2022年9月12日月曜日

省エネ対策のため、エッフェル塔のライトアップ時間短縮

  


 パリでは、省エネ対策のために、すでに、午前1時から午前6時までの間、電飾広告(広告看板の夜間照明)を禁止していますが、ついに、エッフェル塔のライトアップに関しても時間が短縮されることになりました。

 エッフェル塔はフランスのシンボル的存在であり、また、そのライトアップは、最近では、国全体のメッセージを表現するツールとしての役割も果たしており、つい最近では、ウクライナでの戦争が始まった時には、ウクライナカラーに輝いていたり、つい先日、エリザベス女王がご逝去された日は、弔意を示すためにエッフェル塔は消灯されたりしました。

 しかし、どんな時でも夜のパリには、エッフェル塔が燦然と輝いており、逆に2年半前の完全ロックダウンで、パリの街中から車も人も消え去り、街全体が死に絶えたような時でもエッフェル塔は変わらず、輝き続けていました。

 ロシアからのエネルギー供給が遮断され、エネルギー危機が危ぶまれる中、冬期には、特にエネルギー消費率の高いガラスや金属工場が時短操業に切り替えられることになったりしていると思ったら、今度はエッフェル塔のライトアップの時間も短縮されることになりました。

 エッフェル塔の夜間照明は、エッフェル塔全体の年間エネルギー消費量の4%を占めているということで、パリ市は、省エネ計画の一環として、エッフェル塔の夜間照明を1時間強削減することを発表しました。

 現在、エッフェル塔は、午前1時までライトアップされていますが、今後は最後の訪問者が帰る時間である午後11時45分に消灯されます。

 また、エッフェル塔の外から光を送る336個のスポットライトは、毎日1時間15分早く消すことで、年間約92,000kwを節約することができ、これは40人分の年間平均電力消費量に匹敵する量とされており、また、1時間おきにキラキラとフラッシュされる光が放たれるいわゆるシャンパンフラッシュも午後11時45分でエッフェル塔が消灯されることになると、最終のシャンパンフラッシュは午後11時ということになります。

 このシャンパンフラッシュも、30㎡のワンルームマンションに2人で住む場合の年間消費電力量に相当します。

 このエッフェル塔のライトアップ時間短縮は、大した量ではないという見方もありますが、これは、ある意味、エネルギー節減の意義を呼びかける極めて象徴的なジェスチャーであり、「これが世界的に有名なモニュメントの役割の一部である」としています。

 国民のみならず、エッフェル塔が世界へのメッセージの役割を担っているという言い方も、「これまた、大きく出ましたね・・」と思ってしまうフランスらしいところです。

 しかし、この電力問題は、かなり深刻だと受け止めておく方が良さそうで、もともと、電力発電のほとんどは原子力発電で賄っていたと思っていたフランスの原子炉が、実際には、満足に稼働していなかったことが、このエネルギー危機で明らかになっていて、現在、フランスにある56基の原子炉のうち、32基がメンテナンスのための整備中だそうで、半分以上が稼働していない状態です。

 本来ならば、フランスは電気をかなり輸出していたはずなのに、昨今、エネルギーに関する協約で、フランスで電力供給が逼迫した時にはドイツが、ドイツでガス供給が逼迫した時にはフランスが援助するという取り決めが行われたと聞いて、おかしいと思っていたのですが、フランス側の原因は、この原子炉のメンテナンスが日頃からできていなかったことにあったのです。

 同時にフランスはこの32基の原子炉の復旧作業を急ぐとしていますが、この冬に間に合う感じではありません。

 これは、パンデミックが発生した時に、緊急時のために国が備蓄しているはずのマスクの大部分が廃棄処分にされたままになっていた状態と似ています。

 緊急事態に備えて、備蓄を整えたり、日頃からあらゆる整備を滞りなく行なっていることについては、フランス人はあまり得意そうではありません。

 しかし、最近、夜のエッフェル塔付近の治安悪化が問題になっている今、ライトアップの時間が短縮されることで、夜間にエッフェル塔近辺の人出も減り、犯罪が少しは減少するのではないか?とも考えられ、このエッフェル塔のライトアップ時間短縮がプラスになる面もあるかもしれません。


エッフェル塔ライトアップ時間短縮 省エネ


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2022年9月11日日曜日

エアフランス パリー羽田便運行再開と燃油サーチャージさらに値上げ

  


