2021年10月12日火曜日

フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ

 


 子供の教育は、もちろん、その家庭に一番の責任があることは言うまでもありませんが、子供の通う学校も大きくその子の人生に影響してきます。

 どの国にも社会的格差は存在しますが、フランスはその格差がかなり大きく、子供の頃から通う学校によって、まるで世界が違います。そのどちらに行くか、人生の別れ道の違いは最初は小さいものでも、年齢を重ねるとともに大きくなっていくのが、恐ろしいほどです。

 我が家の近所にも、小学校、中学校、高校ともにいくつかの公立の学校がありますが、たまに近所を走っているバスに乗ったりすると、子供たちのバスの中での立ち振る舞いや言動で、大体、どこの学校の生徒なのかが見当がつきます。

 我が家は、そんなに治安の悪い地域でも貧窮層の多い地域でもないにもかかわらず、公立の学校がこのような状況であることは、信じ難いことですが、これがフランスの現実なのです。

 家の近所には、私立の学校は幼稚園から高校までの一貫教育の学校が一つだけなので他に選択肢はなかったのですが、それにしても、バスの中で暴れて騒いでいる子供たちを見ると、もしも私が娘の教育について、深く考えずにこれらの公立の学校に入れていたら、娘もこの子たちの仲間入りをしていたかもしれないと思うと今さらながら、私立の学校に入れて助かった・・などと思うのです。

 特に中学生・高校生くらいになると、どちら側の子供たちなのかは、一目瞭然です。

 私が娘を私立の学校に入れようと思ったのは、当時の私の職場の近くに、なかなかな暴れようの公立の中学校があり、こんな家賃の高そうなパリの中心に住んでいる子供たちでも、こんなことになる・・と危機感を持ったことがきっかけでした。(学校のストライキにうんざりしていたこともあります)

 私たちは、娘が小学校に入学する少し前に現在の場所に引っ越してきたので、小学校からは私立へと思って、入学の申し込みをしたのですが、すでにその時点では定員オーバーで、娘の名前はウェイティングリストに入れられ、仕方なく、その学校に入学できるまでは、公立の小学校に通うことにしていたのです。

 現在はわかりませんが、当時は私立だからと言って、日本のようにお受験があるわけでもなく、子供の能力が測られることもありませんでした。しかし、なんとかして、その学校に入学させてもらえないかと、娘の成績表を送ってみたところ、夏休みの間に「面接に来てください」と学校から連絡があり、急遽、夏休みの間に娘の進学先が変更になったのでした。

 その学校は、カトリック系の学校ではありましたが、宗教色はあまり強くはなく、他宗教の子供たちも多くおり、校内にチャペルはあるものの、礼拝なども強制的に参加しなければならないわけでもなく、どちらかというと、子供たちの学力向上をうたっている学校で、バカロレアの合格率100%を宣言していたので、少しでも優秀な子供を集めたいと思っていることは明白でした。

 私が最初にその学校を見に行って、すぐに思ったのは、「子供たちの顔つきが全然違う」ということでした。小さい子供でもこんなに顔つきが違うものなのかと逆にそのことが空恐ろしいくらいでした。子供の顔つきがここまで違うというのは、明らかに学校の教育なのです。

 バカロレアの合格率100%ということは、できない子は追い出されるということで、小学校からでもできない子は留年(これはフランスの学校では当たり前のことですが・・)、または、やんわりと他の学校への転校を勧められます。

 ですから、娘が小学校、中学校、高校と進む間に、いつの間にかいなくなっていた子供たちもちらほらいました。特に中学校から高校にかけては、特に急に学力ともにその子供の様子が変わってしまうことも少なくない難しい年頃です。

 しかし、厳しいのは学力だけではなく、日頃の生活態度、言葉遣いなども、成績同様に評価され、先生を睨みつけようものなら、「目を伏せろ!」などと言われるほどだったのです。

 常に自由や民主主義を掲げ、言いたいことを言うフランスの文化の中でこのような教育は意外でもありましたが、このような社会にあるからこそ、ある程度の枠内で厳しい環境に身を置くことは必要なことなのかもしれません。

 私立の学校だからこそ、成績や態度が悪ければ追い出すこともできるのですが、それは、そこにいる子供たちを守ってくれるということでもあります。

 大人になれば、ある程度、危険な人には近づかないこともできるし、自分が身を置く環境は選ぶことができますが、学校という括りは、意外にも守られていない環境でもあるのです。特に小学校、中学校はその子の基盤ができる大切な時間です。

