薦めてくれて、皆が力になってくれたので、結局、フランスに残ることにしたのでした。

 それからは、決めたからには、私には他の選択肢はなくなり、差し迫った状況に、むしろ、これまでにないほど迷いのない潔い気持ちでさえありました。

 今から思い返すに、私は今まで、自分の人生をそれほど具体的に長期に計画してきたことはなく、夫が亡くなったことで、なおさら、「色々なことを考えていても、突如、人生が変わってしまうこともあるのだ・・人生、思い通りにならないこともある・・」と虚しく感じたり、そのわりには、なんとか生き延びてこれたものだなどと思ったりもします。

 現在、私はフランスでの生活で、まあ、たまに日常的なトラブルはあるものの、それなりの交わし方も覚え、それなりに満足して過ごしていますが、このまま、ずっとフランスで生活をし続けると肝を据えているわけでもなく、今すぐどうこうというわけでなくとも、今後、日本に帰ることがあるかどうかを時々、考えます。

 これまでは、なんとなく、フランスと日本と半々とまでは言わないまでも、一年のうちに、しばらく日本で過ごせる期間があればいいなと思っていましたが、パンデミックで突然、身動きがとれなくなった2年間とちょっと、そして、今度は戦争で、以前のように、そうそう簡単には日本と行き来ができなくなり、これが一体、いつまで続くのかわからなくなっている今、また、自分が元気で動き回れる残された時間には限りがあること(余命宣告されたりしたわけではないけど)を考えると、このままフランスにいるべきか、いつかは日本に帰った方がいいのだろうか?と考えることがあります。

 しかし、現在のところは、どう考えても、日本に本帰国することは、あまりピンとこなくて、モヤモヤしています。

 先日、日本にいる友人と電話で話していて、彼女は一時、イギリスで生活していたことがあるのですが、今は日本で生活していて、それなりに幸せに生活しているものの、どこかしっくりこないところがあるというような話を聞くと、余計に日本に本帰国することに二の足を踏んでしまう気になります。

 彼女はイギリス滞在期間中はそれなりに一生懸命、勉強していただけあって、英語が堪能で職場でも彼女の英語を過剰に頼りにされることが多く、そのわりには、職場には、出来ないもの勝ちのようなところがあり、そのうえ、海外のごくごく普通の話題などをしても、「海外かぶれ」などと言われ、いちいち、面倒で過剰な反応をされるという話を聞いたりすると「あ〜〜私、無理かも・・」などと思ってしまいます。

 その生活の環境や周囲の状況などもあるのでしょうが、今さらながら、「私にとって、幸せは何なのか?」そんな単純なことをあらためて、考えている今日この頃なのです。


日本への本帰国 終の住処


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2022年10月22日土曜日

海外で仕事を続けている義理の息子の久しぶりの訪問

  


 私が彼に最初に会ったのは、たしか彼が9歳の時だったと思います。彼は夫の前妻との子供の一人で、三人いる娘の義理のお兄ちゃんの一人でもあります。当時は、まだ、あどけない感じもあって、1週間おきに家に来ていましたし、ヴァカンスの間はしばらく家にいたりして、彼のママが教会べったりで、かなり自由な生活を制限されていたりしたこともあり、我が家が避難所のような時期もあり、彼の好きなゲームや本などは、家に保管してあったりもしました。

 なので、娘の3人のお兄ちゃんの中では、私にとっては、一番、身近な感じもしていましたが、彼は早々に家を出たかったこともあり、高校から全寮制の学校に入ってからは、すっかり顔を見る機会も減ってしまいました。

 しかし、彼はなかなか優秀でもあり、夫の息子たちの中では、夫の希望の星のようなところもあり、夫も何かと世話を焼いていて、遠くに住む彼の引っ越しなどには車で手伝いに出かけたりしていました。

 夫が亡くなった時には、ちょうど試験の真っ最中で彼にとっては試験中に大きな精神的な痛手で大変なハンディでもあったと思いますが、彼はグランゼコールに進みました。

 グランゼコールを卒業してからは、しばらくフランスの研究所で働いたあと、スイスで博士号を取得、今はドイツで原子力関係の研究所に勤務しているのだそうです。そんな感じなので、彼はパリどころか、長年、フランスにいることがない生活をしてきたので、あまり会う機会はありませんでした。