 しばらく運行停止になっていたエアフランスのパリ⇄羽田便が9月8日から運行再開になりました。これは、おそらく日本側が9月7日から日本への入国制限を1日2万人から5万人に拡大したことによるものだと思われます。

 パンデミック前までは、1日2便はあったはずのエアフランスのパリ⇄羽田便がなくなり、パリ⇄成田便だけになっていました。そもそもどちらにしてもパンデミックから2年以上は、フライト以前に入国制限が厳しすぎて(入国前の検査提示、入国後の検査、入国後の隔離施設での隔離、公共交通機関の使用禁止など)、とても日本に行く気にはなりませんでした。

 それでも、入国後の強制隔離施設での隔離が撤廃された時点で、日本へ行く気にもなったのですが、今度は戦争でパリ⇄羽田便を運行していたJALでさえも、今度は戦争のために、一時、直行便が飛ばなくなった上にロシア上空を飛べないために経由便のうえに迂回フライトになり、再び、日本行きの腰は重くなりました。

 エアフランスのパリ⇄羽田便が再開になったと聞いて、エアフランスのサイトを見てみると、AF272便(パリ13:45発 羽田10:00着)週3便(水、金、日)、AF279便(羽田12:15 発 パリ19:45着)が週3便(月、木、土)が運行されるようです。

 以前は、1日2便運行されていたエアフランスのパリ⇄羽田便ですが、日本への入国制限が2万人から5万人に拡大したとはいえ、外国人にとっては、まだ自由に日本に入国できる状態にはなっていない以上、この程度にしか戻らないのは仕方ありません。

 パリにはすっかり観光客が戻り、エッフェル塔の来場者はパンデミック前の1日2万人までに復活しているそうです。

 それにひきかえ、日本はまだまだ入国には厳しくて、未だパリの日本大使館には、日本入国のためのビザの申請に訪れる人で毎日、行列ができています。1日の入国を2万人から5万人に増やすといっても、基本的に日本人が海外旅行に行って、再入国する場合の入国を見積もっている数字なのかな?と思ってしまいます。

 しかし、エアフランスのパリ⇄羽田便の再開とともに驚いたのは、燃油サーチャージが10月発券分から、再び値上げされるということで、10月以降の発券分はヨーロッパ線は、現行の46,900円から57,100円に値上げされるということで、燃油サーチャージ分だけで114,200円もかかります。

 エアフランスが値上げしたということは、JALやANAもだろうな・・と思いながら、一応、確認してみると、両社ともに10月から値上げ。しかも、エアフランスよりも高く、JALは、47,000円から57,200円へ、ANAは49,000円から58,000円へと値上がりしており、多少ではありますが、燃油サーチャージも航空会社によって違うことにビックリしました。

 現在、日本に行くつもりはないものの、ちょっとチケットを同日の出発、帰国便で比較してみると、かなりの違いがあるようで、またさらにビックリしました。

 燃油サーチャージが最も安いエアフランスでさえも燃油サーチャージだけで114,200円ということは、以前であったならば、季節にもよりますが、これで十分に日本に行けた金額です。

 これに航空券自体の金額が乗っかるとなると、現在の値段は、以前だったら、余裕でビジネスクラスに乗れた金額で、ちょっとウンザリさせられるのは当然なことで、今までよりも時間もかかり、費用もさらにかかるとなると、せっかくエアフランスが羽田便運行を再開させてくれたとしても、やっぱり日本に行くのは、また当分、お預けだ・・と、思うのでした。


エアフランスのパリ・羽田便運行再開 燃油サーチャージ値上げ


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2022年9月10日土曜日

まだまだ続くフランスのイギリス王室フィーバー

  


 エリザベス女王の突然の訃報に、その日は1日中、想像以上に大騒ぎだったフランスに、ちょっとビックリしていたら、そのイギリス王室フィーバーはその翌日もまた、さらに続くことになりました。

 気がつけば、各テレビ局のメインキャスターは、ほぼ、全てロンドン、あるいはスコットランドに飛び、イギリスから生中継。いくら遠くはないとはいえ、メイン級のキャスターがこぞって翌日には現地入りするとは、ものすごいテンションです。