 格差の大きい社会であるからこそ、クズは限りなくクズです。麻薬やドラッグなども年々蔓延し、低年齢化していることを考えれば、子供が1日の大半を過ごす学校環境を選んであげることは、とても重要なことに違いありません。

 フランスでは、学歴云々以前に(学歴ももちろん重要ではありますが)、その子供が真っ当な人間になるかどうかがかかっているような気がするのです。

 フランスの文部省は、たいそうな理想を掲げてはいますが、現場は理想どおりには行ってはいないのです。

 学校によって差はあるとは思いますが、フランスは私立だからといって、極端にお金がかかるということもありません。私はフランスでは、小学校・中学校・(高校)は特に私立の学校をおススメします。


フランスの小学校・中学校・高校 私立校のススメ


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2021年10月11日月曜日

パリジャンの84%は自分たちの街が汚れていると思っている でも自分たちが汚しているとは思っていない

 

 


 パリの街並みはやはり美しいです。しかし、街並みは美しくても清潔であるかと言えば、そうでもありません。

 JDD(Le Journal du dimanche)の行った世論調査によれば、実際にパリの住民の84%は自分たちの街が汚れていると考えており、73%が清潔さとその維持に不満を感じていると答えています。

 パンデミックにより、数回のロックダウンを経て、一時はパリの街も至るところが消毒され、人出が極端に減少し、飲食店も閉鎖されたことから、その間は清潔さを保っていました。

 しかし、ロックダウンが解除され、ワクチン接種が進み、ヘルスパスの起用により、人々がほぼ以前の日常と同じように街に出始めると、再び街の清潔さも失われ、不衛生な日常が戻ってきました。

 日本人がイメージするおフランスのイメージのパリはシャンゼリゼやサンジェルマンデプレなどのごく一部であり、さすがにそんな場所はキレイに保っていますが、東京に比べれば、決して広いとは言えないパリにも、目を疑いたくなるような不衛生な場所が少なくありません。

 日常が戻ってきて、駅の臭いトイレも戻ってきました。トイレだけが臭いならまだしも(それさえも信じがたいのですが)、駅の周辺までもが臭くなるのは、これが先進国なのか?と疑いたくなります。

 私が時々、通るパリ・リヨン駅なども駅・構内に入るとそこはかとなく漂ってくるアンモニアを含む不快な匂いが戻りつつあることを感じています。

 パリの地下鉄オペラ・オーベール駅も臭い駅として有名な場所です。

 これらの匂いが駅に戻ってきたということは、人出が戻ったことが原因ではありますが、同時に駅での清掃、消毒作業がパンデミックが始まった頃のようには、もはや行われていないということでもあります。

 また、このパンデミックをもってしても、フランス人の衛生観念は、改善されていないということでもあります。

 パリの街中には、多くのゴミ箱がありますが、たくさんあるゴミ箱も利用する人はまだマシですが、そのゴミの捨て方も酷いのです。逆に日本(東京)に行ったことのあるフランス人は、ゴミ箱の少なさに驚いています。(ゴミ箱が少ないのにゴミが落ちていないこと)

 また、住宅街の家庭が排出するゴミなどは、ある程度は分類されて、住宅施設ごとに纏めて管理人が出すのが普通ですが、引っ越しの際の大量の粗大ゴミが出されていたりすると、そこから掘り出し物を探すのか?近隣住民が寄ってきてゴミが大散乱していたりします。

 パリ市は実に街を清潔に保つために年間5億ユーロを費やしているにも関わらず、パリの住民が不満に感じるほどにしか、その成果は上がっていないのです。

 このパリという街を清潔に保つことに目を瞑り、改善しようとしていないパリ市に抗議して、この日曜日にはPlace de l'Hotel de Ville(パリ市庁舎広場)でデモまで行われました。

 しかし、言わせてもらえば、パリの街を汚している張本人たちがパリを清潔に保つ努力をパリ市が行っていないと抗議するのは、なんともお門違いな話で、どのツラ下げて誰が物申しているのか?と相変わらず、自分たちがすべきことをせずに、言うことだけ言うフランス人に唖然とさせられます。