 それでも、かなり前にひょっこり、ノエルの時に来てくれたり、娘の誕生日に来てくれたりしたことはありましたが、たまにメールをくれたりすることはあっても、なんだか彼は遠い人になりつつありました。

 それが、先日、パリに行く機会があるので、「ちょっと家に寄ってもいい?」というので、久しぶりに懐かしく、食事をしながら、楽しい時を過ごしました。

 これまでじっくり聞くことがなかったスイスでの話、ドイツでの現在の生活、それぞれの国について、仕事についてなど、複数の国で生活した経験を持つ人の話は楽しいなと思いました。

 彼は研究者の道を選んだわけですが、最初はフランスの国の研究所、その後、スイスでPhdを取ったあとに、現在は大きな企業の中の研究所にいるのですが、彼の話を聞いていると、優秀な研究者の多くは外国(フランス国外)へ出て行ってしまうのではないか?と思いました。

 彼曰く、フランスは上に上がっていく機会がかなり限られている上に、時間もプロセスもかかり、そのうえ、報酬もパッとせず、話をきいていると彼がフランスに戻ってくる日はあるのだろうか?と思ってしまいました。

 彼がスイスに行ったばかりの頃は、スイスの物価の高さを嘆いていましたが、実際に働いてみるといくら物価が2倍だとしても、給料は3倍、もはや、フランスにいることは考えられないと言っています。

 だからといって、仕事はお金のためだけではないけれど、自分のやりたい研究が思うようにはできない、一企業人としての葛藤やだからといって、大学などには、十分な予算もないなど・・現在の仕事には満足はしているものの、生涯、同じところにはいなそうな気配。

 しかし、フランスで高等教育を受けた彼のような人々をフランスは、逃してしまっているのだな・・と娘とも重ねて、考えたのでした。

 専攻は違いますが、理系の道を進んだ娘も研究者になるか、それとも就職するのか、悩んでいた時期もありましたが、結局、色々、イレギュラーな出来事(パンデミック)なども重なって、きっとすんなり学生生活を過ごした場合とは違ったであろう道に進んだであろうと思います。

 しかし、結果的にフランスから出てしまっていることを考えると、なんだか、国が多額の負担を負って教育をしている結果をフランスが使いきれていないのはもったいないな・・などと、思います。

 それにしても、外国といっても、生活してみなければわからないこともたくさんあるわけで、スイスはほとんどストライキがないとか、かなり排他的な国民性、口で注意することなく、少しのことでイキナリすぐに通報されるとか、ドイツの鉄道事情が最悪だとか、保険のシステムが簡単な診療を妨げているとか、私がこれまで抱いていた両国のイメージとは違うもので、まぁどこの国も一長一短かな?と思います。

 現在、まだ独身の彼は、将来、結婚して、子供を育てていくとなると、子供のこともあるので、また、別の意味で仕事も仕事をする国も考えなければいけないな・・と言っていましたが、それにしても、今の私なら、色々、考えるところはあるにせよ、私が彼の年齢には、まるでそんなことを考えてこなかったにもかかわらず、よくも無事にここまで生きながらえてきたと思うのでした。

 義理の仲ではありますが、それぞれに歴史を知り合っている人と色々な話ができることは、大変、幸いなことであります。あんなに小さかった彼が立派に成長した姿がちょっと眩しいくらいです。


フランスの研究者


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2022年10月21日金曜日

コロナウィルス第8波のピークとオミクロンBQ.1.1

  


 フランスのコロナウィルス第8波は、先週に、1日あたりの新規感染者が6万8千人近くの数字を記録したのをピークに若干の減少傾向にあると言われています。しかし、依然として6万人前後の高い水準を維持しています。

 10月20日の時点では、入院患者数は、前日より38人多い20,110人を記録しており、新規感染者の減少とはうらはらに、未だ増加を続けています。感染から発症、悪化の時間差によるものとも思われますが、未だ安心できないのは、オミクロンBQ.1.1というオミクロンの新しい変異種の出現もあります。