 また、フランス国内でも朝からマクロン大統領がパリのイギリス大使館に弔問に訪れ記帳する様子や在仏イギリス大使の発表を生放送で放送。その後、王位を継承したチャールズ3世がバルモラル城からロンドンに移動する様子を生中継。

 また、バッキンガム宮殿に到着して、カミラとともに、国民から送られた花束や手紙を見て歩いたり、弔問に訪れてくる市民と親しく握手しながら、時にはハグをしたりする様子を流しながら、ずっとイギリス王室の模様を実況中継していました。

 エリザベス女王が25歳で王位を継承したのとは対照的に、チャールズは73歳にして、ようやく王位を継承したのです。あらためて思うに在位70年の威力というのは、国内外ともに、大変な存在感のあるもので、少なくとも70歳以下の全ての人々にとっては、生まれた時から、イギリスの王はエリザベス女王しか知らないわけで、その間、フランスでは8人の大統領が交代し、本国イギリスではもはや歴史の教科書に登場するようなウィンストンチャーチルという歴史上の人物の時代から15人の首相が交代してきた長期間、彼女は王位に君臨し続けて来たのです。

 これまでの世論調査でもチャールズは決して好感度が高くなく、母親のエリザベス女王は81%、息子のウィリアム王子77%にも大きく差をつけられている56%の支持率と王室の中でも最下位に近く、ダイアナ妃が抜群に人気があった分だけ、一連の不倫騒動、離婚、そして結果的にダイアナ妃が悲劇的に亡くなったことによって、彼はダイアナ妃を愛する国民の目の敵になっていた感もあります。

 あまりの不人気に、一時は、チャールズをすっ飛ばして、エリザベス女王の後は、ウィリアム王子が王位を継承するのではないか?などと言われていた時期もありました。

 フランスでも、エリザベス女王の在位中から、何度となく、彼のこれまでの行状をルポルタージュした番組で「残念な皇太子」のような報道が流され続けて、エリザベス女王が亡くなったら、イギリスはどうなってしまうんだろうか?と思わせられる感じでした。

 おそらく、そんな経緯もあって、世界中から敬愛されていたエリザベス女王の後を彼がどのように受け継いでいくのかは、それが上手くいこうといくまいと、逆に上手くいかない可能性も高いと見られていたからこそ余計に注目を集めたのかもしれません。

 だからこそ、チャールズ3世が王位に着任して以来、最初のスピーチは、なんとフランスのマスコミまでが、固唾を飲んで見守る感じでした。

 その日のチャールズ3世の様子を現場で伝えているリポーターたちは、むしろ前のめり気味で、彼の王としての最初の1日を弔問に訪れた市民と距離を縮めて、スキンシップなども含めて触れ合う様子に、「彼のこれまでのイメージを払拭する第一歩を切った!」と興奮気味に伝えてもいましたが、紙面を見ると、「本来ならば、73歳という引退する年齢にようやく王位についたチャールズ3世は・・ようやく・・」などと初っ端からキツめの見出しをつけている新聞などもあります。

 注目された彼のスピーチでは、「エリザベス女王へ女王として、また母親としての生涯への感謝、そして、ハリーやメーガンも含めた彼の家族への期待」を語りました。

 誰が書いたスピーチ原稿なのかは不明ではありますが、これはまことに上手くできている原稿で、特に最後の一文には、ダイアナ妃へのメッセージも含まれていたことも話題になっています。

 「天使の歌声があなたを安息に導いてくれますように・・」

 「May flights of angels sing thee to thy rest」はダイアナ妃の葬儀で演奏された作曲家ジョン・タヴナーの作品『アテネの歌』の歌詞に引用されている一節でもあるのです。

 それにしても、イギリス国民はもちろん、フランスまで多くの人が熱狂的に王室の訃報に接して、エリザベス女王の生涯の軌跡を辿って敬意を示したりしているのを見ると、王室、皇室というものを保ち続けているということが尊い財産であることのように思えてきます。

 フランス人は、やたらと「歴史的な瞬間」という言い方が好きだなぁ・・と思うことが多いのですが、長い歴史を保ち続けている王室や皇室というものは、それを失ってしまった国にとっては、もう再び作りようのないものでもあるのです。

 文化的に異なっているとはいえ、日本の天皇陛下の皇位継承の儀などは、フランスでもかなり高い注目を集め、絶賛されていました。「古式ゆかしい」皇室の行事などは、文化遺産でもあり、一見、意味がわからないようだけど、継承すべき文化なのではないか?と今、あらためて思うのです。