 パンデミックはまだ終息していないにもかかわらず、以前と同じように街を汚し始めたパリジャンたちは、自分たちの街が汚れていると思い、それを不満に感じているようですが、自分たちの街を自分たちが汚しているとは考えていないようです。

 今回のパンデミックにより、実にこれまでに117,052人の犠牲者を出してもなお、衛生環境がどれほど日常生活に大切なものであるか?それを個人個人の心がけにより変えていこうとはせず、問題の責任を国に押し付けようとする彼らには、パリの街を清潔に保つためには、ロックダウンの時と同じように、罰金・罰則が必要なのかもしれません。


フランス人の衛生観念


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2021年10月10日日曜日

フランス・死刑制度廃止40周年 死刑制度廃止説得のための戦い

  


 10月9日、フランスは死刑制度を廃止して、40周年を迎え、パンテオンで、これを記念するシンポジウムを開催しました。

 この講演会でマクロン大統領は、「死刑制度の普遍的廃止のための戦いを再開する」と宣言しました。1981年にフランスが死刑制度を廃止して以来、106カ国がこの道を進んだことを振り返り、中国、アメリカ、インドなど50の国は死刑執行の正当性を尊重し続け、2020年には世界で483人の国家殺人が行われたことを嘆きました。

 そして彼は、2022年の前半に欧州連合の枠組みの中で、依然として死刑制度を採用している国に対してこの制度を廃止することの重要性と緊急性を各国指導者に納得させる「最高レベルでの会合」を組織し、それらの国々を説得することを発表しました。

 このシンポジウムには、ジャン・カステックス首相をはじめ、法務大臣のエリック・デュポン・モレッティ、国会議長のリチャード・フェラン、上院のジェラール・ラーチャーを含む約200人が出席しました。

 このシンポジウムには、1981年の死刑制度廃止の際に実際に投票した元法務大臣ロベール・バタンターも参加し、「死刑は人類にとっての恥であり、世界で消滅する運命にある」と断言しています。


 この講演で未だ死刑制度を採用している国として挙げられたのは、中国・アメリカ・インドで日本は入ってはいませんでしたが、日本もまた死刑制度を続けている国であることに違いはありません。

 ましてや、ここに挙げられたアメリカもすでに州レベルでは半数以上が停止・廃止しています。しかも今年の7月になってバイデン政権は、連邦レベルでの死刑執行を一時停止しています。

 EU諸国に至っては、死刑廃止がEU加盟の条件になっています。

 実際に、世界の7割以上が死刑廃止・停止に至っているのです。

 にも関わらず、今回の講演でも日本が話題に上がらないのは不思議なほどに、日本には死刑を支持する声が高い国で、5年に一度、内閣府が実施している世論調査(2019年)では、「死刑もやむを得ない」が80.8%を占めており、「死刑は廃止すべきである」はわずか9%です。

 つまり、日本は他の先進国とは異なり、死刑制度の是非の議論でさえ極めて低調で、世界の流れの中で孤立する可能性を秘めています。

 しかし、実際には、現在の日本では、死刑判決が下りながら、死刑が執行されていないのも事実で、これにはこの世界的な死刑制度に対する潮流が影響していないと考えられないこともありません。にも関わらず、この件に関して、議論が起こらないことの根底には、日本には、「死んでお詫びをする」という歴史的な文化が根付いていることもあります。

 また、日本では世間の同調圧力が大きく、異質なものを徹底して排除しようとする文化があります。

 被害者感情を鑑みれば、「死刑も致し方ない」という考え方もわからないではありませんが、犯罪を生み出すのは、個人であると同時に社会であることも考えれば、その個人を断罪したところで、失われた命を取り戻すことはできません。その犯罪が起こった社会的な原因究明もできないままに通り過ぎてしまうことになってしまいます。

 世界中を震撼とさせた一連の「オウム真理教」の事件に関わった幹部は、ほぼ死刑が執行されましたが、あの社会的に大きな事件がなぜ起こったのかは、徹底的に究明されることはありませんでした。

 EUは死刑廃止の理由を、「全ての人間には、生来尊厳が備わっており、その人格は不可避であること」としていますが、今回のフランスの死刑制度廃止40周年を機に宣言された「死刑制度を採用している国に対して、この制度を廃止する説得を再開する」「この説得を組織化して行う」という宣言により、日本が槍玉にあげられる可能性があります。