 第8波と言われているフランスでは、パリでもメトロの中などは、少しマスクをしている人が増え、それなりに警戒している人もいるのだと思わされますが、この新しい変異種については、あまり騒がれてはいません。というか、コロナウィルスに関する報道はかなり縮小されています。

 しかし、これまでの感染の大半を占めてきたと言われていたオミクロンBA.5から新しい変異種であるオミクロンBQ.1.1に変化しつつあるということは、これまでの感染の波が新しい変異種の出現とともに感染の増加が起こってきたことを考えれば、容易に第8波は過ぎ去ったと言い切れない懸念を残しています。

 BQ.1.1は、すでにナイジェリアで広く流通しており、また、アメリカ、オーストリア、ベルギー、デンマーク、イタリア、オランダ、イギリスでも増加傾向にあります。フランスも例外ではありません。

 10月16日の時点で、このBQ.1.1の割合は、前週の7%から16%に増加したと、フランスの公衆衛生機関が発表しています。妙な言い方ですが、新たに変異しているだけあって、BQ.1.1はBA.5より成長力があります。

 BQ.1.1は「厄介な変異に満ちている」ため、「我々の免疫系の反応を脅かす可能性がある」とともに、また、多くの科学者がこの新しい変異体が引き起こす症状(下痢や嘔吐を引き起こす特殊性がある)について懸念しています。

 発熱や嗅覚障害よりも、むしろ、消化器系の問題を引き起こす場合、患者はコロナウィルスとの関連性を認識しなくなるため、風邪や他の疾患だと考えて検査を受けずに感染が広がってしまう危険性も懸念されているのです。

 しかし、現在、急成長中のオミクロンBQ.1.1はもちろん懸念される問題ではあるものの、WHO(世界保健機構)では、オミクロンの亜系を全部で300以上リストアップしています。BQ.1.1は、その一つに過ぎないとも言えます。

 今や体調を崩すと、私も、まずは、もしもコロナに感染したかも?とすぐに検査に行きますが、それが消化器系の問題出会ったりした場合は、検査には、行っていなかったと思うので、今やどんな体調の悪化に際しても検査をしなければならないほどコロナウィルスの症状は多岐にわたっているのかもしれません。

 ちょっと風邪をひいたくらいでは、あまり医者にかかったりしませんし、医者に行ったところで治療薬があるわけでもないのですが、周囲の人に感染を広げないためには、具合が悪くなったらまず検査に行くということは必要なわけで、そんな生活はまだまだ終わりそうにありません。


オミクロンBQ.1.1 コロナウィルス第8波


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2022年10月20日木曜日

12歳の少女殺人事件が呼び起こす極右政党の移民叩き

  


 パリ19区で12歳の少女がトランクの中で死体で発見された事件は、あまりに残酷で衝撃的な事件で、先週、死体入りのトランクが彼女が住んでいた建物の近くの中庭で発見され、容疑者と見られる女性が逮捕されて以来、大騒ぎになっています。

 トランクの近くには、2つのキャリーバッグが転がっていたという遺体を隠そうともしない放置の仕方も不可思議です。

 被害者の両親は、彼女が金曜日の午後に学校から帰ってこないことを心配して、娘の行方不明を警察に知らせ、パリ東部にある自分たちの住居にこの見知らぬ若い女性がいることを通報したのです。

 この見知らぬ若い女性は、彼女が学校を出てから数分後、姿を消すまでの間、建物の監視カメラに少女と一緒に映っていた人物でした。

 発見されたトランクの中の遺体には、喉に複数の傷があり、体は布に覆われ、縛られて丸まっていました。検死の結果、死因は窒息死と判定され、被害者の両足の下に赤で0と1が書かれていたと検察庁は発表しています。

 容疑者は24歳のアルジェリア出身の住所不定の女性で、2016年に学生ビザで合法的にフランスに入国していましたが、2022年9月21日以降、フランス領から退去する義務を負っていたと伝えられています。

 彼女は8月21日にフランスの空港で滞在許可を取得していないため、フランス領からの出国義務(OQTF)を課されていますが、前科がないため、行政拘置所には入れず、30日の帰国期限付きで自由にしてもらったという経緯があったようです。  