 この民主主義の世の中に政治とは関係なく、信仰とはまた別の形で、国の中で圧倒的に尊ばれる国の象徴的な存在としてあり続けるということが、この不安定な世の中で、人々の心の拠り所のようなものの一つでもあり得るのかもしれません。

 王族、皇族に生まれついた方々には、自由もなく、誠に生きにくいことかとお気の毒な気もするのですが、だからこそ、その不自由な境遇の中でも、イギリス王室のように、不倫騒動や離婚、さらには王室を離脱してしまう人まで現れる逆に人間っぽいドラマもフランス人を惹きつけているのかもしれないと思ったりもするのです。


チャールズ3世 イギリス王室


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2022年9月9日金曜日

エリザベス女王ご逝去のフランスでの報道

  



「私は、長い短いにかかわらず、私の全生涯をあなたのために、そして私たちの属する偉大な王室のために捧げます」21歳のお誕生日の日に、そう宣言したエリザベス女王は、70年にわたり、王位を守り続け、2日前まで新首相に面会する映像が流されていた、ほんの数日後にご逝去されました。

 フランスには皇室がないこともあってか、イギリス王室については、ことのほか、注目度が高く、スキャンダルも含めて、マスコミに取り上げられることも多く、この日も女王陛下の容態が悪いことを昼頃から騒ぎ始めました。

 

指摘されていた女王の右手の手の甲の青あざの確認できる写真


 2日前に公開されたイギリスの新首相任命の映像を振り返り、新首相のリズ・トラスと握手している女王陛下の右手の甲に青あざができていたことや、続々と王族のメンバーがバルモラル城へ向かっているのは只事ではない・・などと伝えていました。

 バルモラル城、バッキンガム宮殿を見守り続ける中継映像は、その日の午後から始まり、女王陛下の訃報が流れたのは午後7時半頃(フランス時間)。全てのニュースが吹っ飛んだと思ったら、その日の夜は、特別番組が組まれ女王陛下のニュースが延々と続きました。

 パリのイギリス大使館にも、すぐにエリザベス女王の大きな写真が掲げられ、大勢の人が集まっていました。

 訃報が流れてすぐにこのようなことができるのも、女王陛下の年齢もあり、イギリスは、各国の大使館も含めて、その時に備え続け、誤解や論争を避けるために、ここ数年は、年に2回は、女王陛下が亡くなった場合について、その段取りなどの細部までが検討され続けて来たようです。

 こうして、フランスでの報道を見ていても、フランスには、どれだけイギリス人がいるのかとも驚かされると同時に、また逆にイギリスにはどれだけフランス人がいるのかとも感じ、フランスとイギリスの繋がりの深さを思わせられます。

 フランスにとっても在位70年にわたるエリザベス女王は代々フランス大統領8人との歴史を持ち、また、女王陛下はフランス語も完璧に話すことができた人で、彼女はフランスにとっても女王でもあり、彼女自身もフランスをこよなく愛していたと伝えています。

 ちなみに彼女のお気に入りのフランス大統領はミッテランだったと言われています。

 個人的にも私はイギリスに留学していた時期もあり、イギリスは私にとって特別な国の一つでもあります。当時、私は、勉強のために、イギリスで多くのホスピスを見学して歩いたのですが、そのどこへ行っても、エリザベス女王がそのホスピスを訪問した際の写真が飾ってあり、また、彼女が訪問してくれた時の話を目を輝かせてしてくれる人など(たまたま、ついこの間、いらしてくださったと・・)に出会ったりもして、イギリスの国民にとって、王室がどれほど大きな存在であり、大きな役割を果たしているのかを直に感じる機会もありました。

 とはいえ、こうして彼女の在位中の歴史を振り返る報道などを見ていると、イギリス王室も平坦な道のりではなかったわけで、王室不要論や数々のスキャンダルに非難を浴び、特にダイアナ妃が亡くなった際の女王の冷たい反応などに国民の反感を買ったこともありました。

 彼女がダイアナ妃の訃報を知ったのも、彼女自身がこの世を去ったバルモラル城でのことでした。

 彼女の死後、ご遺体のロンドンへの搬送からさまざまなセレモニー、国葬、埋葬まで、すべて10日以内のスケジュールやその詳細(イギリス国内がどのように喪に服すか)は、すでに全て細かく取り決められています。