 実際に日本の死刑制度を廃止するまでには長い道のりが必要だと思いますが、こうした説得に対して、日本は正面から答えることができるように、この「死刑制度」に関して、少なくとも国民的レベルで議論を開始する必要があります。


死刑制度廃止


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2021年10月9日土曜日

もしもフランスで地震があったなら・・それはパンデミックの被害にも表れている

  


 先日、日本で大きな地震があったことは、フランスでも、すぐに報じられていました。私自身、もう長いこと地震のない国にいるので、震度5強という自身がどの程度のものであったのか? 見当も付かなくなっていました。

 私の記憶に残っている日本での大きな地震は阪神大震災と東日本大震災ですが、阪神大震災があった時はまだ、私もまだ日本に住んでいましたが、私は東京に住んでいたため、さほどの影響はありませんでした。

 ただ、当時、祖母の病状がかなり悪く、転勤で関西にいた弟が祖母に会うために東京に来ており、祖母の病状が少し落ち着いたために、また関西に、よりにもよってバスで戻る帰途に着いた直後のことで、テレビで報道される阪神高速道路がぽっきり折れている様子などを見て、連絡がなかなかつかない弟を家族みんなでとても心配したことを覚えています。

 当時、既にあの世とこの世を行ったり来たりしていたような状態だった祖母が地震の起こる少し前に昏睡状態かと思ったら、ぱっちり目を開けて、「大きな地震が来るわよ、本当よ!」などと言っていたのを地震が起こってから、みんなで、「本当だったんだ・・」などと驚いたことを覚えています。

 その後の東日本大震災の時は、もう私はフランスにいたので、地震の様子はニュースでしか知ることはありませんでしたが、朝、起きていつもは見るとはなしに、なんとなくつけているテレビをつけると、「ジャポン!ジャポン!」という声が聞こえてきて、その後は津波で車や家が流されているような、ちょっと一瞬では理解できないような光景に、テレビに釘付けになりました。

 東日本大震災はフランスでも数日間にわたって特集が組まれるほど大きく報道され、フランス人でも知らない人はいないほどの騒ぎぶりでした。

 その頃通っていたスポーツジムで、これまで話をしたこともなかったフランス人から、「あなた日本人でしょ、ご家族は大丈夫だった?」などと話しかけられたりもしました。彼女は、「あんな大変なことが起こったのに、日本人は礼儀正しく、我慢強くお互いに労りあって素晴らしいわね・・フランスであんなことが起こったら、それこそ殺し合いが起こりかねないわよ・・」などと言われて、「なんだ、本人たちもわかっているんだな・・」などと思ったことを覚えています。

 最近は、気候変動のために洪水被害はやたらと増えたフランスではありますが、地面が揺らいだり、分断されたりする地震などの自然災害(天災)というものはフランスでは比較的少なく(というか地震はない)、どちらかといえば、人災の方が多いのではないかと思われます。

 今回のパンデミックは大きな災害ですが、この災害に慣れていないということがフランスの感染拡大を大きくしてしまったことは、大いに考えられる一因であったようにあらためて思います。

 先日の日本の地震について、フランスでも報道されてはいましたが、幸いなことに現在のところは東日本大震災ほどの被害には及んでいないこともあってか、こちらのニュースでは、「日本ではかなり大きな地震があったが、日本人は慣れているから大丈夫・・」などと言っています。

 日本の災害の多い環境が「常に起こりうる危機に備え、何が起こってもいたずらに騒ぎ立てず、周囲を思いやり、我慢強く耐える」日本人の国民性を培ってきたと思わずにはいられず、そんな日本人をやはり私は、誇りに思っています。

 地震などの災害が多い環境は、状況的には大きなハンディではありますが、そのことによって、日本人の尊さが育まれているのです。

 今回のパンデミックに関しても、その違いは明らかで、日本は結局、オリンピック・パラリンピックまで開催したにも関わらず、これまでの犠牲者(死亡者)は17,856人、フランスは116,991人です。単純計算でもフランスは日本の約6.5倍の犠牲者を出していることになりますが、実際は、日本の人口はフランスの人口の倍以上なので、事実上13倍の犠牲者を出していることになります。

 しかも、フランスでは、ほとんどの人が外出も禁止されているという完全なロックダウン状態(罰金・罰則付き)を2ヶ月間、その後も更に2度のロックダウンを行ってのこの数字です。