 彼女は警察からは、ノーマークの人物で、2018年にDVの被害者として警察に記録されていたといいます。

 彼女の姉がこの被害者と同じアパートに住んでいたということ以外、彼女と被害者との接点はなく、なぜ彼女が殺されなければならなかったのか? 犯行の動機などは、解明されていませんが、犯行前後の彼女の動向を目撃した人々の証言からも、到底、普通の精神状態ではなかったことは明らかで、彼女は「15歳未満の未成年者の殺害」と「拷問と野蛮な性的行為を伴う強姦」の罪で起訴されていますが、彼女が供述を度々、翻すことで、事情聴取はが難航している模様です。

 彼女は、当初「少女を、同じ建物に住む姉のアパートに引きずり込んだ後、シャワーを浴びさせ、死に至る性的犯罪やその他の暴力を行った」と話していましたが、その後、「子供を殺すなんて有り得ない」とか、「夢を語ったのであって、現実は違う」とか、「幽霊と戦った」とか、「私もレイプされ、目の前で両親が死ぬのを見ました」と、一貫しない供述を続けており、同時に精神鑑定が行われているようです。

 地域の住民の目撃者は「彼女はトランクを持ち歩いていて、カフェの前でトランクを置いて、向かいのパン屋にクロワッサンを買いに行って、何事もなかったかのように戻ってきた」と証言しています。

 死体の入ったトランクを持ち歩いてクロワッサンを買いに行くという神経も信じがたいのですが、彼女は、荷物を持ったまま近所に戻り、ローラと同じアパートに住む姉のベルを鳴らし、姉に詰め寄られた結果、アパートの中庭にトランクを捨ててしまったとも言われています。

 この衝撃的な事件は、地域の住民にも深いショックを与え、彼女のアパートには、多くの住民が訪れ、花を供え悲しみと恐怖の感情をあらわしています。

 彼女が在籍していた学校と周辺の学校の生徒と職員のために、心理的サポートのチームが設置されました。19区の市長は住民の感情がピークに達しているため、精神科医を派遣することを発表しています。

 週明けにはマクロン大統領がこの被害者の両親を迎え入れた・・という話が流れ始めてまもなく、この事件は火曜日に国民集会(RN)と共和党(LR)の主導で国民議会で政治的な展開となり、極右と右派が「不法移民との戦いにおける政府の無力さ」を糾弾しています。

 不法移民に対しては、例えば、彼女がフランス領からの出国義務(OQTF)を課されているにもかかわらず、猶予期限の1ヶ月を過ぎているのに、追跡していないことは、解せない話ですが、極右と右派の不法移民の排除、しいては移民自体の排除問題にまで発展しかねない感じもあり、この無惨な12歳の少女の殺人事件が政治に利用されているようで、痛ましい気がしてなりません。

 

 公開されている容疑者を見ると、本当にどこにでもいそうな若い女性であることに、なおさら恐ろしさを感じずにはいられません。

 彼女の姉の証言によると、「妹は社会になじめず、夜中に目を覚まして支離滅裂な発言をすることもあった」と語っています。

 フランスでは、わりと事件があっても、加害者の家族や被害者の家族がマスコミに顔出ししたりすることもあるのが驚きですが、今回はさすがに両者ともに、マスコミには登場していません。
 
 私もこの事件を見て、やはり、フランスでは送り迎えが必要なんだな・・と思ったりもしましたが、これが移民問題に飛び火していく様子には、ちょっと納得いかない気がしてなりません。
 
 何よりも被害者家族にとって、深い悲しみの中、正義をふりかざしながら、被害者感情を捨て置くだけでなく、真相も解明されていないうちから、鉄は熱いうちに打てとばかりに事件を利用して騒ぎ出すのは、あまりに忍びなく、やるせない気がするのです。

 被害者の少女の両親は、書面にて、「恐怖と苦痛の中にいる私たちは、平和を願い、嘆くために瞑想しています。娘のために、私たちは葬儀が政治やメディアの扇動から遠く離れて、静けさと穏やかさの精神で行われることを望んでいます」と声明を発表しています。


12歳少女殺人事件 移民問題


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