 フランスでも、彼女の国葬は前例のない壮大なものになるであろうと伝えています。

 ちょうど、国葬問題で物議を醸している日本にとって、本当の国葬とはどんなふうに行われるものかを目にするよい機会となるのではないかと思っています。ほぼ同時期に行われる国葬は、悉く比較され、いや、もはや比較の対象にさえならない国葬と呼ぶことが憚られるものになる気がしています。

 

エリザベス女王ご逝去 英国王室


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2022年9月8日木曜日

恐怖の家 子供の児童手当を食い物にして子供に虐待を続けてきた親 逮捕

   


 私は日本で子育てをしたことがないので、日本の児童手当というものが、どの程度のものかはわかりませんが、時代が違うとはいえ、私が子供の頃に両親から児童手当の話というのは聞いたことがなく、そのようなものを国からもらっていたという話も聞いたことがないので、少なからず、育児に対する国の支援はフランスの方が手厚いような気がします。

 フランスでは、子供を育てるにあたって大なり小なりの支援金が支払われます。その金額は、家族構成や親の収入や職業形態によって、支援の金額も方法もリソースも変わってきます。

 たとえば、年度始めには、新年度のための準備費用が支給されたり、公立の場合は授業料は無料ですが、キャンティーン(給食)の費用は両親の収入によって金額は違います。また、子供の人数によって年金のポイントが加算されたり、税制上も子供の人数が考慮され、3人以上子供がいると、グッと優遇されるという話も聞いたことがあり、実際に娘のクラスメイトなども3人兄弟という家族が多いです。

 また、共働きが多い(というか、ほとんど)ため、両親の仕事の時間帯によっては、ベビーシッターが不可欠な場合は、その一部を国が負担してくれるというシステムもあります。また、親の収入が少ない場合などには、住宅手当なども子供の数によって換算されます。

 しかし、どんなに国が援助してくれるとはいっても、実際に子供の教育にかかる費用をそれだけで賄えるはずはなく、私などは、とうていこれ以上は無理だとハナから、もう一人子供を・・などということは考えていませんでしたが、まあ、それも子供をどのように教育したいかによっても異なってくるので、中には、子供の児童手当をほとんど子供には使わずに、自分たちはロクに働かずにいる親もいるということは聞いていました。


 今回、パ・ド・カレー県(フランス最北端の県)で4ヶ月から24歳までの10人の子供を持つ夫婦(40歳と44歳)が、この中の子供の一人が警察に駆け込んで、助けを求めたことから、児童虐待で逮捕されました。

 この家は、「恐怖の家」として知られることになり、この子供のうちの一人(21歳)がテレビなどに顔出しで証言しています。

 この青年が耐えきれなくなって、警察に助けを求めに駆け込んだことにより、警察が家に踏み込んだ時には、幼い子供2人が椅子に縛られ、排泄物まみれになっていたといいます。すべての子どもたちは、常に両親からの脅迫、暴力に怯え続けて育ってきました。

 この家庭は、2013年からソーシャルサービスによって監視されていたものの、両親はソーシャルサービスのチェックの前に子供たちに圧力をかけ、「家で何が起きているのかを言ってはいけない、すべて順調だと言え!。私たちが経験していることを話すと、ホームに入ってみんなから遠ざけられることになる!」と脅迫し、何とか制裁を免れ続けてきてしまったようです。

 この青年の証言によると、父親はこれまでに半年間しか働いたことがなく、夫婦は生活保護と児童手当で生活しており、子供を金づるとしていて、子供が成人して、援助が切られるたびに、子供を作って収入を補うということを繰り返していました。

 子供は彼らの収入源だっただけでなく、この子どもたちの自由を奪い、殴る、蹴るの身体的な暴力や言葉による脅迫、逆らえば長時間の土下座、少しでも動けばリンチ状態。

 その矛先がたとえ、自分に向かないことがあっても、常に兄弟姉妹の誰かが暴力を振るわれる場面を目にすることだけでも、大変な恐怖とストレスを感じ続けていたのです。

 このような家庭ですから、児童手当は子供のために使われることはなく、父親は頻繁に車を買い替えたり自分のためにお金を使っていたようです。

 両親の逮捕により、子供は保護され、現在は特別な施設での生活を始めています。

 この青年は、両親の仕打ちに耐えられなくなって警察に駆け込んだわけですが、この青年が他の兄弟姉妹の命を救ったかもしれません。しかし、少なくともこれまでの間にこの家で育って来た子どもたちの心の傷やトラウマは想像を超えるものであるに違いありません。