 約8ヶ月間にわたり飲食店は営業もできずにいたフランスは、「日本は時短営業などは、行っていても営業停止ではないよ・・」などと言うと、それでどうやって感染を回避できているのか?信じられない!とビックリしていました。

 日頃からの衛生的な環境や習慣もフランス人には到底、想像にも及ばないもので、フランスのパンデミック下の衛生状態は、おそらく日常の日本の衛生的な環境には至っていません。

 日本人の生活は日常から常にあらゆる危機的状況に備えられているので、フランス人に「日本人は慣れているから大丈夫」などと言われるのです。(悪い意味ではありません)

 それに比べてフランス人が慣れているのは、デモや暴動で、ちょっとやそっとのデモが起こってもフランス政府は慣れているのでびくともしません。

 この現実は、フランスで生活する日本人としては、なかなか微妙な現実です。

 もしもフランスで日本のような地震が起こったら・・想像するのも恐ろしいことになりそうです。



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2021年10月8日金曜日

まだまだ油断はできないフランスの感染状況 いくつかの地域で再び感染上昇

  

フランスで感染が再び上昇し始めた地域

 


 政府のスポークスマン・ガブリエル・アタルは、フランス国内のいくつかの地域で、再び感染が上昇し始めたことを発表しました。

 これまで、ワクチン接種率の上昇とヘルスパスの起用により順調に減少してきたコロナウィルスの感染状況がペイ・ド・ラ・ロワール(Pays-de-la-Loire)とオード(Aude)の地域で感染状況が増加傾向に転じ始め、10万人あたりの感染症例50のしきい値を超え、警戒が必要な数字に達しています。

 政府当局は、感染率がもはや減少しないどころか、増加し始めた、これらの地域の約30県は、危機に瀕しており、今後、より注意を払う必要があることを警告しています。

 オード県での発生率はこの一週間で10万人あたり66件を記録し、大学(リムー)も閉鎖することを余儀なくされています。

 また、ペイ・ド・ラ・ロワールでもいくつかの県で発生率が10万人あたり50件を超えています。(マイエンヌ55件、メーヌ・エ・ロワール51.2件)

 保健当局は主に過去、数週間にわたるこれらの地域部門の感染状況の変化を注視しており、フランス全体としては、低下しているものの、これらの地域(オード県)では9月20日から10月3日までの間に発生率が6.97%増加し、カンタル(オーベルヌ・ローヌ・アルプ圏)では2週間で88%の発生率の増加を示しています。

 政府は、現在の一部での地域の感染増加から、冬に向けて気温が低下することに牽引されて起こる可能性のある第5波の到来を懸念しています。

 これらの地域で特に感染状況が増加に転じた原因は解明されていませんが、夏のバカンスが終わり、学校も再開され、47の地域では小学校でのマスク義務化も撤回され、ヘルスパスがあることで、日常を取り戻し始めた人々の気の緩みや気温の低下など、これらの地域だけでなく、感染が再び上昇傾向に転ずる危険性はどこの地域にでも潜んでいるということを思い起こさせてくれる事態が起こりました。

 ウィルスが気温が低下するごとに活発になることは、これまでの状況からも既に明白な状況で、ワクチン接種は感染を完全に回避できるものでもない上に、ワクチン接種をしてから、半年ほどでワクチン接種の効果が低下し始めることがわかっています。

 感染の上昇は、いったん上昇傾向に転じ始めれば、倍々で増加していくので、この気温が低下していく時期に、しかもワクチン接種をしているからといって、油断は大敵なのです。

 この一部地域での感染悪化の状況が全国的に警鐘を鳴らす機会になってくれれば良いのですが、フランス全体としては感染状況を示す数字は現在のところは、減少しているために、警戒を強めるどころか、「ヘルスパスを廃止」の期待が大きいことは、憂慮すべき現実です。

 一度、規制を緩めてしまえば、再び規制を厳しくすることは、よりショッキングなことであり、さらに反発が強まります。

 2022年の夏までは、ヘルスパスを続行することを検討すると発表していたフランス政府ですが、それよりも具体的に11月15日まではヘルスパスによる規制は解除しない方向であることを確認しています。