 本来は、このフランス政府が行っている児童手当は大変、ありがたいもので、この政策をきっかけにフランスは日本のような少子化の道を辿ってこなかったのも事実です。しかし、中には、このようなクズ親も現れてしまうことも事実です。

 かねてからフランスでのクズは限りなくクズだと思っていましたが、このクズ対応をするべくソーシャルサービスが機能していなかったことは、その被害に遭い続けて来た子どもたちの年月には取り返しがつかないことです。

 以前、私たちがフランスに来たばかりの頃、パリに引っ越してくる前、まだ娘も小さかった頃、突如、「子供を学校に行かせていない(フランスでは2歳から学校)と通報があった」とソーシャルサービスの人が家に訪ねて来たことがあり、「こっちは忙しくしながら、学校だけでなく、公文にまで通わせているのに・・」と憤慨したことがありましたが、そんなことは、学校に聞いて貰えばすぐにわかることなので、何の問題にもなりませんでしたが、逆にそんなすぐに嘘がわかるような嫌がらせの通報をする人がいることの方を不気味に思ったくらいです。

 また、このソーシャルサービスから難癖をつけられて、しっかり働いて子育てしているにもかかわらず、子供をとりあげられそうになって日本に子供を連れて帰国した人も知っています。

 このクズ親も問題ですが、このチェックを行うソーシャルサービスも適正に機能していない印象を拭いきれない気がするのです。


児童手当 児童虐待 恐怖の家


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2022年9月7日水曜日

ディオールギャラリーとアヴェニューモンテーニュのディオールショップ

   

 

 凱旋門がラッピングアートにデコレーションされていたのは、昨年の9月のことで、あれからもう、1年も経ってしまいました。

 ラッピングされた凱旋門を見るために久しぶりにシャンゼリゼに行った時、シャンゼリゼの中腹あたりにあるルイヴィトンビルの正面あたりの建物の大きなスペースが工事中で、それこそ工事中用の美しいラッピングに包まれた建物全てが Dior(ディオール)になっていて、ディオールスゴいな・・と思いながら、凱旋門に向かってシャンゼリゼを上がっていきました。

 すると工事中のディオールとは別に、ディオールのお店があって、普段は無縁のこういう高級品のお店を覗いてみるのもいいな・・と思って店内に入っていくと、まだそんなに観光客が戻ってきていない時期なのにもかかわらず、けっこうお客さん(観光客らしき人々)がいて、またまたびっくり!「いるところにはいる!」「売れているところは売れているもんだ!」と私にとっては、美術館を眺めるような気分でディオールのお店をぐるーっと見てきました。

 近くにいた店員さんに、「あんなに広い工事中のスペースがディオールだっていうことは、工事が終わったら、このお店も向こうに引っ越すんですか?」と聞いてみたら、「いやいや、あれは事務所だから、このお店はこのままで・・」と言われてまたびっくり!こんな一等地にあんな規模の事務所!!

 お姉さんは、私の驚きをよそに「今、アヴェニューモンテーニュの方のお店が改装中で、来年春頃には、素晴らしいお店に生まれ変わるから、ぜひ、春には向こうのお店も見に行ってみてね!」と見学だけの私にそれはそれは愛想よく親切に教えてくれたのでした。

 その後、そんなことは全然、忘れていて先月、偶然、バスでアヴェニューモンテーニュを通りかかり、一つの大きな角地にディオールのお店があるのをバスの中から見かけて、さすがにアヴェニューモンテーニュ!お店の前には、ヴォアチュリエ(正装をしたお車係)までいて、「お!これがあのお姉さんの言っていたディオールのお店だ!」と思いましたが、私はバスの中、わざわざ降りるのも面倒で、その日は、そのまま通り過ぎてしまいました。

 後日、たまたま友人と久しぶりに会う約束をしていて、「どこか行きたいところある?」と聞いたら、彼女が「ディオールのギャラリーに行きたい!」と言うので、急遽、予約をとって、ディオールのギャラリーに行くことに・・。




 当日、予約どおりにギャラリーに行くと、予約をとっているにもかかわらず、行列が・・しかし、さすがにそれほど待たされることはなく、中へ。



 
 


 中に入ってすぐ、中央には螺旋階段があり、その周りを色とりどりのディオールの商品のミニチュアで囲まれているスペースはまさにインスタ映えしそうなスポット。展示場には、エレベーターで上がり、この螺旋階段は帰りに降りてくることになります。

 中を進むと、ディオールの歴史を辿るドレスやアトリエ、ディオールにまつわる展示品の数々が続々と並びます。

 


 数々の名作と言われる映画の中に登場していたドレスはその映像とともに楽しむことができます。

 


 また、部屋ごとにドレスや展示品にあったように立体的にデコレーションされている様子は特にディオール好きというわけではない私も圧倒されました。

 


 洋服はドレスが中心で、あまり現実的なファッションではないものの、その分だけ美しいドレスに囲まれた空間は、異次元の夢の中の気分を楽しませてくれます。

 J'adore(ジャドール)の香水のCMで使用されたドレスなどもありました。

 


 しかし、なんといっても圧巻だったのは、最後のクライマックスのポイントに用意された音楽とともに朝日から夜への時間とともに背景の変わるスペシャルポイントでした。

 



   

 「ファッションデザイナーは、ある意味、夢の先導者」というディオールの言葉どおり、夢のひとときに誘ってくれる空間で、庶民の日常にはない贅沢な夢の中に身をおくのも、たまには、よい経験かもしれません。

 このギャラリーから出ると、すぐのところにまた、例のアヴェニューモンテーニュのディオールの店舗があるのですが、これは、少し現実的といえば現実的ではありますが、これもまた、お店の中のカフェには、大きな陶器の動物園のような空間ができていて、ディオールってどんだけスゴい!!と思わせられる空間なのでした。

 私にとっては、こちらもまた美術館と大して変わらないような、しかし、カフェでお茶を飲むくらいは参加できるかな・・と思う空間でした。

 やっぱり、ディオール・・恐るべし・・です。

 



ディオールギャラリー ギャラリーディオール アヴェニューモンテーニュ

11 Rue François 1er, 75008 Paris 11:00~19:00 


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2022年9月6日火曜日

フランスの学生の数学学力低下に思うこと

 


 ウクライナでの戦争が勃発して以来、フランスはウクライナから避難してきている人々を数万人単位で受け入れていますが、長期にわたることから、フランスに避難してきた未成年の子供たちの教育を支援するために、UPE2A(Unité Pédagogique Pour les Élèves Allophones Arrivants)と呼ばれる適応教育ユニットを立ち上げ、フランス語の集中学習を受けて、後にフランス滞在中に従来のフランスの教育システムに参加できるようにするプログラムを実施しています。

 ウクライナ人を受け入れているのはフランスだけではありませんが、このような避難生活を前向きに受け止めるなら、今のウクライナの子供たちは、少なくとも外国語に長けた世代になるかもしれません。

 こうして、ウクライナの子供たちを受け入れ、彼らがフランスの学校で教育を受け始めると、彼らの中から思わぬ声が上がり始めたのです。

 「ウクライナより数学がずっと簡単!」と・・・。

 言い換えれば、「フランスの学校の数学のレベルはウクライナよりも低い」ということなのです。語学にハンディのある学生にとって、数学の授業は順応しやすいとも言われることがありますが、「ずっと簡単!」と言われてしまえば、順応うんぬん以前に義務教育の段階でのレベルが明らかに低いことを認めざるを得ないのです。

 このフランスの学生の数学学力の低下については、フランスの教育の専門家は、「フランスは伝統的に少数のエリート教育機関の維持により、この分野ではまだ優れた教育を誇っているが、この学問の基本を多くの人々に教えるという点では失敗している」と分析しています。

 つまり、少数のエリート以外の教育には、失敗しているということで、大変、わかりやすい分析です。

 文部科学省委託の調査報告書によると、「フランスにおける数学能力の平均レベルはほぼ40年間低下し続けている・・」そうで、国際調査においても、フランスはトルコ、日本や韓国、さらにはアイルランドなどの先進国にも大きく遅れをとっていることが明らかになっています。

 主な原因は明らかで、2019年のバカロレア改革で、いわゆる「共通」の授業から数学が純粋に削除され、プルミエールの必修科目から外された(理数系クラスを除く)ことにあります。