 10月15日からはPCR検査は有料化され、検査数が減少することは確実です。ワクチン接種に追い立てるために、検査を有料化する(もちろん経費削減もあるでしょうが)ことを決めた結果が検査をしないために、感染していることに気付かないまま、感染が増加する危険性も含んでいるのです。

 そして、フランスでは、10月末からは万聖節(ハロウィン・フランスではトゥーサン)のバカンスに突入し、家族が集まり、お墓参りをする慣わしがあります。そして、トゥーサンが終われば、その次には、何よりフランス人にとって大変なイベントのノエルが待ち構えています。

 これから気温の低下とともに、ワクチン接種の効果が薄れ始めた頃に次から次へと感染悪化を呼び起こしかねない行事が目白押しなのです。

 すっかり開放モードのフランスが、この秋から冬にかけて、無事でいられる確証はまだまだないのです。


フランスの一部地域での感染悪化


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2021年10月7日木曜日

一年以上かかって、まだ治療が終わらないフランスの歯医者

  


 思い起こせば、通い始めて1年以上経ってしまった歯の治療ですが、手短に言えば、まだまだ終わりそうもありません。

 そもそも、もしかしたら、ヤバいかも?・・と思いながら、放置していた上に、衝撃的な完全ロックダウンを迎えて、医者通いの外出は認められていたものの、マスクを外さなければ用をなさない、しかも口の中をいじくりまわす?歯の治療は、何とも恐ろしくて、躊躇われて行かなかったことが、さらに症状を悪化させたこともあり、事態は最悪の結果を迎えることになり、一本の歯はインプラント、そして、その隣の歯も治療が必要になってしまいました。

 ロックダウンが解除になって少しして、ようやく恐る恐る歯医者さんに行って聞かされた、まさかの入れ歯かインプラントの選択から始まり、まさか自分が入れ歯を入れるかどうか悩む日が来るとは思ってもみませんでした。

 私の歯も間接的なパンデミックの被害に遭っております。

 まずは、もう根っこももうダメになっている・・と言われてしまった方の歯の根っこを抜くことから始まり、結局は、その後の煩わしさや「食べる」という私の数少ない楽しみを尊重するために選択したインプラントの埋め込みの手術(現在のところは歯の根っこの部分にネジのようなものを埋め込んだ状態)も、2回目のワクチン接種から2週間経過しないと・・さらにワクチンのために延期されて、ようやくできたのが、6月の末のことで、それから1ヶ月間は、経過を1週間おきに診る必要があることで、7月は毎週、歯医者に通ったところで、再び治療は夏のバカンスのためにストップ。

 私は、特に夏の間に遠出はしなかったものの、夏のバカンスの間に診察室の改装工事をするとかで、次の予約は9月になりました。

 しかし、予定どおりに行かないのがフランスで、案の定、工事が工期どおりに済まなかったということで、予約はキャンセル、しかも9月中に2回、毎回、携帯に歯医者さんから電話が入るたびに、またか・・とうんざりし、10月に入ってからに変更された予約も怪しいものだ・・と半ばあまり期待しないで、逆にギリギリまでキャンセルの電話があるのではないか・・と思っていました。

 結局、今回の予約にはキャンセルの電話が入らなかったので、半信半疑で歯医者に行ってみると、エレベーターを降りた段階から嫌な予感。エレベーターの中からエレベーターを降りた廊下のカーペットには、工事用のビニールのシートが貼られたままで、歯医者に入ると工事の真っ最中。

 夏前までは、感染対策のために診療所に入るとガウンを着せられたり、頭に感染防止用のキャップまで被せられていたのに、そんなものも一切なくなっていました。

 それどころか、どうにか間に合わせでほぼ仕上がっているのは、診察室の一つだけで、他の部屋では工事が続いています。歯医者さんも、そうそう休診のままではいられないので、どうにか診察室の一つだけを先に工事を完了させたのだと思いますが、それにしても、診察中にも工事の問い合わせの電話が入ったり、バタバタと落ち着かないことこの上ありません。

 ただでさえ、インプラントは時間がかかるのはわかっていますが、今回のところは、インプラントの方は、手が付けられず、結局、もう一本の方の仮歯の付け直しで終わりました。