 結果的に、それからわずか3年後、この報告書に関わった専門家委員会は、すでに以前の取り決めへの復帰を勧告しています。つまり、授業科目から外されたり、試験科目から外されることがわかっていれば、勉強しなくなるということです。

 我が家の場合は、娘は理数系のクラスを選択したので、これには該当しませんでしたが、数学に関しては、いくつかのタイミングで思い出されることがあります。

 最初は、公文の算数をやらせようかどうか迷ったタイミングでした。娘を日本語でも、読み書きをきっちりさせたくて、公文に通わせていた頃、小学校に上がったばかりの頃に公文には、日本語だけでなく、他の教科もありました。

 場所がパリ(海外)ということもあり、公文に来ていた子供はほとんどが日本語をやっている子供たちなのですが、中には日本語だけでなく、算数の計算問題を黙々とやっている子供もいました。

 ごくごく基本的な計算問題などは、同じような問題を繰り返しやる訓練でスムーズにできるようになっていく公文のような方式は良いとは思っていたのですが、当時は仕事が終わって娘を迎えに行って、帰って来てから公文の宿題をやらせるには、時間に余裕があるわけではなく、算数の授業はフランスの学校でもやっているんだから、まずは日本語だけで、欲張りすぎて共倒れになってもいけないと、公文の算数は諦めたのです。

 私は日本語以外は、あんまり娘の勉強をみた覚えはほとんどないのですが、一度、「数学でわからないところがある・・」と夜、私のところに宿題を持って来たことがありました。娘がいくつだったかは覚えていませんが、私がみられる数学といえば、せいぜい小学校か中学校程度だったと思います。

 一応、「これは、こうして、こうするでしょ・・」と説明し、娘にやらせてみると、娘も理屈はわかっている様子・・「ちゃんとわかっているから、あとは何回もやってみて、訓練して慣れるしかないよ・・」と言ったら、娘はとぼとぼと自分の部屋に戻っていきました。

 少しして、娘の部屋を覗くと、娘はシクシク泣いていて、猫のポニョが彼女に手をかけて、心配そうにしている・・という、ちょっと心が痛むような、微笑ましいような光景を目にすることになったのでした。

 それでも、負けず嫌いの彼女は、めげずに、その後も常に高得点をとり続け、文系か理系か選択する段階になって、フランスの場合はその後にも選択肢の広い理系を選ぶことになったのです。

 しかし、彼女がその後、飛躍的に数学の成績が上がり、本格的に理系の道に進んだのは、運良く出会えた先生のおかげで、俄然、数学がおもしろくなって成績も上がったようです。

 数学だけに限ったことではありませんが、良い先生との出会いというものは、教育の現場において、なによりも大きなモチベーションとなり得るのだということは、自身の体験からも、そして娘を見ていても実感するところです。

 私は全くの文系人間で数学はどちらかといえば好きではなかったので、高度な数学の学力が一般的な人にとってどの程度、重要なことなのか、よくわかりませんが、全般的な学力に関しては、質の高い教師の肩にかかっているような気がします。

 フランスでは教師は給料も安く、人手不足も問題になっているので、単に授業の時間数やバカロレアの科目の問題だけではなく、何よりも優れた教師が必要なのではないか?と思っています。

 私は娘の学校には、年初に行われる父母会のようなものくらいしか、顔を出していませんでしたが、それでも、その際に滔々と語る先生の話に、「こんなに志の高い先生に見ていただけることは、なんと素晴らしい、幸運なことか・・」と感激して帰ってくることもありました。

 何度か、そんな先生のお話を聞きましたが、その中の一人は数学の先生だったことも覚えています。

 教師が真剣に向き合っていれば、生徒も感化されるのです。

 父母会が終わって、家に戻って、「あの先生、素晴らしいじゃない!」などと娘に話すと、冷めている娘は、「営業、営業・・」などと、茶化していたりしましたが、まんざらでもない様子でもありました。

 いくら営業でも、それが口先だけのことか、どれだけの熱意があるのか?本当に信念を持って語っているかどうかは、伝わります。

 これまでも、何度か書いてきましたが、やはり、私立の学校の方が、このような先生に巡り合える可能性は高い気がして、やっぱりフランスでも学校選びは、大事だなぁと思うのです。


フランスの数学学力低下問題


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