 私の方は、年内いっぱいで保険を切り替えたいために、前々から、年内には、終わらせてもらいたいと念を押して来ましたが、今やすでに10月。

 年内中に歯の治療が完了するのは絶望的です。

 こんな状況からか、「インプラントの次の手術はもう少し時間を置かないと・・」などと自分の都合の良いように言うことを変えるので、「年内には終わるって言ったじゃない!」と言うと、保険の都合なら、「支払いは先に済ませれば、保険の方は問題ないから、その後、治療は、ゆっくりやりましょう!」とのこと。

 いくらなんでも今年中に終わらなければ、治療を始めてもう2年。この期に及んで「ゆっくりやりましょう!」もないものだ・・と思いつつ、治療を始めてしまった以上、現段階で歯医者を変えるわけにもいかず、仕方がありません。

 今の家に引っ越して以来、ずっと通ってきた家の近所の歯医者さんで、これまでこんなことはなかったのですが、いつもの歯の治療とは違うインプラントということもあり、それにパンデミックやバカンスが重なった上に、診察室の工事まで重なって(こちらの工事は工期を守るという観念はない)しまったことなどもありますが、これでは乗り替えるのは、保険だけでなく、歯医者さんも乗り換えることを考えなければ・・と思い始めているのです。

 というより、今後は歯医者に用事がないように祈るばかりです。


インプラント フランスの歯医者


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2021年10月6日水曜日

やたら謝る日本人と謝らないフランス人に見る厳しい日本社会と緩いフランス

   


 フランスでの生活が長くなって、たまに日本に行くと、やたらと謝られることに恐縮してしまうことがあります。「こんなことで、そんなに謝らなくてもいいのに・・」と。

 日本で生活していた頃はあまり気にもしませんでしたが、こんなに謝られる国は、そうそうないのではないかと思います。

 「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」「ご迷惑をおかけ致しました」などなど、日本にいたら、1日、何回、謝られることかと思うほどです。

 日本のサービスは、正直、世界一ではないかと思うのですが、また顧客側も世界一厳しい顧客なのではないかとも思います。

 逆にフランスに来たばかりの頃は、何をするにも時間がかかり、ダラダラと同僚とおしゃべりしながらの接客にイライラし、しかもミスが多いにも関わらず、絶対に謝らないフランス人に対して、「パードン(ごめんなさい)」ぐらい言えないの?」とキレかけたこともありました。

 今から思えば、あれは珍しいことではなく、大抵、何があっても謝らないのがフランス人なので、そこで怒る私の方が馬鹿らしかったのですが、あの頃は、まだまだ、そんなフランス人には慣れていなかったのです。

 日本だとよく言われる「大変、お待たせして申し訳ありませんでした」という台詞も、待たされることが当たり前のフランスでは、これまで20年以上フランスにいて、これを言われたのは1回のみで、そんなことを言われて、あまりにビックリしたので、逆に鮮明にその時のことを覚えているくらいです。

 例えば、スーパーマーケットで値段を間違えられていたりして、返金してもらいに受付に行ったりすると、謝るどころか、返金の手続きをやってあげた・・そんな感じの応対です。

 私がミスしたわけではないから、私が謝る必要はないし、むしろ、面倒な返金の手続きをやってあげる・・という感じなので、思わずお礼を言ってしまう自分にちょっとバカげた気分になります。そもそも謝るなどということは微塵も考えてもいないのです。

 会社全体のミスを自分がその会社を背負って謝るなどという感覚は全くないのです。

 さすがに高級品を扱うお店などでは、店員も教育され、頗る感じが良いのですが、そんなお店には、滅多に用がありません。

 今では、スムーズに行かないことが前提なので、何かミスをされても、「まただ・・」とちょっとがっかりするだけで、うまくいけばラッキーぐらいの気構えでいます。

 フランスではそんな感じで生活しているので、たまに日本に行くと、あまりに度々、ちょっとのことでも謝られるのに恐縮するというか、それを超えて、どれだけ厳しい社会なんだろうと思うことがあります。

 厳しい顧客がいるからこそ、サービスもどんどん向上していくのでしょうが、少しのミスも許されず、謝らなくてはならない社会がちょっと厳しすぎるような気もするのです。

 逆に、トラブルが前提のフランスでは、多少、待たされても、それが当然なので文句をいう人もおらず、ミスがあっても、謝りもせずに淡々と、堂々とミスを処理していくのは、反省しない分、改善されませんが、反面、それが許される寛容さ?緩さ?があるような気もするのです。


謝罪


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